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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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バンコク チャオプラヤ河畔へ‐01 ワット・アルン
バンコク チャオプラヤ河畔へ‐01 ワット・アルン 1

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バンコク チャオプラヤ河畔へ‐01 ワット・アルン 11

 西風が吹き始め、季節は 確実に乾期へと移ってきている。
 まだまだ雲に覆われ、時折 雨に見舞われるバンコクではあるが、
 この西風が吹き始めると 暑い夏も 終わりを告げていることを感じ取り、
 ほっとするところもある。

 バンコクの暑さに負けて、外出を避けていた1週間だったが、今日は 久し振りに
 チャオプラヤ河畔に行って見ることにした。
 部屋の中に籠っていると どうでもいい余計なことばかりを考えるようになり、
 精神衛生上 よくない。

 MBKセンター(マーブンクロン)の横にある国立競技場前のバスの停留所で 
 47番か73番のバスを待つ。
 47番のバスが来れば、ティアン船乗り場へ、73番のバスが来れば、サファン・
 プットへと行くことになる。
 早く来た方に乗り込むことにする。
 今日は どういうわけか バスがなかなかやってこなかったが、最初にやって来たのは
 47番の冷房なしバスだった。
 乗り込んだのはいいが、バスの中は混み合っている。
 7バーツの運賃の用意をしたが、車掌はやって来ない。
 今でも運航している無料バスだったのである。
 目的地のティアンバス乗り場まで どんどん人が乗り込んできて、汗だくだくになる。
 こんなバスの中では スリに要注意である。

 やっとのことで ティアン船乗り場に到着する。
 船乗り場のすぐ横では 公園が完成間近である。
 船は ティアン船乗り場とワット・アルン船乗り場を結ぶ渡し舟であるから、
 すぐにやってくる。
 船賃は 3バーツだ。
 向こう岸には ワット・アルンの仏塔が 聳えている。
 船に乗り込むと、5分もしないうちにワット・アルンに到着、境内に入るとシルバー・
 ウィークの余波か、日本人の姿もある。
 ワット・アルンの入り口近くにある寺院の修復も終わっているようだ。
 巨大な魔物のような像が二つ、寺院の警備をしている。
 この像の造りは まさしくタイスタイルと呼ばれるものである。
 タイの寺院なら 良くお目にかかる像である。

 団体旅行の南インドのインド人の姿が目立つ。  
 チェンナイ(マドラス)あたりからやって来たインド人らしく、南インド独特の
 タミール語の忙しげな言葉が耳に入ってくる。
 とにかく うるさいのである。
 中国人と一緒で 団体になると インド人たちは騒がしく、鬱陶しい人間たちだ。

 仏塔を見上げると 黄色い布が掛かっており、洗濯物を干したようで 仏塔の景観を
 損なっている。
 何か行事に関係しているのだろう。
 この布が 目障りで のんびりと座り込んで 仏塔を眺める気分にもならず、
 さっさと ティアン船乗り場へと引き返すことにした。
 気分が この境内の今日の姿には どうもうまく乗っていかない。

 帰りの船からは ワット・プラケオ(旧王宮)の建物の姿を見える。
 150年以上経った建物なのに 真新しく見え、時間の流れ、歴史を感じさせない
 その姿には いつも違和感を覚えてしまう。
 船は再び、ティアン船乗り場へ着いた。



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バンコク風情 | 20:03:35 | Trackback(0) | Comments(2)
バンコク 路上の精霊の宿る樹
バンコク 路上の精霊の宿る樹 1

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バンコク 路上の精霊の宿る樹 8

バンコク 路上の精霊の宿る樹 9

 近所を散歩していると 路上の片隅、それも主要な道路ではなく わき道の
 ちょっとした狭い空地の片隅に 大木といってもいいような樹が立っていることが
 ある。
 そんな大木には 必ずといっていいぐらいに 赤、青、黄、白の布が巻きつけられ、
 信仰の対象になっている。
 タイに住むタイ族やラーオ族は 仏教を信仰する前は ピー(精霊)信仰という
 土着宗教を信仰していた。


 ― ピー信仰とは 特にタイ族、ラーオ族によるアニミズム(精霊信仰)を指して
  用いられる言葉である。
  ピー タイ語において「精霊、妖怪、お化け」の類を説明するために用いられる
  言葉である。
  バラモン教、仏教伝来などの外来の宗教伝来以前に見られたタイ族・ラーオ族全般に
  見られる信仰の形態であり、現在でもそれらの宗教の影響を受けながら、信仰する
  傾向がタイ族やラーオ族には見られる。 ―


 民家の庭先、ホテルの前、ビルの屋上など街の至るところに立っている小さな祠
 (サーン・プラ・プーム)は ピーの住処である。
 ピー信仰は、本来タイやラオスの土着の精霊信仰であるが、現在では タイや
 ラオスの仏教とも完全に融合し、切り離せないものになっている。
 人の力の及ばないところにピーがいて、ピーは自然の中でこそ、その威力を発揮する。

 長い年月をかけて育った大木は タイ人からすれば、ピー(精霊)の宿る場所に違いない。
 その信仰の証が 樹の周りに巻かれた布であり、大木の前に置かれた様々の像なの
 だろう。
 樹に宿る精霊たちが 悪さをしないようにと 力のある人物の像を飾ったに違いない。

 しかし、バンコクでの都会生活は 人々の心をどう変えていったのだろう。
 自然の中に隠れている脅威に対する畏敬の念は どうなったのだろう。
 物やお金が生活の中心を占めてくることで 人間の心の中に巣食っている闇には
 眼を向けることはなくなってきているのではと感じることも多い。

 タイでは 近頃 凶悪な犯罪が多くなってきている。
 お金のためなら 怖いもの知らずといった感じで 凶悪な強盗・殺人は増える一方だ。
 悪いピーが人の身体の中に入り込み、悪さをしているようである。

 自然と共存してきた伝統的なアジアの価値観は失われ、自然を制圧しようとする
 欧米的な合理的な志向が 人々の心の中に入り込んでいる。
 アジア的な共存・共生社会は失われ、富は一部の者たちに集中し、多くの人たちは
 貧しさの中にいる。
 貧しさが犯罪を生み出すのではなく、格差が犯罪を生み出すのである。
 ものにあふれた消費社会の中で ものを手に入れることの出来る人間と手に入れる
 ことの出来ない人間の格差が 人の心の中に軋轢を生み出す。
 心の軋轢の中に 悪いピーは 巣食うのである。

 そうした悪いピーを駆逐するためのピー信仰は失われ、人々は心のバランスを
 失っていく。
 お金やものの力が 猛威を奮い、一部のもの(先進諸国の企業家も含め)が 富を独占し、
 アジアの伝統的な共生の価値観を破壊してきたのが 近代化の隠された姿である。
 悪いピーたちは 際限なく 活動場所を得ている。


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バンコク ある風景 | 11:07:07 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 路上のレストラン‐02 タイ料理
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 この日は ストリートチルドレンだった子供を 9歳のときから20歳過ぎまで育てた
 養子のような存在であるタイの息子を誘って、この路上のタイレストランに行くことにした。
 もう彼も28才になっている。
 育て始めてから20年近くの歳月が流れてしまった。
 いろいろ大変なこともあったが、今は落ち着いて バンコク郊外のタイレストランで
 働いている。
 母親はいることはいるが 子育てには全く無関心で 幼い時から たらい回しのような
 生活を余儀なくされていたが、どうにか 落ち着いてきたようで少し安心している。

 今でも多少心配なところもあるので 私がバンコクにいるときには 月に2,3回程度
 部屋で食事を作って、酒を一緒に飲んだりもするし、彼に時間があるときは 
 昼食を一緒に摂るようにしている。
 こんなことをしているだけでも どこか心の拠りどころがあって、精神的に荒れる
 こともないだろうと思うからだ。

 この日も雨模様の天気で 空は暑い雲に覆われている。
 料理は適当に彼の好きなものを選ばせる。
 彼の勤めているレストランでも同じようなメニューであるが、この路上のレストランの方が
 はるかに安く、料理もビールも彼の働いているレストランの半額程度、そして
 味には大差はないと言う。

 この路上のレストランに置かれているビールは レオビールだけだ。
 安いということで タイでは人気のあるビールであるが、私が好むのは 
 象印のチャンビールである。

 料理は 上から シーフードのサラダ、その次のものは パック・カナーと呼ばれる
 中国野菜のオイスターソース炒め、そいて、グリーンアスパラと海老の炒め物、
 メインは から揚げにした雷魚をタマリンドの酸っぱい実(マッカム)とガピ(海老の
 ペースト)、ハーブで煮たもの、ペサ・パッチョンと呼ばれているものだ。
 それに 白韮と豚のひき肉の炒めもの、野菜好きの彼に合わせた料理の選択だった。
 それに ホイ・ラーイというタイ風アサリの炒めもの、この貝は 味が濃厚で
 日本でいうアサリの酒蒸し、バターと白ワインの蒸し物にしても美味しい。
 タイでは 香りをつけるために バジルをよく使う。

 これらの料理とレオビール4本を食べて飲んで、610バーツである。
 日本円で 15,6百円だ。
 私にとっては 日頃の食生活からすれば、贅沢な支出だが、月に2,3回なら
 どうにかなる額である。
 こんな料理は 一人で食べても仕方がないので 少し贅沢をするときには 
 彼を呼ぶことにしている。
 予算に限りがあるから、行くところは決まっていて、昼間の握り寿司食べ放題 
 239バーツのタニヤにある小象寿司や 2百バーツで食べ放題の店 OISHIの
 タイすきの店などに限られるのであるが・・・。

 大抵は 材料を買ってきて 手作りの料理を楽しむことにしている。 
 9歳のときから 私の料理の味に慣れている彼にとっては、部屋での手作り料理の方が
 口に合うようである。



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バンコク 食べ物 | 11:36:32 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 路上のレストラン‐01 出会い
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 BTS高架鉄道のラチャテヴィ駅のペッブリ道路に近い階段脇にある路上の
 タイ料理のレストランのことを知るきっかけは こんなことからだった。

 半年近く前 センセーブ運河の水上バス乗り場 サファン・フアチャンの対岸の
 遊歩道を歩いていたときに 歩道脇の空地で 夕方からの屋台の準備をしている
 若者たちを目にした。
 好奇心から どこで屋台の店を出しているのかと尋ねると BTS高架鉄道の
 ラチャテヴィ駅のすぐ近くで カーオトム(お粥)の店を出していると言う。

 後日 その店を探し、行ってみると お粥の店というより タイ風料理の店で
 一人で夕食を食べるような店ではなかったので 何人かで食べる機会でもあればと
 ここで食べることはなかった。
 その後、屋台の準備をする場所を変え、見かけなくなったが、先日 路地裏を歩いて
 いる時、再び、彼らが屋台の準備をしているのを見かけた。

 先日 日本から知り合いがやって来て 屋台のような場所でタイ料理を食べてみたいと
 いうことだったので この店を案内してみた。
 そのときも 夕方から雨が降り、ビルの軒下に並べたテーブルに座り込んで 
 若者たちの作るタイ料理を注文して食べたが 意外と美味しく、値段も安く、
 これはなかなかの穴場であると思った。
 私と日本からやって来ていた知り合いの夫婦3人で ビール4本と料理をたっぷり
 食べて 750バーツ(約2千円)だった。
 屋内に店を構えているところなら、きっとこの2倍近くの値段になるだろう。

 この店にやってくる客は 私たちのように酒と料理を目当てにやってくる客より
 1,2品 簡単な炒め物とご飯を注文し、夕食にしている客が多く、料理の値段を
 高くすると やってはいけないだろう。
 そういう意味でも 庶民的な店で、たまに贅沢をする気になっても 手軽に楽しめる
 店である。
 こうした路上の屋台の店で嬉しいことは ビールが安いことだ。
 ちょっとしたレストランなら、ビール1本 安いもので百バーツを超えてしまうが、
 屋台なら その半額である。

 再び この店にやって来たこの日も 雨期の終わりを告げる激しい雨が降り始めた。
 雨は 屋台泣かせである。
 それでも 長々と降る雨ではないので 止むのを待つだけである。
 雨の降る中 屋台脇のビルの軒下で 降る雨を見ながら、タイ料理を食べ、ビールを
 傾けるのも タイならでの情趣があっていいものである。

 この店をやっているのは 中央タイ ロッブリからやって来ている若者たちである。
 バンコクから バスで2時間半ばかりのところにある町である。
 歴史的にも古い町で アユタヤ王朝時代の第2の都市であり、ナーラーイ王の宮殿も
 ある。
 機会があれば 行ってみたい町だ。


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バンコク 食べ物 | 19:01:21 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 変わり行く季節の中で
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 毎日のように スコールがやって来て、バンコクも季節の変わり目に入ったようだ。
 日中の暑さを除けば、だんだん過ごしやすい日が続いている。
 日本のシルバーウィークも終わり、バンコクにやって来た日本人の姿も少なくなった。
 
 バンコクでの生活も 途中 ラオスのビエンチャンには行ったけれど、早2ヶ月の
 月日が流れた。
 今回 日本を離れたのが 5月の初めだったから 暑いバンコク、雨期なのに 
 雨の降らないカトマンズ、そして再び バンコクと5ヶ月に渡って 夏の暑さの中に
 いることになる。
 蒸し暑さに苦しめられた8月から9月の中旬も過ぎ去り、季節は乾期に向かっている。
 あと10日ばかりで 日本に帰ることになる。

 アジアの布の展示会を 東京 御茶ノ水で11月4日から11月10日までの予定で
 考えている。
 ブータンの野蚕シルク布やインドの野蚕シルク布を中心にした展示会にしようと
 考えているが どういう結果になるだろう。
 安ければ、品質や布の価値とは関係なく、売れるようだが、貴重なものは高価だから
 なかなか売りにくい。
 博物館関係で ブータンの布類など一括して購入してくれれば、いいのだが、伝が
 ないから、そんな機会を得ることが出来ない。
 機会作りのために 無理して展示会を開いているのだが、まだまだ効果は現れない。

