投稿日:2008-07-16 Wed
大家の家に住むもう一人の老人は、大家の亡くなった夫の父親だ。
彼女の義理の父親だ。
彼も1920年に生まれ、激動の時代を生きてきた人間であるが、
彼の場合は、別の意味で激動だったのだ。
1920年といえば、チャンドラ・シャムシェルジャングバハドール・ラナが
宰相として、君臨していた時代だ。
ネパールの近代化を推し進めながらも、その独裁政治には、変わりはなかった。
シャムシェル・ラナの姓を名乗るものは、A級ラナといわれ、政治の世界、
軍の中で大きな位置を占めていた。
大家の義理の父親は、シャムシェル・ラナの姓を持って、生まれたのである。
決して、政治の中枢にいる家に生まれたわけではないが、多大な土地と地所を
持っていたことは、確かだ。
生まれたときから、85歳に至るまで、仕事もしたこともない。
1950年のラナ家崩壊の時までは、何一つ不自由のない生活だったのである。
30歳以降の彼の人生は坂道を転がるように没落していくのである。
時代が変わったにもかかわらず、放蕩は変わらず、譲り受けた土地も地所も、
切り売りしていき、彼の妻の努力によって、二人の息子、一人の娘は、教育を受け、
二人の息子は、それなりの職業につけたのであるが、もうそのときには、
財産は、すべて使い果たし、借家住まいの有様だったのだ。
子供たちは、何一つ財産というものを受け取ることはなかった。
私がこの家に住み始めた時も、毎晩のように酒を飲んで帰ってきては、
家族とのひと悶着が毎日のようにあった。
こんな話もある。まだ、大家の夫が、健在だった頃のことである。
今の家を建てる前、弟家族とこの家の家族が、一緒に家を借りて住んでいたことがある。
そこに彼らの両親も一緒にいたのであるが、二つの家族は折り合いが就かなくなり、
互いに別々に住むことになった。
そのときに、大家の夫が、自分たちは別に場所に部屋を借りるが、
「お父さんはどうするか」と尋ねると、病弱な自分の妻を次男のところに置き、
さっさと、長男を一緒に住む。
次男と一緒に住めば、酒を飲めば、殴られることがわかっていたからだ。
病弱な妻のことなど、お構いなしなのである。
自分さえ良ければよいと身勝手さが徹底しているのだ。
長男が亡くなった後にも、その妻の父親が建てた家に住み続ける。
実の息子、娘から面倒を見ようという話は、全くないのである。
住み続けることが出来るのは、ネパールの習慣だからであろう。
この家にいても、愛情を得ることはない。
それでもい続ける、それしか彼の生きていく道はないからだ。
自分の道を自分の力で切り開いてきた人生を持つ老人、周りを省みず、
自分だけのことしか考えてこなかった老人、私が住んでいる借家のなかにも、
人生の喜怒哀楽が渦巻くのである。
もう繰り返すことの出来ない人生、後はどういう死を迎えるのか、
それしか残っていない彼の人生である。
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