■プロフィール

ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

もう 心は 半分以上、
日本人ではなくなっているようです。

■最近の記事

■最近のコメント
■最近のトラックバック
■月別アーカイブ
■カテゴリー

■FC2カウンター

■フリーエリア

■フリーエリア

■フリーエリア

■フリーエリア

現在の閲覧者数:

■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
■By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

■ブロとも申請フォーム
ネパール チェットリ族とバウン族‐3 悲劇の中の先住民族‐3
 1869年にネワール族のマッラ王国を制圧したゴルカ王朝、いくらマッラ王朝を
 制圧したからといっても、カトマンズに住んでいるものの大半はネワール族である。
 チェットリ族だけで、カトマンズを支配していくことは出来ない。
 そこで考え出されたのが、ネワール族の支配の手先として、多民族を使うという方法である。
 カトマンズの治安についていえば、マガール、グルン、ライ・リンブー族を、
 下級警察官として用い、ネワール族を管理する方法をとったのだ。
 上級官僚、上級将校は、タパ、パンディ、サハ、バスネットが占め、
 その下に下位チェットリ族、更に下には、マガール、グルン、ライ・リンブー族を置くという
 支配体制が出来上がっていったのである。
 それは、ネワール族のみならず、カトマンズ盆地周辺に多く住むタマン族に対しても、
 同じ方法が採られたようだ。

 多民族国家ではこうした方法は有効である。
 フランス植民地時代のラオスの統治にベトナム人が有用されたのと同じ方法である。

 そのような支配体制はラナ家台頭の104年の独裁政治の時代にも採用され続けてきた。
 グルン、マガール、ライ・リンブー族に忠誠を誓わせ、イギリス軍のグルカ傭兵としての
 特権的地位を与えたのだ。
 それは、死を伴うものであったが。

 この時代、ネワール族は 警察、軍に採用されることはなかったようだ。
 反乱を恐れてのことだろう。下級官吏としての仕事は手にしたようだ。
 タマン族、ネワール族のグルカ兵の話はあまり耳にしないし、軍や警察組織の中にも
 彼らは、数としては極めて少ない。
 それはタマン族においても同様である。
 カトマンズ周辺にかなりの人口を占めていたタマン族の力の増大を
 恐れたこともあったのだろう。
 チベット仏教を信仰するタマン族に対しては、教育の機会も与えないという愚民政策に
 徹するのである。

 240年間のサハ、ラナ家による王制の中で、マガールやグルン族は、
 ヒンズー教に改宗したようである。
 この時代にチベット・インド貿易で利権を与えられたタカリ族などもそうである。
 マガール族は、彼ら本来の土着の宗教があったし、グルン族は仏教徒である。
 チェットリ族支配の政権の中で、生き残るためにはヒンズー教改宗が 
 有利に働いたのだろう。
 見掛けはヒンズー教であるが、葬式などの宗教行事では、
 本来の彼らの宗教儀式を用いていたようだ。
 今グルン族などは、本来の宗教仏教に戻りつつある。
 これも王制廃止などの支配構造の変化によるものだろう。
 ヒンズー教信仰への圧力が失われてきているのである。


++ブログランキングへの協力をお願いします。++

  ** 忘れないで **
       ↓
人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ

日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ


ネパールの事情 | 10:43:01 | Trackback(0) | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する