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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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カトマンズ カトマンズからバンコクへ‐03 飛行機の中で
カトマンズ カトマンズからバンコクへ‐03 飛行機の中で 1

カトマンズ カトマンズからバンコクへ‐03 飛行機の中で 2

 機内の自分の座席に座り込み、辺りを見回すと、近くに座り込んでいる人間といえば、
 ネパール人だらけである。僅かに欧米人の姿もある。
 私の隣に座りこんだ人も左右前後の座席も出稼ぎのネパール人だ。
 初めて乗る飛行機なのだろう。皆 好奇心と不安で一杯の様子である。
 そんなネパール人用のためか 乗務員が しきりに座席の上部にあるボタンを勝手に
 いじらないようにと説明している。
 先日、デリー・カトマンズ間のネパール航空機のトラブルは これらのボタンを
 いじったことから起こったものなのかもしれない。

 乗り込んでいる出稼ぎのネパール人の顔つきを見ると 南ネパールのインド系の色の
 黒い人たちが多い。
 私の横に座った出稼ぎのネパール人といろいろ話をしてみた。
 彼は 他の出稼ぎのネパール人と比べると それほど肌の色は黒くない。
 ネパールのインドと国境を接するタライの中でも西部に位置するダンという町から
 やってきている農家出身のバウン族の青年である。
 彼の家族の持っている農地は 7,8ロプニ(約千坪)、自給自足が出来る程度で
 現金収入のためには 他の仕事もしなければならない。
 家には両親と兄がおり、彼の兄は ローカルな食堂を開いている。
 ダンには多くのタライ地方の先住民族 タルー族が住み、タルー族のマオイストの
 本拠地のような場所だ。
 そのため バウン族にとっては 住みにくい場所なのだろう。

 このバウン族の青年は マレーシアでの出稼ぎからの収入を貯めて、
 次のビジネスを考えているのだろう。
 10万ルピー(13万円)のお金を払ってのマレーシアへの出稼ぎだ。
 その中に航空運賃も含まれている。期限は3年である。
 約束の給料は 月額 1万7,8千ルピー 日本円で 約2万2,3千円だ。
 オーバータイムがあれば、それ以上になるらしい。
 宿舎は工場の方で用意するらしいが 一つの部屋に多くのネパール人を詰め込む
 たこ部屋のようなものだろう。
 食事は 1日4,50ルピーを払うらしいが 物価の高いマレーシアで そんな額で
 大丈夫なのだろうか。
 彼の計算では 月々1万ルピー以上を貯め、3年で30万ルピー以上貯める計算だが
 どこまで可能なのだろう。
 彼が一緒に行くグループの総数は 50人くらいである。
 この世界不況の中で 本当にマレーシアに仕事があるのかどうか心配だが、
 出稼ぎの仕事の斡旋をする業者は コンピューターのICを作る工場で働くことになると
 言っているらしい。

 彼らは バンコクで飛行機を乗り換え、マレーシアのクアランプールへ行く。
 ネパールの中でも片田舎に住む人々、騙されないことを祈るばかりだ。
 つい先日も アラブのへの出稼ぎのネパール人労働者は 船の中での作業中に
 海難事故に遇い、12名のネパール人の出稼ぎ労働者が亡くなった。
 他にもインド人労働者も亡くなったようだ。
 山育ちのネパール人は 泳ぐことが出来ない。
 そんなことから 死者の数も増加したのだろう。
 借金をして お金をやっとの思いで都合して アラブの国へと出稼ぎに送り出した息子や
 夫を送り出し、こんな事故があれば、借金だけが残ることになる。
 貧しさからの脱出を求めての海外への出稼ぎが 貧しさを更に増す結果になってしまった。

 機内食の前に飲み物が回ってきた。
 昼食用の食前酒のせいか、ビールはなく アルコールは ウィスキーだけだ。
 そして、食事中に出るのは 白ワインと赤ワイン、
 1杯のウィスキーと白ワイン2杯で いい気持ちになり うとうとしているうちに
 飛行機は スワンナブーム国際空港へと近づいてきた。
 タイ時間の2時15分 飛行機は 無事にタイの地に着陸した。



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徒然なるままに | 19:07:36 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 子供たちの素顔‐10 自立に向かって
カトマンズ 子供たちの素顔‐10 自立に向かって 1

カトマンズ 子供たちの素顔‐10 自立に向かって 2

カトマンズ 子供たちの素顔‐10 自立に向かって 3

カトマンズ 子供たちの素顔‐10 自立に向かって 4

カトマンズ 子供たちの素顔‐10 自立に向かって 5

カトマンズ 子供たちの素顔‐10 自立に向かって 6

カトマンズ 子供たちの素顔‐10 自立に向かって 7

カトマンズ 子供たちの素顔‐10 自立に向かって 8

カトマンズ 子供たちの素顔‐10 自立に向かって 9

カトマンズ 子供たちの素顔‐10 自立に向かって 10

 ネパールの子供たちはよく働く。
 カトマンズでも貧しい庶民の子供たちほど 親の手助けをして よく働く。

 スラムの中にある自分の家にトイレを作るための泥をせっせと運んで トイレ造りを
 手伝っている子供もいた。自分の家にトイレが出来ることは 子供にとっても大きな
 喜びだろう。
 雨が降るときでも 傘を差して 草叢で用を足すこともない。
 家のために自分たちが役に立っていることは 大きな誇りでもある。

 幼い子供が もっと小さい子供の手をもって引っ張りあげている。
 助け合う、協力し合うという芽生えがここにある。
 これが人間にとっての基本である。

 雑木林の中で10歳ぐらいの子供が 刈り取った葉っぱのついた木の枝を集めている。
 家で飼っている山羊の餌である。
 紐を使って 上手に枝をまとめ、運びやすく工夫している。
 私の家も昔、白い山羊を飼っており、山羊のための餌の草刈、乳絞りのことが
 彼の姿を見ていると思い出されてきた。

 外れた自転車のチェーンをはめ直している子供たち、自分の使う道具なら 出来るだけ
 自分たちで直すというのが 当然のことだ。
 子供たちと物との関係、物を自分の力で コントロールしていく力が 自然に身につく。
 小さな技術であるが こうした姿勢が 生活している世界との関係を築き上げていく。

 食後の洗い物を手伝う女の子、いつかは手伝いから自分の仕事になっていくのだろう。
 我が子のそばで 母親も一緒に座り込み、その仕事ぶりを微笑みながら見つめている。
 こうした親子の関係が 互いの情愛を育てていくのだ。
 スラムの貧しい庶民の親子関係は 決して失われていない。

 家の前で 母娘が 真綿から糸を紡いでいる。
 神様に捧げる灯明に使う糸である。素焼きの皿に入れた油にこの糸をつけ、火を灯す。
 ネパールの女性であれば、必ず身につけなくてはならない技術である。
 ネパールの女の子が 一人前になるには 覚えなくてはならないことが山ほどある。
 料理、洗濯、宗教的な儀式のこと、子育てと幼いときから身につけないと間に合わない。

 洗濯一つ取ってみても ぼんやり洗っているだけでは 汚れは落ちない。
 女の子も10歳を過ぎれば、一人前に洗濯ができるようになる。
 水場から何度も水を運び、洗濯に励む女の子、「自分の服だけ洗っているの」と訊くと
 「お母さんの服もあるよ」と応えた。
 他の人の役に立つようになれば、もう一人前である。
 男の子たちも同じである。

 自転車に共同の水場から汲みあげた水を自転車で運ぶ男の子、昔は 水汲みは女の
 仕事だったが この水不足のカトマンズでは 男も女も 男の子も女の子も
 そんなことは言っておられない。
 家族みんなでこの水不足を乗り越えていくより仕方がない。

 路上の小さなCDを売る露店で働く少年、客が求める品物をすぐに出せるように
 なれば、一人前である。

 子供たちが 一人前になる、自立することが ネパールでは幼いときから求められる。
 貧しい庶民の子供たちほど、多くの技術を身につけなくてはならない。
 中産階級以上の家庭であれば、子供たちが出来る仕事でも 雇い人がやってくれる。
 子供たちは 勉強だけをしていればいいのだ。
 親が豊かであるうちは 何も苦労せずに育ち、生活することも出来る。
 しかし、長い人生、何が起こるかわからないというのも事実である。
 豊かさから貧しさへと 急変することだってある。
 そんなときには どういう人生が待っているのだろう。

 少なくともこの写真の子供たちは どうにか自分の人生を切り拓いていくだけの
 たくましさと生活の技術はもっているはずである。


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カトマンズ 生き抜く人々 | 04:37:14 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ カトマンズからバンコクへ‐02 空港の中で
 気の利かないバウン族の中年のバウン族の運転手に250ルピーを渡し、
 空港の中に入っていく。
 入り口のX線検査の場所で バッグに錠をかけてくるのを忘れ、
 二つの錠を家に忘れてしまったことに気がついた。
 空港の中の売店で 錠はあるかと尋ねると あると応える。
 カトマンズ市内なら 1個30ルピーであるが、ここでは2倍の60ルピー、
 2個買って120ルピーだった。
 とにかく一安心である。

 最近から航空券の中に空港使用税が含まれ、空港の中で空港使用税を支払う面倒が
 なくなった。
 今回買ったバンコク行きのネパール航空のポロモーション片道チケットが 
 162ドル(ディスカントの後)だったので 空港使用税を差し引くと、片道の
 チケットを 140ドル以下で買った計算になる。
 数ヶ月前は バンコク行きのネパール航空のチケットは 空港使用税別払いで
 250ドルだったことを考えると 嘘のような安さである。

 空港の中は マレーシアやカタールに行く出稼ぎのネパール人でごった返している。
 私の並んだネパール航空のバンコク行きのチェックインカウンターに並んでいる
 人たちのほとんどが バンコクで乗り換えて マレーシアに向かう出稼ぎのネパール人
 である。

 チェックインを済ませ、搭乗券を受け取り、出国手続きを済ませる。
 外国人用の出国手続きのカウンターとネパール人用のカウンターが別れていたので
 簡単に手続きを済ませることが出来た。

 手続きを済ませ、待合室に入っていっても 日本人の姿はない。
 韓国人、中国人、ロシア人らしきグループ旅行者、そして大半は 出稼ぎのネパール人である。
 中には 観光のためにバンコクへと向かうネパール人もいる。
 土地や住宅の売買を商売にしているネワール族の3人組、ネパール航空の職員で
 年間 無料で配給される7枚のチケットを利用して、バンコク、パタヤ観光に
 繰り出すネパール人の家族連れ、そんな人たちも何組かいる。
 かたや 貧しさから抜け出すための出稼ぎのネパール人、観光目的のネパール人と
 ここにもネパールの貧富の差がはっきりと別れている。

 出発1時間前になったので 再び X線検査、手荷物の検査を済ませる。
 今日はどういう訳か その検査がしつこく行われている。
 バンコクに到着してからの喫煙用のマッチまで取られてしまった。

 搭乗口前の待合室に行くと ここもバンコク行き、カタール行きの出稼ぎの
 ネパール人で一杯だ。
 飛行機の出発が雨のせいで 遅れているといっているが、カタール行きの航空機の
 離陸が遅れているために その後に離陸するバンコク行きが遅れているというのが
 本当の理由のようだ。

 雨の中、航空機まで乗客を運ぶ空港バスに乗り、バンコク行きの航空機の機内へ
 機内へと入っていった。



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徒然なるままに | 09:49:55 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 子供たちの素顔‐09 友達・仲間
カトマンズ 子供たちの素顔‐09 友達・仲間 1

カトマンズ 子供たちの素顔‐09 友達・仲間 2

カトマンズ 子供たちの素顔‐09 友達・仲間 3

カトマンズ 子供たちの素顔‐09 友達・仲間 4

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カトマンズ 子供たちの素顔‐09 友達・仲間 6

カトマンズ 子供たちの素顔‐09 友達・仲間 7

カトマンズ 子供たちの素顔‐09 友達・仲間 8

カトマンズ 子供たちの素顔‐09 友達・仲間 9

カトマンズ 子供たちの素顔‐09 友達・仲間 10

カトマンズ 子供たちの素顔‐09 友達・仲間 11

カトマンズ 子供たちの素顔‐09 友達・仲間 12

 バグマティ川の岸辺周辺にあるスクムバシ(スラム)や人口の密集した集落を
 歩いていると 子供の数の多さには 驚いてしまう。
 ネパールの休日である土曜日や学校の終わった夕方4時を過ぎた頃に そんな
 人口密集地域に行くと 子供たちで溢れかえっている。
 貧乏人の子沢山という言葉があるが、その言葉通りの姿である。
 昔の日本もそうだった。

 子供たちが群れを成して遊び、その集団も同じ年齢の子供たちではなく、
 様々な年齢の子供たちが 混ざり合って 遊びに興じており、年上の子供たちも
 上手に小さな子供たちを受け入れている。
 子供たちの中での文化伝達機能が まだまだ息づいているカトマンズのスラムの
 中での子供たちの社会だ。

 大人に干渉されず、子供同士で徒党を組んでいる子供たちの表情は 
 実に生き生きしている。
 群れを成して遊ぶことのなくなった日本では もう失ってしまった日本の子供たちの
 姿である。
 薄汚れた服を身につけ、汚れることなど厭わず、遊び呆けている子供たちの集団を
 見ていると、4,50年前に 子供であった自分たちの姿が重なってくる。

 スラムの中にも 大人たちの間には カーストや民族の違いに対する意識はあるが、
 弱い 虐げられているもの同士であれば、カーストや民族を超えて助け合うことが
 一番大切なことで いつこの土地から追い出されるかわからない生活の中では
 まとまりは大切な要素である。
 スラムの住民たちが 水不足で困っていれば お金を出し合って、井戸を掘る、
 地下水を汲み上げるための手押しポンプを設置する、飲み水をためておくための
 大きなポリタンクを設置するなどの協力体制はある。

 そんなスラムの中で生活する子供たちは カーストや民族の違いなど気にせず、
 群れを成して遊ぶ。
 昔からある古い集落に住む大人や子供たちに比べると カーストや民族の違いに
 対する意識からは はるかに解放されている。
 こんなスラムの中から ネパールを変えていくリーダーが育ってくれば、
 ネパールも大きく変わっていくだろうが、高カーストのバウン族、チェットリ族など
 カーストに対して強い意識を持つ人間たちが 国を支配している限り ネパールが
 大きく変わっていくことにはまだまだ難しい。

 カーストや民族を超えて協力し合って 国造りをするというのが ネパールの最も
 重要な課題であるが、それが実践されているのが スラムの大人や子供たちの
 日常である。

 友達とか仲間とかという言葉は 日本では随分薄っぺらなものになってしまっているが、
 カトマンズの貧しい庶民たちの間では まだ生き生きした光を放っている。
 その光にあふれた姿が カトマンズの貧しい庶民たちの子供の中にある。

