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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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カトマンズ ネワール族 仏教徒の悲哀‐6
カトマンズ ネワール族 仏教徒の悲哀‐6 1

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カトマンズ ネワール族 仏教徒の悲哀‐6 6

カトマンズ ネワール族 仏教徒の悲哀‐6 7

カトマンズ ネワール族 仏教徒の悲哀‐6 8


 ラナ家独裁政治の中で ネワール族の生活はどう変化していったのだろうか。

 ネパールはラナ家のみにあるという独裁政治は、首相職を世襲制にし、カトマンズの
 至るところに ラナ家の息子たちのための豪奢な宮殿を建て、ラナ家の家系に
 つながる者たちで 官僚、軍隊の中での上級将校は占められ、イギリスへの留学の
 機会も A級ラナと呼ばれるシェムシェル・ラナ家直系のみに与えられ、
 民衆には教育の機会は与えられなかった。
 学校づくりが行われるようになったのも、ラナ家末期のことである。
 それまでは、他民族に対する徹底的な愚民政策を続けていたのだ。

 逆らうものには徹底した重罰を与え、気に入らないものは 意のままに排除していった時代
 だったのである。
 ラナ家の言うことが 法だったのだ。
 そして、ラナ家の地位を確実にするために、サハ王家が 妃を迎えるときには 
 必ず 妃は ラナ家からというルールも確立していったのである。

 イギリスへは イギリス軍傭兵グルカ兵として グルン、マガール、ライ、リンブー族を送り出し、
 イギリスから 莫大な見返りを得ていたのだ。
 一体何人のグルカ兵が イギリス軍の戦いの最前線に立ち、命を落としていったのだろう。
 命を落としても、得るお金は、イギリス兵の何十分の一にも満たなかったのである。

 ヒンズー教至上主義を掲げたラナ独裁政治は ネワール族の仏教徒たちへの圧迫へと
 つながっていった。
 仏教徒の多かったパタンでは、サッキャ・カーストの仏教僧侶たちは、カトマンズ追放、
 ネパール追放の憂き目に合い、あるものはチベットへ、あるものはインドへと
 逃れていったのだ。
 サッキャ・カーストの宗教施設バハールと呼ばれる建物から 僧侶の姿が消えたのは
 このラナ独裁政治の折のことだった。
 毎年、パタンで行われる仏陀生誕節のお祭りの時には、その時代の悲しみを歌に託して、
 行列は、その悲しい歌を歌いながら、街の中を練り歩く。

 仏教徒たちは ラナ家の恐怖政治から逃れるために、ヒンズー教の儀式も取り入れるように
 なっていく。
 殺傷を禁じる仏教の教えとは裏腹に、ヒンズー教徒のダサインの祭りには、山羊、アヒルを
 生贄に捧げるようになっていく。
 ラナ家への従順を示すためである。
 ラナ家に逆らうことは、死を伴うくらい危険なことだったのだ。
 気に入らない相手を抹殺するには、ラナ政権に密告するだけで充分だったはずだ。

 イギリス様式の建造物に憧れるラナ家のものたちは、イギリス様式の宮殿、豪邸を建て、
 寺院といえば、インド様式の寺院が建てられ、ネワール族の仏教徒の工芸職人の仕事は
 先細り、ネワールの工芸文化は停滞していくのだ。
 インドのマルワリ商人に ネパールの商業活動に利権を与えることで ここでも莫大な財を
 得ていたのである。
 インド、チベット貿易の覇者だったネワール族は、ここでも力を失っていくのである。
 チベット貿易では、西のタカリ族が 台頭してくるのである。

 ネワールの農民カーストにおいても同じことである。
 ラナ家が ここに家を建てると決めれば、容赦なく農地は、何の保障もなく取り上げられて
 しまったのだ。
 土地は個人のものではなく、国王のものだったのである。
 国王を幽閉し、実権を奪い取ったラナ家にとっては、何事も意のままであり、
 反逆すれば、死が待っているだけだったのだ。

 こうした当時の残虐性は、今でも警察、軍の中には残っているのである。
 つい最近まで続いた毛沢東主義共産党と政府の戦いの中で、毛沢東主義者の疑いを
 かけられ、軍や警察に拉致されたものの多くが、軍、警察による拷問、強殺によって、
 命を失っていったというのは周知の事実である。
 チェットリ族の下位カーストに対する残虐性は、
 今でも軍や警察内部に脈々と息づいているのである。


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カトマンズ ネワールの街と文化 | 01:43:23 | Trackback(0) | Comments(0)
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