FC2ブログ
 
■プロフィール

ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

■最近の記事

■Automatic translation WEB site
■最近のコメント
■最近のトラックバック
■月別アーカイブ
■カテゴリー

■FC2カウンター

■あしとも

■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
■ブロとも申請フォーム
バンコク 今日はプラカノンへ‐04 バンコク中心部へ向かって
バンコク 今日はプラカノンへ‐04 バンコク中心部へ向かって 1

バンコク 今日はプラカノンへ‐04 バンコク中心部へ向かって 2

バンコク 今日はプラカノンへ‐04 バンコク中心部へ向かって 3

バンコク 今日はプラカノンへ‐04 バンコク中心部へ向かって 4

バンコク 今日はプラカノンへ‐04 バンコク中心部へ向かって 5

バンコク 今日はプラカノンへ‐04 バンコク中心部へ向かって 6

 プラカノンの昔ながらの佇まいの中に身を置き、人々の生活を眺め、夕暮れ時の
 プラカノンから48番のバスに乗って MBKセンター(マーブンクロン)に帰ってくる。
 帰りは 48番のバスでも 乗車賃8バーツの冷房なしの普通のバスである。

 バスはMBKセンターに近づくにつれて 近代的な大都会の様相に変わっていく。
 20年前には このあたりの中心的な場所MBKセンターが閉店になれば、闇の中に
 沈んでいたこのあたりも ディスカバリー・センター、高級デパート サイアム・
 パラゴンなどが建ち並ぶにしたがって一大消費センターへと変わってきている。
 MBKセンターの近くに出来たバンコク現代美術館も最悪だ。
 美術館の前に展示されている作品を見ると うんざりしてしまう。
 奇をてらっているとしか思えないのである。
 公園をつぶしてまで、こんな美術館を作る必要があったのか、今でも疑問だ。
 タイ人上流階級の似非欧米崇拝の姿が ここにある。
 タイ伝統博物館でも作れば、まだ救いがあるが、バンコクの伝統は高々2百年に
 過ぎない。
 タイの中枢を握る中国系タイ人には タイの伝統など興味はない。

 便利さを優先してこのあたりに住みついてしまったが、実に味気ない場所である。
 私のマンションの裏手にあるセンセーブ運河の向こう側に イスラム教徒のチャム族の
 集落 バーン・クルア、そしてその集落の先にある下町界隈があるから 
 救われているようなものである。
 バンコク都内の中でも地価が一番高くなってしまったこの地域、自然など 
 僅かしか残っていない。
 草花といえば、バーン・クルアの集落の中で 住民たちが大切に育てているものである。
 まるで東京のど真ん中にいるような気持ちになってしまう。
 東京なら近くに公園などがあって、季節に変化を楽しむことが出来るが、
 MBKセンター周辺ではなかなか難しい。
 だから、気休めにバーン・クルアの集落の中を歩き回ってみたり、プラカノンまで
 出掛けていくことになる。

 部屋の中にいて 唯一楽しめるものといえば 雲見である。
 部屋のベランダから 雨期の雲の変化を眺めるのは楽しい。
 晴れていたと思ったら いきなり黒い雲に覆われ始め、激しい雷雨に変わっていく。
 ベランダでタイ特有の観葉植物でも育てればいいのだろうが、居たり居なかったりでは
 それも適わない。
 仕方がないのでバーン・クルアの集落まで行って、他人の育てた草花も見て 
 楽しませてもらっている。

 夜に12時過ぎて 部屋の屋上から MBKセンターを眺める。
 その横にはBTS高架電車の国立競技場駅がある。
 真夜中の12時過ぎでも 灯りは赤々と灯り、闇の世界はない。
 この光景を見るたびに 自分はとんでもないところに住んでいるという想いに
 駆られる。

 このバンコクもこれから一体どうなるのだろう。
 今は中弛みのような感じで 政治的な混乱は落ち着いているが、日増しにタイの
 経済不況は深刻さを増すだろう。
 いくら力で抑えても 生活が苦しくなれば、貧しい人たちは不満の声を上げていくだろう。
 日本と違って、タイでは食うや食わずの苦しい生活をしている人たちが 5割以上
 いるのである。
 どう見てもバンコクに建ち並ぶ高層ビル群は 見せ掛けのようにしか見えない。
 バンコク滞在もあと1週間、日の流れていくのは本当に速い。


++ブログランキングへの協力をお願いします。++

  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ



スポンサーサイト
バンコクの運河 | 22:58:14 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐15a
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐15a 1
  ブータン    木綿とアクリル毛糸のキラ         1980年代後半

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐15a 2

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐15a 3

 1980年後半あたりに織られたキラである。
 このキラは 普段着というよりハレの行事のために織られたものだろう。
 片面縫い取り織りという高度の技術を駆使しながら、使っている素材がよくない。
 地はインドからの木綿の工場糸、そして片面縫い取り織りの紋様は 化繊のアクリル
 毛糸が使われている。
 キラを豪華に見せるための金糸といえば プラスティック製のものである。
 これを使っただけでも ブータン布の持つ品位が失われている。