 もう日本では こんな当たり前といってよい子供たちの姿を見ることは出来ないの
 だろうか。
 生き生きと逞しい野性味あふれた子供たちはどこに行ってしまったのだろう。
 ここ30年の日本社会の変化は 日本の子供たちから 確実に生気を奪っている。
 本当にそれでいいのかと問いかけたくなる。



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カトマンズ 生き抜く人々 | 04:06:55 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ カトマンズからバンコクへ‐01 雨の降る中を
 昨日の夜、大体の片付けとバッグへの荷物の詰め込みを済ませ、朝の5時に
 目覚ましを合わせ、夜の1時近くに床に入った。
 熟睡しないまま、うとうとしていると朝の5時に目覚ましがなり始める。

 玄関の戸を開けると、結構激しい音で雨が降っている。
 何も私がネパールを離れるときに 雨期特有止む気配のない雨が降ることは
 ないだろうと思うが、ネパールに住み続けるものにとっては 恵みの雨である。
 聞くところよると 昨夜の2時過ぎから止むことなく降り続けているらしい。
 家を出る6時40分までにはどうも止みそうにない。
 雨の中をタクシーの停まっている場所まで 濡れながら行かなくてはならない。
 タクシーは 近所のバウン族の60歳過ぎのタクシー運転手に予約している。

 23キロの荷を詰め込んだバッグと 10キロ近い荷の入ったリュックを背負って
 雨に濡れながら、細い路地を抜け、通りに出る。
 雨が降っているのだから、路地を抜けた通りにタクシーを停めていればよいものを
 50メートル先の雑貨屋の横にタクシーを停めて座り込んでいる。
 こういうところが バウン族の気の利かないところで、相手の立場に立って 
 対応することが出来ない。
 私の住んでいる場所も知っているから、この雨の中 どこにタクシーを停めて
 待っていれば、客が雨に濡れないで済むかも考え付くはずだが、そうした配慮が
 バウン族の人には出来ない。自分中心思考なのである。
 高カーストの人間は 相手が自分に合わせるのが当然だと思っている。

 タクシーが停まっている知り合いの雑貨屋までの50メートルを 雨の中 歩く。
 タクシーのトランクを開けるが、バッグを自分からいれようとしない。
 客が入れるのが当然だと思っている。
 バッグを入れるように指示して初めて動き始める。
 これでは客商売は出来るはずもない。

 しかし、よく雨が降っている。
 昨夜の2時過ぎから 降り続けている。
 カトマンズの人々には恵みの雨、私にとっては災いの雨だ。

 雨の中を 私の乗ったタクシーは トリブバン国際空港へ向かって走っていく。
 雨の中を空港に向かうのは 26年間のネパール生活の中で初めての経験だ。

 この雨で水不足の田んぼの中の稲も生き返ったことだろう。
 しかし、生活する人々は 政府の水道局の水が供給されず、相変わらず、
 右往左往している。
 昨夕も新しく有志の寄付によって造られた地下水を汲み上げる手押しポンプの前には
 仕事を終え、夕食の準備のためを求めて 長蛇の列だった。
 昼間は空いている手押しポンプも 夕方にしか水汲みが出来ない仕事を持つ人たちに
 とっては 大きな負担になっている。
 この国の政府が この10年以上 如何に民衆を蔑ろにしてきたか その証拠だ。

 水が充分でない、毎日の生活のための水を確保するために使う精神的な負担も
 肉体的な負担も決して小さなものではない。
 この私だって ネパールを離れることで それらの負担から解放されると思うと
 気持ちも楽になってくる。

 雨は降り続き、私の乗ったタクシーは 空港に到着した。



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徒然なるままに | 11:24:25 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 子供たちの素顔‐08 兄弟
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カトマンズ 子供たちの素顔‐08 兄弟 11

カトマンズ 子供たちの素顔‐08 兄弟 12

 今の日本の社会の中で 血縁関係、特に兄弟のつながりとは 
 どういったものなのだろう。
 カトマンズの庶民の血縁関係、家族関係、兄弟とのつながりの濃厚さは 
 日本の比ではないように思う。

 カトマンズのスクムバシ(スラム)の中や、貧しい庶民が住んでいる地域を
 歩いていると 幼い弟や妹を背負っていたり、抱きかかえている子供たちの姿を
 よく見かける。
 幼い弟や妹を心から慈しんでいる様子がその姿から伝わってくる。
 互いの温もりを通して伝え合う愛があるとすれば、
 この子供たちの姿がその見本である。
 兄や姉が 親が忙しい間、弟や妹の面倒を見るというのは 
 カトマンズ庶民たちの当たり前の姿である。

 昔の日本の庶民たちの生活の中には こんな子供たちの姿があった。
 兄弟姉妹愛というものが 大きな力を持ち、それは家族に繁栄をもたらすものだった。
 貧しいものたちは 助け合わずには生きていくことが出来ない。
 その基本が 家族愛なのである。
 どんなに貧しくても カトマンズで 親殺し、子殺しの話を耳にすることはない。
 親は子にとって絶対的な存在だし、兄や姉たちも自分たちの育ちの中で 
 力を尽くしてくれたことを 弟や妹たちは知っている。
 スラムという最悪の場所に住んでいても 家族の心のつながりは 正しく機能して
 いるのだ。
 親が幼い弟や妹の世話をするのを見ながら、同じように弟や妹たちの世話をする。
 子育ての方法を小さいときから自然に身に着けていくのである。

 日本のように共稼ぎの家庭、一人っ子の家庭が増えていけば、小さいときから
 幼いものの命を尊ぶことを学ぶ機会は失われてしまう。
 命を育てるには 何が必要なのかを学ばないまま大人になってしまうのである。
 親も子供も心のゆとりを失った社会では 愛を育てることも知らず、
 凶悪な犯罪ばかりが増えていく。

 人と人とのかかわりより、物とのかかわりに目が行き、お金に翻弄されてしまう。
 スラムに住む子供たちの生活といえば、ないものだらけの生活である。
 ぎりぎりの貧しい食事、粗末な服、おもちゃといえば、その辺で拾ってきたような
 廃品、そんな生活の中でも 豊かな濃厚な家族愛はある。
 物にあふれる日本よりはるかに濃厚な家族愛である。

 自分が食べる前に 弟や妹たちに食べ物を与える。
 幼いもの、力のないものに手を貸す、そんな人間として基本が スラムの中には
 残っている。
 ネパールの中産階級よりも 深い暖かい愛や思いやりがあるかもしれない。
 ネパールの中産階級では 2,3歳になると 幼稚園や私立学校付属の幼児部に
 いれる。
 お金が許せば、寄宿制の学校にいれ、家庭の躾など二の次である。
 勉強さえ出来れば 他のことはどうでもいいのである。
 自分さえよければ それでいいという人間を生産するばかりだ。
 助け合って生活することなど 何一つ覚えず 大人になっていく。
 こうした人間が 政治家、官僚、実業家になっていく。
 他人の痛みなど 感じることも関心を持つことも知らない人間が 
 社会の上層部に立つのである。
 貧富の差が生まれるのは当然だし、それを是正しようとする人間もいない。
 富を手に入れた人間は それを護ることばかり考えているだけだ。
 それは日本も同じであるが、ただ、日本とネパールの違いは 貧しく虐げられて
 いる人たちの間には まだ助け合いの心が残っていることだ。

 豊かで濃厚な家族愛が 基本になりながら、スラムに暖かな助け合いを生み出して
 いる。
 スラムの中の子供たちの姿、様子を見ながら、そんなことを感じた。



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カトマンズ 生き抜く人々 | 22:46:20 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 明日は バンコクへ
カトマンズ 明日は バンコクへ 1

カトマンズ 明日は バンコクへ 2

カトマンズ 明日は バンコクへ 3

カトマンズ 明日は バンコクへ 4

カトマンズ 明日は バンコクへ 5

 1ヶ月と20日あまり、今回のカトマンズ滞在も明日で終わる。
 雨期入り前の6月7日にカトマンズに入ったが、雨期に入っても 雨は例年通り、
 降らず、1年で降雨量のもっとも多い7月もあと何日かで終わってしまう。
 雨が降れば、涼しいというのが 雨期の特徴だが、雨が降らないから、気温は
 上がる一方で 扇風機なしで過ごせるのは 明け方の涼しいうちだけだ。

 ここ2,3日は 雨なしの毎日で、カトマンズ市民は 真夏の空を見上げては ため息を
 ついている。
 せっかく植えた稲も 雨不足から、生育もままならず、今年の後半は 水不足、
 電力不足に加えて、米不足も深刻になりそうだ。
 日本では豪雨による被害が各地に出ているようだが、このネパールでは旱魃の恐れすら
 出てき始めている。

 政治的にも落ち着かず、政治家たちは真剣に国造りに向かっているとは思われず、
 ネパール庶民は ひどい物価高に苦しんでいる。
 ネパール人の食事の形は ダール・バート・タルカリ(豆汁・ご飯・野菜カレー)に
 アチャールという漬物、そして 時々の肉、魚カレーというものだが、生活の余裕の
 ない人々は 肉、魚カレーを食べる機会が少なく、ダール(豆汁)が唯一の蛋白源
 だったが、その豆汁の材料になる豆類の高騰が著しく、価格は去年の2倍近くなって
 いる。
 野菜の値段も2倍以上、毎日の食事 ダール・バート・タルカリにも影響が出てきて、
 ダール(豆汁)を作っても、豆の量を減らし、中身の薄い豆汁で我慢している。
 ネパールのタルカリ(野菜カレー)の主役であるジャガイモも1ダルニ(約2.5キロ)
 80~90ルピー、その価格は去年の3倍になっている。
 タルカリの量だって減らすより仕方がない状況になっている。

 先日、ネパールの食堂で ダール・バート・タルカリにアチャール、マトンカレーを
 食べた。
 ダール・バート・タルカリのネパール式のサービスの仕方は ご飯、野菜カレー、豆汁、
 アチャールはお替り自由であるが、いつもだったら、客の食事の減り具合を見て、
 ウェイターがつぎ足しにやってくるのであるが、今回は客が言わない限り、つぎ足しに
 やって来ない。
 こんなところにも野菜、豆類の高騰の影響が現れている。

 水不足も深刻である。
 3週間ほど前、私の住む地区の間借り生活者のあまりにひどい水不足から、
 道路わきに 地下水を汲み上げる手押しポンプを 地区の有志で設置したが、
 夕方を過ぎると 仕事から帰ってきた人たちが 水を求めて 長蛇の列をなして
 並んでいる。
 政府の水道局からの水道水の供給が 5日間で1時間半というのでは、手押しポンプの
 地下水、バグマティ川沿いの共同水場の水に頼るより仕方ない。

 私の住んでいる地域の住民の増加は 凄い。
 増加した住民の大半は 間借り生活者で 小さな部屋を借りて、家族3,4人で
 生活しているというのは 当たり前の姿だ。
 そうした人たちのほとんどは ネパール・インド国境周辺のタライ地方のインド系
 ネパール人、国境の向こうのインド人たちである。
 道を歩いていれば、聞こえてくるのはヒンディ語やマイティリー語、ボジプリ語の
 ようなインド系言語である。
 インド系のネパール人やインド人の声は やたらに大きく、
 その騒がしさは群を抜いている。
 カトマンズにいるのか インドのデリー辺りにいるのかわからなくなってしまう
 くらいである。
 カトマンズのインド化は確実に進んでいる。
 わがままで自分のことしか考えないインド人が増えてくれば、カトマンズ持っていた
 静けさは 確実に失われ、街に混乱が生み出されるだけである。

 ネパールの持つ独自性を大切にしない政治家たちは 無制限にインド人を ネパール
 国内への移住、出稼ぎを許している。
 ネパールのインド系住民の中から選ばれた副大統領が 宣誓をネパール語ではなく
 ヒンディ語でするような状況になっており、最高裁判所も違法の判決を下したが、
 反省の色もなく、厚顔無恥をさらしている。
 こうしたタライ地方に住むインド系住民、そして入り込んでくる出稼ぎのインド人を
 コントロール出来なければ、近いうちに ネパールのインド化に達成されるだろう。
 ネパールをインドに身売りするような今の政権は 売国政権である。
 インド人がどんどん入り込んでくることで ネパール人の仕事はどんどん奪われ、
 いつかシッキムのようなインド併合が行われるのではないかと心配になる。
 ネパールのような小国 よほど知恵を使わないと これから自立・独立を護っていく
 のは至難の業である。

 それにしても明日のネパール航空のバンコク行きは 予定通りに飛ぶのだろうか。
 午後には カトマンズにいって確かめてくる必要がある。
 見通しを持って国造りの出来ないネパールでは ネパールの航空会社も信用が出来ない。
 神様に祈るより仕方がないようだ。


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徒然なるままに | 15:26:41 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 子供たちの素顔‐07 遊び
カトマンズ 子供たちの素顔‐07 遊び 1

カトマンズ 子供たちの素顔‐07 遊び 2

カトマンズ 子供たちの素顔‐07 遊び 3

カトマンズ 子供たちの素顔‐07 遊び 4

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 カトマンズ庶民の家庭の子供たちには テレビゲームなど必要はない。
 子供たちにとって1番必要なものは 遊び仲間、原っぱ、自然があれば、充分だ。

 バグマティ川の河川敷のグランドの周囲にある雑木は 子供たちにとって、格好の
 遊び道具だ。
 木に登る、木の枝に紐を縛りつけ、ターザンごっこ、この遊びが子供たちの間で
 流行っている。
 飽きたら、今度はプロレスごっこ、身体を使い、思う存分夢中になって遊ぶ。
 50年も前に日本の田舎で遊んだ私の生活と同じだ。
 子供には子供の大切な世界があり、大人が下手に干渉すれば、子供たちは萎縮して
 しまう。
 これも危険、あれも危険といわれ続け、日本の子供たちはすっかり萎縮して、
 自分の危機管理すら出来ない大人になっていく。
 身体や五感を鍛えず、どうやって危険から身を護るというのだろう。

 向こう側のグランドの端っこの芝の上では 走り幅跳びが始まっている。
 ゴム草履を並べ、その向こうまで飛び越える。
 弟も頑張るが、やっぱりお兄ちゃんには敵わない。
 原っぱと雑木があれば、いくらでも遊びは広がっていく。

 少し、年齢が上がれば、やはり 流行はサッカーだ。
 誰も靴など履いていない。空気の抜けかかったボールだって、
 充分にサッカーを楽しめる。
 楽しいことは 贅沢な道具や靴とは無縁のことである。

 女の子が自転車に乗っている。
 私が25年前に初めてカトマンズにやってきたときには 自転車に乗っている
 女の子などいなかった。
 女の子が自転車などに乗っていたら、家族から叱られた時代だったのである。
 今は ネパール女性は 自転車どころか、スクーター、車と何でも運転するように
 なっている。

 この20年でカトマンズ女性の姿はすっかり変わってしまっている。
 25年前といえば、カトマンズから離れれば、女の子には教育は必要ないという
 世界だった。
 家の手伝い、子守をしていればそれで良いとされていたのである。
 しかし、その時代も家庭を支えていたのは 女たちでネパール男など威張っている
 ばかりで頼りにはならなかった。
 ネパール女が 社会の表に出てくるようになれば、ネパールももっとよくなるだろう。
 口ばっかりで 身体を動かさないネパール男では 国は出来上がっていかない。

 カトマンズの街の中は 子供だらけである。
 私の住んでいる地域でも 夕方になれば、大勢の子供たちが群れて遊んでいる。
 庶民の家庭の子供たちには 塾もなければ、テレビゲームもない。
 ただひたすら、近所の仲間と身体を使って遊ぶだけだ。

 カトマンズ庶民の親も子供も 民族やカーストの分け隔てはない。
 そんなことをいつまでもごたごた言っているのは 中産階級以上の連中である。
 子供の遊び友達を選び、プライドばかりが高く、口ばっかりのもやしっ子を育てるのが
 関の山だ。
 こんな子供たちが 大きくなって政府の中枢に入っていくから、ネパールはいつまで
 経ってもよくならない。
 実行力がなく、口ばっかりの大人では 国は成り立たない。

 実行力があって、たくましい庶民の子供たちよ、もやしっ子の中産階級の子供たちなど
 蹴散らして、自分たちの国を発展させ、貧しい人たちを幸福にするがよい。
 頑張れ!頑張れ! フレー!フレー! 庶民のこどもたち!


