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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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カトマンズ 雨の日には・・・‐02 不思議な小屋
カトマンズ 雨の日には・・・‐02 不思議な小屋 1

カトマンズ 雨の日には・・・‐02 不思議な小屋 2

カトマンズ 雨の日には・・・‐02 不思議な小屋 3

カトマンズ 雨の日には・・・‐02 不思議な小屋 4

カトマンズ 雨の日には・・・‐02 不思議な小屋 5

カトマンズ 雨の日には・・・‐02 不思議な小屋 6

 日本の梅雨の雨のような小雨が煙る中、路地を抜けて バグマティ川沿いの大通りまで
 やってくる。
 この大通りは カトマンズ市内の交通緩和のために カトマンズを抜けていく
 大型車両の通り抜けのために造られた道路であるが、もう5,6年の歳月が流れたのに
 高々10キロ程度の距離であるにもかかわらず、途中で途切れ、未だに完成していない。
 ネパールではすべてのプロジェクトが この有様で いつの間にか予算が足りなくなり、
 中途で終わってしまう。
 予算の中のお金が いつの間にか政治家や官僚の懐に入ってしまうというのが
 カトマンズ市民のもっぱらの噂である。

 日本でも政治家の企業献金と名前を変えて、体裁を整えているが同じようなものだし、
 官僚優遇制度だって、国民を無視しているという意味では同じことである。
 ネパールでは それが露骨であるというだけの違いである。
 日本人も 自国のことをよく理解することもなく、厚顔無恥にネパールのことを
 批判できるはずもない。

 この大型自動車用の大通りの向こう側の原っぱに 1週間ほど前から
 粗末なビニール張りの小屋が建てられ始めた。
 外から見ると ルンギを巻いたインド人の姿が見られ、小屋の中には大量のわらを
 積み重ねているのが見えている。
 南ネパールのたらい地方から運んできた水牛の世話でもする小屋なのかと思っていた。

 今日の小雨の中、小雨に霞む川向こうの景色を写真にしようと 原っぱを横切り、
 岸辺近くまで行こうと この小屋の横を通り過ぎようとすると、人間の形をした
 わら人形が目に入ってきた。
 一体何だろうと小屋の中に入っていくと 何人かのインド人らしい男たちが
 わらを器用に束ねては 人形を造っている。
 好奇心から 「何を造っているの」とネパール語で尋ねると どうもはっきりとは
 理解してくれない。
 すぐさま ヒンディ語に切り替え、同じ質問をすると はっきりした答えが返ってくる。
 「10月の中頃に始まるネパール最大のヒンズー教の祭り ダサインの祭りの際に
 祭られる女神 ドゥルガ(女神 カーリの化身)の像を 今から作っている、
 今から準備しないと間に合わない」と言う。
 確かに小屋の中に重ねられているわらの量は半端なものではないし、かなりの数の
 女神 ドゥルガの像を造ることが見て取れる。
 わらを使って像の枠組みを作り、それに泥を塗りつけ、乾いたら 色づけをしていく
 らしい。

 話を聞いていくうちに 彼らかカルカッタからやってきているベンガル人である。
 北のインド人とは違って 色が黒い。
 東インドの民族であるが 近隣の州 オリッサ、アンドラプラデェッシュに住む民族と
 似たところもある。
 カルカッタのベンガル人にとっては 女神 カーリ(ドゥルガ)は 重要な信仰の
 対象である。
 カルカッタのカーリ寺院は カルカッタの寺院の中でも有名で多くの信者、観光客を
 集めている。
 こうしたドゥルガの像を造る人間は カルカッタには無数いるに違いない。
 それは一つの職業カースト集団に違いない。
 何千年にも渡って お祭り用の神様の像を造り続けているカーストだろう。

 師匠格の年配のベンガル人に 何歳の時からこの仕事を始めたのかと訊くと
 10歳頃からだという答えが返ってくる。
 職業的な技術を持っている人間にとっては どんな世界、どんな国でも生きて
 いくだけの力が備わっている。
 高教育の謳い文句に乗せられ、すし詰め教育の中で育った人間の生きていける世界は
 狭い。
 何だかんだと言っても 人間は物によって支えられて生きているのである。
 衣食住にかかわる技術なしには 生活していくことが出来ないのである。

 モンスーンのやってきた小雨降る原っぱの一隅で カルカッタからやって来た
 ベンガル人たちは 彼らの技術を生かして生き続けている。
 彼らの親が、祖父が生き続けたのと同じように。



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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 10:59:15 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ インドからやって来た子供たち‐03 その素顔
カトマンズ インドからやって来た子供たち‐03 その素顔 1

カトマンズ インドからやって来た子供たち‐03 その素顔 2

カトマンズ インドからやって来た子供たち‐03 その素顔 3

カトマンズ インドからやって来た子供たち‐03 その素顔 4

カトマンズ インドからやって来た子供たち‐03 その素顔 5

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カトマンズ インドからやって来た子供たち‐03 その素顔 7

カトマンズ インドからやって来た子供たち‐03 その素顔 8

カトマンズ インドからやって来た子供たち‐03 その素顔 9

カトマンズ インドからやって来た子供たち‐03 その素顔 10

 パタンとカトマンズのテクを結ぶ黒い鉄製の吊り橋のパタン側の橋の袂では
 ビニールを張った粗末なバラックが建ち並び、そこには 多くのインドから
 仕事を求めてカトマンズまでやって来たインド人の家族とその子供たちが
 生活している。

 大人たちがゴミ山の中から見つけ出した廃品を整理する側らで 子供たちは
 兄弟や近所の仲間たちと遊び戯れている。
 彼らは ネパール人の子供たちとは違って、警戒心が強い。
 インドから逃げ出すように 家族とともにカトマンズにやって来ても、
 決して 豊かな生活はなかった。
 どこかにネパール人たちの冷たい視線を感じながらの生活である。
 それは子供たちにも 影響を与え、容易には人を信頼できないことを伝えることにも
 なっているようだ。
 その警戒心を持った目は 年齢が大きくなればなるほど、強くなるようだ。
 しかし、このビニール張りのバラックの中には 15歳を超えるような子供たちの
 姿は見えない。
 皆 自立できる年齢になると この場所を離れていくのだろうか。

 写真を撮ろうとすると、一人の少女の厳しい視線に出会う。
 こうした視線は ネパール人たちにはないものである。
 他人に対して不信を抱き、心を許さない心が その視線の向こうには隠れている。
 それは未来に希望を持つ若い少女の優しい眼差しではなく、野性味あふれた動物の
 持つ眼だ。
 ここで生活し、育った子供たちの心の軌跡は 先進諸国の少年少女たちのものとは
 はっきり異なったものだ。
 生きる環境が違い、出会う体験が異なれば、いわゆる子供らしいという概念は 
 崩れ去ってしまう。
 それほど、人間とは 多様性を持った存在であることだ。

 彼らが求めてくるお金を与えたとしても 彼らとの距離は縮まらない。
 ひたすら、話しかけていくことだけが 彼らとの距離を縮める。

 一人の少女が トラックの荷台の上に座って 粗末な昼飯を食べている。
 1番安い米を炊き、おかずといえば、カレー味の野菜炒めだけだ。
 どうもおかずのほうは 不味いらしくほとんど手をつけていない。
 「誰が作ってくれたのか」と訊くと 「自分で作った」と答える。
 「凄いな! 自分で料理が出来るの。えらいな。君と同じぐらいの日本の子供は
 そんなこと出来ないよ。何歳なの?」と尋ねると 「9歳だ」と言う。
 そんな会話を進めていくうちに 緊張が 少しずつ和らいでくるのがわかる。
 実際には12歳ぐらいと思えるが 自分の本当の年齢はよくわからないようだ。
 周りにいた子供たちも 自分も料理が出来るといい始める。
 皆 親たちが忙しいと 自分で料理をするのだろう。

 以前にも近くの林の中で 女の子たちが数人集まって、薪を拾い集め、火を起こし、
 昼食の用意をしていたのを見かけたことがある。
 やはり この女の子が食べているのと同じように 米の飯とカレー味の野菜炒めだった。
 魚・肉などのタンパク質など どこにも見当たらない。
 インド人は 菜食主義者であるといっても 牛乳、チーズ、ダール(豆汁)から、
 タンパク質を補給するが、そんなものすらない 粗末な食事の姿だった。

 ゴミ捨て場から少し離れた草叢の一隅で 女の子たちが集まって、何かを作っている。
 近づいていき、よく見ると 粘土を使って、何かを作り上げて遊んでいる。
 ここに住むインド人の子供たちの流行の遊びらしく、皆 粘土遊びに熱中しているようだ。
 幼い子供ほど 愛想がよい。
 カメラを向けられることにも抵抗はない。
 大きくなるにつれて 世間の冷たさ、自分の置かれている生活に気づくにつれて、
 頑なさを増していくのだろうか。
 そのくらいこのカトマンズで置かれている彼らの状況は厳しい。

 私は教育万能主義者ではないが、最低 読み書きそろばん程度は 必要だ。
 しかし、インドからやってきている彼らには公教育の機会もなく、
 又、親たちにも私立学校へやるだけのお金の余裕もない。
 経済発展著しいインドではあるが、インド政府の手はここまでは及ばない。
 これからの子供たちの未来に何が用意されているのかは わからないが、
 ひたすら 自分たちの力で 未来を切り拓いていくより道はない。
 彼らにとって、国というものがどれだけの意味を持っているのだろう。
 強さだけが彼らを支えていくのである。



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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 14:08:17 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 雨の日には・・・‐01
カトマンズ 雨の日には・・・‐01 1