 日本は戦後65年目にして やっと自民党政権から脱却して、やっと政権交代を
 果たした訳だが、国民がぼんやりしていれば、国民主権の可能性は失われ、再び、
 官僚、大企業中心の社会に逆戻りをしてしまうことになる。
 この20年 物の豊かさ、消費、マネーゲームに浮かれているうちに 日本の社会が
 どうなったのか 反省を含めて しっかりと見極める必要があるだろう。
 人間が生き生きと生活するために 本当に必要なものは何なのか、考えようと
 しなければ、 今よりももっと悲惨な状況が生まれてくることだってあり得る。
 日本の外の世界は 大きく変化している。

 経済成長神話を信じ続けてきた戦後の日本だが、この20年で生活が 人の心が
 どう変わってしまったのか しっかり見つめる必要があるだろう。
 今やらなくてはならないことは 富の再配分である。
 格差の是正である。
 企業や銀行、金持ちばかりを優遇する悪法は 働く国民のために改正しなくては
 ならない。
 景気など二の次でいい。
 今ある日本の富を 公平、公正に再配分し、格差を是正していくだけでも 
 暗い日本の世相は変わって行くだろう。
 まずは 働くのもが 未来に希望を持って、安心して生活できる環境づくりの方が
 優先されなくてはならない。

 しかし その結果 収入が増えたといって 今までと同じように 物を求めて 
 走り回っているようでは 同じことである。
 戦後65年 アメリカの影響のもとに 個人主義、自由主義、物質優先が謳われ、
 長い日本の歴史の中で育ててきた人間関係、家族制度、地域共同体を壊し続け、
 その揚げ句が 今の日本の姿である。
 長い歴史の中で伝えられてきた民衆の知恵の伝承の形が 家族制度、地域共同体の
 崩壊によって 失われてきた。
 こうしたことをどう再生していくのか 欧米とは違うアジア独特の理詰めでない
 柔らかい社会を再構築していくための努力が必要である。
 ばらばらになった個人や家族は 国家や政治に翻弄されるばかりで自らを
 守りぬくことは出来ない。

 バンコクやカトマンズの昔からの古い集落の中での家族や地域共同体の
 つながりの強さを見ながら、そんなことを感じた。



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徒然なるままに | 11:00:32 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 路地裏の世界‐03 憩い
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 子供たちがいて、働く大人たちがいて、余生をのんびり過ごす老人たちがいる。
 路地裏には 当たり前の人間の生活がある。
 子供たちのための駄菓子屋、腹が空いたときに 仕事の合間に食べるクイティアオ
 (麺類)の店もあれば、惣菜の店もある。
 毎日 回ってくるヤクルトのおばさんもいる。
 すべてが無理なく自然に流れている世界だ。

 休みになれば 開けっ放しの表の部屋で 家族揃ってテレビを見る。
 子供たちは 群がって 遊びに興じている。
 一人一人が孤立することなく、どこかで結びつきを持っている。

 この路地裏の世界は かつて 日本にもあった生き生きとした世界である。
 何十年前かに彼らの祖父母が この地に住みつき、子供を産み、孫が生まれる。
 家族の歴史が 途切れることなく続いて行くことが 人間が安定し、豊かに生活して
 いくための条件であるような気がしてくる。
 祖父母、両親、そして子供たち、この3世代の人間が共に生活していく。
 こうした生活が成り立つ条件は 決して 金銭的な問題だけではないのではと思う。
 こうした路地裏に住む人たちの生活レベルや住居が 日本より恵まれているとは
 思えない。
 それでも3世代揃って生活することが当たり前になっている。
 生活文化の伝承、積み重ねてきた家族の知恵を伝達していくことの大切を知っている
 からだ。

 日本は どこかが狂ってしまっているのである。
 子供が大きくなるまでは 共に住む2世代、大きくなれば 老夫婦だけの生活、
 こんな生活の形の中で 本当に安定した幸福を得ることが出来るのだろうか。
 継続しない家族制度の中では 人間が安心して生きていくための地域共同体も
 生まれてはこない。
 皆 ばらばらなのである。
 子供の自由に任せると言いながら、皆不幸になっていることに気がつかない。
 
 バンコクでも 出稼ぎの人たちの生活は だんだん日本に近づいてきている。
 しかし、この辺りの路地裏に住む人たちは 古くから住み着いている人たちであり、
 昔ながらのタイの家族制度や地域共同体を維持している人たちである。
 それが 路地裏の生活に落ち着きを与え、安心して住むことが出来る場所にしている。

 市場を中心にした細い路地裏によって形作られたこの下町の魅力は 気楽で気さくな
 雰囲気であり、人々が 無理をせず、背伸びもせず 自然に生活していることだ。
 きっと探せば、こんな下町が バンコクにはもっとあるだろう。
 今ではバンコクの中心的な消費センター サイアムスクエアから歩いて15分の
 ところに 昔ながらの姿を保っている下町があるというのは 貴重なことである。
 中国人、仏教徒のタイ人、イスラム教徒のチャム族の人たちが 争うこともなく
 共存しているこの場所は タイの良さを残している場所なのかもしれない。

 戦後 田舎も都市も 伝統的な家族制度を壊し続け、地域共同体を壊し続けてきた
 日本、物の豊かさばかりを追求し続け、気がついてみたら、その豊かさも失っていた。
 核家族化は 共稼ぎを生み出し、家族の絆は失われ、子育ては年々 難しくなり、
 介護を必要とする老人医療は膨らむばかり、子供たちや老人たちの悲しみは増えるばかりで
 どこを探しても 安定した幸福を見出すことは出来なくなっている。
 家族、地域、そして衣食住という人間らしく生きていくための基本は失われ、
 休日になれば 旅行だ、レジャー、グルメと相変わらず浮かれ騒いで、自分の足元を
 見ようとしない。
 自分の国がどうなっているのか 関心もなく、失業でもしてしまえば、全くのアウト、
 頼るところもなければ、支えてくれる人もいない。
 自殺か、犯罪、路上生活しか残っていないというのでは あまりに寂しすぎる。
 消費だけに頼りすぎてきた社会の成れの果てである。

 そんな日本の姿を見ていると この路地裏の生活は 貧しいけれど 
 ユートピアのように思えてくる。
 皆 浮かれ騒いでいないで、自分の足下をしっかり見ながら生活している安定感がある。
 人と人とのつながりにも余裕がある。
 人が生活しているということは どういうことかを ここにやってくるたびに
 考えさせられる路地裏の世界である。



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バンコク ある風景 | 11:52:53 | Trackback(0) | Comments(2)
バンコク 水上バスで ノンタブリへ‐02
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 ノンタブリには何度か来ていて 見知らぬ街ではないけれど、いつも通過点で
 のんびり街の中を眺める機会はなかった。
 この日は ノンタブリが目的地であったから、ゆっくりと市場の中を
 歩いてみることにした。
 市場を見れば、その街の生活が見えてくる。
 市場は街の中心であり、街に住む人々が行き交う場所である。
 大型スーパーが主流でないノンタブリの街の市場は 活気にあふれている。
 市場近くの路上で 荷車を使っての行商をする人の姿も 昔ながらの市場の風景に
 溶け込んでいて 自然に見える。
 バンコクの都心部でも こうした荷車や棹に籠を下げての物売りの姿は見かけるが
 都市の風景の中では 異質なものを感じさせ、都市で行き抜く出稼ぎの人々の
 悲しみが漂っている。
 このノンタブリの市場の近くでは ごく当たり前の商いの形で ほっとした気持ちに
 させてくれる。

 市場の中に入っていくと 中央タイの広い平野の中で取れた農産物、川や池、湖で
 そして、海で取れた魚介類が大量に並べられている。
 バンコクから離れると 野菜などもこんなに安いのかと驚くばかりだ。
 果物などは 中国から輸入のりんごや梨などもあるが、大半はタイ生産の農産物、
 肉類、魚介類である。
 この市場の物の豊富さを見ていると タイという国が自給自足以上の食物に恵まれて
 いることがよくわかる。
 この豊かさを見ていると 何があっても タイの人々は生き残っていくことが
 よくわかる。
 それに引き換え、全く危機感を持っていない日本人の愚かさが 見えてくる。
 スーパーに行っても、大半は輸入物である。
 この変転している世界の中で 何の危機も感じず、飽食に明け暮れているとは
 全くおめでたいことである。
 衣食住という人間の生活の基本に眼を向けない民族は 
 いつかは滅びていくのだろうと思う。
 輸入は止まり、物がなくなれば、いくらお金があっても役にはたたない。
 そんな時代は 間近に迫っている。
 衣食住を蔑ろにしてきたつけは 小さくない。

 貧困という問題はあるにしても タイに生まれた人は 食べ物に関しては幸せである。
 市場で売られている野菜や肉や魚介類は 保存が効かないから、夕方遅くなれば、
 大安売りになるのは 市場の習慣である。
 貧しい者は 知恵を働かせて、どうにか生きていけるし、それが成り立つ優しさが
 タイにはまだ残っている。
 バンコクから離れれば離れるほど そんな世界がタイには残っているのだろう。

 市場の中で売られている生鮮食品を見ているだけで 腹が一杯になったような気すら
 してくる。
 市場で売られているうなぎなどを見ると 昔 住んだことのある東北タイのコンケンの
 ことを思い出した。
 コンケンの市場で売られていたうなぎを買い、3枚におろして、柳川にして食べた。
 近所のベトナム人家族と一緒に食べたが、最初は気味悪がっていたが、口にすると
 美味しそうに食べていた。

 午後の暑さの中での散策で 喉だけはやたら渇いた。
 再び ノンタブリの船着場へ行き、バンコクへと向かうオレンジ色の旗を掲げた
 チャオプラヤ・エクスプレスの水上バスに乗り込む。
 ここが 始発であるから、座席に座り込んでのんびり川下りができる。

 途中 プラアティッド船乗り場で停船して、川向こうのイーカン地区に行こうと
 思ったが イーカン地区に行く渡し舟は 乗客が少ないせいか なくなっていた。
 古い木造の家屋が並ぶ門前町のような通りを 知り合いに案内したかったのだが。

 プラアティッドの船着場から チャオプラヤ川上流を眺めると ラーマ8世橋は
 近代的な姿を見せていた。
 仕方がないので 再び水上バスに乗り 基点であったシープラヤの船着場を目指した。
 川向こうのトンブリ地区に眼を向けると 曇り空を背景に ワット・アルンは
 その堂々とした姿を見せていた。
 夕暮れから雨が降りそうな気配である。



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バンコク風情 | 11:31:38 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 水上バスで ノンタブリへ‐01
バンコク 水上バスで ノンタブリへ‐01 1

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バンコク 水上バスで ノンタブリへ‐01 10

 先日 ブログで知り合った人が シルバーウィークの連休を利用して、バンコクへ
 やってきていたので、一緒に チャオプラヤ・エクスプレスの水上バスに乗り、
 久し振りにノンタブリに行くことにした。
 待ち合わせを シープラヤの渡し場にして 午後1時に出会いことした。
 少し、早めについたので 路地にあるこの辺で働いている人たちの屋台を眺め、
 約束の場所へと向かった。
 時間通りに 知り合いは チャオプラヤ川の川向こうの渡し場 クロンサンから
 やって来た。

 チャオプラヤ・エクスプレスの水上バス乗り場はここではなく 歩いて2,3分の
 所にある別の船乗り場なので そこへと移動する。
 昼間 チャオプラヤ川を走る水上バス チャオプラヤ・エクスプレスは オレンジ色の
 旗を立てた普通便だけで どこまで行っても運賃は13バーツの均一料金である。
 昼間の午後であることから、水上バスの本数も少ないらしく、15分ばかり待つと
 水上バスはやって来た。
 水上バスに乗り込んだが、結構人が乗っており、座席は空いていなかった。
 シルバーウィークの連休を利用してやって来ている日本人の姿も見かけた。
 大半の日本人観光客も外国人観光客も 有名な寺院 ワット・アルンに行くために
 ティアン船乗り場、又、ワット・ポー、ワット・プラケーオ(旧王宮)へ行くために
 チャン船乗り場で降り、船の中は空いてきた。

 トンブリ地区にあるワット・ラカンが 眼に入ってくる。
 知り合いは 午前中この寺院を見学してきたようだ。
 座席にのんびりと座り込み、チャオプラヤ川両岸の風景を楽しむ。
 今も残る昔からの水上住宅、百年以上の時を経たラーマ5世時代のものと思われる
 木造の貴族の屋敷、イスラム寺院、仏教寺院、キリスト教のカソリック教会が
 視界に現れては消えてゆく。
 タイの歴史のひとコマを眺めているような気持ちになる。

 40分近く水上バスの旅を楽しんでいるうちに 船はやっとノンタブリの船着場へと
 到着する。


 ― ノンタブリはバンコクの北側にある県で もともとは、チャオプラヤ川沿いの
  商業地とドリアンなどの果樹の栽培で有名な場所である。
  それが、バンコクの巨大化とともに、商業地、工業地、ベッドタウンとして
  発展してきた。
  また バンコク集中を避けるため保健省、法務省や外務省などの主要官庁、
  タイ電話会社(TOT)、タイ電力会社(EGAT)など多くの政府系企業の移転先と
  しても有名である。 ―


 このノンタブリから 料金は高いが 船を雇って、クレット島へ行くことも出来る。
 バスを使って、クレット島への船着場へ行けば、安く行けるが 手間と時間がかかる。

 ノンタブリの船着場の前には 木をふんだんに使った美しい大きな建造物がある。
 今から約百年前のラーマ5世の時代に 大学として建てられたが、その後 ノンタブリ 
 の市庁舎として長く使われていたが、今では 一部は博物館として、一部は幼稚園と
 して使われ、敷地の中には小学校もある。
 施設の古さは別にしても 歴史的な建物を利用した幼稚園とは なかなか贅沢である。