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カトマンズ 生き抜く人々 | 12:37:45 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 子供たちの素顔‐06 肖像‐02
カトマンズ 子供たちの素顔‐06 肖像‐02 1

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 カトマンズでの子供たちの現実の違いは 天と地ほどの差がある。
 カトマンズでどうにか人並みの生活をしている家庭の子供であれば、母親と
 一緒に登校し、登校の途中にあるお菓子やインスタントラーメンを売っている店で
 昼食用の簡単なおやつをかってもらい、私立学校へ行く。
 この私立学校だって 千差万別で 月謝が 下は千ルピー前後のところから 上は
 2万、3万ルピーのところだってある。
 もし、寄宿舎制の学校へ入れれば、 月5千ルピー以上の出費になる。

 私はよくバグマティ川の川沿いを歩くことが多い。 
 大抵の子供たちが 学校に行っている時間帯に 川辺周辺で見かける子供たちがいる。

 バグマティ川の河川敷のグランドの横の小さな公園で一人の少年に出会った。
 園の片隅で遊んでいる女の子たちの写真を撮ろうとしたら、女の子たちが顔を隠して
 嫌がっているのを見て、「僕の写真を撮ってよ」と近づいてきた少年だ。
 着ている白いワイシャツには ナイチンゲールと刺繍されている。
 ナイチンゲールというのは 私が住んでいる家の近所にある大きな私立学校で
 幼稚園から高校まである学校である。
 この少年の様子を見ても この私立学校へ行っている家庭の子供とは思えないし、
 ナイチンゲール私立学校なら 今は 学校に行っている筈である。
 きっと古着を誰かからもらったのだろう。
 顔の様子からすると 南ネパールのネパール・インド国境あたりから、カトマンズに
 やってきた子供のようである。

 カトマンズの路上では タバコなどを売っている両親の横に座り込んで 
 タバコの空き箱の中の銀紙の裏に字のようなものを何やら書き込んでいる子供がいた。
 如何にもインド人の子供の顔つきをしている。
 利発そうな眼をしている。
 彼の写真を撮っていると 彼の父親が 「マネー」といい始めたところからしても
 インド人である。
 インドで生活していたときには この男の子もインドの公立学校へ行っていた
 のだろうか。
 両親の小さな商いでは 子供を学校に通わせることも難しいだろう。
 両親の生活が安定するまでは 学校行きは お預けである。

 バグマティ川に架かる黒い鉄製の吊り橋の下にある廃品回収地区の中に家族とともに
 住み着いている男の子、インド人である彼はネパールの公立学校へは行けない。
 私立学校はお金がかかるし、肩身も狭い。
 自分の分身のように壊れかけたおもちゃの自動車を引いている姿が印象的だった。

 河川敷にあるインドからやってきた人たちがよく使う井戸の近くでうろうろしていた
 男の子、カメラを向けると顔を隠して嫌がっていたが、撮った写真を見せると 喜んでいた。
 インドからやってきている子供たちでも 貧しくても 家族関係が安定している
 子供たちは写真を撮られることを嫌がらない。
 親がいじめられていると 子供の心も開かれていかない。

 黒い鉄製の橋の袂を歩いていたら、「俺の写真を撮っておくれよ」と言いながら、
 近づいてきた12,3歳の少年、ぐれる一歩手前の雰囲気があって、ちょっと心配に
 なった。
 撮った写真を液晶画面で見せたら、満足そうに肯きながら、去っていった。

 電信柱に寄りかかっているマガール族の少年、彼の後ろには彼が働いている食堂がある。
 皿洗いも終わり、電信柱に寄りかかり、何を考えていたのだろう。
 遠い自分の育った村のこと、家族のこと、友達のことを思い出していたのだろうか。
 こんな顔つきで立ちすくんでいる子供を見ると 私のほうが切なくなってしまう。

 女の子が 壊れかけた塀の上に座り込んで 草の茎を使って首飾りを作っている。
 誰にも邪魔をされない彼女の王国だ。
 その後ろには カトマンズでは 珍しい贅沢な分譲マンションが建っている。
 彼女が住んでいるのは スラムの中のバラック、しかし、塀の上の王国では
 彼女は 王女様である。

 人間がどこに生れ落ちるかは 運命である。
 民族、カーストの違いによって  生活の格差の多いネパールでは 生れ落ちたときから
 出発点が違う。
 そのことは 子供たちの人生に大きな影響を与える。
 神様は決して公平ではない。
 社会も決して公平ではない。
 それでも 子供たちはその中を生きていかなくてはならない。



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カトマンズ 生き抜く人々 | 23:03:10 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ もう一つの老人たちの営み
カトマンズ もう一つの老人たちの営み 1

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 カトマンズに住んでいる老人たちの中には 路上での物売りの収入から やっと
 生活している老人もいれば、老後を悠々自適の生活をしている老人もいる。
 それは 先進国日本でも同じことである。
 他の人の生活に関心を持たない日本社会では テレビの特集番組で報道されることが
 なければ、ぎりぎりで生活している老人の姿は見えてこない。
 日本だって、生活出来ず、餓死する人だって多くいる。

 ネパールであれば、人々は近隣社会の人々に関心を持っているから、
 本当に食べ物がなく、飢えている人を見れば、何とか、食べ物を与えようとする。
 だから、ネパールでは 最貧の中にあってもどうにか生きていくことが出来る。
 他の人々の生活に関心を持つことは 社会に対して関心を持つことだ。
 人々が 他の人々の生活に関心を持たなくなれば、共同体は崩れ、隣に住む老夫婦が
 餓死していることだって出てくる。

 年金をたくさんもらえる人、少ししかもらえない人、全くもらえない人、生活保護が
 必要な人のもとには行かず、毎日パチンコに通うような人のところに行く。
 この世の中、どうなっているのかと思えるような日本社会になってしまっている。

 ネパールでも別の意味での格差が老人たちの中にはある。
 寺院の一廓に家族とともに住み、仕事に出かけた家族を待ちながら、のんびりと家事に
 勤しむおばあさん、商売を息子に任せ、何の心配なく老後を送るインドのマルワリ商人、
 そうかといえば、老後は 寺院周りを決め込んで、家族、親戚、仲間たちとの
 旅行三昧のおばあさんたちの一団もある。

 カトマンズの先住民族 ネワール族の農民社会では 家族、親戚が一つの集落の中で
 生活しているから、三世代、四世代家族というのは当たり前のことで、年老いた
 老人たちの面倒はしっかりと家族が世話をする。
 その家族が大変であれば、すぐ近くに住む親戚も手助けする。
 ネワール族社会では しっかりとした共同体集落があり、互助関係もしっかりしており、
 日本のような老人問題はないといっていいだろう。
 老人養護施設など彼らには必要のないものである。
 家族と地域がしっかりと老人の面倒を見る習慣が出来ているのである。
 皆、いつかは歳を取り、老人になることを知っており、老人を粗末にすれば、
 それが いつか自分に降りかかってくることをよく知っているのである。
 伝統的な家族制度が そのまま まだ生き続けているのである。

 私がよく足を運ぶ バグマティ橋を渡りきったカトマンズ側のタパタリ交差点の
 すぐ近くに小さな公園がある。
 そこには夕方5時過ぎると 老人たちが集まってくる。
 気があった者同士でつくった老人クラブである。
 家のことは息子、嫁に任せ、のんびりと老後を過ごす人たちの集まりであるが、
 そのメンバーを見ると 240年間 ネパールの支配階級として君臨してきた
 チェットリ族、バウン族、そしてカトマンズの先住民族のネワール族の中でも
 比較的豊かな生活をしてきたマッラ王朝時代の支配階級 シュレスタ・カーストの
 人たちが大半を占めている。
 シュレスタ・カーストの人たちは 同じネワール族のサッキャ、バジャチャーレ、
 マハルザン・カーストの人たちが仏教を主に信仰するのとは違って、ヒンズー教を
 信仰している。

 政府の役人をしていて、退職後その年金で生活している老人たち、つき1万ルピー
 ほどの年金がもらえ、家族とともに生活していれば、すべて自分の小遣いになる。
 土地持ちの人もいれば、商売を息子たちに任せ、それまでに老後用に貯めたお金で
 老後を送っている老人たちもいる。
 昔からの農地を売り、3階、4階建ての家を建て、1階部分は店舗として貸し、
 2,3階は アパートとして貸し、4階を自分たちの住居をしながら、家賃収入で
 豊かに生活している老人もいる。
 そんな生活が出来るのは バウン族か、チェットリ族、ネワール族の人たちである。

 ネパールではどの民族、どのカーストに生れ落ちるかで 人生の半分以上は決まって
 しまう。
 裕福な家に生まれれば、教育の機会も仕事の機会も多い。
 公務員、警察、軍隊の上級職は 大半がバウン族、チェットリ族によって
 占められている。
 つてによって 簡単に職を得ることが出来る社会だから、タマン族、マガール族などの
 先住民族が に入れることが出来る政府の仕事といえば、給料の安い政府の下級官吏で
 軍や警察でも 上級職を得ることはほとんどないといってよい。
 悠々自適の老後を送ることの出来る老人たちと 死ぬまで働き続ける必要のある
 老人たちとの格差は 大きい。

 しかし、気になるのは日本の社会である。
 自殺者は年間4万人に近づき、老人の孤独死も年々増え続けている。
 変死も増え続けている。
 豊かな貯蓄、豊かな年金で優雅に過ごすことが出来る老後と孤独死寸前の老後という
 格差は 日本では確実に進行している。
 これを自己責任という言葉で 責任を押し付けてよいのだろうか。
 社会が共同体という機能を失えば、自己責任という情けのない言葉が 
 物知り顔で歩き始める。


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カトマンズ 生き抜く人々 | 04:25:40 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 老人たちの営み
カトマンズ 老人たちの営み 1

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カトマンズ 老人たちの営み 6

カトマンズ 老人たちの営み 7

カトマンズ 老人たちの営み 8

 カトマンズの路上を歩いていると 老人たちが通り行く人相手に 小さな商いを
 しているのをよく見かける。
 カメラを向けると 怪訝そうな顔で私をにらめつけたおばあさんも 
 話をしていく中で優しい顔に戻った。
 そばには スモモを売っている娘さんもいた。
 
 10ルピーもしないような耳かきのような雑貨を売っているマガール族のおじいさん、
 あまりに売れていそうになかったので 5ルピーと10ルピーの耳かきを買って
 しまった。

 バグマティ橋のパタン側の入り口には 焼きトウモロコシを売るマガール族の
 おばあさん、歯が丈夫であれば、買ってもよいのだが、奥歯が すっかり駄目に
 なっていて、ネパールの硬いトウモロコシには太刀打ちできない。
 1日 どう頑張って売っても 食べていくのがやっとの商いである。

 皆 カトマンズの外の村からやってきている貧しい人たちだ。
 ネパールの先住民族のマガール族、タマン族の老人たちが多い。
 昔は カトマンズに仕事を求めてやってくる人たちといえば、タマン族の人たちが
 多かったが、近頃ではマガール族の人たちを見かけることが多くなった。

 田植えの頃になると 現金収入を求めて、カトマンズ盆地の先住民族 ネワール族の
 田んぼの土起こしをするのはタマン族の仕事である。
 今もそれは変わらない。

 路上の片隅に老夫婦が座り込んでいることもある。
 おばあさんがトウモロコシを焼いているそばで座り込んでいるおじいさん、
 悩ましげな様子でぼそぼそと話し込んでいる。
 チェットリ族の老夫婦だ。

 タバコや飴玉、インスタントラーメンを細々と商っているタマン族の老夫婦、
 「どうして、息子たちと一緒に生活しないのか」と訊くと
 「二人で生活するほうが気楽でいい」と言う。

 バグマティ橋の上流に拡がるスラムの中の手押しポンプの前では、
 タマン族のおばあさんが 食べ終わった後のステンレスの皿類を洗っている。
 その脇には 彼女の20歳ぐらいの孫がいる。
 その孫の話を聞くと、彼が幼い頃に 両親はインドに出稼ぎに行き、
 そのまま帰って来ず、その後の連絡もないと言う。
 彼のおばあさんが 女手一つで彼を育て上げたのだ。

 カトマンズの至るところに こんな風にして生活している老人たちはいくらでもいる。
 政府の生活保障のない発展途上国なら、珍しい話ではない。
 身寄りのない、あるいは面倒を見てくれる家族のない貧しい年寄りたちは、
 生きていくためには 何でもいいから、持てる方法の中で生活していくための方法を
 見つけ出す必要がある。
 240年のネパールの王制の中で 虐げられてきた貧しい先住民族にとっては 
 当たり前のようになっている姿である。
 インドからやってきた老人にとっても同じことである。

 どんな逆境の中でも とにかく生き抜いていくのだという姿、この生命力は凄いと思う。
 これは 今の日本の老人たちがすっかり失ってしまったものだろう。
 楽な生活は手に入れたが 最後まで生き抜くという人生に対する気構えは 
 失われたのかもしれない。
 
