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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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バンコク バンコクから東京へ
 1月12日 夜中の3時が近づき、バンコクの国際空港 スワンナブーム交際空港へ
 向かう時間になった。
 隣の部屋では息子のBが テレビを見ながら 待機している。
 重く息苦しい身体を持ち上げ、着替えを済ませ、荷物の最終チェックを済ませ、
 小型のスーツケースと
 リュックサックを息子に持たせ、部屋を出る。

 マンションの外に出ると 辺りはまだ闇の中である。
 タクシー料金350バーツを息子に渡し、やってくるタクシーを
 待っていると 1台のタクシーが すぐさまやってくる。
 スワンナブームまでの運賃交渉は 350バーツで成立である。
 若い息子は十分に体力は残っているが、私のほうは体力も消耗していて、口数も少ない。
 スワンナブームに行くのは 息子にとっては初めての体験である。
 ドンムアン空港には 数え切れないくらいに通った。
 インド、ネパール、東京と 何度 一緒に通ったことか。
 
 夜のしじまの中のバンコクの街を30分もしないうちに タクシーは空港へと到着した。
 タクシーを降り、二人で空港の中に入り込んでいく。
 ノースウェスト航空のチェックインカウンターへと向かう。
 並んでいる乗客の数は少ないが 一人一人のチェックにやたら時間がかかる。
 エコノミックス用のカウンターは二つしかしかないのに 一人のアメリカ人がごねていて、
 やたら時間がかかっている。
 元気そうに振る舞い、乗車拒否にあわないようにするのもなかなか辛い。

 短い時間 息子との短い別れの時間を告げ、出国手続きのカウンターへと向かう。
 再びいつ会えるのかは定かではない。
  
 出国手続きは簡単に終わり、荷物検査を終え、ゆっくりゆっくりとG3搭乗口へと向かう。
 体調のよくないときには 普通でも長いG3までの距離の長さがやたら長く感じられる。。
 どこか寝転がれる場所を見つけたいと思うが、どこも一杯である。
 やっとのことで長いG搭乗口までたどり着く。

 いつもならここで煙草を一服ということになるのだが、もうそんな状態ではない自分を
 再認識する。

 G3の搭乗口前で 形だけの荷物チェックを受け、搭乗口前の待合室へと急ぎ、
 やっと横になることができる。
 30分も待っていると 搭乗が始まる。

 私のとこの席が空席であることを祈るが、残念ながら、ミネソタ州出身のアメリカ人が
 座り込む。
 近くに日本人客室乗務員がいたので 体調が悪いことを告げ、居心地のよい席があれば
 見つけてくれることを頼んでおく。
 6時間のフライト中耐えられるかと訊かれるが 当然大丈夫と答えて置く。

 飛行機が飛び立つと この女性日本人客室乗務員が 2座席分の場所を確保してくれる。
 後に4座席分の場所を確保してくれるが、あまりに悪いので遠慮してしまった。
 そんな遠慮をしていたら、その4座席分を私より健康的に見える外国人が利用し、
 眠り込んでいた。
 つまらない遠慮はするものではないとつくづく感じてしまった。


 寝やすい形を作りながら、6時間近い飛行時間中の半分は耐えることが出来た。
 ビールとワインは無料だったので 感覚を麻痺させるには都合がよかったのかもしれないが
 飲む気にはなれなかった。

 身体を丸くして 朝食も取らず、耐え続けていると やっと成田が近づいて来た。
 上空の天気はよくないようだ。
 体力づくりのために 出されたクロワッサンサンドだけは無理しても食べることにした。
 昨日の夕食以降 何も口にしていなかった。
 成田到着後の体力が心配だったからだ。
 無理やり飲み込んで、食べる。

 小雨降る中を 飛行機は成田空港の滑走路へと滑り込んでいった。
 日本人の客室乗務員に 車椅子の手配を頼んでおく。
 残っている体力は出来るだけ温存しておく必要がある。

 この客室乗務員の母親も10年以上前に子宮がんに係り、手術をしたが この10年再発の
 気配もなく、今なお健在のようだ。
 飛行機を降りる寸前にくれたティッシュボックスは 私への思いやりだったのかもしれない。

 さあ 飛行機から出て 成田空港へと移動すると 飛行機の出口では 車椅子が待っていた。



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徒然なるままに | 15:42:39 | Trackback(0) | Comments(5)
バンコク 日本帰国まで あと1日
 昨日は 朝8時半過ぎに 息子がやって来てくれたので 外に出掛ける必要もなく、
 彼が食事の手配や細々とした用事を片付けてくれたので、1日中 ベッドで寝ている
 ことが出来、身体を休めることが出来た。

