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Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
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アジアの街角 1枚の写真から‐55 タイの中学生
アジアの街角 1枚の写真から‐55 タイの中学生

 私が タイによく行き始めた1987年頃、バンコクでの滞在先といえば
 中華街の安ホテルだった。
 その頃、安ホテルの1階は食堂になっていて、そこでは小学校を出たばかりの
 子供たちが働いているのをよく見かけた。

 その頃のタイの中学へ進学率の統計を見てみると、全国平均で38%、貧しい地域と
 言われている東北部では、24%であったが、バンコクではその当時でも中学への
 進学率は96%にも達していた。
 現在は 中学への進学率は 90%近くまでなっているようだが、バンコクと地方との
 格差は未だにあるようだ。
 高校への進学率は 50%近くである。
 地方によっては20%以下だろう。
 お金にゆとりのない家庭の子供たちは 高校への進学も、大学への進学も
 かなり難しいというのが現実である。
 タイ人の人生の分岐点が 中学から高校への進学の有無で決まってしまうようだ。

 タイでは学歴の違いで 就職の機会、給料の違いがはっきりしてくる。
 同じ職種でも学歴によって 給料は違うし、昇進の速度も違う。
 これは日本でも同じであるが・・・。

 1970年代前後の日本のことを思い出してみると、今のタイと重なってくる。
 私の育ったのは田舎であったから、高校への進学率は 70%ぐらいだった。
 クラスの14,5人は就職組で 大阪を中心とした地方都市へと旅立っていった。
 職種といえば、工場や店員のような仕事が多かったのだろう。

 バンコクの中学卒業の給料は 月収6千バーツ強程度である。
 大きな企業であれば、寮などもあるかもしれないが、大半は住むところは自前である。
 食べるのが精一杯で 貯金も仕送りもほとんどできるはずもない。
 映画を見れば、70バーツ、1日の給料の3分の1がなくなる。
 15歳から30歳近くまで仕事を続けたとしても どれだけの昇給が期待されるの
 だろう。

 大学が集中しているバンコク市民には高学歴を得る機会もあるし、
 それに伴う財力もある。
 タイの短大、4年制大学卒は合わせて20%以下である。
 タイの東大のような存在のチューラコン大学の学生の顔を見ても、
 大半は 中国系タイ人である。

 どこに生まれるか、どんな家庭に生まれるかで その後の一生が決まるのが、
 発展途上国の現実である。

 タイはここ20年で大きな経済成長を果たしたが、その恩恵を受けているのは
 大学に進学させることの出来る財力を持っている家だけである。
 反政府運動の団体 連合(PAD)には そこがみえていない。
 どう見ても バンコク市民が 既存の利権を護るために運動しているとしか見えない。
 彼らの口から、貧富の格差、教育の機会均等の声は聞こえては来ない。
 未だに プー・ディー(特権階級)とプライ(庶民)との溝は埋まっていかない。
 地方農民が 我が子のために高教育を与えるのは至難の業である。
 頑張っても中学進学が精一杯である。
 中学を卒業すれば、出稼ぎに行くより道はないところに 
 生活水準の格差は生まれてくる。

 タイが手本にしている日本だが、この20年のあいだに 高学歴社会になった。
 果たして、日本国民の間の中で、貧富の格差は縮まり、
 人々は幸福になったのだろうか。


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アジアの街角 1枚の写真から | 14:53:02 | Trackback(0) | Comments(0)
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