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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

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アジアの街角 1枚の写真から‐48 パッタニーから来た男
アジアの街角 1枚の写真から‐48 パッタニーから来た男

 バンコクの中心部を流れる運河 セン・セーブ運河を走る水上バスの停船する場所に 
 ボーベーという街がある。
 インドのボンベイをもじって名付けられたという。
 インドのボンベイも 一時期 外国輸出向けの衣料品マーケットとして
 名をはせたことがある。
 このボーベーも 同じようにバンコクの中では プラトーナムと並んで名高い衣料品を
 売る卸売りマーケットである。

 このボーベーで水上バスを降りると、運河の向こう岸に イスラム教のモスクが見えた。
 運河にかかる小さな橋を越えて、そのモスクのあるところに行ってみた。
 このモスクの周辺は イスラム教徒の集落だった。
 集落の中は 迷路のように入り組んでいるが、いわゆるスラムと違って、
 危険な感じはしない。
 このイスラム教徒の集落の人々は 古い昔、今から200年近く前、
 当時のパッタニー王国から戦争捕虜としてつれてこられた人々の子孫だといわれている。
 スコタイ、アユタヤ王朝時代から、当時のシャムの支配下にあったが、その支配から
 脱するための反乱のたびに敗れ、パッタニー王国から多くの人々が 戦争捕虜として
 バンコクに連れてこられ、戦争奴隷として バンコクの街づくりに従事させられた。
 この集落の横を流れるセン・セーブ運河も彼らの手によって造られた。

 この集落の中を歩き回っていると、集落の中には イスラム教の墓地もある。
 大半はこの集落で亡くなった人たちが埋葬されるのであるが、異国からやってきて
 このバンコクの地で不慮の死を遂げた外国人も埋葬されることもあるらしい。

 そんな話をこの集落の住民であるイスラム教徒の男から聞いた。
 なかなか 堂々としていた男だった。
 バンコクにあるヨルダン大使館に勤めていたが、今は退職してのんびりと過ごしている。
 彼の祖先は マレーシアのクランタン州である。
 パッタニー王国は 当時 タイ側とマレーシア側に領土を持っていた。
 それが、タイとイギリスとの交渉の折に タイ側とマレーシア側に分断されてしまったのである。
 14世紀から19世紀までは パッタニーはインドネシアのアチャと並んで
 南シナ海貿易の中心的な港であった。
 中国人、琉球、日本、そしてインドのイスラム教徒もこの地には多くやって来た。
 パッタニー王国の前身であるランカスカ王国の時代には イスラム教ではなく、
 ヒンズー教が信仰されていたというから、インドとの深いかかわりがあったに違いない。

 この男の顔を見ながら、その顔つきに 西方の血の流れを感じてしまう。
 どこかアーリア系人種の血が流れているようにも感じられる。
 中国人でもなければ、タイ人でもない雰囲気が 男の風貌にはある。
 古い時代に東南アジア貿易を支配したコスモポリタンなパッタニー王国の血が
 彼の身体には綿々と流れ続けているような気がする。
 不思議なものである。


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アジアの街角 1枚の写真から | 04:57:16 | Trackback(0) | Comments(2)
コメント
ひかるのさん、

おはよう御座います。
日本ではイスラム教徒の実態が分かりません。

是非、どうゆう信仰生活をしえいるのかというご報告を期待しています。
この話も参考になりました。
草々、藤山杜人
2008-10-20 月 11:25:59 | URL | 藤山杜人 [編集]
藤山様

東南アジアのイスラム教徒は インド以西のイスラム教徒と違って、
かなり、柔らかい信仰のようです。
入り婿制という結婚制度は 女の地位をそれなりに保証しています。
信仰も長い年月を経ると、習慣化してしまう部分もあり、金曜礼拝、
コーラムの教えを守るという当たり前の生活のように思います。
モスクが地域の信仰、活動の中心になっています。

このブログでも イスラム教徒のチャム族の集落、ペルシャ系のイスラム教徒の姿と取り上げていますし、バンコクの運河でも南タイから戦争捕虜として連れてこられた人々の集落についても取り上げています。
少しは参考になると思います。
カテゴリー「タイのイスラム教徒」「運河の辺の街」「バンコクの運河」

                             ひかるの
2008-10-20 月 11:56:36 | URL | ひかるの [編集]
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