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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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東京 展示会 展示品リスト13‐カンボジア風シルク布
東京 展示会 展示品リスト13‐カンボジア風シルク布 1

東京 展示会 展示品リスト13‐カンボジア風シルク布 2

東京 展示会 展示品リスト13‐カンボジア風シルク布 3

 東北タイのシルク布といっても ラオスに近いノンカイ、ウドン、コンケン、
 カラシンとカンボジア国境に近いスーリン、ブリラムでは シルク布の風合いが
 違う。
 色合いも 赤茶色系ものが多く、それはいわゆるクメール調と言われるものだ。
 シルク糸そのものも コンケン辺りのシルク糸も太めのものを使うことが ショール、
 ブランケットのような厚地の織物も多い。
 10年前頃からは タイでも外国からの要請からか 草木染タイプのものが好まれ、
 色合いも草木染風のものが増えてきている。

 私が初めて ブリラム、スーリンへ行ったのは 20年前の話で 昔から象祭りで
 有名なスーリンだったが 象祭りの時期を除けば、別段、特徴のある町でもなく、
 ホテルもスーリン駅の近くに大きなホテルが一つあるだけで、あとは小さな安ホテルが
 あるくらいのものだった。
 シルク布を売っている店も1,2軒と寂しい限りだった。

 10年前にもブリラム、スーリンに再び行ったが、唯一の大きなホテルの横にあった
 映画館がなくなったくらいで さほど変わってもいなかった。
 以前に比べると シルク布を売る店の数も増えたが、田舎町という雰囲気は
 昔ながらだった。

 スーリン、ブリラムあたりは 他の東北タイと違って 主食は普通の米で、もち米ではない。
 こうした食習慣もカンボジアに似ている。
 タイとカンボジアとの長年の戦いの中で 最も影響を受けた地域である。
 今も近くにあるクメール文化の色濃い寺院のある地域の所有についての争いは
 続いている。



 今、日本では JALの負債をどうするかで大問題になっている。
 全く不思議な国である。
 タイで生活していると 移動に飛行機を使うか、鉄道、バスを使うかで移動時間に
 嘘のような違いがある。
 それは ネパール、インド、ラオスでも同じである。
 例えば、バンコクから450キロ離れたコンケンに行くとしたら、飛行機であれば
 約1時間、鉄道を利用すれば、8時間、バスを利用すれば7時間である。
 鉄道などは 遅れることがいつものことで 9時間かかることもある。

 しかし、日本ではどうだろう。
 新幹線が使える場所であれば、空港まで行く時間を考えれば、1,2時間の違いで
 済むだろう。
 チェックインの時間、機内での待機時間を考えれば、実際どれだけの短縮に
 なるのだろう。
 地方から新幹線を利用して、大きな空港まで行き、そこから飛行機を使うという方法も
 あるだろう。
 確かに直接 空港から空港への移動が出来れば、便利ではあるが、空港にしても
 航空会社にしても 赤字を出しながら、運行するだけの価値のあるものだろうか。
 空港がなくて本当に困っていたわけではなく、あれば便利だから程度の気持ち、
 それに何百億もかけても平気な無神経さ、その揚句が 財政赤字というのでは
 お話にならない。
 時間を短縮できれば それだけ幸せになるわけでもないだろう。
 なければないでどうにかなるものである。

 景気の回復のために不必要なものを造ることの馬鹿さ加減に気がつかないのだろうか。
 時速2百キロ以上で走る新幹線のある国なら 何も空港をいっぱい造ることが 
 先進国の証明になるわけでもないだろう。
 飛行機の路線が減ったってどうにかなるはずである。
 普通にやっていて財政赤字が消えるはずのないことは自明のことだ。
 狭い日本、急いでどこに行く。
 時間の短縮、効率性、合理性ばかりを追求していると 本当に考えなくてはならない
 こともわからなくなってしまう。
 忙しくなるばかりで 考えることすら 忘れてしまう。
 そんな日本の20年の風潮の中で 失った大切なものは何か 国民一人一人が真剣に
 考える必要があるだろう。
 その姿が 空港建設やダム建設の姿に表れているはずだ。


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展示会 | 23:34:51 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 展示会 展示品リスト12‐手工芸の材料04
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 インドには いろいろな種類のシルクがある。
 養蚕シルクもあれば 野蚕のシルクもある。

 養蚕シルクはインドの中でも 主に南インドのカルナタカ、アンドラプラデッシュ、
 タミルナドゥ、東インドの西ベンガル、そして北インドのジャンムー・カシミールで
 生産されている。

 野蚕シルクの中のエリシルクは 太くて柔らかく、保温性に優れ、耐久性がある。
 生育場所は 東インドのアッサム州を中心とした地域、ビハール、東ベンガル、
 オリッサ州が主な場所である。

 野蚕シルクのムガシルクは インドの中でもアッサム州を中心とした地域で生育する、
 自然の輝きを持つ黄金色の黄色のシルクである。

 もう一つインドで有名な野蚕シルクは タッサシルクである。
 インド内陸部のマディアプラデッシュが主な生産地で、マハラストラ、西ベンガル、
 アンドラプラデッシュでも生育している。
 養蚕シルクに比べると 輝きがなく、主にカーテン地、ベッドカバーなどに利用されて
 いる。

 そんな野蚕シルクのうち、エリシルク、ムガシルクを使って織られた布も
 サンプル程度に展示したいと思っている。
 中には ムガシルクと麻を組み合わせた布もある。
 暑い夏には 涼しくて気安いということから 開発された布かもしれない。

 野蚕シルクの良さは 生成りの色合いである。
 シルクの自然の色をそのまま生かした布は魅力的である。
 養蚕シルクと違って、空気の流通もよく、夏でも快適に着ることができるし、
 又、冬には保温性に優れ、暖かい。
 まさに自然の恵みとはこうしたことをいうのだろう。

 カトマンズは 国境をインド・ビハール州と接しており、ビハール、西ベンガル州
 との州境にあるバガルプールという町で織られる野蚕のエリシルクの多くの布が 
 織元やカトマンズ在住のマルワリ商人によって 持ち込まれた。
 同じマルワリ商人が インド・アッサム州で織られる野蚕のムガシルクで織られた
 布を運んできていたので、ムガシルクで織られた布を見る機会も多かった。

 バガルプールで織られたエリシルクの布などは インドで買うより安かった。
 というのは 織元が デリー、カルカッタ、ボンベイに送った布が 売れずに
 返品になった布をカトマンズに運んできて 卸してしていたために、在庫処理の
 価格で売っていたためだ。
 
 タッサシルクの生産地は遠かったせいか、カトマンズで出回ることは少なかったが、
 サリーとして織られたタッサーシルクは カトマンズのサリーを売る店で見かける
 ことはあったが、服地としてのタッサシルク布は少なかった。
 インドで見かけるタッサシルクは どちらかと厚地のショールやベッドカバー、
 壁掛けなどが多かったが、サリー地に使われるタッサシルクは薄地で同じものである
 とは思えなかった。
 今はなくなったが、カトマンズのトリブバン国際空港の3階のレストランに
 飾られていた大きなタッサシルクの壁掛けは 立派なもので今でもよく憶えている。


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展示会 | 07:12:00 | Trackback(0) | Comments(0)
タイでの長期滞在を望む人たちへ‐04 住む・食べる03
タイでの長期滞在を望む人たちへ‐04 住む・食べる03 1

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タイでの長期滞在を望む人たちへ‐04 住む・食べる03 4

タイでの長期滞在を望む人たちへ‐04 住む・食べる03 5

 タイにやって来るたびに 過ごしたタイの田舎町 パックチョンでの3年間の生活に
 別れを告げ、3百キロばかり離れた東北タイの中心的な町 コンケンに引越しする
 ことにした。
 手織り布の仕入れの仕事をしていくためには コンケンに住んだほうが都合がよいと
 思ったからだ。
 引越しの大きな理由は 他にあったのだが、今 そのことを書き綴る気持ちには
 なれない。

 地方都市で生活しようと思うなら、やはり その町に親しい知り合いがいることが
 必要条件である。
 住む場所を見つけるにしても 異国の言葉も通じない地方都市では 
 簡単なことではない。
 20年近く前の地方都市 コンケンには まだ不動産屋などない時代である。
 私の場合は いつもコンケンで手織り布を仕入れる知り合いの店があったから、
 そのお陰で住む場所を見つけることが出来た。

 この町には7年ばかり住み、住む場所も3回変えた。
 2,3年住むと町の様子も分かってきたし、タイの経済成長が地方にも影響を与え、
 分譲の新興住宅がどんどん建てられるようになった。
 居住を目的に分譲住宅を買う人間もいたが、投資のために買う人も多かった。
 そんな住宅の大半は 賃貸し住宅になっていることが多かった。
 自転車に乗って 町の中をぐるぐる走り回っていると そんな分譲住宅が 
 たくさんあった。
 賃貸し用の家には 電話番号が貼り付けており、電話をかけて交渉することになる。

 コンケンでの後半の4年間は 出来たばかりの賃貸し分譲住宅を借りることになった。
 1軒の家が2世帯住宅になっている2階建ての家で、2LDKの間取り、シャワー付
 の浴室が 1階と2階にそれぞれあったが 台所は設置しておらず、ガスボンベと
 ガス台を勝手に取り付けて、自炊が出来る形にした。
 当時のコンケンの家賃は安く、庭付きで 1階が12畳くらいの居間と16畳くらいの
 ダイニングキッチンに出来るスペース、浴室、2階は 10畳くらいの部屋が二つと
 浴室、広いベランダもついていた。
 コンケンの駅からも徒歩10分くらいの場所にあって、家賃は月4千バーツだった。
 当時の為替レート 日本円で1万5千円位だった。
 タイ人たちは 7,80万バーツ(約3百万円)で購入し、銀行ローンで支払って
 いた人が多かった。
 すぐそばに分譲住宅を銀行ローンで購入したベトナム系タイ人の兄弟家族が住んでおり、
 この場所に住んだ4年間 親しく付き合い、夕食を作りあって、一緒に食べることも
 多かった。
 コンケンでは 中国系タイ人とも付き合ったが、計算高い人たちだったが、ベトナム系
 タイ人との方が付き合いやすかった。
 東北タイのメコン川沿いの地域には ラオスを経由して タイにやって来た
 カソリックを信仰するベトナム人が多く住みついていた。
 東北タイでは ビジネスの面でも 中国系タイ人に続くのは彼らだった。

 家を購入していたタイ人の大半は中国系タイ人で いわゆるラーオ系タイ人は
 ほとんどおらず、彼らの仕事は 日雇いで家を建てる仕事だった。

 この借りた家を基点に コンケン市内であれば、自転車に乗って動き回った。
 15年近く前のコンケンは バンコクから450キロも離れていたわりには、
 地方の中心都市といった様子で バンコクから180キロ離れていたパックチョンより
 余程進んでいた。
 コンケン県の県庁所在地ということもあり、比較的大きなホテルが ケンインホテル、
 コンケンホテル、コーサホテルと3軒、中級のホテルを含めるとかなりのホテルが
 あった。
 ディスコなども何箇所かあった。
 市内には 大きなスーパーマーケットも何箇所かあり、郊外には 大型スーパーの
 ロータスやビッグCも建てられていた。
 KFC、ピザハット、ミスタードーナツ、ダンキンドーナツ、洋食、タイレストランも
 多く、ないのは日本食レストランだけだった。

 私がバンコクに移る頃には マンション建設も始まっていたが、タイの金融危機に
 陥り、その後、どうなったのだろう。
 便利さだけを考えれば、その当時のチェンマイより便利だったような気がする。
 バンコクに引っ越してきても 取り立ててバンコクが便利であると感じることは
 なかった。
 ただ違っていたのは 日本米や日本食の材料が バンコクでは手に入れやすいこと
 くらいだった。

 手織り布の仕入れということであれば、ウドン、ノンカイにも近く、バスを使って、
 日帰りで布の仕入れが出来たし、コンケンでいつも布を仕入れ、洋服の縫製を頼む店も
 自転車で5分のところにあり、仕事上、移動が楽になった。

 ただ コンケンで耐えられなかったのは 夏の暑さだった。
 内陸部に位置する東北タイの気候といえば、冬は冷え込み(といっても日本の初秋)、
 夏はやたら暑く、暑いときには 日中40度近くにまでなったはずだ。
 木造住宅であれば、夜はしのげたが、コンクリート住宅では 熱がこもり、
 冷房なしには 気持ちよく寝ることはできなかった。
 インドの夏も暑かったが、東北タイのコンケンの夏も暑かった。


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展示会 | 18:48:21 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 展示会 展示品リスト11‐手工芸の材料03
東京 展示会 展示品リスト11‐手工芸の材料03 1

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 ブータンの染織技術を見ると 絣以外の織りのテクニックの大半は揃っている。
 ブータンの織物の中で もっともシンプルなものは 縞と格子模様の織物である。
 ブータンの野蚕シルクの格子模様の織物は セタと呼ばれ よく眼にするものである。
 このセタを使って縫われたブータンの男性用民族衣装 ゴを ブータンの男性が
 身につけていることが多いからだ。
 私も昔、この野蚕シルクの布 セタを使って 作務衣を作ってもらったことがある。

 他にもブータンの野蚕シルクの織物には 用途に合わせて 様々のものがある。
 木綿、羊毛、野蚕シルクと材料も様々だ。
 カンバールと呼ばれる官庁での身分を表す男性用のショールや女性が正装をしたときに
 身につけるラチュと呼ばれるスカーフなどがある。

 このようなカンバールやラチュを使って 袋物や洋服を作ったこともあった。
 専門的な技術を持っていたわけではなかったので 随分苦労した。
 器用な人なら、カンバールやラチュなどの野蚕の布を使って素敵な物を作ることが
 出来るのではと思う。
 ただ気をつけなくてはならないのは 色落ちがすごいので しっかり余分な色を
 抜くことをお勧めする。



 ここ何日か 殺人事件の疑いのある女詐欺師の話題が テレビや新聞を賑わしている。

   *** 連続不審死:数十人と連絡、物色か 婚活サイト使い ***
 
埼玉県警に結婚詐欺容疑で逮捕された東京都豊島区の女(34)の知人男性が相次いで
不審死していた事件で、女が複数のハンドルネームを使い分け、インターネットの結婚
紹介サイトを通じて少なくても数十人の男性と連絡を取り合っていたことが捜査関係者
への取材で分かった。
だませそうな相手を物色していたとみられる。女が練炭自殺の方法を紹介したサイトを
閲覧していたことも分かった。

捜査関係者によると、県警が押収した女のパソコンを解析したところ、大手の結婚紹介
サイトに登録し、少なくとも数十人の男性とメールをやりとりした記録が残っていた。
サイト上で複数の名前を使い分け「学生」「介護ヘルパー」などと自己紹介し、
同時並行で複数の男性と交際していた。
結婚話が本格化した後、生活費や学費などの援助を頼み、金を振り込んでもらう際は
本名で開設した口座を使っていた。
受け取った金は少なくとも6人から計約1億円に上っていた。女は結婚話を持ちかけて
金をだまし取ったとして、2件の詐欺罪で起訴され、2件の詐欺未遂容疑で逮捕されている。

