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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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パタン パタン彷徨‐04 二つの寺院
パタン パタン彷徨‐04 二つの寺院 1

パタン パタン彷徨‐04 二つの寺院 2

パタン パタン彷徨‐04 二つの寺院 3

パタン パタン彷徨‐04 二つの寺院 4

パタン パタン彷徨‐04 二つの寺院 5

パタン パタン彷徨‐04 二つの寺院 6

パタン パタン彷徨‐04 二つの寺院 7

パタン パタン彷徨‐04 二つの寺院 8

 古い歴史を持つ街の中心では 王宮など工芸の粋を凝らした見事な建造物を見ることが
 出来るが、私は街の周辺を歩くことも好きである。
 ネワール族の造り上げた1500年以上の歴史を持つパタンの街では 人々の住む場所が 
 各職業カーストによって 住み分けられている。
 街の中心である王宮周辺には シュレスタ・カーストの人々(マッラ王朝時代の支配層)が住み、
 街の周辺に向かって、低いカーストが住むという形になっている。
 それはカトマンズでも同じである。

 そのシュレスタ・カーストを取り巻くように仏教徒のサキャ、バジャチャーレ、
 ウダースと呼ばれる職人カースト、その外側にマハルザンと呼ばれる農民カースト、
 同じ農民カーストでも農業とレンガ造りを仕事にするアワレは マハルザンより少し
 低く見られ、その外側に住む。
 そして、その外の街の周辺部には サヒ・カースト(カサイ、カルギとも呼ばれる)、
 家畜の堵殺を生業にする人たちが住む。
 そして、街の外側には 不可蝕選民といわれる最下層カースト ポーレ(別名デオラ)が住み、
 街の中に住むことは許されなかった。
 彼らは 魚業、豚の飼育、火葬場での清掃などを仕事としている。

 パタンの中心部の散策には飽きたので、パタンの街の周辺部を歩くことにし、
 街の東側周辺に行ってみた。
 後で気がついたことだが、この東側周辺部は パタンの街でもバグマティ川に接して
 いる地域である。

 周辺部に向かって歩いていくと 仏教徒 サキャ・カーストの人たちが建てた仏教寺院がある。
 イェンプ・マハビハールと呼ばれる寺院で 寺院というより仏教伝道所のような役割を
 持っていた場所で、パタンの中にはサキャ・カーストの人たちが建てたこのような伝道所が 
 15箇所ある。ネワール族の間では バヒと呼ばれている。
 これに対して 集落の中に建てられ、バジャチャーレが祭事を司る寺院は ビハーと
 呼ばれている。
 歴史的には サキャ・カーストの人たちの建てたバヒ、マハビハールのほうが古いようである。
 こうしたサキャ・カーストの人たちが 積極的に伝道所として使っていたマハビハールも 
 70年近く前に ラナ独裁政治の時代 カトマンズに住む僧侶が ラナ家によって
 追放されてからは 仏教伝道所としての役割を失ってしまった。
 マハビハールに住んでいた伝道師の僧侶もいなくなり、荒れるに任せていたようだが、
 以前ほどではないにしても 少しずつ、昔の仏教伝道の役割を取り戻しつつある。

 そのマハビハールの先まで行くと パタンの旧市街の果てに至り、旧市街の外に出る。
 そのすぐ先は バグマティ川である。
 そこにも 寺院がある。
 バドォラカーリという神様を祭った寺院である。
 バドォラカーリという神様のプザーリは ネワールカーストの最下層、不可蝕選民の
 デオラ(ポーレ)と呼ばれる人たちで 魚採り、火葬の後の清掃など人の穢れを
 受け持つカーストの人たちである。
 上位カーストの人々は 蔑みとともにポーレと呼ぶが 彼らは自らをデオラと呼び、
 それは神様に奉仕する人という意味である。

 この寺院に向かっていると 学校帰りの少年が 私の後ろを歩いていた。
 寺院の中に入ると、その少年は別の寺院の入り口から入ってきた。
 彼もデオラ・カーストの子供だった。
 私立学校に通っているという。素直で利発そうな少年だった。

 寺の中には何時もデオラ・カーストの人々が常駐しており、
 彼らの憩いの場所のようでもあった。
 年配の人たちは 愛想がいいが 若い人たちはどこか猜疑心の強いところもあった。
 彼らの時代には まだデオラの子供たちには教育の機会がなかった。
 上位カーストの親たちが 彼らとともに 自分の子供が学ぶことを嫌ったからである。
 一昔前までは パタンの旧市街の中に住むこと、入っていくことも許されなかった人々である。
 時代が流れ、人々のカーストに対する意識が変ったかといえば、
 やはりまだまだデオラの人たちに対する蔑みの心は 消えることなく残っている。


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ネパール パタン | 08:33:28 | Trackback(0) | Comments(0)
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