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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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バンコク ビエンチャンへの旅 PARTⅡ‐10 街の風景01
バンコク ビエンチャンへの旅 PARTⅡ‐10 街の風景01 1

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 8月26日 朝

 朝 気持ちよく眼が覚める。
 窓を開け、外の通りを眺めると、古い建物を壊した空地の中を 大きな荷を抱えて
 やってくる人間がいる。
 一体 朝から何を抱えてと思っていると、その荷は ペットボトルなどの廃品だった。
 ネパールのカトマンズやタイのバンコクでは よく見かける光景だ。
 私の泊まっている宿の近くが 街の中心部であり、多くの外国人観光客がやってくる
 場所であるために 物乞いや路上生活が 政府によって禁止されているのかどうか
 わからないが、ビエンチャンの町では 物乞いや路上生活者を見かけることはなかった。

 この辺一帯は ビエンチャンの中でも1番地価が高く、少し路地に入れば、フランス
 統治時代に建てられた邸宅なども多い。
 この辺に住み着いている人といえば、中国系ラオス人、ベトナム系ラオス人、ラーオ族
 の中でも 身分の高い高級官僚ばかりなのだろう。
 あるいは昔からこの地域に住み着いているラーオ族系のラオス人なのだろう。
 しかし、数はそれほど多いとは感じられない。
 路上で商いをするラーオ族の人たちは この地区の外からやって来て、小さな商いを
 しているのだろう。
 干した川魚を籠に入れ、棹で担いでくる人、二輪の荷車に野菜や果物を積んで売る人、
 こんな人たちの姿を よく見かける。

 さあ 朝ごはんを食べに行こう。
 朝早くのこの時間は涼しく爽やかである。
 チャオ・アヌー通りには ベトナム人らしい顔つきの商うお粥(チョーク)の店が
 あったはずだ。
 朝の早い時間から バーミー・ナム、ラーメンを食べる気にはならない。
 お粥の店の前で 笑顔を浮かべ 愛想を見せる店主の姿は 見ていて 気持ちが
 よい。
 豚肉入りのおかゆである。久し振りのお粥である。
 店の前のテーブルには 日本人らしい人が座り込んでいる。
 訊いてみるとやはり 日本人だった。
 日本政府関係の地域の保健調査で 南ラオスに住むプイ族の集落の研究をしている
 人類学者をいうことだが、 年齢は30前後の青年である。
 ビサの取得がうまく行っていなくて、タイ側のノンカイに出て、再び ラオスのビザを
 取り直すために ビエンチャンにやってきたという話である。

 普通盛りのお粥が8千キップ 約百円 テーブルの上に置かれている中国風揚げパンが
 一つ千キップ、二つ入れたからお粥と合わせて 1万キップ 約110円である。
 腹一杯になるというわけにはいかなかったが、腹八分目で健康的だろう。

 若き人類学者に別れを告げ、昨日のカフェへ 朝のコーヒーを飲みに行くことにした。
 途中 中国人のラーメンの店があり、店主が忙しそうに立ち働いていたので 
 カメラを向けると 周りから 「笑顔、笑顔」と声をかけられ、笑い声を上げていた。

 その前を通り過ぎ、例のカフェに行くと カフェの店主であるラーオ族の青年が
 今日は 店の前にいた。
 「カフェ・ローン」と注文すると すぐに熱いナチュラルコーヒーを入れてくれた。

 今日のラオス人民民主共和国の基礎になったのは 1353年に建国された
 ラーンサーン王国である。
 しかし、そのラーンサーン王国もアユタヤ王国の計略にあり、18世紀後半には
 三つの王国に分割することになる。
 ビエンチャン王国、ルアンパバーン王国、そしてチャンパサック王国の三つの王国に
 分かれたラーンサーン王国は その国力を低下させ、容易にタイからの干渉を受け
 やすくなり、18世紀後半には タイのシャム王国の支配下に入ってしまうことになる。
 この三つの王国の中でも シャム王国に反抗的だったビエンチャン王国は 1828年
 タイのシャム軍によって 徹底的に破壊され、滅亡することになる。
 ルアンパバーン王国、チャンパサック王国は シャム王国の属国でありながらも 
 どうにか王国を存続させることが出来たが、1893年 ラオスを巡って 
 仏タイ戦争が起こると 武力に勝るフランスは タイを圧倒し、1904年には
 ラオスの保護領化を完了した。
 フランスの植民地時代には フランスの愚民政策で 民衆には教育の機会も与えられず、
 ベトナム人を下級官吏として ラオスに送り込み、巧妙にラオスを支配したのである。
 第二次世界大戦中は 日本の占領下に置かれたが、大戦後再びフランスの保護下に
 置かれることになる。
 1953年になって 初めてラオス王国として完全独立を勝ち取ったのである。

 このような歴史の流れがあり、今はラオスとタイは 経済的には 友好的な関係に
 あるが、古い世代のラオスの人々の間には 少なからず タイに対する反発はある
 ようだ。
 カフェの主人である青年と話していると 今のビエンチャンの若い世代は タイの
 ポップミュージック、そのファッションやタイのバンコクの若者たちの生活ぶりを
 タイのテレビを通して 見る機会が増え、タイの若者たちの生活に憧れを抱くように
 なっているという。

 ビエンチャンの街には 大量のタイからの輸入品にあふれ、中国からの輸入品よりも
 品質がよく、ビエンチャンの豊かな層は タイ製品を買い、貧しい人たちは粗悪な
 ものであっても 安い中国製品を買っているという。
 そんな話を聞いていると ネパールのカトマンズのことを思い出した。
 カトマンズでも 高級品は香港、タイの製品で 路上で売られている庶民の買う安い
 ものは すべてが中国製品だった。

 カフェの若い主人の話を聞きながら、ラオス産のコーヒー豆からいれたコーヒーを
 飲み干し、若い主人に別れの挨拶をして ゲストハウスへと向かった。
 朝の陽射しがどんどん暑くなり、日中の陽射しに近づいてきた。



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ビエンチャンへの旅 | 20:18:54 | Trackback(0) | Comments(0)
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