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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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バンコク 今日はプラカノンへ‐04 バンコク中心部へ向かって
バンコク 今日はプラカノンへ‐04 バンコク中心部へ向かって 1

バンコク 今日はプラカノンへ‐04 バンコク中心部へ向かって 2

バンコク 今日はプラカノンへ‐04 バンコク中心部へ向かって 3

バンコク 今日はプラカノンへ‐04 バンコク中心部へ向かって 4

バンコク 今日はプラカノンへ‐04 バンコク中心部へ向かって 5

バンコク 今日はプラカノンへ‐04 バンコク中心部へ向かって 6

 プラカノンの昔ながらの佇まいの中に身を置き、人々の生活を眺め、夕暮れ時の
 プラカノンから48番のバスに乗って MBKセンター(マーブンクロン)に帰ってくる。
 帰りは 48番のバスでも 乗車賃8バーツの冷房なしの普通のバスである。

 バスはMBKセンターに近づくにつれて 近代的な大都会の様相に変わっていく。
 20年前には このあたりの中心的な場所MBKセンターが閉店になれば、闇の中に
 沈んでいたこのあたりも ディスカバリー・センター、高級デパート サイアム・
 パラゴンなどが建ち並ぶにしたがって一大消費センターへと変わってきている。
 MBKセンターの近くに出来たバンコク現代美術館も最悪だ。
 美術館の前に展示されている作品を見ると うんざりしてしまう。
 奇をてらっているとしか思えないのである。
 公園をつぶしてまで、こんな美術館を作る必要があったのか、今でも疑問だ。
 タイ人上流階級の似非欧米崇拝の姿が ここにある。
 タイ伝統博物館でも作れば、まだ救いがあるが、バンコクの伝統は高々2百年に
 過ぎない。
 タイの中枢を握る中国系タイ人には タイの伝統など興味はない。

 便利さを優先してこのあたりに住みついてしまったが、実に味気ない場所である。
 私のマンションの裏手にあるセンセーブ運河の向こう側に イスラム教徒のチャム族の
 集落 バーン・クルア、そしてその集落の先にある下町界隈があるから 
 救われているようなものである。
 バンコク都内の中でも地価が一番高くなってしまったこの地域、自然など 
 僅かしか残っていない。
 草花といえば、バーン・クルアの集落の中で 住民たちが大切に育てているものである。
 まるで東京のど真ん中にいるような気持ちになってしまう。
 東京なら近くに公園などがあって、季節に変化を楽しむことが出来るが、
 MBKセンター周辺ではなかなか難しい。
 だから、気休めにバーン・クルアの集落の中を歩き回ってみたり、プラカノンまで
 出掛けていくことになる。

 部屋の中にいて 唯一楽しめるものといえば 雲見である。
 部屋のベランダから 雨期の雲の変化を眺めるのは楽しい。
 晴れていたと思ったら いきなり黒い雲に覆われ始め、激しい雷雨に変わっていく。
 ベランダでタイ特有の観葉植物でも育てればいいのだろうが、居たり居なかったりでは
 それも適わない。
 仕方がないのでバーン・クルアの集落まで行って、他人の育てた草花も見て 
 楽しませてもらっている。

 夜に12時過ぎて 部屋の屋上から MBKセンターを眺める。
 その横にはBTS高架電車の国立競技場駅がある。
 真夜中の12時過ぎでも 灯りは赤々と灯り、闇の世界はない。
 この光景を見るたびに 自分はとんでもないところに住んでいるという想いに
 駆られる。

 このバンコクもこれから一体どうなるのだろう。
 今は中弛みのような感じで 政治的な混乱は落ち着いているが、日増しにタイの
 経済不況は深刻さを増すだろう。
 いくら力で抑えても 生活が苦しくなれば、貧しい人たちは不満の声を上げていくだろう。
 日本と違って、タイでは食うや食わずの苦しい生活をしている人たちが 5割以上
 いるのである。
 どう見てもバンコクに建ち並ぶ高層ビル群は 見せ掛けのようにしか見えない。
 バンコク滞在もあと1週間、日の流れていくのは本当に速い。


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バンコクの運河 | 22:58:14 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐15a
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐15a 1
  ブータン    木綿とアクリル毛糸のキラ         1980年代後半

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐15a 2

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐15a 3

 1980年後半あたりに織られたキラである。
 このキラは 普段着というよりハレの行事のために織られたものだろう。
 片面縫い取り織りという高度の技術を駆使しながら、使っている素材がよくない。
 地はインドからの木綿の工場糸、そして片面縫い取り織りの紋様は 化繊のアクリル
 毛糸が使われている。
 キラを豪華に見せるための金糸といえば プラスティック製のものである。
 これを使っただけでも ブータン布の持つ品位が失われている。

 インドから怒涛のように入り込んでくるキラの材料に眼を奪われ、それを使うことで
 風合いや味わいがどんどん失われていっている。
 このキラだって 織り上げるのに2,3ヶ月はかかっているはずである。
 せっかくの労力が 報われていないのは残念なことだ。

 新しい素材を試してみたいのはわかるが、それによって 品位が失われることには
 気がつかない。
 多彩な色を持つ化学染料や化繊は ブータンの人々の色感覚を変え、織り込む紋様の
 複雑さを加えていったが、落ち着きのようなものが感じられなくなった。

 どうしてアクリル毛糸が使われるようになったのだろう。
 羊毛と違って洗いが楽なことからだろうか。
 そして、羊毛より安く材料を手に入れることが出来たからだろうか。

 昔からキラの紋様の織り込みに羊毛を使うことはあった。
 これは冬場の寒さに対する防寒の用途もあったのだろうか。
 太い羊毛糸を使って 紋様を織り込んでいれば、確かに時間短縮にもなっただろう。
 ブータンの庶民にとっては このことによって 安くキラを手に入れることが
 出来るようになったのかもしれない。
 昔は ハレのためのキラは 王族など身分の高い人たち専用の衣装であったが、
 1980年ごろには 一般の庶民も クシュタラ、ノシェムを ハレの日に身に
 つけることが普通になってきたようだ。
 あまり高すぎると 手に入れることは難しい。
 そんな時代の要請もあったのだろう。


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ブータン布の今昔 | 02:32:15 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 今日はプラカノンへ‐03 心惹かれる情景
バンコク 今日はプラカノンへ‐03 心惹かれる情景 1

バンコク 今日はプラカノンへ‐03 心惹かれる情景 2

バンコク 今日はプラカノンへ‐03 心惹かれる情景 3

バンコク 今日はプラカノンへ‐03 心惹かれる情景 4

バンコク 今日はプラカノンへ‐03 心惹かれる情景 5

バンコク 今日はプラカノンへ‐03 心惹かれる情景 6

バンコク 今日はプラカノンへ‐03 心惹かれる情景 7

 プラカノンにやってくると 懐かしい気持ちにさせる様々の光景に出会う。
 運河沿いに住む木造家屋の外の造られたお勝手、必要なものだけが、きちんと
 並べられている。
 人間が生きていくためにどれだけの贅沢が必要なのか 考えてしまう。

 そんな運河沿いに住む人々の生活を眺めながら、再び プラカノン運河の船着場の
 方に向かって歩き始めると 路上では 今時 一体 こんな果物を誰が買うのかと
 いった酸っぱいライチ、小さな木の実を売っているスーリンからやってきた物売りが
 座り込んでいる。
 出稼ぎにやってきた田舎の人たちが 懐かしがって買うのかもしれない。

 船着場周辺に戻ってくると 昔ながらのタイの手作りの品物を売っている。
 懐かしい東北タイ イサンで造られている竹細工もある。
 そんな店の前を 学校帰りの中学生たちが 船着場へと徒党を組んで歩いている。
 この光景も 昔風なこの店の前では 昔風の中学生のように見えてくるから、不思議だ。
 みんな楽しそうに家路へと向かっている。

 そんな光景を 私は 運河に架かる橋の下のアーケードにある昔風の氷菓子屋で
 冷たい氷菓子を食べながら、眺めている。
 プラカノンに来るたびに 帰りにはこの氷菓子屋で氷菓子を食べるのが習いと
 なってしまい、この店のおばさんとは すっかり顔見知りになってしまった。

 店のすぐ近くには たくさんの床屋が並んでいる。
 その床屋では 小さな男の子が母親に声をかけられながら、頭を刈っている。
 これも昔の日本の懐かしい光景の一つである。
 橋の下のアーケードの中は 何十年も時間の流れが止まり、昔の姿 そのままだ。
 まだバンコクには こんな世界もあるのである。
 だから、何度もこのプラカノンのこの場所に来たくなってしまうのだ。

 日本の昭和30年代の世界が このプラカノンには 残っているからだ。
 この50年間、日本は 何を無理して頑張ってきたのだろう。
 みんな、少しも幸福になってないではないか、そんなことを問いかけたくなる。
 自分を誤魔化すのは やめたほうがいい。
 一体 何を失ったのか わからない人間は どこへ行っても求めているものを
 探し出すことは出来ないのだ。

 私の座っている屋台では 小学校から帰ってきた屋台の主人の子供たちが 
 親たちと座り込んで、おやつをのんびりと食べている。
 そして、その向こうには ここ20年変わることのない木造家屋が 建ち並んでいる。
 世の中が変わっていくより、変わっていかないことのほうが 幸せは残っていくのかもしれない。

 いつも同じ変わらない風景がそこにある。
 自分と共にあるという安心感、 それが幸福ということなのかもしれない。
 それをひたすら壊し続けてきたのが日本であり、そしてタイもそれに続こうとしている。


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バンコクの運河 | 01:15:47 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐14
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐14 1
  ブータン  木綿糸とアクリル毛糸のキラ    1980年代前後

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐14 2

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐14 3

 1980年前後に織られた木綿のキラである。
 地にはインドからの工場生産の染め糸が使われ、片面縫い取り織りの紋様と
 紋織りの紋様の両方が織り込まれている。
 片面縫い取り織りのティマの技法が 両端には使われている。

