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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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アジアの街角 1枚の写真から‐11 道
アジアの街角 1枚の写真から‐11 道

 ネパールでも、インドでも、タイでも 道には、生活の匂いがある。
 近代化という名の下に 日本では、歩く、自動車の行き来ということだけが優先され、
 道から、人々の生き生きした生活は 失われてしまった。
 屋台もなければ、物売りの姿を見かけることのない無機質な空間に変わってしまった。
 合理的なものを好む近代は、人間が出会い、語り合う空間を追い出してしまった。
 広場も公園も同じことだ。

 カトマンズの通りを歩いていると、道は、人々の生きる空間として生き続けている。
 屋台もあれば、物売りの姿もある。
 カトマンズのメインロードであるニューロードのすぐ脇の道では、道端一杯に
 新聞が売られている。
 こんなことは日本ではあり得ないことだ。
 合理的でスピーディな生活を追い求める社会では、交通の邪魔になる行為は許されない。
 こんな光景を見ると、驚くこともあるが ほっとするのも事実だ。
 日常的に毎日行き来する道、人間の生活と密接にかかわりあっている道が、
 日本では 本当に味気ない。

 合理的でスピーディな社会を生み出すことで、日本は経済成長を達成し、
 清潔で整った町並みを作り出してきた。
 しかし、人間の活力はどうなったのだろうか。
 合理的で効率的な社会を作り上げるために、人間の心を置き去りにしてきたようだ。
 道、広場、公園というのは、人々が 家という私的な空間から出た時に 他の人々と
 出会う公の共同的な空間であるが、この空間が、日本では、コミュニケーションの
 ない希薄な空間になってしまっている。

 ネパールにいる時は カトマンズのすぐ隣の町パタンに 私は、住んでいるが、
 借りているアパートから通りに出ると、
 もうそこは近所の住民たちのコミュニケーションの場である。
 雑貨屋の前には、人が何人か集まり、おしゃべりをしながら、
 のんびりと時を過ごしている。
 雑貨屋の店先は、情報交換の場所だ。
 自転車や荷車に野菜や果物を載せた物売りが行きかう。
 果物や野菜の値段を訊く声が飛び交う。
 道路が 生活場所であり、コミュニケーションの場として、息づいているのである。

 この通りから大通りに出るまで、手を上げたり、声をかけたり、何人もの人間と
 挨拶を交わす。
 雑貨屋、路上の靴直し、自転車の修理屋、パン屋、
 路上の隅っこで果物を売っているおばあさん、数え上げれば、きりがない。
 顔見知りが 自然に出来てくるのだ。

 やはり、そこには生られる空間があることを実感するのである。
 それが町になじむというこということなのだろう。
 そういうことが、自然に出来ることが、ネパールの良さなのだろう。
 そして、活力のある人間味の溢れた通り、それは人間に生きている実感を
 知らず知らずのうちに与えてくれているのだろう。


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アジアの街角 1枚の写真から | 02:48:50 | Trackback(0) | Comments(0)
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