捜査関係者によると計約320万円をだまし取られたとされる2人の男性は、女に
「学費が必要。卒業したら結婚できる」などと持ちかけられ、現金を振り込んだ。
その後「あなたとはこれ以上付き合えない」と一方的に別れ話を切り出されたという。
詐欺未遂の被害者は、女から金銭援助を頼まれていたが、一連の捜査をしていた県警
捜査員が接触したため、女に金を渡さなかった。

女はネットを通じて数回、大量の練炭を購入していたほか、練炭自殺の方法などを
紹介したサイトを閲覧していたことも判明。県警は練炭の使途などに関心を寄せている。
女の周辺では練炭による一酸化炭素(CO)中毒死した男性が少なくとも2人分かっている。

                              ~ 毎日JPより


結婚詐欺容疑者の女の生活の実態を書いた記事にこんなものがある。

*** 詐欺の自転車操業で派手な生活? 知人男性不審死の女 ***
http://www.asahi.com/national/update/1029/TKY200910290208.html 

 この事件のニュースを読んでいるうちに 英国の推理小説家 アガサ・クリスティの
 小説が思い浮かんできた。
 アガサ・クリスティの中には この容疑者のような女がよく登場する。
 百年近く前の話である。
 保険金殺人、遺産に絡んだ殺人、それも毒物を使ったものが多い。

 日本女性も 欧米人並みの感覚を持つようになった証拠だろうか。
 愛を忘れ、お金と物に翻弄された人生が 見え隠れしている。
 インターネットという架空の出会い系サイトが 作り出したなんともおぞましい事件で
 ある。
 インターネットという科学技術の発達がもたらしたタイプでの事件であるが、
 しかし、簡単に騙される男、男も現実も架空の世界も判断できないぐらいに 生活感を
 失っているのだろう。
 五感を伴わないインターネットの中での言葉のやり取りを現実のように錯覚してしまう。
 女は現実の世界を生き、男は架空の世界を引きずって生きる。
 女のたくましさ、男のひ弱さ それが この事件の成立する条件だったのだろう。
 自立する女、依存性を強める男、日本社会の衰退はこんなところが原因なのかも
 しれない。


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展示会 | 10:05:19 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 展示会 展示品リスト10‐手工芸の材料02
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 ブータンの野蚕シルク布のアイカプール、メンスィ・マタ、ルンセルマを
 使って ベスト、ジャケット、バッグを作る際には 野蚕シルクの持つ色のままに
 織られた布やタイで織られた手織りの麻の布と組み合わせると 形もしっかりした
 物になるし、色合いも似合って 洒落たものになると思うがどうだろう。

 皮製のバッグなどとはちょっと趣の違うバッグを作ることができるだろう。
 バッグの表地をブータンの野蚕シルクの手織り布、裏地にインドの野蚕シルク布を
 使っても面白いと思う。
 高価で格調の高い陶器を包む布や袋物にすれば 魅力的なものになるだろう。
 ブータンの野蚕の手紡ぎ・手織りの布は 厚地でしっかりしているから、
 百年の使用にも耐えるだろう。
 どっしりした重厚な益子焼きのような陶器には ぴったりの布素材である。



 アフガニスタン、パキスタン、イラクで 自爆テロによって 多くの命が失われている。
 反政府組織による爆破事件のように報道されているが 本当にそうだろうかという
 疑いも湧き起こる。
 テロという言葉を使えば、それに対するどんな行動も許されるという風潮が
 定着してしまった。

 アメリカの米軍のアフガニスタンへの増派、イラクからの撤退が アメリカの財閥の
 石油利権、軍需産業の絡んだ戦争兵器売買、麻薬利権が絡み、自爆テロもこうした利権に
 絡んだやらせではないだろうかという疑いも起こってくる。
 アフガニスタンの増派・撤退、イラクからの撤退によって 大きく影響を受ける組織が
 あるはずである。
 そうした組織が お金を出し、アフガニスタン、パキスタン、イラクの治安の悪化を
 狙い、テロとの戦いという名の下に 戦争・内戦の拡大をねらっているのではないか
 そんな風にも思えてくる。
 アメリカという大国の影に隠れ、お金や利権のためなら イラク人、アフガニスタン人、
 パキスタン人の命など 意に返さないような組織の存在を感じてしまう。
 真実が報道されず、捏造された報道が横行すれば、世の中の動きは見えなくなって
 しまう。
 国民の目を欺くための捏造された報道が 日本でも当然のことのようになっている。
 国民生活にとって 大切なニュースや報道を流さず、グルメ、ファッション、
 芸能人のスキャンダルに明け暮れる。
 それを見て、日本は平和だと錯覚してしまう。
 擬似平和の上に成り立っている日本社会、ちょっとしたきっかけで転んでしまう
 危うさがある。


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展示会 | 17:00:36 | Trackback(0) | Comments(0)
タイでの長期滞在を望む人たちへ‐03 住む・食べる02
タイでの長期滞在を望む人たちへ‐03 住む・食べる02 1

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タイでの長期滞在を望む人たちへ‐03 住む・食べる02 4

タイでの長期滞在を望む人たちへ‐03 住む・食べる02 5

 私が タイとの係わりを持つようになって22,3年の月日が流れた。
 最初の頃は ネパール・インドへの行き帰りに タイに1,2週間立ち寄るというのが
 タイ滞在の形で 大抵は 中華街にあるジュライホテルに泊まるか、そこに飽きれば、
 プラトゥ・ナーム辺りの1泊3,4百バーツに泊まることもあった。

 何日かバンコク市内のホテルに泊まると チェンマイ・チェンライ、あるいは
 東北タイのコンケン、ウドン、ノンカイへ行き 布の仕入れをして、再びバンコクに
 帰り、時間があれば、パタヤ辺りに足を伸ばして、のんびり過ごすというのが 
 タイでの滞在のパターンだった。
 だから 食事といえば、屋台中心で それでもその前の3年はネパール・インドでの
 生活が長かったから、バンコクの屋台で食べる料理は何でも美味しく感じられた。
 カレー味から開放されたという思いが強かった。

 タイとの係わり、特に人間関係が出来上がってくるに従って、タイへの滞在期間も
 長くなり、最初にアパートを借りて住み始めたのが バンコクから180キロばかり
 離れたカオヤイ国立公園の近くの町 パックチョン この町には3年近く行き来した。
 気候的には涼しく、過ごしやすい場所であったが、20年前のパックチョンは 
 何もない田舎町で 市場に行っては 肉だの野菜だのを買ってきて自炊をした。
 当時は 豚肉の値段も 1キロ4,50バーツという安さ、プラー・ニン(テラピア)
 というタイで人気のある魚も 1キロ10バーツだった。

 パックチョンでアパートを借りるまでの数ヶ月は バンコクで知り合った知人の
 実家に居候し、パックチョンの郊外にあるタイの田舎の生活を知ることが出来た。
 料理は七輪、料理に使う水は 雨期のときに汲み置いていた水、水浴びの場所は
 野外、水道などパックチョン郊外のこの村には まだ来ていなかった。
 家の庭に井戸も掘ってみたが 乾期になると 水がひやがり、役に立たなかった。
 それでも カトマンズの水不足、不便さには慣れていたので パックチョンでの
 そんな生活も気にならなかった。
 テレビも冷蔵庫もガスも水道もない生活、別に驚きもなく すっと受け入れることが
 出来たのは やはりまだ若さの持つ体力が残っていた証拠だったのだろう。
 知人の母方の祖父がいたが バナナ、マンゴ、ジャックフルーツなどを育て、
 草を編んで屋根の材料を作っていた。
 当時 65歳ぐらいだったから、今は 90歳近くなっているだろうが、この家を
 去ってからは 会うこともなくなった。
 20年の歳月は あっという間に過ぎ去ってしまった。

 その後 パックチョンの町の中心近くに借りたアパートも水掛け式の浴室、
 台所に出来る小さな部屋と12畳ぐらいの部屋で月千バーツ
 (当時のレートで5千円程度)だった。
 フラット・タムルアッドと呼ばれ、警察官の持ち物だった。
 乾期の冬場のパックチョンは 涼しく、冷水での水浴びに慣れるには時間がかかった。
 それでも パックチョン郊外の村での生活に比べれば、部屋に水は来ていたし、
 プロパンガスとコンロはあったから、格段に便利な生活になったし、市場も店も
 近くにあり、普通の町の生活に近づいた。

 パックチョンに滞在し、布の仕入れに 冷房バスを使って 東北タイのコンケン、
 北タイのチェンマイへ出かけ、そして 都会の香りを吸いにバンコクに出かけたもの
 だった。
 パックチョンに住んだといっても 1ヶ月近く滞在すると 再び日本へ あるいは
 ネパール・インドへインドに出かけ、再び パックチョンに戻ってくるという3年間
 だった。
 この3年間の時々のパックチョンでの生活で 日本人に出会うことは1度もなかった。
 異国で生活するためには その地で生活する人々の生活をありのままに受け入れること
 から 始まる。
 そのためには 好奇心を失わず、人々の行動を観察することが 重要な第1歩であり、
 こうした姿勢が 犯罪に巻き込まれずに20年以上 生活出来た理由かもしれない。



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旅の情報 | 09:44:55 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 展示会 展示品リスト09‐手工芸の材料01
東京 展示会 展示品リスト09‐手工芸の材料01 1

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東京 展示会 展示品リスト09‐手工芸の材料01 5

 未使用の野蚕シルクの3枚組みの布をばらばらにして、洗濯機で洗い、糊抜きを
 してみた。
 アイカプール、メンスィ・マタ、ルンセルマ、これらの布を使って 女性用民族衣装
 キラや男性用民族衣装 ゴが作られる。

 未使用といっても 20年前に購入したものだから、今 織られているものに比べれば
 仕事は確かだし、丁寧である。
 残念なことに1980年代に入ると、野蚕のシルク糸を染めるのに 科学染料が
 使われるようになっている。
 それでも 野蚕シルクは 今のものに比べると 数段 質が良い。
 幅50cm前後 長さ 230cm前後の布である。

 この布を部分的に使って ベストやジャケットを使ってもユニークで面白いと思うし、
 袱紗や高価で格調の高い陶器の包む布や袋物にするのも似合っているように思うが
 どうだろう。
 益子焼きの陶器にはぴったりの布のような気がする。
 貴重な茶器をくるむには厚地で柔らかく最適である。


 昨日のテレビのニュースで 殺人未遂で指名手配中の暴力団関係者の37歳の日本人が
 恐喝未遂でタイ警察に逮捕されたことを報道していた。

  ** 手配の組員、ついに御用…タイで逮捕→逃亡繰り返し **
     http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091026-OYT1T00985.htm

 【バンコク=田原徳容】
 タイ警察は26日、元山口組系暴力団組員、宮崎和也容疑者(38)を恐喝未遂容疑
 などで逮捕したと発表した。

 同容疑者は日本で2006年に殺人未遂容疑で指名手配され、偽造旅券でタイへ逃亡。
 タイでは逮捕―保釈―逃亡を2度繰り返し、行方をくらませていた。

 捜査関係者によると、同容疑者は今年1月、バンコクでタイ人女性への恐喝未遂容疑で
 逮捕されたが、保釈後に逃亡。警察は9月、潜伏先のバンコクのアパートで発見、
 逮捕した。
 ところが、裁判所は同容疑者を再保釈し、今月12日に裁判所へ出頭しなかったため、
 再逃亡が発覚した。25日朝にバンコクで逮捕された。

 タイでは、裁判所が保釈の是非を検討する基準があいまいで、裁判官個人の裁量が
 大きい。
 同容疑者は実際の保釈金額の数倍を支払い、再保釈を認めさせた可能性があると
 みられる。
 同容疑者は06年5月、大阪府内で走行中の車を銃撃し、元組員ら2人を負傷させた
 として府警に指名手配されていた。
                   ~(2009年10月26日19時07分 読売新聞)


 私も 彼が住んでいたアパートのあるパトゥムワン地区に住んでいるが もしかしたら
 意外と近いところに住んでいたのかもしれない。
 タイには こんな偽パスポートを使って、日本から逃げてきている犯罪容疑者が
 多いのだろう。
 2年ばかり前にも タイに偽パスポートで入国していたパタヤの長期滞在者が 
 知り合いの不動産屋の老人からお金を奪う目的で その老人を殺害するという事件も
 あった。
 バンコクでFX為替取引をしていた日本人の青年が 知り合いの日本人の若者に
 お金を奪われ、殺害される事件もあった。

 この頃では 怖いのはタイ人ばかりでは このような日本人も怖い。
 テレビで 宮崎和也容疑者の姿を見たが、バンコクのカオサン辺りで 愛想よく
 話しかけられれば 偽パスポートを使って日本から逃亡してきている人間だとは
 誰も思わないだろう。
 私が住んでいる地域には中級のゲストハウスやホテルがあるが、歩いている日本人を
 見ると それっぽい人もいるから、気楽に声を掛けるのも怖い。
 夜 遅く飛行場から到着して 宿探しで困っている人を見かけると、手助けを
 したくなるが、近頃では 警戒されることのほうが多いので、だんだん声を掛ける
 ことも控えるようになってしまった。



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展示会 | 21:12:22 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 展示会 展示品リスト08‐格子や縞のキラ
東京 展示会 展示品リスト08‐格子や縞のキラ 1

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東京 展示会 展示品リスト08‐格子や縞のキラ 10

 野蚕シルクのキラの中でも 格子模様のものをセタと呼び、縞模様のものを
 ジャディムと呼ぶ。
 特にセタと呼ばれる茶色と黄色と黒の組み合わせの格子の布は 日本の丹前のような
 ブータンの男性用民族衣装 ゴによく用いられている。
 ブータンの子供たちも このセタで作ったゴを着ているが、この頃では インドの
 機械織りのセタに似せた布を使って ゴが作られるようになっている。

 セタにしてもジャディムにしても どちらかといえば 庶民のキラといえるだろう。
 野蚕のキラ ルンセルマ、メンスィ・マタ、アイカプールなどと比べると 
 織り上げるにも時間がかからない。
 日本でも縞や格子の布は 庶民の着物の柄だったはずである。


 数ヶ月ぶりに日本に帰ってくると 東京の物価が気にかかる。
 今は蜜柑の最盛期で 昨年に比べると幾分安くなっているようだ。
 瀬戸内海の小島の蜜柑農家で育った私にとって、1番身近な果物といえば 
 蜜柑である。
 秋になると 少しばかり色づいたまだ酸っぱい蜜柑をもいでは食べたものだ。
 蜜柑だけは 好きなだけ食べることが出来た。

 そのせいか どこにいても蜜柑があれば満足である。
 ネパールのスンタラというやたら種の多いネパール蜜柑、外の皮ばかり 厚くて
 中身が少ししかない。
 それに比べると インドの蜜柑は 甘くて酸味もほどほどにあって美味しい。
 ただ、ネパールにインドから輸入されているものは 熟れないうちに運ばれてくる
 せいか、インドで食べるほどは美味しくない。
 20年ほど昔は ニューデリーのパハールガンジの野菜市場周辺では 蜜柑を荷車に
 山ほど積み上げ、1キロ5,6ルピー(当時の日本円で5,60円)で売られていた。