 次の日の午前11時に再びやって来ると言って 夕方7時過ぎに自分の部屋に帰って
 いった。

 彼が帰り、夜10時過ぎには 寝る態勢に入ると、再び、息苦しい状態になってきた。
 横になると どうも胸に溜まった胸水が影響を与え、呼吸を難しくするようだ。
 気管支に痰が詰まり、ゼイゼイと音をたて、深い呼吸が出来ない。
 朝までこんな状態が続いている。
 昨日は 息子が来て のんびり休むことが出来、体力が回復出来たと思ったら、
 この挙句である。 

 今日はいくつか しなくてはならないことがある。
 お金の両替をすること、電気料金支払いのための銀行口座にお金を振り込んで置くこと、
 この二つだけは済ませて置かなくてはならない。
 いつもなら何でもない仕事が、大きな負担になっている。
 息子に任せればいいのだが、都合の悪いことに通帳の残りのページがなくなり、
 通帳を新しくしなくてはならない。

 それが終われば、帰国のための最低限の荷物をまとめ、あとは寝ていればいい。
 そして 12日の真夜中の2時半にタクシーで 息子とともに空港へ向かえば良い。

 ノースウェスト航空276便 バンコク5時40分発、成田到着13時35分に
 乗り込めば、いいだけである。6時間のフライトである。
 緊急用の酸素吸入器があればとアドバイスされ、息子に探してもらったが、
 見つからなかった。
 いざとなれば、客室乗務員に頼むよりしかたないだろう。

 スワンナブーム空港へ行くまで ひたすら体力回復に勤めるだけである。

 もう運命に任せるしかない。



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徒然なるままに | 14:48:13 | Trackback(0) | Comments(4)
バンコク 日本帰国まで あと2日
バンコク 日本帰国まで あと2日 1

バンコク 日本帰国まで あと2日 2

バンコク 日本帰国まで あと2日 3

バンコク 日本帰国まで あと2日 4

バンコク 日本帰国まで あと2日 5

バンコク 日本帰国まで あと2日 6

 帰国まであと2日になったが、昨日は体調が最悪の状態だった。
 胸膜内に溜まった胸水が 増えてきたせいか 呼吸がしづらくなってしまっていた。
 昼前に タイの息子に連絡し、日本への帰国当日は 空港まで付き添ってもらうことを
 頼んで置く。

 午後4時から 今 日本からバンコクにやって来ている日本人の方に会うことになった。
 私が今まで タイやネパールで撮り続けてきた写真を ホームページ作りや何か企画を
 作って活かしたいということだった。
 何らかの形で 私の見てきたタイやネパールの姿が 伝えられていくのは必要かも
 しれないと思い、ちょっと大変だったが、タイ、ネパールの写真のすべてを DVDに
 焼き込んで渡した。
 MBKセンターの1階のカフェでお会いしたが、体調が悪くて、自分の部屋から
 MBKセンターまでの少しの距離を歩くにも苦労してしまった。
 関西出身の方で 私より少し若いかたで 誠実そうな人柄で安心した。

 彼が興味を持っているイスラム教徒 チャム族の集落 バーン・クルアを少し案内した。
 体調が良ければ、集落 バーン・クルアや周辺にある下町や市場なども案内して差し
 上げたかったが、体調がひどくなってきたので 途中で別れて、部屋に帰ることにした。

 ゆっくりゆっくりと歩きながら、マンションの入口に入ってくると タイの息子が
 心配してやってきていた。
 昼前にかけた電話が 余程苦しそうに聞こえたようだ。
 1時間半ばかり私の様子を見て 自分の部屋に帰っていった。
 明日又、やって来ると言う。

 息苦しさが収まらず、横になって 呼吸が普通になるのを待っていた。
 体力をつけるために 牛乳を飲んだのはいいが、これが気管支に詰まって呼吸困難に
 なり、大変な想いをした。
 嗽をしたり、深呼吸をしたり、いろいろ試してみる。
 いよいよ 高額な治療費の私立病院での治療になるか、野垂れ死にになるかと
 心配したが、以前 近所のクリニックで貰っていた気管支拡張剤を飲むと、少し、
 回復してきたので安心した。
 とにかく 回復した状態を維持するようにしなくてはならない。
 12日の早朝のフライトまでとにかく頑張らなくてはならない。

 少し楽になったので 私のブログの訪問者を確かめていると 今まで見慣れない
 訪問者の方がいた。
 その方のブログの中で書かれている記事の中にこんなものがあった。 
 『小澤征爾の食道癌 』
  http://blogs.yahoo.co.jp/jngwk691/50003684.html

 ― それに、もう一つ、皆さんがわかっていないことで、非常に大切なことがある。
 それは、人の寿命なんて、医者の技術や、薬の力や、本人の努力で、どうこうできる
 ものではないんだよ。

