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Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
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タイのイスラム教徒(2) シェイフ・アフマドと山田長政-その4
シェイフ・アフマドと山田長政-その4 1

シェイフ・アフマドと山田長政-その4 2

 シーウォラウォングの策に翻弄され続け、長政は成す術もないまま、
 亡きソンタム王の一族は抹殺されてしまった。あまりに違いすぎていた。
 反対するものはすべて、残虐に抹殺していくアユタヤの王位継承は
 長政の想像を超えたものであり、日本のお家騒動とははるかにかけ離れた
 血で血を洗う残酷なものであった。
 ひたすら、ソンタム王に仕え続けて来た長政にとっては、
 アユタヤは夢の王国ではありえないものになっていったのである。

 あの残忍非道なシーウォラウォングは、
 今はアユタヤの王プラチャオ・プラサートトーンとして君臨している。
 次は俺の番かという不安は、長政にもあったには違いない。
 彼を護るものは、彼の傭兵部隊と日本人町だけだった。
 卓越した軍団である日本人傭兵部隊には、
 プラサートトーンも簡単には手を出すことは出来ない。
 彼の考えたことは長政とその傭兵部隊をアユタヤから遠方の地へと追いやることだった。
 そうすることでアユタヤでの長政の影響力を殺ぐことになる。
 王宮内のあまりの非道さに疲れ果てていた長政は、それを受け入れる。
 アユタヤがプラサートトーンの手にある以上、反対もままならない。
 武人としての資質は持っていても、政治家としての資質を持たない長政には、
 策略家のプラサートトーンの意図は最後まで読めないのである。

 1629年 ソンタム王の死後1年の間に長政のアユタヤでの輝かしい人生は終わり、
 アユタヤから数百キロ離れたリゴット、今のナコンシータマラートの太守として
 左遷されたのである。
 その地は、イスラム教徒の地、ソンクラー、パッタニ王国に近く、
 アユタヤ王朝との争いの絶えない地域だったのである。
 決して安穏としておられる場所ではなかった。
 そして、パッタニ王国との戦いで傷を負った長政は、傷口に毒を盛られ
 暗殺されてしまうのである。
 22歳でアユタヤの地に足を踏み入れて、18年 享年40歳の生涯であった。
 その後、彼の息子が、リゴットの太守の地位を引き継いだが、
 彼も日本人傭兵との諍いで殺害されている。
 長政を遠方の地リゴットに追いやっても、
 安心できないプラサートトーンの執念深さのなせる業だったのであろう。

 山田長政を失った日本人傭兵部隊は、烏合の衆と化し、単なるやくざ軍団に
 成り果てていく。
 こうなってしまっては、プラサートトーンにとっても恐れる存在ではない。
 ビルマとの戦いも少なくなり、
 日本人傭兵に期待すべきものもなくなっていたのである。
 この日本人傭兵をじっくりと始末してゆけばいいのである。



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タイのイスラム教徒 | 16:03:03 | Trackback(0) | Comments(0)
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