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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
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バンコク パーン・ファー船乗り場周辺‐06 オンアン運河
バンコク パーン・ファー船乗り場周辺‐06 オンアン運河 1

バンコク パーン・ファー船乗り場周辺‐06 オンアン運河 2

バンコク パーン・ファー船乗り場周辺‐06 オンアン運河 3

バンコク パーン・ファー船乗り場周辺‐06 オンアン運河 4

バンコク パーン・ファー船乗り場周辺‐06 オンアン運河 5

バンコク パーン・ファー船乗り場周辺‐06 オンアン運河 6

バンコク パーン・ファー船乗り場周辺‐06 オンアン運河 7

バンコク パーン・ファー船乗り場周辺‐06 オンアン運河 8

 センセーブ運河を走る水上バスの始点であるパーン・ファー船乗り場で 
 センセーブ運河とオンアン運河が交差する。
 オンアン運河は ラタナコウシン朝の創始者であるラーマ1世によって、ロッド運河の
 外側の都心部を護るために造られた。
 その後、センセーブ運河が造られ、 運河が掘られた当初は マハナーク運河と呼ばれ、
 それが長く東 に延長されてから センセーブ運河と呼ばれるようになった。
 この運河の延長によって、運河による水上交通は大きく発展し、バンコク発展の基礎に
 なったのである。

 チャオプラヤ川の川向こう トンブリ地区から王都を中国人の住んでいたラッタナ
 コウシン島に移し、王宮を建造し、ラタナコウシン島を形作るロッド運河の外側に
 貴族たちの住まいが建てられた。
 その外側に造られたのがオンアン運河である。
 チャオプラヤ川河畔からこのオンアン運河に囲まれた地域が ラタナコウシン朝の
 初期の時代の旧市街だったのである。
 その当時、移住を余儀なくされた中国人たちの住まいもオンアン運河の内側に
 あったようである。

 ラーマ1世からラーマ3世の初期の時代までは 国造りに邁進していた時代で 
 タイへの侵略を繰り返していたビルマが イギリスの植民地になるまでは 
 ビルマは相変わらずシャム王国の脅威であり、街を護るにはこのオンアン運河が
 唯一の防御壁になっていたのである。

 この時代にオンアン運河の内側に住んでいた人たちといえば、王族や王族に仕える
 貴族官僚、僧侶、職人、中国人、パッタニ王国からの戦争捕虜といった限られた
 人たちであったに違いない。
 その当時は この旧市街の中では 死者を火葬することは許されておらず、死者の
 火葬のためには 旧市街の外、オンアン運河の城壁の外側にあるワット・サケットの
 火葬場が使われた。。
 死者による穢れ、ピーの存在に対する恐怖も含まれていたのだろう。

 旧市街の外側にあるワット・サケットの境内には プーカオ・トーン(ゴールデン・
 テンプル)と呼ばれる黄金色に輝く仏塔がある。
 敷地が不安定なことから、建造が難しく、ラーマ3世の時代から建造が始まったが
 完成したのは ラーマ5世の時代である。

 ラーマ2世の時代であるが、疫病(ペスト)が蔓延し、死者は3万人にも及び、
 その遺体は ワット・サケットの境内に捨てられたと言われている。
 オンアン運河にも多くの遺体が浮かび、チャオプラヤ川に向かって流れていった。
 ラーマ2世の時代のバンコクの人口といえば、10万人もいなかっただろう。
 住民の半数近くが 疫病で命を落としたのではなかろうか。
 あの黄金色に輝くプーカオ・トーンの仏塔の地中には その当時 疫病で命を落とした
 人々の屍があると思うと 空恐ろしくなるところもある。
 プーカオ・トーン周辺には 何か薄気味悪い雰囲気もあるのだ。

 オンアン運河は 造られた当初は チャオプラヤ川から人や物資が 市街地に入って
 くるための水上交通の要として大きな役割を果たしたのだろうが 今では サファン・
 プットから始まるこの運河の水門は閉じられ、その反対側のカオサーン通りの先にある
 水門も閉じられ、水位も低くなり、運河としての役割は終わってしまっている。
 ロッド運河に架かる橋の袂で 子供たちが何人か 集まっているが 何を探している
 のだろう。
 魚など棲んでいそうにもないのだが・・・。
 こうした運河の再生が バンコクの生活環境改善の指標になるのだろうが、なかなか
 成果をあげていないのが現状のようだ。

 パーン・ファー船乗り場のすぐ近くに ラーマ7世記念博物館がある。
 建物は 商売のためにアメリカからやって来たアメリカ人の持ち物であったらしいが
 そこがラーマ7世に関係する博物館になっている。
 1932年の軍による立憲革命の際の国王であったわけであるが、革命後に出来た
 政府が 約束通りには 議会政治をいつまで経っても始めず、眼の治療を理由に 
 イギリスに渡り、国王の地位を捨て、亡くなるまで 再びタイの地を踏むことの
 なかった悲劇のラーマ7世だった。



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バンコク風情 | 12:31:28 | Trackback(0) | Comments(0)
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