 背の曲がったおばあさんが 幼い孫に手を引かれて歩いていく。
 どんなことがあっても 生き抜いていくという意志のようなものが
 その後姿から伝わってくる。


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カトマンズ 生き抜く人々 | 17:45:12 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐69 ある家の歴史
アジアの街角 1枚の写真から‐69 ある家の歴史

 私が パタンのクポンドールのこの地域に住み始めてから、20年近くなる。
 その当時 南インドからやってきていたインド人の知り合いが住んでおり、
 そのつてでこの場所に住むようになった。
 まだまだ 住宅も密集していなかったし、通りも全く舗装されていない泥道だった。

 そんな中で やたら目立つ当時にしては あまりに近代的な装いの家が 
 2軒建っていた。
 話を聞くと インドのマルワリ商人の事業家兄弟が シンガポールから家の設計図を
 取り寄せて、建てた豪華な家だった。
 部屋数も15部屋ほどありそうな3階建ての建物である。
 今では この家より立派な家が カトマンズに数多く建ち並んでいるが
 20年前は この地域に住む人も驚くぐらいの近代的な家だったのである。

 ネパールでは ネパール国籍を持っていなければ、土地を買って、家を建てることは
 出来ない。
 このインド人のマルワリ商人は インドとネパールの二つの国籍を手に入れていたに
 違いない。
 ネパールは 賄賂しだいでインド人が簡単にネパール国籍を得ることが出来る。
 最近のように いん度と国境を接する南ネパールのタライ地方のインド系住民なども
 二つの国籍を持ち、いざとなったら、インド国籍を利用する。
 ネパール国籍は 商売を容易にするため、そして、ネパールの土地を簡単に手に入れる
 方便だ。

 この家を建てたマルワリ商人も 事業に失敗し、銀行のローンの担保にこの家を
 入れていたせいで、競売に出されてしまった。
 そして、莫大な負債をネパールに残し、そのまま、インドへと とんづらしてしまった。

 競売に出たこの家を安く買ったのは ネワール族の仏教カースト サッキャ・カーストの
 人である。
 ネワール族のサッキャ・カーストといえば、2千年前から、このカトマンズ盆地に住み、
 ネパール・チベット貿易に従事していた人たちで、ネパールから米や生活必需品を運び、
 チベットから金を輸入していた人たちである。
 今でも 金関係の商売は サッキャ・カーストの人たちの大きな商売である。
 競売でこの家を買ったサッキャ・カーストの人も 金の商売を手広く行う人である。

 このサッキャ・カーストの人には 別の持ち家があるらしく、すぐさま、この家は
 貸家になり、月5万ルピー(約6万円)で別のインドのマルワリ商人に貸し出された。

 私の住んでいるところは 月6千ルピーの家賃である。
 一部屋を借りての間借り生活者の家賃は 部屋の大きさによって違うが、
 1200ルピー(約1500円)から2000ルピー(約2500円)円というのが
 相場である。
 部屋にはトイレも水道もなく 他の間借り生活者との共同使用だ。
 洗濯用、水浴用の水は 路上の手押しポンプ、バグマティ川沿いの水場を利用している。

 つい最近のことであるが、このネパールにしては豪華だったこの家の門のまえに
 ネパール兵が立っている。
 どうしてなのだろうかと近所の人に尋ねてみると、この家に ネパールの法務大臣が
 住み始めたと言う。
 月の家賃は 7万5千ルピー(約10万円)である。
 大臣が住むようになったから、この地域の水事情が改善するのではと期待している
 ようだが、政府から供給されたこの家、そして警備の兵隊、運転手付の三菱パジェロ、
 水はタンクローリから購入というのでは どれだけ、カトマンズ庶民の苦しみが
 わかることやら。
 贅沢に慣れた議員や大臣たちは そのうち この家よりも立派な家を持つようになると
 いうのが、いつものネパールの姿である。
 そのお金の出所はといえば、どこの国でも同じだが、賄賂によってである。

 カトマンズ庶民は 深刻な水不足、昨年の2倍、3倍に高騰した野菜の値上がりで
 青息戸息である。



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アジアの街角 1枚の写真から | 11:07:11 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐68 果物売りのおばあさん
アジアの街角 1枚の写真から‐68 果物売りのおばあさん

 パタンのクポンドールの大通りに出る手前の道の脇で いつも見かける果物売りの
 おばあさんがいる。
 私がこの地域に住み始めてから 20年近くの時が経っているが、その間、ずっと
 見かけているような気もする。
 果物といっても ネパール産の果物で 季節によっては スモモ、小さな桃、ギャバ
 であったりするが、今の季節には 梨を売っている。
 梨といっても 日本の今どきの豊水、幸水といった甘くて柔らかい梨ではなく、
 日本の昔の長十郎に近い梨だ。

 今日も路上で商いをする彼女のところに行って、甘くない少し酸っぱくて硬い梨を
 買うことにした。
 その積み上げられている梨の中から、形のよいものを選び出し、1キロほど買った。
 1キロ40ルピー 日本円で約50円である。

「時々見かけるおばさんのだんなは元気かい。この頃あまり見かけないけれど」

「そろそろ起きだしてくる頃だよ。(もう午後2時過ぎである)
 年をとっているからね。」

「ネパールでは 男が働かないから 女は大変だね」

「そうだよ、全く」

「ネパールでは 男は楽でいいね。男の天国だね」

 そんな会話をしていると そばにいた女の人も一緒に笑っている。
 この果物売りのおばあさん タマン族の女性である。
 彼女の商いで 年上のだんなを養っている。
 子供もいるようだが、一緒には生活していないと言っている。
 子供たちには期待できない老後のようだ。

 ネパールでは 共同体のしっかりしているネワール族を除けば、貧しければ、
 このおばあさんのような状況になってしまう。
 財産があれば、ある程度 子供をコントロールすることも出来るが、それがなければ、
 子供に期待は出来ない。
 特にタマン族の場合、貧しい家庭の場合、子供には余り手をかけないし、かけられない。
 子供の教育にも熱心ではない。
 この頃は、ずいぶん変わったと思うが、一時代前には 子供たちは12,3歳になると
 勝手に村を飛び出し、ローカルな食堂やお茶を飲ませる店で 皿洗いや料理やお茶を
 運ぶ仕事をしているのをよく見かけた。
 今でも マガール族やタマン族の子供たちが ローカルな食堂で働いているのを
 目にする。

 子供に手をかけない分だけ、親たちも 子供には自分たちの面倒を見てもらうと
 いうことは期待しないようだ。
 親も子供も自分たちの面倒を見ることで精一杯なのである。
 年金制度などないネパールでは 貧しい家に生まれたものは 死ぬまで自分の面倒を
 見るというのが当たり前の姿である。

 この240年にわたるチェットリ族、バウン族の支配は 富を 支配者に集中させて
 きたのである。
 字も読めず、書けず、その上複雑な計算も出来ないとなれば、バウン族、チェットリ族 
 の意のままの240年間だったのだ。
 借金のかたに うまく土地を奪われる、農業に適した土地は バウン族、チェットリ族 
 に独占されるという歴史だったのである。
 マオイストの中に タマン族、マガール族、ライ・リンブー族が多いのも 240年間 
 の理不尽な扱いに対する反発からである。

 この果物売りのおばあさんの顔に刻まれた皴の多さは この歳に至るまでの苦労の証である。
 厳しい肉体労働に耐えてきた印しである。
 梨を売り、大きなきゅうり(カンクロウ)を売って どれだけの利益があるのだろう。
 病気にでもなって、寝込んでしまえば、食事を摂るすら難しい。
 彼女の肩には 彼女より年老いた夫が 乗っかっているのである。
 働けど、働けど 我が暮らし 楽にならざるといった世界だ。
 とにかく、死ぬまで生きるという苦しい生活の連続なのである。
 別に怠けて生きてきたわけではないのである。


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アジアの街角 1枚の写真から | 16:24:41 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 小雨の中を カトマンズへ
カトマンズ 小雨の中を カトマンズへ 1

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カトマンズ 小雨の中を カトマンズへ 11

カトマンズ 小雨の中を カトマンズへ 12

 昨夕も 午後6時から8時まで計画停電なので 夕方の5時過ぎに家を出て
 カトマンズの中心部を歩いてみることにした。
 そのついでに ネパールの紅茶を買ってくるつもりだった。
 大体月に200gほどの紅茶を飲む習慣になっているから カトマンズを出て
 再び やって来るまでの4ヶ月間の紅茶を買い貯めて置く必要がある。

 パタンのクポンドールの大通りに出て、乗り合いミニバスを待っているうちに
 小雨が降り始めた。
 大急ぎでミニバスに乗り込み、カトマンズのラットナ・パークを目指す。
 ミニバスといっても 日本のトヨタ・ハイエースを改良したもので 20人近い
 乗客が座り込んでいる。
 この乗り合いミニバスが走り始めた当初は 乗客の定員の制限があり、
 それを交通警察がチェックしていたが いつの間にか 乗せられるだけ乗客を
 乗せるようになってしまっている。

 ぎゅうぎゅうに乗客の詰め込まれたミニバスの中は 人いきれですっかり蒸し暑くなり、
 座っているだけで 汗が噴出してくる。
 混み合った道を15分ばかり走り、ビル・ホスピタルの前に停まる。
 そこで降りて、ビル・ホスピタルの横を通って、マハボーダに向かう。
 その途中に ビハールと呼ばれる仏教寺院があるが ネワール族の住んでいた
 そのあたりの住居は すっかり貸間になっており、荒れ果てた雰囲気になっている。
 寺院の世話をする人がいないのである。
 昔はネワールの一族が住み着き、ビハール(仏教寺院)を一族の繁栄を祈って 
 建てたに違いないが 今はそこに住んでいたネワール族も郊外に家を建て、
 貸間にしている。
 カトマンズ中心部に住んでいた彼らの住居のほとんどは カトマンズの外から
 やって来た人々の貸間になっているか、商売のための店、倉庫に様変わりしている。

 そこから バソンタプール 旧王宮広場へと向かう。
 相変わらず、雨がぽつぽつと降っている。
 ニューロードに沿って歩き、旧王急広場の中に入る。
 広場の一番手前、ジョッチェン・フリークストリートの入り口にある古い建物は
 懐かしい場所である。
 旧王族の知り合いの持ち物で 百年以上彼の一族が 長い間、そこに住んで場所で 
 昔はよくそこを訪れた。

 彼らの住んでいたのは3階から上で 1階、2階がレストランとして貸し出していたが、
 1階のレストランはなくなり、別の店に変わり、2階のレストランは コスモポリタンと
 いう名前のレストランは健在で 私の知り合いの旧王族の住んでいた3階は
 新しいレストランに様変わりしている。
 
 広場に広がる偽骨董品の露店を抜け、カトマンズの先住民族 ネワール族の
 マッラ王朝が建てた古い寺院群が建ち並ぶ場所にやってくると 夕方時に商いを
 始める野菜売りたちが 路上に座り込み、野菜を売っている。
 去年の2倍、3倍と値上がりした野菜、売り手も買い手も 真剣である。
 夕方の6時、このあたりは 混雑の絶頂に入る。

 この混雑を抜け、坂道を下り、ドゥンゲダーラと呼ばれる共同水場へと足を進めると
 どういうわけか この日はあまり混み合っていない。
 石造りの蛇口からは たっぷりと水が流れ出している。
 どうもこのあたりでは 私の住んでいる地域に比べると 水不足も深刻ではないようだ。

 その様子を眺めて、もと来た道を戻っていくと ガネーシュを祭ったガネーシュ・
 タンでは数多くの灯明が並んでいる。
 この日は ガネーシュ・タンの礼拝の日だったようだ。
 ここも大混雑である。
 お参りをしているのは ネワール族の人たちが多い。
 彼らがこの場所にガネーシュを祭った場所だからだ。
 その脇では その混雑をよそに 別の民族の女性たちが 小さな商いをしている。
 多民族国家ネパールならではの 街の光景だ。

 そろそろ薄暗くなってきた。
 帰り道のキチャポカリでネパールの紅茶を買わなくてはと 急ぎ足でキチャポカリに
 向かう。

 紅茶を買い、暗い夜道を歩き、橋を渡り、パタンのクポンドールまで帰ってくると 
 赤々と電燈が灯っている。
 この日の計画停電は中止になったようだ。
 電気が来ているのは嬉しいが、気まぐれで 電気を供給されるのも 
 心が落ち着かないものだ。


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カトマンズ 街の風景 | 02:10:26 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ ちょっと モモ(蒸し餃子)を食べに
カトマンズ ちょっと モモ(蒸し餃子)を食べに 1

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カトマンズ ちょっと モモ(蒸し餃子)を食べに 8

 昨日は 計画停電が 午後6時半から8時半までだったので バグマティ川周辺の
 散歩を兼ねて、そのついでに モモを食べに行くことにした。
 先日 知り合いとバグマティ川岸辺周辺を 日中 散策し あまりの陽射しの強さから
 喉が渇き、カトマンズのテクまで飲み物を頼める店を探した。
 外から見ると 黄色のペンキを塗りつけたちょっとこぎれいな店を見つけ、
 知り合いはスプライト、私は朝から何も食べていなかったので ミックス焼きそばと
 バナナミルクシェークを頼んだ。
 周りを見回してみると 客の大半は ちょっと変わった形のモモ(蒸し餃子)を
 食べている。
 メニューを見ると シュウマイ・モモと書かれており、味見をしてみたかったので
 あるが、他のものを注文したばかりで 横目に他の人たちが食べている様子を眺めて
 いただけである。
 モモの形も変わった形で 見た目には四角いモモだ。
 それを是非食べてみようと 出かけてきたのである。

 いつもと同じように バグマティ川の河川敷にあるグランドを通り抜け、その先に
 ある鉄製の黒い吊り橋を渉って、テクへと向かった。
 今日は 雨も降らず、夕焼け空も美しい。

 橋を渡りきると カトマンズ側のテクの入り口になる。
 坂道を上って、大通りに出ると その向こうに黄色い色のレストランがある。
 中に入って 水牛肉入りのシュウマイ・モモを注文する。
 周りに座っている客は 皆 シュウマイ・モモを食べている。

 私の頼んだ シュウマイ・モモがやってきた。
 10個の四角い形のシュウマイ・モモが 四角い皿の上にきれいに並んでいる。
 食べてみると あっさり味のモモである。
 テーブルの上には 3種類のたれが並んでいる。
 唐辛子味、ゴマだれ味、そしてトマト味、この三つを混ぜ合わせて 自分好みの
 味付けにすれば いいようだ。
 私がいつも食べているモモは バグマティ橋のそばのタパタリ交差点脇のネワール・
 カザの店のもので 同じく一皿10個入って、25ルピー、このレストランのモモは
 大振りであるが、一皿75ルピー、税込み80ルピーだ。
 形は変わっていて面白いのであるが、味は取り立ててどうこういうほどのものでもない。
 どうも私には 一皿25ルピーのもののほうが 合っているようだ。