 つまり、人の寿命というものは、あっちにいる人しか、決められるものではないんだよ。
 医者も、本人も、誰も、決めることはできないんだよ。

 あっちにいる人が、「この人は、もう、こっちに引き上げよう」と思ったら、
 どんな名医にかかって、どんなに高価な薬を飲んだって、ダメ。死ぬものは死ぬんだよ。

 人間は、大抵、何らかの病気によって死ぬんだが、死ぬ運命にある病気になったら、
 どうもがこうと、努力しようと、死ぬ病気は死ぬんだよ。

 反対に、医者に行かなくたって、薬を飲まなくたって、治る病気は、治るんだよ。

 医者に行っても、どんな高価な薬を飲んでも、死ぬものは、死ぬし、死なない病気は
 放っておいても死なない。

 だったら、何も、入院して苦しい思いをしたり、治療費とか、薬代だとか、
 ただでさえも、乏しい財布の中身を、更に、乏しくしたりして、周りの者に迷惑
 かけることないじゃないか。―

      ~ 気と心と宇宙法則 http://blogs.yahoo.co.jp/jngwk691

 私を勇気づけるために訪問してくれたのだろうか。

 私自身 人間の寿命というものを受け入れたいと思うし、無理をしてそれに逆らう
 つもりもない。
 私を生かそうという力が 何処かにあれば、少しは寿命も伸びるかもしれない。
 ただそれだけのような気がする。

 今 日本へ帰るというのも 長生きをしたいというより、タイ、ネパールでの
 後片付けのための体調の回復のためだ。
 その後のことは考えていない。

 だから、そのためにどうにかして 日本に辿り着く必要がある。



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徒然なるままに | 10:32:31 | Trackback(1) | Comments(2)
バンコク 日本帰国まで あと3日
バンコク 日本帰国まで あと3日 1

バンコク 日本帰国まで あと3日 2

バンコク 日本帰国まで あと3日 3

バンコク 日本帰国まで あと3日 4

 食欲不振から 体力が少し 落ちてきたせいか 少し辛くなってきた。
 そのためか 胸水の量が増えてきているのか ちょっと息苦しい。
 日本への帰国のための飛行機の出発日は 1月12日 火曜日の午前5時40分、
 空港には 午前3時半過ぎには到着する必要がある。
 今の具合なら、息子に空港まで付き添ってもらう必要がありそうだ。

 変な話だが フランスの有名な詩人 アルチュール・ランボーのことが思い出されて
 きた。

 若くして一躍有名になったランボーだが、その名声には眼も向けず、詩の世界を捨てて、
 アフリカの砂漠の商人としての生活を選択する。
 エチオピアのアデンを中心にして 商いに励むが ちょっとした事故から足を痛め、
 そこに骨肉腫が出来てしまう。
 治療のために アフリカからマルセーユの港に帰り、フランスで足の切断手術を受けたが、
 病魔は体中に広がり、回復の可能性はなかった。
 再び エチオピアのアデンを目指し、最愛の妹とマルセーユにやってくるが、
 時はすでに遅く マルセーユで亡くなってしまう。
 享年37歳だったように記憶している。

 20数年間 海外で生活していると いつも気になっていた存在が アルチュール・
 ランボーだった。
 人生半ばにして その一生を閉じたランボーと私とは違うし、60歳近くまで生きて
 きた自分は彼よりもずっと恵まれている。
 別段 何の成功もなかったけれど、好き勝手に生きることが出来たのは 本当だ。

 ランボーがフランスに帰ってきたのは 足の治療のためで その治療が終われば、
 再び エチオピアのアデンへ向かうつもりだったのである。

 私も同じである。
 体調が回復するための一時的な治療が済めば、バンコクに帰ってきたいし、ネパールの
 カトマンズにも行かなくてはならない。

 とにかく頑張って 1月12日の飛行機には乗り込まなくてはならない。
 成田に到着すれば、区役所での国民健康保険加入の手続き、病院の手配を行わなければ
 ならない。
 これが辛い作業になるだろう。
 東京の昔からの友人は 仕事中で 職場を離れることは出来ない。
 ひたすら 身体が動くための体力が残っていることを 願うだけだ。

 私が大病に罹り、病院に入院したのは 大学4年の秋のことで 病気は急性肺炎だった。
 この時は 国民健康保険と学生保険の二つが使えて、入院費も治療費も無料だった。
 入院生活は 1ヶ月近くに及んだ。

 あれから 35年以上の月日が流れてしまった。
 今回は どういう事になるのだろう。
 世界も私もすっかり変わってしまったのだ。



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徒然なるままに | 10:13:41 | Trackback(0) | Comments(2)
バンコク 家族の絆
バンコク 家族の絆 1

