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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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カトマンズ ハヌマン・ドカの木工芸‐2
ハヌマン・ドカの木工芸‐2 1

ハヌマン・ドカの木工芸‐2 2

ハヌマン・ドカの木工芸‐2 3

ハヌマン・ドカの木工芸‐2 4

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ハヌマン・ドカの木工芸‐2 9

ハヌマン・ドカの木工芸‐2 10

ハヌマン・ドカの木工芸‐2 11


 カトマンズ盆地に2000年にわたって住み続けているネワール族の人々、
 彼らは本当に木工芸を愛する人々なのだろう。
 カトマンズのハヌマン・ドカ周辺のマッラ王朝時代に建てられた寺院、王宮、
 クマーリの館、どの建物にも素晴らしい彫刻が施されている。
 窓の一つ一つに、当時の木工芸の巨匠たちの創意工夫が現れている。

 マッラ王朝を征服した、もっと厳しい言い方をすれば、ネワールの土地を奪った
 サハ(ゴルカ)王朝は、こうした工芸を保護することなく、
 その後のラナ専制においては、イギリスの建築様式を真似るばかりで、
 その愚民政策の中で他民族を抑圧し続け、ネパールの山岳民族を、ゴルカ兵、
 イギリスの傭兵として身売りすることで巨額の富を蓄財していった。
 この時代に優れた工芸が生まれていないことは、如何にネパール独自の文化を
 ないがしろにし、インド文化、西洋文化に傾倒していったかが、わかる。

 こうした中断がなければ、カトマンズの木工芸は、世界に名だたるものに
 なっていただろう。
 商いによって得た富を喜捨することで、寺院を造り続けていたネワール商人は、
 インドのマルワリ商人に取って代わられてしまう。
 ラナ家がマルワリ商人を優遇することで、ネワールの大商人たちは、その地位を
 マルワリ商人に奪われていく。
 マルワリ商人は、商売で得た利益はすべてインドへと持ち帰る。
 富はすべてインドへと流れていくのである。
 なんと愚かな政策であったことか。
 このことで、ネパールの経済は、インド マルワリ商人に今も 牛耳られているのだ。
 そして、その周りには王族、官僚、政治家がダニのようにまとまりついている。

 商売によって得た富が、寺院、公共福祉へと循環していくシステムが失われていく。
 その中では、更なる工芸の発展はなかったと言っても良い。
 だから、マッラ王朝崩壊以後、素晴らしい木工芸の粋を尽くした素晴らしい遺産は
 生まれてはいない。

 すべての悪循環がこの国を覆い尽くしている。
 それが、マッラ王朝時代の遺跡の保存をこんなにしている。
 カトマンズの優れた建造物は、ネワール族の遺産であることから、
 権力を握るバウン族、チェットリー族の関心の外にある。
 だから、政府は保存、修復には関心を示さない。
 全くの朴念仁だし、田舎者なのである。文化を理解しない山奥の野蛮人なのである。
 政治家として、権力者としてカトマンズで君臨しても、自らの蓄財のみに走る野蛮人
 にすぎない。
 それがネパールの不幸である。


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カトマンズ 街の風景 | 01:45:04 | Trackback(0) | Comments(0)
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