fc2ブログ
 
■プロフィール

ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

■最近の記事

■Automatic translation WEB site
■最近のコメント
■最近のトラックバック
■月別アーカイブ
■カテゴリー

■FC2カウンター

■あしとも

■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
■ブロとも申請フォーム
エピソード インド 3等列車の中で
 無事にカルカッタに到着したが、翌日は、マドラス(チェンナイ)へ行くのだ。
 インド・ケララの友人が、コマンダーリ ・エクスプレスの急行列車のセカンダリー
 ・スリータイヤーベットの予約をしていてくれたのである。格好いい名前であるが、
 カルカッタ・マドラス間は。28時間もかかるのだ。
 それが、22年前のインド・マドラス間を走る最速列車だったのである。
 (事実、帰りのマドラス・カルカッタ間は、45時間かかった。列車の中で2昼夜を
 過ごしたのである。)
 昼の12時に出発した列車は、翌日の夕方の6時に着いた。
 寝ていけたので、大して疲れもしなかったが。
 
 次は、マドラスから、彼の故郷のパイヤヌールへと向かう。
 彼は そこまでのチケットの予約はしていなかった。
 やって来た列車は満員、乗り込むのも大変な3等列車だ。

 乗客のインド人をかき分け、かき分け、やっとの思いで、
 乗り込んでも、全く席はないのである。夜の8時である。
 通路にも人があふれ、座ることも出来ない。
 そんな状態の中で、3時間、如何に私でも、疲れる。

 ふと、上を見上げると、網棚が空いている。
 前に読んだ誰かの旅行記に 込んでいる時は、網棚の上で寝るに限ると
 書かれてあった。
 これはチャンスとばかり、網棚の上によじ登り、寝転がろうとするが、
 うまく安定が取れず、心地よいものではない、
 座ると、頭が、天井にあたり、これもうまくない。
 あれは、嘘である。
 網棚で寝るなど出来るはずはないのである。

 あのインド人が、そんなことはしないのである。
 インド人は、賢明である。
 馬鹿なことはしないのである。
 可能であれば、網棚が空いているはずはないのである。
 インド人が、まずは、その場所を占めるのが、当然のことである。
 あんな旅行記を書いた奴は、ろくでもない奴だと、内心怒りながら、すごすごと
 元居た場所に戻る。

 立ったままの状態が、明け方まで続き、朝になって、やっと、席が空き始めたのである。
 もうこれ以上はないというぐらいに、疲れ果てた夜だった。
 恨みがましい眼をインド人の彼に向けたが、こんなことは、当たり前だという顔を
 しているのである。

 乗客も少なくなり、目的地も近づく頃になって、初めて横になることが出来た。
 後1時間で 彼の故郷 パイヤヌールに到着する。

 彼にとっては、3年ぶりの帰郷だ。
 家では、65過ぎの母親と妹が、待っている。
 パイヤヌールには嫁いだ二人の姉も居る。
 彼にとっては、感無量の帰郷だろう。


++ブログランキングへの協力をお願いします。++

  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ


エピソード | 02:52:48 | Trackback(0) | Comments(0)
インド エピソード 名も知らぬインド国境越え
 もうかれこれ、24年前の12月のことである。
 カトマンズで知り合ったケララ州のインド人と親しくなり、彼と一緒に、
 彼の故郷に行くことになった。
 チケットの手配は、すべて彼に任せ、まずは、バスで ネパール・インド国境 
 カーカルビッタへ行く。
 カルカッタへ行くのだから、ビルガンジの国境を利用して、ムザッファルプルから
 鉄道で、カルカッタに行くのが普通であるが、彼は、シルグリからツーリストバスを
 利用してカルカッタへ行く方法を取ったのである。

 別段、それはそれでいいのだったが、二人して、ネパール側のイミグレーションを
 無事に超え、次は、インド側のイミグレーションに向かい、手続きを始めた途端に、
 イミグレーションのオフィサーから、クレームがかかった。

 ― 君、君のパスポートには、ダージリン・パーミッションがないではないか。
  インド国境を越えることは許可できない。

 私は、ダージリンにいく場合のみ、ダージリン・パーミッションが必要だと
 思い込んでいたのだ。 これは困った。
 仕方がないので、同行の彼には、カルカッタのサダル・ストリートのパラゴンホテルで会おうと
 約束して、私のほうは、とぼとぼと、もと来たネパール側イミグレーションへと
 引き返したのだった。

 ネパール側のイミグレーションのオフィサーに事情を話すと、カーカルビッタから
 1時間ぐらい行った所に、別のイミグレーションがあると言う。
 行き方を詳しく聞いて、乗り合いバスを乗り換え、乗り換え、やっとの思いで
 そのイミグレーションへと辿りつく。