 タイではソム・サイ・ナムプン(蜂蜜が入っているような甘い蜜柑)という銘柄の
 蜜柑が美味しく、チェンマイからやって来て そろそろバンコクでも出回る時期である。
 この蜜柑も安くなると 小さいものであれば、1キロ15バーツから20バーツ位の
 値段になる。日本円で約50円だ。
 この時期になると 私も2キロ、3キロとまとめ買いをして、暇があれば、
 むしゃむしゃと 蜜柑を食べている。
 日本では 安くても1キロ2百円以上、好きなだけ食べるというわけにはいかない。
 果物好きの私にとっては こと果物に関して言えば、天国のような場所である。
 日本の果物は 確かに手がかかっていて美味しいが 値段の高さからいって、
 心行くまで食べるというわけにはいかない。
 バンコクに行けばと ひたすら我慢して 指を加えて 見ているだけだ。
 早く、バンコク、カトマンズへ行きたい。



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展示会 | 15:28:37 | Trackback(0) | Comments(0)
タイでの長期滞在を望む人たちへ‐02 住む・食べる01
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タイでの長期滞在を望む人たちへ‐02 住む・食べる01 6

 日本を離れて タイ、マレーシア、フィリピンなど アジアのどこかの国で 
 のんびり老後を過ごしたいと思っている人も多いだろう。
 経済的に余裕のある人は リタイアビザや年金ビザを取得すれば、長期滞在も
 可能になる。
 具体的なことは 次のホームページをご覧になれば 参考になるだろう。

 タイのリタイアメントビザ
 http://tabi.haretasora.com/2006/03/post_5.html

 南方浪人 タイ生存記
 http://blog.livedoor.jp/thai_minamikaze/

 タイちゃんねるビザ版
 http://jbbs.livedoor.jp/travel/7600/#11

 大事なことは 何を求めて タイで長期滞在したいのかということだろう。
 日本に比べれば、まだまだのんびりしているタイの時間の流れの中で生活してみたいと
 いうこともあるだろうし、収入も貯蓄も少ないので 老後を物価の安いところで
 生活したいということもあるだろう。
 あるいは 自分の世話をしてくれるタイ女性を見つけ、タイでのんびり過ごしたい
 という人もいるだろう。
 物価が比較的安く、リタイアビザ、年金ビザに対する金銭的なハードルは 
 マレーシアやシンガポールに比べれば、タイは低いといえる。
 といっても 年金ビザであれば、年金が月15万円以上、リタイアビザであれば  
 タイの銀行での預金額が80万バーツ(約220万円)以上というのでは 
 誰でもというわけには行かないだろう。
 実際 生活の仕方によっては 月20万円でも足りないということも起こってくる
 だろう。

 バンコクでアパートを借りるにしても 日本人の経営する不動産屋が薦めるサービス
 アパートであれば、セキュリティはいいが、月2万バーツ(約5万5千円)、
 3万バーツ以上ということになり、ある程度ナイトライフも楽しみたいということで
 あれば 食費その他を合せれば、生活費は 簡単に15万、20万円は超えてしまう
 だろう。
 日本で自宅を持っている人からすれば、バンコクで生活することが 必ずしも 
 安く生活できる場所ということにはならない。
 又、毎日のように 日本食を食べていれば、その出費も小さなものではない。
 デフレの進んでいる日本から見れば、バンコクのスタンダードな料理の値段も安いとは
 言えなくなっている。

 バンコクでもそれなりに出費を少なくして生活しようと思えば、自分で安いアパートを
 探すより仕方がない。
 といっても アパートがどの辺りに集まっているのかを知るためには 
 長期滞在をしている日本人や知り合いになったタイ人に訊いてみるのもいいだろう。
 月収2万バーツ前後のタイ人が利用するようなアパートなら、ある程度 設備も
 しっかりしているだろう。

 冷房付きのスタジオタイプの部屋であれば、調度としてベッドと備え付けの洋服ダンス、
 シャワーの出る浴室がついて、月7千バーツ前後であるが、セキュリティの面では
 自分で工夫する必要がある。
 部屋のドアのノブに防犯用のカバーをつける、3階以上の部屋を借りるなど、
 注意すべきことがある。
 マンションのガードマンが泥棒を手引きするという話を聞くこともある。

 バンコクのそうしたアパートの部屋には 大抵 炊事の設備は付いていないから、
 自炊を好む人には 工夫が必要である。
 タイの屋台や総菜屋の料理に抵抗がないという人であれば、保温の出来る炊飯器を買い、
 惣菜は外で買ってきて、日本米(1キロ60バーツ)を炊いたご飯と一緒に食べると
 いう方法もある。
 自炊に近い生活をしようと思えば、下町の中にあるアパートに住むのもいいかも
 しれない。
 昔の日本の下町のざわめきを感じたいという人には楽しめる場所である。

 住む場所を見つけるにしても 急にというのは大変だから、長期滞在が出来る
 時期までに 何度かタイを訪問して 宿泊するホテルの場所を変え、その周辺を
 探索し、アパートの有無、実態、設備、賃料などを調べてみるのもいいだろう。

 タイでどういう生活をしたいのか、どの生活レベルで生活をするのか、住む場所に
 よって大きく影響される。
 又 バンコクに住むのか 北タイのチェンマイ・チェンライに住むのか 
 パタヤに住むのか 自分の望んでいる生活との関係の中で考える必要がある。


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展示会 | 01:20:18 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 展示会 展示品リスト07‐正絹のキラ
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 ブータンのシルクの織物といえば 野蚕シルクの布ということになるが、
 王族や貴族などの富裕層では 権威の象徴として 養蚕シルク 正絹のキラを
 身につける。
 ブータンでは 養蚕シルク糸はないから、中国、もしくはインドからの輸入に頼る
 ことになる。
 高価な養蚕シルク糸を使って織られたキラを身につけていたのは ブータンの王族だけ
 だろう。
 高価で光沢のある正絹の織物は 王族の権威を鼓舞したに違いない。

 しかし、ブータンの気候風土からすれば、養蚕シルクのキラを身につけるより、
 野蚕シルクのキラを身につけるほうが 着心地がよかったに違いない。
 身体に馴染むという面では 野蚕シルクのキラのほうが はるかにいい。

 王制という身分制社会では 身分によって着るものが制限されるものである。
 その頂点にあったものが 養蚕シルクで織られたキラである。


 今日は 何日ぶりかの上天気、昨日の雨が嘘のようである。
 晴れ渡った青空の下 運河沿いに歩いて 公園の中を抜け、切手を買いに
 郵便局へ行く。
 帰りに再び、公園の中へ入り、ゆっくり、ゆっくりと散策をする。
 大気は暑くもなく寒くもなく 快適だ。
 公園のベンチに座り込み、少しずつ色づく木々の葉に眼を向ける。
 自然を眺めるためには 気候が快適であることが必須であることがわかる。
 バンコクのように1年中が夏のような暑さの中にあると 心から自然に溶け込もうと
 いう気持ちにはなれない。
 ネパールのカトマンズは 日本に近い四季の変化はあるけれど、どこにでも人に
 あふれていて 自然に浸ることは難しい。

 平日の午後の公園は人気なく、公園の林の中を吹く風の音ばかり、
 東京は やはり 不思議な場所である。
 都市のエネルギーがあるのかないのか 分からない場所だ。

 公園から運河の遊歩道に出ると、若者も年寄りも はぜ釣りに精を出している。
 どうも食べるためというより、釣ることだけを楽しんでいるようだ。
 釣り上げると 再び 運河に戻している人もいる。

 風景だけ見ていると 平和な風景だが、どこか見かけだけの平和のような気がする。
 我々の知らぬ間に 外の世界は どんどん変転し、その危険に気がついていないのは
 日本人ばかりなのかもしれない。



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展示会 | 18:28:47 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 展示会 展示品リスト06‐色は時代とともに
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 20世紀中期に織られたブータンの野蚕シルクのキラ アイカプール、
 時代の流れとともに 織られた当初の色は褪せ、時間の流れを感じさせる。
 王族・貴族の持ち物であれば、手持ちのキラの数も多いから、ここまで色が
 変化することはない。
 王族・貴族から褒美としてもらったものを 大事に身につけていたものなのだろう。
 何度も洗濯し、着ているうちに 野蚕シルクの手紡ぎ・手織りの布は柔らかくなり、
 着心地がよくなっている。
 余分な色が取れ、優しい色合いに変化している。
 時間の経過だけが生み出す布の変化が見て取れる。
 
 野蚕シルク布は 空気の流通がよく、保温の効果がある。
 人の体温を吸収して 柔らかく身体に馴染み、まるで生き物のようだ。


 朝から肌寒い雨、この雨で秋も深まり、気温も下がっていくのだろう。
 暑さに慣れている身体には 肌寒さが身にしみる。

 テレビをつけると 民間テレビは飽きもせず 元アイドル 酒井法子の覚醒剤使用に
 対する公判について 大騒ぎをしている。
 今年の衆議院選挙前から 延々と報道を繰り返しているわけだが、いい加減にして
 ほしいと思うのは私だけだろうか。
 ここまで国民を馬鹿にするのはいい加減にしろと言いたくなる。
 政権交代後 初めて開かれる臨時国会より 重要なことであるとは到底思えない。
 国民の政治的な関心をそらすために こんな大騒ぎをしてのかとも思われてくる。

 一国の首相が 政権交代後 初めて開かれる所信表明演説をすることに対して
 マスコミは 何を考えているのだろう。
 日本のマスコミは 本当におかしなことになっている。
 民主党に対するネガティブキャンペンばかりを報道していても 新しい日本を
 創っていくための援護にはならない。
 国民の立場に立って報道する姿勢を失えば、多くの視聴者を失っていくだろう。

 ブログ『酔語酔吟 夢がたり』さんが 今日の鳩山首相の所信表明演説をうまく
 まとめてくれているので紹介したい。
 関心のある方は是非お読みください

 10/26(月) 友愛宣言。
 http://4301219.at.webry.info/200910/article_23.html
              ~酔語酔吟 夢がたりより



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展示会 | 14:20:32 | Trackback(0) | Comments(0)
タイでの長期滞在を望む人たちへ‐01 タイ情報を得るために
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タイでの長期滞在を望む人たちへ‐01 タイ情報を得るために 3

タイでの長期滞在を望む人たちへ‐01 タイ情報を得るために 4

 近頃は 定年退職したら、海外で長期滞在をしたいという人たちが 増えている。
 定年退職前に 早々と長期滞在を実行している人も多くなっている。
 バンコクなどは 昔から長期滞在者が多い街で 20年以上前にタイと係わりあう
 ようになった頃も 今ほどではないが 中華街の端っこにあるジュライホテルでも
 長期滞在者を見かけることがあった。
 長期滞在者ではないが、1年のうちに何度も訪タイを繰り返している人たちも多かった。
 大半は 性風俗に対する規制の少ないタイにやってきて お金のかからない女遊びを
 楽しむという人たちが多かった。

 バンコクの中華街であれば 冷気茶室を呼ばれる置屋に繰り返し通う人たち、
 チェンマイ、チェンライへ行き、置屋から女の子を連れ出し、1ヶ月ほど遊んでは
 日本に帰り、お金が貯まると再びやってくるという人たちが多かった。
 若い人たちといえば、バンコク最大の歓楽街 パッポンへ行き、ゴーゴーバーで
 踊る若い女の子たちを見て、驚いていた時代だった。
 今では 若者たちのほうが 中年の日本人より 余程 遊びに精通しているようだ。

 別にタイ女性が素朴で優しかったというより 安いお金で手軽に遊べるということが
 大きな理由だったのだろう。
 そうした日本人の中でもうぶで素朴な日本人は 海千山千のタイ女性に入れ込み、
 女性の実家のある田舎に女性名義で土地を買い、家を建てると 追い出されるという
 話もよく耳にした。
 近頃では そうした財産・商売絡みで殺害される外国人のニュースも報道されている。
 お金が絡むと 簡単に命が奪われるという可能性が年々高くなっている。
 それは 長期滞在者だけの問題ではなく、短期旅行者にとっても そうした犯罪に
 巻き込まれる機会が増えている。

 日本と同じように 格差社会が広がっているタイでも お金目当ての犯罪は増大の
 一途にあることは忘れてはならないことである。
 そのためには 普段から タイの情報に眼を向けておくことが大切である。
 日々のタイの情報を得るためのホームページに次のようなものがある。

 タイの地元新聞を読む http://thaina.seesaa.net/

 newsclip.be タイ発ニュース速報 http://www.newsclip.be/

 バンコク週報、タイの情報 http://www.bangkokshuho.com/

 タイちゃんねるBBS http://jbbs.livedoor.jp/travel/3341/ 
(このホームページは 話半分ぐらいで読むこと、いい加減な情報も多い。)

 これらのホームページからタイの情報を得ていれば、少しは 長期滞在や短期旅行の
 中で生まれる危険を避けることが出来るだろう。
 昔に比べると インターネットを通して タイ情報を得ることが簡単になったが、
 まだまだ こうした情報に眼を通さない人が多いのは残念なことである。


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旅の情報 | 21:18:00 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 展示会 展示品リスト05‐日本人が好む色合い
東京 展示会 展示品リスト05‐日本人が好む色合い 1

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東京 展示会 展示品リスト05‐日本人が好む色合い 6

 野蚕シルクのキラの中でも 青が基調になっているキラには 見ていて
 日本人としては 落ち着くのではと思う。
 そんな野蚕シルクのキラ アイカプールがある。
 赤を基調にしたキラとは違って、ついつい惹きつけられてしまうのは 藍染めを
 眼にすることの多い日本人の習性だろう。

 ブータンでも藍は育てられているが 大半はインドからやってくるインディゴ藍の
 ようだ。
 カトマンズで布を売るインドのマルワリ商人の店で インディゴ藍の塊を 
 天秤ばかりを使って キロ単位で売っているのをよく見かけた。
 チベット人がチベッタンカーペットの藍色の毛糸を染めるのに このインディゴ藍を
 求めていた。

 藍染めはシルクを痛めると言うが 野蚕シルクに対する影響についてはどうなのだろう。
 写真の野蚕シルクのキラ アイカプールは織られて5,60年 経ているものだが、
 インド藍で染められた野蚕シルク糸に悪影響が現れているようには思えない。


 今日も朝から曇り空、気温も下がり、ここ半年以上 暑い夏の気候に慣れていた
 身体には応える。
 東京でもこの気温が続けば、紅葉も進んでいくだろう。
 体調の回復のために お茶に生姜を入れたり、乳酸菌の働きを高めるというキムチを
 食べるようにしている。
 熱は別にないが ここ1ヶ月ばかり 咳が収まらず、鬱陶しい。
 別に豚インフルエンザにかかったわけではないだろう。

 タイでもそうだったが 豚インフルエンザの感染から 多くの死者が出たが、
 今は小康状態のようだ。
 日本では ワクチン接種について いろいろ報道されているようだ。

 豚インフルエンザのワクチンについては こんな情報もある。
 時間があれば 読んで参考にするのもいいかもしれない。

   **富裕層用ワクチンと一般人(ゴイム)用ワクチン:ロシアは警告する**
     http://quasimoto.exblog.jp/11416795/

 今の世界、いろいろな情報が隠されていて真実を知ることが困難な時代である。
 テレビも新聞も もう一般国民の味方ではなくなっている。
 自分のことや自分の家族のことは 自分で護ることが必要になってきている。
 そのためには 知って置かなくてはならないことが山ほどある複雑な社会に
 なってしまった。
 科学を悪用する人間の悪知恵を理解するには 努力が必要だ。