 使われている場所は それなりに保全もされているが、使われていない場所は痛んで
 きているようだ。
 博物館というのは名ばかりで この建物の歴史とクレット島の焼き物の歴史を
 展示しているぐらいのものだった。

 この建物の裏口から出ようとすると この建物の中にある幼稚園の園児が 
 先生に連れられ、一人10バーツを手に 屋台の握りずしを買いに来ているのには
 驚いてしまった。
 日本なら、食中毒を心配して、生ものなどとんでもない事になるが、
 やはり タイはまだまだおおらかである。
 なんとなく ほっとするような光景だった。


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バンコク風情 | 06:18:12 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 路地裏の世界‐02 働く人たち
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 タイにやって来て、工場を造る、あるいは飲食店などを開業する日本の人たちが
 タイ人は怠け者だという話をよく耳にすることがある。
 先日、私の住んでいるマンションのセンセーブ運河の向こうにある下町の市場の
 ある通りに行ってみた。
 市場周辺には たくさんの細い路地があり、棟割長屋のような長い建物が 
 路地をはさんで両側に建っている。
 棟割長屋の1階の多くは 家内工場のような作業場になっている。
 どんな仕事の作業場かといえば、洋服の縫製、貴金属の加工、洗濯屋、オートバイの
 修理屋、機械部品の修理屋、食べ物屋などで そんな作業場が どの路地に行っても
 たくさんある。

 バンコクの暑い亜熱帯の気候の中で 人々は 冷房もなしに 朝から晩まで 
 働いている。
 暑いということには 慣れているにしても 作業場の中の気温は 30度を
 越えているだろう。
 これだけでも 過酷な作業であることがわかる。
 こういう状況の中では 作業場の主人も 日本人並のルール尽くめの押し付けは
 出来ない。
 主人の都合ばかり 言っていれば、居心地が悪くなり、雇用人たちも逃げ出して
 しまうのも当然である。
 そんなタイ人の姿を見て、日本人の工場主や上司たちは タイ人は怠け者だと
 言うこともあるようだ。
 亜熱帯という気候の中で 日本人並みに性格で勤勉な仕事を要求することに無理が
 あることに気がついていないのである。
 働くタイ人たちの10倍、15倍近い給料を手にする日本人とタイ人の従業員との
 意識の差があるのが当たり前だ。
 タイは人件費が安いという理由で工場なり、作業場をバンコクに移転し、安い給料で
 亜熱帯の暑い気候の中で 日本人並の仕事を要求すること事態が 所詮 無理なことだ。

 ましてや タイ人経営の工場や作業場では 文句を言うことはあっても 
 従業員に対して厳しいルールを押し付けることはない。
 どちらかといえば なあなあの関係といってよいかもしれない。
 そうしなければ 安い給料で気持ちよく働くことが出来ないのを知っているからだ。
 日本人の工場や飲食店の従業員の給料が タイ人の工場や飲食店の従業員の給料の
 2倍3倍以上であれば、タイ人の従業員も少しは我慢することもあるかもしれないが、
 人件費が安いからと思ってやってきている日本人経営者は そこまで給料を出すことも
 しないで、タイ人従業員が 日本人並みに仕事をしないことに嘆くのである。
 タイのような暑い気候の中で 対価なしに 勤勉に働くことなど 誰も出来ないのが
 当然である。

 路地裏の小さな作業場で働く人を見ても、路上で屋台を開いて商いに精を出している
 人たちを見ても タイ人が怠け者であるとは感じられない。
 暑い亜熱帯の気候の中で 汗水たらして働かなくてはならないのは大変だなと
 思うだけである。
 日本にいる日本人並の仕事をすれば、身体だって壊してしまうに違いない。
 日本から安い賃金を当て込んできている日本人経営者を見ると タイ人の貧しさに
 付け込み、金儲けを企んでいるとしか思えない。
 タイ人は 働かない(日本人並みに)といつも愚痴を言っている日本人経営者ほど、
 身勝手な人間が多い。
 日本でも同じだが、近頃の経営者は 自分の利益ばかりを考え、従業員の生活など
 考えようとしない。

 タイ人にとっては 生活を楽しむことが第一で 仕事は二の次のようである。
 生活の楽しみを犠牲にしてまで、仕事のために尽くすということはないだろう。
 そこがわからないと 日本人のところから タイ人たちは逃げ出してゆく。
 無理なく気持ちよく働けることが1番なのである。

 少なくとも 汗水たらして働くタイ人であるだけで 生活に対して誠実なのである。
 色が白くて スタイルが良くて、美人であれば、簡単に水商売で身を立てることも 
 簡単に出来るバンコクの社会である。
 ハンサムであれば すぐさま そんな女たちのひものようになって生活することも
 出来る。

 金持ちの息子や娘であれば、大学まで通い、冷房付のオフィスで働くなり、親の
 事業を継げばいい。

 路地裏の作業場で働く人たちを見ていると お金は汗水たらして稼ぎものという
 誠実な姿を感じてしまう。
 そうした人々に光をあて、未来に希望や夢を与えるのが 日本からやって来た
 日本人起業家であればいいが、大半の日本人は タイは賃金が安い、日本人並みに
 働かせようというのでは まさに吸血鬼である。
 タイの習慣や人間関係に目を向けず、日本の理屈を通そうとすれば、
 タイ人たちは逃げ出して行く。


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バンコク ある風景 | 12:10:28 | Trackback(0) | Comments(2)
バンコク 集落 バーン・クルアを歩く‐07 ラマダン03 大人たち
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 ラマダン(断食月)が明けて 人々の表情も イスラムの義務を果たしたという
 思いが感じられ、ほっとした様子が見られる。
 いつもは静かな路地にも たくさんの人々が座り込んで話しに弾んでいる。
 モスクの中では モスクの信者たちの会食の準備のために 男も女も忙しく
 立ち働いている。
 これも集落のつながりを深めるには大切な仕事だ。

 このラマダンが明けた日、この集落を出て、別の場所に住んでいる人々も 
 旧交を暖めるために帰ってくるようだ。
 人々の姿を見ていると まるで日本の盆や正月のようだ。

 イスラム教徒チャム族の場合、入り婿制が基本であったらしく、家を継ぐ娘が 
 婿を取るということになっている。
 タイでも中国系タイ人を除けば、仏教徒のタイ人も入り婿制の結婚形態を取るため、
 家庭の中でも女の役割は大きい。
 チャム族は 古い時代から海洋貿易にも長けた民族で 船を操って貿易に従事して
 いたことから、家を護るのは女の役割で、入り婿制のほうが 都合が良かったのかも
  しれない。
 娘が多ければ、分家して、別の場所に家を建てるということもある。

 集落の中の血族、集落の外に出た血族が このラマダン明けの日には やってくる。
 昨日 ラマダン明けのご馳走の準備をしていた老夫婦の家にも 大勢の訪問者が
 やって来ている。
 孫たちもやってきていて、おばあちゃんも嬉しそうだ。
 こんな家族の姿は 万国共通の姿である。

 一緒に集落の中で育っても この狭い集落の中では 新たに家を建てることの出来る
 土地は残っていない。
 昔は この辺りは 森のような場所で ペッブリ辺りまでチャム族の土地で、
 主に農業に従事していたらしい。
 そんな時代であれば、すぐ隣の空いた土地に娘、息子家族のために 新たに家を
 建てればよかったが、今では チャム族の数も増え続け、ペッブリ道路の
 向こう側まで 家々やビルですっかり、埋まり 空いた土地などはない。

 150年前は 数十家族であったチャム族も増え続け、今では数千人になっている。
 それでもタイの中では 少数民族であることから、チャム族の生活を護っていく
 ためには チャム族同士の強いつながりが必要なのだろう。
 イスラムの掟を守りながら、協力し合い、互いに助け合う姿勢は 少数民族が 
 生き抜いていくためには 欠くことのできないものである。


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バンコク 運河の辺の街 | 13:15:58 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 集落 バーン・クルアを歩く‐07 ラマダン02 子供たち
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 今日はラマダンが終わったことを祝う日である。
 子供たちには ラマダンの間 断食は強制されないが、出来る範囲内で断食をするのも
 良いように言われている。

 今日は休日の日曜日のせいか、子供たちの姿が目立つ。
 午前中のモスクでのラマダン終了のお祈りのために それぞれにモスクへ行くための
 正装をしている。
 男の子も女の子も同じである。
 モスクに行って こうしたムスリムの衣装を身につけ、大人たちに混じって 
 祈りを捧げることで どこか大人に近づいたという気持ちにもなるのだろう。

 兄弟や近所の仲間を連れ添って 子供たちはモスクへと向かっている。
 朝の祈りは済ませ、次の行事は皆での会食だ。
 近隣の大人も子供も一緒になって 会食をする。
 顔見知りの叔父さんや叔母さんが 会食の準備のために モスクの中で 
 忙しく立ち働いている。
 モスクを中心にして 地域全体でラマダン終了を祝う。
 それを 子供たちは直接眺めている。
 大きくなって 大人になれば 自分たちも同じ役割を担うことを自然に知る。
 モスクは信仰の中心であるばかりでなく、地域の活動の中心でもある。
 ドブ掃除が必要になれば、モスクに集まって相談する。
 地域の共同作業は すべて モスクの中で話し合われる。

 住宅の密集するバーン・クルアの集落の中では 皆 顔見知りである。
 血がつながっていなくても 皆 兄弟姉妹なのである。
 それを モスクでの集まりを通して 子供たちは知っていく。
 大人から子供への信仰・文化・習慣の伝達が モスクを中心に行われている。

 重要な行事の際に身につける衣装は 仲間であることの確認にもなる。
 統一した衣装ではないけれど それぞれの家庭で工夫した衣装のようだ。
 衣装を見る限り、男たち、男の方がお洒落である。
 礼拝のための衣装を身につけると 子供たちであっても 一人前のモスリムに
 見える。
 この礼拝の衣装を身につけると いたずらなど出来ないようだ。

 普段の日は 普段着を着ているから イスラム教徒のチャム族の子供なのか、
 仏教徒のタイ人なのか見分けはつかないけれど、今日ははっきりと見分けがつく。
 仏教徒である子供たちは モスリムの衣装を身につけていないからすぐわかる。
 仏教徒の子供たちは 東北タイから出稼ぎにやって来て、この集落の中で間借りを
 している家族の子供たちであるが、こうしたイスラム教徒 チャム族の集落 
 バーン・クルアの中では イスラムの大きな行事の中では 居場所がないようだ。
 彼らの親も 村に帰れば 仏教の寺を中心とした濃厚な人間関係があるのだろうが、
 バンコクという大都会の中では ばらばらの存在である。
 子供たちも バンコクという都会の中では同じである。
 それは 高度成長期の中で 都会での生活を余儀なくされ、人々とのつながりを
 失った日本の出稼ぎの家族と同じである。

 日本でも このバンコクでも 地域との深いつながりを失った人々が どう再生して
 行けばいいのか はっきりした方向は見えない。
 ただ わかっていることは 子供たちは必ず地域の学校へいく。
 地域の中での学校の役割を広げ、地域社会での子供にとっても 大人にとっても
 要となるようなシステムの構築が 地域での人間関係を育てる力になるかもしれない。
 このチャム族のモスクのように。



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バンコク 運河の辺の街 | 10:26:20 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 集落 バーン・クルアを歩く‐07 ラマダン01 モスク
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 イスラム教の断食の月  ラマダンが 今日で終わった。
 断食は昨日の日没と共に終わっていたようだが、今日は ラマダンが終わったことを
 祝う日のようだ。

 ― 毎年あるラマダンの断食はイスラム教では、「信仰告白」「(日々の)礼拝」
  「(貧しい人々へ)喜捨」「(生涯で一度の)メッカ巡礼」と並んで「五行」と呼ばれる
  信者の義務の一つである。
  ラマダンはイスラムでは「聖なる月」である。この月の22日夜にムハンマドが
  最初に神の啓示を受けた日とされる。
  イスラム教の聖典「コーラン」には「コーランが下されたのは、ラマダンの月である。
  この月に在宅するものは、断食しなければならない。
  病気の者または旅行中の者は、別の数日間に行うべきである。 ―

 この約1ヶ月に渡るラマダンの間も 何度か イスラム教徒 チャム族の集落 
 バーン・クルアへ行ったが、外から見ている分には ラマダンであることは 
 よく わからなかった。
 集落に住むイスラム教徒のチャム族の人たちに言われて、気がつくくらいだ。
 食べ物は 普通に売られているし、人々の生活にもあまり変化はない。
 断食といっても 毎日、日没とともにモスクからコーランを朗唱するアザーンが
 始まると同時に、みな一斉にイフタール(断食明けの食事)をとり、日が昇ると
 断食が日没まで行われることの繰り返しで 家庭の中まで入り込んで 食事の様子を
 見ない限り、断食の様子を眼にすることはない。
 又、子のイスラム教徒 チャム族の集落 バーン・クルアには 仏教徒である多くの
 東北タイ イサンからの出稼ぎの人々が 間借りをして生活している。
 彼らは イスラム教徒ではないから 断食をする必要がない。
 昼間でも 集落の中で 食べ物屋の屋台を開いているし、その屋台で食事をしている。
 顔つきだけで イスラム教徒であるか、仏教徒であるか判断するのは 不可能である。

 今日 朝7時にラマダンが終わったことを祝う祈りの集会がモスクであると
 集落の人が言っていたが、いくらなんでも朝の7時は早過ぎる。
 朝8時を過ぎて、集落 バーン・クルアのモスクに行って見ると まだ祈りの
 最中だった。
 このバーン・クルアの中には 三つのモスクがある。
 バーン・クルアの集落は 三つの地域に分かれており、地域ごとに一つずつ モスクが
 ある。
 北バーン・クルア、西バーン・クルア、南バーン・クルアに分かれているが、
 南バーン・クルアにあったモスクは 西バーン・クルアの近くに移されたようだ。
 私は 二つのモスクの場所は 知っていたが 南バーン・クルアから移したモスクの
 場所は 今日 初めて知った。

