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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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東京から 気になるネパール
東京から 気になるネパール 1

東京から 気になるネパール 2

 毛沢東主義共産党主導の政府が ダハール(プラチャンダ)首相の辞任によって 
 崩壊したことにより 共産党という名に値しない統一共産党主導の政権作りが
 始まったようだ。
 政権議会選挙で落選したクマール・ネパール氏を首相に指名することで 統一共産党、
 国民会議派では合意を見たようだ。

 その流れの中で チトワンでの解放軍キャンプ内での プラチャンダ党首の発言内容を
 映し出したビデオが ネパールのテレビ局に持ち込まれ、それが論議を醸している。
1、解放軍兵士の実数は7,8千人であるにもかかわらず、2万人の登録がされたこと
  そのことで党の財政的な基盤を作った。
2、解放軍兵士の3千人を国軍に送り込むことで 国軍内での発言力・影響力を増す。

 そのビデオがどこまで真実を伝えているのかどうかは分からない。
 声の部分に編集を加えていることも考えられるが、発言内容については 
 かなり信憑性の高いもののような気がする。
 マオイストとしては 戦略上、当然 財政面、権力を手にするということでは 
 当然の方向性であるが、これを表に出すというのは 危険なことである。
 どう見ても プラチャンダ党首は 革命家ではない。
 卓上の理論家、扇動家に過ぎないとしか思われない。
 手足より 口が動くバウン族特有の性格を持っているのである。
 半年近く政権を担ったが、水不足、電力不足は天候任せで 何一つ解決して
 こなかったし、少なくともカトマンズにおいては 状況は悪化するばかりだった。
 インドなど協力を取り付けることが出来なかったということはあっても、
 その行政能力には 期待することは出来なかった。

 今まではマオイスト主導の政府ということで 警察も国軍も マオイストに対して
 厳しい対応をしてこなかったが、マオイストが政権を降りたことで、警察、国軍との
 軋轢が増していくのは予想されることだ。
 マオイスト主導のデモ、ゼネストに対しては かなり強行に対処していくことに
 なるだろう。

 マオイストの1党独裁も困るけれど、汚職にまみれた統一共産党、国民会議派主導の
 政府も困るというのが カトマンズ市民の気持ちだろう。
 しかし、カトマンズを1歩離れれば、村人たちの思いは違ってくる。
 特に虐げられてきた先住民族 タマン族、グルン族、マガール族、シェルパ族、
 ライ・リンブー族などの少数民族にとっては 公平な機会を得るために マオイストに
 希望を託していたことも確かである。
 240年間にわたるチェットリ族(王族、軍、警察)、バウン族(官僚、政治家)の
 支配構造は 先住民族の権利、利権を奪い取っていく歴史でもあったのだ。

 マオイストの上層部はやはり バウン・チェットリ族である。
 彼らがどれだけ 先住民族、ダリットと呼ばれる低カーストの苦しみを理解しているか
 どうかは分からない。
 その不満を一つに纏め上げ、それを利用してきたということも否めない。
 先住民族の中から真の指導者が生まれてこない限り、上手く利用されるという形は
 変わらないだろう。

 インドのカースト制をそのまま持ち込んで その上に胡坐をかいていたバウン・
 チェットリ族から 公平・公正さを奪い返すことは容易なことではない。
 バウン・チェットリ族からすれば、先住民族、低カーストの人間は 同等の人間では
 ないという気持ちが当然のことのようにある。
 頭で分かっていても いざとなれば やはり 下に見るということになる。
 人間は平等であるということは理想であっても ネパールの現実はそうではないことは
 はっきりしている。
 真剣に民族融和に向かわない限り、ネパールの混乱は収まらない。



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徒然なるままに | 19:41:27 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 ブータンのスカーフ ラチュー(02)
ブータン布の今昔 ブータンのスカーフ ラチュー(02) 1

ブータン布の今昔 ブータンのスカーフ ラチュー(02) 2

ブータン布の今昔 ブータンのスカーフ ラチュー(02) 3

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ブータン布の今昔 ブータンのスカーフ ラチュー(02) 6

ブータン布の今昔 ブータンのスカーフ ラチュー(02) 7

ブータン布の今昔 ブータンのスカーフ ラチュー(02) 8

 昨日、今日と 雨が降り、ブータンの古い布を洗濯しても 乾きが悪く、
 乾かなければ 写真を撮ることも出来ない。
 日本出発も あと4日を残すだけである。
 晴れないと 室内の光も充分でなく、色を正確に写し出すことは難しい。

 ブータンの女性用の正式な衣装のキラ クシュタラやノシェムを着たときに 
 身に付ける野蚕のシルクスカーフ ラチューには 大きく分けて2種類ある。
 一つは 縞柄のスカーフの両端に縫い取り織で紋様を施したものと もう一つは 
 えんじ色に染めた糸で織り上げ、その両端を縫い取り織で紋様を施したものだ。
 そのえんじ色は ラックと呼ばれるカイガラムシの色素を使って出すものである。

 ブータンの赤系の色は このラックと茜を使って染められる。
 近頃では どうも化学染料を使うことが多くなり、ラックを使うことも少なくなって
 いるようだ。
 1980年以降は天然染料よりも化学染料のほうが多く用いられるようになっている。
 簡単に染めることが出来る、色がはっきりしているといったことが化学染料を使って
 しまう理由だろうが、天然染料は 時間が経てば経つほど、味わいが出てくるが、
 化学染料を用いたものは 色あせて薄汚くなっていくだけである。
 染めたり、織ったりするものにとっては 10年後、50年後に色がどうなっていくか
 など興味のないことで、日常生活の中で使うものなら、簡単に染めることの出来るもの 
 方の便利であることは確かだ。
 彼らにとっては 織物や染色は趣味の世界でなく、生きるための手段であれば、より
 簡単な方法でというのは仕方のないことなのだろう。

 写真で紹介したラチューの1番目、2番目のものは 百年近く前に織られ、
 ラチューの地の染料にはラックが使われ、紋様部分も天然染料が用いられているが、
 1980年以降に織られたラチューでは地は化学染料、紋様部分には アクリル毛が
 使われている。
 地の部分は使っているうちに色あせてくるが、アクリル毛部分は いつまで経っても
 色落ちせず、そのままの色を保つというおかしなバランスの布になる。
 ポリエステル、レーヨンと色の変質しない素材が 1980年代以降には 隣国の
 インドからどんどん入り込んできて、ブータンの染織の世界をどんどん変えていく
 ことになる。
 最近では 若い女の子たちは 普段はキラを着ず、ジーンズやTシャツ、ブラウスを
 着るのが一般的になっていると聞く。

 生活の中での使用頻度が少なくなれば、ブータンの染織の世界も 観光客相手の
 土産物の世界になっていくだろう。
 日本が戦後、伝統の世界を失っていったように、ブータンもだんだんと伝統の世界を
 失っていくのだろう。
 アジアの文化・伝統が失われ、欧米化していくことで アジア人としてのプライドも
 失われていくような気がしてならない。
 宗教が力を失っている日本では アイデンティティの維持は 他のアジアの国々に
 もっと大変なことなのかもしれない。
 違った人間の歴史を持つ欧米人とアジア人、肉食系と草食系、個人主義と共同体主義、
 論理的世界と情緒的世界、欧米化していくことで こうした面をどう折り合いをつけていくのか、
 大きな問題である。

 衣食住という生活の根幹が欧米化していくことだけで アジア人の持つ情愛の世界まで
 不安定なものになっていると思うのは私だけだろうか。





ブータン布の今昔 | 10:03:59 | Trackback(0) | Comments(0)