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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

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バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐01
バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐01 1

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐01 2

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐01 3

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐01 4

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐01 5

 マンションの屋上から イスラム教徒 チャム族の住む集落 バーン・クルアを
 眺める。
 水上バスの走るセンセーブ運河のこちら側には ジム・トムプソンのアユタヤ式の
 大きな木造家屋があり、運河の向こうには チャム族たちの住む木造の家々が 
 地面にへばりつくように密集して建ち並んでいる。
 昔と違って、今では イスラム教徒のチャム族だけでなく、バンコク周辺の仏教徒の
 タイ人、そして集落の中でも多くを占めるようになった東北タイからの出稼ぎの人々
 などもいる。
 チャム族以外の人の大半はチャム族の家主からの間借りである。

 上から眺めているだけでは あのバーン・クルアの集落の中で どんな生活が営まれて
 いるのかはわからない。
 バンコクの中心地域になったサイアム・スクウェアー近辺で 唯一残る2百年の歴史を
 持つ古い集落である。
 大半の旅行者は タイのシルク王 ジム・トンプソンの家には興味を持っても、
 運河をはさんで そのすぐ近くにあるチャム族の集落まで足を伸ばすことはない。
 一見すると スラムのように見え、危険なものを感じてしまうからだ。
 しかし、この集落は 2百年の歴史を持った古い集落で 治安について言えば、
 心配はない。

 久し振りにバーン・クルアの集落の中を歩いてみることにした。
 パヤタイ道路に出て センセーブ運河にかかるフア・チャン橋を超えると 
 センセーブ運河へと下りていく階段があり、その階段を下りると 
 屋台風のいくつかの食べ物屋があり、その脇を抜けていくと センセーブ運河沿いの道に
 出合う。
 そこが出発点である。

 運河沿いの道を歩いていくと、小さな空地があり、その空地の前では 
 夕方からの屋台の準備をしている人たちがいる。
 「どんな食べ物の屋台の準備なのか」と訊いてみると 
 「夕方からBTSの高架電車の駅の近くでお粥の屋台を出している」と応える。
 海鮮物のお粥らしく、魚に切り身を用意したり、海老の殻を剥いている。
 「今度 食べに行くから」と言うと 笑っている。
 夕方の6時から夜中の1時までの商いと言っていたが、こうした準備と後片付けを
 入れれば、1日10時間以上の労働である。

 そこを抜けて、集落の中に入っていくと1軒の木造の玄関先で 
 2匹の猫が 気持ちよさげに眠り込んでいる。
 近づいて行っても 全く警戒心を起こさない。
 近づいてカメラを向けても 全くわれ関せずといった具合である。
 バーン・クルアの集落のなかに猫の大半は こんな様子で 
 人間に対する警戒心は 皆無である。
 こんなところにも集落の穏やかな日常生活が読み取れる。
 この集落に住む動物たちの姿を見れば、住んでいる人たちの心の有り様も見えてくる。
 この集落がもともと犬を嫌うイスラム教徒の集落であったことから、犬の姿は見かけない。
 そのことも 猫の精神生活に影響を与えているのだろう。
 人間も猫も ここでは 自分のペースで生活していく自由があり、落ち着きがある。
 それが 生活の中に 歴史を持つということかもしれない。

 運河沿いの道をどんどん進んで 集落の中心へと向かって行った。
 それにしても運河の水は 私が前回いた1ヵ月半前より汚くなっている。
 少し、きれいになったかと思えば、又もとの木阿弥である。
 集落の中の世界は 時間が止まったように平穏であるが、
 その外の世界は 容赦なく変転している。



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バンコク 運河の辺の街 | 20:16:18 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 二つのチャクスイ・パンケップ‐02
ブータン布の今昔 二つのチャクスイ・パンケップ‐02 1
 チャクスイ・パンケップ 20世紀初頭

ブータン布の今昔 二つのチャクスイ・パンケップ‐02 2

ブータン布の今昔 二つのチャクスイ・パンケップ‐02 3

ブータン布の今昔 二つのチャクスイ・パンケップ‐02 4

ブータン布の今昔 二つのチャクスイ・パンケップ‐02 5
 チャクスイ・パンケップ  1980年代

ブータン布の今昔 二つのチャクスイ・パンケップ‐02 6

ブータン布の今昔 二つのチャクスイ・パンケップ‐02 7

 ブータンの20世紀初頭といえば、現在のブータン王国が成立した時代である。
 1907年12月17日、初代国王となるウゲン・ワンチュックは、多くの官吏の
 圧倒的な支持と、当時インドを支配していたイギリスの後押しによって 王に選ばれた。

 この当時、ブータンは二つの勢力に別れていたようだ。
 パロと中心とした西ネパールを支配していたパロ・ペンロップと呼ばれる勢力者と
 トンサを中心とした東ネパールを支配していたトンサ・ペンロップと呼ばれる勢力者が
 いた。
 パロ・ペンロップとの勢力争いに勝利したトンサ・ペンロップが 王位を獲得する
 機会を得た。
 このことは ブータンの織物の世界にも大きな影響を与えたはずである。

 ブータンの中でも東ブータンは織物の宝庫である。
 そこを支配していた民族が ブータンを支配することになったことで、ブータンの
 素晴らしい織物が 王室の保護の下に発展していく機会を得たのである。

 そんな時代に織られた1枚のチャクスイ・パンケップがここにある。
 ブータンの伝統的なチャクスイ・パンケップである。
 地は ブータンの白い木綿の手紡ぎの糸が使われ、紋様の織り込みには ブータンの
 カイガラムシ ラックでえんじ色に染められたブータンの野蚕の手紡ぎのシルク糸と
 色を何度も重ね合わせて染められたブータンの手紡ぎの木綿糸が使われている。
 ブータンのチャクスイ・パンケップの紋様の織り込みに使われる黒は 旧い時代の
 特徴である。
 この時代後には ブータン藍の青が用いられることが多くなるようだ。
 百年近い時代を経ても このパンケップの持つ重厚な雰囲気は失われていない。
 パンケップの紋様の中でも 重要な意味を持つ中心部の菱形の紋様も見事である。
 この菱形部分は 宗教的な意味合いがこめられているようだ。

 このパンケップが織られてから 80年後に織られた1枚のパンケップ、
 このパンケップから感じられるものは 器用さだけで、宗教的なシンボルを
 読み取ることは出来ない。
 このパンケップが 宗教的な意味合いを込めて 織られたものではなく 
 外国からの観光客目当てに織られたものではないかという疑いもある。
 パンケップのシンボルである大きな菱形の紋様が 中心部に織り込まれて
 いないのである。
 お土産もの用に織られたものだから、中心部分の大きな菱形の紋様を 
 織り込まなかったのかもしれない。
 このパンケップから織り手の精神世界を窺うことはできない。
 ブータンの織物も時代とともに精神性を失っていることがよくわかる。
 小奇麗であるだけで、それ以上のものを感じさせなくなってきているのだ。
 ブータン人の生活の中で 織物が お金を得るためという意味しか持たなくなって
 しまっているのかもしれない。
 こうやって、人間はどんどん心の拠りどころを失っていくのである。
 国民の幸福指数が大切なのだと声を上げても、絶え間なく入り込んでくる先進諸国の
 物質、お金至上主義の文化を押し止めることは出来ない。


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ブータン布の今昔 | 13:58:29 | Trackback(0) | Comments(0)