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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

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バンコク 小沢党首辞任のニュースが 海の向こうから
 マスコミのひどさもさることながら、小沢党首の所属する民主党も
 それに輪をかけて 情けない姿をさらしてしまった。
 小沢党首に対する信頼は残っても 民主党に対する信頼が失われたことに
 気がつかぬほど どうしようもない政党であることを露呈してしまった。

 本当に民主党が政権交代を望むなら、党首である小沢氏を一丸になって護りきると
 いうのが常道である。
 小沢氏の秘書が献金問題で起訴されたといっても 判決が下されたわけでもないし、
 自分は無罪だといっている小沢党首に説明責任を求めるというのは、自公民の
 常套手段で民主党内部としては 何が何でも 党首を信じて 党首を支えるというのが
 党の信頼を勝ち取るための唯一の方法である。
 それすら わからないようでは 国民の民主党に対する信頼は 大きく揺らぎ始めて
 いくだろう。

 官僚依存の自民党政治の限界は見えており、それを変える可能性は、小沢民主党で
 あって、鳩山民主党でもなければ、岡田民主党でもない。
 小沢氏は マスコミや自民党の圧力に屈したのでなく、内部の乱れに屈したのである。
 本当にお馬鹿な民主党である。
 どんなに攻撃されようとも 小沢民主党だから 政権交代が可能なのだということが
 わからぬほど 世間の声に疎い民主党議員である。
 説明責任、説明責任と声を揃え、小沢党首では選挙は戦えないといっているのは
 自民党に鞍替えした方がいいと思われる輩ばかりである。
 自分の置かれている立場もわからず、マスコミ、自民党と一緒になって、小沢下ろしに
 精出しているようでは 民主党のばらばらぶりを宣伝しているようなものである。

 理念や理想を持たない風見鶏のような政治家は どんどん消えていってもらいたいもの
 である。
 庶民の生活感から全く遊離してしまっている自民党と官僚の政治、これを変えたいと
 願っているのは誰なのだろう。
 人間より企業優先の政策を変えてほしいと思っているのは誰だろう。
 どんどん拡がる生活の格差を是正してもらいたいと願っているのは誰なのだろう。

 考えれば、考えるほど 馬鹿らしく思えてくる日本の世情である。
 今回 小沢党首を引きずり降ろした民主党内部の連中の責任は重い。
 こんな連中は 次の選挙で鉄槌を下されるべきである。
 こんな連中がいるかぎり、民主党の未来はない。
 真に日本を変えたいと思っている人間だけを 当選させたいものである。

 庶民の生活は どんどん苦しくなっているのに それに目を向けず、庶民の生活とは
 直結しない大型補正予算を組んでいる自民党と官僚には うんざりである。
 あのお坊ちゃん育ちの麻生氏に 庶民の生活の苦しさなどわかるのだろうか。
 誰が自分の味方なのか わからない国民に未来はない。



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徒然なるままに | 21:49:09 | Trackback(2) | Comments(0)
バンコク 雨模様のバンコク
バンコク 雨模様のバンコク 1

バンコク 雨模様のバンコク 2

バンコク 雨模様のバンコク 3

 バンコクのスワンナブーム国際空港を出てから、バンコクの中心部に向かう時から、
 バンコクは雨模様の中にある。
 タクシーの運転手に 雨が降る前は 日中 38度、39度の暑さだったという話も
 嘘のようで 到着の日に迎えた夜は 扇風機一つで充分な涼しさだった。

 少し早いけれど、バンコクはそろそろ雨期を迎えるのだろうか。
 38度近い猛暑を覚悟してやってきたバンコクであるが、涼しいのに越したことはない。
 
 一夜明けた今日もうす曇の天気で さほど暑さを感じない。
 朝昼兼用の食事のために 外の通りを歩いてみたが、日曜日のためか 人の姿が少ない。
 バンコクの最初の屋台の食事は 東北タイのおばさんの東北タイ風牛肉麺と決めたが、
 今日はお休みである。
 仕方がないので 東北タイでも カンボジア国境に近いブリラムからやってきている
 おばさんの店のバーミー・ヘーン(汁なしラーメン)に決めたが、昼を過ぎており、
 日曜日ということで 用意した材料も少なめにしたせいか、豚のひき肉(ムー・サッブ) 
 は残っていないと言われる。
 ルーク・チン(豚肉や魚肉のボール上の練り物)を多めに入れてもらう。

