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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

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バンコクを歩く-2 キリスト教徒の住む街‐3
バンコクを歩く-2 キリスト教徒の住む街‐3 1

バンコクを歩く-2 キリスト教徒の住む街‐3 2

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バンコクを歩く-2 キリスト教徒の住む街‐3 6

バンコクを歩く-2 キリスト教徒の住む街‐3 6

バンコクを歩く-2 キリスト教徒の住む街‐3 7


 ラーマ3世の時代の1834年にベトナム玩朝の明命帝のキリスト教徒迫害を逃れて
 バンコクにやって来た1350人のベトナム人キリスト教徒は、ラーマ3世の許しを得、
 この地に住むことをなる。
 しかし、急激なベトナム人の増加によって 前からあったConception Churchだけでは
 カソリック教徒を受け入れることも困難になり、新たな教会が必要となった。
 そこで1834年ラーマ3世は Conception Churchのそばに新たに建てられる教会のための
 土地と資金を提供し、ベトナム人キリスト教徒は そこに竹を使って教会を建て、
 あの名高いイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルの名を教会に名づけた。
 しかし、その教会は1837年の台風で破壊され、今度は木造の教会が再建された。

 このフランシス・ザビエル教会については、ラーマ4世と
 Conception Churchの宣教師 Monsignor Pallegoixとの出会いについて書き記す必要がある。
 ラーマ3世の時代、モンクット親王(後のラーマ4世)は仏門に入り、僧侶として
 修行に励んでいた。
 本来の王室のきまりからすれば、ラーマ3世の弟であるモンクット親王が
 ラーマ2世の次に王位を継ぐ王位継承順位第一位の位置にあったのだが、
 王室内で王位継承についていざこざがあり、
 それを避けるために兄であるラーマ3世に王位を譲り、仏門の道に入った人である。
 知識欲旺盛な人物で、僧侶であった時代から、ヨーロッパ文化に興味を示し、
 そんなことから、宣教師 Monsignor Pallegoixとの付き合いが始まり、
 モンクット親王は 宣教師 Monsignorからラテン語を学び、宣教師 Monsignorは
 モンクット親王から仏教語であるパーリー語を学ぶという関係になる。
 そうした関わりから二人は深い友情を結ぶことになるのである。
 宣教師 Monsignorもなかなかの人物で優れた外交家でもあったのだろう。
 こうした二人の関係は、モンクット親王が27年間の仏門生活を止めて、
 ラーマ4世として王位に就いたときに生きてくるのである。

 1851年にラーマ4世として王位に就いたモンクット王は、
 増え続けるカソリック教徒のためにより大きな教会が必要だという
 Monsignor司祭の訴えを聞き、教会建設に必要な土地を寄贈した。
 モンクット王との深いつながりがあることから、
 Monsignor司祭の教会建設のための寄付金による資金集めは 容易に進み、
 ヨーロッパ様式の教会を建てる準備も整い、1853年の着工から10年の月日を経て、
 現在の形の教会が完成したのである。

 聡明なモンクット王も Monsignor司祭から迫り来る列強による植民地化の波に
 ついては聞いていたのであろう。
 フランスの象徴であるカソリック教をどう取り扱うのが賢明であるかを知り尽くしていたはずである。
 ここにもタイ上層部の伝統的な外交上手が姿を現すのである。
 明らかに国力において勝るものについては、忍耐を持って対応し、
 国力に劣る国に対しては武力によって侵略、支配していくという対上層部の外交の
 二面性が感じ取れる。
 その象徴的な場所が、二つの教会を持つこの地区である。

 この東南アジアにおいては、ベトナム人は 中国人についで、商売上手の民族である。
 なかなか本音を見せない人たちだ。賢いといえば賢いが、扱いにくい人たちだ。
 利用できるとなれば、ベトナム人であることを主張するが、そうでなければ、
 ベトナム人であることを隠すこともある。
 ラオス人やカンボジア人とはその点は違う。
 中国人と違って、堂々としたところがなく、賢いのであるが 風格がない。
 タイに移住してやってきていても、うまくやっているなという感じがしてしまう。
 この地区に二つの教会が生まれてしまったのも、
 先住者のポルトガル人、カンボジア人との軋轢があったのではと思えてしまう。
 邪推であろうか。
 この地区でいろいろ話を訊いてもなかなか心を開かず、
 警戒心を見せるのはベトナム人だった。

 日曜日に大きな行事があるらしく、教会の墓地の掃除に余念がないベトナム人たちであった。
 何を訊いても打ち解けて笑いながら、話をすることの出来ないベトナム人の子孫であった。

 ベトナム人を信者とするフランシス・ザビエル教会はどんどん発展し、
 素晴らしい付属大学を持つまでに至っている。
 素朴なままのConception Churchとは違うようである。


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バンコクを歩く | 14:28:29 | Trackback(0) | Comments(0)
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