■プロフィール

ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

■最近の記事

■Automatic translation WEB site
■最近のコメント
■最近のトラックバック
■月別アーカイブ
■カテゴリー

■FC2カウンター

■あしとも

■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
■ブロとも申請フォーム
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
アジアの街角 1枚の写真から‐43 若者
アジアの街角 1枚の写真から‐43 若者

 チャオプラヤ川の川向こうのトンブリ地区は、バンコクの下町の姿を
 色濃く残す場所だ。
 大きな川がバンコクを東と西に分け、バンコクの中心部を持つ東側が どんどん
 発展していくのとは反対に トンブリ地区は開発が遅れている。
 それが昔ながらのバンコクの風情を残す結果になっている。

 チャオプラヤ川によって隔てられた、バンコクの東側と西側にかかるサファン・プット
 ブッダ橋を渡ると、トンブリ地区に入っていく。
 ウォンウェイヤイに向かう大通りを歩いていくと、50年も前のバンコクが、
 そのまま 残っているような木造家屋の建ち並ぶ小さな通りがある。
 その通りの途中に、木造の古めかしい一杯飯屋を見かけた。
 そこで、二人の若者が、遅めの昼食を取っている。

 そんな二人の姿を見ながら、自分の若い頃と重ねてみる。
 1970年代後半の東京、田舎から東京に出てきて、4畳半のアパートに住み、
 昼間は学食、夜は安い定食屋というのが、食生活の中心だった。
 風呂は銭湯というのが当たり前だった。
 遊ぶような余分なお金もなく、出来ることといえば、ジャズ喫茶で友人たちと駄弁るか、
 たまに安い飲み屋で安酒を飲むぐらいのものだった。
 だからといって、その生活が惨めだったとは思わなかった。
 それが当たり前だと思っていた。
 当時の若者といえば、みんなそんなもので、働いているものも学生も大差はなかった。

 チャオプラヤ川をはさんで 東と西側に分かれるバンコク、西側のトンブリ地区は
 庶民の街であり、肉体労働者が主に集まる場所だ。
 村から出稼ぎにやってきた人たちは、物価も家賃も安いトンブリ地区に住みつく。
 仕事が、トンブリ地区にあるならわざわざ、贅沢な消費への欲望をそそるバンコクの
 東側に行くこともない。
 タイの東大といわれるチューラコン大学のあるサイアム・スクウェアーあたりに
 行けば、あまりの生活の格差に驚き、自分の生活の惨めさに気がつくだけだ。

 最低賃金 日当210バーツの生活では、フラストレーションは溜まる一方だ。
 オートバイを使ったひったくり、ドラッグの密売、銀行強盗、強盗と、若者の
 犯罪が、バンコクでも多発している。
 お金中心社会を作り出してきた大人たちへの反逆である。

 タイのマフィア上がりの政治家たち、中国系タイ人が優先される社会、
 利権も富みも上層階級に集中していく。

 物価は上がり、最低賃金で働く若者たちの生活を圧迫している。
 追い詰められた若者たちの行き着くところは、どこだろう。
 アジアの各国の都市では同じような問題を抱えている。
 日本でも 簡単な方法でお金を得ようとする犯罪は増加の一方だ。
 自分の未来が見えてこなければ、今さえ楽しければいいという短絡的な発想が
 生まれてくる。
 こんな社会を作り出したのは、彼らの上の世代だが、しわ寄せは、若者たちの
 ところにやってくる。
 大人たちの無責任、無関心が蔓延する都市では、若者の無定形な反抗は
 増え続けていく。


++ブログランキングへの協力をお願いします。++

  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ




アジアの街角 1枚の写真から | 00:17:16 | Trackback(0) | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。