カトマンズ 雨の日には・・・‐01 2

カトマンズ 雨の日には・・・‐01 3

カトマンズ 雨の日には・・・‐01 4

カトマンズ 雨の日には・・・‐01 5

 コンピューターの寿命が尽き、古いCeleron1100Mb搭載のコンピューターを
 どうにか再調整して、どうにか使える状態にまでしたが、CPUのスピードがあまりに
 遅い。
 ペンティアム4のスピードで計算すれば、800Mbの力しかない。
 壊れたコンピューターに搭載していたCPUは AMD社のアトロン1800だったから、
 調整して 今使っているコンピューターの2倍の速さで メモリーも800Mb程度
 入れていたから、画像を扱うには 問題はなかった。
 しかし、今使っているもののメモリーは240Mb 増やそうにも このコンピューター 
 に合うメモリーは カトマンズでは売っていない。

 あまりの遅さに閉口しながら、イライラが募ってくると 外に出かけ、
 気分転換することになる。

 この2.3日 カトマンズはよく雨が降り、本格的な雨期の到来を感じさせる。
 雨の降り方も スコールのような激しい降り方ではなく、しとしとと降り続くという
 日本の梅雨のような降り方である。
 雨は 朝と夕方に降り、日中晴れ間が覘くというこの2,3日である。

 昨夜あたりから、2時間の計画停電が1時間で終わったりするし、今日の午前中の
 10時から12時からの計画停電はなかった。
 つい先日から クレカニのダムの清掃のために電気の供給が不安定になることを
 電気公社は発表していたが、雨期の到来の遅れから、ダムの水量が減り、それを
 適当に誤魔化すために 清掃などという理由をつけたに違いない。
 ここ2,3日雨が降り続くと、途端に停電時間が減っている。

 午前中 停電になると思い、10時前にコンピューターの電源を切り、
 外に出かけることにした。
 外は小雨が降り続いているから、もちろん傘を差してである。

 家の外に出ると、朝からの雨で 路地はすっかり、ぬかるんでいる。
 水溜りに気をつけながら、通りに出ようとすると、自転車で野菜を売る
 行商のインド人が 雨具に身を包み、塀に両脇を挟まれた細い路地を抜けて、
 通りに向かっている。

 この路地、奥に住む住民泣かせの路地である。
 人と人とのすれ違い、自転車と人、オートバイと人のすれ違いの際は、
 身体を横にしないと 行きかうことは出来ない。
 重い荷物を抱えて、大家の玄関までたどり着くには いつも難儀している。
 火事になっても 消防車は入ってくることは出来ない。
 両方の土地の持ち主など、こんな状況の中でも 知らん顔である。

 昔は畑だったところに 何の整備もしないまま、家がどんどん建てられていったから、
 こんなことになってしまう。

 インド人の野菜の行商人の後を追うように通りに出ると、下水管工事をやりっ放しの
 状態で放置している通りの泥濘はひどいことになっている。
 昔から、この通りの泥濘のひどさは有名である。
 至るところに水溜り、泥濘があって、雨の降った後は よほどのことがない限り
 この通りは 歩きたくない。

 この通りから脇道に入って、バグマティ川沿いの舗装された道に出ようとすると、
 小さな商店に注文の雑貨を届ける自転車が 店の前に置かれている。
 この自転車も 雨に対する防備は完全である。

 脇道を歩いていると 向こうから2本の傘を差した家族連れがやってくる。
 ほほえましい光景だ。

 舗装されたバグマティ川沿いの大通りに出ると 廃品集めのインド人の女たちが
 一人の女の頭の上には廃品を もう一人の女の頭の上には 焚き付け用の廃材を
 まるで傘代わりのようにして運びながら、通り過ぎていった。



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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 04:42:53 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ コンピューターの寿命が とうとう尽きた!
 1昨日の朝、私の使っていたコンピューターも寿命が尽きてしまった。
 寸前まで快適に動いていたのに 突然 モニターの画面が黒くなったと思ったら、
 シャットダウン 全く起動しなくなった。
 どうしようもないので きっとハードディスクがクラッシュしたのだろうと思い、
 カトマンズ中心部にあるニューロードへ行、新しいハードディスクを手に
 入れることにする。
 このニューロードに コンピューター関連の部品の店が集まっている。
 私の使っていたコンピューターは 10年近く前から使っていたもので、
 最初は バンコクで使っていたものを カトマンズに持ってきたのである。
 CPUはAMD製のもので 当時も今もAMD製のCPUは カトマンズでは
 販売されていない。
 基本的な扱いは インテルのものと変わりはないので、カトマンズでどうにか 
 7,8年使ってきた。

 ハードディスクを探したが 今のマザーボードに合わせたハードディスクは
 大半がシリアル接続で 以前のIDE接続のものは 市場では数少なくなっているし、
 容量も 80GB,160GBの2種類ぐらいしかなく、それも客が来れば、業者に
 電話して持ってきてもらうといった具合で 待ち時間がかかって仕様がない。
 有ると言われて 30分ぐらい待っていると やはりなかったと言われ、
 何軒かの店を店を回ることになり、ハードディスク一つを手に入れるのに 
 1時間半近くかかってしまった。

 ネパールでは まだまだコンピューター人口はそれほどでもなく、中国製の
 コンピューター部品(マザーボード、ハードディスク、メモリーCPUなど)を 
 1度に大量に仕入れる。
 それを売り切ってしまうと 次の新しい商品を仕入れ、以前の商品に対する
 アフターケアがない。
 コンピューターの技術的な面で大きな変化があると、以前のコンピューターの
 部品を探すのが至難の業になる。
 部品といえば、新しくきた製品のもの一色になるのである。

 どうにか160GBのハードディスクを手に入れ、Window XPをインストールしようと
 するが インストールできない。
 マザーボード自体が壊れていたようだ。
 全くアウトである。
 諦めて 予備用の性能の低いコンピューターを使おうとしたが、これも5,6年
 使わずに置きっ放しにしていたせいか、これもハードディスクがいかれている。
 どうにかこうにか 頑張って使える状態にまで持ってきたのはいいが、
 インターネットに接続するためのLanカード(ネットワーク接続のためのカード)
 の接触が悪くなっており、ケーブルインターネットに接続できない。

 こうなったら、再び 翌朝の土曜日に Lanカードを新たに手に入れるより、
 方法はない。

 昨日、休日の土曜日だったので、ニューロードは大半の店が休み、そこいら中を
 探し回ってやっと、開いている店を見つけ、Lanカードを手に入れた。
 インターネットを使える状態にはなったが、古くて、力がCPU、それにメモリーの
 容量がなく、使っている種類のメモリーは もうカトマンズでは手に入らない。

 動作があまりに遅く、いらいらしながら コンピューターを使っている。
 今回はこれで我慢するより、仕方がない。
 1昨日の夜は夜中の3時までコンピューターと格闘、2日がかりの奮闘だった。
 しかし、ブログ用の写真の処理に やたら時間がかかり、フラストレーションが
 貯まりそうだ。

 それにしても疲れ果てた2日間だった。


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ネパールの事情 | 15:17:35 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ インドからやって来た子供たち‐02 その住処
カトマンズ インドからやって来た子供たち‐02 その住処 1

カトマンズ インドからやって来た子供たち‐02 その住処 2

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カトマンズ インドからやって来た子供たち‐02 その住処 6

カトマンズ インドからやって来た子供たち‐02 その住処 7

 バグマティ川のパタン側の川沿いに 下流に向かって歩いていくと 黒い鉄製の
 吊橋が見えてくる。
 そして、その吊橋の周りが インドからやって来て廃品を集める家族たちの住処であり、
 その子供たちの生活場所である。

 このあたりは ゴミの捨て場所であり、そのゴミの中から ビニール袋、ペットボトル、
 古着を集めては それを売って生活する人々が住んでいる。
 それを買い取る廃品回収業者もたくさんいる。
 ゴミの山、廃品の山に囲まれ、その間に 廃品集めのインド人家族の粗末なバラックがあり、
 子供たちの生活場所、遊び場所もある。
 生活が安定してくると この場所から離れ、近くに部屋を借りて生活する人もいるが 
 それは僅かである。
 家賃を払いながら生活するというのは やはり大きな負担になる。

 数ヶ月前には 少ないながらもネパール人たちの姿もあったが、この頃ではあまり
 見かけなくなった。
 ネパール人なら 他の仕事を見つける機会も出てくるのだろう。
 廃品集めというのは カトマンズの中でも 生活方法を失った人々の最後に
 行き着く仕事である。

 乾期には埃が舞い、雨期になれば 泥濘の中での生活、彼らの健康のことが気になるが、
 我々の考えているよりもはるかに強靭な耐性が身についているのだろう。
 何もインドからわざわざカトマンズにやって来て、こんな過酷な生活をすることも
 ないだろうと思うが、インドの最貧州のビハールでの生活は もっと過酷なものだった
 のかもしれない。

 インドのビハール州は 地主と小作人との争いが激しく、小作人が反発すると、
 地主たちは ギャングを雇い、見せしめに小作人たちの住む1つの小さな村に
 焼き討ちをかけ、村人を虐殺するということもある。
 まるで、昔 流行ったマカロニウェスタンの世界である。
 そんな地主から逃げ出してきたインド人たちもいるには違いない。

 仏陀がビハールを中心として 仏教を広めようとしたのも 大昔からビハールは
 人口増加に悩み、人々の悲惨さにあふれていたせいなのかもしれない。

 カトマンズに ビハールからやって来た人々に対して、
 カトマンズ市民は冷たい視線を向ける。
 治安も悪く、ネパール以上に貧しいところからやって来た下層階級のインド人という
 気持ちがあるからである。
 しかし、ビハールのインド人の生活力は したたかである。
 少しでも今の過酷な生活から這い上がろうと ネパール人以上によく働く。
 肉体労働に対する耐久力がネパール人以上だし、気力も違う。
 何年か経つと、いつの間にか 彼らを見て笑っていたネパール人の生活を超えてしまう。
 中国人とインド人、世界のどこに行っても いないということはない。
 暑さに慣れているインド人たちは 中国人の嫌う過酷な暑さの中でも力を発揮する。
 アフリカがインド人のテリトリーなのはそのためだ。