 織りは完璧といってよいぐらいに見事なものである。
 これを着ていた女性も余程気に入ったのだろう。
 しっかり、着古していることがよくわかる。

 しかし、この色のバランスはどうなっているのかときになる。
 片面縫い取り織りの紋様の織り込みには インドからの化繊糸のアクリル毛糸が
 使われ、木綿部分の色は 時の流れとともに 程よく色落ちしているというのに
 アクリル毛糸で織り込まれた紋様は 織られた当初の鮮度をそのまま保っていると
 アンバランスなものになっている。

 20世紀中期前後までは ブータンの羊毛を手で紡ぎ、天然染料で染めた羊毛糸を
 使って 片面縫い取り織りの紋様を施していたから、時が経っても
 地の色と紋様の色がバランスよく 色に変化を加え、味わいを醸し出していた。

 しかし、このしっかりと織られたこのキラにもかかわらず、木綿とアクリル羊毛糸、
 どうしても 時間の流れに折り合いをつけてくれないようである。

 織られた当初は 木綿の地も アクリル毛糸で織られた紋様も うまくバランスが
 取れていたのだろうが、天然素材の木綿と化繊であるアクリル毛は 時の流れと共に
 ミスマッチになってしまう。
 織りの世界では やはり使う素材が 時の流れと共にどう変化していくのという
 見通しが大切であるが、新しいアクリル毛糸に眼を奪われ、そこまで考えることも
 なかったのだろう。
 又、10年後にアクリル毛糸がどう変化するのかという見通しも立たなかったに
 違いない。
 1980年以降 このアクリル毛糸を使うことが流行し、普段着のキラの
 片面縫い取り織りの紋様の大半には このアクリル毛糸が使われているのである。


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ブータン布の今昔 | 14:06:41 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 今日はプラカノンへ‐02 プラカノン市場の雑踏
バンコク 今日はプラカノンへ‐02 プラカノン市場の雑踏 1

バンコク 今日はプラカノンへ‐02 プラカノン市場の雑踏 2

バンコク 今日はプラカノンへ‐02 プラカノン市場の雑踏 3

バンコク 今日はプラカノンへ‐02 プラカノン市場の雑踏 4

バンコク 今日はプラカノンへ‐02 プラカノン市場の雑踏 5

バンコク 今日はプラカノンへ‐02 プラカノン市場の雑踏 6

バンコク 今日はプラカノンへ‐02 プラカノン市場の雑踏 7

バンコク 今日はプラカノンへ‐02 プラカノン市場の雑踏 8

 プラカノンへやって来れば、必ず覗きたくなるものが 市場である。
 バンコクにある市場の中では プラカノン市場は クロントイ市場の次に 
 大きな市場かもしれない。
 庶民の多く住む界隈には 必ずといっていいくらいに 昔ながらの市場がある。
 近頃では 大型スーパーが至るところに出来て、バンコクの中心部では、
 昔ながらの市場は減る一方である。
 スーパーはモダンで清潔な装いで 人々を惹き付けるが 売り手と買い手との間には
 暖かい係わりはない。
 あたかも安いように見せかけているが 実は値段も 昔ながらの市場に比べると
 はるかに高い。

 20年近く前、私の住んでいるあたりにも小さな昔風の市場があったが、今では
 その場所には 大型スーパー ロータスが建ってしまった。

 プラカノン市場はまだ健在である。
 果物、野菜、肉、魚と スーパーよりも安く、時間が遅くなれば、値段も安くなる。
 市場にやってくる人も 気楽に普段着でやって来ることが出来る気安さもある。
 人と物との基本的な生き生きした姿が ここにはある。
 安心して物を買うことはできる雰囲気の中で 人々の表情もゆったりしている。

 ここにやってくると、私も物の売り買いの原点を見るような気がして、
 嬉しくなってしまう。
 20年前には感じなかったプラカノン界隈のよさが、今 はっきりと感じられるようになった。
 あの頃は プラカノン界隈を散策しようをいう余裕もなかった。
 人に会う用事があって、この場所に来ることが何度かあった。
 その場所も 20年前とそっくりそのままの姿で 今も残っている。
 あの頃の自分と今の自分を考えてみるには 格好の場所である。

 今なら、このあたりに住んでもいいなと思うようになっている。
 無理なく自分をこの場所に置けるだろう。
 夕方に市場にやって来て、野菜だの、肉だの、魚だの買いにこの市場にやってくる。
 時々、プラカノン船着場から定期船に乗り、好きなところで降りて、運河沿いの
 遊歩道を散策する。
 プラカノン界隈を行きかう人々、路上で商いをする人々を眺める。
 そのうち飽きてしまうだろうが、それも一つの生活だ。
 どこかに腰を落ち着けて住むなら、こんな場所が 一番気楽でいい。

 市場の中を歩き回っていると 昔の木造の市場が残っていた。
 今は 物置のようになってしまっている。
 建てられてから 百年近くは 経っているはずである。
 今は使われてないところを見ると この市場もスーパーなどに押され、
 商いも 年々小さくなっているのだろう。
 冷房の効いた小奇麗なスーパーが増えるにしたがって、バンコクの人々の足元も
 ふらふらとおぼつかない地に着かないものになってきているようだ。
 買う気もなく、スーパーにいっては 商品を眺め、ため息をつきながら、帰ってくる。
 そして、生活に本当に必要なものとそうでないものの判別がつかなくなり、
 欲求不満に悩まされ、惨めさを感じるようになる。

 その分 こうした昔ながらの市場は 生活に本当に必要なものばかりで占められ、
 背伸びをする必要もない。
 こんな市場が バンコクから姿を消せば、バンコクも味気ない街になり、
 魅力を失っていくだろうし、その気楽で気の置けない良さを知る人も
 いなくなって行くだろう。
 しかし、今の若い世代の旅行者など、こんな市場など 根っから興味がないのかも
 しれない。
 懐かしんでいるのは 私のような昔の日本を知る中高年ばかりなのに違いない。



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バンコクの運河 | 11:44:36 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐13
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐13 1
  ブータン    木綿のキラ        1980年代後期

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐13 2

 片面縫い取り織りの技法を使っておられたキラである。
 1980年代頃から、ブータンで織られるようになった木綿のキラのパターンなの
 だろう。

 一つ一つの紋様を 片面縫い取り織りで織り上げていくのは 実に手間の掛かる作業で
 ある。
 地には インドからの黒い木綿糸を使い、紋様部分には 1980年代以降に
 インドから入ってくるようになったアクリル毛が使われている。
 全く色落ちのしないアクリル毛である。
 工場生産のも木綿の染め糸、レーヨン糸、アクリル毛糸、化学染料と どんどん 
 インドから入り込んできて、ブータンの染織の世界も大きな転換期を迎えることになる。

 しかし、びっしりと布全体に織り込んだ紋様を見ているだけでも圧倒されるところは
 ある。
 このキラを織り上げるだけでも 1,2ヶ月は掛かるだろう。
 片面縫い取り織りの技法のひとつ ティマ(ごま編み)を使っていないだけ、楽であるが、
 それでも 時間ばかりは 両面縫い取り織りよりもかかる。

 両面縫い取り織りの技法は 東南アジアでもよく見られるが、こうした片面縫い取り
 織りは 他の地域ではなかなか見られない。
 それだけ、面倒な時間を要する技法なのである。
 このキラの中に織り込まれている紋様は 刺繍ではなく、刺繍のように織り込まれた
 紋様であることは 重ね重ね 伝えておく。
 経糸に糸を絡ませながら、作っている紋様で 布の裏にはこの紋様は見られない。
 裏側は 全くの黒地なのである。
 経糸をすくう際、表側だけに模様が出てくるように 紋様のための糸を1本の
 経糸だけに絡ませることで 裏側に紋様が見えないのである。
 どうして、こんな面倒なことをするのか、知っているのは ブータンの人々の心の
 中にしかない。
 伝統とは そんなものなのかもしれない。


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ブータン布の今昔 | 01:39:59 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 水牛のいる家
バンコク 水牛のいる家 1

バンコク 水牛のいる家 2

バンコク 水牛のいる家 3

バンコク 水牛のいる家 4

 水牛のいる家といっても 生きている水牛のいる家のことではない。
 水牛の頭骸骨を飾ってある家のことである。
 黄色くペンキの塗られたよく目立つ家の2階部分の壁に 水牛の頭蓋骨が 
 所狭しと 飾られている。
 ふと目を向けると ちょっとぎょっとする光景である。
 タイ人には どこかこんなグロテスクなものを好むところがある。
 何か信仰の対象なのかと この家の持ち主に訊いてみるが、そうではないという。

 タイでは 牛の肉は食べても 水牛の肉は食べないと聞いている。
 水牛は農作業の手伝いをする生き物だから、食べないという人もいる。
 本当のところ、どうだかわからないが、私はタイでは水牛の肉を食べたことはない。

 タイでは家畜、特に牛などの堵殺・解体をするのは 何十年か前に パキスタンから
 やってきたイスラム教徒であるという。
 記憶によれば、ベトナム戦争当時、タイに駐留するアメリカ兵のために 牛肉の需要が
 増え、その仕事を受け持ったのが パキスタンから移民してきたイスラム教徒だという。
 もしかしたら、彼らは水牛の堵殺・解体もしているかもしれない。

 水牛料理といえば、カトマンズに古い時代から住み着いているネワール族の得意とする
 料理である。
 私もカトマンズに行くと ネワール料理店で セクワ(水牛のヒレ肉の油いため)、
 ツウェラ(水牛のあぶり肉の和え物)、水牛肉の煮込み、あるいはモモと呼ばれる
 水牛肉の入った蒸し餃子をよく食べる。
 牛肉に比べると硬い肉だが、カトマンズのネワール族を すい牛肉を上手に料理する。
 水牛は食用のためのもので 農作業には使われない。
 ネパールやインドでは 農作業に使われるのは牛の方が多い。

 インドでは 牛は神様と同じだから、食べないが、同じインドでもダージリンのような
 植民地時代 イギリス人の保養地では、牛肉を食べる習慣が残っている。
 インドにいるイスラム教徒は 好んで水牛肉を食べるようだ。
 カルカッタでは イスラム教徒の経営する牛カレーの店があるが、
 水牛肉を使っているのか、牛肉を使っているのか 定かでない。
 インドの牛肉は 水牛肉と同じくらいに硬いから 区別がつかない。