 支払いを済ませ、すっかり暗くなった夜道を戻っていくことにした。
 計画停電の夜道は暗く、通り過ぎていく人の顔もよく見せない。
 色の黒いインド人なら、顔など全く見えない。
 このあたりには 多くのインド系の人たちが住んでいる。

 暗闇を抜けて、人々が集まっている界隈にやってくると 
 路上に灯明がともされている。
 何だろうと近づいていくと いろいろなものを盛り付けた小さな素焼きの皿の上に
 火が灯っている。
 辻ごとにそんな灯明が置かれている。

 近くにいた人に訊くと ガテ・マンガールと呼ばれているカトマンズの先住民 
 ネワール族の行事で 巷にいる悪霊(ブット)たちを追い払う行事だという。
 この行事の中心はネワール族の中でも 農業に従事するカーストのためのものだ。
 田植えをすると 泥の中に入っていくために 出来物が出来ることもあるし、
 疲れから病気になることもある。
 それはすべて 悪霊がもたらす災いであるとされている。
 その悪霊を追い払うのが この行事の目的である。
 辻に灯明を置いてくると 悪霊が一緒に付いてくることもあるので 家の玄関の
 前では その悪霊が家の中に入ってこないように 水を振り掛けて 御祓いをする。
 この夜は どうも悪霊たちが 暗闇の中を歩き回っているようだ。
 折からの計画停電の日である。
 悪霊たちにとっては 格好の舞台である。

 近所のネワール族の家族と悪霊の話をしていると 電気がやってきた。
 「私はまだ お化けは見たことがないから、今夜、会ったら 私のところに寄こして
 ほしい」と頼むと笑っていた。


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徒然なるままに | 16:15:49 | Trackback(0) | Comments(2)
カトマンズ バグマティ川上流への散歩‐03 パタンの旧市街へ
カトマンズ バグマティ川上流への散歩‐03 パタンの旧市街へ 1

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カトマンズ バグマティ川上流への散歩‐03 パタンの旧市街へ 8

 13歳のカルカ・チェットリ族の少年と別れて、パタンの旧市街へと向かう。
 日中の暑さは うなぎのぼり、1時間をかけた日向の中、すっかり 喉が渇いて
 しまった。
 履いてきたサンダルも 少し大きめで歩きにくく、ほとほと疲れてしまった。

 パタンの旧市街の外に 一つの寺院がある。
 凶暴な女神 カーリを祭っている寺院で カーリの別名の神様で ややこしい名前で
 憶えることができなかった。
 寺院の境内では その神様の像を洗ってきれいにしている。
 その像は この寺院の中に置かれている像ではなく、特定の家族に委託して置かれて
 いるもので 土曜日の休日ごとに運んできては 洗ってきれいにしている。
 こうした像は何体かあるようで 使われる像は祭りによって使い分けられている。

 この寺院は ネワール族の最下層のカースト デワーレ(ポーレ)が祭儀を司っている
 寺院である。
 デワーレというのは 汚物の処理、火葬場の清掃などを職業とするカーストで
 いわゆるアウトカーストの人々であるが ネワール社会では こうした人々が
 祭儀を司る寺院もあるというのが 興味深いところである。
 今でも カトマンズでも 他のカーストの人たちが 彼らと一緒に食事をすることは
 ほとんどないといってもよい。
 汚物や火葬場で仕事をするということで 穢れていると考えられているからである。

 その寺院を通り過ぎると パタンの旧市街の小さな裏門に近づき 、パタンの旧市街に
 入っていくことになる。
 あまりに喉が渇いていたので DEWと呼ばれている清涼飲水を飲んだが、あまり
 冷やしておらず、暑さを吹き飛ばすことも出来なかった。
 バウン族の店のコーラ、ファンタにしても どうも電気代を節約しているらしく
 充分に冷えていないことが多い。

 暑さにやられ、疲れ果て どうにかこうにか 旧市街の中を歩いたが、
 ひたすら、家に帰ることばかりを考えていた。

 パタンの旧市街の大きな門 パタン・ドカの手前のマハルザン・カースト(ネワール族)
 の人たちの集落の中にある仏塔(チャイティア)を見たくなった。
 カトマンズの中で1番気に入っている仏塔である。
 集落の中に入っていくと 男たちは 集団になって トランプ賭博に興じている。
 女たちは 女たちで集団を作って座り込んで 世間話に興じている。

 仏塔に近づくと 仏塔の近くに老婆とその嫁らしい女性が一緒に座り込んでいる。
 この老婆 90歳をとっくに過ぎ、三度目のジャンクーも間近である。
 ジャンクーとは 77歳になった年寄りを祝う大掛かりなお祝いの行事で
 2度目は80歳を過ぎて、3度目は90歳を過ぎたときに行う。
 年をとればとるほど 神様に近づくと言われ、家族の中でも共同体の中でも
 大事にされている。
 ネワール社会では 3世代、4世代が同居というのは 当たり前である。
 農民カースト マハルザンの集落では 未だに集落の中の人々のつながりは強い。

 昨年の秋に見かけたときは 年寄り集団の中に混じっていても 横になってばかりで
 元気そうではなかったが この日は身体の調子がよくなったのか しっかり座り、
 集落に棲む犬たちに 餌を与えていた。
 元気そうで何よりで ほっとした。

 いつもながらの変わらぬ集落を眺め、パタンの大門 パタン・ドカを潜ると
 その向こうに大きな菩提樹が堂々と聳えていた。
 その先に停まっているカトマンズ ラットナ・パーク行きのバスが出発寸前だったので
 重い足を引きずりながら バスに向かった。
 早く家に帰って 汗を洗い流し、身体を休めたい。
 3時間ばかりの散歩だったが 雨が降らない天候異状の中で 
 暑さばかりが気になるこの頃だ。



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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 18:25:49 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 神様の引越し
カトマンズ 神様の引越し 1

カトマンズ 神様の引越し 2

カトマンズ 神様の引越し 3

 いつもの散歩コースの途中になっているバグマティ川の河川敷のグランドの横に
 小さな公園がある。
 子供が遊んでいるよりも 中年のネパール人がバトミントンをしていることが多いし、
 若者たちがクリケットに興じていることが多い。
 その小さな公園の入り口に ヒンズー教の神様の一人 ガネーシュの石造りの
 レリーフが置かれているのをよく見かけた。

 ガネーシュというのは 象の顔をした神様で シバ神とその妻であるパルバティとの
 間に生まれた子供で 困難を取り除き 福をもたらす神であり、商売の神であると
 されている。

 カトマンズの先住民族 ネワール族の住む地域には このガネーシュの神様が
 祭られているのをしばしば見かける。
 ネワール族の仏教徒の多く住むパタンでも例外でなく、ネワール族の中で 
 仏教徒カーストのサッキャ・カーストの人々は 古くからチベット貿易、インド貿易に
 従事している人々であることから、商売の神様 ガネーシュ信仰が広がったのだろう。
 ネワール族の社会では シュレスタ・カーストを中心とするヒンズー教徒とサッキャ・
 バジャチャーレを中心とする仏教徒に大きく分かれているが 両者ともにガネーシュは
 重要な神様である。

 この小さな公園の入り口にあるガネーシュの像は まるで道祖神のようで、
 このあたりに多く住む貧しい人たちを優しく眺めているような様子で座り込んでいた。
 その顔つきも優しく「良い行いをし、誠実に生活していれば、そのうちいいことが
 あるから 頑張りなさい。私の住んでいる館だって、こんな風に片方が壊れていが
 そんなことは気にもしていない。」と言っているかのようで その姿も神々しく輝いて
 いるかのようだった。

 又、再びこの小さな公園にやってくると あのガネーシュの像が無くなっている。
 誰か不届き者が ガネーシュの石像を盗んで行ったのかと 近くにいた人に尋ねると
 別の場所にレンガ造りの館が 造られ始めていた。
 あまりにガネーシュの館が貧弱だったので 皆でお金を出し合って、新しい館を
 造っている。

 その館の中にいるガネーシュの像を見ると 以前の神々しさが消えてしまい、
 ただのガネーシュの石像に変わってしまっている。
 有難みがなくなって、貧しい自分たちとともに居るという親近感がなくなり、
 商売の神様の面ばかりが目立ち、『困難を取り除き 福をもたらす神』といった面が
 感じられなくなってしまっている。

 貧しい人々を支えていた以前の貧しい館に住んでいたガネーシュ、朝夕に人々が
 願いをこめて祈り、お供えをしていたガネーシュは もういなくなってしまったような
 気がしてきた。
 ここに信仰の根源があるような気がする。
 人々とともに居るという信仰の原点、貧しさを分け合い、そして支えあうという姿、
 あのガネーシュは 誰のためのガネーシュになってしまったのだろう。
 狐に鼻をつままれたような 何か騙されたような思いがしてきた。
 私の大切なガネーシュは どこかに行ってしまった。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 11:00:08 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ バグマティ川上流への散歩‐02 石の像たち
カトマンズ バグマティ川上流への散歩‐02 石の像たち 1

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カトマンズ バグマティ川上流への散歩‐02 石の像たち 10

 今から180年前にバハドール・ラナ家との争いで勝利をおさめたシェムセル・
 ラナ家が 建てたナラヤン寺院の中へ 散歩の道連れになったカルカ・チェットリ族
 の13歳の少年と入っていく。
 私がこのナラヤン寺院には 何度もやってきていることを知らず、しきりに説明
 しようとするが 大半は思いつきで話しており、ヒンズーの神様の名前も
 この寺に祭られている神様が ナラヤン神であることも知らず、しきりにシバ神で
 あると言っているので 私のほうが彼に説明していく。

 彼が映画のロケだと思ったダンス音楽は この寺の中に住む若者たちが 
 ネパールダンスの練習のための音楽だった。
 田舎から出てきている子供にとっては 映画のロケというと華やかな世界のことは
 大いに引き付けられる出来事であるが、残念ながら 彼の期待は 外れてしまったのである。
 素直で人懐こく、その上 おしゃべり、ちょっと間の抜けたところもあるから
 彼との会話を寺院の中でしばらく楽しむ。

 この寺の中には多くの石像がある。
 寺院の中心にある塔もインドの古典的なスタイルで カトマンズ盆地の中の
 ネワール建築とは異なっている。
 ネワール族にとっては ナラヤン、シバ神に対する信仰よりも インドラ、バイラブ、
 カーリーに対する信仰の方が大切である。
 そのためか サハ家、ラナ家の建てたシバ寺院、ナラヤン寺院に訪れる人々は少ない。
 このすぐ近くに ガートと呼ばれる火葬場があるから、そのために訪れるだけである。

 ネワール族の寺院は木彫り彫刻によって 寺院が装飾されているが、サハ王制以降の
 ものは 木彫り彫刻は数を潜め、石造りの彫刻が増えてくる。
 しかし、職人はネワール族の石の彫刻をする人たちである。

 ネワール族の寺院は 木の暖かさを感じさせ、雑多な雰囲気にあふれているが、
 サハ家、ラナ家の建てた寺院は サハ王家、ラナ家の権力、権威の象徴的な存在で
 馴染みにくい雰囲気がある。
 如何にも力を表わしていて、民衆とはかけ離れた感じがする。
 誰でも受け入れるという優しさは感じられない。
 それが 民衆たちがここにあまりやってこない原因だろう。

 ただ、サハ家、ラナ家の建てた寺院の中や周りには 人々の住む住居が建てられ、
 そこには カトマンズの外からやって来た人々が住んでいる。
 それが 寺院の持つ権威的な雰囲気を和らげている。
 生活のにおいを感じさせてくれるのは 魅力の一つではある。
 私がバグマティ川沿いの寺院やその周辺にやってくるのは 寺院の中やその周辺に
 住んでいる人々の素朴な生活を眺めるためである。
 このナラヤン寺院周辺には そうした人々の落ち着いた生活がある。

 彼らの生活の発する生活感は 日本の寺院のようにやたらきれいに整備され、
 人々を寄せ付けない素っ気なさを和らげている。
 この権威的な寺院の中にいても 意外と寛ぐことが出来るのである。
 観光客の姿もなく、権威的な僧侶もいない。
 いるのはこの場所に住む素朴な住民だけということになれば、
 静寂を相手にのんびりした時間を過ごすことも出来る。

 今日は散歩の道連れの少年がいたのでそういう訳には行かなかったが、
 それはそれで楽しかった。
 ナラヤン寺院を離れ、道連れの少年はたらいを抱えて 少し先にある広場の水場に洗濯に
 私は 道を右に曲がってパタンの旧市街に向かった。



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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 18:29:35 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ バグマティ川上流への散歩‐01
カトマンズ バグマティ川上流への散歩‐01 1

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カトマンズ バグマティ川上流への散歩‐01 10

 ネパールの暦で 雨の降る月 アサールは それほどの雨をもたらさないまま
 過ぎ去り、サウンというネパールの月に入ってしまった。
 雨期のはずなのに 人々の期待するほどの雨が降らず、今日も朝から上天気である。
 散歩がてらに バグマティ橋にやってきて いつものネワール・カザの店で 軽い
 昼食を摂る。
 そのまま家に帰ってもよかったのであるが バグマティ川上流のパタン側の岸辺
 近くにあるナラヤン寺院に行ってみることにした。
 バグマティ橋からカトマンズ川の岸辺に降り立つと そこは2年前から拡がってきた
 スラムがある。

 そのスラムの入り口に差し掛かると スラムの入り口付近のビニール張りのバラックに
 住んでいる家族の子供たちが近づいてきて、しきりに自分たちの写真を撮れと声を
 かけてくる。
 時々やって来ては カメラを向けて写真を撮っている私は すっかり顔なじみになって
 しまったようだ。
 スラムの入り口周辺には インド系の人たちが住んでおり、声をかけてきた子供たちも
 やはり、インド系の子供たちである。
 3人の男の子たちの写真を撮っていると、近くにいた女の子たちも自分たちの写真を
 撮ってくれとせがんでくる。
 撮った写真を カメラの液晶画面で見せると 大喜びである。
 インド系の子供たちといっても インドと国境を接するネパール側、タライ地方
 生まれの子供たちのようで 写真と撮られることを嫌がらない。
 ネパール国籍を持ったインド系民族ということで 親も子も気持ちの上では
 安定しているのかもしれない。

 スラムの中を抜け、バグマティ川の川辺に沿って歩いていくと パタン側に渡る
 小さな橋がある。
 その橋の途中で バグマティ川下流を眺めると 川面に白い雲が映り、その向こうに
 カトマンズを囲む山、そして上空には白い雲、牧歌的な風景に心も和む。

