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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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カトマンズ 続私的借家事情(3)

 再びカトマンズに、帰ってきたのは、9月のことだった。
 もうその時は、大家の主人の姿は、なかった。8月の始めに、自宅で意識不明になり、
 病院に運んだが、意識を取り戻すことなく、病院で亡くなったということである。
 47歳の若さであった。
 酒も飲まず、煙草も吸わず、ただただ、家族に尽くすことだけを、
 喜びとしていた人だった。冥福を祈るばかりであった。

 夫が、ネパール航空に勤めていたことから、ネパール航空では、その当時、
 何らかの形で、家族の一人が、仕事につくことが出来るという慣例があったようだ。
 子供はまだ、就学の身、妻である彼女は、ネパール航空の臨時社員の仕事に就くことが
 できたのであるが、今まで、外で働いたことはない。
 雑用係のような仕事についていたが、折からのネパール航空の財政難から、
 1年もしないうちに解雇されてしまう。

 その間、夫の弟は、兄の財産は、自分の財産だ、2軒あるうちの1軒は、
 自分によこせ、と言って来たりしたが、亡くなった夫の考えで、家は奥さん名義に
 なっており、これは事なきを得た。
 バクタプールの夫名義の土地を、委任状片手に、自分のものだと言い張る始末、
 彼女もかなり、滅入っていた様子であった。

 その頃から、段々と、酒と煙草の世界に入り込んでいき始める。
 まだ、家賃収入の方は、つき1万5千ルピー程度あり、夫の残してくれたお金も
 僅かながらあった。
 一家の大国柱を失った彼女をコントロールできる人間は、もういなくなった。
 あんなに娘のために尽くしてくれた年老いた父親の忠告も聞かず、不安になり、
 寂しくなると深酒になるのである。

 以前から、わがまま三昧であった娘は、母親のこと、家のことなどお構いなしに、
 遊びほうけている。
 息子は、落第ばかりを繰り返し、進学できない。
 夫が、如何に家族を支え続けていたのか、理解しても、自分ではどうすることも
 出来ないのだ。

 そんな状態の中で、年月は過ぎ、わがまま一杯の娘も、どうにか、ネパールでも
 著名な歌手のもとに嫁ぎ、一安心であるが、今度は、収入の面で問題が出てくる。
 私以外の借主の移動が激しく、以前のようには、安定した収入がなくなったのである。
 もう1軒の貸家が空いていることを知ると、家賃を払うからといって住み着くが、
 一向に家賃を払おうとしない。
 孫も生まれたのだが、何かにつけて、孫の世話を押し付ける、洗濯も親に押し付ける。
 とんでもない夫婦なのである。

 娘婿は、決して収入がないわけではなく、別の場所に新居を新築中である。
 自分のお金は自分のもの、人のものも自分のものを地で行く夫婦なのである。
 親も孫可愛さで、言いなりになってしまう。
 大家、いつも、お金が足りなくて、ピーピーも状態であるが、仕事をするつもりは
 ないようだ。
 しかし、尻尾の切れたたこのように、ふらふらと、出歩いている。
 昨日は、酒に酔い、夜遅く、帰って来る。全く困ったものである。
 なくなった夫は、草葉の陰で、嘆いているに違いない。
 息子は、25歳にして始めて仕事に就くが、店の店員では、高収入は期待できない。
 それでも、仕事を始めたことは、1歩前進である。


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ネパールの事情 | 19:28:24 | Trackback(0) | Comments(0)
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