 インドから怒涛のように入り込んでくるキラの材料に眼を奪われ、それを使うことで
 風合いや味わいがどんどん失われていっている。
 このキラだって 織り上げるのに2,3ヶ月はかかっているはずである。
 せっかくの労力が 報われていないのは残念なことだ。

 新しい素材を試してみたいのはわかるが、それによって 品位が失われることには
 気がつかない。
 多彩な色を持つ化学染料や化繊は ブータンの人々の色感覚を変え、織り込む紋様の
 複雑さを加えていったが、落ち着きのようなものが感じられなくなった。

 どうしてアクリル毛糸が使われるようになったのだろう。
 羊毛と違って洗いが楽なことからだろうか。
 そして、羊毛より安く材料を手に入れることが出来たからだろうか。

 昔からキラの紋様の織り込みに羊毛を使うことはあった。
 これは冬場の寒さに対する防寒の用途もあったのだろうか。
 太い羊毛糸を使って 紋様を織り込んでいれば、確かに時間短縮にもなっただろう。
 ブータンの庶民にとっては このことによって 安くキラを手に入れることが
 出来るようになったのかもしれない。
 昔は ハレのためのキラは 王族など身分の高い人たち専用の衣装であったが、
 1980年ごろには 一般の庶民も クシュタラ、ノシェムを ハレの日に身に
 つけることが普通になってきたようだ。
 あまり高すぎると 手に入れることは難しい。
 そんな時代の要請もあったのだろう。


++ブログランキングへの協力をお願いします。++

  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ



ブータン布の今昔 | 02:32:15 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 今日はプラカノンへ‐03 心惹かれる情景
バンコク 今日はプラカノンへ‐03 心惹かれる情景 1

バンコク 今日はプラカノンへ‐03 心惹かれる情景 2

バンコク 今日はプラカノンへ‐03 心惹かれる情景 3

バンコク 今日はプラカノンへ‐03 心惹かれる情景 4

バンコク 今日はプラカノンへ‐03 心惹かれる情景 5

バンコク 今日はプラカノンへ‐03 心惹かれる情景 6

バンコク 今日はプラカノンへ‐03 心惹かれる情景 7

 プラカノンにやってくると 懐かしい気持ちにさせる様々の光景に出会う。
 運河沿いに住む木造家屋の外の造られたお勝手、必要なものだけが、きちんと
 並べられている。
 人間が生きていくためにどれだけの贅沢が必要なのか 考えてしまう。

 そんな運河沿いに住む人々の生活を眺めながら、再び プラカノン運河の船着場の
 方に向かって歩き始めると 路上では 今時 一体 こんな果物を誰が買うのかと
 いった酸っぱいライチ、小さな木の実を売っているスーリンからやってきた物売りが
 座り込んでいる。
 出稼ぎにやってきた田舎の人たちが 懐かしがって買うのかもしれない。

 船着場周辺に戻ってくると 昔ながらのタイの手作りの品物を売っている。
 懐かしい東北タイ イサンで造られている竹細工もある。
 そんな店の前を 学校帰りの中学生たちが 船着場へと徒党を組んで歩いている。
 この光景も 昔風なこの店の前では 昔風の中学生のように見えてくるから、不思議だ。
 みんな楽しそうに家路へと向かっている。

 そんな光景を 私は 運河に架かる橋の下のアーケードにある昔風の氷菓子屋で
 冷たい氷菓子を食べながら、眺めている。
 プラカノンに来るたびに 帰りにはこの氷菓子屋で氷菓子を食べるのが習いと
 なってしまい、この店のおばさんとは すっかり顔見知りになってしまった。

 店のすぐ近くには たくさんの床屋が並んでいる。
 その床屋では 小さな男の子が母親に声をかけられながら、頭を刈っている。
 これも昔の日本の懐かしい光景の一つである。
 橋の下のアーケードの中は 何十年も時間の流れが止まり、昔の姿 そのままだ。
 まだバンコクには こんな世界もあるのである。
 だから、何度もこのプラカノンのこの場所に来たくなってしまうのだ。

 日本の昭和30年代の世界が このプラカノンには 残っているからだ。
 この50年間、日本は 何を無理して頑張ってきたのだろう。
 みんな、少しも幸福になってないではないか、そんなことを問いかけたくなる。
 自分を誤魔化すのは やめたほうがいい。
 一体 何を失ったのか わからない人間は どこへ行っても求めているものを
 探し出すことは出来ないのだ。

 私の座っている屋台では 小学校から帰ってきた屋台の主人の子供たちが 
 親たちと座り込んで、おやつをのんびりと食べている。
 そして、その向こうには ここ20年変わることのない木造家屋が 建ち並んでいる。
 世の中が変わっていくより、変わっていかないことのほうが 幸せは残っていくのかもしれない。

 いつも同じ変わらない風景がそこにある。
 自分と共にあるという安心感、 それが幸福ということなのかもしれない。
 それをひたすら壊し続けてきたのが日本であり、そしてタイもそれに続こうとしている。


++ブログランキングへの協力をお願いします。++

  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ


バンコクの運河 | 01:15:47 | Trackback(0) | Comments(0)