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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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ネパール 糸を紡ぐ人たち
ネパール 糸を紡ぐ人たち 1

ネパール 糸を紡ぐ人たち 2

ネパール 糸を紡ぐ人たち 3

ネパール 糸を紡ぐ人たち 4

ネパール 糸を紡ぐ人たち 5

ネパール 糸を紡ぐ人たち 6

 カトマンズ近郊の村々を歩いていると、羊毛の糸を紡いでいる人たちに
 出会うことが多い。
 これは昔からの仕事であったのかというとそうではない。
 カトマンズ盆地に限って言えば、羊毛を紡ぐという習慣はなかった。
 こうした仕事が始まったのは 1959年のダライ・ラマのインド亡命に伴い、
 難民としてネパールに逃げ込んできたチベット人によって チベッタン・カーペット
 作りの技術が伝えられた頃から始まったらしい。

 カトマンズのチベット難民の住む地域では、生活のためにチベット人によって
 チベッタン・カーペットが 織られ始め、その規模が大きくなるにつれて、
 ネパール人に毛の手紡ぎの技術、カーペットの織りの技術が伝えられた。

 私が始めてネパールを訪れた25年前には、パタンのザウラケルには
 チベット難民センターがあり、そこにはチベッタン・カーペットの工場があったが、
 働いている人は ネパール人も多かった。

 そうこうするうちに 外国からの注文が増え、チベット人たちはいつの間にか
 工場のオーナー、タメル地区の店のオーナーに早変わりして、カトマンズで富を
 蓄えるようになり、今では御大尽様である。
 そうなると、自分でカーペットを織るよりは下請けに出したほうが、
 はるかに効率がよいことになり、カトマンズ近郊の村では、チベット人たちの注文で 
 村人たちは毛を紡ぎ、カーペットを織るようになっていくのである。

 私が25年前に住んでいたキルティプールの町では 当時、織物が盛んな町で、
 丘の上に立つ民家の1階では カタンコトンと機織の音が聞こえていたが、
 今はそれがカーペット織りに変わってしまっている。

 カトマンズの人口が急激に増え、農地が住宅地に変わっていくにしたがって、
 村々では 女たちの畑仕事も減り、それが、手紡ぎ、カーペット織りの内職を
 促すことになったのだろう。
 自給自足の生活が崩れ、現金収入が必要な社会に変わってきているカトマンズである。
 主食の米の生産もままならず、市場から買うことが多くなっている。
 農地が減り、農民が農民でなくなってきた現在、内職なしでは生活も成り立たなく
 なっているのである。

 テレビ、冷蔵庫、プロパンガス、オートバイがカトマンズ近郊の村々にも入り始め、
 消費をあおり始めている。
 テレビのコマーシャルは 村人の欲望に火をつけていく。
 お金がなくては 欲望を満たすことが出来なくなりつつある。
 昔ながらの生活を脅かす贅沢な生活が 入り込み始め、村人の生活も忙しさを
 増してきている。
 傍目には穏やかな村の暮らしであるが、台所は火の車かもしれない。
 この頃では 月賦を利用しての購買も簡単に出来る。
 払えると思った金額も 何か起これば、借金に変わり、返金も出来なくなる。
 知らず知らずのうちに 危険を背負い込むことにもなっている。
 事が起こるたびに 村の女たちの仕事は増えていく。


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カトマンズ 街道を行く | 09:57:53 | Trackback(0) | Comments(0)
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