 そんなインド人の血が このゴミの山、廃品の山に囲まれて生活するインド人たちの
 中にも流れているのだ。
 へたをすると こうしたインド人たちにネパールを乗っ取られてしまう可能性だって
 ある。
 どうもインド政府は それを狙っているようにも思われる。

 この頃、やたらにカトマンズの街には インド人たちの姿が目立つようになった。
 貧富の差がどんどん広がっているインド、そこから最貧の人たちが ネパールに
 逃げ出してくると、ネパール人たちの生活にも大きな影響を与えるだろう。
 人口が増え、食料が不足してくれば、物価の値上がりという悪循環を生み出す。
 ちょっと気になるネパールの現状である。



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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 02:16:12 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 空を眺めて
カトマンズ 空を眺めて 1

カトマンズ 空を眺めて 2

カトマンズ 空を眺めて 3

カトマンズ 空を眺めて 4

カトマンズ 空を眺めて 5

カトマンズ 空を眺めて 6

カトマンズ 空を眺めて 7

 カトマンズにやって来てから 早20日近い日が流れてしまった。
 カトマンズに到着した頃は 雨期前の真夏の酷暑の最中で 暑さは日に日に
 増すばかりだった。
 雨期入りしたと思ったら、雨が降ったのは この4.5日間で 1時間の土砂降りが
 1度あったきりで その後は 雨なしの毎日である。
 地下水からモーターを使って汲み上げるわずかばかりの水で どうにか最悪の水不足の
 生活をしのいでいるが、いつまでこんな生活が続くのやら。

 私の住んでいるあたりは 特に水事情が悪いらしく、政府の水道の水の供給は 
 20日以上途絶えたままである。
 しかし、私の家から1キロばかり先の地区では 2日に1度は 何時間か、水道の水が
 供給されているという。
 そのあたりの人間にとっての悩みは 庭の木々にやる水が 充分ではなくなっていると
 いう贅沢な悩みである。
 全く不公平で不公正なネパール社会である。

 私の住んでいる地域では 間借り生活の人たちが多く、水浴び、洗濯のための水はおろか、
 飲み水すら事欠く有様で バグマティ川近くの地下水を求めて、1キロばかり歩き、
 水を運んでくるというのが日課になっている。
 朝夕の食事の仕度前などは バグマティ川岸辺の水場には 長い列が出来、自分の番が
 来るまで待つのも フラストレーションの1つになる。

 私は一人暮らしだから、1日3杯のバケツの水があれば、どうにか生活していけるが、
 水浴びは毎日というわけにはいかない。
 3,4人の家族で一部屋を間借りして生活している貧しい人たちにとっては、
 水を確保するのは 至難の技である。
 洗濯や水浴びであれば バグマティ川の岸辺近くにある井戸や水場で行えばいいが、
 食事のための水や飲み水は 部屋まで運んでくる必要がある。

 力もお金もない貧しい人たちには 何かにつけてしわ寄せが来る。
 政府官僚や政治家たちには 特別の水道のパイプラインが用意され、
 水に苦しむ生活からは無縁である。
 政府の高級官僚や政治家たちは 民衆、庶民たちとともに苦しみを分かち合うと
 いう姿勢はない。
 これはどうも世界共通の現象で 山を越えた海の向こうの小さな島国でも同じこと
 らしい。
 先進国でも発展途上国でも 多かれ少なかれ 政府や政治家たちの姿は同じである。

 水との戦いに明け暮れていると どうしても眼が空の方を向いてしまう。
 空の様子から 雨の気配を感じとろうと思うからである。
 私の住んでいるパタンでは キルティプールという小さな町のある西方面の空に
 雨雲が発生すれば 雨になると言われている。
 東のほうに雨雲が発生しても バクタプールあたりに雨をもたらすだけで、
 パタンの町には 雨は降らない。
 西の空を眺め、東の空を眺め、朝の空を眺め、夕方の空を眺め、雨の気配に期待を
 寄せる。
 キルティプール方面の西の空を眺めることが 習慣のようになってしまったが、
 東の空に雨雲を見つけることはあっても 西の空に雨雲を見ることはない。
 東の空の方向には インドのカルカッタがある。
 モンスーンは カルカッタあたりまではやってきているらしいが この山に囲まれた
 カトマンズ盆地まで本格的にやってくるには まだ時間がかかりそうだ。

 カトマンズと同じように インドでも 北インドでは 村人たちは旱魃に
 苦しめられているという。
 インドでも インド政府は 富裕層の住む都市部ばかりにお金をかけ、
 地方の村々のための水対策には 力を入れていない。
 民衆や農民たちは ひたすら自然のもたらしてくれる雨の恵みを待つより
 仕方ないのである。

 今日もカトマンズの空を眺めてみたが 今日は朝から晴天、
 雨は期待出来そうにない。



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ネパールの事情 | 19:06:17 | Trackback(0) | Comments(2)
ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐31
ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐31 1
    ブータン   ブータンの帯 ケラ      1980年代後半

ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐31 2

 このブータンの帯 ケラの紹介で ケラについては 話はおしまいである。
 1980年以降 ブータンではケラの形状が大きく変わる。
 それまでは 25センチから40センチの幅で 両面縫い取り織りの技法を
 使って織られていたブータンの幅広の帯が 幅10センチばかりのカード織りの
 帯 ケラへと変わっていく。
 紋様の織り込みの技法も 両面縫い取り織りの技法から片面縫い取り織りの技法に
 変わっていく。
 片面縫い取り織りの技法というのは キラ クシュタラ、ノシュムなどの紋様の
 織り込みに使われている技法で 裏面に紋様が出ないように工夫した織りの技法である。

 見た感じ外国人観光客用の土産物のように見えるが、1980年以降はこの帯が
 一般的になる。
 1990年以降ブータンを訪れた人たちは 昔の幅広の帯のことなど、知らないかも
 しれない。
 可愛らしく愛らしい帯であるが 辺境の山の国 ブータンとは イメージが合わない。
 これも流行で 時代の流れと思えば 仕方がないのかもしれない。



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ブータン布の今昔 | 18:41:15 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ インドからやって来た子供たち‐01
カトマンズ インドからやって来た子供たち‐01 1

カトマンズ インドからやって来た子供たち‐01 2

カトマンズ インドからやって来た子供たち‐01 3

カトマンズ インドからやって来た子供たち‐01 4

カトマンズ インドからやって来た子供たち‐01 5

カトマンズ インドからやって来た子供たち‐01 6

カトマンズ インドからやって来た子供たち‐01 7

 バグマティ川に架かるパタンとカトマンズのテクを結ぶ黒い鉄製の吊橋の袂周辺で
 よくインド系の顔をした子供たちに出会う。
 この黒い鉄製の吊橋のパタン側の一帯は カトマンズのゴミ集積場になっており、
 そのゴミの山の中から お金に換えることの出来る廃品を集め、それを売り、生活の
 糧にしているインドからやって来たたくさんの家族が 住んでいる。
 子供たちはその家族の子供たちである。
 
 このあたりを散策していると 小さな公園の片隅や路上で 何人かのグループで
 遊びに興じている女の子たちに出会うこともある。
 その遊んでいる様子を写真に収めようとすると 彼女たちは写真に撮られることを
 嫌がり、すぐさま顔を隠してしまう。
 ネパール人の女の子たちは 写真に撮られることを喜ぶのに このインド人の
 女の子たちは違う。
 どこか他人に気を許さないところがある。

 インドでは 地方によっては 女たちが 見知らぬ男には決して顔を見せない
 習慣がある。
 インドのラジャスタンの村で女たちに出会うと 
 すぐに女たちは必ずベールで顔を隠した。
 ヒンズー教の女たちである。
 インドの片田舎のマルワリ商人の家に 食事に招待されても 
 女たちは客の前には顔を出さず、食事の世話は男たちの仕事である。

 そんな習慣を親から教えられているのだろうか、それともインドからカトマンズへと
 生活場所を求めて移動してくる中での過酷な体験が 見知らぬ他人に対する警戒心を
 強めているのだろうか。
 しかし、男の子たちは別である。
 彼らは写真を撮られることを嫌がらない。
 カメラを向けると必ず、お金を要求してくる。
 ポケットの中に飴玉があれば、上げることもあるが お金は決して与えない。
 飴玉は友好の印であるが、お金は労働の証であるから。

 黒い鉄製の吊橋を渡ると 橋の下でインド人の子供たちのグループが 
 夏の暑い陽射しを避けて、座り込んでいる。
 10歳ぐらいから14,5歳までの男女の集団だ。
 このあたりに住んでいる子供たちではなく、カトマンズで集めた廃品を担いで
 やって来て、廃品回収業者に 集めた廃品を売った帰りらしい。
 皆 インドのビハール州辺りからやってきているという。
 どうも 仲間と徒党を組んで カトマンズまで逃げ出して来て、仲間同士で一緒に
 生活しているらしい。
 まるで日本の戦後の浮浪児たちのようだ。
 野性味あふれる子供たちである。

 このあたりを歩いていると インド人の子供たちが多く、カトマンズであることを
 忘れてしまいそうだ。
 水を汲んで家に帰る子供たちは 頭の上に水の容器を載せて運ぶインド式である。

 向こうからは その先のスラムあたりに住み着いている子供たちが徒党を組んで
 やってくる。
 自分たちの身を護るためか インド人の子供たちは いつも徒党を組んで行動している。
 祖国を離れて住むには そのくらいの注意深さが必要なのかもしれない。