 橋を渡ると 国連の援助で造られている細長い公園がある。
 この公園の中に地下水を汲み上げる施設も造るらしいが、完成は何年先のことだろう。

 公園を抜けると ナラヤン寺院へと向かう石畳の道へと入っていく。
 このあたりは 外国人旅行者はほとんど来ない場所で 昔ながらのカトマンズの
 雰囲気が濃厚に残っている場所だ。

 ラナ家専制時代に建てられた150年近く前に建てられた古い遺跡が建ち並んでいる。
 その中の塔の一つに何人かのネパール人が座り込んでいる。
 その中にいた7,8歳の男の子が 私の方にやってきて 「ギブ・ミー・ワンルピー」と
 声をかけてきたので ネパール語で 「人の顔をみたら、お金を恵んでくれと
 言うのか、なんという子供だ」とネパール語でやり返すと 「何だ ネパール人だ」と
 言いながら、逃げ出していく。
 大人たちもそれを聞いて笑っている。

 マガール族の家族たちである。
 「何の仕事をしているのか」と訊ねると 「仕事はないよ。朝起きて ご飯を食べ、
 1日ぼっと過ごして、晩飯を食べ、寝ているだけだ」と冗談半分に言っているので
 「仕事をしないで 3食昼寝付きで 夜になったら寝る。それが出来るなら、
 1番いいことだ」とやり返すと 大笑いをしている。
 カトマンズにやってきてから 10年以上になると言う。

 近くに洗濯物を抱えた少年がいたので 何族だと聞くと カルカ・チェットリだと
 周りのマガール族が教えてくれる。
 13歳の少年である。
 南ネパールのタライ地方のヘタウダに近い村からやって来て、ネワール族の農民
 カースト マハルザンの仏像造りの作業場でした働きをしている。
 村の子供丸出しで 全く警戒心もなく、ぺらぺらと私に話しかけてくる。
 私と一緒に歩くことに決めたらしく、散歩の道ずれになってしまった。
 洗濯はどうするのと訊くと この先に水場があるから、そこでと言いながら、
 いくつかの水場を通り越してしまっている。
 土曜日は ネパールの休日、この少年ものんびり休日の午後を過ごしているのだろう。

 二人でテクテクと石畳の道を歩いていると 目的地のナラヤン寺院の中から 
 なにやら ネパールダンス風の音楽が聞こえてきた。
 少年はしきりに「きっと 中で映画の撮影をしているに違いない。一緒に見に行こうよ」
 と誘いかけてくる。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 12:34:56 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ いつも行くネワール・カザの店
カトマンズ いつも行くネワール・カザの店 1

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カトマンズ いつも行くネワール・カザの店 3

カトマンズ いつも行くネワール・カザの店 4

カトマンズ いつも行くネワール・カザの店 5

 バグマティ橋のカトマンズ側のタパタリの交差点の脇には いつも行くネワール・
 カザ(ネワール族の簡単な軽い昼食)の店がある。
 近くに住むネワール族のマハルザン・カースト(ネワール族の農民カースト)の
 経営する店である。
 昼の2時ごろ行くと いつも人がいっぱいで 座る場所がないくらいである。

 午後3時ごろ お腹が空くとこの店にやってきて ネパールスタイルの丸いモモ
 (蒸し餃子)、チョエラ(水牛のあぶり肉の和え物)、セクワ(水牛のヒレ肉炒め)、
 時には水牛の腸の炒め物を頼むこともある。

 夕方も遅くなって、この店の前に通りかかると マハルザンの家族とした働きの
 カンチャ(12歳から15歳ぐらいの男児)たちが 店の仕事も終わり、店の前に
 のんびり座り込んでいる。
 店じまい前のひと時である。
 この店は マハルザン夫婦、そして 3人の息子、3人のカンチャが働いている。
 普通ネパール人の店なら、サウジ(店の主人)は 椅子に座り込んで 客からお金を
 受け取り、従業員に指示を出すだけだが、この店では 料理を作るのはマハルザン
 家族の仕事で、皿洗い、出来上がった料理などを運ぶのが カンチャたちの仕事である。

 経営者自ら 下拵え、料理をするから いい加減なものは作らない。
 店そのものは決してきれいとはいえないが それでも他の店より安心して食べることが
 出来る。

 ここで働くカンチャたちは タマン族の子供たちである。
 村から出てきて 下働きの仕事をする子供たちには タマン族、マガール族の
 子供たちが多い。
 村の生活の中では 学校にも行けない最貧層の家庭の子供たちである。
 この店の経営者のマハルザンは 人使いがひどくないから 子供たちは
 気持ちよく働いているようだ。
 皆 同じ村の出身である。

 先日 やはり この店にやってきたとき、店の奥の方で バグマティ橋の周辺で
 いつも見かける幼い妹を背負って面倒を見ているタマン族の少年が 座っていた。
 顔があったので 「何を食べているの」と訊くと 「モモ」と応える。
 店の息子に訊くと ここにやってきたのは初めてだという。
 どうも好印象を持ってはいないようだが、お金を払えば、客は客である。
 それを受けて 働いているカンチャも そうだそうだとうなずいているので
 妹を連れてやってきた少年は 君と同じタマン族だぞと言うと 信じがたい顔つきで
 驚いていた。
 彼らの母親は バグマティ橋のパタン側の小さな空き地で 焼きトウモロコシを
 売っている。
 去年の春先には 冷たいバグマティ川の水の中に入り、震えながら 岸まで砂を
 運んでいた。
 カトマンズも外の村からやってきたタマン族やマガール族は ほとんどといって
 いいくらいに こうした厳しい肉体労働に従事している。
 1日やっと200ルピー(250円)になるかどうかの低賃金である。

 カトマンズでは ある程度安定した恵まれた暮らしをしている人たちのほとんどは
 貧しい人たちの生活には関心を持たない。
 民族やカーストが違えば、違った世界の出来事なのである。
 ネパール国民という共通意識はなく、愛国心も希薄である。
 あるのは 自分たちの家族、親戚、カースト、民族までの意識で カースト、民族が
 違ってしまうと かかわりは薄れ、関心も持たなくなってしまう。

 ネパール、ネパールと大声を上げているのは 支配階級のバウン族、チェットリ族
 だけで それも真剣に国のことを考えているのではなく、如何にしてこの国の富を
 他の民族やカーストの人たちと分け合うことなく、独り占めするか、そのことだけしか
 頭にはない。
 彼らにとって、他の民族やカーストは 同じ人間ではなく、奴隷に近い存在としてしか
 見ようとしない。
 民主化20年近くたっても あくまで バウン族、チェットリ族に都合の良い民主化で
 大半の国民は その恩恵に浴していない。

 日本だって同じで 国の富をアメリカに奪われ、大企業や一部の人間たちは富を独占し、
 分け合うことを忘れ、ネパールと同じように貧富の格差は広がる一方である。
 自給自足体制の整っていない日本では 何か事が起これば 明日はわが身に苦境が
 やってくるのは 目に見えている。
 貧しさに慣れていない日本では 悲惨さはネパール以上のことになるだろう。


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カトマンズ 生き抜く人々 | 02:28:05 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 子供たちの素顔‐06 肖像‐01
カトマンズ 子供たちの素顔‐06 肖像‐01 1

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カトマンズ 子供たちの素顔‐06 肖像‐01 8

カトマンズ 子供たちの素顔‐06 肖像‐01 9

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 カトマンズにやって来て いつも思うことであるが、いわゆるカトマンズ庶民の
 子供たちの顔を見ていると 子供でありながら、人間としての一人前の顔を
 していることである。
 かといって 変に大人びているかと思うと そうではなく 素直で人懐こいのである。
 貧しい生活の中でも明るさを失わないのはどういう訳だろうと不思議に思うこともある。
 貧しくても 充分な家族や地域の優しさに包まれているのだろうか。

 日本では 少子化の影響で 子供たちの姿を見かけることも少なくなったが、
 カトマンズ庶民の子供たちのように はっきりした一人前の人間としての輪郭を
 持つ子供たちの姿を見かけることは少なくなってきている。

 貧富の差の激しいカトマンズでは 彼らの親たちも生きることに精一杯だ。
 野菜は高騰し、値段は半年前の2倍近くなっている。
 別段 農産物の生産量は落ちていないにもかかわらず、インスタントラーメン、
 菓子類はさほど、値上がりしていないにもかかわらず、庶民の台所を支える
 野菜だけは 異常に値上がりしている。
 どうも中間業者が この値上がりに関係しているともっぱらの噂である。
 新しく出来たネパール共産党(エマーレ)、ネパール国民会議派中心の政府も
 この野菜の値上がりに対して 対策を立てようとしない。
 貧乏人は 餓死しろとでも言うのと同じである。

 親の必死の生活の自衛努力を見ていれば、その子供たちもいい加減な気持ちでは
 生活できない。
 何とか親の手助けをして 家族の生活を支えようとするものである。
 そんな子供たちの背景にある生活が 子供たちの姿・形・表情に影響を与えているに
 違いない。
 どんな苦しい生活であっても あきらめず生き抜くこと、こうした人生に対する姿勢は
 子供の頃から 養われていくものだ。

 貧富の差のみならず、カースト、民族間の差別の存在するネパールでは 
 子供たちだって ぼーっとしていれば いつまで経っても 貧しさから這い上がる
 ことは出来ない。

 こんな社会の中で健気に生きているネパール庶民の子供たちの表情が 私は好きである。
 苦しい生活、虐げられた生活の中で 親を支えようとするたくましさ、それでいて
 決して 素直さは忘れていない。

 生活の底辺にいる人たちの大半は 先住民族や低カーストの人たちである。
 あるいはタライ地方で 農奴に近く暮らしを強いられてきた小作農民たちである。
 村では食べることが出来ないから カトマンズに仕事を求めて、家族ごと移動してくる。
 タマン族、マガール族、ライ・リンブー族、ダマイ(縫製職人)、カミ(鍛冶屋)、
 マジ(漁師)、サルキ(皮職人)、カサイ(堵殺と肉の商い)、デワーレ・チャミ(掃除人)
 などのダリットと呼ばれる低カーストの人々、そして その子供たち、何はともあれ、
 生き抜くことが先決なのだ。
 生き抜くことに負けてしまえば、餓死か物乞いの生活しか残っていない。
 昔は ネパールではどんなに貧しくても 餓死することはないと言っていたネパールも
 それが成り立たない社会になってきている。
 カトマンズの人口増加は それに拍車を欠けている。

 それでも家族とともに生活できる子供たちは まだ救いがあるが、外国人旅行者の
 集まるタメル地区に徘徊するストリートチルドレンの状況は最悪である。
 村から逃げ出してきたのはいいが、面倒な仕事など使用とせず、徒党を組んで物乞い、
 そして シンナー遊びの生活に落ち込んでしまう。
 ここ10年、ストリートチルドレンは増える一方だが、政府は全く対応しようとしない。
 政治家たちは 自分たちの財産作り、贅沢に精を出しているだけだ。
 全くの税金泥棒、外国からの援助金泥棒である。

 高級住宅を手に入れ、高級自動車を乗り回し、電気製品に囲まれ、快適な生活を
 している政治家、官僚たちの目は いつまで経っても虐げられている人には
 目を向けない。
 安定した社会システムが壊され、その矛盾の中で苦しむのは 底辺に生きる人たちで
 あり、その子供たちである。
 子供たちの明るい笑顔だけが 救いのカトマンズである。


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カトマンズ 生き抜く人々 | 13:31:26 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐67 タライから来た若者
タライから来た若者

 夕方近く バグマティ川の工事中の橋造りの現場に行き、そこから対岸にある
 スクムバシ(スラム)を眺めていると すぐそばの工事現場で働く人のための
 粗末な小屋から 二人の若者が出てきて 私に話しかけてきた。
 この橋造りの現場で働いている若者たちだった。

 話をしているうちにわかったことは 彼らは南ネパールのタライ地方のビルガンジに
 近いスルケットという小さな町周辺の村からやってきている。
 ネパールの学校制度の中では 9年生で 日本では中学3年生という計算になる。
 顔つきを見ると ネパールでは大人びた顔つきをしているから、学校に入る時期が
 遅かったのだろう。
 来年は 彼らも10年生になり SLC 高校卒業資格試験の年になる。
 この工事現場で働き始めて1ヶ月、あと1ヶ月 ここで働いたら、自分の村に帰る
 予定だ。
 給料は 月にして6千ルピー 寝泊りできる部屋はただであるにしても どのくらい
 お金を残すことが出来るのだろう。
 貯めたお金は授業料や教材費などに当てると言う。

 25年ほど前は ネパールでは 大学生といえば、国立大学 トリブバン大学に
 通う大学生だけだった。
 大半の学生たちは アルバイトをしながら、大学に通っていた。
 朝6時から10時までの学ぶグループは 授業が終わると 大急ぎで仕事場に
 出かけていた。
 学びたいから 苦労しても学んでいたのである。
 タライからやってきたこの二人の若者もそうである。

 こんな若者もいれば、同じタライ地方からやってきて 彼らの給料以上の仕送りを
 受け、1日2,3時間の授業の授業が終わると あとは遊び歩いている大学生もいる。
 学びたいから わざわざ南ネパールのタライからやってきたのでなく、大学卒業資格を
 得ることが出来れば、少しは楽な仕事を得ることが出来るといったそんな程度である。
 私立大学に通っている大学生の姿は 皆こんなものである。

 ネパールは貧しい、貧しいと言いながらも 富める者たちの子供たちは 何一つ
 苦労することもなく、青春を謳歌している。
 この2割の富める者たちのために 8割の貧しい人たちが どんなに苦しい思いを
 しているのか、そんなことは 2割の富める者たちの息子にとっては 関係のない
 話である。

 私の住んでいる部屋の下に そんなドラ息子たちが住んでいるが、この水不足の中、
 他の人間のことなど考えず、ある水をすべて使い果たしても平気、
 自分たちも努力をして この水不足の危機を乗り越えようとはしない。
 口は動かしても 身体は動かそうとしない。
 自分のものは自分のもの、他人のものも自分のもの、自分さえよければ、
 それでいいというネパールの中産階級のわがままをそのまま表している。
 
 橋の工事現場で出会った若者には 謙虚さが感じられたが、階下に住む大学生
 中産階級のドラ息子たちには 自己本位なわがままがあるだけである。
 自分の要求ばかりを主張し、人の話に耳を傾けようとしない。
 バウン族(高カーストの僧侶階級)の特性そのままである。

 近所にも多くのバウン族が住んでいるが 彼らも自分の主張ばかりで、
 人の話をきちんと聴こうから、議論にも話し合いにもならない。

 タライ地方は カトマンズ以上に身分制差別の多い地域である。
 タライからやってきた貧しい若者は 低賃金の肉体労働で国を支え、
 タライの富める者たちの息子は 大声を上げて、街中で騒ぐ。
 静かなカトマンズがどこかに行ってしまった。
 謙譲と謙虚さを持つ先住民族の醸し出す穏やかなカトマンズは 
 いずこへといった今のカトマンズである。