バンコク 家族の絆 2

バンコク 家族の絆 3

バンコク 家族の絆 4

バンコク 家族の絆 5

 私が生まれたのは 瀬戸内海の小島である。
 9人兄弟の末っ子として この世に生を受けたのである。
 父親は造船所の工員として、母親はその傍らで蜜柑農業を営んでいた。
 いわゆる兼業農家である。

 1950年代でも9人兄弟 11人家族というものはやはり大家族であった。
 兼業農家だったから どうにか生活が成り立っていた訳で、父親の収入だけでは
 家族を支えることは困難だっただろう。

 家族、兄弟が多いのは賑やかでいいですねという人がいるが、一番小さい末っ子の
 眼から見て、兄弟が多くて 得をした、いい思いをしたという記憶はあまりない。
 むしろ、次から次へと問題が起こってきて、心を悩ますことの方が多かった。

 いくらたくさん子供を産んで育てても 助けあいの精神や兄弟間の思いやりを育てる
 気がないなら、兄弟が多いというのは 子供にとって大きな負担になるものである。
 不幸な生い立ちの中に生まれた父親は 助けあいとか人間同士の思いやりといった
 面では 欠けていた人だった。
 彼の一生の中では 子供の心の中に入ってくることは 一度もなかった。

 そんな問題の多い家族を末っ子として 下から絶えず見つめているというのは 
 どうも人間に対する猜疑心、人間に対する信頼感を失わせてしまうものである。
 私にとって 家を離れることは そうした家族のしがらみから逃れることだった。

 ネパールのカトマンズで 親兄弟や幼なじみ同士の関わりを見ていると、素朴で
 暖かく、その人間関係を大切にしていることが そばで見ていてもよくわかり、
 貧しく、経済的に豊かでない家族ほど 家族間のつながりを大切にしている姿には
 こちらの心も暖かくなってくる。

 家族というものが 人間の何を育てるのかが 本能的にわかっているのである。
 ただ家族の中にいても 両親や祖父母が 家族の絆をどう育てて行くのか
 わかっていなければ、家族は 大きな争いの原因になるし、憎しみを生み出す
 ことだってある。
 今の日本社会は 家族の持つ負の力の証明にすらなってしまっている。



    夕御飯です  
             
               高木護

   灯がゆれると
   私の胸に想いがいる
   想いを 箸でつつくと
   おまえらの瞳の中に
   遠い湖があり
   青い魚が跳ねている
   呼ぼうよ 遠い日を

   ここには父が座っていたね
   そこには母が座っていたね
   今その暗い影に
   私が座り
   お前らが座っているね

   時の流れ
   それは 哀しみのぎっしり
   敷き詰められた小径だった
   私が歩いていく
   どんどん歩いていく
   お前らは手を振っている

   私が引き返す
   お前らは泣く
   時の流れ
   みんなもう遠い湖だ
   跳ねている青い魚だ
   屋根はひおり
   天は星の冷たさ



 今から20年前 9歳のタイの子供を育てることになった。
 ストリートチルドレンで 9歳になっていても学校に通っていなかった。
 その頃は ガリガリに痩せていて 太り気味の今の彼からすれば、嘘のような
 姿だった。
 
 最初は知り合いのタイ人の家に預けながら、学校に通わすことから始まったが、
 結局は 私が育てることになった。
 家庭という温もりを知らない彼に少しでも家庭らしさというものを伝えるのに
 家では出来るだけ 自炊し、市場への夕食の材料の買出しは 二人出一緒に行くのは
 いつものことだった。
 私がタイにいる間は 彼の服の洗濯、学校へ来て行く制服のアイロンがけは 私の
 仕事だった。
 二人の人間が 一緒に生活していれば、それは 家族だと思っていたからだ。
 早く自立出来るように 厳しく育てたが それが 彼にとっては負担だったようだ。
 いろいろ紆余曲折の中で 20年の歳月が流れた。
 この20年の中で 二人の間にあったものが 何かが少しずつ、見えてきた。

 そして 私が最後に与えることが出来るものは 厳しいかもしれないが、私の死である。
 だから、私は 死に場所をタイのバンコクにしなくてはならない。
 このバンコクに 意地でも戻ってこなくてはならない。
 私が 彼にとって少しでも大切な存在であるとしたら、私の死を 彼はしっかり
 見極める必要がある。
 その時に 初めて一人前の大人になるのではと期待している。
 それが 私の彼に対する最後の愛である。



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徒然なるままに | 11:02:59 | Trackback(0) | Comments(2)
バンコク 来週 日本に一時帰国することに決めた
バンコク 来週 日本に一時帰国することに決めた 1

