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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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ネパール チェットリ族とバウン族‐3 悲劇の中の先住民族‐4
 各民族を反目させることで、王制の支配を維持し続けてきた
 サハ家、ラナ家による支配体制は、民族融和を困難にしてきた。
 宗教、カースト、民族によって隔てられた人々は、容易にはその垣根を
 取り払うことは出来ない。
 王制を支えた支配階級は血統主義を取り、多民族との違いを際立たせただけで、
 融和への道を探ることがなかった240年間だったのである。
 
 ゴルカ王朝以前に カトマンズを支配していたマッラ王朝は、
 先住民族との通婚の過程で、生まれた王朝である。
 支配階級であったシュレスタ階級は、インドからの移住者とカトマンズ盆地に
 住みついていた先住民族との通婚の中で生まれたものだ。
 ネワール族の顔つきを見れば、多様性にあふれ、
 様々な民族との混血の名残を見出すことは難しいことではない。
 そういった歴史を持つネワール族であるが、今、他民族との結婚、
 ネワール族内の異なったカースト間の結婚に関しては 
 ネワール族が一番排他的なのである。
 ネパールの中で長い歴史を持つネワール族であるが、
 この排他性のためにネパールという国の中で、その能力に見合ったリーダーシップを
 発揮できないでいる。

 チェットリ、バウンの支配階級の血統主義は、
 多民族に対する格付けにも影響を与えたようだ。
 ネワール族については、カトマンズの先住民族ということで別格名存在とみなしていたようだ。
 グルカ兵としてイギリス軍に送られた民族においても、ライ・リンブー族を上に置き、
 グルン、マガールと上下関係を作ったようだ。
 西ネパールのグルン族とマガール族の通婚はあるが、ライ・リンブー族と
 グルン・マガール族との通婚はない。
 タマン族などは、ライ・リンブー、グルン、マガールの下に見られていたようだ。
 それとは別に、王制の持つヒンズー教カーストの下層階級に属するダリットと呼ばれる
 カーストの人々もいる。
 これらの人々は、王制のカーストの中で、低く見られただけでなく、
 王制の中のヒンズーカースト外に属するネワール、ライ・リンブー、グルン、
 マガール、シェルパ、タカリなどからも低く見られたようである。

 それとは別に、南ネパールのタライ地方には、タルー族、インド系住民と様々の民族がいる。
 農奴制に近い形で、働かされてきた人々もいる。
 ラナ家独裁政治の時代に、農奴制廃止が決定したが、それは形だけのことで、
 今なお、それに近い形は残っている。
 インド国境に近い地域に住む人々などは、住民票もなく、選挙権すらなく、
 今回の制憲議会選挙の際に、やっと手に入れたという人々も多かった。

 こういった形で、ばらばらにされて240年間、生活してきたネパール国民である。
 これらの多民族をどう融和させていくのか、これは簡単なことではない。
 王制が廃止され、連邦共和制が採択されたが、民族融和が達成されるまでは、
 ネパールの安定への道は程遠い。
 マオイストも コングレス、統一共産党の上層部の大半は、バウン、チェットリ族である。
 具体的な民族融和の手立てを知りたいものである。


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ネパールの事情 | 10:35:42 | Trackback(0) | Comments(0)
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