 日本の柔らかい牛肉に慣れている舌には インドやタイの牛肉は 牛肉の匂いがなく、
 言われれば、牛肉かとわかる程度のものだ。
 だから、水牛肉を牛肉だといわれても 区別がつかないとところがある。
 それでも タイでは質の高い肉牛が飼育されているから、インドのものと比べると 
 格段に美味しい。

 水牛の話からそれてしまったが、タイでは鈍い動物の代表のように言われる水牛だが
 結構大切にされているようだ。
 チョンブリ県で行われている水牛を使ったレースは 有名らしい。

 同じ水牛でも ヒンズー教の国では 悪魔の乗り物を引く邪悪な動物、
 タイでは 少し抜けていて間抜けな愛すべき動物、国によって受け止め方は
 違うものである。


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バンコク ある風景 | 18:05:53 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐12
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐12 1
  ブータン   木綿のキラ          1980年代後半

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐12 2

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐12 3

 1980年代に織られた木綿のキラの中にも こんな華やかなものもある。
 片面縫い取り織りと両面縫い取り織りの二つの技法によって織られたものだ。

 織りの技術は素晴らしいけれど、この時代になると、手紡ぎ、手染めといった面倒な
 作業はなくなってしまっている。
 インドからの工場生産の染められた糸が使われることが 一般的になってきている。

 織りの技術はしっかりしたものであるが、ノルマ、お金のために布が織られている
 感じがしてしまう。
 キラの中で使われている紋様のパターンも たくさんのパターンを用いず、
 キラを如何にして美しく織り上げるかの工夫がなくなっているように思われる。

 注文に応じて 着る人のことを考えて織るというより、市場に並べて売るという目的で
 織り上げたものだろう。
 こうなると織り手の個性も着る人の個性も見えてこなくなる。
 着る側も 自分に似合うものを市場に行って買うという姿に変わってしまっている
 のかもしれない。

 20世紀前後からのキラを見ている私からすれば、なんとなく物足りないものを
 感じてしまうのである。
 私に似合うものをこんな風に織ってほしいという願いと、その願いを実現するために
 織り手が工夫し、持てる技術を最大限に生かすというもの作りの基本が 失われて
 しまったとも思われる。

 この時代以降のブータンの織りは 富裕層のための特別注文を除けば、ブータンに
 やってくる旅行者・観光客のためのものへと変わってしまったのだろう。
 そういう時代、そういう社会にブータンが変わってしまった証明なのだろう。



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ブータン布の今昔 | 15:35:19 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 今日はプラカノンへ‐01 48番のバスに乗って
バンコク 今日はプラカノンへ‐01 48番のバスに乗って 1

バンコク 今日はプラカノンへ‐01 48番のバスに乗って 2

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バンコク 今日はプラカノンへ‐01 48番のバスに乗って 6

バンコク 今日はプラカノンへ‐01 48番のバスに乗って 7

 今日は 朝から曇り空、いつ雨が降り出しても不思議ではない空模様だ。
 どこかに出掛けても 雨に遇うといやだなと思ったが、こんな曇り空の下、家の中に
 いるのも鬱陶しいので、出掛けることにした。

 今日は久しぶりにプラカノンに行くことにした。
 ラーマ1世道路に出て、48番のバスを待っていると、今まで見かけたことのないような
 黄色の48番の冷房バスがやってきた。
 別に48番の冷房なしのバスでよかったのだが、プラカノンまで行くかと
 車掌に尋ねると 行くと言うので 座席に座り込んだ。
 走り始めたばかりの新しいバスだが、座席が硬く、居心地はあまりよくない。
 プラカノンまでの乗車賃は 14バーツである。

 プラカノンまでの道筋は 昔と随分違い、高層ビルがやたら増えたことに 
 今更ながら 驚いてしまう。
 20年前のバンコクを考えれば、夢のような光景だ。
 20階建て以上のモダンなビルを見ていると、つくづくバンコクは変わってしまったと
 いう思いに駆られ、溜息が出てくる。
 マンションや商業ビル、こんな建物の恩恵を受ける人は どれだけ居るのか、
 街の見た目は 近代的で、小奇麗になったが、その分、バンコクの人々が
 幸せになったのかと考えると、それは実感として湧いてこない。

 バスは タイの東方面に向かうバスの発着所 エカマイ・バスターミナルの前を
 通り過ぎていく。
 昔は このバスターミナルからパタヤによく行ったものだ。
 パタヤに行かなくなってもう12,3年になる。
 パタヤに初めて行ったのは 20年以上前である。
 年々パタヤは 変わり始め、私にとっては魅力を失い、行くことがなくなってしまった。

 そんなことを考えているうちに バスは プラカノンへと到着した。
 プラカノンはどういう訳か 果物が安い。
 今盛りのマンゴスチンは 1キロ20バーツ(約55円)以下、新種のライチも1キロ
 35バーツ、私の住んでいるところより はるかに安い。
 バンコクの東の果て、庶民たちの住む場所なのだろう。
 モダンな高層ビルの建ち並ぶスクムビットからやってくると 
 妙にほっとさせてくれる場所なのである。
 古いバンコクの雰囲気が色濃く残り、懐かしい場所にやってきたという想いに駆られる。

 路上で売られている安い果物を眺めながら、プラカノン運河の船着場へと歩いて行く。
 いつ雨が降ってくるかわからないので 今日は船には乗るつもりはない。
 船着場周辺を散策するだけである。
 バンコクの中心部とは違って、ごく当たり前の庶民の服装をした人々が行きかう街
 それがプラカノンだ。
 今風なモダンなものより、昔威風なものの方がよく似合う街である。
 船着場のすぐ橋の下は 屋台、床屋、昔風のタイの氷菓子の店と 
 昔風な庶民の暮らしやすい場所になっている。

 橋の上に上り、プラカノン運河を眺めてみる。
 プラカノン運河の下流に 昔ながらの木造の集落が見える。
 何艘かの水上生活者の船も浮かんでいる。
 私の心の中に深く残っている昔のバンコクの風景だ。
 のんびりとした亜熱帯の人々の生活の流れに合った時間の流れが 感じ取れる。
 私の好きだったバンコクの姿がどんどん失われ、もうそんな場所は バンコクの中では
 数少なくなった。
 そんな場所の一つが このプラカノンなのである。


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バンコクの運河 | 11:52:23 | Trackback(0) | Comments(6)
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐11
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐11 1
 ブータン  レーヨンのキラ           1980年代

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐11 2

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐11 3

 このキラが1980年代に織られたものである。
 この時代には レーヨンの糸が インドから入ってくるようになる。
 一見すると シルクのようにも感じられるレーヨンの糸である。
 それと色落ちがしないことも当時は喜ばれたに違いない。
 ただ、シルクと違って、レーヨンの糸でキラを織り上げると重くなってしまうという
 弱点があるが、洗いも楽、その上丈夫であることは 野蚕のシルク、木綿、養蚕シルク
 しか知らなかったブータンの人々にとっては 驚きの素材だっただろう。

 キラを織る際にも すべりがよく、余計な手間が省けたように思える。
 このキラを見ていると、確かに織り込みの紋様も くっきりと浮き上がり、
 見事に織りあがっている。

 このキラを織り上げた当時は レーヨンの糸は 高級品だったのかもしれない。
 今でもそうだか、インドで新しい素材を使うようになる初めの頃は 意外と
 単価が高い。
 日本から 刺繍のためのコンピューターを取り入れた機械が入ってきた頃、
 その機械刺繍が施された布は 手刺繍の布より、高価な時期があった。

 洗い安く、光沢があって、丈夫で色落ちのしない糸ということで ブータンの人々の
 眼を惹き付けたということは充分考えられるし、多少高くても手に入れようとした
 だろう。

 しかし、レーヨンの糸で織られたキラが それほど出回っていないことを見ると、
 裕福な人々の好奇心を満たしただけで、廃れていったのだろう。
 着ると重いという難点も影響したのかもしれない。

 どんな素晴らしい織りの技術を持っていても 使う素材によって、キラの良し悪しを
 決定してしまうことがよくわかる。
 冬などは レーヨンの糸で織られたキラは 防寒の役目を果たさなかったのかも
 しれないし、夏には通気も悪く、着心地が悪かったのかもしれない。
 木綿や野蚕の糸で織られたキラには 敵わなかったのだろう。

 日本で着物の素材としてレーヨンが使われた頃、日本人はどう反応したのだろう。
 興味のあるところである。


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ブータン布の今昔 | 15:05:32 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコクから 世の中を見るための大切な視点
 昨日は 海の向こうの日本では 麻生首相と民主党の鳩山代表との党首討論が
 行われた。

 麻生首相は 相変わらず、民主党の前小沢代表の西松事件の話に終始していたようだ。
 テレビ中継を利用して 西松事件に対する関心を呼び戻そうとしているようにすら
 見える。
 小沢前代表の秘書が 起訴されたというだけで有罪が確定したわけではない。
 それを盾に相手を攻めるというのは 『有罪が確定するまでは 推定無罪』という
 法の原則を蔑ろにする発言内容だった。
 国民は 何もわかっていないのだから、いい加減な事実で丸め込めるという麻生首相の
 傲慢な姿勢がはっきりと見て取れる。
 世論を意識してのことだろうが、それが成功したとは到底思われない。

 日本のジャーナリストの良識を示す記事に出会った。
 それは 『THE JOURNAL あなたの知らない”ニュース“がここにある』という
 インターネットのWEBで見つけたものである。
 今のマスコミの世界では失われてしまった見識というものを感じさせる記事内容だった。

 それは 『田中良紹の国会探検』の中で 三つの記事である。
 国民が これからの日本の政治をどう見つめていくのかという視点を持つには 
 極めて重要なものである。

 「世論が大事」と言うデタラメ
 http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2009/05/post_189.html

 民意とのねじれ
 http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2009/05/post_190.html

 民主主義を壊す「説明責任」
 http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2009/05/post_191.html