 ネパールのインド国境あたりの村では インドから人さらいがやってきて、
 村の子供たちをさらっていくので 親たちは警戒しているという。
 人さらいと間違われたインド人が 袋叩きにあったり、殺されたりすることも
 あるという。
 近頃、カトマンズでも物騒な出来事が多い。
 つい最近も裕福な女子大生が誘拐され、ばらばら死体の状態で発見された。

 異国に生きるインドの子供たち、警戒するくらいでちょうどいいのかもしれない。
 別の日に再び橋の下に行ってみたら、二人のインド人の女の子が 
 のんびり座り込んでいた。
 変な人が声をかけても気を許すんじゃないよ。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 14:41:14 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐30
ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐30 1
   ブータン   ブータンの帯 ケラ     1980年代後半

ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐30 2

ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐30 3

 ついでにこのブータンの帯 ケラも紹介する。
 1980年代後半に織られた外国人観光客用に織られたケラである。
 この時代には こうした幅広のケラは 身につけることはなくなっている。

 昔風の雰囲気を出そうと 青と赤を使って 紋様を織り込んでいるが、
 使われている素材が アクリル毛糸、紋様はしっかりと織り上げられているが
 素材が 化学繊維では 魅力も半減である。
 身につけているうちに 色の変化が起き、風合いが増すということもない。
 織り上げたキラ クシュタラやノシェムとの相性を考えて織られたわけでもない。
 ただ お土産として売るという目的のためだけだ。

 このケラは カトマンズのマルワリ商人の店で、何か小物でも作ろうかと思って
 買ったものである。
 1990年代に入ると、カトマンズでも 古いブータンの布を見かけることは
 少なくなった。


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ブータン布の今昔 | 14:32:43 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 大樹の下は 憩いの場所
カトマンズ 大樹の下は 憩いの場所 1

カトマンズ 大樹の下は 憩いの場所 2

カトマンズ 大樹の下は 憩いの場所 3

カトマンズ 大樹の下は 憩いの場所 4

カトマンズ 大樹の下は 憩いの場所 5

 雨期入りに入ったせいか ここ2,3日 曇り空が続いているが、この三日間で
 1時間ばかりの土砂降りがあっただけで、待望の雨はなかなか降ってこず、
 鬱陶しい空模様だ。
 陽が顔を出さないだけ、気温は下がったが、蒸し蒸しした不快感がある。

 あれほど 雨期前の暑さを嫌っていたのに 懐かしい気持ちになるから、
 人間いい加減なものである。

 ネパールでは 大きな樹の下は ネパールの人々の憩いの場所になる。
 その樹の下には レンガや石を組み合わせて造った丸い休憩所のようなものが
 必ずあり、ネパールの人々は それをチョータリーと呼んでいる。
 道行く人が 暑さに耐えられなくなると その樹の下にあるチョータリーに座り込み、
 身体を休める。
 部屋の中に篭った夏の午後の暑さを避けて、のんびりと親子が時を過ごすのも
 大樹の与えてくれる木陰に包まれたチョータリーに座り込んでである。

 バグマティ川の岸辺近くにあるスラムの入り口にも 大きく緑の枝を広げた
 大樹の下には チョータリーがあり、その下では 吹き渡る涼しい風を求めて、
 小さな子供たちとともに 女たちが座り込んでいる。
 母親らしい二人の周りには たくさんの幼い子供たちが群がっている。
 二人の子供たちである。
 子宝に恵まれてといった表現は 今の日本では死後に近い言葉になってしまったけれど
 この二人の母親にとっては 子供たちに向けた愛情深い表情から、子宝という言葉が
 似合っている。

 決して豊かだとはいえない家族であるが、何か天真爛漫な空気があたりを支配している。
 子供たちとともにいることが 嬉しくてたまらないといった様子なのである。
 こんな母親の姿は 昔の日本にもあった。
 二人の母親の顔を見ると インド系の顔である。
 きっと南ネパールのタライ地方のネパール・インド国境あたりから 仕事を求めて
 カトマンズにやって来て、スラムに住みついたのだろう。
 人間なら当たり前に持っている子に対する愛情、それはどこか動物的本能に近いもの
 だが、それが失われることなく 十二分に発揮されているのがよくわかる。

 きっとバラックのような家の中には 冷蔵庫もテレビも扇風機もないだろう。
 家には電気すら来ていないに違いない。
 食事の仕度といえば 自分たちで土を捏ねて造ったかまど、火は枯れ木を集めて
 起こすに決まっている。
 生活といえば、生きていくための最低限のものに違いない。
 しかし、明るさと幸福感に包まれているのは、どういうことなのだろう。
 幸福の条件とは何かと 考えさせられてしまうではないか。

 橋の上から 下を眺めると 樹の下では ゴザや布を敷き、家族総出で 
 のんびりと夏の暑い午後をやり過ごしている。
 貧しいながらも 心にゆとりがあるのである。
 1日の中に 家族とともに のんびりと伸び伸びと寛ぐことが出来る時間が
 持てるとはなんと贅沢なことか。

 次々と出てくる新製品を買わされ、家のローンに終われ、幸福とは何だったのかを
 しっかり忘れてしまった日本の家族とは 違う時間の流れがある。

 新しいテレビ、新しい冷蔵庫、新しい車に眼を奪われ、買い求めていくうちに
 本当に必要だったものは 何だったのか 忘れられていくのだ。
 お金に追われ、時間に追われ、家族とは何かすら わからなくなってしまっている
 日本、日本は 本当に大丈夫ですか。
 価値のないものに価値を求め、価値のあるものを捨てていく、これではいつまで
 経っても 幸福の青い鳥は見つかりませんよ、日本のお母さんたち。



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カトマンズ 街の風景 | 17:48:14 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐29
ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐29 1
    ブータン   ブータンの帯 ケラ     1980年代後半

ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐29 2

 百年近くに渡るケラの歴史もそろそろ終わりを迎える。
 百点近くあるケラの中から 特徴的なものを紹介してきた。

 このケラも1980年代後半に織られたもので 明らかに外国人観光客のための
 土産物として織られたものである。
 地の白い部分も経緯糸はインドからの工場生産の木綿糸、紋様の織り込みには
 やはりインドからのカラフルなアクリル毛糸が使われている。
 色合いの感じから見れば、一見南米あたりの織物のようにも見える。
 そのくらいに派手な色彩感覚である。

 この時代のものになると 私のケラに対する興味も薄れる。
 ただ派手なだけで 風合いなど少しも感じられない。
 何かバッグでも作ろうかと手に入れたが、
 20年間 押入れにしまいこんだままだった。


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ブータン布の今昔 | 17:27:06 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ いよいよ雨期入りか
カトマンズ いよいよ雨期入りか 1

カトマンズ いよいよ雨期入りか 2

カトマンズ いよいよ雨期入りか 3

カトマンズ いよいよ雨期入りか 4

カトマンズ いよいよ雨期入りか 5

カトマンズ いよいよ雨期入りか 6

カトマンズ いよいよ雨期入りか 7

 昨日は 午後から 空を雲が覆い始め、雨期入りの期待を抱かせた。
 バグタプール方面の東の空は黒い雲に覆われ、ネパール人の話によれば、
 激しい雨が降っていると言う。

 しかし、このパタンでは まだ雨の気配はない。
 夜になれば、雨が降ると 皆 期待していたが 夜中の1時を過ぎても
 雨は降ってこない。

 期待の雨が降ってきたのは 明け方の4時過ぎからだった。
 土砂降りといった雨が激しい音を立てて降ったが 1時間もしないうちに
 雨は上がってしまった。
 私が起き出した朝の6時には もう雨の気配はなく 曇り空が残っているだけだった。
 6時半頃に 雨の名残を求めて、近所を歩き回ってみた。
 余程の土砂降りだったらしく、舗装の悪い道路には 大きな水溜りが出来ている。
 この水溜り、カトマンズの風物誌の1つである。
 水溜りを避け、車やオートバイを避けながら歩くのも なかなか大変なのである。

 表通りを避けて、バグマティ川の岸辺に行ってみた。
 それほどの水嵩は増していないが、いつものどす黒い汚水のような水が 
 灰色がかっている。
 雨が 降り続くようになれば、この川の色も茶色に変わり、鼻を突く臭いも
 緩和されてくる。

 田植えの終わった田んぼでは 雨水がしっかり溜まり、
 その向こうでは 農婦が朝の野良仕事に精を出している。
 少し、向こうの畑に行けば、タマン族の若者が ネワール族 タンドゥカールの
 畑を耕し、畑を田んぼに変える準備をしている。
 日雇い仕事である。田舎から出てきて 現金収入を得るためである。

 昔からカトマンズ盆地の中のネワール族は 田植えの季節になると 
 カトマンズ周辺に住むタマン族の人たちを雇って 田植えの準備をさせる。
 25年前は 1日25ルピーと食事付というのが 手間賃だったが、
 今では200ルピーから250ルピーが相場である。
 しかし、食事は自前に変わっている。

 カトマンズ盆地は地味豊かで ここに古くから住み着いているネワール族は
 豊かな民族だったのであり、そのために素晴らしい文化が花開いたのである。
 カトマンズ周辺の山岳地方に住むほかの民族からすれば、憧れの場所であり、
 日頃、トウモロコシやコードー(ヒコクビエ)を食べて生活しているものにとっては
 カトマンズで米を食べながら、仕事をするというのは 贅沢な楽しみでもあったので
 ある。
 それは もう遠い昔のことである。

 帰りがけに空を見上げてみると 雲の合間に太陽が顔を出そうとしている。
 雨期の始まりを感じさせる明け方の雨だったが、どうもその後が続かないようだ。


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徒然なるままに | 11:30:07 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐28
ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐28 1
   ブータン  ブータンの帯 ケラ      1980年代後半

ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐28 1

 1980年代後半に織られたブータンの帯 ケラ、もうこの時代に入ると
 織物のケラとしての魅力はない。
 このケラで 紋様の織り込みに使われている糸は インドからのアクリル毛糸である。
 ブータンの女性用民族衣装 キラのための帯として織られたというより
 外国人観光客用の土産物として織られている。
 もうこの時代には 幅広の帯 ケラはブータンでは使われなくなっているのである。

 両面縫い取り織りの技法を使った紋様の織り込みも 同じ形の紋様の繰り返しが多く、
 明らかに手抜きである。
 手早く、簡単に織り上げるという安易な姿勢が見えている。
 別に紹介したいようなケラではないが 資料として紹介した。


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ブータン布の今昔 | 11:14:26 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ バグマティ橋の上の盲目の物乞い
カトマンズ バグマティ橋の上の盲目の物乞い 1

カトマンズ バグマティ橋の上の盲目の物乞い 2

カトマンズ バグマティ橋の上の盲目の物乞い 3

カトマンズ バグマティ橋の上の盲目の物乞い 4

 バグマティ川の上に架かるカトマンズとパタンを結ぶバグマティ橋の歩道の
 中間あたりで一人の盲目の女性の物乞いをよく見かける。
 以前は 自転車でこの橋を行き来することは多かったので、あまり関心を持つことは
 なかった。
 この橋の上で物乞いを始めてもう4,5年、いや、それ以上になるかもしれない。
 この2年ばかり、この橋を歩いて渡る機会が多くなり、どうしても幼子を抱えて、
 物乞いをするこの女性の方に目がいってしまう。

 2年ばかり前、この橋のすぐ下のバグマティ川上流にある河川敷にスラムが
 出来始めた頃に、どんな様子なのか 河川敷に降り立ったことがあった。
 当時はまだ、ビニール張りのバラックも少なく、ここに住み着こうとする人たちは
 地面を均し、バラックを建てている最中だった。
 その人たちの中にこの盲目の物乞いの女性がいたのである。
 その人たちの中にあって、静かで控えめな態度には好感が持てた。
 抱えていた赤子はまだ生まれて間もないようで、盲目の母親の下では
 痛々しい気にもなったものだ。

 あれから2年が経った。
 小さな生まれたばかりだった赤子もいつの間にか元気に育ち、自分で立って
 歩き回るまでになっている。
 時折、このスラムの中に入っていくと、スラムの入り口近くにある彼女の家の前で
 彼女の夫らしい人間に会うことがある。
 彼女の夫も目が不自由で いつも不機嫌な様子で 何かにつけて 彼女を怒鳴り
 つけている姿を見かける。
 彼女はいつものことといった様子で 柳に風といった具合に 声を荒げることもなく、
 上手に夫をあしらっている。
 勝って知りたる我が家といった具合に 眼が見えなくても 水を運んだり、
 家の雑用を器用にこなしている。
 その動きを見ていると 意外と彼女の聡明な一面が見えてくる。

 インドからカトマンズにやって来て 物乞いを始めたのだろうが、荒れた様子もなく、
 子供に対する慈愛に満ちた表情も覗われる。
 橋の上に座って物乞いをしていても ひざの上に子供を抱え、声を出すこともなく
 静かに座っているだけだ。

 夫や子供にとっては、彼女の物乞いの収入だけが頼りであるに違いない。
 午前中は 洗濯、雑用、食事の支度を済ませ、午後になると 日課のように
 橋の上に座り込み、物乞いを始める。

 彼女にとっては わがままな怠け者の夫であっても この夫と夫との間に出来た
 子供との三人暮らしは 何ものにも増して大切なものであることがわかる。

 インドで盲目というハンディを持って生まれ、カトマンズで物乞いをしながら、
 家族を支えていくという生活、過酷な運命の中で掴んだ三人での暮らしは 
 彼女にとっては最大の贈り物だったのかもしれない。

 日本では 盲目のピアニストが 国際ピアノコンクールで優勝したことが
 話題になっている。
 この物乞いの女性も もっと違った星の下に生まれれば、もっと違った人生が
 用意されていたのかもしれない。
 しかし、今 彼女が掴んだ三人での暮らしは 幸福の大きさという意味では 
 優勝したピアニストより大きなものかもしれない。

 彼女の子供が成長し、この女性の聡明さを受け継ぎ、両親を支える人間に
 育ってほしいと願うだけである。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 20:01:41 | Trackback(0) | Comments(2)
ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐27
ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐27 1
   ブータン   ブータンの帯 ケラ       1980年前後

ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐27 2

ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐27 3

 1980年前後に織られたブータンの帯 ケラである。
 紋様に使われている糸が インドからの工場生産の毛糸が使われていることから
 ブータン庶民が使ったケラのようだ。
 えんじ色でおられた紋様は ブータンの野蚕のシルク糸が使われている。
 ケラを織る時間があっても 上質の材料は手に入らない。
 野蚕のシルク糸なら自前だし、インドからの毛糸は安いということで 織り上げた
 ケラだろう。
 民衆の知恵である。
 我が娘のために 母親が織り上げたケラなの子もしれない。
 鮮やかな色のインドの毛糸で織られた紋様は 若い娘の締める帯であるなら、
 派手で目立つものだろう。
 本当なら この目立つ部分は インドからの高級品 生糸で織り込みたい
 ところだろうが お金がなければ、簡単には手に入らない。
 庶民が 生糸を使うことが禁止されていたのかもしれない。
 日本だって、江戸時代には 庶民の身につけるものといえば、木綿に決められて
 いたのだから。

 庶民が キラのノシェムやクシュタラを身につけることが許されるようになった
 時代に現れた庶民の生活の知恵が この時代のキラやケラには現れている。



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ブータン布の今昔 | 19:41:33 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ スラムの後ろの公園で咲く夏の花
カトマンズ スラムの後ろの公園で咲く夏の花 1

カトマンズ スラムの後ろの公園で咲く夏の花 2

カトマンズ スラムの後ろの公園で咲く夏の花 3

カトマンズ スラムの後ろの公園で咲く夏の花 4

カトマンズ スラムの後ろの公園で咲く夏の花 5

カトマンズ スラムの後ろの公園で咲く夏の花 6

カトマンズ スラムの後ろの公園で咲く夏の花 7

カトマンズ スラムの後ろの公園で咲く夏の花 8

 今日は夕方の4時から6時までの計画停電があった。
 その時間帯、部屋の中にいても蒸し暑いばかりなので、カトマンズに出かける用意を
 して、外に出ると 何やら、空模様が怪しげである。
 雨期入りを示す黒雲が バクタプール方向の方に湧き上がっている。

 乗り合いバスの通る大通りまで出て、雨に降られるのも嫌なので、カトマンズ行きを
 中止にして、まずは バグマティ橋の上流側の歩道の上から 湧き起こる雲を眺めて
 みることにした。
 橋のすぐ近くの上流には 2年ばかり前に広がり始めたスラムがある。
 そして、スラムのすぐ後ろには UNの援助で作られた公園があり、その公園の一角に
 赤い花が咲き誇っている。
 たまたま近所に住むネパール人が通りかかったので 花の名前を訊くと
 「アサーレ・コ・フル、雨の降るネパールの月、アサールに咲く花だから、アサールの
 花と呼んでいる。」と教えてくれるが、怪しげな説明で どこまで信用してよいものやら。

 橋の向こう側のカトマンズ方面に渡り、橋の脇の階段を下りて、公園のそばまで行って
 みるが、有刺鉄線が張られていて、中に入れなくなっているが、ここはネパール、
 この公園の中に入るネパール人は 有刺鉄線を持ち上げて、中に入り込んでいる。
 私も彼らと同じようにして、公園の中に入り込む。

 中に入り込むと 2,30メートル先に アサーレ・コ・フル(アサールの花)が
 艶やかな赤い花を 見事なまでに咲き誇らせている。
 夏の花のイメージぴったりの花である。
 日本では 夏に咲くこんな艶やかな赤い花があっただろうか。
 あと何年かすれば スラムに沿ったこの細長い公園は この常夏の雰囲気を持つ
 赤い花 アサーレ・コ・フルの名所になるかもしれない。
 そうなった時に すぐそばのスラムはどうなっていくのか 心配になった。
 その対比があまりに激しく、立ち退きの心配はないのだろうか。

 新しく出来た今の政府は 貧乏人の味方ではなく、富裕層に優遇をはかる
 汚職政治家の政府である。
 今まで貧乏人のために何一つ、政策を施してこなかった政党の政府である。
 こんな政府は長続きするはずもないが、何を始めるかわかったものではない。

 赤い花の咲くアサーレ・コ・フルの木々から離れて、少し進むと 以前知り合った
 ライ族の女性のバラックの裏に行きあった。
 彼女は 家の裏の空き地を耕し、何やら植えている。
 訊くと 花と野菜の苗を植えていると答える。
 そのすぐ脇には 彼女の親戚の少年が 夕食の支度に使う炊きつけを集めている。
 そして、そのそばには 従順ですぐに人馴れしてしまう少年の犬が座り込んでいた。

 ライ族の女性に別れを告げ、石で組まれた歩道を まるで日本の桜並木を抜けていく
 ような心持ちで 夏の花 アサーレ・コ・フルの並木の下を通り抜けていく。
 来年のこの季節も この場所に再び立つことが出来るのだろうか。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 15:02:39 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐26
ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐26 1
   ブータン  ブータンの帯 ケラ      1970年代

ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐26 2

ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐26 3

 ブータンの帯 このケラは 1970年代後半に織られたもののようである。
 この時代あたりから ケラの幅が 細いタイプも織られるようになってくる。
 それまでケラの幅といえば40センチ前後であったが、このケラの幅は
 25センチ程度の幅である。