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展示会 | 16:19:57 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 東京から想うバンコク
東京 東京から想うバンコク 1

東京 東京から想うバンコク 2

東京 東京から想うバンコク 3

東京 東京から想うバンコク 4

東京 東京から想うバンコク 5

東京 東京から想うバンコク 7

 東京での生活が2週間を超えると 気持ちがバンコクやカトマンズへと向き始める。
 部屋の中での仕事が多くなると 心まで硬直してくる。
 かといって 近所を散策しても 日本の自然の変化には心を奪われることもあるが、
 街を歩いていても 人間を眺める楽しさはない。
 日本では 道は 人が歩く場所以外の何ものでもなく、そこには人間ドラマがなく、
 人間が生きて生活している喜怒哀楽を感じることはない。

 バンコクで住んでいる部屋から出ると、建物の入り口周辺には 行商の果物売りを
 見かけることが多いし、いつも買う果物売りなら、商売はどうだいと声をかける。
 ときどき 惣菜を買いに行く橋の下では 昼間の忙しい商いの後、東北タイ料理の
 惣菜を売っているお姉さんが寝椅子に寝転がって 身体を休めている、路上では
 東北タイからやってきたおじさんが 昔風のタイのお菓子を売っている。
 街のどこにも 人間模様があり、みんな 頑張って生きているなと勇気付けられる
 ことも多い。

 路上でそれぞれの人々が 自分のペースで生活し、生活の糧を得ている姿が 
 時間に追われる先進諸国から来た人々に安らぎを与えるのかもしれない。
 タイで長期滞在を考えている人たちも 路上を生活の場所をしている人々に眼を向け、
 姿を眺めているだけでも 異文化を理解する機会になり、タイでの生活にも飽きが
 こないだろう。

 日本の路上は あまりに味気ない。
 道路交通法、保健法の厳しい日本では 路上は人々の安らぎの場所にならないし、
 近所の公園でも同じことだ。
 規則ばかりを作り、規則が出来れば それを守ることばかりを考えているうちに
 生活の中から生気が失われ、人と人とが係わりあう機会が失われていく。
 規則ずくめの生活は ますます柔軟な人間関係を喪失させていくだろう。
 律儀な日本人は規則が出来れば 規則を守らせることに汲々とし、柔軟な対応を
 忘れていく。
 生活そのものが マニュアルの世界に変わり、自立的な豊かな思考はなくなってしまう
 怖さには気がつかない。
 みんな こんな日本の姿を望んでいるのだろうか。

 東京の路上を歩いていても 人間を眺める楽しさは生まれてこない。
 気分転換に外に出かけても 皆 表情が硬く、鎧を身につけているように感じてしまう。
 東京にいる自分だって 同じような姿になっているに違いない。

 バンコクやカトマンズでなら 見知らぬ人々に対して気楽に話しかけることが多い
 私であるが、日本ではそんなことはほとんど不可能で 同じことをすれば
 警戒されるだけである。
 せいぜい 道を訊くことが出来るぐらいのものである。
 だから 日本に帰ってきても 今の日本人が 何を感じ、何を考えているのか 
 直接 知ることは難しい。
 同じ場所で生きていても共生しているという気持ちが湧いてこない。
 人は人、自分は自分 関係はない。
 こうした発想が 今の日本を形作ってきたのかもしれない。
 相対的貧困率の増大も 格差社会も 自分とは関係なければ、関心を持たない。
 他人のことなどどうでもいい、別に自分は困っていないのだから。
 こんな中では 他者に対する共感性、思いやりは育っていかないだろう。

 テレビでは 海外の発達途上国の貧困のことを報道し、日本人の援助を求めているが、
 もっと自分たちの足元をしっかり見つめる必要があるのではないか。
 日本の貧困の現実を逆にそらす結果になっているのではと気にかかる。
 世界にはこんなに貧しい人がいるのだから、我慢しなさい、あなたは彼らに比べれば
 まだ幸せですよといっているようだ。
 何が幸福か不幸かは その国の現実に深く眼を向けない限り、見えては来ないものだ。



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東京 | 21:55:13 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 展示会 展示品リスト04‐自然の香りのするキラ
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東京 展示会 展示品リスト04‐自然の香りのするキラ 5

東京 展示会 展示品リスト04‐自然の香りのするキラ 6

東京 展示会 展示品リスト04‐自然の香りのするキラ 7

東京 展示会 展示品リスト04‐自然の香りのするキラ 8

 ブータンで織られた野蚕シルク布のキラといえば、私が1番 ブータンらしい
 雰囲気のある自然の香りがするキラといえば ルンセルマである。
 天然染料で染められた色の組み合わせが ブータンの自然を象徴している。
 インド藍を使った青、ウコンを使った黄色、カイガラムシのラックを使った赤、
 インド藍とウコンを使って染めた緑、その組み合わせがブータンの豊かな自然を
 見事に表現しているようだ。

 今回の展示会は きらびやかなブータンの女性用民族衣装のクシュタラやノシェムは
 展示しないが 野蚕シルク糸で織られたキラ アイカプール、ルンセルマ、メンスィ
 ・マータをじっくり見て頂きたいと思っている。

 今日は 朝からすっきりしない雨模様の天気である。
 午前中は ブータンの野蚕シルク布の糊落としのための洗濯、アイロンがけ、
 プリンターを使っての説明文、値札作り、写真撮影と忙しい。
 陽が射さないから 洗濯物の乾きが悪い。

 日本に帰国してから 2週間が過ぎてしまったけれど、部屋に閉じこもっているせいか
 日本にいる実感が湧いてこない。
 テレビをつけても 笑いにならないお笑い番組、相対的貧困率が過去最高になったと
 いうのに 飽きもしないグルメ番組、真実を伝えない報道番組、何を意図してこんな
 番組作りをしているのか マスコミの劣化ばかりが気にかかる。
 マスコミが 国民の側に立って 報道しているとは到底思えない。

 26年間 日本にいないことが多かったせいか、日本の変化には気がついていたが
 その原因については 考えることもなかったが、今年の8月30日の総選挙を機会に
 今日本で何が起こっているのか、戦後65年 日本では何が起こっていたのか 
 関心を持つようになってきた。
 政権交代の意味、郵政民営化見直し、在日米軍、アメリカのCIAと過去の
 日本政府との関係、密約、アメリカの年次要望書などのことを ネットを通して
 知ることしか出来ず、テレビ、新聞という表のマスコミでは知ることが出来ないという
 不思議な社会である。
 
 知らなければ知らないで 世の中は流れていき、ただただ格差社会の中で 
 孤立して悩むだけだ。
 昨日まで中流の生活をしていた人たちが 今日明日には 生活水準が落ち込んでいく。
 政権交代がなかったら 一体日本はどうなっていたのだろう。
 日本人の生活は どうなっていたのだろう。
 何もわからないまま、一部の人間を除いて 貧困への一途をたどったかもしれない。

 3年前に書かれたものであるが 今 問題になっている米軍普天間飛行場の
 移設問題との関係で読んでみれば 日本と在日米軍との関係が見えてくるだろう。


 第13回 「応分」の経費負担って '06-05-17UP
 http://www.magazine9.jp/morinaga/dai013/index.html
 ~  森永卓郎の戦争と平和講座より
    (http://www.magazine9.jp/morinaga/index.html


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展示会 | 15:15:15 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 展示会 展示品リスト03‐野蚕の赤いキラ03
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 ブータンの野蚕の手紡ぎ・手織りのキラの中で 赤いキラの代表的なキラは
 メンスィ・マタである。
 染めに使われる赤は 茜かカイガラムシから取り出したラックである。
 黄色の紋様部分には ウコンで染められた黄色い糸が使われている。
 写真は 古い順に 上から並べている。

 ブータンの野蚕の染織の中では 茜の赤、カイガラムシから取り出した赤が
 大きな役割を果たしている。
 特にカイガラムシのラックは ブータンだけでなく ブータンと国境を接する
 インド・アッサム州もラックの生産地であることも関係している。

 インドの郵便局から荷物を送るときには 荷物を針と糸を使って 白い布でくるみ、
 その縫い目のところどころに カイガラムシから抽出した赤い蝋を押し付け、
 盗難を防ぐ役割を果たしている。
 ニューデリーの中央郵便局に行くと 荷物の包装を仕事とするひとたちが郵便局の
 外にいる。
 インドでは 染料としてより、カイガラムシから取り出した赤い蝋を使うことの
 ほうが 重要だったのかもしれない。


 日本に帰国する前から 咳で苦しめられている。
 熱は別にないのだが、肺の具合がよくなく、外出は出来るだけ避け、安静を心がけて
 いる。
 とにかく 展示会までには 体調を整える必要がある。
 展示会の準備の大半は 部屋の中の仕事だから どうにかなっている。
 針仕事、洗濯、アイロンがけ、コンピューターのプリンターを使っての説明文作りと 
 すべて 部屋での仕事である。
 今日は 朝から 未使用の3枚合わせの野蚕シルクのキラをほどき、糊抜きのために
 洗濯し、乾いた布からアイロンがけをしている。
 ブータンの織り上げられた野蚕のシルク布は しっかりと糊付けされている。
 布を織るときには 糸の糊付けをするというのが普通であるが、織り上げたあとにも
 糊付けをしているぐらいに ごわごわの状態である。

 ネパールのカトマンズで借りている部屋には ブータンやインドの野蚕のシルク布の
 ストックがある。
 アンティークな布は別にして、昔、洋服作りに仕入れた布をどうしようかと考えている。
 いつも カトマンズに行く前には 手縫いの洋服作りに挑戦しようと 手縫いのための
 基本的なテクニックや使う糸について書かれている案内書を探しているが なかなか
 見つからない。
 新宿のオカダヤに行けば どうにかなるかもしれない。
 厚手のブータンの野蚕のシルク布には 手縫いが合うのではと思っている。
 シンプルなデザインのものならどうにかなるのでは・・・。
 ミシンが出てくる前は すべて手縫いの世界だったのだから 細かいテクニックが
 わかれば、面白いと思う。


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展示会 | 21:24:13 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 自立・独立に向かって
東京 自立・独立に向かって 1

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 Aobadai Life(http://ameblo.jp/aobadai0301/)というブログから発信されている記事に
 こんなことが書かれてあった。

    *** アメリカの保護領・日本 ***
        http://ameblo.jp/aobadai0301/entry-10370453018.html

  ― 来日したアメリカのゲーツ国防長官と、岡田外相の会談の映像を見て思った。
  「日本はやはり独立国ではない」ということである。
  アメリカの年次改革要望書に沿って、郵政民営化や、司法改悪、格差社会をつくり
  だした自公政権は論外にしても、なぜ戦後はじめて日本で民主的な政権交代を
  起こしてもなお、日本はアメリカの属国でありつづけなければならないのか。
  昨日の岡田・ゲーツ会談は、まるで宗主国に対して、植民地の指導部がお伺いを
   たてているようにさえ思う。

  日本は聖徳太子の昔でさえ、大国・隋に対等外交を展開した国である。
  秋の国会議員の靖国参拝が先週ニュースになっていたが、靖国神社に祀られいる
  英霊がほんとに望んでいることは、首相の参拝などではなく、いまだに太平洋戦争の
  敗戦をひきずって、アメリカの属国となった日本が独立国家となることではないのか。
  彼らは、敗戦の結果、祖国日本の領土がいまだにアメリカ軍に占領をされていると
  いう事実を、どれほどにあの世で、嘆いているだろうか。
  アメリカは普天間基地の辺野古沖への移設は譲れないとしている。

  冗談じゃない。冷戦はとっくに終わったのに、なんで美しい沖縄の海を破壊してまで、
  アメリカの恒久基地を日本につくらねばならないのだ。
  ここは日本である。

 辺野古というのは、沖縄に行ったことがある人なら、カヌチャリゾートの沖合と
 いったほうがピンと来るだろう。
 西海岸と違って、東海岸はマングローブ樹林もあったりして、また違った沖縄の
 美しい自然を見せてくれる素晴らしい場所だ。
 しかもジュゴンが生息する美しい海である。そんな美しい自然が、外国の軍事基地に
 されることに対して、だまったままの我々日本人もいかに植民地根性が染み付いたかと
 いうことである。

 いまだに日本ではタブーだが、我々はアメリカのCIAによる間接統治の実態を
 きちんと知るべきだ。
 アメリカはかつてのA級戦犯のうち、情報機関への協力を約束した有力者を
 釈放している。
 冷戦の最中、自主外交を主張した石橋堪山首相が3ヶ月ももたず、体調不良を理由に
 辞職し、元A級戦犯の岸信介が首相になって、日米新安保を強行したのはなぜか。
 なぜ私たちは、ナチスのユダヤ虐殺に匹敵する、アメリカによる広島・長崎への
 原爆投下を「しょうがない」と受容してきたのか。
 なぜ、日米安保で、アメリカは日本守ってくれると信じきっているのか。
 それはマスコミに騙されてきたのではないか。
 日本のマスコミなら記者クラブと、放送法などでコントロールされ、読売新聞のドンで、
 日テレを作った正力松太郎なら、元A級戦犯で、PODAMというコードネームで
 呼ばれるCIAのエージェントである。

 そんなマスコミは政権交代がおこって尚、郵政民営化におけるアメリカ利権は触れず、
 昨日の岡田・ゲーツ会談も意図的に扱いを小さくして、国民の反米感情を抑えようと
 しているのである。
 ゲーツは、岡田外相に対して、核密約調査は対米関係に配慮するように圧力をかけた
 との報道も小さくあった。
 核密約の問題もこれが明らかになれば、日本は佐藤栄作元首相のノーベル平和賞を
 返上に促すべきだ。非核三原則の国是は嘘だったということなんだから。

 さて、話はずれたが、アメリカの御用メディアの代表格である日経の昨日の夕刊一面の
 見出しなんて、「沖合移動を容認」である。
 いったい誰が主語かと、この見出しに目をうたがったが、この主語はアメリカなので
 ある。
 日本の新聞でありながら、主語はアメリカである。しかも一面見出しである。
 いかに日経新聞がアメリカ利権と、ズブズブの御用メディアかということである。
 しかしながら、そんな御用メディアに騙されつづける我々国民も情けない。
 アメリカの広大な軍事基地は、冷戦のために、西側陣営の一員として許容していた
 わけだから、冷戦終了とともに撤退するのが筋だ。
 そこを、新たな脅威を煽ることで、アメリカ軍駐留の必要性を世論合意させようと
 いう作戦にまんまと引っかかって、ナベツネ読売や、櫻井よし子らポチ右翼の、
 中国脅威論や、北朝鮮仮想敵国論にまんまとひっかかる。
 日本人は昔も今も、なんてコロッと騙されやすいのだろうか。

 いずれにしても、この問題はまだ決まったわけではない。国民世論が、弱腰になって
 いる民主党連立政権に檄を飛ばす。
 そして、日本が独立国となるために、アメリカの保護領から離脱するために、
 憲法改正を真剣に議論すべきである。
 自衛隊の予算、装備はすでに十分、世界トップクラスである。アメリカの不在に
 怯えない仕組みを議論していかねばなるまい。―
            ~ Aobadai Life(http://ameblo.jp/aobadai0301/)より