 田中良紹氏のこの三つの記事は 政権交代という重要な局面の中にある日本の政治を
 考えていくには必読のものである。
 マスコミによって作られた世論というものが 如何にいい加減なもので 意図的な
 ものであるか、草した妖しげな世論を使って 民意というものを作り上げ、国民の声で
 あると声高に叫ぶ危険性、そして 国民を騙し、政敵を貶めていく。
 あるいは 政府に反旗を翻す人間を冤罪に貶めることが 簡単に行われてしまうことに
 対する警鐘にもなっている。
 それは それは テレビ、新聞というマスコミの中では失ってしまった良識、見識を
 感じさせるものだ。
 国民とは騙しやすく、操作可能なものとして、今の政府もマスコミも簡単に考えている。
 選挙が近づくにしたがって、デマが飛び交い、国策捜査めいたものが横行するだろう。
 この三つの記事は それが正当なものであるかどうかを 照らす光になるだろう。
 是非、みんなに読んでもらいたい記事である。


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徒然なるままに | 14:34:55 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐10
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐10 1
  ブータン   木綿のキラ                1980年代

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐10 2

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐10 3

 この木綿のキラも 1980年代に織られたものである。
 紋織りの技術は確かなものであるが、布の材料は インドからの化学染料で
 染められた工場生産の木綿糸が使われるようになっている。

 まだこの時代は いいかもしれない。
 材料はインドの工場生産の糸であっても 自国で織られたものを着るという習慣は
 残っていたようだ。
 1990年代に入ってくると、普段着のキラは インドからの安い布に変わっていく。
 ブータンの紋様を真似て、ジャガード織の技術を使った機械で織られた布が入って
 くるようになってくる。
 見た目には ブータンの手織りの布のように見えるが、機械織りのため織幅も広いので
 すぐにわかる。

 このキラだって、手織りであるから、キラ1枚織り上げるのに 1ヶ月以上はかかる
 はずである。
 普段着であれば、安い方がいいと思うのは 人間の当たり前の姿だ。
 もうブータンは 時間とお金に左右される国になってしまったのである。
 富裕層は 昔ながらの といっても化学染料で染められた糸を使ったキラではあるが、
 まだ手織りのキラを身につけることは出来たが、貧しい人々にとっては 
 手の届かないものになっていたはずである。
 それは日本の着物文化が廃れていったのに似ているかもしれない。

 このキラの織りの技法は 野蚕のシルクで織られたキラの中では生きている。
 しかし、野蚕のキラも 使われている野蚕のシルク糸は 
 化学染料で染められるようになっている。
 そのことは 野蚕のシルクで織られたキラの紹介の際に説明しよう。


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ブータン布の今昔 | 01:40:57 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 続々出てくる日本人父親探し
 タイ北部のピヂット県に住むケイゴ君の日本人の父親探しを皮切りに タイ各地で
 日本人の父親探しが 起こっている。

 簡単な気持ちでタイに遊びにやって来て、タイ女性と一緒に生活を始め、子供が出来、
 飽きてしまえば、さっさと日本に帰って 知らん顔をしている日本の男も多いのだろう。
 すねに傷のある日本人なら、いつ自分のことが話題に上るかと思うと おちおち寝て
 いることもできないだろう。
 こんなケースは 日本人のみならず、多くの外国人との間でも多くあるのだろうが、
 マスコミで話題になり、援助も得られるということで 日本人の父親探しが 盛んに
 なってきたようだ。

 タイに長く滞在することの多い私にとっては、日本人の印象を悪くしている出来事の
 ようで居心地が悪い。

 こんな父親探しが 数多く始まってくると 親の愛情とは何だろうと考えてしまう。
 母親であれば、自分のお腹を痛めて生んだ子供ということで、はっきりと親である
 ことを認識するのであろうが、父親は 女性との関係で親になったということを
 納得するだけである。
 父親になることは 父親になったということを自分に納得させることだろう。
 そして、子供と一緒に生活することで 親としての子供への愛情を育て、父親に
 なっていくのである。
 こうしたことがきちんと育っていなければ、子供がいても 父親としての意識はなく
 離れて生活していれば、子供のことは忘れられ、生活の外に追いやられてしまうだろう。

 しかし、いい加減な気持ちでタイ女性と一緒に生活し、その結果として子供が出来る。
 そして、子供に対して責任を感じないというなら、子供は大変な不幸を背負い込む
 ことになる。

 知り合いのタイ女性の中にも 65歳過ぎの日本人男性と付き合い始め、女の子が
 生まれ、その日本人は何年かバンコクにやってきていたが、子供が5,6歳になった頃、
 音信が途絶え、大変な生活をしている人もいる。
 日本人はお金持ちだから、付き合えば 生活も楽になるという気持ちで付き合って
 いたのだろうが、バンコクに来なくなってしまえば、それが 縁の切れ目になる。
 今が楽しければ、それでいいという南国の女性の性格も大きな原因がある。

 親子の愛情が薄くなっている日本、親の責任などどこ吹く風といった日本、
 そんな国で育った人間が タイにやってきて女遊びをすれば、タイで日本人の
 父親探しが 増えていくのは当然の帰結なのだろう。

 なんとなく生活しているうちに子供が出来、面倒になると逃げ出すというのでは
 あまりに情けない。
 それは 日本でも同じことである。
 だから タイに来ても同じことを繰り返すのである。
 そんな人間のために タイで普通に生活する日本人が 肩身の狭い思いをするのは
 腹立たしいことだ。
 いつになったら、この日本人の父親探しは 収まるのだろうか。
 お軽い日本人が 増える昨今、解決への道は 遠いだろう。

 ***『タイの地元新聞を読む http://thaina.seesaa.net/』というホームページを読めば、
   毎日のように父親探しのことがニュースとして登場している。***


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タイ事情 | 00:27:22 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐09
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐09 1
  ブータン   木綿のキラ         1980年代

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐09 2

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐09 3

 1980年代に入ると ブータンの木綿のキラのほとんどは 工場で染められた
 工場生産の糸が使われるようになってくる。
 この木綿のキラもそんな時代のキラである。

 紋様の織り込みなども丁寧にしっかりとしているが、何か風合いのようなものが
 感じられないのである。
 糸が均一で揃っていれば、手紡ぎ糸に比べれば、織ることも楽になるし、染めも
 始めから染めてある工場生産の糸を使えば、時間も短縮できる。

 しかしである。手紡ぎ、手染めの糸で織られたキラに比べると 風合い、味わい、
 迫力に欠けているように思えてならないのである。
 確かに織るという作業には充分時間が掛かっているのだろうが、糸を紡ぎ、糸を染めと
 いう作業を省いたことで、大切なものがかけ落ちてしまったようにも感じられる。
 器用さだけが目立ってしまうのである。

 織り手にしてもこのキラを織り上げ、このキラにどれほどの愛情を感じているのだろう。
 どれほどの心をこのキラに傾けたのか、それが感じられない。
 ノルマを果たしたといった感じである。
 誰かに喜んでもらうというより、織り上げて お金を手にするということが
 大切な社会へと変わっていっているのである。

 1980年以降のキラには 織り手の織物に対する姿勢、心の置き方が変わり、
 それが 布にも現れているようにも思える。
 それでも 今織られているものに比べれば、まだましである。
 貨幣経済の浸透は ブータンの織物の世界も変えていったのである。


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ブータン布の今昔 | 20:04:05 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク  カトマンズ行きのチケットを買った!
 そろそろ カトマンズ行きの航空チケットを買わなくてはと 先日から考えていた。
 その前にラオスのルアンパバーンへ行くことも考えたが、結局 まずはカトマンズに
 行ってからということに決めた。

 インターネットで安チケットを探してみた。
 タイ航空の30日のフィックス・チケットが 往復で1万1千バーツ前後だ。
 7月1日までのプロモーション期間中までである。
 ネパール航空の片道チケットが 9千バーツ前後、フライトは週2便しかなく、
 キャンセルの可能性もある。
 カトマンズでの滞在期間は まだ決めてはいないが、1ヶ月を超えるようなら、
 タイ航空の復路のチケットは捨ててもいい。
 そんなことを考えて タイ航空の往復チケットに決めた。
 カオサンまで行けば、少し安いチケットが 買えることはわかっていたが、
 マンションのすぐ近くにあるいつも使う旅行会社で チケットを買った。
 何かにつけて、近所であれば 便利である。

 カトマンズへ向かう日は 6月7日である。
 カトマンズでは マオイスト政権から統一共産党(エマーレ)を中心とした連合政権に
 変わり、新しい首相も選出された。
 この変化をしっかり見てこようと思う。
 野党に回ったマオイストが どんな行動に出るのか 興味のあるところだ。

 カトマンズも雨のよく降る天気らしく、水力発電用のダムにも水が増え、計画停電も
 短縮され、旅行者の集まるタメル地区の計画停電時間は 次のようになった。

   日曜日 04:00-08:00 16:00-20:00
   月曜日 04:00-08:00 20:00-24:00
   火曜日 00:00-04:00 16:00-20:00
   水曜日 08:00-12:00 20:00-24:00
   木曜日 08:00-16:00
   金曜日 04:00-08:00 16:00-20:00
   土曜日 12:00-20:00

 インドの望んだ共産党主導の連立政権が出来たことで、電力に対するインドの協力も
 得やすくなり、今後 もっと短縮される可能性もあるだろう。
 前回のカトマンズ滞在では 1日14時間の計画停電だったから、生活はしやすくなる。

 しかし、この雨の多い季節、又 ゴミの収集が滞っているらしい。
 あの汚い路上のことを思い出すだけでも、うんざりする。
 消化器系の伝染病の流行る季節である。
 これだけは注意する必要があるだろう。
 どんなカトマンズ生活になるのか わからないが、楽しんでこようと思う。



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徒然なるままに | 17:45:43 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐08
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐08 1
   ブータン  木綿のキラ          20世紀中期 ~ 1970年代

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐08 2

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐08 3

 20世紀中期から1970年頃までに織られた木綿のキラであるが、経糸に
 野蚕のシルク糸も多く使われている。
 縦縞のえんじ色に近い茶色部分には野蚕のシルク糸が使われている。
 紋様の織り込みに使われている糸も野蚕のシルク糸である。

 両脇にある縦縞は ブータンの虹色を意識して織られている。
 ちょっと素朴で魅力的なキラである。
 日常身につけるには もったいないぐらいお洒落な色の組み合わせだ。

 この時代の世情を象徴するように 使われている素材は ブータンの野蚕のシルク糸と
 インドからの工業糸が使われている。
 染めも 天然染料と化学染料の両方が使われている。 
 しかし、中央部分に使われている糸は 天然染料で染められているせいか、
 落ち着いた雰囲気のキラに織りあがっている。

