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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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バンコク 集落 バーン・クルアを歩く‐03 静けさの宿る風景
バンコク 集落 バーン・クルアを歩く‐03 静けさの宿る風景 1

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バンコク 集落 バーン・クルアを歩く‐03 静けさの宿る風景 3

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バンコク 集落 バーン・クルアを歩く‐03 静けさの宿る風景 10

 やっと雨期らしい雨期になり、過ごしやすい毎日に変わってきた。
 陽射しもさほど強くなく、外を歩き回ることも苦ではなくなった。
 我慢して耐えていれば 心地よい季節は巡ってくる。
 季節の巡りと同じように 人生の巡りもそうであってほしいと思うが 
 どうもそういうわけには行かないのが 頭痛の種である。

 外を散策することが 楽になったので 時間があれば、集落 バーン・クルアの
 中を動き回ることが多くなってきた。

 イスラム教徒 チャム族の集落は 三つの地区に分かれている。
 バーン・クルア・ヌア(北バーン・クルア)、バーン・クルア・タワントッグ(西
 バーン・クルア、バーン・クルア・タイ(南バーン・クルア)となっている。
 集落の中には 二つのモスクがあり、一つは バーン・クルア・ヌアに住む人たちの
 ためのものと もう一つは 他の二つの地区に住む人たちのモスクである。
 この二つのモスクが ここに住むイスラム教徒 チャム族の信仰の中心であり、
 生活の規範、規律を支えている。
 スンニ派のイスラム教徒のせいか、宗教による規範、規律は緩やかである。
 アルコールも ビール程度は飲むようだ。
 しかし 過度のアルコールに対しては抑制している。

 このイスラム教徒 チャム族の住む集落も この頃では 東北タイからの多くの
 出稼ぎの人々が 住むようになってきている。
 東北タイの人々は 酒好きで 酒に任せて 大騒ぎをするのが好きな人々であるが、
 この集落がイスラム教徒の集落であることから、イスラム教徒の生活に合わせて、
 静かに生活しているようだ。
 家主が イスラム教徒のチャム族であるから 勝手なことは出来ないだろう。

 センセーブ運河沿いの遊歩道で 東北タイ料理の屋台を出しているのは 
 東北タイの人々だし、お菓子の製造販売や惣菜などを売っているのはチャム族の人々だ。
 イスラム教徒の集落だから、豚肉料理などは売られていない。
 中国人たちも住んでいるが 豚肉を使った料理は 家の中だけのもののようだ。

 このチャム族の集落バーン・クルアは いつもどこか静けさ、穏やかさのようなものが
 感じられる場所である。
 イスラム教徒の持つ静けさなのか チャム族の人々の持つ静けさなのか、どちらか
 それはよくわからない。
 朝夕の祈りの時間には 集落の中にあるスピーカーから祈りの声が響き渡ることは
 あっても 騒がしいタイ独特の音楽が聞こえてくることはない。
 人々の話し声も 静かで 大声を上げていることはほとんどない集落だ。
 又、集落の中の清掃も行き届いており、いわゆるスラムでないことがよくわかる。

 当たり前の生活が つつがなく静かに行われている。
 人々の通る遊歩道には 鉢植えの草花が置かれ、住む人々の目を楽しませている。
 必要以上の豊かさもなく、生活に必要なものを大切に使う。
 あるものをあるがままに使いこなしていく無駄のない生活がそこにはある。
 新製品が作られれば、すぐさま飛びつく日本とは 対照的な世界である。
 そんな生活の形が 集落の中に静けさを生み出しているのかもしれない、
 ふとそんなことを感じてしまった。
 不必要に物に左右されていない世界が この集落には残っている。
 かといって 活気がないというのとは違うのである。

 確かに日々発展し変わりゆくバンコクの中の高層ビルの谷間にあるような集落では
 あるが、発展に逆らうというより、今ある状態をそのまま受け入れているという
 静かな決断のようなもの、それがイスラムの教えから来るのか、チャム族独特の
 生活姿勢から来るのか、それは両方なのかもしれない。
 長い歴史の中でベトナムからカンボジアへ そして タイのアユタヤへ、そして
 再びバンコクのこの地へというチャム族の流転の歴史は 民族に多くの知恵や叡智を
 残したはずである。
 変転の運命の中でも 大切にすべきものは何かを 知り抜いているはずである。
 運命を受け入れ、諦めず、争わず 平和に 異国で生き抜く知恵 その一つが
 静けさという知恵なのかもしれない。



