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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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バンコク ビエンチャンへの旅 PARTⅡ‐09 夜店
バンコク ビエンチャンへの旅 PARTⅡ‐09 夜店

バンコク ビエンチャンへの旅 PARTⅡ‐09 夜店 2

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バンコク ビエンチャンへの旅 PARTⅡ‐09 夜店 8

 8月25日 夜

 ビエンチャンの暑さですっかり疲れ果てて、とぼとぼと歩いて ゲストハウスの
 自分の部屋にたどり着いた。
 冷房をいれ、扇風機をつけ、やっと一息である。
 汗で再びびしょびしょになったTシャツを脱ぎ捨て、シャワーを浴びると 
 人並みに落ち着いた気分になる。

 テレビで洋画を見ながら、ベッドに寝転がって 身体を休める。
 ノー・スモーキング・ルームと書いた札が 壁に貼り付けてあったが 
 無視して 窓を半分開け、換気扇を回して タバコを吸う。
 吸殻は いつも持ち歩いている携帯式灰皿の中へ。

 30分ばかりの休息で 平常の体力が少しずつ戻ってくる。
 水分の補給が必要だが、冷蔵庫の中に入れてあるボトルの水は あまりに不味いので
 近くにあるコンビニエンスストアに 水と缶入りの紅茶を買いに行く。
 2,3割がた タイより値段は高い。
 すべてタイからの輸入品だから仕方がない。

 部屋に帰り、水分の補給、陽が落ちるまで 一寝入りすることにした。
 6時半近くなり、夜の街の様子を眺めようと ゲストハウスを出ようと 
 階段を降りていると、階段の途中で 日本人らしい若者に出会う。
 「日本人?」と訊くと 「そうです」と応える。
 いきなり、「国債列車のラオス側の駅から 車でやってきて、500バーツ払ったけど
 ぼられてますか。」と訊いてきた。
 タクシーなら200バーツだし、トゥクトゥクなら100バーツから150バーツが 
 相場だろう。
 相手の言い値で 支払ったらしい。

 こんな調子では 先が思いやられるので 夕方 フレッシュジュースを飲んだカフェで
 少し 話をすることにした。
 大学2年生で 政治学を専攻しているという話だが、今回の衆議院選挙に対しても
 興味はないらしく、現在 日本が置かれている状況についても 関心がない。
 タイを旅行して ラオスまでやってきたらしいが ほとんどタイやラオスの食べ物は
 怖くて食べていないらしい。

 そこで一緒に夜のビエンチャンの屋台を歩き回ってみることにした。
 泊まっているゲストハウスの近くには 昔は 中華街の1番賑やかだったチャオ・
 アヌー通りがある。
 この通りの名前は ビエンチャン王国の最後の英雄チャオ・アヌウォンの
 名前から来ている。
 シャム王国によって属国化されたビエンチャン王国の独立のために兵を上げ、
 バンコクに攻め入る計画を立てていたが、その計画がシャム王国側に漏れ、
 逃亡したが シャム軍に捕らえられ、獄中で死亡した英雄である。
 シャム王国は このことから 王都ビエンチャンを 徹底的に破壊し尽くし、
 1828年 ビエンチャン王国は滅亡した。
 シャム王国のラーマ3世の時代である。

 チャオ・アヌー通りを中心に発展した中華街も 1975年にラオス人民民主共和国が
 誕生したために 中国人に対する様々の制限が加えられるようになり、商売が難しく
 なり、多くの中国人が 国外に逃げ出していった。
 ラオス国内に5万人以上いた中国人の数は 1万人以下になり、中華街は寂れて
 しまった。
 数年後に ラオス経済立て直しのために 政府は 自由化政策をとるようになるが、
 アメリカやフランスに移住した中国人たちは 再びラオスに戻ってくることはなかった。
 タイに逃げ出していた中国人が戻ってきた程度で 昔の中華街の勢いを取り戻すことが
 ないまま、今日に至っている。

 それでもラオスに残った中国人たちもおり、その中国人たちが チャオ・アヌー通りで
 ささやかな商いをしている。
 夜になると ベトナム人や中国人たちの店が赤々と灯を灯し、中華そばだの、飲茶、
 肉饅頭などの店が目立ち始める。
 その中にある鴨ラーメンの店で 大学2年生の若者と一緒に鴨ラーメンを
 食べることにした。
 タイ、ラオスにやってきて 麺類は食べたことがないという。
 手打ちのラーメンの麺は 昔の支那そばの触感があって、懐かしい気持ちになった。
 鴨肉もたっぷり入った薄味のスープだったが、量もあり、満足したが、ビエンチャンの
 街では ラーメンは高く、この鴨ラーメンも1万2千キップ、50バーツ近い値段
 だった。
 量はタイの1.5倍程度あったから、そんなものかもしれないが ラオス庶民の所得から
 高いことには違いない。

 昼間 見かけた餃子館という店の話をしたら、若者も行ってみたいというので
 二人で店を探し、行って 水餃子、蒸し餃子、焼き餃子の3種類を食べてみたが、
 期待はずれの味で 値段ばかり高く がっかりしてしまった。
 食べきれず、3分の1は残してしまった。
 誘った手前、悪いので ここは私のおごりにした。

 ぐるぐると夜店を覘いているうちに 10時近くなった。
 ラオスでは10時になると店じまいである。
 健康的な生活だ。タイとは違う。
 タイでは 夜ともなれば、ビールやウィスキーを飲んでいる人たちをよく見かけるが
 ビエンチャンでは アルコールではなく、冷たい飲み物を 皆 静かに飲んでいる。
 そのためか 人は多く出ているが いたって静かな雰囲気だ。
 所得が低いせいか、社会主義の国だからどうかはわからない。
 メコン川周辺の外国人向けのレストランや、川沿いの屋台では 外国人たちが 酒を
 飲んでは騒いでいる。

 このチャオ・アヌー通りでは あまり外国人旅行者の姿を見かけることはなかった。
 頼りない素直な若者だったが、次の新たな旅を目指し、逞しくなってほしいものだ。
 何にでも挑戦していく逞しさ、その中から豊かな認識を得、幅の広い人間になって
 もらいたい。
 そして、大きな視点で日本を見つめてくれることを願っている。
 折角 政治学を専攻しているのだから。

 宿に帰り、水浴びをして、洗濯をしたら 今日の予定は終了である。
 今日1日 なんと 忙しい1日だったのだろう。



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ビエンチャンへの旅 | 20:28:10 | Trackback(0) | Comments(0)
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