バンコク 来週 日本に一時帰国することに決めた 2

バンコク 来週 日本に一時帰国することに決めた 3

バンコク 来週 日本に一時帰国することに決めた 4

 もう少し 身体の具合が良ければ、先にネパールのカトマンズに行って、後片付けを
 したいと思ったが あの不便な環境の中で身体を動かして作業する自信がない。
 1番大変なのは 食事のことである。
 食欲と体力があれば、どうにか適応出来て行く世界であるが、今の状態では無理だ。

 ネパールへ行くか 日本に帰国するか 心は揺れたが 結局日本に帰国することに
 決めた。
 ノースウェスト航空のマイレージが貯まっているので それを利用して帰国しようと
 思い、わざわざ BTS高架鉄道駅のラーチャダムリの近くにあるペニスラ・プラザの
 4階にあるノースウェスト(デルタ)航空のオフィスに行ったが、1月、2月中には
 マイレージ用のシートはないと言われる。
 席は空いていても マイレージ用のシートに空きがない。

 仕方がないので 近所のいつも旅行会社で バンコク-成田往復チケットを 
 17150バーツで購入することにした。
 どうもマイレージを使う機会はなさそうである。

 1月12日の朝発の東京行きの飛行機である。
 日本帰国次第 すぐ様 検査・治療の形を作りたいと思うが、26年間の半分
 浦島太郎のような生活をしてきたから、日本の役所からどういう医療援助を受ける
 ことが出来るのかよくわからない。
 わたしが 一応住民票を置いているのは 江東区である。
 江東区辺りのその辺の事情の詳しい方、病院事情に詳しい方、是非 情報を伝えて
 くれると助かります。
 江東区役所のどこへいけばいいのか、どんな援助が受けられるのか、教えて頂けると
 有り難いです。

 日本に行って まず行わなければならないことは CT検査をして 癌の状態と
 転移の状態を調べ、どの程度の化学療法が可能であり、延命効果がどのくらいあり、
 どの程度体力を回復出来るか、そのことに関心がある。
 タイのこととネパールのことの後片付けをきちんと出来るだけの時間がほしい。
 それだけである。

 どちらにしても費用を要することで、ご協力頂ける方が いらっしゃいましたら、
 インドやブータン、アジアの布をご購入頂けると有り難く存じます。
 誠に 不躾なお願いですが 宜しく協力のほどをお願いします。
 布についてのご質問に関しては 管理者のみ閲覧可能なゲストブックをご利用ください。
 又、売ってくださるという方があれば、嬉しく思います。

 日本帰国まで後4,5日 少しでも体力が維持出来ることを願うばかりだ。
 ここに来て、急激に食欲が落ちたことには驚いてしまった。
 豆腐なり 何か食べやすいものを求めて、体力維持に努めなくてはならない。
 今日は 朝から モンキーバナナばかりを食べている。
 中華街の漢方の薬局で買ってきた癌の治療薬は なかなか効果を発してくれないようだ。
 能書きは しっかり書かれているが 口程にもないようだ。
 日本である程度有名になっているものは バンコクでは売られていないようなので
 効果の程は わからない。
 少し 身体が辛くなってきたようだ。
 帰国出来るのだろうか。


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徒然なるままに | 05:53:36 | Trackback(0) | Comments(4)
バンコク 都に雨の降るごとく
バンコク 都に雨の降るごとく 1

バンコク 都に雨の降るごとく 2

バンコク 都に雨の降るごとく 3

 どういう訳か 乾期のバンコクに雨が降る。
 眠れず うつらうつらしていると ベランダ辺りから雨音がする。
 日本なら差し詰め 今の時期なら雪ということになるのだろうが、
 この暑いバンコクでは 季節外れの雨である。

 フランスの詩人 ベルレールの詩 『都に雨の降るごとく』の一節が思い浮かぶ。

      都に雨の降るごとく
      わが心にも涙ふる 。
      心の底ににじみいる
      この佗びしさは何ならむ 。

      大地に屋根に降りしきる
      雨のひびきのしめやかさ
      うらさびわたる心には
      おお 雨の音 雨の歌 。


 暑いバンコクの暗闇の中に降りしきる雨は パリに降る雨とは 異なった雰囲気の
 ものではあるが、若い頃から口ずさんでいたこの詩は 雨が降れば、自然に思い
 浮かんでくる。

 一刻の爽やかさと涼しさが この雨によってもたらされ、少しばかりの心地良い眠りを
 楽しむことが出来た。

 さて朝である。
 雨はすっかり止んでしまっている。
 これからの生活をどうして行こうかと考える。
 体力のあるうちにネパールのカトマンズへ行くことを考えるが、カトマンズの生活に
 耐えられるほど どうも体調は良くない。
 そうすると 日本で肺癌の初期治療を済ませることも考えなくてはならないが、
 国民健康保険の加入、短い間にしても 生活場所のことも考えなくてはならない。