 どのモスクにもそれぞれの地域のイスラム教信者が集まり、ラマダン明けの祈りを
 捧げていた。
 祈りの場所は モスクの中では 男女別々の場所だった。
 大人も子供も それぞれイスラム教徒の正装に身を包み、敬虔な姿で 祈りを捧げて
 いた。
 この祈りの時間が終わると、少ししてから 信者が集まっての会食がある。
 どのモスクも午前10時からと決まっているようだ。

 私がいつも通りかかる北バーン・クルアのモスクは 顔馴染みの人もいるので 
 中を覘いてみると 大勢の人々が集まって、会食のために座り込んでいた。
 共に食事を取ることで 地域の信者同士のつながりを深める意味もあるのだろう。
 料理を作るのは 女の仕事のようだが、料理を配膳するのは男の仕事である。
 ご飯、肉カレー、果物、甘いお菓子などが 丸いお盆の上に並べられ、それを何人かで
 分け合って食べている。

 私にも食べていけというお誘いがかかったが、ラマダンの断食をしていない私が
 参加するのは 彼らの宗教を冒涜するような気がして 遠慮をした。
 ここに集まっている人たちは 1ヶ月の断食の苦行を祝って 集まっているのだから。

 このようなラマダン明けの行事を見ていても 地域のイスラム教徒同士の連帯の強さを
 感じる。
 このバーン・クルアの集落の人々にとっては 血がつながっていなくても 
 皆 兄弟姉妹であるという意識がある。
 イスラム教をいう信仰の中には 血縁を超えた信者同士の深いつながりを感じさせる
 ものがある。
 その協力体制が 今尚 信者を増やし続ける力になっているのだろう。


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バンコク 運河の辺の街 | 12:08:36 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 集落 バーン・クルアを歩く‐06 猫・子供・老人
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 バーン・クルアの集落に行くと いつも 猫の習性というものに対する先入観を
 変えなくてはならない。
 猫というのは 警戒心の強い動物で 見知らぬ人間に対しては なかなか慣れない
 動物だと思っていたが、バーン・クルアの猫は どうも特別のようだ。
 私の住んでいるマンションの前の通りにも 野良猫たちが居ついているが、
 この猫たちは警戒心が強く、近づいて行くと すぐさま逃げ出してしまう。

 ところがバーン・クルアの猫たちは 近づいていっても逃げようとはしないし、
 簡単に身体を触らせ、撫でてやると警戒心もなく、気持ちよさげにしている。
 集落の中にいる猫の大半がそうである。

 イスラム教徒が住んでいることで 犬を飼わないことも影響しているのだろうが、
 住んでいる人たちの安定した心や静かな物腰にも関係しているのだろう。
 この集落には よくやってくるのだが、住んでいる人たちも 大声を上げて、
 喧嘩をしている姿など見たことはない。
 集落の中が安定しており、人々の心も平穏さが保たれているということも 
 猫の習性に良い影響を与えているのではなかろうか。
 まるで犬のように人懐こい猫たちだ。
 だから、このバーン・クルアの集落にやって来ると 猫を撫でたり、
 声をかけてやるのが楽しみになっている。
 犬がいないから、私も 集落の中を 猫同様に安心して歩き回ることも出来る。

 それは人間も同じで、昔からの古い集落であるにもかかわらず、あまり閉鎖的な
 雰囲気はない。
 イスラム教徒でも 東南アジアのイスラム教徒は 人当たりが柔らかい。
 それに 内なるイスラムの信仰の強さはあるのだろうが 
 見た目には 強い自己主張を見せることはない。
 彼らの静かな性格に影響されてか、この集落の中に間借りをしている騒ぎ好きの
 東北タイの人たちも イスラム教のチャム族の静かな穏やかさに合わせて生活して
 いるようだ。

 そんな大人たちの中で生活している子供たちも 行儀がよく、荒れた行動を見せる
 こともない。
 素直に大人の言葉を受け入れる習慣が 自然に育っている。
 地域・共同体が 平穏さの中にある、生活している大人たちの心が安定していることは
 子供たちの育ちに大きな影響を与えるはずである。
 タイ人たちの住む近く集落には コンピューターゲームの店もあるが、
 この集落の中では 見かけることはない。
 子供の欲求にすべて応じるわけでなさそうだ。

 集落の中にあるモスクの指導の影響もあるのだろうか。
 生活の規範は モスクを中心とした教えの中から生まれてくるのかもしれない。
 イスラム教という教えが 精神的な生活や、集落の規範の支えにもなっているのだろう。

 明日は ラマダン(断食の月)が明け、それを祝う日になる。
 いつも見かけるチャム族の老夫婦の家の中では 多量の牛肉を切り刻み、明日の
 お祝いの日のための準備をしていた。
 大勢の親戚が集い、ラマダン明けを祝うという話だった。



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バンコク 運河の辺の街 | 18:14:01 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク スコールの後には
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 午後3時過ぎから 激しいスコールがやって来た。
 最初のうちは 雨だけだったが 途中から 風と雷を伴う激しい雨になった。
 片方のベランダのドアから 雨が入り込んでくる。
 ドアを閉めた後、やることもないので 昼寝と決め込んだ。

 目が覚めてみると 夕方 西の空には沈みかけた夕陽が見える。
 スコールの後らしい雲が 夕陽を抱え込んでいる。

 こんなときは 屋上に上がるに限る。
 24階まで エレベーターで上り、残り1階分の階段を歩いて、屋上に出る。
 雨上がりの都会の空気は 清浄である。

 風景は 地上から蒸発する水分を含んだ白い大気に覆われている。
 東のビルの上には うっすらと虹がかかっている。
 もう少し 早く上ってくれば くっきりした姿の虹を見ることが出来たかもしれない。
 そんなことを思いながら、屋上の上をぐるぐると回っていると その虹もいつのまにか
 消えていた。

 タイの北部では 洪水注意報が出ている。
 9月のこの時期を乗り切れば タイにも乾期がやって来て、過ごしやすい季節になる。
 季節は巡る。
 季節は巡る。
 この巡る季節の中で タイでの20年以上の年月が流れてしまった。
 パッチョン2年、コンケン7年、残りはバンコク、時は 瞬く間に過ぎ行くものだ。

 西の空に沈む夕陽を見ていると 日本を離れ、東南アジア、ネパール、インドでの
 生活のことに心を奪われるようになる。
 体力があったから、気力があったから出来た旅の形もある。
 新しい体験から来る緊張感を支えるものは やはり体力と気力である。
 この緊張感をどうにか維持しようと思うが、寄る年波には 勝てないようだ。
 だんだん 怠け者になっていくようだ。
 動かなければ ますます動けなくなってしまうのはわかっているが、
 再び 緊張感を生み出すためには 希望が生まれてくるのを待つより 
 方法はないのだろうか。



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徒然なるままに | 09:40:34 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 路地裏の子供たち
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 近頃 バンコクの都心部では とんと子供たちの姿を見かけることが少なくなった。
 バンコクの表通りで 見かける子供たちといえば、朝夕登下校する子供たちの姿で、
 子供たちが 元気よく遊びまわっている様子を見ようと思えば、そんな場所を探して
 回る必要がある。

 私が時々 夕食用の惣菜を求めに行く市場の周辺には たくさんの路地裏がある。
 狭い4,5メートルの通路を挟んで並んでいる昔からのバンコク特有の棟割長屋で 
 一階が作業場や店になっている。
 そんな形の路地が 百メートル以上に渡って続いている。
 大半は賃貸しのようだ。
 日本の昔の下町のような場所で 一階の作業場は 洋服の仕立て、雑貨や、床屋、
 美容院、洗濯屋、銀製品を作る作業場などで朝から夕方遅くまで 人々は働いている。

 夕方近く路地裏に入り込んでみると 学校から帰ってきた子供たちが 狭い路地で
 遊んでいる。
 懐かしい昔の日本の下町の風景である。
 バンコクの都心では 夕方のこんな路地裏にやってこなくては 子供たちの姿を
 見ることはなくなった。
 昼間はひっそりしている路地裏も 夕方近くになると 子供たちの遊ぶ姿、夕食の
 買い物のために行き交う人の姿も目立ち始め、路地裏の世界も活気を帯びてくる。

 1日の仕事を終えた作業場の片隅では おかずを囲んで夕餉を取っている家族もいれば、
 腹を空かせた子供たちが 軒先で食事をしていたりする。
 開けっ広げなバンコクの下町では 外から長屋の中の様子が すっかり見えてしまう。
 隠し事など 何もなく 皆が和気藹々と生活している。
 こんな場所では 金持ちの姿などなく、その日その日を精一杯生活する人が集まり、
 無理することなく、毎日の生活を当たり前に過ごしているだけだ。

 テレビも冷蔵庫も あるものをしっかり使い、壊れれば、近所の修理屋に持ち込み、
 修理をして、最後まで使い切るのが当然の生活だ。
 使えるものを捨てて 流行の新製品など買うなど 生活を貧しくして行くだけである
 ことがわかっているのである。

 本当の意味で衣食住を大切にし、家族を大切にする世界が 
 この下町にはまだ残っている。
 無駄なものにお金を使い、貧しさを助長し、人間関係をおろそかにする日本の
 大都会とは異質な世界だ。
 無理をしないというのが 下町での生活の基本である。
 食べることだって すぐ近くの市場で安い食材を買ってきて、調理して皆で
 床に座り込んで一緒に食べる。
 特別な料理などいらないのである。
 グルメグルメと騒ぐおかしな世界は 下町の路地裏の世界にはない。
 お金がなければないで どうにか工夫してやり繰りをしていく逞しさも備わっている。
 今日の生活が 明日へと続いていくことが出来れば それでいいのかもしれない。

 まだ残っている近所の人間同士の触れ合いの中で 1日が充分に楽しめるのである。
 つまらない広告やテレビの広告などに 眼を向ける必要もない。
 子供たちがいて、家族があって、互いに支えあう共同体が残っていれば、どうにか
 楽しく生活していけるものだ。
 路地裏で家族と共に生活する子供たちには 気さくで温かみのある人間関係の中で
 育って行く。
 それだけでも 大きな宝物である。
 幸福とは 空気のようなもので あふれるものに囲まれていても 得ることは出来ない。
 人と人とのつながりを失ってしまえば、お金や物にしか目が向かない 餓鬼道の世界が
 始まるだけである。
 心の貧しさに気がつくことがなければ、地獄はいつまで経っても終わらない。




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バンコク ある風景 | 21:03:00 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 夕暮れの中華街‐06 食道楽
バンコク 夕暮れの中華街‐06 食道楽 1

バンコク 夕暮れの中華街‐06 食道楽 2

バンコク 夕暮れの中華街‐06 食道楽 3

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バンコク 夕暮れの中華街‐06 食道楽 5

バンコク 夕暮れの中華街‐06 食道楽 6

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バンコク 夕暮れの中華街‐06 食道楽 10

バンコク 夕暮れの中華街‐06 食道楽 11

バンコク 夕暮れの中華街‐06 食道楽 12

 中華街は 様々の食材の集まる無国籍地帯のような場所である。
 果物一つ取っても 中国、ニュージーランド、オーストリアなどから輸入された
 果物が路上に並んでいる。
 りんご、梨、柿、葡萄、プラム、細長い珍しい瓜、食べ物好き、珍しがりやの中国人の
 住むところならではの盛況振りである。
 しかし、中華街で売られている果物は 皆 1キロ百バーツ以上では 庶民にとっては
 高嶺の花である。

 この高級果物が売られている近くには ニューマーケットと呼ばれている中華料理の
 食材を売る市場もある。
 干し椎茸、干し海老、乾燥ナマコ、乾燥あわび、練り物、漬物を何でも揃っている。
 こうした食材を使う高級中華料理店も中華街の中では 数が多いが、私にとっては
 何年かに1度行くぐらいの場所で あまり縁がない。

 私の財布の中身に見合い、楽しめる場所といえば、夕方過ぎに出てくる食べ物を
 売る屋台だ。
 中華街以外の場所に比べれば、少し高めではあるが、味の良さは 中華街ならではだ。
 中華街の中国人は 安くても不味いものは食べないが、少々高くても美味しいものには
 手を出す。
 麺類一つとっても スープの味、麺、具がやはり 一味も二味も違う。
 まあ 中華街の屋台で食べるなら、百バーツも使えば、腹も一杯になるはずである。
 夕方近くに出てくる海鮮料理の屋台では そういうわけには行かない。
 マングローブ蟹や海老、貝類を食べて、ビールの2,3本でも飲めば 
 軽く5百バーツは超えてしまうが、日本円で千5百円ぐらいなら、観光でやって来て
 いる旅行者からすれば、大した額ではないだろう。

 こんな料理は仲間と一緒に食べるから美味しいので、一人 蟹や海老を剥いて、
 ビールを飲むというのも侘しいものである。
 そのくらいなら、麺類やカーオ・マンカイ(中華風鳥飯)、カーオ・カームー
 (豚足ご飯)でも食べる方が実用的で値段的にも気が楽だ。

 そんなわけで ニューマーケットの入り口の道を挟んで真向かいにある路地で
 夕方になると 開店する屋台で多いしそうなものを探すことにした。
 麺類が中心の屋台が並んでいる。
 カーオ・カームー(豚足ご飯)の店もあるが 今回は 豚の臓物いりのクワイ・
 チャップを食べることにした。
 人気の店らしく 屋台の後ろに並べられたテーブルでは 大勢の人が クワイ・
 チャップに舌鼓を打っている。
 普通のものが30バーツ、特別製のものが40バーツである。
 初めてだから、普通のものを頼んだ。
 屋台では 忙しそうに 屋台の主人が 湯がいた臓物を切り刻んでいる。
 豚の臓物料理にかけては 中国人が 1番である。

