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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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ネパール バクタプール‐4 通りの風景
通りの風景 1

通りの風景 2

通りの風景 3

通りの風景 4

通りの風景 5

通りの風景 6

通りの風景 7

通りの風景 8

通りの風景 9

通りの風景 10

通りの風景 11


 マッラ王朝時代に造られた共同水場 ドゥンゲダーラを横目にみなから、
 タチュパル広場を後にして、トウマディ広場に向かって歩いていく。
 この道筋がバクタプールのメイン・バザールだ。
 店で売られて商品は、昔とは様変わりしてしまったけれど、建物はそのままの姿だ。
 年寄りたちは昔ながらののんびりした商いをしている。
 通りの中心にやってくると、バクタプールの農民カーストのキッサンたちが、楽器を
 打ち鳴らしながら、通り過ぎていく。
 中高年の集団だ。
 近頃の若者たちは、こうした伝統的な音楽には 興味を失っているのだろう。
 老人たちは昔を懐かしむように、徒党を組んで街の中を練り歩く。
 明日の祭り、ビスケット・ザットラを楽しむために。

 トウマディ広場に近づくにつれて、マッラ王朝時代の支配階級たちの多くすむ地域へと
 入っていく。
 シュレスタ、プラダン、アマチョ、ジョイシーなどの支配カースト人たちの住む地域である。
 彼らは主にヒンズー教を信仰する。
 ヒンズー教の王は神であるという神王思想は、国の統治を容易にする。
 タイでも、カンボジアでも、インドのヒンズー教の神王思想を取り入れている。
 王はヒンズー教の神 ビシュヌの化身であるという思想だ。
 マッラ王国は、ヒンズー教を取り入れ、平等思想を持つ仏教徒たちを支配下に
 おいていったのだ。
 後に マッラ王国を侵略し、カトマンズ盆地を支配したゴルカ王朝も同じ支配体制を
 とっていった。

 マッラ王朝の三国時代、カトマンズ、パタン、バクタプールと三つに分かれた王朝の
 1つ このバクタプールに ゴルカ王朝の始祖 プチティビ・ナラヤン・サハは、
 行儀見習いとして、入り込み、カトマンズの支配体制のすべてを探っている。
 そして、この王国を奪い取るための策を練るのである。
 無防備な外交能力のなさ、カトマンズ盆地の中にしか関心を持たなかった心の狭さが、
 マッラ王国の崩壊を招いたである。
 それはラオスのラオ族のランナー王国が ビエンチャン、ルアンパラバン、
 チャンパサックと三つの王国に分かれ、そのためにシャム(タイ)王国に滅ぼされて
 いくのに似ている。時代も同じ頃のことだ。

 それにもかかわらず、ネワール族、特にバクタプールでは色濃くネワール文化が
 残っている。
 カトマンズやパタンと違って カトマンズ盆地の中心から離れていることから
 バクタプールの旧市街の大半はネワール族によって占められている。
 カトマンズやパタンは旧市街の中にも多くの他民族が住みつくようになっている。
 そのためネワール族独特のつながりの強い共同体意識が失われていっている。
 カトマンズのネワール族などは、古い狭い住居を貸間にして、カトマンズ郊外に
 新しく家を建て始めている。
 まだ、バクタプールではそんなことはないようだ。
 何度もここに通えば、バクタプールのネワール族の共同体の姿がわかるだろう。
 そんなことに興味は湧いてくる。


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ネパール バクタプール | 12:10:21 | Trackback(0) | Comments(0)
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