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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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バンコクから 新聞の定期購読をやめよう
 1ヵ月半ばかり日本に滞在して バンコクにやってきたばかりであるが、日本に
 居る間、テレビ、新聞のニュース報道の偏向振りには驚くものがあった。
 世論調査という名の下に 世間を代表するような顔をして、調査結果を発表する。
 まともな人間なら、世論調査に協力する気にもなれないだろうが、まともでない人間の
 調査結果を取り上げて、それ見たことかという勢いで発表する。
 意図的な操作をしての世論調査であるから、当然 出てくる結果は 新聞社なり
 テレビ局の意図しているものになる。

 この頃では 良識のある者は マスコミといわず、マスゴミを呼ぶらしい。
 新聞購読者に真実を伝えるのが 報道の使命という姿勢はどこにも感じられない。
 こんな新聞を定期購読で読むなど 馬鹿げたことのように思えてきている。
 必要なときに 巷で買うということのほうが 余程賢い姿のように思える。
 読者に対して不誠実、公正、公平でない報道をしない新聞は買わない、そのことが
 徹底できるはずだ。
 毎日毎日 家まで配達されるシステムが 新聞社の胡坐をかいたいい加減な報道姿勢を
 助長しているように思えてならない。

 タイやネパールの人を見ても 定期購読をしている人間はほとんどいない。
 本当に知りたいことがあるときに 新聞を買うか、新聞を売っている店の前で 
 ただ読みをしているのが普通の姿である。

 近頃の新聞といえば、広告ばかりが増え、広告主の意に沿った報道がやたら、
 目立つようになり、貧しい市民の味方、国民の味方であるという姿勢は見られない。
 新聞記者たちの生活も豊かになり、庶民の味方という意識を失い、真実を追究すると
 いった姿勢はないようだ。
 市民や庶民の生活の向上のために 社会を変えていくという姿勢を失った新聞に
 何を期待できるのだろうか。

 偏った報道で 偏った情報を国民与えて情報操作し、国民を誘導し 
 次には世論調査と称して、民意であるかのように報道する。
 世論調査の精度、裏づけに対する説明もない。
 ただ、無作為に電話番号を選び出し、世論調査を行う。
 年齢層、男女の比率、職業、指示する政党、そんなことは曖昧なままである。
 電話1本で 世論調査の最小になった人は どれだけ 的確に答えられるのか、
 余程 時間に余裕のある人しか 答えることはできないはずだし、見識のある人間なら、
 どう利用されるかわからない世論調査に協力しようとはしないだろう。

 そんな世論調査に翻弄されている国民の側にも問題がある。
 今の新聞というものが 本当に庶民、市民、国民の味方なのだろうかという疑いを
 持たない。

 民主主義が 正しい見識を持った国民によって 運営されていかなければ、
 ただの烏合の衆の数の論理だけが 一人歩きを始め、公平な公正な社会は
 生まれてこない。

 この頃では日本に民主主義などあるのかという気もしてくる。
 簡単に情報操作をされ、情報を鵜呑みにしてしまう日本人は 民主主義を支えていく
 だけの見識を持っているのかと疑いが湧いてくる。
 平和ボケの中で 自分の身近に起こっていることの意味すら見えなくなっているのでは
 ないだろうか。
 世界は日々変転しているのに 小さな島国の中だけでしか通用しない常識の中で
 生きている日本人、声が大きいだけで この国を支配されるとしたら、
 これほど怖いことはない。

 今、新聞もテレビも 社会で起こっている真実など伝えてはくれないことを知り、
 自らを護るための情報、家族を護るための情報、国を護るための情報は 自分で
 手に入れることに努力をしていかなくてはならない。

 新聞やテレビが 自分たちの生活を護るために必要な味方なのかどうかを見極め、
 味方でないなら、そんなところにお金を支払わないという強い姿勢が必要だ。
 定期購読をやめるという運動だけで、新聞は生まれ変わってくるはずである。
 テレビも同じである。


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徒然なるままに | 21:44:35 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐02
ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐02 1
 ブータン   チャクスイ・パンケップ     20世紀初頭

ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐02 2

ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐02 3

ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐02 4

ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐02 5

 古い時代の織物には どうしてこんなに力強く、訴えるものが大きいのだろうか。
 特に チャクスイ・パンケップという布には それをはっきりと感じる。

 やはり、この布には ブータンの人々の宗教的な想いが込められているのだろうか。
 ラオスのタイ・デーン族のパー・ビアンという布にも 宗教的なシンボルが織り
 込まれているが、織り込まれている紋様のパターンが ブータンのこのチャクスイ・
 パンケップとよく似ている。

 タイ・デーン族のものは 繊細で精緻な紋様のパターンが織り込まれているが、
 ブータンのこの布は もっと骨太で 力強い。
 何か人を圧倒するような力を感じるのである。