 昔、7月22日ロータリーの近くの台北ホテル脇に 朝になると店を出す屋台の
 臓物入りのお粥(チョーク)の美味しかったことを思い出した。

 私もこの店のクワイ・チャップを頼み、味見をした。中国人は胡椒味が好きだ。
 口の中が ひりひりするくらいに胡椒がよく効いていた。

 夕方を過ぎると 路上が屋台のなる街 中華街、屋台一つ一つを眺めながら、
 夕闇の迫る中、バス停へと急いだ。
 又、ポツリポツリと雨が降り始めた。
 雨は 屋台泣かせであるが、バンコクの雨は 長雨でないことが 
 せめてもの慰めである。


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バンコク 中華街 | 12:15:45 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 夕暮れの中華街‐05 出稼ぎの東北タイの人々
バンコク 夕暮れの中華街‐05 出稼ぎの東北タイの人々 1

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バンコク 夕暮れの中華街‐05 出稼ぎの東北タイの人々 10

バンコク 夕暮れの中華街‐05 出稼ぎの東北タイの人々 11

 中華街で生活している人たちは 中国系の人たちばかりではない。
 数十年前までは 中国人の店では 中国本土からやって来た出稼ぎ、移民の中国人が
 使用人として働いていたのだろうが、今ではその中国人たちに代わって、東北タイから
 の出稼ぎの人たちが 中国人の店で働いている。
 店の主人の言いつけに従って、倉庫から荷を運び出して来る、届いた荷を倉庫に
 運びこむなどの肉体労働は 出稼ぎの東北タイの若者たちの仕事である。
 出稼ぎの女たちは 中国人の家で家事をしたり、店員の仕事をこなす。

 中華料理は 確かに美味しいものであるが、こんなものを毎日食べることが出来るほど
 充分な給料を貰っているわけではない。
 店によっては 使用人も 店の主人の家族と共に食事を共にする昔ながらのやり方を
 しているところもあるようだが、この頃では出稼ぎの人たちも仲間と一緒に食事を
 することを好むらしい。

 夕方の路地裏に行くと 東北タイから出稼ぎにやって来た人たちのための食材や
 惣菜を売る行商の野菜売りや惣菜の露店は 並び始める。
 高級な中華料理を売っている表通りとは 打って変わったような商いの姿である。
 東北タイ料理は 唐辛子をたっぷり使ったとてつもなく辛い料理である。
 唐辛子をあまり使うことのない中国風味付けでは 東北タイの人々の味覚には
 合わないのかもしれない。

 荷車に積んだ野菜、棹の両端に提げて運んできた食材、東北タイ特有の辛い惣菜を売る
 露店、仕事を終えた出稼ぎの東北タイの人たちが群がって、夕餉の材料を買い込んで
 いる。
 売る人も東北タイの人であれば、買う人も東北タイの人である。
 今ではバンコクの人口の半分、いや3分の2以上は 東北タイからの出稼ぎの人々に
 よって 占められているかもしれない。
 東北タイの過酷な農作業は 重労働にも耐えうる能力を育ててきた。
 タイの経済の土台を支えているのは 重労働に耐える能力を持った東北タイの人々で
 ある。
 この中華街でも建築現場でも工場でも 身体を使う仕事は 東北タイの人々の仕事だ。

 12,3年以上前 6年近く 東北タイのコンケンに住んだことがあるから、
 東北タイ方言のイサン語(ラオス語と同じ)を耳にすると 懐かしい気持ちになる。
 タイ語とは 語尾の使い方が違うので すぐわかる。
 「メン・ボ」(そうじゃないか)「ボー・メン」(違うよ)「キン・ボ・ダイ」(食べられ
 ない)など聴いていると コンケンでの生活が思い出されてくる。

 酒好きで 騒ぐのが大好きな東北タイの人たちだが、怒らせると怖いところもある。
 普通に付き合っている限りは 問題はない。
 タイの王朝は 豊かな中央タイを中心にして 栄えてきた。
 東北タイは ラオス人の住む場所として長い間 差別されてきた。
 灌漑がなされていない天水に頼る水田での稲作は たびたびの旱魃で東北タイ農民を
 苦しめてきた。
 それは今も変わらない東北タイの姿である。
 農業では 食べていくことが出来ないから、バンコクに出稼ぎにやって来るのである。
 タイの人口の3分の1を占めていながら、中央政府の中で発言力を持つことも
 出来なかった。
 最近になって やっと地方の発言力を強めてきている。
 選挙制度のお陰である。

 中央タイのタイ人、南タイのイスラム教徒のマレー系タイ人、そして 東北タイの
 ラオス系タイ人、中国系タイ人と それぞれの利権が異なり、タイの政治に混乱を
 もたらしている。
 民族による格差社会が是正されない限り、政治の混乱は終わらないだろう。
 中国から移住してきた中国系タイ人がタイの経済を牛耳って、使用人として 
 東北タイのラオス系タイ人を使う。
 中国人に タイを乗っ取られたという気持ちは 昔からタイに住み着いている人の
 心の中にはある。
 口に出さないだけである。
 タイもなかなか難しい国なのである。


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バンコク 中華街 | 18:09:44 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 夕暮れの中華街‐04 裏通り
バンコク 夕暮れの中華街‐04 裏通り 1

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バンコク 夕暮れの中華街‐04 裏通り 6

バンコク 夕暮れの中華街‐04 裏通り 7

バンコク 夕暮れの中華街‐04 裏通り 8

 中華街の表通りは 商いの場所であるが、裏通りは中華街に住む人たちの生活の
 場所である。
 たくさんの人々の行き交う表通りに比べれば、どこかひっそりした静けさがある。
 表通りの喧騒から逃れて、路地の御茶屋に座り込んで、夕暮れ時をのんびりと過ごす
 年寄りたちの姿をよく見かける。
 商いの一線から退き、息子たちに商いを任せ、老後の時間を仲間たちと過ごす至福の
 時間といってよい。
 中華街に生まれ、中華街に育ち、中華街で結婚し、商いに精を出しながら、子供を
 育て、老後はのんびりと隠居の身になって過ごす。
 これが中華街の年寄りたちの理想の生き方なのだろう。

 裏通りにある年寄りたちの集まる御茶屋には 年老いた中華街の男たちの姿はあっても
 女たちの姿はない。
 息子たちやその嫁たちが商いに精を出している間、家のこと、孫の世話でも
 しているのだろうか。
 何だかんだと言っても 中国人社会は男社会である。
 アユタヤ王朝の時代から 7,8百年に渡って 中国から出稼ぎ、移住を繰り返し、
 このバンコクの地を中心に 経済的な勢力を広げてきた人々だ。
 現王朝のチャックリ王朝が バンコクのラッタナコウシン島に王宮を構えるまでは
 中国人たちはこの島に住み、貿易に従事していたのである
 その頃までのバンコクの住民の大半は中国人たちであったといっても嘘ではない。
 中華街が 本格的に出来上がっていくのは チャックリ王朝以降のことである。

 旧王宮のあるラッタナコウシン島と中華街を隔てているのは ポッド運河、
 中華街の広がりと共に オンアン運河が出来上がり、中華街の外枠を形成する
 パドン・クルン・カセム運河が造られていった。
 三つの運河に護られ、そして三つの運河を交通手段として発展してきたのが
 中華街である。

 この2百年以上に渡るタイの経済の歴史は この中華街の変遷の歴史でもある。
 本土中国から 夢を求めてタイのこの中華街を目指してやって来た中国人たちの
 成功の証が この中華街にある。
 それを支え続けてきたのが 中華街の裏通りの御茶屋で 茶を啜っている老人たちで
 ある。
 男たちは汗水たらして 外で働き、女たちは家庭を護る。
 血族を大切にし、先祖を敬うという生活文化は 今でも生き続けているのである。

 古い時代から中国本土から出稼ぎ、移住を繰り返す中で、再び本土へと帰って行った。
 中国人もいれば、肉体労働の苦しさからタイの地で命果てた無数の中国人たちも
 いることだろう。
 中華街は 出稼ぎの肉体労働の苦しさから解放されるための麻薬の巣窟でもあった。
 冷気茶室と呼ばれた売春宿は その前進はアヘン窟だった。
 アヘンが禁止され、残ったアヘン窟が冷気茶室という売春宿に変わっただけである。
 その売春宿 冷気茶室も 今は姿を消してしまった。

 何代にも渡り、この中華街に住み続けることが出来たというのは 成功の証でもある。
 中華街の密集した裏通りにある住居から出て、御茶屋で 憂さを晴らすというのは
 ここに住む老人たちの楽しみの一つだ。
 昔からの仲間との思い出話も弾む。
 無鉄砲な青春時代を もう一度 仲間と共に思い出す機会を この御茶屋の一角で得る。
 生まれ育った場所で 老後を家族や仲間たちと共に過ごすことが出来る、
 それは人生の、人間の幸福の一つと言えるだろう。



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バンコク 中華街 | 10:39:18 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 夕暮れの中華街‐03 雨宿り
バンコク 夕暮れの中華街‐03 雨宿り 1

バンコク 夕暮れの中華街‐03 雨宿り 2

バンコク 夕暮れの中華街‐03 雨宿り 3

バンコク 夕暮れの中華街‐03 雨宿り 4

バンコク 夕暮れの中華街‐03 雨宿り 5

バンコク 夕暮れの中華街‐03 雨宿り 6

 突然のスコールは 激しくなるばかりだ。
 大急ぎで 雨宿りの出来る場所を探す。
 十分に奥行きのある軒下でなければ、雨が吹き込んでくる。
 やっとのことで見つけた軒下は 銀行の前だった。
 そこでは 中華街ならどこでも見られる天津甘栗を焼いている露店があった。
 愛想の悪そうなおやじさんと使用人の若者の二人で仕事をしている。
 甘栗を焼くのは若者の仕事、焼き上がった甘栗を袋に詰めるのは親父さんの仕事だ。
 雨宿りの中、別にすることもないので 二人の仕事ぶりを眺める。

 雨は激しくなる一方である。
 傘など差していても役に立たないくらいだ。
 といっても 私などは傘を持って出かける習慣などないから、雨に遇えば、
 いつも 軒下で雨宿りするだけだ。
 亜熱帯のスコールであれば、1時間もしないうちに雨は上がる。
 30分ばかり雨宿りをしていると 雨もどうにか小降りになり、小雨を避けながら、
 歩き始めることにした。
 突然のスコールで 逃げ出していた屋台も少しずつ、商いの準備を始めている。
 まだ宵の口である。商いの時間はまだ十分に残っている。

 MBKセンターに向かう73番のバスの停車するバス停へと向かう。
 ヤワラートの通りは一方通行だから、ヤワラートにやって来るときは 73番のバスは 
 このヤワラートに停車するが、MBKセンターに向かうバスは 1本向こう側の通り
 チャロンクルン通りに停車する。
 ヤワラートの通りからチャロンクルン通りを結ぶ路地に入ると、懐かしいスキー
 (中国風寄せ鍋)の店、テキサスがある。
 昔は この店によく来たものだ。
 いつ来ても 人が一杯で この店の味の良さを証明していた。
 中華街が 外国人観光客用に装いを変えていく中で このテキサスも随分小奇麗な店に
 変わっている。
 昔、この店でスキー(寄せ鍋)を食べるときには シユーカーオ(中国風の薄い色の
 醤油)とライムを用意して、日本風のたれにして食べたものだ。
 このスキーを美味しく食べるコツは フア・プラー(魚の頭部分)を しっかり
 2,3皿注文して このフア・プラーでだしをとることである。
 バンコクには スキーの店が数多くあるけれど、この店で食べたスキーが
 1番美味しかったように思っている。

 テキサスの前を通り過ぎ、少し歩くとチャロンクルン通りに出る。
 チャロンクルン通りの向こう側に73番の停まるバス停がある。
 道を渡り終え、バス停に行く前に 腹が空いていることに気がついた。
 バス停の近くをうろうろと歩き回っていると、食べ物屋が集まっている場所の
 通路の真ん中で よく太った親父さんが 椅子に座り込んで 客の呼び込みをしている。
 どんな食べ物の店の呼び込みかと 親父さんの指差す方を見ると、その店は 
 カーオ・カー・ムー(豚足の煮込みのぶっ掛けご飯)の店だった。
 親父さんの容貌とカーオ・カー・ムーとの組み合わせが あまりにぴったりとしていて
 笑ってしまった。
 折角だと思い、この店でカーオ・カー・ムーを食べることにした。
 味も量もそれなりにあり、スープと氷水までついて30バーツ、何でも値段が
 高めの中華街の中にあっては 安いと言って良いくらいである。

 夕食代わりのカーオ・カー・ムーを食べ、満ち足りた気持ちでバス停に向かい、
 73番の冷房付のバスに乗り、家路へと向かった。



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バンコク 中華街 | 18:10:43 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 夕暮れの中華街‐02 ヤワラート
バンコク 夕暮れの中華街‐02 ヤワラート 1

バンコク 夕暮れの中華街‐02 ヤワラート 2

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バンコク 夕暮れの中華街‐02 ヤワラート 10

バンコク 夕暮れの中華街‐02 ヤワラート 11

 中華街の玄関口 中華街門から歩いて バスの停留所 ヤワラートに至る。
 その途中 昔の代表的な中級ホテル エンパイアホテルの前を通ったが 
 正面玄関だけは 昔と同じ佇まいだった。
 その先が 中華街の中心 ヤワラートである。
 バスでやってくれば、バス停 ヤワラートが便利だ。
 昔は この停留所の前は 『冷気茶室』と呼ばれる置屋があったが、今は姿を消し、
 その横には 14,5年前に出来たチャイナタウンホテルが建っている。
 昔はよくこのバス停で降りて、ヤワラートの通りに交差する道を抜け、
 ジュライホテルに帰ったものだ。

 この道には 京劇の劇場があり、その手前にはラーメンの美味しい店もあった。
 京劇の劇場はつぶれてしまったが、ラーメン屋は 今も健在だ。
 昔に比べると どうも味は落ちたようだが、日本のグルメ雑誌が取り上げたらしく、
 日本語で書かれた紹介の記事が置かれている。
 その隣にある中華料理屋では よく 1番安い海老焼きそばを食べたが、
 なかなか美味だったが、20年前に25バーツで食べた海老焼きそばが 
 120バーツになっていたことには驚いてしまった。