 私の好む木綿のキラは この時代までのものである。
 この時代以降のキラには 化学染料で染められた工業糸、その糸も木綿だけでなく、
 レーヨンも使われるようになる。
 色も派手派手しいものになり、落ち着いた色合いではなくなっていく。

 ブータンの人々も 色のはっきりしたものを好むように変わっていくのである。
 時代の流れは 止めることは出来ない。
 面倒な手紡ぎ、天然染色の世界が だんだんと失われ、効率的に織ることに
 心の置き方も変わってくるのである。

 ブータン旅行が一般的になってきたのは 1990年以降である。
 その時代には ブータン国内には 古い布は流出しており、旅行者の目にする
 ブータン染織は 工業糸、化学染料を使ったものばかりになっていたはずである。



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ブータン布の今昔 | 01:44:06 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコクから B層って 何?
 インターネットで 政治経済関係のブログを呼んでいるとB層という言葉が
 よく使われている。
 あまり日本にいることがないので 近頃使われている言葉で わからないものが
 多くなっている。
 余程 大きな出来事がないと 日本のことも真剣に考える機会もない。
 直接 生活に関わりがあるといえば、タイやネパールの出来事の方が 大きい。

 そこで B層とは何かと インターネットで調べてみた。

 ― B層とは、小泉政権が郵政民営化の広報にあたり作成したチラシの企画資料で、
  小泉政権支持基盤として想定した、「IQが低く具体的なことはよくわからないが
  小泉のキャラクターを支持する層」のこと。
  具体的には、主婦や団塊以上の世代や教育レベルの低い下流階級を指す。

  他にもA層(高IQの勝ち組)、C層(高IQの抵抗勢力)、D層(低IQの改革の
  痛みを味わっている負け組)が存在する。

  インターネット上でも、政治政策の具体面には疎く、ルックスやキャラクターを
  判断材料にして、自民党の政治家、タレント政治家、タレント知事などを応援する
  人々のことを「B層」と揶揄する事も少なくない。

  「B層に絞ってPRを展開すべし」という基本方針の下、ネガティブな表現を極力避け、
  「B層」に伝わりやすい新聞折込みフライヤー(チラシ、ビラ)やテレビ・ラジオの
  広報番組を利用し、郵政民営化の必要性を「ラーニング(学習)」させるよう提言。

  また、「A層はB層に強い影響力を持つ」とされ、A層向けにWebを利用して
  数万人規模のイベントを開催して「ラーニング(学習)」し、間接的にB層にも
  影響を与えるように提言した。

  「C層」は元より、現に構造改革で実害を被っている層はPRの対象外であるとして
  無視しており、後者については名前も付けていない。―

 ** 小泉内閣当時に行われた世論調査及び国民対策、特に郵政民営化の面において、
   スリードが内閣府の「郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略」立案を
   受注した。その結果、2004年12月に提出されたが、本文中にIQ(知能指数)と
   構造改革に肯定的か否かの分類表において、記述されていた。

   スリードは国民を4層に分類し、以下のように分析した。

  * A層*  エコノミストを始めとして、基本的に民営化の必要性は感じているが、これまで、
  特に道路公団民営化の結末からの類推上、結果について悲観的な観測を持っており、
  批判的立場を形成している。IQ(EQ・ITQ(IT普及度))が比較的高く、構造改革に
  肯定的。
  [構成]
  財界勝ち組企業、大学教授、マスメディア(テレビ)、都市部ホワイトカラーなど

  * B層*
  現状では郵政への満足度が高いため、道路などへの公共事業批判ほどたやすく支持は
  得られない。郵政民営化への支持を取り付けるために、より深いレベルでの合意形成が
  不可欠。
  IQ(知能指数)が比較的低く、構造改革に中立的ないし肯定的。
  [構成]
  主婦層、若年層、シルバー(高齢者)層、具体的なことは分からないが小泉総理の
  キャラクター・内閣閣僚を支持する層など

  * C層*
  構造改革抵抗守旧派。IQ(EQ・ITQ)が比較的高く、構造改革に否定的。
  [構成]
  上記以上の分析は無い。小泉流の「構造改革」に否定的なインテリ層は少なくないが、
  彼らの存在は意図的に黙殺されている。

  *D層?*(命名なし)
  IQ(EQ・ITQ)が比較的低く、構造改革に否定的。
  [構成]
  既に失業などの痛みにより、構造改革に恐怖を覚えている層。 **


 政府 自公政権が 国民をどういった視点で眺め、操作していったのかということが
 このことからわかる。
 プロの情報屋に多額の税金を使って、情報操作をすれば、国民を操作することは
 いとも簡単である。
 この流れは 現在にも引き継がれ、もっと巧妙になってきているようだ。
 小泉政権当時から勝ち組、負け組という言葉が、飛び交い始め、優遇されるものと
 そうでないものがはっきりと区別されるようになってきている。
 そして、それは 格差社会を生み出してきたのである。
 
 A層とB層は 比較的豊かで安定した生活を送ってきた層なのだろうが、
 この不況の中で、B層の中から、D層へと転落する人々も増えているだろう。
 それが 政権交代へのうねりになってきているのかもしれない。
 年金問題、失業問題、派遣社員制度の問題、郵政民営化の問題など、小泉内閣の
 行った構造改革の付けが 大きな社会問題になってきている。
 又、構造改革によって 生まれた利権がらみの問題も表に出ようとしている。

 先日 記事にした悪徳ペンタゴン(政治屋、企業、官僚、マスコミ、アメリカ)は
 マスコミを使って、あるいは似非知識人を使って B層の人々を操作しようとしているが、
 この不況の中で 追い詰められている国民も 彼らの意見を容易に信じなくなっているのも
 確かである。
 現政権が 政権交代を阻止しようとすればするほど 嘘にまみれてくるようだ。

 政治・企業献金問題にしてもそうである。

    自民、民主両党の2007年政治献金実績は、

     自民:総額224億円、うち企業献金168億円
     民主:総額 40億円、うち企業献金 18億円
  
    経団連加盟企業の経団連を通じる企業献金は、

     自民:29億1000万円
     民主:   8000万円

 民主党小沢前代表の献金問題が 世間を騒がせたが、
 これを見ても政治・企業献金の問題は どちらに根が深いか一目瞭然である。
 検察もマスコミも 民主党小沢前代表の献金問題を攻撃するなら、当然 自民党にも
 メスを入れるというのが 公平・公正な態度であるが、こうした姿勢は全くない。
 どこまで 国民を誤魔化しきれると思っているのだろう。
 国民をコケにしているとは このことである。

 A、B、C、Dと国民を色分けし、都合のいい人間だけを優遇しようとする政府の
 姿勢には 民主主義のかけらも感じられない。
 いつ選挙になるかはわからないが、選挙で小泉内閣から始まった巨悪な不正を
 正さなくてはならない時期に来ている。
 そうしなければ、もっと大きな付けが 国民のところにやってくる。


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徒然なるままに | 16:55:18 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 路地裏の世界
バンコク 路地裏の世界 1

バンコク 路地裏の世界 2

バンコク 路地裏の世界 3

バンコク 路地裏の世界 6

バンコク 路地裏の世界 7

バンコク 路地裏の世界 4

バンコク 路地裏の世界 5

 バンコクにいるときには センセーブ運河の向こう側にある下町の市場によく行く。
 夕食の惣菜を買いに、あるいは季節の果物を求めて出掛けていく。
 そんなときは 出来るだけ路地の中を抜けていくようにしている。
 路地裏で生活している人々の生活を眺めてみたいという気持ちがあるからだ。

 市場の近くの路地に入り込んでみると、そこは 小さな家内工業の場所だった。
 服の縫製、銀細工の店など 小さな作業場で4,5人、少し大きいところで
 10人ぐらいの人たちが働いている。
 働いている人々の大半は バンコクの外からやってきた出稼ぎの人たちである。
 田舎に仕事があれば、田舎に住むことの方がいいのだろうが、食べるのが精一杯の
 農家では ある程度大きくなれば、家を出て、自活するというのが当然のことである。
 それは 日本でも金の卵と騒がれ、中学を卒業すれば、都会に出て働いていた時代と
 重なるものがある。
 昔は タイは小学校を卒業すれば、働くということが多かったが、
 今では中学校卒業後というのが一般的になっている。

 洋服の縫製を行う作業場の前に座り込んで 子供の世話をしている若い女性がいる。
 子供の面倒を見ながら、仕事をしているのだろう。
 作業場の中を 動き回っている子供たちもよく見かける。
 子供を保育所などに預けていれば、生活は成り立たないのだろう。

 チャンマイからやって来て 銀細工の小さな作業場を持つ経営者も バンコクに
 出てきてから20年近くなると言う。
 そのそばでは 奥さんが嬉しそうに話を聴いている。
 苦労を重ねて持つことが出来た作業場なのだろう。

 どの作業場もぎりぎりの生活をしている人たちの集まりだ。
 しかし、何か手に職を持っていれば、どうにか食べていける。
 貧しいもの同士、互いに支えあっていることが その様子からわかる。

 店の経営者も雇用者も一緒に昼ご飯、夕ご飯を食べている光景もよく目にする。
 こんな光景は 日本の家内工業の世界でもよく見られた風景である。
 今の日本では 家内工業の担い手は 年寄りばかりになっている。
 陽の目を見ない仕事には 若者も眼を向けようとはしない。
 大企業ばかりが優遇され、辛い眼にあう中小企業などに就職しよういう若者は
 いなくなっている。
 優秀な技能を持つ職人の育つ場所は なくなっているのに 政府も企業も関心を
 持たない。
 マニュアル通りの仕事しか出来なくなった人間ばかりが増えていけば、日本は
 どうなっていくのだろう。

 海外に工場を移転し、生産のコストばかりを下げることばかりを考えていけば、
 日本人の持つ手先の器用という長所も失われていくに決まっている。

 大企業は 多国籍化し、日本を食い物にしていくだけになっている。
 愛国心より金儲けだけが優先する存在になってしまっている。
 国民が幸福になる、国民とともにあるという話は 夢物語である。
 いつか、しっぺ返しを食うに違いない。政府も、企業も、国民も。
 そんな時代は もう身近なところまでやってきているのかもしれない。