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バンコク 運河の辺の街 | 12:39:27 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 集落 バーン・クルアを歩く‐02 生活の匂い
バンコク 集落 バーン・クルアを歩く‐02 生活の匂い 1

バンコク 集落 バーン・クルアを歩く‐02 生活の匂い 2

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バンコク 集落 バーン・クルアを歩く‐02 生活の匂い 11

バンコク 集落 バーン・クルアを歩く‐02 生活の匂い 12

 暑いラオスのビエンチャンからバンコクに帰ってくると、毎日スコールがやって来て
 過ごしやすい毎日だ。
 
 9月1日の今日は 朝から 何度も雨が降り、1年中の1番雨の多い月、9月に入った
 ことを証明しているかのようだ。
 そのくらいに今年の8月のバンコクの雨期は 雨が少なかった。

 雨の合間を縫うように チャム族の集落 バーン・クルアへ 昼間の惣菜を買いに
 出掛けた。
 雨上がりの薄曇りの天気で 気温は上がっていないが 湿度はある。
 地方からの出稼ぎの人々が多くやって来て 人口増加の激しいバンコクは 
 ただ人ばかり増えて、人間同士の関わりは薄れていくばかりである。

 そんな中にあって、このイスラム教徒の集落 バーン・クルアは 特殊な地域である。
 バンコクに アユタヤ王朝が ビルマ軍によって破壊され、王都をバンコクに
 遷都した際に アユタヤに住み着いていたイスラム教徒たちも一緒にバンコクに移動し、
 シャム王国の水軍の傭兵として センセーブ運河の辺に住むことを許された。
 アユタヤに住んでいたチャム族もカンボジアからやって来た人たちで もともとは
 ベトナム中部に建国されたチャンパ王国の末裔である。

 アユタヤから移住してきたときには それほどの数は居なかったのだろうが、
 カンボジアや南タイに住んでいたチャム族たちもこの場所の移住し、大きな集落に
 なっている。
 今では 経済的に豊かなチャム族の人たちは 別の場所に移り、空き家になった家は
 東北タイから出稼ぎにやって来た人々に賃貸しされているようだ。
 今でも バーン・クルアに住んでいるチャム族の数は多い。

 この集落の中には 運河沿いの遊歩道の脇、奥まった集落の通路を利用して 
 ささやかな商いをしている食べ物屋が多い。
 東北タイ料理の屋台は ここに住み着いている東北タイからやってきている人の店だし、
 牛肉料理や鶏肉などの揚げ物、ケーキなどのお菓子類の店は 
 イスラム教徒 チャム族の店だ。

 集落の狭い通路脇に建った家の前面を利用したチャム族の人たちの小さな食べ物屋や
 雑貨屋があり、それが 集落に住む人々の触れ合いの場所になっている。
 迷路のような集落の中の通路は まるで人間の血管のように入り組み、その通路は
 人々の伝達の通路のようだ。

 日中歩けば、通路側の戸は開け放してあり、集落の人々の生活がそのまま見える。
 他人に家の中など見られることなど少しも気にしていないようだ。
 互いに家庭の中を分かり合うことで 信頼関係を増していくのだろう。

 惣菜を作るのに忙しい家の中を覗いてみた。
 家族総出で 様々のおかずを作っている。
 年老いた母親、その息子と嫁が 昼間にサイアム・スクウェアーで売るための惣菜を
 作るのに奮闘している。
 家族 皆で 生活を支えあっているのである。
 どんなに忙しい生活の中でも 支えあって生きるつながりがあれば、
 それは幸せにつながるはずだ。
 母の知恵を 息子や嫁に そして孫に伝えて行く形が残っていることで 
 その家族は一族として豊かな濃厚なつながりを残しながら、続いていくはずである。
 それは大きな財産だ。
 バンコクの中で タイの中で少数民族として生活していくためには 家族間の
 つながりは 大きな力になる。