 このヤワラートのバス停から通りを眺めると 漢字で描かれた看板が 至るところに
 掲げられ、まさに中華街にやってきたという思いに駆られる。
 中でも目立つのは 金行である。
 金製品の売り買いをする店で このヤワラートの通りには 無数の金行があり、
 昔はこのヤワラートが バンコクの金融の中心であったことがわかる。
 金行という看板のかかった5,60年前に建てられたようなビルも何軒か見かけたが、
 建物だけが そのまま捨て置かれ、金の商いは していないようだ。
 昔の中華街の名残を伝えるような建物である。

 金行と並んで 鮫のヒレのスープや中華料理を食べさせる店、漢方薬の店、中国から
 輸入した乾物の店、中華風に味付けした干し肉の店などが 所狭しと並んでいる。
 中華料理に親しんでいる日本人なら 食欲をそそられるようなものばかりである。
 中華饅頭、北京ダック、ラーメン、全く 何でもござれである。

 中華料理の食材を一同に集めて売っているニューマーケットまで歩き始めると 
 頭上から 雨がぽつりぽつりと落ち初めて来た。
 風も出てきた。本格的なスコールがやってきそうである。
 夕暮れ時の中華街の様変わりを眺めにやってきたのだが、この雨でどうも駄目なようだ。
 露店も雨を避けて、逃げ出している。

 このニューマーケット たくさんの中国の食材の店があるが、それぞれの店の前には
 雨よけのビニールがあるが、雨宿りできるような場所ではない。
 雨宿りの出来る場所を 見つけるために急ぎ足で 歩き出すことにした。



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バンコク 中華街 | 10:53:36 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 夕暮れの中華街‐01 中華街の入り口
バンコク 夕暮れの中華街‐01 中華街の入り口 1

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バンコク 夕暮れの中華街‐01 中華街の入り口 9

バンコク 夕暮れの中華街‐01 中華街の入り口 10

 夕暮れ時の中華街の姿を眺めようと思い、MBKセンター(マーブンクロン)の横に
 ある国立競技場前のバス停から 73番の冷房付きバスに乗って 中華街ヤワラートへ
 行くことにした。
 この頃は 日中の暑さがぶり返してきて、昼間は動くになれない。
 暑さの残る夕方の天候の中では ヤワラートまでの運賃12バーツの冷房バスの中は
 快適である。
 バスは フアランポン駅の前を通り過ぎ、クルンカセム運河に架かる橋を越えて、
 中華街に入って行く。
 中華街の中心はヤワラートであるが その手前のバス停で降りることにした。
 中華街の始まりあたりから 歩いてみようと思ったからだ。

 バスを降りて歩き始めると この前 73番のバスに乗って バスの終点サファン・
 プットまで行ったときに見かけた西洋の城のように見える出来たばかりの寺院の
 建物が気になっていたので、中に入ってみることにした。
 中華街にやってくるときには いつも眼に入ってくる寺院であったが、以前は 
 境内にはこんな建物はなかった。
 大理石をふんだんに使い、尖塔は金色に塗られ、夕陽を浴びて輝いている。
 いわゆる仏舎利にあたる建物だろうか。
 あまりに仰々しい姿に 日本人の私の感覚からすれば 信仰心など湧き起こって
 来そうにもない。

 寺院の本堂に眼を向けると 入り口前には 仏陀の像と腹の出た中国の神様が
 祭られている。
 近くにいた掃除のおばさんにも訊いてみたが 中国の神様というだけで神様の名前は
 知らないようだ。
 恵比寿様なのだろうか。
 これらの像も金ぴかである。
 本堂の中を覗いてみると 本尊である仏様が これ又、金ぴかの姿で鎮座している。
 細身のタイ式の仏像である。
 本堂の中では どういう訳か 外国人観光客の家族が 座り込んでいる。
 外国人にとっては こんな金ぴかな仏様が トロピカルに感じられていいのかも
 しれない。
 わび・さびを好む日本人からすれば、タイの金ぴかの仏様には どうも有難みが
 感じられない。

 寺院を出て、歩き始めると中華街の入り口を示す、中華門がある。
 昔は見かけなかった門で、この10年のうちに作られたものだ。
 中華街の観光用に作られたもので、この門を抜けても 中華街への道にはつながらない。
 単なる飾りである。

 この辺りには道教の廟もいくつかある。
 中国的な色鮮やかな派手な廟であるが、ここまで派手になると逆に気にならなくなる。
 こんな建物を見ると 如何にも中華街にやってきたという気になってしまう。

 ヤワラートのバス停に至る道筋には 古い昔ながらの中華街の名残を残す建物が
 いくつか残っている。
 20年以上前に バンコクの中華街にやって来たときには 大半が苔むしたような
 古い建物ばかりだった。
 それがうらびれた雰囲気を醸し出していて、心惹かれたものだ。
 そんな雰囲気に浸りたくて、中華街の中を ひたすら彷徨したものだ。
 バンコクの経済の中心を シーロム地区に奪われ、落ちぶれて行く一方だったが、
 やっとバンコクの観光名所として 復活を果たしてきているようだ。

 昔は裏通りに入れば 冷気茶室と呼ばれる置屋や怪しげな歌謡酒場などがあり、
 中華街を牛耳った中国ギャング(ナグ・レーン)たちの資金源になっているような
 場所も多かったが、今の中華街は 随分健康的で健全な街に変わったものである。
 少し危険な匂いのする中華街というのが 魅力の一つだったが、そんな時代は
 遠い昔のことだ。
 その健全さを象徴するように セブンイレブンの店の看板も中華街では目立ち始めて
 きた。



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バンコク 中華街 | 21:47:18 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 誰のための進歩・発展だろう?
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バンコク 誰のための進歩・発展だろう? 3

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バンコク 誰のための進歩・発展だろう? 7

バンコク 誰のための進歩・発展だろう? 8

バンコク 誰のための進歩・発展だろう? 9

 9月の第2週辺りから 暑さがぶり返してきた。
 1日に1度のスコールは やってくるようになったが 蒸し暑さが増すばかりで
 夜も寝苦しい毎日である。
 日中など あまりの暑さに 外に出る気にもならず、部屋の中にいて 暑さを耐え
 忍んでいるだけだ。
 近くにあるMBKセンターなどのショッピングセンターに涼みに行くという方法も
 あるが 何も好んで人混みの中に入って行って、豚インフルエンザに感染するような
 場所に行くこともないだろう。

 部屋の暑さに耐え切れなくなると 24階建てのマンションの屋上に上るのも
 気分転換になってよいものだ。
 今や BTS高架鉄道の駅 サイアムセンター周辺は バンコクの中でも有数の
 消費センターの集まる場所である。
 昔からあるMBKセンターに始まり、ディスカバリセンター、サイアムカフェ、
 サイアムパラゴン、少し先まで行けば ワールドセントラルプラザ、伊勢丹デパートに
 そごうデパート、この辺りでウィンドウショッピングをしていれば、1日を費やすことに
 なるだろう。
 何もこんなところへ行って 買うことが出来ないという欲求不満に悩まされる必要も
 ない。

 私の住んでいるマンションの近くでは 朝の8時過ぎから夜の9時近くまで 
 建築の工事をやっている。
 昔は ラブホテルで有名だったスターホテルを取り壊した跡地に 近くにある中級
 ホテルのレノホテルが 第二のホテルを新築するようだ。
 その工事の音が 朝から騒がしく 全くの近所迷惑である。
 工事現場のすぐ近くに住んでいる人間にとっては 耐え難い騒音である。

 マンションの斜め前にある空き地でも 工事が始まっている。
 今 バンコクの中で 最も地価が高い場所は サイアムパラゴンという高級デパートの
 周辺だと言われている。
 そこから歩いて15分の距離にある空き地が 放って置かれるなどあり得ないことだ。

 マンション屋上から見ると 高層ビルの建ち並ぶ地区は BTS高架鉄道沿線上に
 限定されているようだ。
 交通の便が バスなど頼らざるを得ないような地区には 高層ビルの姿は少ない。
 ここ10年のバンコクの中心部の発展は BTS高架鉄道の発達と共にあったようだ。

 短期の観光客がやって来て宿泊する地区といえば 発展著しいBTS高架鉄道沿線上で
 あることから、近代化したバンコクのこの一部だけを見て これをタイの一般的な姿で
 あると誤解してしまいがちである。
 むしろ BTS高架鉄道沿線上の5キロ四方内にある近代高層ビル群の林立する地区が
 特殊なのである。
 マンションの屋上から眺めても バンコクの西部地区や北部地区には いくつかの
 高層ビルがある程度で、大半は昔ながらの低い建物ばかりである。

 昔はバンコク、いや タイの富は 中華街 ヤワラートに集中していたが、
 現在は BTS鉄道沿線上の5キロ四方内のサイアムスクエア周辺から
 スクムビット道路沿い、ラーマ4世道路沿い、シーロム、サトン道路周辺に 
 タイの富は集中している。
 昔は 王族・貴族、そして中国人財閥に富が集中し、タイの金融の中心は中華街だったが、
 今は シーロム地区に場所を変えたが、場所は変わっても 富の集中が 中国系財閥、
 王族・貴族系財閥であることは 少しも変わっておらず、庶民たちは 相変わらずの貧しさの
 中であえいでいる。

 30階、40階建てのオフィスビルも 30階近いマンションも一般庶民からすれば、
 無縁の長物、マンションの広告など見ていると 最低680万バーツ(約2千万円)から
 販売中というマンションが 都心では一般的になってきている。
 こうなると 一体 誰のためのマンションなのか 目を疑ってしまう。
 日当3、4百バーツの労働者にとっては 全く手の届かない代物である。
 超高層のオフィスビル、大型スーパー、高層マンション、どれもこれも庶民の生活とは
 縁のないものである。
 もうバンコクの都心部では 庶民たちの住める場所は 無くなる一方だ。
 都心部は 金持ちたちと一流企業に勤めるサラリーマンと外国人観光客の場所に
 なってしまっている。

 路上で細々とした商いをする人々は 僅かに残っているスラムからやってくるか、
 都心部から離れた家賃の安い地域から やってくる。

 こんな進歩・発展はいつまで続いて行くのだろう。
 富や資源は 無限のはずはない。
 どこかでどんでん返しがあるに違いない。
 私の歳では 見ることは出来ないけれど、50年、100年後のバンコクの高層ビル群は 
 どうなっているのだろうか。
 680万バーツもする高層マンションは 安心して住めるのだろうか。
 見た目はいいけれど、基礎はしっかりしているのだろうか。



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徒然なるままに | 12:24:36 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 夕暮れ時のプラカノン風情‐05
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 表通りから 再び 市場の中に入ってみる。
 午後7時を過ぎると 市場の中の店も だんだん店仕舞へと向かい始めている。
 市場にやって来た客たちも 大急ぎで買い物を済ませているといった様子だ。
 このプラカノン市場は 生鮮食品が安い。
 私の住んでいる近くにある市場よりも格段に安い。
 少し、野菜や魚でも買って帰ればいいのだが、この頃は一人暮らしの中での炊事も
 面倒だし、今日は動き回って 疲れ果てているから 料理など作る気にならない。

 閉店前の店の中にいる売り子たちの威勢のいい掛け声もなく、皆 仕事の終わり前の
 休息の時間といった様子だ。

 もう40年近く前、私は池袋の近くの西武池袋線の東長崎駅の周辺に住んでいた。
 下町の雰囲気の色濃く残る地域で 如何にも庶民の町といった感じで、表通りは
 活気にあふれていた。
 銭湯もまだまだ廃れておらず、私の住んでいるアパートから徒歩でいける銭湯は
 3,4軒はあった。
 詩人の田村隆一氏も 銭湯の多さに喜び、何年かこのあたりに住んだことがあるらしい。

 プラカノンの街にやって来ると 40年近く前に住んだ椎名町、東長崎の下町界隈が
 思い出されてくるのである。
 一人暮らしであっても 街の中に出れば、人々の生き生きした姿を見ることが出来た。
 安い定食屋や学生が安心して飲める赤提灯の店も多かった。
 プラカノンの街は まさに庶民の街なのである。
 いくつかの高層マンションはあるけれど、人々の大半は 地面に足をつけて生活して
 いる。
 木造の家屋や棟割長屋のような1階部分は店、2階は住居といった建物も多い。

 そんなところに住んでいる人たちが この市場にやってくる。
 やはり この市場や周りの露店は庶民たちの救いの場所であり、心の癒される場所の
 ように思われる。

 バンコクも日本と同じ経過を辿るように こうした庶民たちが気楽に気さくに集える
 場所がどんどん失われてきている。

 日本のこの4,50年の社会の変化が バンコクでは10年、15年という猛烈な
 勢いで進んでいる。
 アメリカ式のモダンライフが 人間の進歩・発展であると騙され、市場はスーパーに
 変わり、小売店はコンビニエンスストアへと変わる。
 都会に労働者を集め、少なくなっていく住宅地を有効に使うためにブロイラーの
 飼育箱のようなマンションやアパートが生活場所に変わり、人と人との関係を希薄に
 していく。
 それがモダンライフであると 教え込まれてきたのである。
 アメリカのように ばらばらの人間の寄せ集めの国では 仕方がない方策であったかも
 知れないが、アジアという古い文明、生活文化を持つ国にとっては アメリカ式の
 モダンライフは 豊かで人間味あふれる地域社会、共同体を破壊することだったはずだ。
 本当は それがアメリカの目的だったのかもしれないと このバンコクの変容を
 見ていると、日本のこの4,50年の変容の意味が透けて見えてくる。

 プラカノンの市場の中に生きる人々の姿を眺めながら、アジアという地域の中で
 長い年月をかけて養われてきた生活文化の名残を感じる。
 もうすぐ近くまで このプラカノンのこの地域まで 近代化の波は押し寄せてきている。
 モダンライフを謳う人間との関わりを失ったマンションライフ、大型スーパー、
 巨大高層オフィスビル、庶民の暮らしとは無縁な世界が 疫病のように広がってきて
 いる。