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バンコク風情 | 12:47:44 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐07
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐07 1
  ブータン   キラ   木綿           20世紀中期 ~ 1970年ごろまで

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐07 2

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐07 3

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐07 4

 この木綿のキラは 20世紀中期ごろから1970年頃までに織られたもののようだ。
 縦縞を構成している経糸には 木綿の糸と野蚕のシルク糸が使われている。
 いつも気になることであるが ブータンの紫色の染色である。
 発色がきれいで やはり化学染料を使った染めなのかと思ってしまう。
 染料はどこから来たのだろうか。それにしてもきれいな紫色である。
 他の糸は 天然染料で染められているような落ち着きがある。

 糸にしても 染料にしても 変換期を迎えている時代で、手紡ぎ糸、工業糸、
 天然染料、化学染料が 1枚の布の中に混在しているのである。

 4,50年経った今でも、惹きつける魅力のある色の組み合わせである。
 豪華な華麗なキラ クシュタラ、ノシェムなども 見事な織物であるが、
 木綿の普段着のキラにも味わい深いものがある。
 1年に何度かのハレの際に着る豪華なキラより、日常身につける木綿のキラに
 細かい工夫を施したのかもしれないという気もしてくる。
 木綿と野蚕のシルクでは 値段も 数倍違うはずである。
 部分的に野蚕のシルクを使うことで おしゃれを楽しむということもあったのかも
 しれない。
 それも注文のキラの残り糸を使って、少しでもよいものをという気持ちもあったのかも
 しれない。

 この木綿のキラも随分着込まれている。
 決して豊かな人々のものでなかったことが その痛み具合からわかる。
 金持ちなら、何枚もキラを持っているから、使い回しも出来るが、貧しいものは
 少ない枚数のキラを 着なくてはならなかっただろう。

 ブータンだって 支配者階級もいれば、被支配者階級もいる。
 地主もいれば小作人だっていたはずである。
 みんながみんな 素晴らしい織物のキラを身につけていたはずもないのだ。

 何度も何度も身につけ、痛んでしまった木綿のキラでも 4,50年の歳月が
 流れているにもかかわらず、美しさがまだ残っているというのは不思議なことで
 ある。
 いい物は 使い古されても その良さは どこかに残っているものである。


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ブータン布の今昔 | 01:34:36 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク バーン・クルアのお菓子屋さん
バンコク バーン・クルアのお菓子屋さん 1

バンコク バーン・クルアのお菓子屋さん 2

バンコク バーン・クルアのお菓子屋さん 3

バンコク バーン・クルアのお菓子屋さん 4

 何度もチャム族の集落 バーン・クルアに通っていながら、いつも何かしら
 小さな発見がある。
 バーン・クルアの運河沿いの道には 住民たちの植えた草花であふれている。
 運河の水は すっかり汚れてしまっているけれど、それでも暑いバンコクの気候の
 中では、運河沿いの道は それなりに涼しく、人々は屯している。

 その道筋に 木で囲った家が目に付いた。
 涼しげで テーブルでも置けば、食堂にでもなるが、そうでもないらしい。
 何度か、この家の前を行きかううちに そこが 自宅でクッキーやパン、ケーキを
 作っている場所であることがわかった。
 ちょっと太り目のタイ人女性が お菓子やパンを作っていることがわかった。
 控えめでありながら、とても人当たりのよい女性だったので、家の前に並べられている
 数少ない種類のお菓子をいくつか買うことにした。
 朝食は 面倒なので ネパール産の紅茶とクッキーや菓子パンで済ませることに
 しているからだ。

 買って、家に帰って食べてみると 意外と美味しいのである。
 クッキーなどは ナッツ、バター、シナモンがしっかり使われていて、
 5個入り10バーツは高くない。
 作り手の控えめで誠実な性格が お菓子にも反映されているようで 
 安心して食べることが出来る。
 どこかの店の注文で作っているらしく、残りを店の前で売っているようである。
 日によって 売られているものが違っている。

 少し話をしてみると、イスラム教徒のチャム族の女性だった。
 タイのイスラム教徒との通婚を繰り返すうちに チャム族の血も薄くなっていると
 言うが、入り婿制度の残るチャム族の結婚の形は、チャム族の生活習慣を残していく
 ようだ。
 アジアのイスラム教徒独特の柔らかさがあるし、女性の地位も高いようだ。
 外から見ている分には イスラム教徒であることはわからない。

 ベトナムにあったチャンパ王国の崩壊の後、カンボジアへ、そしてシャム王国の
 アユタヤ、そして このバンコクへという流浪の歴史を持つチャム族であるが、
 豊かな文化を内包する民族でもある。
 彼らの作る料理は きわめて東南アジア的であり、インドの香辛料の味付けは
 ほとんどない。
 違いといえば、豚肉を用いないというだけである。
 1500年前には ヒンズー教徒として出発したチャム族も 今はイスラム教徒である。
 古い昔に 東南アジアを訪れたインド人は ヒンズー教徒だったのだ。
 その後、ペルシャやインドから商いのためにイスラム教徒が多く訪れるようになるに
 従がって、イスラム教徒へと改宗していったのである。

 食生活だけを見るなら、完全な東南アジア人である。
 そんなチャム族の女性の作るお菓子も抵抗なく美味しく食べることが出来る。
  

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バンコク 運河の辺の街 | 22:23:18 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐06
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐06 1
  ブータン   キラ  木綿 アイカプール       1970年代

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐06 2

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐06 3

 ついでにもう一つ 前々回、前回で紹介した同じような色合い、織りの木綿のキラを
 紹介しよう。
 そうすれば、少し、ブータンの織物の歴史的な流れもわかるかもしれない。

 この木綿のキラは 1970年前後におられたキラのように思われる。
 ブータンは 第二次世界大戦以後、イギリスから独立したインドの影響を強く
 受けるようになる。
 それによって インドから多種多様の染織素材が 入り込んでくることになる。
 化学染料、木綿の工業糸、アクリル、ポリエステルなどの糸も多く入り込んでくる。

 この木綿のキラも そうした流れに影響を受けている。
 紫などの糸の染めもインドからの化学染料で染められたものだろうか。
 地に使われている糸も工業糸のようだ。
 縦縞の中で 紋様を織り込む部分には 手紡ぎの木綿糸や野蚕のシルク糸が
 使われている。
 使われている糸も 化学染料で染められたものと天然染料で染められたものが
 混在しているようだが、まだまだ、天然染料による染めの風合いが感じられる。

 1970年前後は ブータンの染織技術が 頂点を極めた時期なのかもしれない。
 王族や富裕層がこぞって 高価なキラを身につけるようになり、そのために織りの
 技術が格段に進歩しているのがわかる。

 しかし、その分、手紡ぎ糸、天然染料を使った染めが衰退していく時期でもあった。
 多くの色の染料、均一な太さの工業糸は 精緻な紋様を発展させている。
 ブータン人の色彩感覚にも大きな変化をもたらした。

 素朴な織物から繊細な織物への分岐点が1970年代にはあったようだ。
 私はどちらかというと やはり1970年より前のブータンの布の方が好きである。
 布が ブータンのゆったりとした時間の流れや、無理のない落ち着いた生活を
 感じさせてくれるからである。


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ブータン布の今昔 | 18:13:08 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコクから 悪徳ペンタゴンとは?
バンコクから 悪徳ペンタゴンとは?

 現在の政権を担当する自民・公明の連立政権に 反発している人たちの間から
 悪徳ペンタゴンという言葉が よく使われている。
 最初は どういう意味を持つ言葉なのか わからなかった。

 この言葉は 反自民・公明の連立政権の立場を明らかに表明する経済学者 
 植草一秀氏 のブログ記事の中でよくお目にかかる言葉で、それが 自民・公明の
 連立政権に批判的な立場の人たちの間で広まっていったらしい。

 その悪徳ペンタゴンという言葉を 植草一秀氏は 次のように説明している。

 ― 私は自公政権の基本構造を「政・官・業・外・電 悪徳のペンタゴン(五角形)」
  と名付けた。
  歴代自公政権は「国民の幸福を第一」に考えない。
  「国民は利権維持の観点から選挙で与党に投票させる対象」であり、
  政権与党にとって「国民は権力を維持するための道具」にすぎないのだ。

 私は次期総選挙での対立軸は以下の三つだと考えている。

  ①弱肉強食奨励VSセーフティーネット重視
  ②官僚利権死守VS官僚利権根絶
  ③対米隷属外交VS独立自尊外交

 このことは以下のように置き換えることができる。

  ①は「大資本の利益VS国民の利益」
  ②は「官僚の利益VS国民の利益」
  ③は「外国(資本)の利益VS国民の利益」

 「政治屋」は「特権官僚」に働きかけて、「大資本」と「外国資本」の利益を
 増大させる政策を実現させる。「特権官僚」は「特権擁護」と引き換えに、
 「政治屋」の指示通りに動く。

 「政治屋」は利益増大の恩恵に預かった「大資本」、「外国資本」からリベートを得る。

 「電波」=「マスメディア」は「大資本」と「外国資本」から広告収入を得る。
 また、「電波」は業法で「特権官僚」に支配され、NHKは予算と設置法で
 「政治屋」と「特権官僚」に支配される。

 「政治屋」が「大資本」、「外国資本」の利益を増大させる政策を「特権官僚」に
 策定させる。「特権官僚」は「政治屋」の指示に従う代わりに「特権」を得る。


 「電波」は、これらの「悪徳の政治」を「正義の政治」に偽装することにより、
 「大資本」、「外国資本」、「特権官僚」、「政治屋」の支援を受ける。

 これが「政・官・業・外・電 悪徳のペンタゴン(五角形)」の基本構造である。
 「大資本」、「外国資本」、「特権官僚」の利益と対立するのが「国民」の利益だ。―

   ~ 植草一秀の『知られざる真実』
     「政官業外電 悪徳のペンタゴン」の基本構造
      http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/cat33444213/index.html