 集落 バーン・クルアは 家族、近所、地域が 有機的に結びついている貴重な社会だ。
 変化の著しいバンコクの中で こんな集落が200年近くも存続していることは
 驚異的なことである。
 このイスラム教徒 チャム族の集落 バーン・クルアも ここを離れていく人も多く、
 そのあとには 地方からの出稼ぎの人たちが多く住み着き始めている。
 今は まだ治安は維持されているようだが、見知らぬ人たちが増えていけば、
 集落も変わっていくだろう。
 それまでは じっくりこの集落を眺めていたい。



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バンコク 運河の辺の街 | 19:01:19 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 集落 バーン・クルアを歩く‐01
バンコク 集落 バーン・クルアを歩く‐01 1

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 ビエンチャンからバンコクに帰ってきてからの数日、毎日のようにスコールが
 やって来て、バンコクの街も過ごしやすくなっている。
 日が照ると 降った雨が蒸発して 蒸し暑くなってしまうが、夜は気温も下がり、
 気持ちよく眠ることが出来る。

 日中の陽射しの強い中、朝昼兼用の食事を済ませるために 外へ出た。
 大抵 面倒なときは マンションを出た通りにある屋台の麺類の店で、バーミー・
 ヘーン(汁なしラーメン)を食べることにしている。
 自分で勝手に味付けできるから、食べやすいのである。

 バーミー・ヘーンを食べ終わったところで 久し振りに のんびりと 
 イスラム教徒のチャム族の住む集落 バーン・クルアへ行ってみることにした。
 ソイ カセムサン 2の路地に入り、ジム・トムプソンの家の前を通ると、
 すぐ目の前が センセーブ運河である。
 センセーブ運河沿いにある遊歩道を下流に向かって歩く。
 センセーブ運河を隔てた対岸には バーン・クルアの木造の家々が立ち並んでいる。
 センセーブ運河を 勢いよく 水上バスが行き交う。

 遊歩道の先には チャム族の商う昼飯を食べさせる屋台がある。
 当然この屋台では 豚肉料理はご法度である。
 家族総出で 助け合って 商いをしている。
 生活感のにじみ出ているような光景だ。
 こんな光景を求めて、バーン・クルアの集落にやってくる。
 人々が地に足をつけて生活している姿を見ると 心が和み、ほっとする。
 そこを過ぎると バーン・クルアの集落へと渡る橋が架かっている。
 その橋の入り口では 東北タイ料理の屋台があり、そこでは盛んにカイ・ヤーン
 (鶏肉の照り焼き)は焼かれ、昼時にやってくる客の準備をしている。

 橋に向かう階段を上り、橋の上に立って、バーン・クルアの集落を眺める。
 この集落の中を歩き回るようになって2年の年月が流れた。
 ブログを始めていなければ、関わりを持つことがなかったかもしれない。
 ブログを始めて、自分の住んでいる身近な場所を見つめようとするようになった。

 橋を渡り、階段を下りると 見慣れた昔ながらの姿の雑貨屋がある。
 バンコクの表通りでは見かけなくなった姿の雑貨屋だ。
 表通りは すべて コンビニエンスストア セブンイレブンに変わってしまった。
 売り手と買い手の関わりが マニュアルどおりの味気ないものになってしまった。

 集落 バーン・クルア側のセンセーブ運河沿いの遊歩道を歩く。
 所々に草花が植えられ、運河沿いには草花の鉢も置かれている。
 集落の中で 気持ちよく生活しようとする集落の人々の心遣いが伝わってくる。
 昔風の集落には 昔風の人々の心が 残っている。

 生活の匂い、軒下に干した洗濯物、歩道で洗い物をする人々、そして、人々の関わり、
 会話、こんな生活を失っていいのだろうか。
 おじいさん、おばあさんがいて、働き盛りの大人がいて、若者がいて、子供たちが
 いて 生活を共にしている。

 馴染みの店があって 惣菜やおやつを買い、軽い食事をする場所もある。
 そこで集落の人々は顔を合わせ、会話をかわす。
 当たり前の生活とは こんな生活のことを言うのだろう。

 8月30日 日本では 衆議院選挙で政権交代が現実のものになった。
 我々 日本人が取り戻さなくてはならない生活とは 何か、本当に真剣に考える
 必要があるだろう。
 幸福とは 何か、豊かさとは何か、一人一人が 自分の心に問うことがなければ、
 穏やかな心温まる時代はやってこない。
 少しでも希望の見える日本の社会を期待したいものである。
 そんな希望の持てる社会になれば、私も日本に帰ったときに もっと明るい気持ちで 
 日本に滞在できるだろう。
 そして ネパールやタイでも 日本のことを もっと自慢できるだろう。



