投稿日:2008-09-30 Tue






今日は バソンタプールの王宮広場、ハヌマンドカ近辺には 混乱を嫌がってか
外国人旅行者の数が少ない。
いつもは外国人旅行者と物売りでごった返しているクマーリの館の入り口周辺も
いたって静かである。
これは良い機会と クマーリの館の中庭の中に入ってみる。
20年近く前にも入ったことがあるが、物売りたちや外国人旅行者であふれていたことから、
それ以降は 入るのを避けていた。
中に入ると カトマンズのネワール族の男たち数人が座り込んで ぼそぼそとは話を
している。
彼らを除けば、中庭には私だけだ。
彼らも私のことなど構わないし、少ししたら、外へ出て行き、中庭には私一人になった。
せっかくの機会だと思い、カメラを向け、精緻に彫りこまれた木工芸の窓などを
カメラに収める。
このクマーリの館は マッラ王国のカトマンズの最後の王 ジャヤ・プラカース王に
よって建てられたものであるらしく、生き神様 クマーリのティカの儀式は、
この王の時代から始まったと言われている。
マッラ王朝の木工芸の最高峰の技術を駆使してクマーリの館を造り上げ、
マッラ王国の繁栄、一族の存続を願い、生き神様クマーリからティカの儀式を
受け、王の権威を民衆に知らしめたが、この王がマッラ王国のカトマンズの
最後の王になってしまうのは 皮肉なことである。
1768年にカトマンズを侵略、制圧したゴルカの豪族プリティビ・ナラヤン・サハは
カトマンズ盆地の中に住むネワール族に カトマンズを統治する王が
自分であることを示すために 生き神様 クマーリからティカの儀式を授かるのである。
これはカトマンズにマッラ王国を築き上げていたネワール族にとっては、
屈辱的な行為ではあったように思われる。
生き神様クマーリの神通力、権威を利用することで、新たな王としての権威をまとい、
カトマンズ盆地に君臨することを正当化していくのである。
その中で 生き神様クマーリの儀式、生活を支える仏教徒サッキャ、バジャチャーレの
一部の集団に利権が与えられるようになるのである。
そのティカの儀式が 240年近くに渡って ゴルカ王朝の中でも王の権威の象徴と
して存続し続けてきたのである。
2008年5月 サハ家によって240年にも渡って続いてきた王制は廃止された。
これによって、生き神様クマーリは ネワール族民衆のもとに帰ってきたはずでは
なかったのか。
王制から共和制へと政治形態も変わった。
ヒンズー教が国教とされていた時代も終わりを告げ、人々は自分の信じる宗教を
分け隔てなく信仰する社会が保障されたのである。
インドラ・ザットラは 本来民衆のものである。
民衆のものであれば、民衆に返し、本来のインドラ・ザットラの形に戻すべきである。
時の権力者の権威象徴の利用の道具にはなってはならないはずのものだ。
パタンのラトー・マチェンドラナート、バクタプールのビスケット・ザットラ、
すべてネワール族民衆の祭りである。
カトマンズのインドラ・ザットラも本来の民衆の祭りに戻すべきである。
今なお、政府の援助という利権を求める一部扇動者に 騙されてはならない。
1768年、自らの国を奪い取られた屈辱的な日を忘れてはならない。
インドラ・ザットラが 真に民衆の重要な祭りであるならば、民衆の力で
運営し、民衆の力で存続させていけばいいのである。
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