 イミグレーションとは、名ばかり、小さな掘っ立て小屋のような建物の中に
 のんきそうな警察官が、一人いるのみである。
 ネパールとインドの境には、細い小川が流れているばかり、パスポートを見せ、
 事情を話すと、OK、行きなさいという。
 行きなさいと言われても、インド側のイミグレーションが見当たらない。
 インド側のイミグレーションはどこかと聞くと、遠くを指差して、あの白い建物だと
 答える。
 小さな橋を渡って、インド側へと足を進めていく。
 インド側のイミグレーションものんびりしてもので すんなり入国スタンプを
 押してくれる。

 しかし、しかしである。
 私が今、自分がどこにいるのか、皆目、検討はつかないのである。
 地図もなければ、案内書もない。
 わかっていることはと言えば、カルカッタに行くことだけだ。

 オフィサーに訊くと、外にいたリキシャに バス停まで私を運ぶように
 言ってくれている。
 インド人もなかなか親切なのである。
 そして、そこから、バスで、カルカッタ行きの列車が到着する駅に行くことになる。
 駅の名前を教えてもらったが、今は、もう、覚えていない。

 すし詰めのローカルバスに乗って、駅へと出発だ。
 ここまでたどり着くのにもう、夕方近くになっている。
 バスは、大きな夕陽を追いかけて ひたすら、インド平原を走っていく。
 あたりは、どんどん暗くなり、村々の夕食の用意の火が、ちらちらと燃えているのが
 見える。
 このあたり、まだ、電気は来ていなかった。
 このあたりといっても、このあたりが、どのあたりかは全く知らない。
 真っ暗だった周辺が、段々明るくなり、街に入り、駅に到着。

 駅でカルカッタまでのチケットを買う。
 時間は、午後8時過ぎ、列車到着は、午後11時、この夜は、インドといっても
 やたらに寒い夜だったのだ。着るものがない。

 というのは、あの同行のインドの友人、故郷のお土産に、
 やたら中国製のビーチサンダル、万年質を買い込み、国境での関税を嫌がり、
 私の衣類は、彼のかばんの中へ、私のザックの中はといえば、彼の買い込んだ
 中国製のビーチサンダルと万年筆ばかり、私の着るものは彼のかばんの中だ。

 周りのインド人たちは、皆、ウールのショールをはおり、寒さから身を
 まもっているのに、がたがた震えているのは、私ばかりだ。
 列車到着までまだ3時間もある。
 やっと来た列車に乗り込んでも、寒さは変わりなく、眠れたものではなかった。

 夕方、やっとハウラー駅に到着、17時間の長旅だった。
 タクシーに乗り込み、大急ぎでサダル・ストリートのパラゴンホテルへたどり着くと、
 パラゴンホテルの前で、彼は待っていた。こっちの苦労は何も知らないで。


++ブログランキングへの協力をお願いします。++

  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ



エピソード | 09:08:32 | Trackback(0) | Comments(0)
エピソード インド‐1 インドの歯医者

 ネパールの歯の治療体験に続いて、インドでのこともついでに書いてみよう。
 これは、10年前のこと、奥歯のセメントが取れ、カトマンズで、治療してもらった
 けれど、翌日には、すぐに取れてしまった。
 再び、セメントを詰めてもらい、もう大丈夫と言われ、2,3日後には 
 安心してインド・デリーへ向かった。

 インドに着くや、否や、又、詰めていたセメントが取れてしまう。
 セメントが取れてしまうと、冷たいものが滲みて、食べるにも困る有様だった。
 1週間のデリー滞在中、これでは大いに困る。

 ニューデリー、パハールガンジの安宿街に 宿を決めると、早速、歯医者を探し始める。
 バザールでインド人に訊き訊き、やっと、歯医者らしきものを見つける。
 中に入ってみると、そこに置かれている機械は、大英帝国植民地時代から
 使われているような代物で、おどろおどろしい姿で置かれている。
 歯医者も同じように、大英帝国植民地時代から、歯医者の仕事を続けているような
 老人なのである。
 一瞬、逃げ出そうと思ったが、いや、インド人は、ネパール人と違って手先が器用だ。
 もしかしたら、もの凄い名医かもしれない。
 一度、試してみるのもいいかもしれない。

 そこで、その古色然たる治療椅子に座り込むも、やはり怖いのである。
 無愛想な老医者は、笑顔一つ見せることもなく、口をあけるようにと言う。
 痛かったら、手を上げて、など一言もないのである。

 治療が始まる。歯を削る、あの機械の音が聞こえてくる。
 それが、口の中に入ってくる。歯を削り始める。
 私の痛みなどお構いナシに、歯を削るのである。声を上げようにも上げようがない。
 黙々と、仕事を進めていく老歯医者、まるで悪魔のようだ。
 治療が終わる。ああ、怖かった。

 この恐怖の治療で、デリー滞在中、歯はどうにかもったが、
 バンコクに向かうエアロフロート機の中では、うずくのである。
 あの悪魔のような老医者の不気味な笑い声のように。
 バンコク到着後、恐怖の治療の甲斐もなく、セメントは、又、取れてしまった。
 やはり、インドは、インドである。


