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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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カトマンズ バグマティ川沿いの散策
カトマンズ バグマティ川沿いの散策 1

カトマンズ バグマティ川沿いの散策 2

カトマンズ バグマティ川沿いの散策 3

カトマンズ バグマティ川沿いの散策 4

カトマンズ バグマティ川沿いの散策 5

カトマンズ バグマティ川沿いの散策 6


 今日は 朝6時半に目が覚めてしまった。
 昨夜寝たのは午前2時、こんなに早く起きる必要もないのに眼が覚める。
 停電は 午前4時から正午まで、電気がやってこないのだから、もっとのんびり寝て
 いればいいのであるが、朝日も射し始めている。
 今年の冬はカトマンズ特有の朝靄がない。
 いつもの年なら、午前11時近くまで靄がかかって、陽が射さないから、朝は寒い。

 目覚めの紅茶を飲んで、気分をしゃっきりさせたところで、朝の散歩に出かける。
 近くのバグマティ川に沿って歩いてみる。
 バグマティ川の河川敷まで行ってみると、広場のすぐそばの水場では洗濯が始まって
 いる。
 3ヶ月前は 湧き水を利用した井戸が1つだけだったのに、いつの間にか井戸が
 4つに増えている。
 近隣の自治体でお金を出して、井戸を増やしたようだ。
 電気がなければ、水道水を家に引き込むことは出来ない。
 近くの住民たちは、こぞってこの場所にやって来て、洗濯をし、生活用水を家へと
 運んでいく。
 政府に頼っていたら、自滅するだけである。

 この水場から バグマティ川に架かる吊橋を渡って、いつも行く川辺のシバ寺院に行く。
 寺院の前の石畳の広場には いつも顔を合わせる子供たちがいる。
 ネワール族のナガルコティというカーストの子供、ビックラムがいる。
 ネパールの庶民の幼い男の子たちは、冬になると皆こんな姿である。
 顔も首筋も垢ですっかり黒くなっている。
 親も別に気にしないのである。
 冬場になると、水浴びもしないらしく、すっかり垢まみれになっている。
 冷たい水を嫌がってである。
 タマン族の女の子たちも日向ぼっこをしている。部屋の中は寒く、外にいるほうが
 余程快いからだ。
 子供たちは皆、寺院の中の貸し部屋に家族とともに住んでいる貧しい家の子供たちで
 ある。
 どうも学校は冬休みのようだ。
 公立学校は休日ばかりのようである。
 休み、停電と勉強をする時間などありはしない。

 少し先に歩くと 一人の老婆が素焼きの器の中に炭を入れて燃やし、暖をとっている。
 陽が射して それほど寒くはないのだが、老婆にとってはまだ肌寒く感じるのだろう。
 老婆は 老婆の後ろにあるクリシュナ寺院を管理している家族の1員である。

 その先へと歩き進んでいくと、1本の花を咲かせた樹木がある。
 どんな花が咲いているのかと、目を凝らしてみると、日本のモモの花に似ている。
 近くにネパール人に聞くと アルー・コ・フール 桃の花だと教えてくれる。
 ネパールでも季節になると 小粒の桃が売られている。
 その花である。
 日本では桃の節句といえば、ひな祭りの3月だが、このカトマンズでは1月の下旬が
 満開のようだ。
 今年は早い春の訪れでいつもより 開花が早いのかもしれない。
 梅、桃、桜の花を見ると、日本の季節が思い浮かぶ。
 満開の桃の花、日本ではもう20年以上も見ていない。
 それでも懐かしい気持ちになるのは、この花に対する日本人の想いが 
 私の血の中に受け継がれているからだろう。
 そんな想いを抱きかかえるように家路へと向かった。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 18:18:01 | Trackback(0) | Comments(2)
コメント
ネパールには、もう20年近く前、一度だけ旅したことがあります。その時、あんたはネワール(ニワリ?)族にそっくり、とネパール人に言われたことを今でも憶えています。垢だらけのこの写真の子供たちを見ると、昭和三十年代の筑豊の炭坑街の子供たち(土門拳)を思い出します。自分もその一人だったのですが。バンコクの運河べりの写真などもいつも楽しく懐かしく拝見しています。
2009-01-30 金 02:29:25 | URL | julypapa [編集]
皆が貧しかった時代は それが当たり前で気にもならない世界でしたが、ネパールでも格差社会が生まれ、それが子供の世界にも入り込んできています。
都市に住む貧しい人たちは出口のない世界の中で 苦しむようになっているようです。

20年前のネパール人のほうが余程幸福そうです。
2009-01-30 金 03:40:34 | URL | ひかるの [編集]
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