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アジアの街角 1枚の写真から | 12:30:39 | Trackback(0) | Comments(2)
カトマンズ 夕闇に向かって
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 昨日から ネパール暦のサウンという月の1日に入った。
 雨期の始まり、田植えの月のアサールも 期待するほどの雨も降らず、
 1年のうちで もっとも雨が多い7月も半分を過ぎてしまった。
 まとまった雨が降らない。
 1日1時間ほどのスコールがあると、次の日は晴れるといった繰り返しで、
 田植えの終わった田んぼを見ても 水などは溜まっていない。

 こんな天候の毎日であるが 相変わらず、雲の変化だけは素晴らしい。
 雨をもたらす雲であれば いいのだが、期待ばかりを募らせる雨をもたらさない
 雲である。

 夕方近くなって、いつもの散歩コース バグマティ川沿いに歩いていく。
 西の空には 湧きあがる雲が 墨を流したような姿を見せている。
 まさに墨絵の世界である。

 田んぼの脇の道を通って、河川敷の広場に入っていくと 子供も若者も サッカーに
 興じている。

 そのグランドを抜けて 先日 見かけたインド人の子供たちが戯れていた草原まで
 足を伸ばしたが、ひっそりと静かで 子供たちの姿はない。
 草原の向こうの雑木林の木のてっぺんで カラスたちが 夕暮れ時の光の中で
 忙しげに飛び回っている。
 飛び立ったと思えば、又、木々の上に戻ってくるといった繰り返しである。

 ふと後ろを振り向くと 東の空に うっすらと虹がかかっている。
 雲の切れ間に わずかばかりに姿を見せた虹である。
 何かいいことでもあればいいなと願うが どんなものだろう。
 しかし、自然のくれる贈り物は有り難いものである。
 心が豊かになったような気持ちになれる。

 西の空の夕陽も 川向こうのシバ寺院の後ろの雲の中に沈もうとしている。
 毎日姿を変える夕暮れのこの光景は きっといつまでも私の記憶に刻み込まれるに
 違いない。
 雨期の夕暮れのカトマンズの風景は 叙情的で 心の奥底まで染み入ってくる。

 河川敷を離れ、再び 大通りに出ると 一人の少年が 凧を揚げている。
 巧みに糸を操り、空高く 凧は舞い上がっている。
 少年の顔を見ると 去年のダサインの祭りの頃も 毎日のように凧を揚げていた
 少年だ。
 1年近く経つと あどけなかった顔つきも 少年らしい顔つきに変わっている。
 子供の成長は 早いものだ。
 目が合うと 私のことを憶えていたらしく 笑いかけてきた。
 
 10月のダサインの祭りには 早い凧揚げだが、今は 子供たちの間では
 流行になっているようだ。
 コンピューターゲームに夢中になるより 余程 健康的だ。
 五感を使って世界と総合的に関わる力は 先進諸国の子供たちの
 欠けている能力の一つだ。
 暮れなずむ空を見上げながら 凧を操る少年の心には 何が刻まれていくのだろう。
 意識はしていないかもしれないが 自然そして 世界との一体感には包まれているだろう。

 夕陽はすっかり雲の中に隠れ 夕闇だけが迫ってきた。
 この夕闇に包まれて 遠い昔の自分の少年時代へと 心は向かっていった。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 02:31:18 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ インドからやって来た子供たち‐04 饗宴
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 薄曇の空の下、バグマティ川の河川敷の広場に行ってみた。
 グランドでは 子供たちや若者たちが サッカーを楽しんでいる。
 そのグランドの向こうの1段下のある草むらの中に まるで色とりどりテントを
 張ったような様子で 潅木の上に布がかけられている。
 一体何だろうと近づいていってみると、黒い鉄の吊り橋の下で廃品回収を
 している家族の子供たちが 集まって遊んでいる。
 皆 インドから逃げるようにして カトマンズに生活の糧を求めてやってきた
 インド人たちの子供たちだ。

 最初は警戒して カメラを向けると顔を隠していたが、話をしていくうちに
 打ち解けてきた。
 子供たちの様子を見ていると なにやら 家族ごっこのようなものをしているようだ。
 布で囲んだ場所は どうも家の中らしく ヒンズー教の神様を祭った祭壇のような
 ものもある。
 「何の神様を祭ってあるの」と訊くと 「ビシュヌ」だと応える。
 色とりどりの布で囲まれた家の外では かまどが作られ、一人の女の子が火を
 起こしている。
 その横の女の子は どこから持ってきたのか 白い粘土状のもので ロティを
 作っている。

 1年ほど前 この草むらの先の林の中で もう少し年齢の上の女の子たちが
 ままごと遊びではなく、臨時のかまどを作り、野菜カレーを作って 皆で
 食べていたのを見たことがあった。
 ここにいる女の子たちは そのための実地の訓練をしているようだ。

 男の子たちは 女の子たちの様子を眺めるだけで 周りをうろうろしているだけ
 である。
 それでも 廃品回収のゴミゴミしたところにいるときよりも のんびりと穏やかな
 顔つきになっている。
 緑の草むらの中でのんびり戯れるということは 子供にとっても 大人にとっても
 大切なことには違いない。
 自然に囲まれ、緑に癒され、心の優しさを取り戻すことも出来るだろう。

 廃品回収場あたりに屯しているときのこの子供たちは 憎憎しいぐらいのたくましさを
 表わして すっと馴染んでいけないときもあるが、こうして自分たちの遊びの世界で
 戯れているときには 子供らしい当たり前の表情を見せている。

 子供は本能的にこうした気晴らしの出来る場所で 心のバランスを取る必要がある
 ことを知っているのだろう。
 彼らの中にまだ残っている本能的な野性が それを知らせるのだろう。

 この草むらの中で 失われた人間らしさ、子供らしさを取り戻そうとしている
 ようにも見える。
 そういう意味では 日本などの先進諸国の子供たちよりも適応性、柔軟性を
 持っていると言えるだろう。
 人間の中にある動物的な本能、感性は 心のバランスを回復することの必要性を
 子供たちに自然に知らせてくれる。
 この子供たちを見ていると どんな状況の中でも どうにか生き抜いていくだろうと
 思えてくる。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 13:04:28 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ ネパールの低カーストの問題
カトマンズ ネパールの低カーストの問題 1

カトマンズ ネパールの低カーストの問題 2

 ネパールの低カースト ダリット対策について、こんなニュースがあった

     *** 異カースト間の結婚に給付金、差別対策で ネパール ***

 ネパール新政権は13日、最下層民「ダリット(Dalit)」への差別対策として、
 異なるカースト間の新婚カップルに10万ルピー(約12万円)を給付すると発表した。

 Surendra Pandey財務相は、この日の議会で、違うカースト出身者同士の結婚は
 現在でも冷ややかな目で見られており、そうしたカップルは10万ルピーを給付される
 ことで、結婚生活を少しでも楽に始められるだろうと話した。

 全人口の約13%を占めているダリットに対する差別は1960年代に法律で禁止されたが 
 「不可触民」の伝統は特に地方で根強く残っており、そうした場所ではダリットが
 寺院に入ることや共同の井戸から水を飲むことなどが禁止されている。

 ダリットに属するある活動家は、今回の政策を歓迎する一方で、夫が10万ルピーを
 受け取ったあとで妻を捨てるといったような悪用を防ぐ努力も政府に求めている。

 ■未亡人対策も

 Pandey財務相は、ネパール社会では疎外されることの多い未亡人の救済策も発表した。
 妻が再婚という新婚カップルには5万ルピー(約6万円)の補助金を支給するという。
                           ~ 7月14日 AFPBB News


 全く訳のわからない対策である。
 これで本当にダリットに対する差別が解消されると思っているのだろうか。
 これでは ダリット・カーストの人と結婚すれば、10万ルピーのご褒美を上げますよ
 と言っているのと同じではないか。
 むしろ、ダリット・カーストの人々の子供たちに優先的に教育の機会を与えるとか
 公務員制度の中で 彼らのために人口比に合わせて、仕事を振り分けるといった
 ことの方が優先されるべきことのように思われる。
 それは ダリットの問題だけでなく、他の先住民族についても同じことである。

 ネパールの政府職員については 上級職の大半は バウン族によって占められているし、
 軍、警察はチェットリ族によって占められている。
 税関やイミグレーションオフィスなど お金が簡単に手に入りやすい部署もバウン族に
 よって占められている。
 ネパール国民会議派、ネパール統一共産党(エマーレ)の政治家の大半もバウン族で
 ある。
 ダリット・カーストの人のみならず、タマン族、マガール族、ライ・リンブー族、
 タルー族など先住民族なども 教育の遅れから 限られた職業に就くことしか
 出来ないのは周知の事実である。
 それは 240年に渡る王政による愚民政策の結果でもある。
 すべての国民に公正にかつ公平に機会均等の原則を保障するのが 共和制の原則で
 あるなら 教育の機会均等、職業取得の機会均等を保障するのが筋である。

 ダリット・カーストの中にポリヤールという職業カーストがある。
 彼らの昔からの仕事は ダマイとよばれる縫製職人である。
 そして、他には 結婚式などのめでたい行事の際に雇われ楽団になって 
 花嫁、花婿の前を練り歩くことである。
 この二つは彼らの特殊な技能である。
 ダリット・カーストと結婚すれば、お金を与えるといった報奨金など、すぐに
 なくなってしまう。
 それよりも彼らの持っている技能を高め、収入を上げていくための対策のほうが
 重要である。
 彼らの持っている技術は 昔風のもので 今の流行のファッションの縫製には
 向かない。
 縫製の専門的な技術を習得する機会を与える、洋服のデザイン、パタンナーとしての
 知識などより専門的な技術を習得すれば、収入も社会的な地位も上がるはずである。
 そうすれば、他の民族との結婚も容易になるはずである。

 ダリット・カーストと結婚すれば、報奨金を与えるというのは 高カーストに
 属する支配階級 バウン族、チェットリ族の発想で、まるで貧しく虐げられている
 ものに喜捨するという発想に近い。
 ダリット・カーストの社会的経済的地位の向上という考えはそこには見られない。
 大体において 水場、寺院でダリット・カーストのものに対して厳しい差別を
 しているのは上位カーストのバウン族、チェットリ族である。
 差別が法的に禁止されているなら、差別をするものを法的に罰すればいいだけの
 ことである。

 未亡人対策にしても同じことで 自活していくことの出来る技能を身につけるための
 訓練施設を 政府が率先して作り、仕事の機会を作り出す政府の努力が必要だ。

 どう見ても今回の補助制度は 人気取り以外の何ものでもなく、ダリット・カーストの
 人たちや未亡人の長期的な生活の安定を配慮したものではない。
 バウン族・チェットリ族の政治家や官僚たちは 絶対にダリット・カーストの人たちと
 結婚などしないだろう。
 彼らの選民思想は 神から選ばれた高カーストという意識はなくならない。
 口ではいくらいいことを並べていても 決して信用してはならない。
 ネパールのバウン族は インドのネルーやガンジーとは あまりに人間としての
 品位が違いすぎる。
 ネパールのバウン族が 高徳の人たちであれば、ネパールの政治はもっとよくなって
 いるはずである。
 彼らの高みから人を眺める態度は 民主化20年近くたっても全く変わってはいない。



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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 03:15:02 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ バグマティ川 川辺の不思議な小屋‐02
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 今日も蒸し暑く、今にも雨が降りそうな気配なのに なかなか 雨が降ってこない。
 雲行きを眺めながら、バグマティ川の岸辺周辺を歩いてみることにした。
 以前から気になっていたバグマティ川の川辺近くにあるバラック小屋での神様の
 進行具合を見に行くことにした。
 
 1週間前にも1度顔を出したこともある。
 そのときは わらで作られた神様の像に 黒い泥を塗りつけている最中だった。
 象の上に乗った神様の像は ダサインの祭りの際に使われるドゥルガ(ヒンズー教の
 神様のシバの奥さんのパルバティの変身した姿で、時には カーリー、あるいは
 バグワティに変身したりして 多くの姿を持つ)の像だと思っていたら、
 ドゥルガではなく ビシュワカルマの像だった。
 この神様は もの造りの神様で 手仕事を職業とするカーストの人たちにとっては
 大切な神様である。
 鍛冶屋などの人たちのカーストをビシュワカルマと呼ぶこともある。

 今日 再び、行ってみると 今度は別の神様の像が作られていた。
 この神様の像が ダサインの祭りの際に使われるドゥルガの像だった。
 獅子の上に立ち上がる勇壮な女神で 迫力を感じさせる。

 外では ドゥルガではないが インドのカルカッタからやってきている
 堂々としたおばさんの支持の下に 粘土が掘り起こされている。
 その粘土を小屋の中にいる職人のもとに運んでいる。
 師匠クラスの職人らしく、粘土を塗りつけていく姿は ちょっとした芸術家である。
 まさにインド ベンガル地方の職人芸だ。

 ビシュワカルマの像は2ヵ月後、ドゥルガの像は 3ヵ月後のネパール最大の祭り
 ダサインのときに飾られる。

 粘土が塗りつけられたら、その乾きを待って、次は色づけに入っていくようだ。
 その頃は 私はネパールを出た後だろう。

 こんな興味深い作業が バグマティ川の川辺の小屋で行われているのに関心を
 示す人が少ないのが ネパールの不思議なところである。
 大体 職人の仕事というものが低く見られているのが ヒンズー教のカースト制度である。
 カースト以外の人は 自分の生活の外にあることと考え、関わりを持とうとしない。
 こんなところが原因で ネパール人やインド人には 総合力、統合力が育たない。
 Aの技術とBの技術を組み合わせて、よりすぐれたものを創り出す力が弱いのである。
 固定的な身分制度を維持していくという面では効果的であったのかもしれないが、
 新しいものを生み出すということになると それが欠点になる。

 職人のそれぞれの技術は優れていても 伝統以上には発展していかないのである。
 インドでは外国の力を借りて、どうにか総合力を身につけてきたが、ネパールでは
 まだまだ そうした力も育ってきてはいない。
 自分たちで造り出すよりも 中国やインドの製品を買うほうが安いからである。
 未だに自国で自転車一つ造り出すことはできないが、修理の技術だけは発達している。
 今も1980年代の日本の車が走ることができるのは その修理の技術のお陰である。

 神様の像を造るベンガル職人の技量を見ていると つくづく伝統の技を感じる。
 カルカッタに行けば こんな職人が掃いて捨てるほどいるのだろう。
 これが まさにインドである。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 15:36:07 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐66 カトマンズの下校時には
アジアの街角 1枚の写真から‐66 カトマンズの下校時には 11

