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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

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バンコクを歩く-2 キリスト教徒の住む街‐2
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 この地域には バンコクで最も古いカソリックの教会がある。
 その名前はImmaculate Conception Church(無原罪の聖母教会)である。
 ポルトガル人の奉仕に対して 1674年アユタヤ王朝のナーラーイ王(1657~1688)が
 ポルトガル人にこの地に土地を与え、教会を建てることを許した。
 そして、ラーマ1世の時代の1784年 ポルトガル人とカンボジア難民によって
 再建され、Bot Ban Khamen(カンボジア村教会)と呼ばれるようになる。
 このカンボジア人に対して、Kui,Kuayと呼んでいることからすれば、
 タイ、カンボジア国境周辺のカンボジア人で タイに戦争捕虜として連れてこられた
 キリスト教のカンボジア人の集団であったか、仏教国である当時のカンボジアで
 キリスト教徒ということで迫害を受け、タイ・カンボジアの戦いでタイ側に協力し、
 タイに逃れ、優遇されたのかもしれない。
 あるいはアユタヤ王朝時代にポルトガル人の影響を受け、
 キリスト教徒になっていたカンボジア人が、アユタヤ滅亡の折、
 ポルトガル人と一緒にこの地にやってきたのかもしれない。
 いろいろ想像はめぐるけれど、土地の人に訊いても定かでない。

 ラーマ1世の時代には多くのカンボジア人の戦争捕虜が連れてこられ、
 バンコクの王都建設に強制労働させられている。
 ポルトガル人たちは傭兵としてアユタヤ王朝、チャックリ王朝にも協力しており、
 アユタヤ滅亡の際には、多くのポルトガル人たちが、ここにもやってきたのだろう。
 トンブリ地区のサンタクルーズ教会とともに、
 ポルトガル人にとっては大切な歴史的な意味を持つ教会である。

 その後、ラーマ1世、2世の時代にはベトナム人の多くのキリスト教徒が
 この地にやってくる。
 当時のベトナムの玩朝は、タイの王やフランスの宣教師など支援を受けて成立した国であるが、
 2代目の明命帝(1819~1840)の時代にタイやフランスとの関係が悪化し、
 タイとはカンボジアやラオスをめぐっ泥沼の戦争状態に入っていき、
 フランスとの関係は断絶し、キリスト教徒の弾圧を始め、
 1836年にはヨーロッパ宣教師7名が死刑となり、
 数百の教会が破壊され、弾圧を恐れたキリスト教徒は山野に逃れている。
 ちょうどラーマ3世の時代にあたり、タイとベトナムとの戦いで、多くのベトナム人が
 戦争捕虜としてバンコクに連れてこられている。
 弾圧されていたベトナムのキリスト教徒たちは、タイ側につき、協力もしただろう。
 この時代からベトナムのキリスト教徒たちの苦難の時代が始まるのである。

 しかし、1834年 ベトナムの明命帝のキリスト教徒迫害によりタイにやってきた
 ベトナム難民は、むしろ優遇され、Conception Churchの近くに住むことを許される。
 その数は1350人に上る。1934年Conception Church は再建され、
 Bot Ban Yuan(ベトナム人村教会)と呼ばれるようになる。
 1847年には フランス人の名高いMonsignor Pallegoix司祭の協力のもとに
 現在の姿の教会の建物が建てられたのである。

 ただ、面白いことに この教会の敷地の中には、3つの様式の建物がある。
 教会の敷地の正面にはヨーロッパ様式(1847年)、
 その教会の後ろにくっ付いて建てられているどこかベトナム様式の建物、
 そして、その後ろに少し離れてカンボジア様式建物がある。
 もしかしたら、今の教会が建てられる前は、ポルトガル人、カンボジア人の集団と
 新しくやって来たベトナム人の集団とは別々の建物で礼拝していたのかもしれない。

 その後、ベトナム人は増え続け、新しい教会が必要となり
 ベトナム人たちは 今のセント・フランシス・ザビエル教会に移っていくことになる。

 今ではこの教会は、ポルトガル人とカンボジア人のキリスト教徒の子孫たちによって
 運営されているようだ。
 特にポルトガル人の末裔たちはこの教会に誇りを持っているようだ。
 この教会について、いろいろ説明してくれるのはポルトガル人の末裔たちである。
 カンボジア人の末裔たちの数は少なくなっている。
 この地域では、ベトナム人に押されて、少数派になっているが、大変友好的な人々で
 墓地なども積極的に案内してくれる。
 今は教会の内部は、再築中で、何も見ることは出来なかった。
 遠いラテン系のなせる業なのか、ポルトガル人の末裔たちは明るくて、
 友好的なことには驚いてしまう。
 写真を撮られることなどは、全く気にしないおおらかさがある。


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バンコクを歩く | 14:04:09 | Trackback(0) | Comments(0)
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