 
 この悪徳ペンタゴンという視点は 今の日本を見ていくには有効なものであるかも
 しれない。
 ペンタゴンの意味は 五角形という意味である。
 近頃の政治の世界を見ていると、植草一秀氏の指摘するように
 「官(特権官僚)」、「業(大資本)」、「外(米国)」、「電(御用メディア)」と
 癒着する「政(自公政権)」の姿がはっきり見て取れる。

 テレビ、新聞という本来 国民に真実を伝えていく役割を持つ組織の偏向振りには
 驚くべきものがある。
 政権交代の可能性が出てくると この悪徳ペンタゴンと命名された五つの組織が
 力を携えて 死に物狂いで阻止しようとしていることも見えてくる。

 小泉内閣あたりから完全におかしくなった日本、派遣社員制度、郵政民営化などの
 問題が 今になって はっきり露呈してきている。
 国民の生活より、企業利益を優先させたせいである。
 天下り、官僚の無駄遣いは 全く改善されていない。
 アメリカに盾つくような発言、政府に盾つくような発言をすれば、スキャンダルを
 偽装して、犯罪者に仕立て上げることなど 当たり前の社会になっている。
 それを事実かどうかも確かめずに 騒ぎ立てるマスコミも異常なのである。
 マスコミの良識という言葉は 失われてしまっている。

 政権交代が行われなければ、日本人の未来はないところまで追い詰められて
 きているようにも思われる。
 それだけの良識が どれだけ今の日本人に残っているのか、心配だ。
 良識ある日本人より、マスコミに情報操作される日本人の方が多いのではという
 危惧もある。
 真実を見つめようとしない限り、真実は見えてはこない。


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徒然なるままに | 12:37:37 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐05
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐05 1
  ブータン  キラ 木綿 アイカプール       20世紀中期

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐05 2

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐05 3

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐05 4

 この木綿のキラも 白、黒、赤を基調にして 織り上げられたキラである。
 このキラも 地の経糸、横糸には ブータンの手紡ぎの木綿が使われている。
 紋様の織り込みのためには ラックで染められた赤い野蚕のシルク糸、黒の糸は
 手紡ぎの木綿糸である。
 縦縞に使われている糸も 白と黒を除けば、天然染料で染められた緑、青、黄色、
 赤に染められた野蚕のシルク糸が使われている。
 どこかに虹色という意識があるに違いない。
 そんなちょっとした心遣いが、キラを渋いものにしている。
 又、おしゃれでもある。

 20世紀中期あたりまでは 天然染料や手紡ぎの糸が使われることが多く、
 そのような素材を駆使して織られたキラは時間の流れに従がって、風合いを増す。

 化学染料や工業糸が ブータンに入り込んでくることで 織りの細かさの技量は
 発展していったが、味わいや風合いは失われていったようである。

 このような織りの技法を使って織っているのが 一番下にある写真である。
 紋様の織りこみ部分の縞は どうも2重綜絖になっているのだろうか。
 地機だから、平織りだろうか。
 経糸の間に 横糸を潜らせながら 紋様を作っていくようだ。
 考えただけでも 手間と時間が掛かるようで、自分ではやりたくはない。
 今はジャガード織りを使えば 難なく出来るが、これを手と使ってということになると
 簡単なことではない。
 機だって、原始機に近く、至って 素朴なものである。
 この機で ブータンの複雑なキラの紋様を織り上げていくのである。

 あんな姿勢で日長1日 織りに向かっていると お尻に根が生えてきそうである。
 大変な重労働であることが よくわかる。忍耐力がないと 出来ないだろう。
 これだけでも凄いと思ってしまう。

 手で糸を紡ぐ、天然染料を使って糸を染める、織り付けをして 機に糸をかける、
 そして織り始める。
 そして、紋様を織り込む。
 気の遠くなるような手間と時間が掛かる。
 ブータンの織り子にとっては、生まれついてからの当たり前の作業で、
 特別なことではないのだろう。
 生きている世界や時間が違うのである。

 刺激など求めず、やるべきことを ただひたすらやるという世界が 
 1970年頃までは当たり前だったに違いない。


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ブータン布の今昔 | 22:44:53 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐07
バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐07 1

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐07 2

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐07 3

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐07 4

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐07 5

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐07 6

 バーン・クルアの集落の中の人間模様を眺めていると、戦後60年の間に日本人が
 失ったものは何かと考えさせられる。
 人間が共生するとはどういうことなのか、その形や姿が見えてくる。

 日本の昔の下町の路地裏の世界も 密集したこの集落も よく似ていたはずである。
 迷路のような狭い路地、開け放った扉の向こうには 人々の生活が見える。
 プライベートというものが 限られており、隠し事のない社会を感じさせてくれる。
 隠す気もないし、隠すことも出来ないような集落の形だ。

 大半の人は 顔見知りであるし、近所同士での会話も多い。
 集落の奥に住んでいる人たちは 運河沿いの道に出てきて、座り込み、涼み、
 集落の仲間たちとの会話を楽しむ。

 子供たちの顔を見れば、親のこともすぐにわかるくらいにつながりも強い。

 幼少期を過ごした田舎でもそうだった。
 大体、1キロ四方に誰が住んでおり、職業は何で、子供は何人いるということなど、
 親たちは みんな知っていた。
 だから、知っている大人のいるところで 悪いことなど出来なかった。
 法律によって、人間の行動を規制するというより、地域の持つ人間関係で、人間の
 行動を規制するという面が大きかった。
 多少の悪さは 大目に見るという寛大さもあったような気がする。
 この頃のように 何かあれば、すぐに警察に連絡するというようなこともなかった。
 地域で解決できることは 地域で解決するというのが 当たり前だったような気もする。

 このバーン・クルアもそうなのだろう。
 大人たちは 子供たちの小さな頃から、眼をかけ、度を過ぎた行動をすれば、
 集落のみんなで気をつけるという姿勢が まだ充分に残っているようだ。

 集落の路地の中を歩いていると、細い路地にゴザを敷いて、昼ごはんを皆で一緒に
 ご飯を食べている人たちの姿もよく見かける。
 こうした人たちは 東北タイから出稼ぎにやって来て住みついた人たちが多い。
 写真を撮らせてもらうと、ビールがどうだ、おかずはどうだと勧めてくる。
 少し、騒がしい東北タイの人たちであるが、全く隠し事がなく開放的である。
 この辺は バンコクの中国系タイ人とは ずいぶん違う。
 彼らは とても警戒的である。そして打算的である。
 タイ人といっても いろいろなのである。
 庶民と上流階級、中流階級では 人間関係も随分違うし、バンコク周辺の住民と
 東北、北タイの人間の意識も違う。
 私からすれば、バーン・クルアのように庶民たちの住む場所の方が気楽で
 気を使わなくて済む。
 何にも増して 笑顔がいい。
 どんなに貧しくても 皆とともに生活を楽しむ、そういう生活の余裕、心の余裕を
 感じさせてくれる。
 気取らないところがいいのである。

 集落の人々の心が 抑圧的で、警戒心が強ければ、
 猫だって、こんなに無防備な姿をさらけ出して 眠り込んでいることなど出来ない。


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バンコク 運河の辺の街 | 17:24:32 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐04
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐04 1
  ブータン キラ アイカプール   木綿        20世紀中期

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐04 2

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐04 3

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐04 4

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐04 5

 20世紀中期頃に 織られた木綿のキラ アイカプール、ここで使われている色合い、
 紋様のパターンはブータンの伝統的なものである。

 黒と赤と白の組み合わせ、部分的に野蚕のシルク糸をウコンで染めた黄色を使っている。
 黒は色の重ね合わせで染め、赤は カイガラムシのラックで染めている。
 使われている木綿の糸は ブータンの手紡ぎ木綿糸である。

 色の組み合わせもなかなか渋いものであり、紋様を織り上げる丁寧さも見事だ。
 この木綿のキラは まさに日本人好みといっていいだろう。
 こんな色感覚も ブータンのひとびとにはある。
 それに加え、縦縞の中に紋様を織り込んでいるこの集中力は何だろう。
 この紋様の図柄を見ているだけで 気が遠くなりそうだ。
 織物を楽しむ気持ちがなければ、こんな織物は出来ない。
 この縦縞の中に紋様を織り込んでいく技術は 20世紀に入って 流行していった
 ものだろう。
 それは木綿のキラにも野蚕のシルクのキラの中にも生かされている。
 20世紀初頭に国の統一を終え、王国として国が安定することによって
 ブータンの織物は 急速に発展していったようだ。

 行事の際に身につけるキラ クシュタラやノシェムは 派手な色彩のものが多いが、
 日常に身につける衣装には 渋い色合いのものが好まれるようだ。
 ブータン人のおしゃれ感覚は このような木綿のキラの中でも充分に息づいている。

 参考までに ブータンの女性たちが 民族衣装のキラを身につけている写真を
 紹介しよう。
 キラは 幅150cm 長さ250cmぐらいで織り上げる。
 縦に長く織り上げたキラを 身につけるときは横にして身につける。
 大体の様子が この写真からわかるだろう。


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ブータン布の今昔 | 01:03:30 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク サファン・プット(仏陀橋)の上から
バンコク サファン・プット(仏陀橋)の上から 1

バンコク サファン・プット(仏陀橋)の上から 2

バンコク サファン・プット(仏陀橋)の上から 3

バンコク サファン・プット(仏陀橋)の上から 4

バンコク サファン・プット(仏陀橋)の上から 5

バンコク サファン・プット(仏陀橋)の上から 6

 今日は 午前中に洗濯を済ませ、重い腰を上げて 外に出掛けることにした。
 日は照っているが、陽射しはそれほど強くはない。

 チャオプラヤ川方面に行くか、プラカノン運河方面に行くか 迷ったが、
 ラーマ1世道路に出たところで、プラカノン方面行きの48番のバスが来れば、
 プラカノン運河へ、待つようだったら、道路を渡った国立競技前(サナン・キラ)の
 前のバス停から73番のバスに乗って、チャオプラヤ川の辺に行くことに決めた。

 ラーマ1世道路に出て、プラカノン方面に向かうバス停の前にやって来ると
 いつも果物を買う東北タイのカラシンから出稼ぎにやってきている果物売りがいる。
 兄弟3人で交替に荷車を引いて 果物を売り歩いている。
 2ヶ月前は 兄妹で行商していたが、新しく弟が加わったようだ。
 田舎からやってきたばかりの弟は つい最近 仕事を求めてバンコクにやってきた
 らしいが、この不況の折、なかなか仕事は見つからないようだ。
 今日は仕事探しに行っていると言う。

