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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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バンコク 夏の陽射しの中を チャム族の集落へ
バンコク 夏の陽射しの中を チャム族の集落へ 1

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バンコク 夏の陽射しの中を チャム族の集落へ 9

バンコク 夏の陽射しの中を チャム族の集落へ 10

 昼間の午後を過ぎると 扇風機を回している部屋の中に熱気がこもり、ちょっと外へ
 散歩の出掛けたくなる。
 かといって バスに乗って遠くまで出掛けるのもわずらわしい。
 こういうときには アパートの裏手にあるセンセーブ運河の対岸にあるイスラム教徒の
 住む集落 バーン・クルアあたりを 運河沿いに歩くことにしている。

 チャム族は 古くは 紀元1世紀頃から18世紀頃までベトナム南部に栄えた
 チャンパ王国の子孫といわれている。
 ベトナム北部から南進してきたべト族との戦いに敗れ、多くのチャム族たちは
 カンボジアに逃れ、タイのアユタヤ王朝の時代に タイとカンボジアとの戦いの際、
 戦争捕虜としてアユタヤに連れられてきたが、後にアユタヤ王朝に忠誠を約束し、
 航海術に優れていたチャム族は アユタヤの水軍の傭兵として働き、
 それは バンコクの現王朝 ラッタナーコウシン王朝に引き継がれた。
 ラーマ1世の時代のカンボジアとの戦渦の際にも 多くのチャム族が 難民として
 バンコクにやって来た。
 タイ水軍の傭兵としての充分な働きに対して バーン・クルアのこの土地に住むことを
 許されたのである。

 暑い午後の陽射しの中でも 運河沿いの歩道を歩けば、風も吹いている。
 バーン・クルアの集落へアイスクリームを売りに行く行商の男と 運河をはさんで 
 平行して歩く。
 東北タイからの出稼ぎの人間のようだ。
 工事現場のきつい肉体労働の中で、お金を貯めて、資金が出来ると
 行商に精を出す人も多い。

 運河に架かる橋を渡って バーン・クルアの集落に入っていく。
 暑い午後では 道を歩く人の姿も少ない。
 運河沿いには 昔からの木造の古い家屋が多くある。
 こうした家屋は ラーマ3世時代にここに住みついた人たちの住居なのだろう。
 味わいのある木造住宅であるが 傷みもひどい。
 彼らが住みついた頃は このあたりは森で、バンコクの人々は 彼らのことを
 『森に住む人』と呼んだようだ。
 タイ水軍の傭兵として働きながら、大半は農業を生業にしていたようだ。

 カンボジアの政情不安から イスラム教徒であるチャム族への迫害から、多くの
 カンボジアのチャム族の人たちが、ここにやって来て住みつき、古い木造家屋の間に
 家を建てて行ったようだ。
 同じイスラム教徒同士の助け合いの精神もあり、容易に新しい住民を受け入れたのだろう。

 歩き続けていくと 昔懐かしい下町の雑貨屋のような店がある。
 スーパーマーケットやセブンイレブンなどとは違って、集落に根付いた店の持つ
 温かみを感じさせる雰囲気がある。

 イスラム寺院であるモスクの近くに行くと イスラム教徒特有の帽子をかぶった人々が
 屋台の椅子に座り込んで昼ごはんをのんびりと食べている。
 近くの待合場所のような建物の中では イスラムの女たちが 井戸端会議の最中である。
 チャム族のイスラム教徒の女たちは いたって解放的で 日本人である私を見かけても
 気軽に声をかけてくる。

 路地の中に入っていくと 一夜干しの牛肉売りの行商人がいる。
  「何の肉か」と訊くと、
 近くに居たイスラムの男が
  「ここでは食べるのは 牛肉と鶏肉だけだ」と答えてくれる。

 路地の中を抜けて 車の走る大きな橋の下の広場に行き着くと 
 仏教徒らしい老人が闘鶏用の鶏の訓練をしている。
 そこを通り抜けると 姉弟らしい子供たち二人が 大きな象の像の前で遊んでいる。

 こんな何気ない散歩であるが 今やバンコクの中心ともなったサイアムスクエアーから
 歩いても 15分ぐらいの場所にある地域である。
 東京の渋谷から歩いて15分の場所に こんな世界を見ることが出来るだろうか。
 ここ15年間の急激なバンコクの発展の中では こんないびつな不思議な世界も
 残っているのだ。
 
 モダンライフの象徴でもあるサイアムパラゴン、MBKセンター、
 ディスカバリーセンターあたりから 10分ほど歩いただけで 
 20年以上前のバンコクの世界を眺めることが出来るとは 感動すべきことである。
 これがアジアのアジアたる所以のようなものだ。
 発展の表側だけを見ていたのでは アジアは喜怒哀楽見えてこない。
 人々の生活も見えてこない。



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バンコク 運河の辺の街 | 23:26:25 | Trackback(0) | Comments(2)
コメント
何時もながら、良い文章と写真ですね。確りと拝読させて頂いて居ります。

<発展の表側だけを見ていたのでは、アジアの喜怒哀楽は見えてこない。人々の生活も見えてこない。>・・・全く同感の想いです。

タイ・マレーシアは、三度ほど行った事が有ります。団体行動の苦手な私は、単独で裏道・脇道・路地を見学する事が性に合っています。歴史・雑学の類を頭に、街の新旧・路地裏の人々の生活臭を見たり、感じたりするのが、旅の味・異国の味だと思っています。私の基本は、<旅人は、風のごとく>です。
2009-03-19 木 12:22:20 | URL | アガタ・リョウ [編集]
バンコクも しみじみとした旅の情趣の味わえる場所が
少なくなりました。
大半の外国人旅行者は 表通りの派手な賑わいに目を奪われ、
買い物に忙しく、暇を見つけては 観光地ばかりを歩き回っています。

長い歴史の中で あまり日の当たることのなかった民衆の姿、
それこそ 共感できるものの多いものだと思っています。

そこを見ないと アジアの国同士で手を結び合うこともできないでしょう。
当たり前の人々の衣食住、これを知ることが一番大切なことなんですがね。
今の日本人が忘れている視点です。
2009-03-19 木 12:59:36 | URL | ひかるの [編集]
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