 日本郵政社長の西川氏の辞任により 新社長には 斉藤次郎氏が就任することになった。
 郵政見直しなど 政権交代によって 大きな変化が生まれているわけだが、
 それとともに在日アメリカ軍の再編成にも大きな変化が生まれようとしている。
 それに圧力をかけようと アメリカの高官たちが日本を訪れている。
 前大統領のブッシュ氏まで訪日の予定である。

 政権交代による日本政府の変化を見ながら、1年前に行われたネパールの政権議会
 選挙の際のカトマンズ市民の姿を思い出した。
 自分たちの支持した候補者が当選したときには 多くの支持者たちが 太鼓を敲く
 人を先頭に 街を練り歩いていた。

 こんな人々の姿を今の日本で見ることはなくなってしまった。
 羊のようにおとなしい日本人になってしまったのである。
 何も言わない、行動を起こさない日本人をいうのは アメリカにとっては 有難い
 存在である。
 真実を隠し、アメリカによって統制されている新聞、テレビの報道を鵜呑みに
 してしまう習慣が 国民の中で上手く作り上げてしまっている。
 高度成長期の中で 豊かさに酔いしれている間に 国の独立、自立に対する意識が
 麻痺してしまったのではないだろうか。
 
 最近、ネットから発信される情報から 日本人の稼いだ富が アメリカの企業によって
 奪われ、日本がどんどん貧しくなっていることが 明らかになってきている。
 真実を暴こうとした勇気ある多くの人々が 抹殺されてきたことも忘れてはならない。
 郵政の民営化も 日本の富をアメリカに移すための手段であったことが 明らかに
 なりつつある。

 欧米人にとって 有色人種であるアジア人やアフリカ人は 一体どういう存在なのか
 歴史的に問い直してみる必要があるだろう。
 本当に対等の存在として考えているのか。
 そういった視点から 広島・長崎の原爆投下も考える必要があるだろう。
 戦後65年、一体何が起こってきたのか 検証する時代になっているのである。



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東京 | 20:41:47 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 展示会 展示品リスト02‐野蚕の赤いキラ02
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 20世紀初期から中期頃に織られた野蚕の手紡ぎ・手織りのキラ 
 アイカプールである。
 数十年の歳月を経ているにもかかわらず、天然染料で染めた色が 鮮やかに残っている。
 虹の七色、レインボウカラーが見事に染めこまれている。
 ただひたすら 手仕事に頼り、時間をかけて、丁寧に仕上げるという姿勢の中で
 初めて生まれてくる布だ。
 糸を紡ぐ、糸を染める、そしてその糸を使って 布を織り上げる。
 幅50cm 長さ250cmの布を3枚織り上げ、その3枚の布を縫い合わせると
 1枚のブータンの女性用民族衣装のキラが出来上がる。
 今のブータンでは もうこれだけのキラを織り上げることは出来ない。
 時間が お金で計算されるようになった世界では こんなキラは生まれない。


 この26年間 ネパールやタイで生活することが長いことから、日本の実情に対する
 認識がすっかりずれていることに気がつくことが多い。
 ネパールやタイでは 日本人を見ると 日本人は金持ちであると見ている。
 自分のことは別にしても 大半の日本人はそれなりの収入があり、豊かなのだろうと
 思っていたが、この10年ばかりの日本人を見ていると どうもそうではないと
 思うようになってきた。
 20年以上前は 日本食レストランといえば ほとんどが 日本人ばかりだったが、
 バンコクなどでは 日本食レストランの客の大半は 中産階級のタイ人ばかりで
 日本人の姿は少なくなっている。

 タイやネパールの中産階級の人々の生活が 日本人の生活に近づいてきているのである。
 日本はどうかといえば この10年間で 世帯あたりの年間平均所得は 百万円ばかり
 目減りをしてきている。
 公務員や大企業の正社員の人たちの給料は それなりに増えているし、企業の役員収入、
 株や投資で儲けた人もいることを考えれば、それ以外の人々の収入の目減りは 
 この10年で百万円以上だろう。
 皆が同じように収入が 目減りしているわけではないからだ。
 趣味にお金をかける余裕がなくなっている。

 昨年からブータン、インド、東南アジアの布の展示会を開いているわけだが、
 なかなか 盛況というわけにはいかない。
 それは 私の展示会だけでなく、他の人たちの展示会でも ここ数年同じような
 傾向にあるらしい。
 皆 趣味にかけるお金が どうもないようなのだ。
 手作り、手仕事に興味を持っている人たちはそれなりにいるのだろうが、
 こうした人々は金儲けとは縁遠い人たちのようだ。
 株取引とか為替相場で儲ける世界の人々とは 別の世界に住んでいる人々である。
 住んでいる土台がどうも違うようだ。

 彼らは 時間をかけて 納得のいく布や物を仕上げても それに見合う収入を
 得ることが 難しいものづくりの世界で細々と頑張っている人たちである。

 インドや東南アジアの安い商品はそれなりに売れるが、本当に時間をかけ、
 手をかけたものは 値段が高くなり、なかなか売りにくいのである。
 それは 日本でも同じである。
 本物が売れない時代なのだ。
 個人で買うことが出来なければ、企業なり公的機関で買えばいいと思うが、
 近頃は 経費節減で そんなものには 眼も向けなくなっている。
 本当に難しい時代になったものだとつくづく思う。



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展示会 | 23:41:13 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 貧しさとは?
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昨日 厚生労働省から 2006年に日本政府が調査した相対的貧困率の発表があった。
 
 ***貧困率:日本15.7% 先進国で際立つ高水準***

 長妻昭厚生労働相は20日、国民の貧困層の割合を示す指標である「相対的貧困率」が、
 06年時点で15.7%だったと発表した。
 日本政府として貧困率を算出したのは初めて。経済協力開発機構(OECD)が報告した
 03年のデータでは、日本は加盟30カ国中4番目に悪い27位の14.9%で
 状況は悪化している。
 日本の貧困が先進諸国で際立っていることが浮き彫りとなった。
 相対的貧困率は、国民の所得分布の中央値と比較して、半分に満たない国民の割合。
 今回はOECDの算出方法を踏襲した。
 06年の子供(17歳以下)の相対的貧困率も14.2%で、03年のOECDデータの
 13.7%(30カ国中19位)より悪化している。
 03年OECDデータで貧困率が最も高いのは、メキシコの18.4%で、
 トルコ17.5%、米国17.1%と続く。
 最も低いのはデンマークとスウェーデンの5.3%。
 長妻厚労相は「OECDの中でもワーストの範ちゅうに入っており、ナショナル
 ミニマム(国が保障する最低限度の生活)と連動して考えたい。来年度から支給する
 子ども手当で貧困率がどう変化するかもシミュレーションしていく」と述べた。
 民主党は衆院選マニフェスト(政権公約)で貧困の実態調査と対策を明記していた。
                                 【佐藤浩】
     ▽相対的貧困率▽ 

  国民一人一人の所得(等価可処分所得)を順に並べて真ん中の額(中央値)を
  割り出し、その額の半額に満たない人の割合がどのくらいかを示す。
  国民の経済格差を示す指標となる。等価可処分所得は、直接税などを除いた世帯の
  可処分所得を世帯の人数の平方根で割って算出する。
  06年の所得を基にした中央値は228万円。
                                ~ 毎日新聞より


 こういう相対的貧困率のような数値を見ると 考え込んでしまうところがある。
 貧しさとは何か。
 日本であれば 中央地が1世帯あたり年収228万円であれば、その半分の収入の
 114万円以下は貧しいことになるし、7人に1人は 貧困の中にいることになる。
 月収にすれば 9万円ということになる。
 都市であれば 5,6万円の家賃に電気代、水道代、電話代を含めると6,7万円
 残りは3万円 食費その他に使える金額は 1日千円、家賃・光熱費のレベルを
 落とせば、独り者であれば どうにかなるだろうが、子供がいるとすれば 
 生活することは 至難の業である。

 ネパールのカトマンズ、タイのバンコクでの人々の生活水準はもっと低いだろう。
 それでも カトマンズやバンコクの貧しい人たちの方が 気持ちの上では楽だろう。
 一つには カトマンズやバンコクでは 貧しい人たちの割合が 日本より高く、
 貧しい人たちは 地域的にまとまって住んでいるから、貧しい同士という仲間意識も
 ある。
 世の中には金持ちもいるが、貧しいのは自分だけではない、世の中の人の大半の人は
 貧しいという慰めのようなものもある。
 貧しい中でどうやって生きていくのかという知恵を 近所の人たちから学べるし、
 支えあうところもある。
 独りで悩む必要はないのである。
 周りの皆も貧しいのだから 貧しい中で生きていくことを受け入れることも出来る。
 貧しい人たちの住む下町では 食べ物の値段も安く、贅沢さえしなければ どうにか
 生活できるものである。
 昔に比べれば、目にする人々の生活もだんだん贅沢になってきているが それは一部の
 人たちの姿であって、大半の人たちはやはり、貧しいのである。
 だから、気持ちの上では耐えられるのである。

 今から4,50年前の日本だって 貧しかった。
 食べることだって、腹いっぱい食べることなど出来なかったし、いつも腹をすかせて
 いた。
 着るものだって、贅沢なものではなかったし、親が子供におしゃれをさせるという
 ことなどなかった。
 大半のものが貧しかったから、貧しいことが気にならなかったし、
 それが当たり前だと思っていたのである。

 しかし、今の日本はどうだろう。
 テレビをつければ、グルメ、贅沢な旅、娯楽、ファッションがこれでもかというほど
 眼に入ってくる。
 街を歩けば、買いたいものが いたるところに並べられている。
 皆が出来ることが出来ない、皆が買えるものが買えないというのは 
 切実なフラストレーションにもなるだろう。
 皆が貧しいからという慰めもなく、貧しい中で支えあう仲間もなく、孤立してしまえば、
 貧しくお金がないことが 大きな重荷になってくるのである。
 貧しい中で生活していくための知恵を手に入れる難しい。
 そんなことを教えてくれる地域社会もないし、貧しくても安く生活できる場所もない。

 今のように派遣社員、パートという非正規社員が3割以上を占めるようになると、
 未来に希望を託してがんばろうという気も失せてしまうだろう。
 努力次第でどうにかなるという社会ではなくなっている。
 1番怖いこと、苦しいことは孤立した中での貧しさである。

 40年、50年前であれば、就職するといえば、大半は正規社員としての就職だった。
 能力があってもなくても 会社が責任を持って雇い続けるというのが 日本の姿だった。
 
 アメリカの年次要望書を受け入れ、実力社会という言葉に騙されて、日本社会は
 アメリカ並みの相対貧困率になってしまっている。
 アメリカ社会が 決して日本の見本にはならなかったことの証明だ。
 アジア的共生社会より アメリカ的弱肉強食の社会を選んでしまった結果である。
 アメリカ的奴隷社会、弱者を奴隷のようにこき使い、強者はひたすら富を蓄積する
 社会では 人間の幸福は生まれてこない。



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東京 | 23:38:42 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 展示会 展示品リスト01‐野蚕の赤いキラ01
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 少し痛んでいる20世紀中期に 野蚕の手紡ぎのシルク糸で織られたブータンの
 女性用のキラ アイカプールのほころびを直すために 針仕事をしている。
 赤が基調になっている紋織りのアイカプールと呼ばれている3枚のキラである。
 ブータンの赤の染色には 茜かラック(カイガラムシから取り出された染料)が
 使われている。
 黄色の染色にはウコン、藍色にはインド藍が使われ、緑は ウコンとインド藍を
 使って染められている。

 織られてから50年以上の月日が流れているのに その色は失われることなく
 品のある色を保っている。
 野蚕の手紡ぎシルク糸で織られた布地は 時代を経て、手にしっとり馴染む柔らかさに
 なっている。

 ブレと呼ばれる野蚕のシルクは ブータンでも採取できるらしいが、大半は国境を
 接するインドのアッサム州からやってくる。
 20世紀中期頃は 染織素材としては 高級品で、野蚕のシルク糸で織られたキラは
 誰でも身につけることの出来たものではなかっただろう。
 日本でも同じで江戸時代には 庶民の身につけるものは 木綿に決まっていた。
 ブータンでも庶民の身につけたものは 木綿やウールなど手に入りやすい素材で
 織られた布だったに違いない。
 王族や貴族の屋敷に勤めていた人や布の織り手には 仕事の代償や褒美として 
 キラやシルク糸が与えられることもあっただろう。


 近頃 日本でよく耳にすることだが、衣類の安売り合戦が 各メーカーで過熱している
 ようである。
 品質のレベルでどの程度のものだか 分からないが 千円以下の値段が当たり前に
 なってきている。

 昔は衣料品が安いといわれていたバンコクよりも日本の安売りの衣料品のほうが
 安くなってきている。
 私が 普段 身につけて衣服といえば バンコクで買うのが大半である。
 それなりのメーカーの衣料を半額セールの時に 買うのである。
 しかし、近頃では Tシャツ1枚でも メーカー品なら 定価で7,8百バーツ、
 半額でも3,4百バーツ(日本円で千円)ぐらいだから、タイ製品を買うことになるが
 今 日本では もっと安く手に入るかもしれない。

 普段着は 安売りメーカーの衣料品を おしゃれ着は別にと考えているのだろうか。
 それとも 高級衣料は ある程度所得のある人のため、安売りメーカーの衣料品は
 所得の少ない人ためということだろうか。
 私は 暑いバンコクで生活することが多いから、どうしてもよく汗をかく。
 1日2,3枚の着替えが必要なことがあるから、安いTシャツが数多くあったほうが
 都合がいい。
 一方 バンコクから東京などへの移動の際には 昔 ネパールで作った野蚕シルクの
 シャツやベストを着る。
 素材もいいし、縫製もしっかりしているから 10年くらい着ていても 痛むことは
 なく、着ればきるほど 馴染んでくる。愛着も湧く。
 在庫で残っているものがあるから、こんな贅沢も出来るが、それがなければ、安売り
 メーカーのもので間に合わせなくてはならないだろう。

 そんなことを思うと 衣料が安くなっていいというより、安いものしか買えないから
 安いもので済ますということになっているのではと思う。
 江戸時代やブータンの5,60年前の階級社会と同じで、衣料の世界にも はっきりと
 生活の格差が現れている証拠のようにも思えてくる。
 きっとそれは 衣食住の世界にも現れてきているに違いない。
 ネパールでも この頃は 高級品はタイ・香港製品、安物は中国製品という見方が
 定着し、収入の少ない庶民は 中国製品を身につけるというのが一般的になっている。

 タイなら、高級品は輸入品、中級品は 海外の有名なメーカーがタイで生産した商品、
 タイ庶民の身につけるものは メーカーのはっきりしない安売り商品ということに
 なっている。

 アジアのどこでも皆が豊かになるということは 夢のような話で 格差社会がどんどん
 拡がっているようだ。
 昔から 衣服というものは 身分社会の象徴的な存在だったが 再びそんな世界が
 復活してきている。


