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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

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ネパール パタン‐13 ネワール族のサッキャの二つの寺院‐2
ネワール族のサッキャの二つの寺院‐2 1

ネワール族のサッキャの二つの寺院‐2 2

ネワール族のサッキャの二つの寺院‐2 3

ネワール族のサッキャの二つの寺院‐2 4

ネワール族のサッキャの二つの寺院‐2 5

ネワール族のサッキャの二つの寺院‐2 6

ネワール族のサッキャの二つの寺院‐2 7

ネワール族のサッキャの二つの寺院‐2 8

ネワール族のサッキャの二つの寺院‐2 9
 

 パタンの旧市街には ネワールの仏教徒カースト サッキャ、バジャチャーレの人たちが、
 サンカ(日本の檀家のようなもの)のメンバーになっている15のマハビハールが
 あることは、前回話した通りだが、サッキャ・カーストの人たちが多く住む地区に
 大半のメンバーがサッキャ・カーストの人たちであるマハビハール ルドゥラヴァルナ・
 マハビハールがある。
 ここでもサンカのメンバーの男であれば、一生に1度 15日間 このビハール(寺)に
 篭る必要がある。
 大体の34歳前後のときに順番が回ってくるようになっているようだ。

 このマハビハール、あの有名なゴールデン・テンプルに対抗するように存在しているようで
 あるが、寺の中に置かれている像などを見ると、仏教的な雰囲気が損なわれているように
 しか思われない。
 仏教寺院というより ヒンズー教の寺院に近い雰囲気がある。
 どこかからか寄付されたというライオンの像、フライング・ホースという山羊のような
 薄気味悪い動物の像、あの悪名高いラナ専制時代の首相の銅像、何かちぐはぐな感じなので
 ある。

 寺そのものはリッチャビの時代に建てられた古いものなのであろうが、時代の変転、
 支配者の交代にあわせ、その都度、いろいろなものを付け足していったという姿だ。
 だから、この寺の中にいても落ち着いた気分にはなれない。

 15日間、この寺に篭るためにこの寺にいる男も、着ているものは普段着だし、
 朝夕の祭儀の際には、別のものを身につけるという簡素さである。
 修業的な意味合いより、寺の警備に来ているといった様子だ。
 15あるマハビハールもサンカの運営、考え方によって、その修行の仕方もいろいろなのだろう。

 ネパールの仏教といえば、主にタマン族、シェルパ族などの民族が信仰するチベット密教、
 そしてネワール族の信仰するテラワーダ仏教の二つがある。
 チベット密教などは ラマ僧が中心になって民衆の間に信仰を広げ、民衆の間で広まって
 行ったようだ。

 しかし、古い歴史と文化を持つネワール族の中では、仏教は特権階級のものにとどまり、
 大きな広がりを見せていない。
 本来 ネワール族のサッキャ、バジャチャーレが仏教の布教に努める必要があると思うが、
 彼らのサンカという組織は、彼らだけが所属することを許し、他のカーストの人間を受け入れないと
 いう閉鎖的なものである。

 ネワール族の中にも農民カーストのマハルザン、ウダースと呼ばれている職能カースト
 (トゥラダー、シルッパカールなど)、マナンダール(菜種油の製造に従事)など多くの
 仏教徒がいるが、祭儀の時にバジャチャーレを呼ぶくらいで、彼らの中で、サッキャ、
 バジャチャーレが仏教の教えと伝える中心的な存在になってはいないようだ。
 それは1つには、サッキャ、バジャチャーレが仏教の持つ平等思想を正しく理解せず、
 ネワール族の仏教のなかに カーストのような身分制度を設け、自らを仏教徒の特権階級に
 仕立て上げてしまったからだ。
 そして、仏教思想を深めることなく、彼らの祭儀の中に仏教を押し込めてしまったことにもある。
 習慣的には、サッキャ、バジャチャーレは彼らのカーストの中だけで結婚し、
 他のカーストの人たちとは結婚しないし、家の中に低カーストの人々を受け入れることもしない。
 こうした彼らの生活態度は、仏教の布教とは無縁のものである。

 又、ネパールでは、長く修行したテラワーダ仏教の僧侶も少なく、その役割は、
 非常に狭い範囲内にとどまっている。
 何年にもわたって修行した僧侶の仏教に関する知識が生かされる機会が少ない。
 そのために正しく仏陀の教えが伝わっていく機会も少ない。

 そのために仏教徒でありながら、ヒンズー教の神も信仰するというおかしなことも起こる。
 仏陀は他の神々と同じ価値を持つ御利益のある神々という存在になり、仏陀の説いた
 教えはどこかに行ってしまう。
 そんなネパールのネワール族の仏教社会である。


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ネパール パタン | 13:30:43 | Trackback(0) | Comments(0)
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