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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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カトマンズ 川辺のシバ寺院‐8 もう1つのシバ寺院
もう1つのシバ寺院 1

もう1つのシバ寺院 2

もう1つのシバ寺院 3

もう1つのシバ寺院 4

もう1つのシバ寺院 5

もう1つのシバ寺院 6

もう1つのシバ寺院 7

もう1つのシバ寺院 8

もう1つのシバ寺院 9

もう1つのシバ寺院 10



 バグマティ川の辺に建つシバ寺院から少し奥まったところにもう1つのシバ寺院がある。
 旅行者などは、ここにヒンズー教の寺院があるなどとは気づかずに通り過ぎてしまうだろう。
 地元の人間だって知らない者は多いかもしれない。
 だから、いつ行っても参拝者に出会うことはない。
 この寺の中に住んでいる人だけが、いぶかしげにこっそりと私のほうを見ているだけだ。

 このシバ寺院は、サハ家の国王を幽閉し、マハラジャとしてのラナ家を創始し、
 ネパールの首相として独裁政治の道を拓いたジャング・バハドール・ラナの死後、
 そのあとを継いだ兄弟のラナ・ウディップが建てたものだ。

 マッラ王朝以後のゴルカ王朝の信仰するヒンズーの神は、シバ、マハデヴィへと移っていく。
 シバ神といえば、獰猛な戦いの神でもある。
 ネパール統一の戦いに明け暮れたゴルカ王朝、その後もイギリスとの戦いに明け暮れていた
 時代には、ヒンズー教のシバ神信仰が 理にかなっている。

 力の強いものが権力を手にすることが出来るという信仰は、ラナ家の中で肉親同士の
 血みどろの争いを引き起こしていく。
 ジャング・バハドール・ラナの息子たちは、叔父から権力を取り返そうとする。
 又、権力の座から引き摺り下ろされ、幽閉の憂き目にあったサハ家の王子たちは、
 権力奪還の道を探り始める。
 それはシバ神がのり移ったとしかいえない血で血を洗うおぞましい時代に入っていくのだ。
 負けてしまえば、処刑への運命が待っているだけだし、暗殺は日常茶飯事、
 戦いに負けたジャング・バハードールの息子、孫、甥たちを待ち受けていたものは、
 ジャング・バハドール・ラナの血筋を抹殺するという悲劇だけだった。
 それを指揮したのは、ジャング・バハドール・ラナの兄弟、ビル・シュム・シェルだった。
 ジャング・バハドール・ラナの直系たちは、カトマンズの中を逃げ惑い、あるものは、インドへ、
 あるものはイギリス大使館へ逃げ込む、ビル・シュム・シェルの執拗な暗殺者の手は
 止まるところはなかった血の時代だったのである。
 そして、それはシュム・シェル・ラナ家の独裁政治の時代への幕開けだったのだ。
 カトマンズの民衆にとっては、鬼神とも思えたシュム・シェル・ラナ家の恐怖政治の
 始まりでもあった。

 その幕開け前に建てられた寺院がこのシバ寺院である。
 バグマティ川の辺に佇むサハ家によって建てられたシバ寺院、そしてこのラナ家によって
 建てられたシバ寺院といい、血みどろの争いを予兆するようなシバ寺院の建立だ。
 寺院を形作っている3つの塔は、いかにも威圧的である。
 威圧的であるというのがラナ家の象徴なのだ。ここには融和という柔軟さは感じられない。
 寺院の中心では、シバ心の象徴であるリンガが薄暗い部屋の中で、僅かの光を浴びて
 浮き上がっていた。

 そんなことがあったのかとそ知らぬ顔をして、今、このシバ寺院は静けさの中で参拝者もなく
 佇んでいる。
 静寂だけが、寺院の敷地の中を覆っているだけだ。
 境内で眠り込んでいる一匹の犬も、ひたすら平和な午後の時をむさぼっている。
 警戒は怠らず 時より、私のほうに眼を向けていた。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 10:13:08 | Trackback(0) | Comments(2)
コメント
日本の戦国時代と同じですね。
2008-06-25 水 23:46:55 | URL | tougei1013 [編集]
そうですね。
ただインド系のアーリア人種、徹底しているみたいですね。
同じネパール人でもモンゴリアン系の人たちは、そうでもないみたいです。
だから、インドからの侵入者にうまくしてやられたみたいです。
2008-06-26 木 00:10:35 | URL | ひかるの [編集]
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