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バンコク 運河の辺の街 | 00:53:55 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 表通りと裏通り
バンコク 表通りと裏通り 1

バンコク 表通りと裏通り 2

バンコク 表通りと裏通り 3

バンコク 表通りと裏通り 4

バンコク 表通りと裏通り 5

バンコク 表通りと裏通り 6

バンコク 表通りと裏通り 7

バンコク 表通りと裏通り 8

 今では すっかりバンコクの中心的な場所になってしまったサイアム・スクウェアー
 から歩いて10分にかからない場所に住んでいるのであるが、我ながら おかしな
 場所に住んでいると思う。
 この場所に住み始めてから10年以上の月日が流れてしまったが、住んでいるのが
 マンションのような場所であれば、日本と同じで人々とのかかわりは生まれてこない。
 気楽でいいといえばそうだが、味気ないことも確かである。

 マンションの住民といっても 大半は別の場所に本宅を持っている人たちで、仕事の
 都合上、あるいは子供たちがバンコクの高校や大学に通うためのセカンドハウスとして
 利用している人たちがほとんどで 地域とのかかわりもほとんどない。

 マンションの表通りといえば、ラーマ一世通りでバンコク有数の一大消費センターで
 ある。
 歩いて20分以内の場所に MBKセンター、ディスカバリーセンター、サイアムカフェ、
 サイアムパラゴン、セントラルワールドプラザ、伊勢丹、そごうなどが建ち並んでいる。
 こうした場所に行けば、日本と同じで 消費に明け暮れる現代人の姿、浮遊する現代人 
 の姿を見るだけだ。
 お金があれば、楽しめるが なければ寂しい思いをするだけである。

 そんな地域もマンションの裏にあるセンセーブ運河を渡れば、一変する。
 渡った運河の向こう側には 150年以上にわたって住み続けているイスラム教徒
 チャム族の古い集落があるし、その向こうには 昔ながらの市場のある通りもある。
 私の好みに合う場所といえば、この界隈である。
 高いビルの谷間のような場所で バンコク庶民たちが 昔ながらの生活を続けている
 地域だ。
 路上には 果物や食べ物屋の屋台、市場の中には安い気さくな総菜屋、八百屋、肉屋、
 魚屋、雑貨と百年前と変わらぬ佇まいで商いをしている。
 この地域の中に入ると、人間が地に足をつけて、生き生きと生活していることがわかる。

 バンコクの表の顔が一大消費センターのある表通りであれば、昔ながらの生活を営む
 市場周辺の庶民たちの姿は バンコクの裏の顔である。
 皆が普段着で生活できる場所こそ 人間が生きて生活出来る場所である。
 気取りもなく、気楽で 無理をすることのない場所である。
 お金などたくさんなくても どうにかやっていける。
 暴利を貪ろうとする人間などいないし、高い値段を押し付け、値段を誤魔化して商いを
 する人間もいない。
 安心して買い物をし、気楽に食べることの出来る場所だ。
 路上に並ぶ屋台で食べるのもいいし、市場で惣菜や果物、おやつを買って帰り、
 家で食べるのもいい。
 表通りの半額で生活できるのだ。
 表通りに行けば、生き馬の目を抜くような世界が待っているけれど、この裏通りなら
 庶民に優しい気さくな世界である。

 今日も古い市場のある裏通りで夕餉のための買い物を済ませ、イスラム教徒 
 チャム族の住むバーン・クルアの集落の中を抜け、センセーブ運河の岸辺に架かる橋の
 上に立ち、暮れなずむ集落を眺める。
 黒く色を変えた運河の水の上を 家路に向かう人々を乗せた水上バスが行きかう。

 世界の中の光と影、表通りと裏通り、これほど 人間の生活の違いを見せ付ける所は
 ない。
 新しいバンコクと古いバンコク、やはり 私は古いバンコクの中で 気楽に暮らしたい 
 と思う古い人間である。


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バンコク 運河の辺の街 | 21:06:33 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 久しぶりにバーン・クルアの集落へ
バンコク 久しぶりにバーン・クルアの集落へ 1