 今 中華街の漢方の薬局で買ってきた中国製の免疫力増加、がンに対する抵抗力を
 謳っている漢方薬を飲んでいるが 効果が出てくるには時間がかかる。
 少し状態が回復できればと願っているのだが。

 午前10時を過ぎて タイの息子に電話を掛け、昼間、部屋にやって来るように
 伝える。
 今後のことを話しあって置きたかったからだ。

 午前11時過ぎにやって来る。
 癌が確定したことは 昨日伝えて置いたが、今後どういった経過を辿る可能性が
 あるかをきちんと伝える必要があった。
 小さな部屋であるけれど、一応 私の持ち物なので、いざとなったら、彼の名前に
 名義変更する必要もある。
 実際 一応生活の拠点であるから 売るわけにも行かない。
 大したものではないが、このくらいのものなら 残して置いてやりたい。
 そして、そのための手続きに必要な住民票や戸籍謄本のこともきちんとしているかを
 確かめる。
 28歳になっていても 子供のようなところがあって心配なのだ。

 そんなことを考えながらも タイでのこれからの生活を考えれば、唯一の頼りに
 なる存在であることは確かである。
 体力のあるうちはいいが、なくなったときに手伝ってくれるかどうかを確かめると
 いざとなったら、この場所に越してくることは決めているようだ。

 二人で中華街の漢方の薬局に がん治療のための漢方薬を買いに出かける。
 病気を機会に 二人の距離は再び近づいてきたようだ。
 血はつながっていない親子であるが、気持ちの上では 他の人間よりも近いと
 言えるのかもしれない。
 タイ国内、マレーシア、インド、ネパール、日本と 彼が幼い頃から二人で
 よく旅をした。
 9歳から20歳までは お互いにとって 怒涛の日々だった。
 そんな時代から 8年近く経つと 互いに許すべきところは許すという気持ちに
 なっている。
 漢方薬を抱えて 部屋に帰ってきた。
 彼は夕方の4時からのレストランの仕事が待っているので バイクに乗って帰って
 いった。

 夕方5時を過ぎると 再び 季節外れの雨が降り始めた。



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徒然なるままに | 17:30:26 | Trackback(1) | Comments(2)
バンコク 運命の瞬間
バンコク 運命の瞬間 1

バンコク 運命の瞬間 2

バンコク 運命の瞬間 3

 国立チュラロンコン大学病院の予約は 1月12日だったけれど、どうも具合が
 よくないので 呼吸器の専門医の来る今日の火曜日に予約日を変えてもらった。
 30日に検査のために採取した胸水と胸膜の細胞の検査結果を聞き、何らかの
 治療を早くしてもらおうと考えたからだ。

 朝10時半に1階の受付で呼吸器の専門医の診療 13時から15時までの予約を
 済ませ、2階の診察のための受付で 時間のくるのを待つ。
 午後1時が来て、診察室の前に並べられた三つの椅子の一つに座る。
 順番は2番目である。
 重症の患者らしく 車椅子に乗ってやって来ている50歳代の男性で 
 娘が付き添ってきている。
 専門医が20分以上 診察している。
 その診察も終り、私の番である。
 専門医の最初の言葉が 「予想に反して 悪い結果が出てしまった。胸水の中に
 癌細胞があり、肺癌である。」
 今後の治療の形を訊かれる。
 タイで治療するつもりなら、癌の専門医に引き継ぐ必要があるし、その前にCT検査を
 する必要があると告げられる。
 国公立の病院であっても タイの治療費は安いものではない。
 CT検査だけで 2万円近くの費用がかかる。
 その後のタイでの抗がん剤治療を考えると 他の方法を考えなくてはならない。
 それよりも 半分覚悟していたことだが、今後の予定、計画が気になってくる。
 やって置かなくてはならないことが 幾つかあるからだ。

 1番大きなことは ネパールのことである。
 ネパールの部屋をきちんと整理して置かないと 大家のネパール人に迷惑がかかる。
 どういう形でネパールに行くか、体調をどう整えて行くのか 考える。
 山ほどの品物があるが、大半は大家に処分してもらうことになるだろう。
 1番大変なことは いつどういった形で行けるかだ。

 別に今までの人生の中でやり残したことがあるといった悔いがあるわけではないので、
 後片付けをどうするか そのことだけが 気にかかる。

 あとは 残された時間を 経済的な意味でどう過ごしていくかだ。
 延命のための延命など考えていないから、痛みに対する対応だけは考えて置かなくては
 ならない。

 生まれてくるのも順番であれば、死ぬのも順番だから、それは受け入れるより、
 仕方のないことだ。
 順番が来れば 皆のもとへやって来るのである。
 それでも考えなくてはならないこと、片付けて置かなくてはならないことは山ほどある。