 このケラは 地の黄色は インドからの工場生産の木綿糸が経緯糸として
 使われているが、紋様の織り込み部分には 青い紋様部分には 昔ながらの
 ブータンの藍染めの手紡ぎ木綿糸、えんじ部分には ラック染めの野蚕の手紡ぎ
 シルク糸が使われている。
 そのため、このケラは 昔風の落ち着きを持っている。
 若い女性向けのケラであれば、派手なものもいいかもしれないが、年配の女性に
 とっては 昔風の色合いの方が好まれたのかもしれない。
 このケラは 土産用に織られたものではなく、注文によって織られたものであることが
 織り込まれている紋様の多様性、紋様の織り込みの丁寧さからもわかる。
 なかなか渋いケラである。


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ブータン布の今昔 | 05:21:43 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ バグマティ川岸辺の雑木林の中で
カトマンズ バグマティ川岸辺の雑木林の中で 1

カトマンズ バグマティ川岸辺の雑木林の中で 2

カトマンズ バグマティ川岸辺の雑木林の中で 3

 夏の暑い陽射しの中を バグマティ川に架かる鉄製の吊橋を渡り、
 カトマンズ側の岸辺を歩き始める。
 シバ寺院を通り過ぎ、スクムバシ(スラム)の中を通り抜け、7,80年前に
 ラナ家によって建てられた時代がかったレンガ造りの公立学校の前のグランドを
 抜ける。
 紫外線の強いカトマンズの陽射しの強さにげんなりしながら、歩いていると
 目の前に 雑木林が広がっており、木陰に覆われた雑木林の中を 涼しい風が
 吹き抜けている。
 雑木林の裏手には ネパール国軍の宿舎がある。
 小さな雑木林ではあるが、その宿舎があるために 手付かずのまま、雑木林として
 捨て置かれたのかもしれない。

 この雑木林の中は 別世界になっており、時間の流れも緩やかになっているようだ。
 3人の兄弟らしい子供たちが 緑の草の上に座り込み、そのそばでは母親らしい女性が
 草を刈っている。
 家で飼っているヤギや牛のえさのためらしい。

 私が 子供たちにカメラを向けても 全く警戒心を起こすことなく、愛らしい笑みを
 浮かべている。
 その笑みには 大人に対する絶対的な信頼が表れている。
 静かな 静かな子供たちである。
 日本では こんな表情の子供たちを見なくなって久しい。

 カトマンズが 都会でありながら、田舎の要素を持っている珍しい場所である。
 カトマンズの中心部は 人や車でごった返していて、心の休まる場所を見つけ出すのは
 難しくなってしまったが、カトマンズの中心から2キロも離れていないこの川の
 岸辺には まだ こんな緩やかな時間の流れと子供たちの天使のような笑みがある。
 一昔前のカトマンズの子供たちの姿だ。

 人は大切なものを失ってしまうと、大切なものが何だったのかすら忘れてしまう。
 日本では 多くの大切なものを失ってしまったが、大半の人々はその大切なものの
 記憶すら失ってしまっている。

 人間の浅ましさばかりが目立つ社会になってしまった。
 0歳と1歳のわが子を 暑い車の中に7時間も放置し、 熱射病で死なせてしまう
 親とは一体なんだろう。
 わが子に もの珍しい名前をつけ、それで親の役目は終わったと思っているのだろうか。
 7時間近くも暑い車の中に置き去りにする神経は 異常としか考えられない。
 日本人は多かれ少なかれ おかしくなっている。
 自分だけは違うと思っているらしいが 同じ穴の狢である。
 人間が動物的な部分として持っているはずの子供に対する保護本能が
 壊れてしまっているだ。
 このカトマンズでは 幼い子供は 必ず、大人の目の届くところにいる。
 0歳、1歳となれば、必ず親の下にいるというのが当然の姿である。
 カトマンズの寺院の猿たちだって、幼子を抱えて世話をしている。
 動物以下に成り下がっているのである。

 夏が近づくと、こんな親ともいえない親の事件が続出する恐ろしい日本だ。
 そんなことにも眼を向けない、人事のような事件として受け止め、
 明日には忘れられていく。


 この雑木林の中の3人の子供たちの笑みなど期待できない日本だ。
 日本では 子供たちにとって 大人は鬼のようなものに成り果てている。
 忘れられた大切なもの、今の日本人は取り戻すことは出来るのだろうか。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 17:38:40 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐25
ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐25 1
  ブータン  ブータンの帯 ケラ      1980年代

ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐25 2


 ブータンの帯 ケラも1980年代に入ると その品質も落ちてくる。
 ケラの形状が 今までのような幅広の両面縫い取り織りの技法から、
 カード織りのものに変わっていき、従来の形のものは 観光客への土産物に
 なっていったからだ。

 このケラもそうした流れを受けたものである。
 黄色の地の経緯糸は インドからの工場生産の木綿糸、織り込み模様には
 インドからの工場生産のアクリル毛糸が使われ、糸も染めも工場任せのものに
 変わっている。

 紋様の織り込みも 決まったパターンが連続しており、創意工夫が感じられない。
 王族や身分の高い富裕層の特別注文がなくなり、幅広のケラは 観光客用のものに
 なり、 簡単に手早く織るというのが 当然のことになっている。

 この織物のケラを見ただけで ブータンの織物の魅力は半減してしまっている。
 織り手と注文主である着る人との関係は 失われ、お金を得るためだけの織物に
 なってしまっているのである。


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ブータン布の今昔 | 17:27:01 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 真夏に咲く花‐02
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カトマンズ 真夏に咲く花‐02 10

 ネパールの暦で 雨の月 アサールの月が1週間過ぎてしまったというのに、
 雨期入りの気配はない。
 今日も目覚め際に 窓の外を眺めると 空が灰色に曇っている。
 いよいよ、雨かと期待していると 午前10時になると 太陽が顔を出した。
 今日も暑い1日の始まりである。

 今日の計画停電は 午前中は 10時から正午まで、夜は8時から10時までの
 4時間である。
 計画停電時間は 午前10時から始まったので、いつものように散歩に出掛ける
 ことにした。

 ふらふらと歩いているうちに 急に思い立ち、バグマティ上流にあるパタンの
 旧市街のバグマティ川沿いにあるナラヤン寺院まで足を向けることに決めた。
 歩くと片道2キロ以上ある。

 バグマティ川に沿って 対岸に2年前に出来たスラムを眺めながら、歩きづらい
 砂利道を進んでいく。
 路上の片隅に目をやると 紫色の昼顔らしい花が咲いている。
 はっとするような鮮やかな紫だ。
 夏の暑い陽射しなど もろともしていない。

 砂利道から UNの援助によって造られた公園の中に入っていくと、今、カトマンズの
 どこでも咲き誇っている花が咲いているが その名前は知らない。
 薄い桃色系のものと濃い桃色系など 花の色は何種類かあるようだ。

 公園を抜けた民家の脇には 芙蓉の花なのだろうか、これも太陽を目指して
 咲き誇っている。

 陽射しはどんどん強くなり、歩くことも耐え難くなる。
 カトマンズ庶民たちの洗濯場になっている広場までやってくると
 女の子たちが 花を摘んでいる。
 近づいていくと これ又、名も知らぬ花が咲き誇っている。
 女の子たちに聞くと 首飾りを作る花だと言う。

 この広場まで2キロ以上の道のりを歩いてきた。
 再び同じ距離を帰っていくことになる。
 今度は 来た道とは反対のバグマティ川沿いの道を歩くが、日陰はなく、
 いささか頭は ぼーっとしてくる、喉は渇くで 歩くことさえ苦痛になってきた。

 やっとの思いで 家の近くまで帰ってくると、パン屋の屋根を覆うように
 ブーゲンビリヤの花が 圧倒するような赤で咲き誇っている。
 これは 大した見ものである。
 パン屋のパンの味以上に凄いぞ。
 いっぺんに疲れが吹き飛んでしまった。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 11:38:24 | Trackback(0) | Comments(4)
ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐24
ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐24 1
   ブータン   ブータンの帯 ケラ    1960年代後半 ~ 1970年代

ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐24 2

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 1960年代後半から1970年代初めごろにかけて織られたブータンの帯 
 ケラである。

 このケラの織り込みの紋様をよく見ると インドからの生糸とブータンの野蚕の
 手紡ぎシルク糸の両方が使われている。
 野蚕シルク糸で織り込まれた紋様は 藍染めラック染料のえんじのものがある。
 このケラの中心的な位置を占める紋様部分には 輝きのある生糸が使われている。
 高価な生糸を 目立つ位置に置きたかったのだろう。

 仕事ぶりは丁寧であるが、野蚕シルク糸と生糸の色合いのバランスが なんとなく
 頂けない。
 それは我々日本人の感覚で 当時のブータンでは 生糸は ブータンの人々の眼を
 奪ったのかもしれない。
 生糸を使うことで 確かに織物の豪華さは増している。
 ブータンの女性用民族衣装のキラ クシュタラやノシェムはハレの衣装であり、
 その衣装の大切なポイントは 帯にあったはずだ。
 身分制社会のブータンでは 身につける衣装の違いによって、身分の違いをはっきり
 させるには 高価な生糸を使った織物は 効果的であったに違いない。



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ブータン布の今昔 | 11:02:52 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 休日の午後の子供たち‐02
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 スクムバシ(スラム)の東の端っこの木陰の下では この近辺に住む住民たちが 
 暑さのこもる家の中から抜け出し、涼しい風を身に受けてのんびりと土曜日の
 休日の午後を過ごしている。
 といってものんびりと過ごしているのは 大人ばかりで、子供たちは学校の宿題に
 大わらわである。