 果物を売る露店に座り込んで パンを齧っている売り子の女の子、路上に座り込んで
 いる物売りのおばさん、その後ろで麺類を売る屋台と客たち、こんな世界は いつまで
 続いていくのだろう。

 横断歩道橋の上に立ち、プラカノンの街並みを眺める。
 通ってくれば来るほど、愛着の増すプラカノンの街だ。
 それはバンコクの消費センター サイアムセンターとは異質な世界であり、
 人間的な温かみを持って世界である。
 離れがたい思いを残しながら、ピンク色に塗られた48番の冷房なしのバスに乗って、
 サイアムセンターへ、そしてMBKセンターへと向かった。



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バンコク風情 | 18:04:06 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 夕暮れ時のプラカノン風情‐04
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 行き止まりの運河のそばにある集落から 表通りに至る橋の下のアーケードにある
 店の並ぶ辺りまでやって来ると 街の様相は 一変していた。
 夕暮れから夜の闇へと時は変貌し、人々の姿が 電気の灯りの下に浮かび上がってくる。
 店仕舞い前なのか アーケードの人々の顔つきにもほっとした表情も浮かんでいる。
 冷房のないアーケードの中の店は吹き抜ける風任せの涼しさを頼みにしているが、
 夕方を過ぎれば、多少なりとも気温も下がってくる。

 アーケードの脇の通りでは 店仕舞をするにはまだ時間があるらしく、昔ながらの
 タイの生活雑貨を商っている店以外は やってくる客相手に 惣菜を売る露店の人々は
 忙しく立ち働いている。
 裸電球の暖かい灯りが 昔ながらのバンコクの路上の姿を 甦らせている。
 4,50年前からのバンコクの姿が 変わることなくこのプラカノン市場界隈には
 今も消え去ることなく 残っているのである。

 こうした庶民の愛する生活の場所を惜しげもなく 壊し続け、味も素っ気もない
 現代的なビルに変えてきたのが ここ15年の間のバンコクの歴史である。
 古い市場は スーパーマーケットに変わり、ショッピングモールへと姿を変える。
 買い手と売り手の人間らしい交流は失われ、そこにはただ物とお金があるだけの
 世界に変わってしまった。

 この橋の下のアーケードには20年以上前にも来たことがある。
 橋の下のアーケードにこんなに店が入っていると驚いたものだが、それが20年経った
 今でも同じ姿で残っているというのは もっと大きな驚きだ。
 ここに住む人の生活も ここで商いをする人も 昔と変わることなく そのままの
 生活をしている。

 生活雑貨の店も、床屋も美容院も、路上の屋台も 垢抜けることもなく、装飾よりも
 実用を大切にする庶民の心が生きている。
 つまらない装飾にお金をかけて 値段を吊り上げていく世界より、あるものを
 そのまま大事に使い、無駄を省いて 値段を抑えてくれる世界の方が 庶民にとっては
 余程有難い。

 もう店仕舞になったのか 椅子の並んだ美容院には 客の姿も 美容師の姿もない。
 その椅子の向こうを見ると 店の奥で 何人かの女たちが座り込んでいる。
 カメラを構えていると 呼びかけるので 近づいて行くと 今日の仕事を終え、
 一杯やっている最中だった。
 彼らの知っている日本語は 「あなた」、その「あなた」を連発している。
 20年前は 若かった女性たちである。
 若かった時代に憶えた日本語の一つが 「あなた」なのかもしれない。

 20年以上前にここを訪れたとき、このアーケードの向こうにあるアパートの一室に
 住んでいるタイ人の家族に会いに来たのであるが、その家族の1番下の娘も 60歳を
 過ぎた日本人男性の愛人だった。
 その後 二人の間には 娘が出来たが、その日本人もいつのまにかバンコクに来なく
 なり、音沙汰は途絶えてしまった。
 夜 働く女たちにとっても このプラカノンの街は生活し易かったのだろう。
 夜の歓楽街 パッポンに行くにも スクムビット界隈に行くにも バス一本で行ける
 便利な場所だった。
 その上、家賃も物価も安かった。

 奥の部屋に座り込んで仕事の疲れを 一杯の酒で癒す女たちの酒の勧めをことわって、
 再び通りを歩き始めた。


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バンコク風情 | 10:08:17 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 夕暮れ時のプラカノン風情‐03
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 運河に浮かぶ島のような集落を離れ、水門の上に上がると 集落の住人が 水門を
 管理する施設の中にいる。
 その向こうには 沈みかけている夕陽が見える。
 施設の向こう側にある橋から 夕陽を背景にした運河の流れを見たかったので、
 「施設の中を抜けても 大丈夫か」と尋ねると 「問題はない」と応えてくれる。
 もう一つの集落の脇にも 橋に向かう細い道があるが、犬がやたら多くて、
 咬み付かれる可能性もある。

 施設の中に入ると 水門の向こう側の運河に釣り糸をたれて、釣りをしている人もいる。
 運河や川では よく見かける風景である。
 タイ人は どうも釣り好きの国民のようだ。
 釣りの成果はあまりにようだが、日長一日のんびり過ごすことが 好きらしい。
 施設の表門の方へ向かうと 先ほど集落の中の草花好きの家にいた女性が 表門へと
 案内してくれる。
 明るく、親切な女性である。

 表門を出て 橋の上に上がると ここでも 運河にいる魚を採っている。
 ここでは 投げ網を使っている。
 東北タイから出稼ぎにやって来ている人たちのようだ。
 しかし、若者たちが大半で、投げ網はそれほど得意ではないようだ。
 子供たちの何人かは 土曜日の休日を 運河の水の中に飛び込んでは 遊び呆けている。
 のんびりした休日の光景である。

 広い運河の向こうの空では、夕陽が沈みかけている。
 僅かに残っているバンコクの自然の中の夕陽、これを見ることで 何か人間らしさを
 取り戻したような気持ちになる。
 日も暮れかかってきた。
 急いで来た道を引き返す。

 夕闇が迫り、集落の家々にも明かりが燈り始めている。
 灯りの中に浮かび上がり人々は 一様に座り込み、夕暮れの時間をのんびり過ごして
 いる。
 これから、あわただしい夕食の準備が 始まるのだろうか。
 高速道路の照明灯の灯りが 集落の前の運河の水面に映り、
 幻想的な光景に変わっている。
 集落を抜け、表通りへと急いだ。


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バンコク風情 | 17:18:28 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 夕暮れ時のプラカノン風情‐02
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 運河に架かる橋の下のアーケードを抜けると道の反対側に出る。
 その道は運河のところで行き止まりになっているが、その右側に 運河に沿った
 細い道がある。
 この道は 地元の人間以外はほとんど気がつかないような道である。
 その細い道を 運河沿いに歩いて行くと 昔からある古い集落に出会う。
 今から130年年ほど前に この運河が造られたときに バンコクを流れる大河
 チャオプラヤ川から、このプラカノン運河を通って、物資が運ばれてきた時に
 中継地としての役割を果たしていた集落だろう。

 このプラカノン運河は この先、いくつも枝分かれし、その一つは バンコクの
 重要な運河 センセーブ運河へもつながっている。
 百年、百五十年前のバンコクの交通の大半をこれらの運河が担っていたことがわかる。

 この集落は 運河をはさんで両側に別れ、いくつかの細い道以外にこの集落の中には
 入っていくことは出来ない。
 二つに分かれている集落のうちの一つなどは 運河の中の島のようになっており、
 もう一つの集落からしか行けない形になっている。
 水路を使った交通が主流の時代には、便利だったこの集落も 陸上交通が主流になった
 現在では オートバイ以外の車は入ることが出来ず、時代に忘れられたような集落に
 なっている。

 集落沿いの細い通路のような運河沿いの道に沿って歩いて行くと、木造の古い家が
 建ち並ぶ。
 道を奥に向かって歩いて行くと 自分の家の前に置いた木造のベンチに座り込んでいる
 親父さんがいる。
 写真を撮ってもいいかと尋ねると、笑いながら、OKである。
 この親父さんの家族も ここに住みついて 百年以上になるようだ。
 古い木造の家の建ち並ぶ道の先には 新しく出来た水門がある。
 何年にも渡って工事をしていたようだが、今年になって完成したようだ。
 運河の水を調整し、汚れた水を浄化する施設を併せ持っている。

 この水門の上に上ると、運河の向こう側の島のようになったもう一つの集落へ
 行くことが出来る。
 水門の上を通って 島のような集落の中に入って行く。
 この集落の中に建っている家々のほとんどは木造住宅であるが、戦後建て替えたものが
 大半である。
 狭い土地の中に密集している集落の家々には 庭を持てるような余裕はない。
 しかし、それでも僅かの空間を利用している住民もいる。
 集落の入り口近くに住んでいる老夫婦もそうである。
 しきりに通路に並べた多数の草花の世話をしていた。
 人柄も友好的で 色々なことを話してくれ、あとで 水門の先にある汚水処理場まで
 行ったときには 奥さんは夕方の散歩らしく、辺りを案内すらしてくれた。
 古い集落には 昔ながらの親切も残っているようだ。

 彼らの家の先にも 別の家族が住んでいる。
 以前に話をした中年の女性が いた。
 彼らの家族も 長い間この集落に住んでおり、彼女の両親もここで生まれたと
 言っているから、百年以上は住み着いていることになる。
 彼女は 中国人とタイ人の混血である。
 昔からのバンコクの住民には 中国人との混血の人たちが多い。

 この集落の土地は 彼らのものではない。
 『サップ・シン』と呼ばれ、昔からの王室所有の土地である。
 ここに住む人々は 王室から借りている土地の広さにあわせて 賃料を払うことになる。
 ちなみに彼女たちが借りている土地は 約百平米で 月7百バーツ、その他に税金と
 して 年間3千バーツ納めているとのことだ。
 バンコクや地方都市には こうした『サップ・シン』と呼ばれる王室の土地や
 棟割長屋の形をした借家、市場などが多い。
 運河の開発は 王国の事業をして行われたものから、運河沿いの主要な土地は 
 王室のものになったのである。
 この頃は 王室財産管理局が 王室の代わりに王室の財産の管理をしているが 
 物価高の中、賃貸し料も値上がりをしているようである。

 そんな土地でも 百年以上も住み続けていると 故郷であり、彼らの愛すべき想い出に
 満ちた場所になっている。
 何代にも渡って住み続けていれば 当然のことだし、離れ難い棲家なであることが
 彼らの口ぶりから伝わってくる。
 土地を愛するためには その土地に住み着き、生活が持続して続いていくことが 
 大切なことであることが 古い集落を見ていると どこでも感じられることだ。
 日本の東京のどこに こんな古い集落が残っているのだろう。



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バンコク風情 | 06:56:14 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 夕暮れ時のプラカノン風情‐01
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 プラカノンの街は 私の住んでいる近くのMBKセンターあたりから見ると
 東の方向にあり、そこまで行き着くまでには バンコクの高層ビルの立ち並ぶ
 スクムビット界隈を越えて行くことになる。
 MBKセンター辺りからのスクムビット道路沿いは ここ10年以上 開発の嵐が
 吹き荒れ、高層のオフィスビル、マンションが建ち並び、この辺りだけを見ていると
 バンコクが とんでもない近代都市にも見えてくる。
 これだけの高層ビル群を建てるお金は 一体どこから来たのかと不思議な思いになる。

 ビエンチャンから帰ってきて以来、近くを散歩するぐらいで 代わり映えのしない
 毎日を過ごしていたが、気分転換に バンコクの東の果ての街 プラカノンまで
 行くことに決めた。

 国立競技場の向かい側のバスの停留所で 48番のバスが来るのを待つ。
 冷房付のバスは 黄色に塗られた車体、冷房なしはピンク色に塗られた車体である。
 少し待ったが 冷房付のバスが先に来たのでそれに乗り込む。
 プラカノンまで14バーツである。
 乗り込んだのはいいが、午後4時を過ぎていたせいか、スクムビット道路は渋滞で
 バスは少しも進んでいかない。
 48番の黄色の冷房付バスは 新車で冷房がすこぶる効いている。
 すっかり身体が冷えてしまった。
 いつもなら20分ぐらいでプラカノンに到着するのであるが、
 今日は1時間近くかかってしまったのだ。

 プラカノンに到着する寸前に 突然にわか雨が降り始めてしまった。
 バスを降り、雨を避けるために真っ直ぐプラカノン運河の船着場へは行かず、
 市場の中を通っていくことにした。
 プラカノンのバスの停留所近くの市場では 衣類が主に売られ、
 運河に近いあたりでは 生鮮食品が売られている。
 昨日のように土砂降りの大雨になるかと心配したが、本当に にわか雨で 
 すぐに雨は 上がってしまった。
 それでは もう大丈夫と 市場を出て、船着場のある通りへと出た。
 いつものカキ氷の店の前に出ると、いつもの愛想のないおばさんが座り込んでいる。
 折角来たのだからと思い カキ氷を注文する。

 運河に架かる橋の下には 多くの店が軒を並べているが、
 1番多いのは美容院と床屋である。
 昔風の美容院と床屋といった感じで 洒落た雰囲気などどこにもない。
 床屋など 頭を刈ってもらえば それでいいといった感じなのである。
 お洒落とは程遠い 実用一点張りの世界である。
 庶民の住む町、庶民の生活する場所は それでいいのかもしれない。

 カキ氷を食べ終え、プラカノン運河を走る定期船の出発点になる
 プラカノン市場の船着場へと足を進める。
 定期船は 出発間近のようである。
 もう時間は午後5時を越えている。
 こんな時間に定期船に乗り込めば、帰りは 船がないことになる。
 この船着場発は7時過ぎまであるらしいが、こちらに向かう船は6時近くなると
 なくなってしまう。
 今日は プラカノン付近の夕暮れの様子を眺めて見たかっただけであるから、
 船には 乗り込まない。
 船着場の桟橋の上に立って、行き交う船や人々を眺めるだけだ。
 このプラカノン運河沿いには 多くのイスラム教徒たちが住む。
 船の乗客の中にも スカーフをかぶった女性がいる。