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展示会 | 23:32:57 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 日曜日の午後の公園
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 台風18号が関東地方を通過する最中に カトマンズ、バンコクでの5ヶ月の生活を
 終え、帰国した。
 5月の連休後に 日本を発ったから、春から秋へと季節は移っている。
 カトマンズ、バンコクともに真夏のような季節を5ヶ月も過ごして帰国すると、
 汗をかくことのない日本の秋の気候は 快適なものである。

 帰国してからの10日間は 展示会のための案内状作り、展示会場になるギャラリーの
 オーナーとの打ち合わせと落ち着かない日が続いた。
 案内状も出来上がり、やっと一息ついたところだ。

 今やっていることといえば、展示会で展示するブータンの野蚕の手紡ぎ布などの選択で
 ある。
 古い布を出してきては ほつれている箇所を 針と糸を使っての針仕事で修復している。
 ブータンのキラ(女性用衣装)などは 織り上げた幅50cm 長さ250cm前後の
 3枚の布を縫い合わせて作る。
 そのために 古い布になると その縫い合わせの部分がほつれてくる。
 それを縫い直す作業である。
 こうした手作業は 時間がかかり、面倒なものだが、黙々と手を使って 
 針を動かしていると 意外と心が落ち着いてくるものだ。

 朝からそんな作業をしていると 眼がしょぼしょぼしてきて、肩も凝ってくるので、
 近くの公園に散歩に出かけることになる。
 昨日の日曜日は 秋晴れの上天気だった。
 寒くもなければ、暑くもない絶好の散歩日和、少し外を歩けば、汗が噴出してくる
 バンコクの気候とは大違いだ。

 公園の中の木々は 春とはすっかり様変わりをしている。
 前回帰国した桜の季節の公園とは違って 今は桜の木もすっかり葉を落としている。
 イチョウの木も少しずつ黄色に色づき始めている。
 東京の都心の紅葉の最盛期は 11月の始め頃だろう。
 公園の中では 人々はジョギングに精を出し、テニスコートでは若者たちがテニスに
 励んでいる。
 公園の中の広場では 親子連れがキャッチボールやボール蹴りを楽しんでいる。
 平日は ホームレス風な人やただただベンチに座り込んでいる人の目立つ公園の中で
 あるが、休日には 公園も生気を取り戻す。
 平和な日曜日の午後である。

 公園を出て 運河沿いを歩く。
 運河に釣り糸をたれて、はぜ釣りを楽しんでいる人の姿が多い。
 この不況時 お金のかかる娯楽より、こうしたささやかな楽しみの方が好まれるのかも
 しれない。
 1番上の写真は 帰国した翌日の台風一過の空であるが 今日は雲一つない秋晴れの
 空だ。
 運河の水に映る建物の姿が美しい。これも春とは違う点だ。

 こうして東京の秋の自然を楽しみながらも 自分にとっては 日本も異国のような
 ものになっている。
 毎日 途切れることなくそこで生活しているから 故郷にもなるし、母国にもなる。
 今の自分から見れば、故郷でもあったし、母国でもあったという過去形の世界に
 なっている。
 豊かな人間関係が育ち、つながりのある地域社会があって、故郷も母国も現実のものに
 なる。

 40年前に田舎から出てきて 15年ばかり住んだ東京、田舎から出てきたときに
 いつも耳にし、口ずさんでいた曲に 吉田拓郎の『どうしてこんなに悲しんだろう』が
 ある。
 東京に溶け込もうとしてもがいていた自分の気持ちと同じものを感じたのだろう。
 その思いは 40年たった今も どこかに残っている。


   どうしてこんなに悲しいんだろう
            吉田拓郎 作詞・作曲

   悲しいだろう 皆同じさ
   同じ夜を むかえてる
   風の中を 一人歩けば
   枯葉が肩で ささやくョ

   どうしてだろう このむなしさは
   誰かに逢えば しずまるかい
   こうして空を 見あげていると
   生きてることさえ むなしいョ

   これが自由というものかしら
   自由になると 淋しいかい
   やっと一人になれたからって
   涙がでたんじゃ困るのサ
   やっぱり僕はひとにもまれて
   皆の中で 生きるのサ

   人の心は 暖かいのサ
   明日はもう一度 ふれたいな
   一人ごとです 気にとめないで
   ときには こんなに思うけど
   明日になるといつもの様に
   心を閉ざしている僕さ

 どうしてこんなに悲しいんだろう/吉田拓郎
 http://www.youtube.com/watch?v=XnBoha90koM&feature=related


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東京 | 23:09:17 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 共生する社会
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 よく訪れるブログの中の記事を読んでいると こんなことが書かれてあった。

  「西洋文明と東アジア文明の違い」  世界経済を認識する基礎
   ●西洋文明と東アジア文明の違い
   http://sun.ap.teacup.com/souun/1764.html

  ~ 西洋文明は、「悪」を強調することで「善」を高め、「悪」の脅威をふれまわることで
  まとまってきた。はじめから共存を否定しているので、まとまるためには、
  どこかに「悪」という「敵」が必要になる。

  一方、東アジア文明は、「共存」が基本だった。西洋文明は「異質な敵」を見つけ出し
  「排除」するのが常識だったが、東アジア文明は「異質」の「混在」が常識だった。
  過去から現在まで、東アジアが同じだったことはない。両者の歴史を比較してみれば、
  文明に本質的な違いがあったことがわかるだろう。

  欧米のように、わざと違いを際立たせ、すべてを善悪で判断しようとしたら、
  永遠に共存(和)などありえない。違いを認めることが、共存への第一歩だからだ。
  自分と違うものをみな敵にしてしまえば、いつまでたっても平和がくるはずがない
  だろう。

  西洋文明と東アジア文明は、まったく正反対といっていいほど異なる文明だった。
  基本となる価値観が違いすぎるため、文明の観点から語らないととんでもない過ちを犯す。
  それなのに、文明の違いを無視して強引に比較してくるので、東アジア文明
  など存在しないとまでいい出す人間がいる。西洋文明の常識を世界の常識にして
  しまうのは、とんでもない誤りである。

  東アジア文明は、ひと言でいうなら多様性である。東アジア文明には寛容という
  共通点があるから、文明の多様性を保っていられる。

  西洋文明は、同一性である。だが、同一性があるのは、排他的な文明だからだ。
  常に自分の考えを他人に押しつけ、多様性を認めないからみな同じなのだ。

  東アジア文明は、たとえていうなら寄せ鍋だろう。寄せ鍋の良さは、ひとつ一つの
  具がダシとなって、互いに生かしあっている点である。あくまで、似ていて異なる
  文明なので、具のひとつを取り上げて、それが寄せ鍋だとはいえない。

  寄せ鍋をするなら、同じ鍋に色々な具を入れる寛容さが必要である。
  この「多様性」を許す「寛容さ」で「共存」することで、ひとつのまとまりに
  なっていた。

  西洋のように、「排他性」で「同一性」を保つのとは、本質的に違うのである。

  それにも関わらず、東アジアはバラバラで共通点がないから、「西洋文明の常識で、
  東アジアを統一しろ」と平気で主張する人間までいる。驚いたことに、東アジアの
  多様性を評価するどころか、悪いことだといっている。
  民族にも宗教にもこだわらずに、みんなで仲良く共存してきた文明を否定して、
  常に自分が正しいといって譲らない文明を受け入れることが本当にいいことなの
  だろうか。

  資本主義や民主主義は、“一本化された文明が作った制度”である。
  それを多様性のある文明が取り入れれば、矛盾が生まれて当然なのだ。
  だからこそ、日本型資本主義も誕生した。

  日本型資本主義と欧米型の違いは、自分さえよければいい資本主義と、みんなで
  豊かさを分かち合う違いである。この差は、すべて文明から生まれていた。
  東アジア経済が復活したのも、日本が無意識に進めた共存の概念のお陰だった。

  もし日本が自分さえ儲かっていればいいと考えたら、東アジア経済の復興など
  ありえなかっただろう。

  すべては、文明の違いをどう解決するかにあった。資本主義や民主主義のために
  「自分の文明を捨てる」のか、それとも資本主義と民主主義の方を妥協させて
  「自分の文明に合わせる」のか、どちらの道を選ぶのかである。

  西洋文明の常識から逃れなくては、東アジア文明の価値を見い出すことはできない。
  東アジア文明を愚弄する前に、まず理解することが必要だろう。~
           
              ~ 晴耕雨読(http://sun.ap.teacup.com/souun/)より

 
 この26年間 日本で生活するより、タイやネパールで生活するほうが長い。
 カトマンズで生活していると カトマンズ庶民の生活水準は 日本と比べると
 はるかに低い。
 カトマンズを流れるバグマティ川の岸辺には バラック建てのスラムが建ち並んで
 いるし、多くの人たちは狭い部屋を借りて、家族3,4人で生活している。
 大半の部屋には 台所もトイレ・浴室もない。
 ここ10年以上に渡って、カトマンズの人口は増加し続け、地方からカトマンズに
 やって来た人たちが住む場所を見つけることも難しくなっている。
 確かに皆 貧しいといっていいだろう。
 しかし、こうしたカトマンズ庶民の表情を眺めていると 意外と明るいのである。

 貧しい人たちの生活を見ていると 孤立していないのである。
 貧しいもの同士が寄り添って 互いに支えあって 生活していこうという姿がある。
 少なくとも カトマンズについていえば 飢え死にしたという話はあまり聞かない。

 カトマンズ盆地に昔から住んでいる民族はネワール族という民族で 彼らは民族や地域、
 血縁関係の絆を強めるために 数多くの行事がある。
 行事の際に作られた食べ物は 余れば、貧しい人たち、物乞いの人たちに与える習慣が
 ある。
 多くの行事を通して 過剰な富を分配していくことにもなっていた。
 寺院を造る、仏像を喜捨する、数多くの宗教行事、血縁関係の行事を行う 
 これらのことで過剰な富を社会に還元していたのである。

 私が初めてネパールを訪れた26年前は こうしたことが 当たり前のこととして
 行われていたが ここ10年ばかりで 世相は随分変わってしまった。
 金持ちたちは 投資のために土地を買いあさる、株式投資に熱中することで富を
 貯め込むことばかりに興味を示し、宗教的な行事や血族関係の行事などはだんだん
 簡素化し、持っている富を吐き出すことはなくなってきている。
 遅ればせながら、ネパールも日本や欧米の価値観を追いかけ始めている。

 昔も富裕層が大半で 大半が貧しい人たちだったが、機会があれば、富裕層は
 その富を社会に還元していたが、今では儲けたお金を貯め込むだけで 社会に
 還元することはない、そして 貧しい人たちに分け合うこともなくなっている。

 カトマンズは ここ10年ばかり カトマンズ庶民は 水不足で苦しんでいる。
 カトマンズ庶民の唯一の救いといえば、今から 3,4百年前のマッラ王朝時代に
 造られたドゥンゲ・ダーラ(石造りの共同水場)である。
 こうしたドゥンゲ・ダーラが街の至るところにある。
 しかし、民主化後 20年近い時間が流れたが、汚職ばかりが横行し、カトマンズ
 市内のインフラは 一向に進まない。
 水不足と電力不足は ここ4,5年最悪の状態である。

 それでもカトマンズ庶民は 少ない収入の中で どうにか生活している。
 日本人だったら、到底耐えられない状況でも お互いに助け合う、支えあうことに
 よって どうにか耐えている。
 親・兄弟、親戚など絆がしっかりと残っており、助け合う形が残っているからだ。
 自己責任、個人主義といった西洋的な価値観ではなく、人間は基本的には弱い存在で
 あることを知っているからだ。
 それが優しさにつながっている。だから、助け合うのである。
 この優しさを忘れた社会が 今のアメリカであり、それに追従してきた日本なのでは
 ないだろうか。
 強い人間だけが生き残る世界、ずる賢い人間が富を独占する世界、そこには優しさと
 いう言葉はない。
 東アジアだけでなく 東南アジアも南アジアも 共生を大切にする社会だったはずで
 ある。

 日本人旅行者が ネパールにやってきて ほっとするのは 古き良き日本の原型を
 見出すからなのではないか、そんな気がしてくる。



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東京 | 20:50:46 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 真夜中のスーパーマーケット
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東京 真夜中のスーパーマーケット 4

 日本に帰国したときに 今の場所に滞在するようになって 14,5年になる。
 初めの頃は 近くにスーパーマーケットはなく 買い物をするといえば、
 1キロ以上まで行く必要があった。
 それから2,3年経つと 近くにスーパーマーケットが出来、そこをもっぱら
 利用することが多くなった。
 このスーパー、出来た頃は 閉店時間は夜8時、それが9時、10時となり、
 今では真夜中の1時が 閉店時間になっている。

 閉店時間が遅くなってくると、閉店時間の1時間前から肉・魚、惣菜、弁当類が
 割引価格になってくる。
 閉店時間に近づけば、近づくほど、どんどん安くなる。
 収入の少ない私にとっては 有難いことだが、閉店時間が遅くなるにつれて、私の
 食事の時間も遅くなってしまうことになる。
 時間に追われる生活をしているわけではないので それは構わないのだけれど、
 夜12時過ぎても この安売りになる時間を目当てにやってくる人たちも
 意外と多い。
 私もその中の一人である。
 
 閉店時間の30分前ぐらいから その日に売り切らなくてはならない肉・魚、惣菜、
 弁当類は 定価の3分の1程度になる。
 このことは 最近 気がついた。半額以下にはならないだろうと思っていたのである。
 大半の客は 独り住まいの人が多いようだ。
 収入が少なければ、少ないなりに 工夫するよりは仕方がない。
 年収200万円以下の労働者が1千万人を超え、年収300万円以下の労働者が
 日本の人口の半分以上を占めるようになってきている世の中である。
 節約するか、共稼ぎでもしなければ 生活していけない世の中だが、家族がいれば 
 こんな時間にやってきて 夕食の材料を買うというわけにはいかないだろう。

 私が日本に住んでいた25年以上前といえば、夜中の10時を過ぎれば、大半の店は
 閉まり、買い物などは出来なかった。
 それでも 皆の生活はそれで成り立っていたのである。
 コンビニエンスストアやこんなスーパーが出来、便利にはなったが、
 人間が生きていくための生活時間という面では どうなのだろう。

 私は 1年のうち 大半はネパールのカトマンズかタイのバンコクで過ごすことが多い。

 バンコクは バンコクの中心部に住んでいるが 小さな商店は夜8時、9時になれば
 閉まり、大型スーパーであれば、夜9時閉店、遅いところで10時閉店である。
 バンコクのスーパーなどでも 閉店間際になると 惣菜類が割引になる。
 唯一開いている店といえば、24時間営業のセブンイレブンかファミリーマートだ。
 バンコクの一般の人々の生活もだんだん 日本並みの生活時間に近づき、
 特に刺激を求める若者たちの生活の仕方が 日本に近づいてきている。