 ゴザを敷いた上に座り込み、学校の教科書とノートを置き、しきりに書き込んでいる。
 小学校前の子供たちであっても 学校の宿題は山ほどある。
 親たちに話を聞くと 公立学校ではなく、近くの私立学校に通わせていると話す。
 カトマンズの私立学校は 詰め込み式で 自分で考える力をつけるというより、
 暗記をさせることが主になっている。
 子供たちは 自分で考える力、自立して生活していくための能力は 学校の外で
 身につける。
 ネパールでは 高校卒業資格試験というものがあり、これに合格しないと 
 大学には進学できないし、これが出世への道と考えられているが、実際のところ、
 それは形ばかりで、公務員や楽な事務員の仕事の大半は 縁故が必要で、そうした職業は
 現在の支配階級の大半を占めるバウン族(僧侶カースト)、チェットリー族
 (武士カースト)に独占されているのが現状である。
 僅かでもチャンスにかけているのである。
 この木陰の下に集まっている人たちは 先住民族のグルン族である。
 彼らにとって 昔からの唯一の出世の道は イギリスの傭兵 グルカ兵になること
 だった。
 その仕事も以前に比べると 先細りのようだ。
 グルカ兵の仕事を得ても イギリス軍の前線の1番危険なところに送られ、命を失う
 危険も大きい。

 このグルン族の人たちは この集落の中でも古くから住み着いているグループの
 人たちである。
 このスラムの集落には二つのグループがある。
 20年ぐらい前から住み着いている人たちと 1年ほど前から住み着き始めた人たちの
 二つのグループがある。
 新しい住民は 8ヶ月前にマオイストが政権と取ったときに マオイストの政府で
 あれば このバグマティ川河川敷に住み着いても 追い出しはしないだろうと
 期待し、木箱をばらし、それを使って バラックを建て始めた人たちで 
 バグマティ川に近い側に住んでいる。

 ネパールの場合、スラムのような集落に住んでいるからといって、本当に生活に
 困っているとはいえない。
 というのも どんな粗末な家であっても いざ建てようと思えば、ある程度の資金が
 必要である。
 その資金がなければ、大変でも 最悪の部屋を借りての間借り生活をするより方法が
 ない。
 カトマンズでは 安い部屋を借りても 最低千ルピー以上、少し広めの部屋であれば、
 2千ルピーはしてしまう。
 この部屋代を節約するには バグマティ川の河川敷に違法に住み着いてしまうのが
 手っ取り早い方法である。
 ある意味では庶民の悪知恵でもある。

 どんな形であっても 自分の家が持てたということは 間借り生活者よりも生活が
 楽になるということを忘れてはならない。
 だから、カトマンズのスラム生活者が 貧しい人たちであるとは 一概に言えない
 のである。
 だから スラムに住みながら 私立学校に通うという子供もいるのである。
 カトマンズ盆地の外の村から カトマンズに出稼ぎにやって来た人たちが 
 カトマンズで土地を買うなど不可能である。
 彼らが住んでいるスラム周辺の土地価格は 15坪で7,80万ルピー(約百万円)
 である。
 余程のことがない限り、こんなお金を手にすることは出来ない人々だ。
 だから、ちょっと知恵の働く人間なら、まず土地確保のためにバラックを建て、
 お金が用意できるようになれば、レンガ造りの家に建て替えるという方法をとる。
 スラムに住んでいるすべての人々が そうすることが可能であるとは言えないが、
 2,30パーセントの人々は 確実にそうしている。
 そんな視点でスラムを見つめることも必要なのである。
 そうしないと 彼らよりもっと苦しい生活にある人たちのことを
 忘れてしまうからである。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 22:52:14 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐23
ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐23 1
  ブータン  ブータンの帯 ケラ     1970年代後半 ~ 1980年代初め

ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐23 2

ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐23 3

 1970年代後半から1980年代初めごろにかけて織られたブータンの帯 
 ケラである。
 ブータンの女性用民族衣装 キラのための幅広のケラが織られるのも 
 この時期までである。

 このケラは 地も黄色は インドからの工場生産の木綿糸、織り込みの紋様は
 インドからの化学染料で染められた生糸が使われている。
 王族や身分の高い女性が 身につけていたものを 日頃の働きに対する褒美として
 使用人に与えられたケラだろう。
 この頃、インドからの輸入の生糸は高価なものであったに違いないし、
 誰でも買うことが出来るものではなかったはずだ。

 もしかしたら、カード織りに片面縫い取り織りを施したケラが 一般的な流行になり、
 流行遅れのケラは 使用人に与えられたのかもしれない。

 王族や身分の高い女性のために織られたケラとして 両面縫い取り織りの繊細な技法を
 駆使しているようなケラである。
 この時代以降は 観光客への土産ものとして 両面縫い取り織りの技法を使って
 ケラの類は 織られるが、もうブータン女性の身につけるものではなくなっていく。


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ブータン布の今昔 | 21:42:49 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 休日の午後の子供たち‐01
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 ネパールでは 土曜日が休日だ。
 日本や欧米なら日曜日が休日であるが、どういうわけかネパールでは
 土曜日が休日である。

 今日は 昼間の12時から2時までの計画停電である。
 現在 ネパールでは 1日4時間の計画停電であり、今日も他に夜8時から
 10時までの計画停電がある。
 つい先日、1日1時間半程度の計画停電になると言った口先の乾かないうちに
 新しい計画表を発表し、しっかり4時間、そして、途中に予定外の停電もあるから、
 実質5時間といっても間違いはない。
 予測していたように雨が降らないために 予定を変更してしまったのだろう。
 政府に 計画性のないのはいつものことである。

 昼間の2時間の計画停電中、部屋の中にいても扇風機が使えず、暑いばかりで
 何もすることも出来ないので、気分転換に外へ出掛けることにした。
 日中の午後の戸外も 気温35度を超え、暑いのには違いないが、電気が来るまでの
 時間 気がまぎれるので 近くのバグマティ川周辺を散策することにした。
 近頃は帽子もかぶらず、外を動き回ることが多いので すっかりネパール人並みに
 色が黒くなってしまった。

 対岸にあるスクムバシ(スラム)あたりまで足を運んだ。
 黒い鉄製の吊橋を渡り、川辺のシバ寺院の前を通り、スラムの中に入っていった。
 ここのスラムは どういうわけか、木箱をばらした木材で家が建てられている。
 スラムといっても かなり、見映えがいい。
 ネパールの山の村に行けば、こんな家も珍しくはないだろう。

 土曜日の休日のため、スラムの中では 子供たちの姿が目立つ。
 秋に始まるダサインというお祭りのときだけに揚げる凧を この暑い陽射しの中で
 3人の子供たちが楽しそうに揚げている。
 「ダサインのときに凧を揚げるのは 空の上に住むインドラの神様に もう雨は
 入らないと知らせるためなのに 雨がほしい今、凧を揚げていると インドラの
 神様が間違えて、雨を降らせてくれないぞ。」
 と子供たちに言うと笑っている。

 少し先に行くと 男の子が水浴びをしている。
 1週間に一度、土曜日の午後に水浴びをすることを決めているのだろう。
 近くの水場から、自分で水を運んできたのだろう。
 そのすぐ近くでは 女の子たちが 水を汲みに行く用意をしている。
 女の子たちの後をついていくと、自動車のタイヤを利用して造った小さな井戸があり、
 その周りに子供たちが群がっている。
 土曜日の休日は 子供たちが水汲み当番なのだろう。
 スラムの中で 少しでも快適に暮らそうと思えば、水は欠くことの出来ない
 大切なものである。
 飲み水、洗濯のための水、水浴びのための水、トイレの水、食器などの洗い物の水、
 どれもこれも生活のために必要な水だ。
 大人も子供も この日照りの続く季節の中で 水を求めて右往左往している。
 政治の不毛、政府の無策が生み出した災害である。
 カトマンズの外には 多くの川があっても、その水をカトマンズ盆地の中に
 引き込むことは出来ない。

 それでもたくましい庶民たちは 自力で生き抜こうとしている。
 子供たちも同じである。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 11:22:33 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐22
ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐22 1
   ブータン   ブータンの帯 ケラ      1970年代

ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐22 2

ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐22 3

 紋様の形から見ると 1970年代に織られたブータンの帯 ケラのようだ。
 このケラは 庶民が自分で使用するために織られたもののようだ。
 王族や身分の高い女性のためのケラは 紋様の織り込みに使われる糸が
 厳選されているが、このケラは手元にあった糸を利用して織ってみたという
 感じがする。

 きっと王族や身分の高い人たちのためにケラを織り上げた後に、残った糸を
 貰い受け、自分や家族のケラを織るときに利用したのだろう。
 そのために 紋様の織り込みに使われた糸は 手紡ぎの羊毛糸、木綿糸、
 野蚕の手紡ぎ糸と様々の種類の糸が使われている。

 しかし、模様を織り込む技術は 高度なものであり、決していい加減なものではない。
 1970年代のお金を持たない庶民にとっては、こうした形でしか 自分の織物を
 持つことが出来なかったのかもしれない。
 庶民の生活の知恵である。
 残り物の糸を使って この時代、キラなども 織り込みの紋様には 様々な素材の糸が
 混在している姿が見られる。
 ブータンの女性用民族衣装のキラ ノシェムやクシュタラが、庶民の間でも 
 身につけることが一般的になっていく初期の頃に生まれた現象だろう。


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ブータン布の今昔 | 10:56:31 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 新聞を読む人
カトマンズ 新聞を読む人 1

カトマンズ 新聞を読む人 2

 山のかなたの海を越えた小さな島国では 西松建設の巨額献金事件で、
 政治資金規正法違反などの罪に問われた同社前社長、国沢幹雄被告(70)らの
 初公判が 行われたようである。

 ― 論告で検察側は、ダミーの2つの政治団体を使った小沢一郎・民主党代表代行側への
   献金は「公共工事の談合で工事を受注できるよう、小沢氏事務所から『天の声』を
   得る目的だった」などと指摘。2団体名義での小沢氏側への献金は1995~2006年で
   計1億2900万円に上ったとして、「継続的で組織的な違法献金だった」と述べた。 ―