    行ってきます        
            高木護

  北方の雲が夕焼けた時
  むなしい出発の笛がながれた
  あなた達は死刑執行人のこころで手を振った
  黒い粗野な花束ではあるが
  感謝しよう
  さあ起立だ
  父の腐った泥を踏み
  ひとりの盃をおき
  では行ってきます
  行ってきます

  袋には汚れた地図をしまい
  地図には非情の旅程線が記入されてある
  永劫の旅程線よ
  北方へ
  今夜 旅立つのです
  牛のような歩調でもなし
  鳥のようなかるやかなものでもなし
  まして堅い誓いのあるものでもなかった
  では行ってきます
  行ってきます

  ある駅ではしどろの言葉が売られていた
  ある駅では拳銃のようなものが売られていた
  しかし眠いのである
  いくつかのうつらうつらの駅を通過して
  はっと目覚めては
  過去一切の無意味さがわかってしまった
  ぼくをささえてきたものは
  あなたの瞳でもなし
  憧れでもなし 
  まして約束や悲壮なものでもなかった
  行かなければならないのはぼくの性
  では行ってきます
  行ってきます



  ***
  こんな具合ですから これからのブログの更新は不定期なものになりますので
  よろしくお願いします。



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徒然なるままに | 13:38:28 | Trackback(0) | Comments(6)
バンコク 正月2日目は 飲茶を食べて
バンコク 正月2日目は 飲茶を食べて 1

バンコク 正月2日目は 飲茶を食べて 2

バンコク 正月2日目は 飲茶を食べて 3

 正月2日目は 日本からタイ語を学びにやって来ている知人のTさんも タイ語の
 授業が午前中、午後と入り、かなりハードなスケジュールのようだった。
 この日のお付き合いは 遠慮させて頂いて、夕方から息子と二人で新年会を行う
 ことにした。

 約束の時間は夕方の5時である。
 時間通りに 息子は5時にやってくる。
 いつもであれば、二人で市場やスーパーに行き、食べたい食材を買ってきて、
 作って食べるのであるが、今回は私の状態が こんな具合なので 
 外で食べることにした。
 ペッブリー通りに並んでいる屋台で イサン料理でもと思ったが、私の病気のことを
 心配しているのか、刺激のある食べ物は避け、大型スーパー ロータスの1階にある
 飲茶を安く出すチェーン店 カントンハウスで食べることに決めた。

 最近になって利用するようになった店で、値段が安いわりには そこそこには
 美味しい店である。
 いつもは昼間に行っていたが、今回は夕方過ぎに行ってみた。
 昼間には空いている店も 夕方からは 家族連れで溢れている。
 いわゆるバンコク庶民というより、バンコクの中産階級の家族連れのようだ。

 家族4,5人でやって来て、ビールを飲まなければ、4,5百バーツ
 (千3百円前後)で十分に食事が楽しめる場所である。
 たまに家族連れでやって来て 外食を楽しむには安心できる予算だ。
 飲茶だけでなく、野菜料理や魚料理、麺類、チャーハンなども安い。
 飲茶類は 一皿 15バーツ均一、簡単な野菜中心の中華料理であれば、
 一人前50バーツ、チャーハン、焼きそばなども50バーツという安さである。
 体長30cm近いシーバスの揚げ物、煮物、蒸し物も2百バーツである。

 そんな料理を注文して タイ人の家族連れが 食事を楽しんでいる。
 顔つきを見ると 中国系の人たちが多い。
 自営業をやっている人たちだろう。
 一緒にやって来ている年寄りの女性を見ると、服装も顔つきも完全な中国人だ。
 中国系の人たちは 安くて美味しい店をよく知っている。
 中華街の中華レストランで食事をすれば、眼が飛び出るような値段の料理も
 このカントンハウスでは その半分いかの値段で料理を楽しむことが出来る。

 私たちも 17種類の飲茶、焼きそば、ビール2本を注文して 新年会を始めた。
 タイの有名なシンハービールの大瓶が80バーツ、これも安い。
 近ごろは 路上の屋台でシンハービールを頼んでも 70,80バーツするように
 なっている。
 冷房付きのこの場所では 十分に安い値段である。
 これだけ注文して 465バーツ 約1300円である。
 税金もサービス料もつかないところが嬉しい。
 ビールを飲まなければ、7,800円で飲茶を楽しむことが出来る。
 超一流の店の飲茶は それなりに美味しいだろうが、私たちにはこれで十分である。
 1時間ばかりの息子との新年会、腹を一杯にして 息子は自分のアパートへ帰って
 行った。
 お金が無いから 十分にお年玉を与えることは出来ないが、それでも心ばかりの
 お年玉を持たせた。
 彼も1月4日から仕事始めである。



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バンコク 食べ物 | 10:22:46 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 元旦のパッポン通り
バンコク 元旦のパッポン通り 1

