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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

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バンコク 中華街 ジュライホテル 宴のあと(1)
バンコク 中華街 ジュライホテル 宴のあと(1) 1

バンコク 中華街 ジュライホテル 宴のあと(1) 2


 中華街のはずれにあるジュライホテルには、
 1987年から1990年頃まではよく利用したものである。
 カラカッダ・イーシップソン・ロータリー、
 日本名 7月22日ロータリーの前にあったホテル、  
 コンクリート造りの建物ではあったが、
 古びて、部屋も使い古したようなホテルだった。              
 バスタブはあっても、使い物にならず、ベッドのマットレスといえば、
 人の形に合わせて沈み込んでいる。
 シーツは変えてくれたが、ブランケットは誰が使ったのか、いつ洗ったのかわからぬ代物、
 これだけは使う気にはなれなかった。シャワーも水シャワーだった。
 バスタブもあったが、使用不能な無用の長物。

 周りには、このホテルと並んで名の通った台北ホテル、楽宮ホテルがあったが、
 楽宮は、いかがわしいし、娼婦を押し付けようとする台北は落ち着かない。
 そういう意味では、ジュライは のんびりと落ち着け、値段も手頃だった。
 常時、5,40人の日本人が宿泊しており、その人間模様を眺めるのも興味深いことだった。
 冷気茶室と書かれた中国人の好みに合わせて14,5歳から18歳ぐらいまでの女の子を
 集めた売春窟、こんなものも当時の中華街の至るところにあった。
 食を愛するもの、性も愛するかと 中国人の貪欲さに驚きもした。

 冷気茶室と大きな看板が出ていれば、
 誰でも暑いバンコクの冷房つき喫茶店だと思うでは  ないか、そうではない。
 もともとはアヘン窟、タイの法律でアヘンが禁止になったとたんに、
 その同じ場所にアヘンの代わりに女の子を置いたのである。
 幅の狭いレザー張りのベッドのある小さな個室、
 明らかにこの小部屋はアヘンを吸うために作られたものだ。

 冷気茶室に毎日のように通いつめる日本人もいたし、
 立ちん棒と呼ばれる娼婦たちをあさる日本人も多くいた。
 港湾の荒っぽい仕事を退職して、滞在目的のためにタイ人の女と結婚した老人もいた。
 一緒にいた女とはけんかばかり、日本人を見れば、タイ人の悪口を長々とまくりたてる。
 新しくきた日本人旅行者は、何も知らず、彼の愚痴の餌食だった。
 そんな彼も噂によれば、10年ばかり前に 日本でなくなったということである。
 タイの悪口をひたすら言い続けてきた彼にとっても、
 話を聞いてくれる日本人がいたということでは、
 ジュライホテル近辺も地獄ではなかったはずである。

 朝方早く、ドアが どんどん叩かれる。
 何事かと思ってドアを開けると、警察官、別に私を目的にやってきたわけではない。
 麻薬の手入れである。マリファナ使用の調べにやってきたのであるが、
 どの部屋で誰がマリファナを吸っているかは、承知の上だ。形だけの訪問である。
 ホテルの従業員と警察がつるんでいることは、常連の宿泊客はみんな知っている。
 密告など当たり前のホテル、マリファナの匂いがすれば、すぐに警察に密告、
 警察からあぶく銭をもらう従業員も多かった。
 知らないのは、初めての若い旅行者ばかり、常連の旅行者に訊くことをしない。
 そして、1万バーツの賄賂を要求されるのだ。
 タイ人の場合は、5百バーツの罰金なのにね。

 そんなジュライホテルだった。


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バンコク 中華街 | 01:03:28 | Trackback(0) | Comments(0)
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