 部屋に戻ってからは 昨日のフライトの疲れが残っており、のんびりと部屋で過ごす。
 日本から持ってきた アガサ・クリスティの探偵小説『忘れられぬ死』をベッドに
 寝ころんで読み始める。
 読んだり、うとうとしたりしているうちに 激しい雷鳴、稲光とともに 雨が激しく
 降り始める。
 亜熱帯特有の激しい雷雨である。
 部屋の中に雨が入り込まないことを確かめながら、ベッドの上に寝転がっている。
 私の住んでいるあたりは どうも雷雨の通り道らしく、時たま雷が近くに落ちることもある。
 稲光の饗宴といった様子で、変な花火を見ているよりもはるかに迫力がある。
 こんなときには 自分が今バンコクにいるという実感がはっきりしてくる。
 東北タイのコンケンにいるときには 激しい雷雨があったという記憶はない。
 コンケンを離れて10年以上になる。
 忘れがたい思い出が 山のようにある場所だ。
 大変な想いの中で生きていたコンケンでの生活であったが、それだけに忘れがたい
 場所でもある。

 パッチョン、コンケン、そしてバンコクとタイに住み始めてから、
 もう20年以上になった。
 このバンコクに居を構えてからも 早12年 月日の流れるのは速いものである。
 バンコクでの生活も少し 懈怠を感じるようになってきている。
 ここも東京と同じで 人間関係の希薄な街になってしまっている。
 人々の生活に余裕がなくなり、他の人間に対する興味が だんだんなくなってきている
 のである。
 特に私の住んでいるバンコクの中心地域では その傾向が強い。
 都会の刺激を楽しむという年齢ではなくなっていることが バンコクでの生活を
 鬱陶しいものに感じさせるようになってきている。

 心の中には いつも住む場所を変えなくてはという気持ちがあるが、
 引越しの手間を考えると その気持ちも萎えてしまう。
 体力と気力の衰えは年々増すばかりである。
 人生の転換を求めて 少し頑張らなくては、あと2年が勝負の年である。



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徒然なるままに | 18:56:16 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 百年前の布‐03
ブータン布の今昔 百年前の布‐03 1
   横 45cm x 縦 50cm     19世紀後期から20世紀初頭

ブータン布の今昔 百年前の布‐03 2

ブータン布の今昔 百年前の布‐03 3

ブータン布の今昔 百年前の布‐03

 横45cm 縦50cmの小さな布が 出てきた。
 こんな布があることなど とうの昔に忘れてしまっていた。
 すっかり 汚れきった布を丁寧にもみ洗いをすると 少しはきれいに
 見えるようになった。
 ブータンの大きな布のキラやチャクスイ・パンケップなどに囲まれていれば、
 ついつい見落としてしまいがちの小さな布である。
 紋様のバランスを眺めていると キラの端切れを利用して作られたもののようではない。

 どんな用途で使われていたのかはわからない。
 飾り物として壁に飾られていたのか、何かの敷物として使われていたのか。

 織り込まれた紋様の糸を見ると 藍染めの青、カイガラムシのえんじ、
 そして ウコンと茜を使って染められたような橙色、
 紋様のパタンや力強く織り込まれたごまあみ模様のティマの技法から見ると
 この布も19世紀後半から20世紀初頭に織られたもののように思われる。

 どんな小さなもの、ささやかなもののための織物にさえ 手抜きをしないという
 この時代のブータンの人々の心が感じられる。
 織物の得意な民族は どこか性格に粘着気質があるのかもしれない。
 山に囲まれた閉鎖的な社会はそれに拍車をかけたのかもしれない。

 日長一日 機の前に座り込み 神経を集中させ、精緻な紋様を間違うことなく
 織り込んでいく。
 中には2年がかりの時間を要する布もある。
 こうした布は やはり山間部で生まれる布である。
 物語を創り出すように 布をつむぎだしていったのだろう。

 手作り、もの作りの世界の中で創り出されてきたものは 作り手の心を映しだす
 鏡のようなものである。
 横45cm 縦50cmのこの小さな布にも充分に織り手の心が映し出されている。
 いい加減な気持ちで織られたものでないことは この布の持つ強さからしても
 理解できるというものである。

 工業製品ばかりに囲まれている現代生活、日常生活の中で もう物に眼を向けても
 感動することも 心を癒されることもないだろう。
 身近なものに作り手の心を感じることが少なくなっているからである。
 近代化の中で 大量生産のものが 生み出されるようになってから、人間の心や
 生活はどうなっていったのだろうか。
 豊かになっていったのだろうか。
 便利さ、価格の安さに目を奪われ、画一的な生活になってしまった。
 自分が望む生活から 知らず知らずのうちに 社会や組織、国に望まれる生活を
 強要されることで自らを見失っていくのである。
 物も人も画一的であることを望まれる世界、それが今の世界なのである。
 世界中を飛び回る情報は ますます人々を画一化していく。
 違った世界、異質な他人の生活や行動を理解することなく、排除しようとする世界に
 なってきている。
 そこは やさしさのない世界である。
 自分らしさを求めようとすればするほど、社会から剥離していくというおかしな世界に
 なっているようである。



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ブータン布の今昔 | 11:36:43 | Trackback(0) | Comments(0)