バンコク 元旦のパッポン通り 2

バンコク 元旦のパッポン通り 3
バンコク 元旦のパッポン通り 4

バンコク 元旦のパッポン通り 5

バンコク 元旦のパッポン通り 6

バンコク 元旦のパッポン通り 7

 元日は 日本からやって来ている知人のTさんに チャオプラヤ川の川向こうの
 トンブリ地区の下町界隈を案内しようと思ったが、大晦日の動きが ハードワークに
 なり、昼過ぎても体調が回復せず、午後3時の約束はキャンセルしてもらい、
 夕方午後6時に待ち合わせをすることにした。

 たまには スクムビットのソイ・ナナ辺りと並ぶバンコク一の歓楽街 パッポンを
 散策するのも一興と思い、午後6時にBTS高架電車の駅 ラーチャ・テェヴィで
 待ち合わせ、電車に乗り込み、サイアム駅で乗り換え、サラ・デーン駅へと向かった。

 サラ・デーン駅で降り、電車の反対方向に向かって通路を歩き、敢えて 昔の
 ロビンソンデパートを出発点にして歩き出す。
 ラーマ四世道路とシーロム道路の交わる交差点の一角にあったデパートである。

 20年以上も昔、中華街の中にあった日本人の溜まり場 ジュライホテルに泊まって
 いた頃は 4番のバスに乗って シーロム道路を目指した。
 国立チュラロンコン大学のすぐ近くのバスの停留所で降り、すぐ後ろの横断歩道橋を
 渡るか、少し先の横断歩道を渡って ロビンソンデパートの前から歩き始めるのが
 いつもの定番のコースだった。

 そのコースを連れの知り合いと一緒に歩き始めた。
 夕方も6時を過ぎると 遊歩道には衣料やアクセサリー、民芸品を売る露店が立ち並び、
 昼間のビジネス街から夜の歓楽街へと姿を変えるのは 昔ながらのことである。

 露店と行き交う人で混雑するシーロム道路の歩道を 縫うように歩いていく。
 10分近く歩くと タニヤ通りにぶつかる。
 タニヤ通りのネオンサインのほとんどは 日本語で描かれている。
 昔から 日本の企業御用達の高級ナイトクラブの並んでいる界隈である。
 ビジネスマンではなかった私にとっては あまり馴染みのない場所である。
 ナイトクラブ、バー、日本食の料理屋、ラーメン屋などが並んでいる。
 時間が早いのか、不況のせいか まだ 日本人の姿は多くない。

 タニヤ通りを抜けると スリウォング道路の歩道へ出る。
 シーロム道路が表通りなら、スリウォング道路は裏通りである。
 この裏通り スリウォング通りも昔に比べると 随分明るくなり、健康的な雰囲気に
 変わっている。
 20年前のシーロム道路とスリウォング道路に囲まれたバンコクの一大歓楽街といえば、
 性の無法地帯といってもよく、外国人が求める性のほとんどが用意されているような
 場所だった。

 連れの知人と偽ブランド品の並ぶパッポン通りを歩き、パッポン通りのすぐ横の路地を
 歩く。
 時間が夕方の7時だったせいか、数多くのバーが並んでいるにもかかわらず、
 呼び込みもなく、至って静かな姿で 拍子抜けしてしまった。
 悪も善も、聖も汚れもすべてが一体化され、混然、混沌の中にあったこのあたりも
 様々の法的な規制が厳しく行われ、健康的な歓楽街へと様変わりをしてしまった。

 二人で再び、スリウォング道路に戻り、歩道脇のビア・バーのテーブルの前に座り込み、
 ビア・チャンの小瓶を傾けながら、通りを歩いていく人を眺める。
 正月休みに入っているせいか 若者から中年まで日本人旅行者の姿も多い。

 簡単にただの遊びと思ってやって来たこの歓楽街で 性と愛を錯覚して 
 地獄のような世界に足を踏み入れる人たちも多くいるのだ。
 それは理屈でどうなるものでもなく、体験してみなければ 分からない世界だ。
 体験して何かを学び取る人もいれば、どこまでも不毛な愛の世界に嵌り込んでいく
 人もいる。

 再び歩き始め、裏通りを散策しているとこの界隈の有名レストランなのか
 多くの外国人旅行者が席を求めて 立ち並んで待っているレストランがあった。
 昔はこんな裏通りにこんなレストランはなかった。
 レストランの名前は マンゴツリー、外国人の間では有名なレストランなのだろう。

 表通りのシーロム道路に出て、露店で混雑する歩道を抜け、BTS高架鉄道に乗って
 ラーチャ・テヴィ駅に帰ってきた。
 毒気のなくなったパッポンには何の魅力もなくなってしまった。



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バンコクを歩く | 10:26:46 | Trackback(0) | Comments(0)
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