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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

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バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐02
バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐02 1

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐02 2

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐02 3

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐02 4

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐02 5

 バーン・クルアの集落の中に入っていくと、運河沿いの歩道に植えてある草花が
 目立ち始める。
 そして、この集落の中で生活している人々の姿も 見かけるようになる。
 狭い運河沿いの道ではあるが、その道は人々の語らいの場所になっている。

 孫の面倒を見るおばあさん、如何にも可愛くて仕方のない様子がその表情から
 見て取れる。
 三世代一緒に住むというのは こんな下町の集落の中では 当たり前のことだ。

 少し先に行くと 東北タイ料理を売る屋台がある。
 東北タイ料理のソムタム(パパイヤサラダ)、カイ・ヤーン(鶏の照り焼き)などを
 売るのは東北タイのロイエットからやってきているおばさん、座り込んで世間話を
 しているのはこの集落に昔から住み着いているチャム族のおばさんである。
 仏教徒である東北タイの人間とイスラム教徒のチャム族の人間との間には 
 わだかまりはない。
 そして、異邦人の私に対しても 「ここのソムタムは美味しいよ」と声をかけてくる。

 少し行くと 狭い場所に座り込んで 女の子たちが遊びに興じている。
 セロテープを口に貼り付けてふざけあっている。
 狭い路地や路上を使って遊び呆けるのは 昔の日本の下町の風景と同じだ。

 運河沿いのこの道には ここに住む人たちの喜怒哀楽があふれている。
 仏教徒のタイ人が住んでいる家の前では 人々はそれぞれ 自分の仕事をしながら、
 楽しげに話しこんでいる。
 食後の皿洗いも路上の一角を利用している。
 男たちは 女たちのそんな様子を楽しげに眺めながら、話し込んでいる。

 こんな風にタイ人たちの昔ながらの生活の姿が 生き生きと見られる場所は 
 他にはないのかもしれない。

 決して 整然とした集落ではないが、むしろ雑然としていて、何もかもが混じり合っていると
 いった感じが 温かみを感じさせ、人間らしい当たり前の地についた生活を感じさせるのだ。

 日本はこの集落にある和やかさ、気さくな雰囲気、互いに認め合うやさしさ、そして
 自由を 都会から一掃してしまった。
 そして、生まれてきたものは 他人に対する無関心、警戒心、緊張感である。
 祖父母と孫たちとの日常は失われ、家族の歴史は 継続しなくなり、薄っぺらな
 家族愛しかなくなってしまった。

 干渉のない場を求めて、子供たちは マンションを購入し、ますます、心は貧しく、
 殺伐としてきていることに気がつかない。
 幸福であるのか そうでないのか わからないくらいに 無感覚、無感動になって
 しまっている。

 そうしたマンション生活とは 別の次元の生活が 今集落には残っている。
 便利さや小奇麗さという謳い文句に騙されてはならないのである。
 そんなことに耳を傾け、信用するようになれば、確実に一番大切なものを
 失っていくのだから。


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バンコク 運河の辺の街 | 20:53:43 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 日本人の父親を探す少年 ケイゴ君
             *** まだ見ぬ日本人の父を探す9歳の男の子 ***

 タイ字紙によれば、タイ北部ピチット県ムアン郡のタールアン寺で連日、日本人の父親を捜しているタイ人の男の子が地元で話題になっているという。

 この男の子は9歳になるサトウ・ケイゴ君(ニックネームはケーゴ)。今年4月3日に母親のティップモンターさん(33)が病気で死亡し、その後、叔母のパタマさん(35)に引き取られた。パタマさんはタールアン寺の前の路上でお参りグッズを売って生計を立てているが、家は貧しく、きびしい生活を余儀なくされている。それでも、勉強好きなケイゴ君は寺院に併設されている小学校に通っているという。

 授業のない時、ケイゴ君は叔母の仕事を手伝いながら、タールアン寺を訪れる日本人観光客を探しては、父親の写真を見せて、知っているかどうかを尋ねて回っている。

 ケイゴ君が父親探しをすることになったのは、母親の「遺言」による。母親は死を前にしてケイゴ君に「お父さんは必ずタールアン寺にあなたを探しに来ます。あのお寺はお母さんとお父さんが愛を誓い合った寺なのです」と告げた。その言葉を信じたケイゴ君は、「写真でしか見たことのないお父さんに会いたい。そして、僕のことを助けてほしい」と、父親探しを始めることになった。

 タールアン寺は観光スポットともなっているため、観光バスで観光客がよく訪れる。そのため、バスが到着するとまず「日本人観光客はいますか」と尋ね、いることがわかった後は、たった1枚しか残っていない父親の写真を日本人観光客にみせ、「この人を見たことがありませんか」と聞いて回っている。

 叔母のパタマさんによれば、ティップモンターさんは15、6歳の時、「バンコクで働く」とだけ言い残し、家出同然に家を飛び出したという。その後、しばらく音沙汰がなかったが、ある日、サトウ・カツミと名乗る日本人男性と一緒に実家に戻ってきた。その時、ティップモンターはすでに妊娠していた。

 その後、再び、消息がわからなくなったが、2000年、今度は4カ月になるケイゴ君とともに帰省。しかし、実家には「世話をしてほしい」とだけいい、そのまま、バンコクに働きに戻った。その後は、子どもの養育費として2、3回の仕送りがあっただけで、3歳となったケイゴ君を見に来たのを最後に再び連絡が途切れてしまった。