 夕方の4時近くなると 近所の私立学校の授業が終わり、たくさんの生徒たちの
 下校の姿を見かけることになる。
 カトマンズでは 子供たちの大半は 私立学校に行き、私立学校の授業料や
 お金のかかる補助教材を支払う余裕のない家庭の子供だけが 公立学校へと
 通うことになる。

 近頃は いくつかの施設のいい公立学校も出来てきているが、教師の見栄で、
 補助教材にお金をかけるようになり、それが負担になる子供たちは 施設は
 悪くても 費用のかからない公立学校へと移っていくことになる。
 ネパールでは 教育の機会均等など夢のような話である。
 親の収入によって、通うことの出来る学校が選ばれることになる。
 完全な格差社会が 子供の教育にもはっきり現れている。

 ネパールの私立学校は 人間教育の場所というより、
 組織化された塾のようなものである。
 ネパールの教育制度の中に SLC 高校卒業資格試験というものがある。
 この試験に合格しないと大学に進学できない。
 最近では 諸外国の制度に合わせ、私立学校も公立学校も10年制でなく、12年生に
 変わってきている。
 この高校卒業資格試験の合否、そしてその成績の上位を占める学生の数が 
 私立学校の良し悪しを決める判断になっている。
 だから、私立学校は 受験教育に没頭し、生徒の人間教育など二の次になってしまう。
 人間としての躾など 家庭で行えばいいのであって、学校の役割ではないとはっきり
 割り切っているようだ。

 日本の公教育のように 列を組んで整然と下校するという姿は 間違っても見られない。
 日本のようにといっても 私が小学校に通っていた頃は 右側歩行を指導される
 ぐらいで 皆 てんでばらばらに下校していたものだ。
 昔は今ほど 車の交通量もなかった。
 何はともあれ、一歩 家の外に出れば 子供たちは 自分の身は自分で護るより仕方が
 なかったのである。

 カトマンズの私立学校の生徒のように 傍若無人に公道を他人の迷惑を顧みず、
 下校していく姿も問題があるが、あまりに管理された日本の生徒たちの姿にも
 疑問が湧いてくる。
 あまりに従順すぎるような気がする。
 子供たちが本来持っている野生的なものを感じさせてくれないのである。

 私の近所の私立学校の生徒は 中産階級より少し下の生活レベルの家庭の子供たちで
 あるが、このレベルの人たちには 公という意識がないから、子供たちに公教育、
 公の躾を施そうという気はない。
 カトマンズでは 政府と家族という対立はあるが、その中間の共同体の中での
 公という概念がないから、道にゴミを捨てない、周りに迷惑をかけない、
 そういった公共の躾はほとんどないといっていい。
 昔は カトマンズに住んでいる人間は カトマンズの先住民族 ネワール族が大半で
 しっかりとした共同体があり、それなりのルールがあったが、今は、80%以上が
 カトマンズの外からやってきた人によって占められ、それぞれ わがまま放題に
 暮らしているというのが現状である。
 その象徴的な姿が 私立学校の生徒たちの下校時の姿である。
 カトマンズの人口増加が 様々な歪みを生み出しているのである。

 つい先日も 青少年の不良集団同士の争いがあり、16歳、17歳の高校生がその場で
 なぶり殺しにされ、二人は病院に運ばれたが、一人は 昨日死亡し、もう一人は
 未だに意識不明の重体だ。
 家族制度が崩れ、弱肉強食の社会制度や教育制度の中では 格差がどんどん生まれ、
 カトマンズの若者たちの心の歪みも生まれてきている。
 大人社会の歪みが そのまま若者たちの間にも蔓延してきている。
 それは 日本でも同じことである。
 日本でも近頃では 凶悪犯罪があとを絶たない。
 アジアでは その傾向に歯止めがかからないのは どういうわけだろう。
 何でもお金次第という風潮、アメリカの価値観が すっかり、アジアでも
 定着し始めているのである。
 本当にこれでいいのか、アジアはと 声を上げたくなる。


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アジアの街角 1枚の写真から | 10:08:50 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 曇りの日には
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アジアの街角 1枚の写真から‐66 カトマンズの下校時には 7

アジアの街角 1枚の写真から‐66 カトマンズの下校時には 8

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アジアの街角 1枚の写真から‐66 カトマンズの下校時には 10

 夕方6時から8時までの計画停電のつもりでいたら、夕方4時から突然の停電、
 周りを建物に囲まれた私の住んでいる建物は 停電になったら、昼間でも薄暗い。
 ここに越してきた16年前には 南側、西側、北側には高い建物はなく、日当たりも
 良かったが、16年の間に4階建ての建物が出来、昼間でも日が射さなくなって
 しまった。

 そんな訳で停電になると 夜は別として 昼間は外に散歩に出かけることになる。
 外に出ると すっかり曇り空で 今にも雨が降り出しそうな気配である。
 通りに出て お馴染みの雑貨屋に行き、バウン族の店の主人と話をすると、
 「今日は蒸し暑いから、雨が降るだろうと待ち続けているが、なかなか降ってこない」
 と嘆いている。
 すぐにも雨になりそうな空模様であるが 雨は降ってこない。

 雨に降られる心配があったけれど、バグマティ橋まで散歩に行くことにした。
 橋の上に立つと 西の空と東の空に少し晴れ間が残っているが、それ以外の場所は
 黒い雨雲に覆われていることがよくわかる。
 橋を渡り、バグマティ川の岸辺にあるナラヤン寺院の中庭を通って、バグマティ川の
 岸辺へと出る。

 寺院を囲む建物の周りには いつものように猿の母子が侘しげに座り込んでいる。
 この物価高にあえぐ世相では 猿たちの餌も 減っているのだろう。
 この寺の中に住みついている人たちのお余りだけでは十分ではないのだろう。
 この寺に住みついているサドゥーたちの生活も 喜捨が減り、楽ではないだろう。
 猿たちの餌は サドゥーたちの食事のお余りである。

 橋の下近くまで行ってみると 向こう岸から牝牛が 川を渡ってくる。
 川のこちら側にある草を求めてだろう。
 いつもの日課のようだ。

 雨に降り込まれても困るので 急いで家路に向かうことにした。
 果物がなくなっていたので 通りの入り口にあるタマン族のおばあさんのところで
 梨を買う。
 1キロ40ルピー(約50円)、去年は25ルピーだったが、この物価高、文句も
 言えない。
 梨を抱えている途中、顔見知りのマンゴ売りに出会う。
 目が合ったら仕方がない、ここでもマンゴを買うことにした。
 1キロ60ルピー、マンゴは最盛期を迎えているのに 少しも値が下がらない。

 2キロの果物を抱え、家に向かう途中、道の真ん中に木が立てかけてある。
 道の中央が陥没し、そこへ自転車やオートバイがはまり込まないための注意である。
 このところの雨で、アスファルトの下の土が流れ出してしまったらしい。
 政府の修理など期待できないから、このままの状態がしばらく続くのだろう。
 ずいぶん前のことであるが 暗い夜道を自転車で帰っていると、私の前を走っていた
 自転車が 突然ひっくり返ったことがあった。
 道の真ん中に大きな穴があったのである。
 その穴は 水道工事の穴で、夜になっても工事が終わらず、穴の開いたまま放置して
 いたものだった。
 私が先を走っていれば、私が自転車ごと穴の中に突っ込んでいただろう。
 翌日は やはり、大きな木の枝が立てかけてあった。
 ネパール風といえば、ネパール風のやり方である。

 家に近づいてくると 目の前を 母娘が歩いている。
 母親の両手には水の入ったポリタンク、幼い娘の手をしっかり握って歩いている。
 この前出来た手押しポンプから水を汲んでの帰りなのだろう。
 子供は 親の背中を見て育つというが、これはまさにその見本である。
 苦労して生活している親の姿を いつも身近に見ていれば、親の有り難さも
 身にしみて理解するだろう。
 そんな基本的な親と子の関係が カトマンズ庶民の間には残っている。
 この母娘の後姿を見ていると、豊かな母娘の信頼関係が育つに違いないと思えてくる。
 あと何年かすれば、母親を手伝って、この幼い娘が水汲みをするようになることは
 確かである。
 一緒に歩く二人の姿の中に 幼い娘の自立、自活への萌芽が隠されている。

 雨が降るか降るかと、待ちわびていたが 雨が降り出したのは 計画停電の終わった
 午後8時過ぎだった。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 16:20:23 | Trackback(0) | Comments(0)
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 午後6時半からの計画停電が始まったので 陽のあるうちに夕餉のための野菜を
 買いに通りに出た。
 バグマティ橋の下の野菜市場まで出かけようと思ったが、少し高めであるが、
 近所のタルー族の八百屋を覗くと 必要な野菜は揃いそうだったので、ここで
 買い物を済ませることにした。
 シミ(鞘インゲン)200g、ピーマン300g、ビンディ(おくら)200g、
 そして、雨期が始まると出てくるニューロー(こごみ、ワラビの1種)2束を買うと
 70ルピーになってしまった。
 去年の今頃なら、同じものが半値で買うことが出来た。
 独り者の私はとにかく、家族持ちなら 支出が増える、あるいはおかずの量を減らして
 支出を抑える、どちらにしても大変なことだとしみじみ思う。

 私の夕餉のおかずは ワラビの卵とじとオクラ納豆である。
 食べることに手をかけなくなって、空腹を満たすだけの食生活になってしまった。

 買った野菜を手にして 家に向かって戻りかけると 
 西の空に夕焼けが広がり始めている。
 近頃は 空の変わり行く姿に目を向けるようになってきた。
 それだけ、歳を取ったということだろうか。
 手にしていた野菜を入れた袋を知り合いのバウン族の雑貨屋に預け、
 バグマティ川の河川敷へと向かった。
 陽は雲の向こうに隠れてしまったけれど、その残照が雲を染め上げている。
 空では いつもながらの崇高なドラマが始まっている。

 河川敷の広場では 若者や子供たちが サッカーに興じている。
 25年も前の話だが、サッカーなどの激しい運動をしていれば、腹が空くから、
 そんな遊びをするなと 親が子供に言い聞かせていたという話が嘘のような話に
 なってしまった。

 広場で写真を撮っていると、近くにいた子供たちが寄ってきて、
 「自分たちの写真を撮れ」と言い始める。
 撮った写真をカメラの液晶画面で見せると 大喜びである。
 子供にカメラを向けることすら はばかられる日本とは大違いである。
 そんな日本が正常であるとはとても思えない。
 何でもかんでも国民を法で縛りつけ、抑圧していけば、その抑圧が爆発して
 より大きな犯罪を生み出すことがわからない政治家や評論家の浅知恵には困ったものだ。
 アメリカを真似て、あるいはアメリカの言いなりになって、自分たち固有の文化を
 壊し続け、そして 行き着くより仕方のないことだろう。

 日も暮れてきたので 家のほうに向かおうとすると、「自分たちの写真を撮ってくれ」と
 子供たちが近づいてきた。
 二人の手には 洗濯した衣類を入れた大きなたらいがある。
 Tシャツの胸あたりは すっかり水浸しである。
 話を聞くと 洗濯をしたのは彼らの姉で、彼らは井戸からの水汲み係だったようだ。
 間借り住まいの家族たちは 洗濯物を下げて、この広場の下の共同水場で洗濯を
 するのが、日課である。

 薄暗くなった農道を彼らともに歩き、大通りに出た。
 私は大通りに沿って歩き、少年たちは道を渡って彼らの家へと向かった。
 道の向こう側で 私に声をかけ、手を振って別れの挨拶を送ってきた。
 後には夕闇が迫ってくるだけだった。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 01:47:45 | Trackback(0) | Comments(0)
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 1日 雨が降れば、1日は晴れるという繰り返しの天気で 今年の7月は
 まとまった雨が降らない。
 今日は 朝から上天気 昼過ぎから パタン側のバグマティ川周辺を歩いてみた。
 空を見上げると 雨期の合間の晴れ間を象徴するように 勇壮な雲が広がっている。
 しばらくの間、雲に見とれてしまった。

 子供たちや若者たちの運動場になっているバグマティ川の広い河川敷のすぐ下には
 共同の水場がある。
 4つの井戸が掘られているが 先日来の雨で 井戸の水の量は増し、洗濯に励む人々の
 顔つきも穏やかになっている。
 井戸のそばに座り込んでいる子供たちの表情も楽しげだ。
 バグマティ川の川辺に近いところの水は たっぷり湧き出ているようだが、
 バグマティ川から遠い私の家あたりの地下水の水位は上がらず、相変わらず水不足に
 悩まされている。

 バグマティ川に架かる黒い鉄製の吊り橋を渡って、向こう岸に渡ろうと 吊り橋の
 方に向かって歩いていると 吊り橋の向こうにも雄大な雲が湧き上がっている。
 橋を渡り終え、川辺のシバ寺院の脇を抜け、ラーマ寺院の先まで足を延ばすと
 いつも見かける子供たちが塀にしがみついて遊んでいる。
 この先のスクムバシ(スラム)に住んでいるインド系の子供たちである。
 同じインド系の子供たちでも 橋向こうの子供たちと違って人懐こい。
 写真を撮れ、撮れとうるさいくらいである。
 橋向こうの子供たちは カメラを向けると顔を隠してしまう。
 スラムの中であっても 親の生活が安定してくれば、子供たちの心も解放されて
 くるのだろう。

 草の生えた広場では 顔見知りのおばさんたちが 山羊に草を食べさせている。
 ネパールでは ダサインのお祭りのときにこの山羊たちが売りに出されるが、
 自分の所では 情が移って 食べる気にはなれないと言っている。
 数多く飼っていれば、それほどでもないだろうが 4,5匹の山羊ならそういうことも
 あるだろう。

 広場の向こうでは 子供たちが 凧を揚げている。
 ネパール最大の祭りのダサインにはまだまだほど遠いのに 気の速いことである。
 ダサインの祭りは 10月過ぎてからだ。
 ダサインの祭りが近づくと 凧を揚げるのは 米の収穫期が近づいて来ており、
 天にすむインドラの神様に もう雨 要らないよと知らせるためである。
 だから、ダサインのころ以外に凧を揚げれば、注意する大人もいたが、
 今ではそんな大人を見かけることもない。
 カトマンズの外から 大勢の人間が入り込んできて、昔ながらの風習は廃れていく
 ばかりである。
 これだけ人口が増えてくると 桃源郷を求めるようにカトマンズにやってきた
 ヒッピーたちの時代とは 違ったものになっていることは確かである。
 カトマンズのインド化は どんどん進み、通りを歩いていても 声高のヒンディ語が
 やたら、耳に付くようになってきた。

 昔ながらの姿を残しているのは 雲だけかと 再び、空を見上げる。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 13:37:35 | Trackback(0) | Comments(0)
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