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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

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カトマンズ 川辺のシバ寺院‐2 寺院を飾る木工芸
川辺のシバ寺院‐2 寺院を飾る木工芸 1

川辺のシバ寺院‐2 寺院を飾る木工芸 2

川辺のシバ寺院‐2 寺院を飾る木工芸 3

川辺のシバ寺院‐2 寺院を飾る木工芸 4

川辺のシバ寺院‐2 寺院を飾る木工芸 5

川辺のシバ寺院‐2 寺院を飾る木工芸 6

川辺のシバ寺院‐2 寺院を飾る木工芸 7

川辺のシバ寺院‐2 寺院を飾る木工芸 8


 このシバ寺院には 寺院を飾る神々の姿をかたどった木彫りの像が彫りこまれている。
 この木工芸は、マッラ王朝時代に建てられた寺院に数々の優れた木彫りの彫刻を施した
 ネワール族の仏教徒の職能集団 ウダースの中のシルッパカールたちの仕事である。

 時代は マッラ王朝からゴルカ王朝に変わっても、その優れた技能は、新しい王朝の
 中でも愛され、重宝されたに違いない。
 ゴルカ王朝初期においては、ネワール族の仏教徒の職能集団 ウダースには活躍の場が
 充分に残っていたようだ。
 国王を幽閉し、首相として、マハラジャとして 権力を手にしたラナ家独裁政治の時代に移ると、
 イギリスから建築家、建築技術者を招聘し、ヨーロッパ様式の建造物を建てることが多くなる。
 それにしたがって、職能集団 ウダースたちの活躍場所は失われ、
 マッラ時代には その豪華さを誇った工芸文化も衰退していったのだ。

 その最後の輝きが この寺院の木工芸には残っている。
 寺院の柱に彫りこまれた精緻な模様、神々や魔物たちの顔、あるいは壁や扉に惜しげもなく、
 シルッパカールの心をこめた仕事が見られる。
 あるものは時代の推移とともに、朽ち果てていきつつある。
 その風情が深い味わいをかもし出し、心に働きかけてくる。

 ゴルカ王朝時代にネワール様式で建てられた建造物といえば、その数は少ない。
 大半はゴルカ王朝初期の王や后によって建てられたものだ。
 その当時の主だったものといえば、カトマンズの旧王宮広場にあるゴルカ王朝創始者の
 プリティビ・ナラヤン王の建てた宮殿、ツリプレソールにあるラナバハードール王の后が
 建てたツリプレソール・マハデヴィ寺院、そして、やはり、后の建てたこのシバ寺院などである。

 マッラ王朝時代の競うようにして建てた寺院の数に比べれば、この240年の歴史を
 持つゴルカ王朝の建てた寺院の数は微々たる物だ。
 サハ家からラナ家へ、そして王政復古を経て再びサハ家へと権力は移ってきたが、
 その流れの中で起きた血生臭い争いは、人々から神々への信仰を奪い取ってきたのかも
 しれない。

 王は国民の手本でなくてはならない。
 国王は 国民に慈悲を与え、国の繁栄をもたらす威力を持ち、国を擁護する存在であると 
 ヒンズー教の聖典には書かれている。
 それを実践した王は、この240年のゴルカ王朝の歴史の中で、何人いるだろう。

 そのことは これから、民衆の歴史を探る中で 実証されていかなければならないことだ。
 民衆の歴史を語る歴史家が、このネパールに生まれてくることを切に願う。
 民衆の歴史が、自由に語れる時代、民衆の歴史を語ることが価値を持つ時代になった
 時に初めて、ネパールの民主化は始まったといえるだろう。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 09:45:05 | Trackback(0) | Comments(0)
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