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 カトマンズからバンコクに移動してから 2週間近く経つというのに 心も身体も
 バンコクの生活にうまく適応していかない。この傾向は年々ひどくなってくるようだ。
 一つには 自分の求めている世界が 今 バンコクから失われているからだ。
 だから、期待するものがないのである。

 少しでも好奇心を持とうと思い、運河の向こうのチャム族の住むバーン・クルアの
 集落まで 昼の惣菜を買いに行くことにする。ご飯は タイ産の日本米を炊いている。 
 雨期に入り、チャオプラヤ川の水門を閉じているせいか、運河の水はすっかり、黒く
 濁ってしまっている。

 東北タイのコンケンからこのバンコクに越してきて以来、多少、運河の水はきれいに
 なったような気もするが、やはり、季節によっては その汚れに違いがある。
 バンコク市内の至るところに 高層ビルが建ち並び、近代都市の装いを整えてきている
 バンコクだが、運河を見る限り、バンコクの街の発展が、そこに住む人々の生活を
 大切にしていることにつながっているとは思えない。

 運河を越え、運河に沿って バーン・クルアの集落の中に入っていく。
 運河沿いの道には 中央タイ風の総菜屋、東北タイ風の総菜屋、雑貨屋などが多く
 建ち並んでいるが、イスラム教徒の集落、ここでは豚を料理したものは売られていない。

 今日は イスラム教徒が商いをしている総菜屋へ行くことにした。
 この総菜屋の惣菜は ビニールの小さな袋に入れて売られており、1袋15バーツで
 ある。
 量は少し、少なめであるが、ひとり暮らしの私にとっては、そのほうが 都合が
 良い。
 細々と商いをしている店で 儲けが生活の足しになればといった感じの商いで、
 家庭料理風な味付けで、あまり、刺激的でなく 薄味なところがよい。

 惣菜を買って帰っている途中、運河沿いの木造の家の表で 母親が、はさみを上手に
 使って 子供の頭を刈っている。その様子を見ていると 母親は昔、床屋で仕事を
 していた手つきである。
 子供も文句をいうこともなく、任せているところを見ると 小さいときから頭を
 刈るのは母親の仕事なのだろう。
 こんな親子のかかわりは 子供の記憶に一生残っていく貴重な思い出になるだろう。

 少し 歩き続けると、お金を入れると使える全自動洗濯機が置かれている。
 容量の小さい洗濯機は 1回20バーツ、大きいものは30バーツである。
 若い人たちにとっては、便利な文明の利器であるが、年寄りにとっては、手洗いの方が
 汚れがしっかり落ちるといって、昔は洗濯機など信用していなかったが、今はどうなのだろう。

 一昔前にはこうした集落の中には 洗濯を生業にする女性たちがいた。
 各家庭と1ヶ月契約で 家族数に応じて 洗濯物を引き受けるのである。
 田舎からやって来た特別の技術を持たない女性にとっては、唯一の生活の糧を稼ぐ
 仕事だったようだ。
 といっても 上手に洗濯ができるということも一つの技術で、やはり、創意工夫して
 きれいに洗濯物を洗い上げる女性のところには 仕事が集中していた。
 私の住んでいるマンションの1階にも クリーニング屋があり、マンションの住民は
 このクリーニング屋と1ヶ月の洗濯物の枚数に応じて 契約しているようだ。
 収入が少ない間は 自分で洗濯するが、収入が増えれば、洗濯は他人任せというのが
 田舎は別にして バンコクや地方都市では それが当たり前のようだが、洗濯機を
 使う家庭も増えてきているようだ。

 コイン式の全自動洗濯機の近くには コイン式の飲料水の自動販売機もあった。
 こうした文明の利器と手仕事の世界が奇妙に並存している集落の姿である。
 コイン式全自動洗濯機の横では 昔から変わることのないやり方で 東北タイ風の
 麺類を売る店が 昔ながらの姿であった。
 この頃では この集落に住むイスラム教徒のチャム族の数も減り、東北タイからの
 出稼ぎの人々が 多く住むようになってきている。
 あと10年もすれば、この集落も様変わりをしていくのだろう。



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バンコク 運河の辺の街 | 17:57:25 | Trackback(0) | Comments(0)
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