 ティップモンターさんが再び戻ってきたのは昨年のタイ正月(4月)。この時は、悪性の病にかかっており、医師からも見放されていた。その母親を、ケイゴ君は献身的に看病。食事だけでなく、排泄の世話までいやがらずにしていた。

 その母親も今年4月3日に死亡。母親は死ぬ間際まで、日本人の「夫」の名前を呼んでいたという。ケイゴ君は、タールンア寺院で観光客に父親のことを尋ねる以外にも、人捜しに霊験あらたかなものがあると聞くと、すぐにその場所を訪ね、祈っているとのことだ。

                            ― バンコク週報より

その後 次のようなニュースも報道された。

   *** 日本人の父親探しの少年、父親に結びつく具体的なデータを発見 ***

 ピヂット県のソムチャイ県知事は12日、日本人の父親とタイ人の母親との間に生まれたハーフの少年(9)が父親の消息を探している事に絡んで、これまでの調査で父親とされるサトウ・カツミさんが1978年1月3日生まれの東京都葛飾区在住で、2000年1月27日に葛飾区の区役所に少年の母親との婚姻届が提出されていた事、またサトウさんが所持していたパスポート番号を確認した事を明らかにした上で、日本大使館に対してサトウさんの消息確認を要請した事を明らかにした。

 また、県知事の発表に絡んで一部メディアは、サトウさんが移民警察局に提出した書類に添付されていたサトウさんの1998年7月10日発行、2003年7月10日期限のパスポートのコピーを公開した。
~~~ ソムチャイ知事によると、少年は2000年1月24日生まれで同2月28日にバンコクのパトゥムワン区内にある警察病院を出生地として出生届が提出されていたという。

                    ― タイの地元新聞を読むより

 
 タイでは こんなことは そんなに珍しいことではないかもしれない。
 タイでも有名な観光地であるピチット県のタールアン寺でも出来事であったので
 たまたま大きく報道されたのではという気もする。

 欧米人との混血、日本人との混血、ミャンマー人、カンボジア人、インド人、
 パキスタン人、バングラディッシュ人との混血の子供たちは 数え切れないくらいに
 いるだろう。
 幸福な生活を送っている子供たちもいれば、ケイゴ君のように悲惨な生活に陥っている子供も
 いるだろう。

 しかし、こんなにタイで大きく報道され、結果が好ましくないものであれば、タイに
 住む日本人は 肩身の狭い思いをすることになる。

 今日も私の住んでいるところの裏手にあるイスラム教徒のチャム族の住む集落
 バーン・クルアの中を散策しているとき、父親を探しているケイゴ君の話が出た。
 タイ人たちの間でも話題になっていることがわかる。

 ニュースを読んでいて 気がついたことの中でちょっと気になったことは、
 ケイゴ君の父親であるとされているサトウ・カツミ氏とケイゴ君の母親との結婚届けが
 2000年1月27日に 葛飾区の区役所に出されている。
 そして、2000年1月24日にケイゴ君が生まれ、同2月28日にバンコクの
 パトゥムワン区内にある警察病院を出生地として出生届が提出されていた。
 この辺のことが気になる。
 ケイゴ君の母親が不在でも結婚届は 受理されるものだろうか。
 いくらなんでも1月24日に子供を出産したケイゴ君の母親が 同じ年の1月27日に
 日本に居たとは考えられない。
 ケイゴ君の母親も身重であったのだから、サトウ・カツミ氏も子供の出産のことは
 知っていたはずである。
 その後 一体何があったのか 闇の中である。

 ここまで大事になっているし、サトウ・カツミ氏のパスポートまで明らかになって
 いるのだから、死亡していない限り、当人を探し出すことは難しくないはずである。

 ただ思うことは タイ、フィリピンなど外国人旅行者が多く訪れる国には 
 ケイゴ君のような境遇の子供は数多くいるが話題にならなければ、大変な一生が
 待っていることだ。

 ケイゴ君の父親とされているサトウ・カツミ氏は 1978年生まれというから 
 当年とって31歳ということになる。
 バスポートを作ったのが 1998年 二十歳のときであり、子供が出来た年の
 2000年のときは 22歳ということになる。
 何の考えもなしに タイの若い女の子と遊んでいるうちに 生活力もないまま、
 泥沼に入り込み、逃げ出してしまったのだろう。
 こんなことは 今の日本の若者たちの間では 別に珍しいことでもないだろう。
 サトウ氏もそうした若者たちの一人であり、たまたま 子供がタイにいて 相手の
 女性が病死し、母親を失った子供が タールアン寺に毎日行き、日本人の父親を探して
 いたことが タイのマスコミに取り上げられ、大きな話題になった。
 ただそれだけのことである。

 タイ人同士のことなら、あまりにこんなケースは多すぎて 話題にはならない。
 それは 日本でも同じようなケースは少なくないだろう。
 親がいてもいなくても 施設に入れられている子供は いくらでもいるはずだ。

 どちらにしても もしサトウ・カツミ氏が本当の父親であれば、人間として責任ある
 姿勢を示してほしいと願うだけだ。
 マスコミも 子供の未来を見据えた報道をし、大騒ぎするのは控えてほしいものだ。



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タイ事情 | 13:18:21 | Trackback(0) | Comments(0)