 仏教国 ブータンの人々の宗教に対するシンボルをこの布に感じてしまう。
 日本には こんな宗教的な想いを込めた織物は 意外とないのである。

 寺の住職や僧侶も 生臭坊主になって 贅沢をするのでなく、こうした布文化に
 もっと興味を持っていいのではないかと思う。
 宗教が 人々に安らぎを与えるものなら、人間が心を込めて織り上げた織物を
 本堂の一隅に飾って信者とともに 人間の文化を味わうぐらいの余裕があっても
 良いはずである。
 宗教が 人間の文化の中心であるなら、寺は 文化を伝えていく拠点である。
 法事や葬式に明け暮れ、金儲けに走るだけでは 僧侶に対する畏敬の念は
 生まれてこない。

 戦後 尊敬の念を失ったのは 僧侶と教師である。
 文化を伝えて、いくことで尊敬を得ていた僧侶と教師が文化の伝達の担い手としての
 役割を失ったからである。

 このブータンで織られたチャクスイ・パンケップを本堂に飾り、その力を感じるような
 感受性が僧侶にあれば、日本の宗教も少しは 息づいてくるかもしれない。
 そのくらいに 古いブータンの織物には力がある。

 是非、寺に仏教国 ブータンの織物を 日本の寺に置いてもらいたいという気持ちが
 あるが、そんな話はとんとない。

 幅130cm 長さ 250cmの大きさを持つ布、なかなか迫力のある布なのだ。
 織られてから百年近い年月が流れている。
 地は 手紡ぎのブータン木綿で織られ、紋様の青は 藍染め、えんじは カイガラムシ 
 のラックを使って染められている。

 百年前のブータンの人々の布に対する想いが 強く伝わってくるような布だ。
 人の心が伝わってくるような布は 今の世界では 織ることはできなくなっている。
 それは 百年の時間の流れの中で 人間が失った世界である。
 人が人らしく、時間を 自分のものとして使っていた充実した心の時代、
 そんな世界が 古いブータンの布の中には 織り込まれている。 


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ブータン布の今昔 | 19:37:53 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐03
バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐03 1

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐03 2

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐03 3

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐03 4

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐03 5

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐03 6

 バーン・クルアの集落の中を歩き回っていると、生活していくために必要なものは
 何でも揃っていることがわかる。

 歩いて10分ぐらいの場所に MBKセンター(マーブンクロン)や大型スーパー
 ロータスもあるが、身近なものは 近所の雑貨屋で揃えることはできる。
 床屋もあれば、テレビの修理屋、総菜屋も駄菓子屋もある。

 今日も 運河に架かる小さな橋の横にあるカキ氷の店で カキ氷を注文した。
 ここも 集落に住む人々の集まる場所になっている。
 目の前には 40年前にこの集落にやって来て住みついた東北タイのコンケンから
 やってきたおばあさんが東北タイ料理のソムタム、ラープ、スープ・ノーマイを
 作って 売っている。
 イスラム教徒の住む集落だから、豚肉を使った料理は作らない。
 互いに相手の立場を思いやりながら、協調しながら生活しているのである。

 どちらかというと無口な感じのイスラム教徒のチャム族と賑やかで気さくな東北タイの
 人々と混ざり合って 集落の中を暖かい、気楽で住みやすい場所にしている。

 人間が生活する場所の原点が この集落にはある。
 みんな顔見知りで 安心して住める集落なのである。

 子供たちがいて、若者がいて、おじさん、おばさんがいて、年寄りたちが 
 バランスよく生活している。
 この集落の中を歩いているだけで 気持ちが和やかになり、自分を覆っている膜の
 ようなものがなくなっていくから 不思議なものである。

 今 日本のどこへ行けば、こんな集落に出会えるのだろうか。
 バンコクの中でも珍しい雰囲気を持っている集落なのかもしれない。

 この集落に2百年前から住み着いて生きたイスラム教徒のチャム族の柔軟性のなせる
 技なのだろうか。
 多くの東北タイの人々を受け入れ、摩擦なく 共存していく。
 彼らは15世紀頃までは ベトナムでチャンパ王国を作っていた民族だ。
 べト族に追われ、カンボジアに多くが 移動し、カンボジアとタイとの戦いの中で
 アユタヤに居を移し、シャム王国に忠誠を尽くしてきた。
 そんな変転の歴史が 柔軟な彼らの性格を形作ったのかもしれない。
 不思議な興味深い民族である。
 敵を作らないというのが 異国で生活するための最低限の知恵である。
 それを数百年に渡って実践してきた民族だ。
 こんな民族が 魅力的でないはずはない。
 バンコクの片隅で生き抜いているチャム族に幸いあれ。


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バンコク 運河の辺の街 | 12:32:34 | Trackback(0) | Comments(0)