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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

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バンコクを歩く-5 ラーマ5世と棟割長屋
バンコクを歩く-5 ラーマ5世と棟割長屋 1

バンコクを歩く-5 ラーマ5世と棟割長屋 2

バンコクを歩く-5 ラーマ5世と棟割長屋 3

バンコクを歩く-5 ラーマ5世と棟割長屋 4

バンコクを歩く-5 ラーマ5世と棟割長屋 5

バンコクを歩く-5 ラーマ5世と棟割長屋 6

バンコクを歩く-5 ラーマ5世と棟割長屋 7


 ロッド運河の外側に並ぶ一階が店舗になっている長屋風の建物の多さには、
 全く恐れ入ってしまう。すべてが王室財産管理局のもので、ラーマ5世の時代に
 建てられたものであるという。この長屋の店子は大半が中国人であり、家賃収入は
 当然 王室財産管理局に入る。

 ラーマ5世が王位に就いたのは、1968年 15歳のときである。
 ペルシャから四百年前にやって来たイスラム商人のシェイフ・アフマドの末裔のうち、
 仏教徒に改宗し、王室との通婚を繰り返す中で、権力の中枢部に入り込み、
 当時最大の権力者であったブンナーク家の影響力は大きく、摂政、副王の任命も
 ブンナーク家の承認が必要で 国王の意のままにはならなかった。
 国を左右する実権はブンナーク家にあり、国の主要な部署にはブンナーク家の力が
 及び、国の財政はブンナーク家によって牛耳られていた時代だった。
 1873年 ラーマ5世20才のとき、ヤング・サイアムという親王たちからなる、
 青年右翼組織を組織し、ブンナーク家と癒着していた副王を 組織の新聞で
 批判するも 逆にこの批判によって、副王宮殿は武装し、ラーマ5世はあわてて
 武装解除を促したために 副王のクーデターは未遂に終わったという出来事もあり、
 ブンナーク家の影響力を殺ぐには、よくよく慎重に行動する必要があることを
 知ったのである。
 その頃は国家財政の一切をブンナーク家が取りしきり、国王であるラーマ5世ですら、
 自由にお金を使うことは出来なかったのだ。

 ラーマ5世が国王としての力を発揮できるようになったのは、
 摂政であるチュワン・ブンナーク、ウィチャイチャーン副王の死後、
 1885年 32歳のときからである。ダムロン親王などの王族を権力の中枢へと
 取立て、本格的な国内改革 チャックリー改革が始まるのである。

 ラーマ5世が早急に改革すべきものの一つに、王室の財政の再建があった。
 1855年の外国に対する門戸開放によって、国王独占貿易制度は廃止され、自由貿易に
 なり、王室の財政は悪化する一方だったのである。
 その解決のために1890年『王庫局法』が制定され、国王の資産、収入の国家行政部分
 からの分離が行われ、王庫局が設置された。それが現在の王室財産管理局の全身である。
 当初は、国家収入の15%が王庫局に当てると決められていたが、実際にはそれだけの
 支払いはされておらず、後には定額制度になっている。
 ブンナーク家の影響力を殺いだあとから、ラーマ5世の王室財政の改革に手をつけていくのである。
 国家財政の中から王庫局に割り当てられた資金を元に、様々の投資に乗り出していく。
 銀行、セメント会社、土地の売買とその投資は多岐に渡っている。
 160人にも及ぶ正・側室、そして77人の子供たち、そして王族たちの生活を
 支えていくためにあらゆる知恵を絞ったのである。
 その一つの投資がラーマ5世によって建てられた商店付の二階建ての棟割長屋なのだ。
 このロッド運河沿いのみならず、バンラックから中華街へとつながるチャロン・クルン道路沿いの
 棟割長屋も当時立てられたものであり、オンアン運河沿い、主要道路沿いの
 そうした建物はすべて王室財産管理局のものである。市場などもそうである。
 その家賃収入だけでも 莫大なものであろう。
 ここにラーマ5世の先見の明を感じる。このラーマ5世の超人的な努力のお陰で、
 後の王室は苦労せずに済んでいる。

 運河沿い、主要道路沿いのこうした長屋について、店子に聞いてみたが大半が、
 王室財産管理局のものであるという答えが返ってきた。店子の大半は華人である。
 中には、寺院所有のものもあったが、数としては多くはない。
 ただ王室管理局のものに比べると 家賃は安く、月百、二百バーツであるが、
 その時々で寺院に対して 別に喜捨をする必要があるという。
 寺院の店子も、やはり大半は華人である。
 華人、中国人たちはこのタイにおいては、王室からも、寺院からも恩恵を
 受けている人たちだと、しみじみ感じ入ってしまった。


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バンコクを歩く | 12:18:18 | Trackback(0) | Comments(0)
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