++ブログランキングへの協力をお願いします。++

  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ



エピソード | 01:48:39 | Trackback(0) | Comments(0)
エピソード ネパール‐07 ツバメの棲む不思議な店
ツバメの棲む不思議な店


 この店のことを知ったのは、20年近く前の話である。
 私の住んでいる近くにあったせいもある。
 この前、たまたま、通りかかると、やはり、ツバメは、年中行事のように訪れていた。
 以前は、店の中は、ツバメの糞だらけで、食料品を売る店で、商売になるのかと
 心配になっていたものだ。
 ツバメの数も、今どころの騒ぎではなかった。
 やはり、商売には、差し支えたようで、ツバメが羽を休める場所を、少なくしていた。

 ここの女主人も、20年前と同じ人で、20年分だけ、歳をとっていた。
 動物には、愛情を持つ人で、自分の商売の利益以上にツバメを愛する人、
 こんな人は、ネパールでは珍しい。
 こんなことは、心にゆとりがない限り、出来ることではない。

 ツバメのみならず、ネワール族では珍しい猫好きでもあるらしい。
 猫もそのことがわかるのか、1匹の猫が、突然家にやって来て、住み付き、
 始めのうちは、ツバメにいたずらをするかと心配したが、店の方にはやって来ず、
 別の入り口から出入りしていたということである。
 その猫も交通事故に遭い、死んでしまったと、残念そうに語っていた。


++ブログランキングへの協力をお願いします。++

  ** 忘れないで **
       ↓
人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ

日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ



エピソード | 01:29:15 | Trackback(0) | Comments(0)
エピソード ネパール-06 泥棒侵入未遂

 夜の午前1時過ぎのことである。
 コンピューターを消して、そろそろ寝ようかと思い、台所に向かい、台所のすぐ外に
 つながるベランダのドアを閉めにいく。
 夕食のおかずに魚のから揚げをしたものだから、台所に油がこもっていた。
 それの換気のためにドアを開けたままにしておいたのだ。
 ドアの網戸は、一応 簡単な鍵をかけて置いた。
 
 ドアのところに行き、ドアを閉めようとすると、開いたドアの隙間、網戸の向こう側に
 人間の手が見えるではないか。
 なんだ、なんだと、これはなんだ。どうして、こんな所に、人間の手が。泥棒である。
 咄嗟に ドアの取っ手を掴み、大きな音を立ててドアの開け閉めを何度も繰り返す。
 とにかく、何はともあれ、眠っている近所の住民を起こすのだ。
 ドアを開けて、泥棒の顔など、見たくもない。捕まえることなど、もっての外だ。
 大立ち振る舞いなどとんでもないことだ。
 
 激しいドアの開け閉めの音で、近所の住民が、起き出して、騒ぎ始めるのが聞こえる。
  「ケ・バイヨウ、コホ?」(どうしたんだ、一体誰だ?)ドアの大きな開け閉めの音
 誰かが、家に入れず、ドアを、叩いていると思ったらしい。
 近所の部屋の明かりが 次々に 赤々と灯り、皆、窓から乗り出すように
 顔を出している。
 
 危機一髪のところだった。
 もし一足遅れれば、台所には、凶器になる包丁類が、あったのだ。
 それも良く切れる日本製の包丁が…。
 そんなことを思うと、アドレナリンが噴出すのが、自分でもわかる。

 泥棒が入りそうになったことを 起き出した近所の人に説明する。
 後で網戸を見ると、鍵のある箇所の網戸が破かれている。
 すぐ裏の家の大家も置きだし、
  「又、来るだろうか。」と言う。
 とんでもない話である。又、来られてたまるものか。
 近所の人たちは、起きだしてきているのに、私の家の大家の家族は、起きて来ない。
 階下に住んでいる学生たちも起き出さない。全く、奇妙な話である。
 全く 入るところを間違えたんじゃないかと、泥棒に言いたくなる。

 私の住んでいる近所の家は、間借りの借家人が多い。
 一体どういう人間が、住んでいるのか さっぱりわからないのである。
 私の住んでいる家は、路地の奥まったところにあり、裏に一軒あるだけである。
 用事がなければ、誰も入ってこないし、家の裏にあるベランダのドアが開いている
 ことなど、余程のことがない限り、気づく者はいない。
 台所の電気は つけっ放しにして置いたのである。
 どう考えても、近所の者の仕業以外には、考えられない。
 私が一人で住んでいることは、近所の者は皆知っている。
 お金に困った近所の間借り人である可能性は、大いにあることである。
 
 泥棒のことなど、他人事のように思っていたが、物騒な世の中になったものである。
 今の家に住んで、15年近くになるが、こんなことは、一度もなかったのである。
 カトマンズに人が増え、人の出入りも激しくなり、誰が住んでいるのか、皆目、
 わからなくなってしまっている。怖いカトマンズである。


++ブログランキングへの協力をお願いします。++

  ** 忘れないで **
       ↓
人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ

日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ



エピソード | 01:01:01 | Trackback(0) | Comments(0)
前のページ 次のページ