 カトマンズであれば、旅行者の集まる場所を除けば、大半の店は夜8時過ぎになれば、
 閉まり、遅い店でも9時になれば 閉店になる。
 夜9時を過ぎれば、通りを歩く人の姿もまばらになる。
 カトマンズの人たちの生活の基本は まだ陽が昇れば 起き出し、日が沈めば 
 仕事を終え、夕方からはのんびり過ごすという生活の形が残っている。
 お金にはゆとりはないけれど 時間にはゆとりがあるという生活だ。
 夕方5時、6時には家に帰り、ネパールでは夕食時間が9時、10時だから、
 それまでの時間は 家族と一緒に過ごす、あるいは 通りに出て、行きつけの
 雑貨屋の前に並べられた椅子に座り込んで 近所の人たちと世間話を楽しむといった
 過ごし方である。
 刺激がないといえば、刺激のない生活ともいえる。

 刺激ばかりを追いかけ、家族、地域の中で共生する生活が失われていけば、
 孤立した自分が残るだけだ。
 今の日本の都会では 地方からやってきた働く若者にとっては それが当たり前の
 生活になっているのかもしれない。
 20代の若者が 凶悪な犯罪を引き起こす、片棒を担ぐ、自殺をするというのは
 育っていない他者と共生する能力や場の喪失、足場のはっきりしない未来に対する
 不安から来るのだろう。
 深夜遅く コンビニエンスストアやスーパーで カップヌードルや弁当を
 買って帰って、一人で食べる。
 そんな生活を長く続けていれば、いつか心は荒涼としたものになるだろう。

 私の場合は 20代から30代初めの頃までは 仕事にひたすら打ち込み、
 仲間もいたが、もし それがなかったら、どうなっていただろう。
 今の東京だったら、生きていけないかもしれない。
 過度な孤独は やはり 人間から 暖かい気持ちや希望を奪い取ってしまうものだ。

 バンコクでも カトマンズでも 遅い速いの差はあっても 若者たちの世界は
 確実に日本に近づいてきている。
 我々が望んでいた未来社会とは どんなものだったのだろう。
 皆 どこか こんなはずではなかったのにという思いがあるのでは
 ないだろうか。


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東京 | 21:36:02 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 路地裏の世界‐04 路地裏はユートピア
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 高層ビルの谷間のようになってしまったセンセーブ運河の向こう側にある路地裏の
 ある下町には何でも揃っている。
 路地裏から表通りに出れば、下町の中心には 昔ながらの市場があり、野菜も
 肉・魚、雑貨も 売られている。
 大型スーパーに比べれば、2,3割値段も安い。
 市場の前は 夕方近くなると 多くの屋台や露店が並び、路地裏の棟割長屋で
 生活している人たちが 夕餉の惣菜を求めて 行き交う。
 夕方の7時を過ぎれば、惣菜を売っているほとんどの店では 一斉に大安売りが
 始まる。
 野菜や肉・魚だって 店仕舞い前になると 買うかどうか迷っていると 値段を
 下げて 声をかけてくれる。
 高収入でなくても どうにか生活することが出来る形がまだ残っている。
 お金がなくても 気安く、気楽に生活できるのである。

 パン屋のおばあちゃんも茹でた南京豆を売るおばあちゃんも 表情が明るい。
 学校帰りの中学生たちも楽しげに下校している。
 一時代前の日本の中学生の持っていた表情だ。
 お腹が空いたのか 女子中学生が 寄り道して 市場の中で 嬉しそうに
 なにやら 麺類のようなものを食べている。
 どの光景も贅沢さとは無縁の世界であるが 心のゆとりを感じさせる姿である。

 この地域から 1キロばかり離れた場所には サイアムスクウェアという
 一大消費センターがある。
 そこで売られているものは時代の最先端を行く高級な商品ばかりが売られ、
 やって来る人たちも よそ行きの顔をしている。
 両極端な二つの世界が共存しているバンコクだが、バンコク庶民の住む路地裏の
 ユートピアは いつかは消え去ってしまうだろう。

 豊かさを標榜した未来社会であるが、その豊かさを享受できる人間は限られることが
 だんだんはっきりとした姿になってきている。
 貧しければ貧しいなりに 皆で支えあって生きていく世界が どんどん小さくなり、
 生活することが ますます苦しくなる。
 やはり 今の世界の流れは 何かおかしい。
 汗水たらして、路地裏の作業場で働く人たちや家族が報われない社会、それは
 日本も同じである。

 どうにかこうにか生きていくことが出来る世界が失われたとき、人間の住む社会では
 何が起こってくるのだろう。
 それは現実のものになってきている。
 自殺、陰惨な犯罪、戦争・・・
 生きる場所の回復への道は残されているのだろうか。
 失ったものがなんだったのか それすら思い出せなくなっているのではないだろうか。

 子供たちに豊かな未来をという言葉は美しいけれど、それを実現するための道筋は
 見つかっているのだろうか。
 その答えの手がかりが この路地裏のユートピアにはあるような気がする。


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バンコク ある風景 | 12:44:54 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 秋晴れの夕暮れの中を
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 展示会の案内状の写真を撮る、印刷会社へ送る原版を作ることが終わり、やっと
 一段落終了である。

 昨日は 気分転換に 夕方の4時過ぎに近くの運河沿いに作られた公園を散策して
 見ることにした。
 運河の秋晴れの雲ひとつない空の西の端では 陽が沈みかけている。
 この夕陽を追いかけて、歩いてみようという気になった。
 どこか 夕陽のよく見える場所を求めて 横十間川と呼ばれている運河沿いの歩道を
 歩き始める。
 この辺りは 横十間川親水公園になっており、子供たちのためのアスレチック公園や
 ボート乗り場がある。
 運河沿いの木々の葉は 紅葉にはまだ程遠い。
 東京の紅葉は 11月近くなってから始まる。
 この運河は南北に走る運河であるから、夕陽を見るには都合が悪い。
 この運河の南の端で 運河 仙台堀川に交わるから急いでそこまで行き着かなくては
 ならない。
 江東区には 親水公園が多く、この仙台掘川沿いも 仙台堀川親水公園になっている。
 この運河は 東西に流れているから この運河沿いに夕陽を追いかけて 西に向かう
 ことが出来る。

 夕陽は沈みかけているので 急ぎ足で夕陽のよく見える場所を目指す。
 途中 警察官は 自転車に乗ってやってきた若者をチェックしている。
 どうも 盗難自転車かどうか調べているらしい。
 マニュアル通りのチェックをしているような若い警察官である。
 自転車をみたら、盗難車だと思えといった対応ぶりである。
 秋の公園でのサイクリングにやってきた人たちからすれば、こんなチェックは
 不快感を与えるだけである。
 無線で自転車の登録番号を知らせ、盗難の自転車かどうかを確かめている。

 ひたすら歩き、仙台堀川親水公園の西の端までやってきたが 夕陽のよく見える
 場所には行き着かない。

 公園を出て 再び 運河沿いに歩き始める。
 そうすると 1キロばかり先に 大きな吊橋が見える。
 あの上に上れば、夕陽がよく見えるに違いないと思い、吊橋を目指す。
 吊橋の下は 都立木場公園という名の公園になっている。
 吊橋に上る道を探しながら、公園の中に入っていく。
 公園のベンチでは 70歳近い老人が眠り込んでいる。

 吊橋の入り口にやってくると てっきり 自動車のための吊橋だと思っていたら 
 運河の向こうの公園とこちら側の公園を結ぶ歩道としての吊橋だった。
 なんとも贅沢極まりない吊橋である。
 高度成長期の産物だろうか。
 あきれ果てて物が言えなくなってしまった。
 1日 何人の人間が渡る吊橋なのだろうか。

 吊橋の上に立つと もう夕陽は沈み、夕焼けが始まっていた。
 橋の下の草原では 何人かの高学年の小学生が 遊んでいる。
 大人に干渉されないような場所を探し当てたといった様子で遊び興じている。
 こんな草むらが 私の幼少年時代の遊び場だった。
 大人に管理された遊び場などでは 本当の楽しさは味わえないものだ。

 吊橋の上から夕陽を眺め、家路へと向かい始める。
 都会のビルの谷間に沈む夕陽を見ることは出来なかったけれど 夕焼けをのんびり
 眺めることは出来た。
 2週間前は バンコクのチャオプラヤ川に架かるサファン・プット(仏陀橋)の上で
 沈み行く夕陽を眺めていた。
 はるか遠い出来事のように思えてくる。

 夕闇がどんどん迫ってくる。
 後を振り返ると 夕焼けの中に吊橋が 浮かび上がっている。

 再び 親水公園の遊歩道を歩き始める。
 公園の中では 若い警察官が 飽きもせず 盗難の自転車のチェックをしている。
 口うるさい老人のチェックをしているらしく どうしてチェックをするのかと
 さんざん 文句を言われているようだ。
 確かに 自転車泥棒のように見られ、チェックをされれば、誰だっていい気持ちは
 しない。腹も立つ。
 東京も ますます世知辛くなっている。

 すっかり暗くなった公園の中を歩いて、部屋へと向かう。
 東京では この時期になると 夕方の6時を過ぎれば 暗闇の世界である。

 今までは 部屋の近くだけを散策していたけれど、江東区という場所だけ限っても
 興味深い場所は多い。
 江東区内の橋や運河を巡っても 楽しい散策になる。
 バンコクやカトマンズに比べると 自然も多く残っている。

 しかし、こうした親水公園も 犬の散歩、行き場を失った老人たちの
 時間つぶしの場所になっていて、生活のざわめきが聞こえてこない。
 皆 忙しすぎて こんな公園を生活の中で活用できなくなっているのだろう。
 定年退職をした人々も いきなり 海外長期滞在を考えるのではなく、身近な場所を
 もう一度 見つめ直してみる、そして自分の足元を考える落ち着きも大切なのでは
 と思えてくる。



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東京 | 12:55:51 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク バンコク都心の縁日‐03 子供のいない縁日
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 バンコク都心の縁日には 子供の姿があまり見当たらない。
 広場の奥には 小さな子供のための小さな遊園地が用意されているが、
 やって来る子供はほんの僅かだ。
 学校も前期が終わり、後期が始まる前の休みに入っているというのに 
 子供の姿がない。
 縁日に子供たちの姿や親子連れの姿もない。
 この縁日が バンコク都庁か区役所主催の催しの縁日で 地域ぐるみのものでは
 ないからだろう。

 今、サイアムスクウェアといえば、バンコクで1番地価の高い場所になっている。
 バンコク一の消費センターと言ってもいいだろう。
 BTS高架鉄道の2車線がここで交わり、交通の便もいい。
 少しでも空き地があると すぐさま20階、30階建てのマンションやホテル、
 オフィスが建ち始める。
 今でもセンセーブ運河の向こうには 下町風景もあるが 周りはマンションや
 オフィスビルに囲まれている。
 だから、この辺りに住むバンコク庶民など僅かで、子供の数も少ない。
 この辺りの高層マンションといえば、交通の便の良さから 高級マンションで
 1平米当たり10万バーツ 家具付きの60平米のマンションであれば、6百万バーツ、
 日本円で約16,7百万円 こんなマンションを購入できる人といえば、バンコクの
 中でも一握りの人間である。
 こんな場所に住む人たちは 縁日などにやってきて、物を買ったり、食べたりは
 しない人たちである。

 縁日にやってくる人たちといえば、地方の村から出稼ぎにやってきた人たちが、
 縁日を覗き、安いものを見て回って 夜の時間をつぶしているというのが大半だろう。
 周りは高級ショッピングセンターや高級デパートで 彼らが気楽に入っていける
 ショッピングセンターといえば、気楽にウィンドウショッピングが出来るMBK
 センターぐらいのもので 他の高級なショッピングセンターでは気後れしてしまう。
 だから、冷房の効いた涼しいMBKセンターが 夜の9時近くに閉まると 
 時間つぶしのこの縁日にやってくるのである。

 MBKセンター周辺に住む今どきの子供たちは 縁日の隅っこに設営された
 小さな遊園地などには興味を持たない。
 家でテレビを見ているか、近所のコンピューターゲームの店で 遊んでいるほうが
 楽しいだろう。
 バンコクも少子化が進み、東京と同じように子供の数が少なくなっている。
 近頃では 家庭には子供二人というのが一般的になってきている。
 バンコクの中心部では 子供の数は少ない。
 昔は 繁華街のあるシーロム通りなど、スラム街のあるクロントーイに近いから
 夜遊びをしている子供たちの姿をよく見かけたが、今では そんな子供たちの姿も
 ない。
 もうバンコクの中心部は バンコクの一般庶民が住む場所ではなくなっている
 のだろう。

 地方からの出稼ぎの人々はどんどん増え続け、大人ばかりが増えていく。
 余程収入のある仕事に就けば、田舎から家族を呼び寄せることも出来るが、
 ほとんどの出稼ぎの人たちにとっては 夢のような話である。
 高い部屋代、食費と 地方からの出稼ぎの人たちが 家族を持って住むには
 バンコクは 困難な街だ。

 都市が近代化されていくことは 一体 誰に幸福をもたらすのだろう。
 高層オフィスビル、高層マンション、高級ショッピングセンターと どんどん
 建ち並んでいくが 誰がその恩恵を受けるのか、これはどうもおかしいぞと
 判然としない思いに駆られる。
 ずーっと 騙され続けてきたのではという疑いも湧いてくる。


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バンコク風情 | 13:34:11 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク バンコク都心の縁日‐02 縁日の食べ物
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バンコク バンコク都心の縁日‐02 縁日の食べ物 8

 バンコクの都心の縁日と言っても 別に神社のお祭りと関わりがあるわけでもなく、
 開けば楽しいからぐらいが 理由だろう。
 バンコクなどは 市場周辺や人がよく行きかう路上には 当たり前のように 露天や
 屋台が並び、毎日が縁日のような街だ。
 だから このMBKセンター横の屋内競技場の前の縁日も 別に特別なものが
 売られているわけではない。
 普段は 別の場所で露天や屋台を開いている人たちが 上手く伝を得て、
 ここに集まったというのが本当のところだろう。

 しかし、そんな露天や屋台でも 一同に会すると お祭り気分も少しは湧いてくる
 ものだ。
 烏賊の串焼きや焼き鳥、豚肉、牛肉、魚肉の練り物の団子の串揚げ、鳥のから揚げ、
 お菓子、昔からのタイ風な飲み物、そんなものを一つ一つ 見て回っていても
 楽しく気分はなる。

 中でも気になった食べ物は ホーイ・トートというタイ風お好み焼きである。
 昔、食べたことがあるが、油がたっぷり使われ、その油にうんざりして しばらく
 食べていなかった。
 私が今回眺めた店では 丸い枠を使い、形のよい如何にもお好み焼きといった感じで
 ガツイ(タイのオカマさん)のお姉さんが 上手に焼いている。
 大きな海老入りのものとムール貝の剥き身の入ったものと2種類ある。
 卵と特性の粉(ペンマンと呼ばれるタピオカから採った粉や米粉?)を水で溶いた
 ものを鉄板の上で焼き、ムール貝の剥き身を加え、最後にたっぷりとモヤシを加えて、
 焼き上げる。
 海老入りは高そうなので ムール貝入りのものを頼んだ。
 一皿40バーツ、なかなかいい値段である。量があるからだろう。
 普通 売っているものは20バーツくらいではないだろうか。

