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Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
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タイのイスラム教徒(2) シェイフ・アフマドと山田長政-その2
シェイフ・アフマドと山田長政-その2 1

シェイフ・アフマドと山田長政-その2 2

 山田長政がそのビルマ軍との戦いの中で輝かしい戦績を残し、
 ソンタム王の信頼を得、王宮の中でその地位を上げている最中、
 シェイフ・アフマドはどうしていたのであろう。
 商人として、老獪な卓越した政治力、外交能力を持つ彼は急がない。
 彼がアユタヤにその一族とともにやってきたのは59歳のときである。
 今更何を急ぐ必要があろう。

 彼にとって最も重要なことは、このアユタヤの地で一族の安全であり、
 彼の一族が安定した暮らしを この地で手に入れることだ。
 何事にも慎重にアユタヤでの生活と作り上げていく必要がある。
 まず彼がしたことは、タイ人との結婚である。そして、3人の子供をもうけた。
 ソンタム王の時代に貿易によって莫大な富を得、その富を使い、
 王族、貴族とのつながりを深め、王宮の中で高い地位を獲得していくのである。

 まず、彼がねらったのは、その当時の大蔵省の中の右外務部の地位であった。
 そこは、アラビア人、ペルシャ人、マレー人、インド人などの貿易商を
 管理する部局であった。
 そして、ついには、右外務部と中国、ベトナムを除く貿易商を管理する中外務部を
 管轄する地位まで手にしたのである。
 その管轄には 当然日本も含まれていたのである。

 日本人町は瞬く間に規模を広げ、
 日本はアユタヤの貿易の中でも並外れた貿易量であった。
 山田長政を頂点にした日本人勢力の台頭は、ペルシャ商人、華僑にとっては、
 眼の敵になりつつあった。
 シェイフ・アフマドは、アユタヤの貿易を管轄する地位を手にいれ
 日本勢力の台頭を抑えることの出来る地位に就いたが、
 ソンタム王の絶対的な信頼を受けている山田長政がいる。
 機会を待つより仕方がない。

 しかし、その機会はやってきたのである。
 1628年 山田長政と深い信頼関係を結んでいたソンタム王がなくなり、
 王位継承をめぐる争いが起こってくる。
 ソンタム王の我が子を跡継ぎにという遺言を受けた山田長政は、
 王位継承の争いの真っ只中に入っていくことになる。

 一方、シェイフ・アフマドは、この争いの中には入っていかない。
 外から静観しているのみであった。
 彼は知っているのである。
 アユタヤ王朝の王位継承が、いかに血なまぐさいものであるかを。
 亡くなったソンタム王ですら、前の王 シーサオワパーク王を処刑して、
 21代王になったのである。
 老練な政治手腕、外交能力を持っていたシェイフ・アフマドは
 アユタヤ王朝の王位継承が、王の息子によって継承されていくものではなく、
 本当の権力を持つものによって受け継がれていくことをよく熟知していたのだ。
 だから、手を出さないのである。
 最終的に誰が王位を手に入れるのかを見ているだけでよかったのである。


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タイのイスラム教徒 | 17:25:14 | Trackback(0) | Comments(0)
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