 西沢建設から献金を受けた多くの自民党議員に対しては 全く捜査・追及することなく、
 元民主党代表小沢氏だけを話題にするという検察の姿勢である。

 今の日本の新聞やテレビ報道では 知ることが出来ない良識のある意見が 
 次の記事にある。

 *** 何が何でも“小沢潰し”に突き進む検察——西松事件冒頭陳述の異様 ***
 http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2009/06/post_299.html

 *** 田中角栄元首相への謝罪と、感謝。 ***
 http://ameblo.jp/aobadai0301/entry-10283897998.html 

 正義を口にする検察の不公平、不公正は姿勢が この裁判のあり方には感じられる。
 こうした検察の言葉を 吟味することなく、そのまま報道する新聞やテレビの報道には
 真実を報道する姿から程遠いものになっている。

 タイやネパールにやってくる日本人は タイやネパールを見て、タイやネパールには
 民主主義が発展していない、日本の国民のように高い教育を受けていないから、
 政府を正しく批判することも出来ない愚民であるかのように言う。

 今の日本の現状を見ていると タイもネパールも大差ないのではと思えてくる。
 タイやネパールの国民であれば、政府に不満があれば、直接行動に出る。
 大規模なデモ、ゼネストを組んで 不正を訴えるだけのエネルギーはある。
 新聞やテレビ、ラジオで報道されること そのまま信じ込むこともない。
 事実が重要なのである。
 景気は好転していると政府が発表しても 日々の生活に反映しなければ、すぐに
 嘘であると見抜いてしまう。
 警察や検察、裁判所は政府・権力者の犬だと思っているから、彼らの行動や
 発言など根っから信用していない。
 奴隷のように苦しい生活を強いられているけれども、精神は奴隷ではないのである。

 日本はちょっとばかり豊かな生活が出来、いかにも近代的な生活をしているように
 思えるが、政府、新聞、テレビの報道をそのまま鵜呑みにしてしまうという点では
 着実に奴隷化への道へと突き進んでいる。

 日本の高い教育程度というのは 世の中を正しく見つめ、批判的な精神を持った人間を
 育てるというのではなく、従順に 政府や新聞、テレビの報道をそのまま信じる基礎を
 育てることにあるようだ。

 日本が崇拝するアメリカでは 貧富の格差が広がり、富める者は贅沢の限りを
 尽くしている。
 移民を多く受け入れることで その移民を巧みな方法で 奴隷化していった結果である。
 アメリカを牛耳る一部の権力者は 日本の政治家、大企業と組んで 今 日本に触手を伸ばし、
 日本人を奴隷化し、日本の富を掠め取ろうとしている。
 非正規労働者の増大、派遣社員の増大は 日本人の奴隷化の一環である。
 全く今の日本人は おめでたいものである。
 わずかばかりのえさを与えられて喜んで、消費に走る3割の国民、無批判で思考力を
 失った5割の国民、良識的で世の中を正しく認識している行動を起こさない2割の
 国民、一体 日本はどうなっていくのだろう。

 日本人の島国根性が嫌で、25年間 出来るだけ日本を離れて生活してきたが、 
 日本人がますます破滅的な状況に陥っていることが 殊更見えてきて、驚いている
 ばかりである。
 人間が 野生を奪い取られ、家畜化していく姿が 今の日本人にはある。


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徒然なるままに | 15:02:24 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐21
ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐21 1
   ブータン   ブータンの帯 ケラ       1980年前後

ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐21 2

ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐21 3

 1980年前後に織られたブータンの女性用民族衣装キラのためのケラ、
 地の黄色い部分の経緯糸は インドからの工場生産の木綿糸、紋様の織り込みには
 インドからの上質の生糸が使われている。
 染めもインドで 化学染料を使って染められたもののようだ。


 非常に繊細で精緻に織られたケラである。
 ケラ全体に紋様が織り込まれているところを見ると、王族や上級官僚の家庭の
 女性からの特注なのだろう。
 しかし、このケラは 一度も使われていない。
 注文したのはいいが、1980年以降、ケラの形が 両面縫い取り織りから
 カード織りの中に片面縫い取り織りを施した細いものに変わり、身につける機会を
 失ったのだろうか。
 この時代の持つ技術の粋を尽くしたようなケラなのに 惜しいことである。


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ブータン布の今昔 | 12:33:04 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 待望の雨だったが…。
カトマンズ 待望の雨だったが…。 1

カトマンズ 待望の雨だったが…。 2

カトマンズ 待望の雨だったが…。 3

 朝6時前から 上天気、今日も暑さの厳しい日が始まった。
 午前8時を過ぎると 気温は瞬く間に上がっていく。
 昼飯を食べ 午後1時頃、ベッドの上に寝転がって、うとうとしていると
 雷らしきものが鳴り始める。
 まさかと思っていると、突風を伴った突然の激しい雨が降り始める。
 午後1時30分である。
 1時40分には停電、今日の昼間の計画停電は午後2時から4時までだったが、
 早めに始まる。

 いよいよ雨期の始まりかと期待したが、30分近く降り続いた後、
 さっと止んでしまい、強い陽射しが 蒸し暑さを伴って 照りつけ始めた。
 どうもこのあたりだけの局地的な雨だったようだ。
 カトマンズでは このクポンドール周辺で雨が激しく降っていても、
 2キロ先のカトマンズの中心部では 雨など降らない上天気のことも多い。
 こちらで雨の降っている時間、カトマンズの旧王宮広場のあるバソンタプールでは
 全く雨は降っていなかったと そこから帰ってきた近所のネパール人に聞いた。

 草花や樹木にとっては 恵みの雨だったようだが、
 この程度の雨では 水不足の解消には至らない。
 この湿りで 路上の埃が軽減されたぐらいである。
 この雨で夜になれば 少しは涼しくなるかな。


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徒然なるままに | 01:17:44 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 子供たちの素顔‐03
カトマンズ 子供たちの素顔‐03 1

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 カトマンズの子供たちは 写真を撮ってもらうことが大好きだ。
 本当は どの国の子供たちも そうに 違いない。
 大人たちの世界が 不安定で抑圧されていれば、それは子供の世界にも
 大きく影響するものだ。
 今の日本では 子供たちにカメラを向けることすら難しい世の中になっている。
 個人情報の保護とかいろいろ面倒なことがあるらしい。

 ネパールでは 誰もそんなことなど気にしてはいない。
 大人も子供もカメラを向けられると 喜ぶのが普通である。
 ネパール女性の一部やインド女性は 写真を撮られることを嫌がる場合もある。

 子供たちのいるところでカメラを構えると、どんどん子供たちが寄ってきて、
 自分も写せと言ってうるさいくらいだ。
 今はデジタルカメラが主流で フィルム代がかからないので 
 いくら写真を撮っても 懐が痛まないのはありがたい。
 お金に余裕があれば、うまく撮れた写真などは写っている当人に上げたいと思うのだが、
 生活に余裕がないので、上げることができないのが残念だ。

 カトマンズでは 少し貧しい家庭の子供ほど 表情が豊かで 自由奔放である。
 親が仕事に追われていて、子供に気を使う暇がないからだ。 
 だから、良い意味での人間の中の野生が失われず、それが逞しさにつながっている。
 だからといって、粗野であるといった感じはしない。
 大人に対して、どこか尊敬の気持ちも失われてはいない。

 気持ちが歪んでいないから 素直で人の話もよく聞く。
 中流階級の家庭の子供は 小生意気な子供も多い。
 親が自分たちは特別だと思っているから、それが子供の性格にも反映している。
 貧しい家庭の子供と一緒に遊ぶと 子供が悪くなると思い、決まった子供と
 しか遊ばさないし、遊び相手は 親戚の子供とだけということもある。
 そのために包容力のない寛容性のない大人になってしまうこともある。

 ネパールでは公教育が発達していないから、学校も親たちの収入に合わせて、
 私立学校を選択することが多いから、ここでも偏りが生まれてくる。
 何か選民意識に似たものである。

 だから、子供たちの写真を撮っていて楽しいのは 庶民の子供たちである。
 たくましさ、人懐こさ、表情の豊かさがあふれていて 写真になる。
 学校の制服を着ている子供たちの表情はつまらないが、
 普段着の子供たちの生命力あふれた姿は やはり、魅力的である。

 今回もそんな子供たちの姿を お送りしよう。
               
                 カトマンズより 愛をこめて!



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カトマンズ 生き抜く人々 | 12:57:28 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐20
ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐20 1
 ブータン   ブータンの帯 ケラ      1970年前後

ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐20 2

ブータン布の今昔 ブータンの帯 ケラ‐20 3

 1970年前後に織られたブータンの女性用民族衣装のための帯 ケラ、
 このケラは 素晴らしい。
 地の黄色の経緯糸に使われている木綿糸は インドの工場生産の糸、
 紋様の織り込みに使われている生糸も化学染料で染めたものであるが、
 とにかく 仕事が素晴らしい。

 普通であれば ブータンの帯 ケラを織る場合、帯を結ぶ際、半分は
 隠れてしまうため、隠れる部分には少ししか 紋様を織り込まない。
 しかし、このケラには びっしりと複雑な紋様が織り込まれている。
 手間と時間は 通常のケラの織りからすれば、2倍になる。

 このケラは 明らかに特別注文の1品で 王族や身分の高い有力者の女性のために
 織られたものだろう。

 こんな風に説明しても 手作り・手織りの大変さを知らない日本人からすれば、
 ああ、そうかと思う程度だろう。
 日本人の大半は こうしたケラが生まれてくる手作りの世界から、
 余程、遠ざかってしまった。
 頭でしか考えられない世界に属し、身体を使って 物を生み出す世界を
 失ってしまった。
 そのことで 欠陥人間を多量に生み出してきたのではないか、
 そんなことが感じられる近頃の世相である。


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ブータン布の今昔 | 11:39:49 | Trackback(0) | Comments(0)
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