 出来上がったものにチリソースやナムプラーなどをかけて食べるのだが、
 意外と硬くカリカリした食感である。
 日本のお好み焼きに慣れている日本人には少し抵抗がある。
 味付けに使うチリソースやナムプラーも工夫がなくて、特製たれなどを工夫すれば、
 もっと美味しく食べることが出来るのではと思うがどうだろう。
 ホイソース、チリソース、ナムプラー、醤油、酢、大蒜などを上手く混ぜ合わせて
 たれを作れば、美味しいものが出来ると思う。
 それは 日本人の味覚を持つ私の好みである。

 ただ 1週間というその期間限りの食べ物の屋台の味は 市場周辺や人の行きかう
 路上で 毎日出ている屋台に比べると 落ちるようだ。
 いつも同じ客を相手にしていれば、まずければ、固定の客はつかない。
 何年も同じ場所で同じ食べ物を売り続けていくためにはそれなりの味が必要だ。
 通りすがりの客相手だけでは やっていけない。

 その後 もう一度 この縁日にやってきて 夕食のおかず用に カー・ムー(豚足の
 煮込み)をビニールの袋に詰めてもらい、部屋に持って帰り、炊いたご飯と一緒に
 食べてみたが、豚足を煮込むスープに工夫がなく、ただ砂糖と醤油で煮ただけの
 単純な味付けだった。
 この工夫のない味付けでは 一度は知らずに食べても 二度目はない。
 縁日の屋台料理とそんなものなのかもしれない。

 久し振りのMBKセンター横の広場の縁日だから、いろいろつまみ食いをしてみたが、
 どれもこれも 通りかかった客を相手にする味で 納得するものはなかった。

 食べ物ではないが 大安売りの1枚百バーツの厚手のバスタオルを買ったのが
 収穫ぐらいのものだが、これだって 別の場所だったら もっと安く手に入ったかも
 しれない。
 雰囲気を楽しむのが 縁日の楽しみなのだろう。



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バンコク風情 | 11:12:04 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク バンコク都心の縁日‐01
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バンコク バンコク都心の縁日‐01 10

バンコク バンコク都心の縁日‐01 11

 夜の8時を過ぎたので MBKセンター(マーブンクロン)の東急デパートの
 1階にあるパン屋のサンジェルマンに朝食用のパンを買いに行くことにする。
 夜の8時半からこのパン屋ではパンが半額になる。

 外の通りに出ると 東の空に満月が昇っている。
 中秋の名月だ。この時期になるとバンコクのどこでも月餅が売られている。
 タイ人向けというより中国人向けである。
 昔に比べると 随分高価なお菓子になっているから 手が出ない。

 通りから大通りのラーマ1世道路に出ると 通りの向こう側の国立競技場の横の
 屋内競技場の前の広場が やけに賑やかである。
 縁日が始まっているようだ。

 私が東北タイのコンケンからバンコクに越してきたときには この広場では毎日の
 ように縁日が開かれていた・
 ちょうどタイが金融危機に陥った頃で 仕事を失ったバンコク市民に仕事の機会を
 与える目的で政府がこの場所での商いを許可していたのである。
 今回の目的が何なのかはよくわからない。

 急いでMBKセンターの1階のサンジェルマンでパンを買い、
 さっそく屋内競技場前の広場の縁日を覗いてみることにした。
 入り口近くは 20バーツ均一商品の店が並ぶ。日本の百円ショップのタイ版の
 ようなものである。
 あとは 悪かろう 安かろうといったアクセサリーや衣料品の店が並んでいる。
 主流は やはり食べ物の店だ。
 別に珍しい食べ物が売っているというわけではないが いろいろな食べ物屋が
 集まっているだけでも楽しい気持ちになる。
 縁日的な雰囲気の問題である。
 食べ物の品質については保証できない。
 日本の縁日で売られている食べ物だって同じことだろう。
 縁日のときだけのその場限りの商いでは 信用は二の次である。

 大きな蛸の足の串焼きを売っているのには驚いた。まさしく 巨大蛸の足だ。
 タイ語で烏賊はプラー・ムック、蛸はプラー・ムック・ヤクと呼ばれている。
 タイで売られているたこ焼きの蛸などは 輸入品で高価なものだが、ここで
 売られている蛸の串焼きはやけに安い。
 地元で採った蛸なのだろうか。
 味見をしてもよかったのだが、先日来 歯に悩まされているので 遠慮した。

 縁日の店の並ぶ区域の横では この縁日の催しを盛り上げるために 舞台が
 用意され、若い女の子たちが舞台の上で ルットゥンと呼ばれるタイの演歌に
 合わせて踊っている。
 観客の姿もまばらで わびしい姿である。

 昔 コンケンに住んでいた頃やタイの田舎の都市を旅しているときにも 
 よく縁日に出合ったものだ。
 楽しみの少ない田舎町では 縁日はもっと盛況だった。
 皆が どこかお祭り気分を楽しんでいるといった様子もあった。
 タイの演歌 ルットゥンが歌われる舞台があったり、即席の野外映画館などもあって
 人で混雑していたものだ。
 近隣の村から 小型トラックに乗って縁日を楽しみにやってきている人たちも
 多かった。
 縁日の行われている場所の隅っこでは メコンウィスキーやラーオ・カーオという
 焼酎と食べ物の屋台から買い込んできた食べ物を囲んだ宴会が楽しげに開かれて
 いた。
 だから 縁日自体もわくわくするような雰囲気にあふれていたが バンコク都心の
 縁日では そんな素朴でいてどこかいかがわしい猥雑な雰囲気は感じられない。
 MBKセンターに買い物に来たついでに この縁日をちょっと覗いてみたという
 人たちが大半で、単なる暇つぶしにやって来ているとしか感じられない。

 刺激の多い都会では どこにでも縁日のような小バザールがいたるところにあって、
 こんな縁日など別段珍しいものではない。
 たまたまやって来た外国人観光客にとっては 興味を感じさせる場所なのだろうが。



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バンコク風情 | 21:10:09 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 成田空港から東京へ
東京 成田空港から東京へ

 入国審査も税関も 何事もなく スムーズに通過し、煙草を吸いに空港の建物の外へ
 出る。
 台風の影響が残っているせいか 10月の日本なのに意外と蒸し暑い。
 風はほとんど吹いていない。
 台風がやってきたなど嘘のようである。
 成田空港の入国の際には 喫煙場所がなく、煙草を吸う人間には不親切な空港である。
 空港の外の喫煙室も 見回したところ 一箇所だけだ。

 喫煙室に入り、のんびり煙草を吸っていると 一人の日本人が話しかけてくる。
 航空機内で 隣の座席のタイ人との会話を聞いていたらしく、
 「タイ語が上手ですね。」と声をかけてくる。
 50歳近い年齢だろうか、ここ10年ぐらい 仕事のためにタイを行き来しているという話で
 1年 の半分はタイに滞在していると言う。
 こんなものを作っていると言いながら、取り出したものは 極細の銅線をコイル状に
 巻いた器具で、リュウマチに悩む人が痛む箇所にこの器具を当てて置くと痛みが
 消えるという話である。
 それをタイで生産しているらしく、タイの寺院にも寄贈してきたと言う。
 少し、詐欺師めいた雰囲気を持った男だった。
 どういう理由で 効果があるという説明はなく どうも説得力はない。

 京成電車に乗り込み、出発を待つ。
 電車に乗り込み、大勢の日本人に囲まれると 日本に帰ってきたという実感が湧く。
 隣には 年配の外国人夫婦が座りこんでくる。
 話しかけると カナダからやって来ており、JR上野駅から新幹線で秋田へ向かうと
 言っている。
 ご主人は 秋田で開かれる老人問題の会議に参加し、奥さんは温泉を楽しみにしている。
 秋田訪問の後は 再び東京、その後はお決まりの京都見物らしい。
 初めて日本にやってきたような外国人旅行者が近くにいると 出来るだけ話しかける
 ようにしている。
 異国で声をかけてもらえると 緊張や不安が軽減することもある。
 騙そうと思って近づいてくる人間は困るけれど、親切心から声をかけてもらえると
 助かることも多い。
 インドやネパールを旅していたときに受けた親切は いつまで経っても忘れないものだ。

 京成電車沿いの千葉の田園風景の中を電車は走っていく。
 昔ながらの灰色の瓦屋根の農家を見ていると 遠い故郷の景色が思い浮かんでくる。
 白壁に素焼きの灰色の瓦屋根の木造家屋 それが私にとっての 日本の家屋である。

 電車は 京成船橋駅へと滑り込んでいく。
 ここでJR船橋駅に乗り換えだ。外出るともう夕暮れである。
 JR船橋駅のホームに立つと 西の空が 夕焼けで染まっている。
 夕焼けを眺めているうちに こんな歌が ふと浮かんできた。
 40年近く前によく耳にしていた友部正人の『一本道』である。
 40年前に立っていた自分の地平も 今も 結局同じ地平にあり、少しも前に進んで
 いないような気がしてくる。
 変わったのは年を取った自分と世の中だけである。


    一本道 / 友部正人    
     
            友部正人 作詞・作曲


     ふと後をふり返ると
     そこには夕焼けがありました
     本当に何年ぶりのこと
     そこには夕焼けがありました

     あれからどの位たったのか
     あれからどの位たったのか

     ひとつ足を踏み出すごとに
     影は後に伸びていきます
     悲しい毒ははるかな海を染め
     今日も一日が終わろうとしています
     しんせい一箱分の一日を
     指でひねってごみ箱の中

     僕は今 阿佐ヶ谷の駅に立ち
     電車を待っているところ
     何もなかった事にしましょうと
     今日も日が暮れました
     ああ中央線よ空を飛んで
     あの娘の胸に突き刺され

     どこに行くのかこの一本道
     西も東もわからない
     行けども行けども見知らぬ街で
     これが東京というものかしら
     たずねてみても誰も答えちゃくれない
     だから僕はもう聞かないよ

     お銚子すき間からのぞいてみると
     そこには幸せがありました
     幸せはホッペタを寄せ合って
     二人お酒をのんでました
     その時月が話しかけます
     もうすぐ夜が明けますよ

 一本道 / 友部正人
 http://www.youtube.com/watch?v=nDOykhBu04I&feature=related


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徒然なるままに | 10:34:56 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 台風を追いかけて バンコクから東京へ‐03 飛行機の中で
バンコク 台風を追いかけて バンコクから東京へ‐03 飛行機の中で 1

バンコク 台風を追いかけて バンコクから東京へ‐03 飛行機の中で 2

バンコク 台風を追いかけて バンコクから東京へ‐03 飛行機の中で 3

 飛行場の中で搭乗口に近いあたりは 節電のためか薄暗い。
 乗る飛行機の搭乗口の待合室で 搭乗の案内を待つ。
 土産物を買いに行っていた例の長期海外生活希望の日本人男性もやってくる。
 免税店でお土産に煙草を買ってきている。
 私も日本では煙草は高いので 日本の煙草1カートンと外国煙草1カートンを
 買ってきた。
 セブンスターは1カートン 560バーツ、ラッキーストライクは1カートン
 500バーツ、日本での煙草の値段の半額以下である。
 しかし、タイの国内でも、免税店でも 売られている煙草に印刷されている写真が
 醜悪なのである。
 バンコクでは レストランや公共の場所では禁煙である。
 政府一丸になって 煙草の健康被害を訴えている。
 その一つの姿が タイで売られている煙草のパッケージに印刷された醜悪な写真である。
 国内向けの煙草であれば、タイ政府の方針であるから仕方がないが、免税店で売られる
 土産用の煙草まで同じであるというのは どうも行き過ぎである。

 そんな話をしているうちに搭乗時間がやってきた。
 座席は通路側である。
 予約したときには 窓際の席だったが、ノースウェストのホームページにある座席の
 変更のところで通路側に空きがあったので変更したのである。
 つい最近 ノースウェスト航空とデルタ航空が合併し、航空機がデルタ航空のものに
 変わってしまった。
 航空機も小さくなり、230人乗りの航空機になってしまった。
 以前は 座席ごとに液晶テレビがついており、液晶テレビで映画を見て 時間を
 つぶしているうちに 目的地に到着ということで 6時間という飛行も気に
 ならなかったが デルタ航空の航空機に変わってからは 昔のタイプのもので
 それも通路上に小さなテレビを備え付けているだけで 上映される映画も見る気には
 なれない。

 そんな飛行機に乗ると 気になるのは隣の座席に座る人間である。
 座席に気の合いそうな人間が座ると 話がはずみ、飛行時間も短く感じられる。
 今回 私の座席の隣にやってきたのは 日本語を話すタイ人だった。
 日本で生活を始めて10年以上になるタイ人である。年齢は45歳前後である。
 非常に当たりが柔らかく、遠慮深く謙虚な物腰に好感が持てた。

 最初は互いに日本語で話していたが やはり彼にとっては タイ語の方が楽らしく、
 いつの間にか 会話はタイ語に変わってしまった。

 バンコクで生まれたタイ人で 父親は中国人、母親はタイ人 だから彼の血は
 50%タイ人ということになる。
 早くに両親を亡くし、随分苦労したらしい。
 若いときは サウジアラビアに2年、イエメンに2年出稼ぎにも行っていたらしい。
 奥さんは 日本人の父親とタイ人の母親との混血で 彼の言葉では 日系ということになる。
 奥さんの父親が働いていた大手日系企業に彼も働いていたことから、奥さんと知り合い、
 結婚すること機会を得たらしい。
 奥さんの父親が 日本に帰国するときに 彼の家族も一緒に日本にやって来て、
 自動車関係の仕事に就職したが、自動車産業の不況の影響を受け、仕事も減り、
 夫婦共稼ぎの生活だ。
 娘はやっと小学1年生、可愛くてたまらないらしく、娘が大きくなるまで 頑張り、
 それからタイに帰国するかどうか 迷っている様子である。
 奥さんもバンコクで生まれ、バンコクで育ったから、母国語はタイ語で 
 日本で生活するようになっても 家庭ではタイ語中心の生活らしい。
 そのために 娘の日本語の習得が遅れることを心配している。
 バンコクでは わずかばかりの土地を買い、家も建て 彼の兄が1階に食堂を開き
 ながら、家を見ていてくれているようだが、心配だから 1年に1回 様子を見に
 タイに帰国している。

 お金を稼ぐために日本に居続けることが 彼の家族にとって幸せなのか、
 出来るだけ早く帰国して バンコクでの生活の基礎を築くことがいいのかどうかは
 迷うところである。
 彼にとっての1番の関心は 娘の教育のことである。
 子供も日本に長く住めば住むほど、日本から離れたくなるだろうし、
 彼は 逆に行く行くは タイでの生活を望んでいる。
 娘が大きくなるにしたがって、いろんな問題が起きてくるのではと心配にもなる。
 これからの日本が 彼の家族にとって 生きやすい国になっていくのかどうかは
 わからない。
 私から見れば、タイのほうが生きやすいのではと思うが、経済的な問題を解決して
 いかないことには タイでの生活も大変だとも思う。
 彼の幸せ、家族の幸せ それをどこで折り合いをつけるのか 判断は難しい。

 そんなことを話し、その後一眠りしているうちに 飛行機は成田に近づいてきた。
 多少の飛行機の揺れはあったが、台風の影響は全く感じられず、雲はあるが、
 青空も広がっている。

 どうにか何事もなく飛行機は 成田空港に着陸した。


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徒然なるままに | 12:15:07 | Trackback(0) | Comments(0)
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