 この船着場にやって来ると 心が穏やかになってくる。
 MBKセンター辺りを行き交う人々と比べても 人々の動きはのんびりしている。
 距離にすれば MBKセンターから 5,6キロぐらいだろうが、
 別の世界が 拡がっているのだ。


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バンコク風情 | 21:09:56 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク タイの伝統工芸 フルーツカービング
バンコク タイの伝統工芸 フルーツカービング 1

バンコク タイの伝統工芸 フルーツカービング 2

バンコク タイの伝統工芸 フルーツカービング 3

 先日 ブログ仲間の一人が バンコクにやって来た。
 彼がバンコクにやって来た理由は バンコクのサイアム・スクウェアーにある
 高級デパート サイアムパラゴンの5階で 行われたタイの伝統工芸 フルーツ・
 カービングのコンテストを見学することと 昨年の3ヶ月のバンコク滞在の際に
 知り合ったタイの人たちとの旧交を暖めることにあったようだ。
 彼もフルーツ・ベジタブルカービング、氷彫刻を趣味とする料理人である。

 どんなコンテストなのか 私も興味があったので 彼について サイアムパラゴンの
 5階に行ってみた。
 サイアムパラゴンから歩いて15分ばかりのところに住んでいる私であるが、
 BTS高架鉄道の駅 サイアムセンター駅で降りたときに サイアムパラゴンの中を
 通り抜けるだけで 各階を覘いてみたことはなかった。
 タイの中産階級以上の人たちや裕福な外国人観光客目当てにオープンした
 高級デパートという話は 耳にしていたが、各階のスペースもゆったり広々としており、
 高価な商品を売る高級ブティックが多く立ち並んでいた。
 この頃では 安くてそして粗悪でなければ 着るものは何でもいいという私にとっては
 あまり縁のない場所であることを実感した。

 カービングのコンテストの行われている5階までエスカレーターを乗り継ぎながら、
 やっと5階に着いた。
 さぞかし大々的に行われているのかと思うと それほどでもなく 10人ばかりの
 参加者が 個人の部で その技を競っていた。
 規定数以上の果物をカービングし、それを美しく飾りつけることを競うらしい。
 大半は大きなホテルのレストランで働いている人たちが参加していると 連れの
 ブログ仲間から聞いた。
 他にも グループ同士で競う団体の部もあるようである。

 このフルーツ・ベジタブルカービングの歴史は 7百年ほどになるという話である。
 アユタヤ王朝頃から始まったことになるが、ある程度 洗練されてきたのは 王都を
 バンコクに移したチャックリ王朝時代からだろう。

 アユタヤ王朝にしろ、バンコクのチャックリ王朝にしろ、食料の大半は 中央タイの
 チャオプラヤ川流域の肥沃な土地からの生産物からのものだろう。
 飛行機がバンコク上空に近づいたときに見えるタイの平野の広さは タイの農産物の
 生産量の豊かさを十分に感じさせるものだ。
 この平野から生まれる過剰農産物は アユタヤ王朝時代から 海外に輸出して富を
 得るための重要な産物だった。

 フルーツ・ベジタブルカービングは そうしたタイの過剰農産物にあふれる風土から
 発展し、それが王制の中の特権階級の贅沢として発展してきたのだろう。
 しかし、それは中央タイという広い肥沃な平野に恵まれていた地域だけのことで
 旱魃、水不足、痩せた土地の中で生活してきた東北タイ イサン地方では 無縁の
 ものだったのだろう。
 タイも地方によっては その豊かさにも違いがあるのである。

 私のように 食べることに汲々としていた時代に育った人間にとっては 果物や野菜を
 食べるためではなく、飾るために利用するということには どこか抵抗がある。
 これは 日本という狭い国土、狭い農地を持つ国で育った人間の価値観からなのだろう。
 食べ物のない時代に育った人間が 目上の者から言われ続けてきたのは 「食べ物を
 粗末にするな。罰が当たる。」そんな言葉だった。

 大根を育て、陽に干し、漬物を作る、渋柿の皮を剥いて 干し柿を作る、麦を栽培し、
 パンやウドンと交換する、そんな経験を経て、育ってきたものにとっては 
 カービングされた野菜や果物よりも そのままの姿である野菜や果物の方が 
 好ましく思われるし、食欲という点でも心を惹かれるのである。
 やはり、野菜や果物であれば 食べることを前提にしてほしいと願ってしまう。
 タイという過剰農産物のあふれる国であれば、残ったものを腐らせるよりいいという
 ことになるが、食糧自給率50%以下の日本では どうも気になって仕方ない。
 折角の美しいカービング 食物を使うのだから、食べることを前提とした形での
 カービングへと改良できないものだろうか。
 その点、氷の彫刻など、全く抵抗なく受け入れることが出来るのだが・・・。

 人口増加の激しい地球という惑星の中では 富める社会と飢える社会が両極化して
 いる。
 食料に対して、どういう姿勢を示すか、一人一人の人間に問われていることである。
 インドやネパールの貧しい人たちの粗末な食事を見てくると、食べ物に関しては
 ついつい神経質になってしまう。
 グルメ、グルメを飽きることなく 騒いでいる日本を見ると、この国の国際感覚は
 どうなっているのか、あきれ果てることばかりである。
 想像力を失った社会では 共感性という人と人を結ぶ感性は育っていかない。
 コンビニエンスストアでは 残った弁当類は この前までは廃棄していたらしいが、
 この頃は 少し変わってきたようだ。
 衣食住の中の食は 人間が生きている以上不可欠なものだし、これだけ地球に
 人口が増え、食料不足が問題になっている現在、食について 神経を使い過ぎても
 使い過ぎるということはないだろう。



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徒然なるままに | 11:31:36 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 土砂降りの雨
バンコク 土砂降りの雨 1

バンコク 土砂降りの雨 2

バンコク 土砂降りの雨 3

バンコク 土砂降りの雨 4

 今日は 円高で 百円で 37バーツになった。
 円のレートがいいので 近所の私設の両替屋に行き、その後、予約してあった航空
 チケットの支払いをすることにした。
 両替を済ませ、航空チケットの予約をしてあった旅行会社へ行ってみると、
 9月10日からノースウェスト航空が 突然 燃料チャージを取るようになり、
 57ドルx2=114ドル 約3千6百バーツの値上げになってしまったと言う。
 突然のことで どうにもならなかったと言う。
 折角、円高になったにもかかわらず、これではどうにもこうにもならない。
 1万2千4百バーツが 1万6千バーツになってしまったのである。
 予定外の出費で 頭が痛い。

 出発日はいいのだが、バンコクに帰っている日が気になっている。
 この前、ビエンチャンのタイ大使館に行って、ダブルエントリービザを取得して
 きたのであるが、2回目の入国の期限が 『entry before 24th Nobember』 と
 書かれている。
 これをどう理解していいのか はっきりわからない。
 11月24日までに入れば大丈夫なのか 23日までなのか どうもはっきりしない。
 私が バンコクに到着する時間が 23日の午後11時45分、イミグレへの移動時間、
 待ち時間を考えると 24日になってしまう。
 旅行社の人が 空港のイミグレーションに問い合わせてくれ、24日で大丈夫という
 ことだったが、ビザの発給日が8月25日、11月24日だと91日目になり、
 3ヶ月を超えてしまう。
 それで心配になっているのである。

 3千6百バーツの超過料金にうんざりしながら、部屋に帰ってしばらくすると、
 雨が 凄い勢いで降り始めた。
 雷を伴う雨で、いつも雷の通り道になっているMBKセンター周辺では 雷と稲光が
 荒れ狂う。
 すぐ近くの高い鉄塔めがけて、雷が落ちたらしく、一瞬、肝が干上がってしまう
 くらいだった。
 ベランダの排水溝は ぶくぶくと音を立て、雨水が逆流している。
 ベランダから 外の景色を眺めると 白い幕が下りているくらいの土砂降りだ。
 このくらい激しく雨が降ると 気持ち良さすら感じられる。
 1時間もすると 激しい雨も すっかり収まってしまった。

 外に出ると マンションの前の通りで この頃、あまり顔を見せない行商の果物売り
 の顔なじみがいたので、3個で50バーツの中国梨を買った。
 その足で再び 両替屋へ向かった。
 航空チケットの代金を払うと 手持ちのタイバーツの現金がほとんどなくなり、再び、
 両替屋へ行くと 百円で37バーツだったのが、37バーツ10サタンになっていた。

 中国梨を提げて、アジアホテルの方に向かうと、先ほどの雨でセンセーブ運河の水位が
 上がっていた。
 散歩がてらに のんびりと歩き続けていると 柿を売っている行商の果物売りが
 いる。柿一つ 5バーツである。
 日本ではまだ早い柿であるが、タイでは今が時期で 2,3週間前から、街では
 出回っている。
 チェンマイからやってくると言う。
 柿といえば、中国からのものと決まっていたが、チェンマイ辺りで栽培しているの
 だろうか。
 桃栗3年、柿8年というぐらいだから、すぐに収穫が出来るとは思えないが、
 本当にチェンマイ産なのだろうか。
 どちらにしても しばらくは果物に不自由しない。
 日本に帰ると 目が飛び出るほど高い果物であるから、今のうちに食いだめをして
 置こう。
 カトマンズからバンコクに帰ってきたときには マンゴスチン、ランブータン、
 竜眼があふれていたが、この2ヶ月で姿を消している。
 タイの果物の最盛期も 終わりを告げたようだ。
 春夏秋冬のはっきりしないタイであるが、果物の季節だけはあるようだ。



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徒然なるままに | 17:27:34 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 集落 バーン・クルアを歩く‐05 揺りかごから墓場まで
バンコク 集落 バーン・クルアを歩く‐05 揺りかごから墓場まで 1

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バンコク 集落 バーン・クルアを歩く‐05 揺りかごから墓場まで 8

バンコク 集落 バーン・クルアを歩く‐05 揺りかごから墓場まで 9

 イスラム教徒 チャム族の集落 バーン・クルアの裏側には 彼らの墓地がある。
 その墓地の入り口近くには 1本の火焔樹の大木が 聳えている。
 その大木の大きさからすると 百年以上あるいは2百年近くはこの地で根を下ろし
 続けてきた火焔樹の大木に違いない。

 ここがチャム族の墓地であることを知らなければ、ここが墓地であることには
 誰も気がつかないだろう。
 墓もなければ、その墓標になるものは一切ないので、見た目にはただの広場にしか
 見えない。

 バンコクの中には 多くのイスラム教徒集落がある。
 南タイのパッタニーからやって来たイスラム教徒の人々の住む集落、アユタヤ王朝
 時代に ペルシャからやって来たイスラム教徒の集落、南インドのマドラスから
 やって来たイスラム教徒の集落などが バンコクの中に点在している。
 集落のそばには 必ず彼らの墓地がある。
 彼らは 火葬しないから 墓地が必要なのである。
 この点は キリスト教徒も同じである。

 チャム族以外のイスラム教徒の墓地であれば、何らかの形の墓標がある。
 その形は違っていても 墓地の中には 死者の身元を示すものがある。
 身分の高いものにはそれに合わせた、身分の低いものにはそれなりの墓標がある。
 しかし、チャム族の墓地の上には 何も死者の名残を示すものはない。
 これは不思議なことである。
 それは ベトナムに住んでいた古い時代の土着宗教の名残だろうか。
 チャム族のイスラム教は アラーの神を信じると共に 祖先の霊も重要な信仰の
 対象である。
 疎遠崇拝信仰とイスラム教の交じり合ったもので、イスラム教以前には 
 ヒンズー教や仏教を信仰した時代もある。

 チャム族の持つ辺りの柔らかい東南アジア的な特徴は そんなところから来ているの
 かもしれない。
 死んでしまったものに上下の差はつけない。
 人は 皆 平等であるという思想の表われなのだろうか。
 上下関係の厳しい社会では 人と人の関係は 権威的で威圧的であるが、
 チャム族の集落で出会う人々を見ていてもそんな様子は見られない。
 挨拶すれば、すぐに笑顔で答えてくれる。

 それは ベトナム、カンボジア、タイと流浪を繰り返してきたチャム族の生活の
 知恵なのかもしれない。
 バーン・クルアの集落の中に 多くのイスラム教徒を受け入れ、今では東北タイから
 やって来た出稼ぎの仏教徒たちも 自然にイスラム教徒のチャム族の集落に溶け込んでいる。
 こうしたチャム族の持つ受容性を見ていると 私の持っているイスラム教徒の
 イメージが崩れてしまう。
 イスラム原理主義者から見れば、受け入れられないチャム族のイスラム教であるが、
 こんな柔軟なイスラム教もあっていいのではと思えてくる。

 チャム族の結婚の形も 入り婿制である。
 そのために 女の地位も高い。
 だから、集落の共同作業には 女たちも積極的に参加するし、商いにも精を出す。
 この男女間に差別がないことも 影響しているのかもしれないように思う。
 死んでしまえば 先祖の仲間入りをすることが重要なことで 墓などどうでも
 いいのかもしれない。

 2百年近くに渡って、コノバーン・クルアの地に生まれ、生活し、年を取り、
 死を迎え、先祖の仲間入りをする。
 その先祖の生まれ変わりのような火焔樹の大木が 墓地にあり、彼らの歴史を
 眺めている。
 ごく当たり前のことが 無理なく行われ、自然に生活の営みが続けられている。
 それが バーン・クルアの集落の姿であり、それが 彼らの墓地の形に表われて
 いるのだろう。

 ベトナムのチャム族からカンボジアのチャム族、そしてタイのチャム族とその流れを
 追いかけていくと 面白い興味深いことが山ほどありそうだ。
 彼らの顔の変容を見るだけでも 楽しそうである。



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バンコク 運河の辺の街 | 10:30:55 | Trackback(0) | Comments(0)
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