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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

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バンコク 古き時代の名残を求めて 中華街からバンラックへ-4
バンコク 古き時代の名残を求めて 中華街からバンラックへ-4  1

バンコク 古き時代の名残を求めて 中華街からバンラックへ-4  2

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バンコク 古き時代の名残を求めて 中華街からバンラックへ-4  5

バンコク 古き時代の名残を求めて 中華街からバンラックへ-4  6


 リバーシティ、シェラトンホテルの前を歩き始める。
 この辺にたむろしているタクシーは観光客相手で性質が悪い。
 しきりに声を掛けてくるが、知らん顔をして通り過ぎる。
 チャオプラヤ川沿いを歩きたいのだが、ホテルやビルが川沿いに建ち並び、
 歩いていくことは出来ない。一旦チャロンクルン道路に出るより仕方がない。
 この道はバンラック地区の主要道路で中華街へとつながっている。

 中央郵便局の手前の路地には、インド系の人たちが集まるレストランがある。
 そこへ行き、話しかけると、
 インド系のミャンマーからやって来たイスラム教徒だと言う。
 どうも大半は密入国してきたらしく、カメラを向けると嫌がって逃げてしまう。
 その中にネパール人もいた。ネパール語で話しかけると、びっくりしていた。
 彼の父親の代に バンコクにやってきて、彼はバンコクで生まれたと言う。
 ビルマにも多くのネパール人が住んでいる。
 このレストランがインド系ビルマ人たちの情報交換の場所なのだろう。
 中華街のパフラットのインド人街のインド人たちは、
 直接インドからやってきているインド人たちだ。
 それぞれの縄張りがあるのだろう。
 正式なルートでやって来ている人は頼むと写真を撮らせてくれる。
 彼らはビルマ(ミャンマー)がイギリス植民地時代に、インドからビルマに移住した
 イスラム教徒たちである。
 マンダレーあたりにはかなりのイスラム教徒がいるという話だ。
 タイ・ビルマ国境のターク県のメーソードあたりにもかなりのビルマから移民の
 イスラム教徒がいるらしい。
 国籍、無国籍の者を含めると、タイには数十万人のビルマ人がいるとされている。
 インドの出身地を聞くと、グジャラートのスラット、カルカッタ、バングラディッシュの人が多く、
 ほとんどの人が、ウルドゥ語を話すことが出来るようだ。

 ミャンマーのイスラム教徒としばらく話をして、中央郵便局の前を通り過ぎ、
 川沿いを目指して路地に入っていくと、イスラム教徒の居住区に入ってしまった。
 そこにはモスクもあった。そのモスクの名前はハルーン・モスクだった。

 ハルーン・モスクは バンコク(トンブリ地区を除く)では最も古く
 1820年に最初に建てられている。
 このモスク周辺に住んでいるイスラム教徒は、インドのマドラスあたりから
 やって来たタミル人の末裔のようだ。

 1857年にイギリスがタイと結んだボーリング条約(英タイ友好通商条約)は
 イギリス人の治外法権を認めた不平等条約であった。
 イギリス本国及びイギリス領の国の人々は『保護民』をして、自由に商売が出来、
 土地も買うことが出来たのである。
 そのため、イギリス領であったインド、ビルマから多くの移民が『保護民』として
 タイに入り込んできたのである。
 その時代に移民、あるいは商人としてインドのマドラスからも
 多くのタミル人のイスラム教徒が やってきて、宝石の商いを生業とした。
 この近辺には宝石店が多く、タミル人が中心に商いをしており、
 中華街、スクムビットにも進出しているようだ。
 ラオスのビエンチャンでも宝石店を経営しているタミル人のイスラム教徒に会った。

 このハルーン・モスクの前に置かれているベンチに座っていると、
 様々の国のイスラム教徒がやって来る。
 このモスクの周りに住んでいるマドラスのタミル人の子孫たち、
 彼らはタイ人との通婚で、顔つきも柔らかくなっている。
 彼らとはタイ語で話す。
 その向こうに座っているのはスリランカから来ているスリランカのイスラム教徒、
 彼らとは英語で、ビルマからやってきているインドのグジャラートのスラット出身の
 イスラム教徒とはウルドゥ語で話をする。
 出来るだけ彼らの言葉で話せば、警戒心も薄れ、友好的になってくる。
 皆、私がイスラム教徒かと思うらしいが、そうでないというと残念そうな顔をする。
 皆午後4時の礼拝のためにやって来ているのだ。

 今日、このハルーン・モスクで タイで亡くなったナイジェリア人の埋葬があった。
 友を埋葬するために10人以上のナイジェリア人のイスラム教徒がやって来て、
 墓地の中で亡くなった友のために土を盛り上げていた。
 イスラムのモスクでは、同じイスラム教徒であれば、墓地に埋葬することを許している。
 イスラムのモスクは世界の各地からやって来たイスラム教徒たちの情報交換の場所で
 あり、助け合いの場所でもある。祈りの場であり、憩いの場でもある。
 こんなところから、イスラム教徒同士の強いネットワークが生まれてくることもわかる。
 仏教徒同士ならどうだろう。キリスト教徒同士ならどうだろう。
 アメリカ人、ヨーロッパ人、アジア人、アフリカ人ということで差別的な対応は
 ないだろうか。
 こんな風に考えてみると、イスラム教徒同士の気綱の強さ、平等性は凄いと思う。
 インターナショナルという意味では、
 イスラム教徒が一番インターナショナルなのかも知れないと思えてくる。


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バンコク 古き時代の名残を求めて | 01:02:49 | Trackback(0) | Comments(0)
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