 そんなことを話していて、後ろを振り向くと、ピンク色の48番のバスが 
 駆け抜けていった。
 今日は チャオプラヤ行きに決まりだ。
 48番のバスは 本数が少なく、次にやってくるまでには 時間がかかる。

 道路の向こう側に渡り、すぐにやってきた73番のバスに乗り、
 チャオプラヤ川の架かる橋 サファン・プットに向かう。

 バスが終点のサファン・プットに着いた途端に 大粒の雨が空から落ちてくる。
 雨を避けて、屋根のあるチャオプラヤ川を走る水上バス乗り場へ逃げ込む。
 陽が射しているところもあるから、どうもにわか雨のようだ。
 サファン・プットの橋のすぐ近くにあるこの水上バス乗り場で チャオプラヤ川を
 行きかう船を名が寝る。
 橋と川面の間に 対岸のトンブリ地区の寺院が覗いている。

 雨が止み、再び陽が射し始めたので サファン・プットの橋の上に上ってみる。
 いつもながらの茶色に濁った水を湛えて チャオプラヤ川が 悠々と流れている。
 この川の上を行きかう船を眺めていると 自分が今バンコクにいることを感じる。
 川の背景になっている空は すっかり雨期模様の空である。

 橋を降りようと歩き始めると 向こう側から 中学生の集団がやってくる。
 中学生になったばかりの新中学1年生のようだ。
 バンコクでは 5月18日から新学期が始まっている。

 橋を降りて少し歩くと バンコク最大の野菜市場 パク・クロン市場がある。
 そのあたりを うろうろと動き回っていると 雲行きが怪しくなってきた。
 新種の大きなライチ(リチー)をキロ50バーツで買い、
 73番のバスの始発の停留所へと向かった。

 バスを待ち、やってきたバスに乗り込むと激しい雨が降り始めた。
 昨日とほぼ同じ時間帯の午後4時である。
 バスは出発し、水のあふれる道路を走り抜けていく。
 わいわいがやがやといいながら 女子学生たちが乗り込んでくる。
 女子学生が騒がしいのは 世界共通のようだ。

 激しい雨の中の込み合った道路を バスは1時間ばかり走り、
 MBKセンターに着く頃には 雨はすっかり止んでいた。



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バンコク風情 | 23:16:13 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐03
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐03 1
  ブータン   キラ   木綿             20世紀初頭 ~ 中期

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐03 2

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐03 3

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐03 4

 これも縞柄のブータンの木綿のキラである。
 20世紀初頭から中期にかけて織られたもののようだ。
 糸は 経糸も横糸も ブータンの手紡ぎの木綿糸である。
 赤、黒、青、白の色を使っての縞模様になっている。
 青は藍染めであることはわかるが、赤は アカネやラックで染めることは出来るが
 あまりに色が強いから 化学染料かもしれない。
 黒は 色の重ね合わせで 天然染料で染めることも出来るだろう。

 この木綿のキラ、あまり身につけないうちに ねずみに齧られてしまったようである。
 ネパールに住んでいてもそうだが、布にとって ねずみは 大敵だ。
 私もカトマンズの1階に 布を仕舞っておいて、布を齧られ、かなりの損害を出した
 ことがある。
 もう一つの大敵は 紙魚(シミ)である。
 ブータンの布は 織り上げたものは 米糊でごわごわになっている。
 布をねらってというより、この米糊を好んで、布を食べるのである。
 洗って、糊を流せば、問題はない。

 ブータンの人々は 赤が好きである。
 天然染料に カイガラムシのラックや茜を使って、赤に染める。
 赤をおめでたい色と考えているせいなのだろうか。
 東南アジアでも、インドでも 衣装に赤を用いることが多い。

 ブータンにおいては それだけではないようだ。
 やはり、基本的には 赤が好きなのだろう。
 それにしても このキラの赤は 天然染料か 化学染料か 
 気になるところである。

 ブータンでは 布を織るのに 腰機が使われる。
 織られる布の幅は 50cm前後であることが多い。
 細かい紋様を織り込むブータンの布では、50cmの幅というのが
 限界なの間も知れない。


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ブータン布の今昔 | 22:54:17 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐06
バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐06 1

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐06 2

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐06 3

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐06 4

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐06 5

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐06 6

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐06 7

 今日は 昼ご飯用の惣菜を買いに チャム族の住む集落 バーン・クルアへ出掛けた。
 今日は すっかり晴れ上がり、地面に浸みた雨水が どんどん蒸発しているようで
 やたら、蒸し暑く、ただ歩いているだけで汗が 吹き出してくる。
 運河沿いの陽の当たる道をどんどん集落の果てに向かって歩き続ける。

 集落の西の端には 小さな広場がある。
 その広場から集落の中へと入っていく細い路地に入り込み、今度は来たに向かって
 歩き続けていくと 集落の北の端に到達する。
 そこが目的の総菜屋が集まる区域である。
 昼飯時や夕飯時には、ここに集落の人々は集まってくる。
 運河沿いにも 総菜屋は散在しているが、ここのようにまとまって集まってはいない。

 集落の中の商いは 最初は運河沿いに発達したのだろうが、市場に近いこの場所の方が
 今は集落の中の商いの中心になっているようだ。
 商いといっても小さな商いで 日常生活の中で使うこまごまとした日用品の商いと
 惣菜などを扱う屋台などである。

 この集落のこの北の端にある惣菜を売る屋台の集まる場所は 集落の人々の交流の
 場所でもある。
 みんなが安く食べることが出来るように 値段も安い。
 集落の外にある総菜屋の屋台では、惣菜を持ち帰りようにビニールの袋に入れて
 もらうと 大体が20バーツであるが、ここでは15バーツである。

 私も昼飯用に 惣菜を3種類 買ってきた。
 筍(たけのこ)のスープ、鶏のひき肉を混ぜ合わせた揚げ物3個、そして煮卵3個
 合わせて45バーツである。
 ご飯は家で炊くから、必要はない。
 ぱさぱさのタイのご飯はお断りである。
 スーパーに行けば、北タイのチェンライ産の日本米が 1キロ50バーツで手に入る。
 一人暮らしであれば、余程食べたいものがない限り、こうした総菜屋で惣菜を買って
 部屋で食べるのが1番である。
 私もすっかりタイ風になってしまったようだ。

 下町のような雰囲気のあるバーン・クルアの集落、気さくで心の置けない場所だ。
 集落に住む人相手の商売だから、値段をごまかすこともないし、いい加減なものも
 売っていない。

 こんな雰囲気の中に身を置くと ほっとするところがある。
 どこか同じ世界に共生しているという気もしてくるのである。
 こちらもぎりぎりの生活をしているし、ここにやってくる集落の人々も
 豊かでない当たり前の庶民である。

 サイアム・スクウェアーあたりに行くと 自分の貧しさが目立つようになってしまった
 バンコクの中では この集落は 心に安心を与えてくれる。
 お金はあるに越したことはないけれど、だけど お金がすべてではないと。



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バンコク 運河の辺の街 | 13:40:58 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐02
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐02 1
  ブータン キラ              20世紀初頭 ~ 中期

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐02 2

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐02 3

 ブータンの普段着のキラは 縞柄で織られることが多い。
 このキラもそんな縦縞のキラである。
 20世紀初頭から中期頃に織られたキラで ブータンの手紡ぎの木綿糸を使って
 織られている。
 使われている糸の色は 白、薄い橙、黄色、青、これで縞柄を織り上げている。
 黄色の糸は 手紡ぎの野蚕のシルク糸である。
 橙色は茜かラック、青は藍、黄色はウコンで染め上げられているようだ。

 興味深いことは 縦縞の黄色分は 縦糸にウコンによって染められた野蚕のシルク糸が
 用いられていることだ。
 これはどういうことかと考えてみる。
 織り上げられたブータンのキラは かなり厚めの布である。
 それを横にして、身体に巻きつけるように身につける。
 布全体が 厚地で硬いため、どうしても上下の動きに制限がある。
 縞柄の一部に 野蚕のシルク糸を入れることで 身につけたときの動きをスムーズに
 する役割があるのではと思う。
 野蚕のシルク糸で織られた部分は 木綿糸で織られた部分よりも早く柔らかくなる。
 日常で身につける衣装であることから、そんな工夫がされているのではと思えてくる。

 野蚕の手紡ぎのシルク糸で織られたキラが、通気性、保温性、柔らかさ、丈夫さで
 優れているが、簡単に野蚕のシルク糸を手に入れるのは 難しい。
 そんなところから生まれてきた知恵かもしれない。

 百年近く経つと、余分な色も取れ、味わい、風合いも増して来るようだ。
 手紡ぎ糸、天然染料を使った染めが 風合いを増す手助けをしているのだろう。

 この世の中に同じものは 一つもないという手作りの価値、そんな価値を充分に
 感じさせてくれるブータンの染織世界である。


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ブータン布の今昔 | 11:24:38 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク ねらわれる日本人
 *** 「金持っていて信じやすい」 日本人狙いの詐欺容疑者逮捕 ***

 ― タイ警察は21日、いかさま賭博で日本人の女性旅行者から現金など12万バーツ
 相当をだまし取った疑いで、フィリピン人の男2人(62、33)をバンコク都内の
 マンションで逮捕し、偽札などを押収したと発表した。
 調べによると、2人は旅行者に声をかけて近づき、食事をおごるなどして信用させた上、
 いかさまのカードゲームに引きんむという手口で犯行を重ねていたもよう。
 「人を信じやすく金を持っている」ことから、特に日本人を狙っていたという。

 バンコクでは いかさま賭博や睡眠薬強盗のほか、安物の宝飾品、衣料品を
 高く売りつけたり、チャオプラヤ川のボート上で金を強請るといった、観光客を
 狙った「定番」の犯罪がある。在タイ日本大使館のホームページやガイドブックに
 手口が詳しく紹介されているが、被害に遭う日本人は後を絶たない。―
            
                      ~ newsclip.be タイ発ニュース速報

 

 相変わらず、日本人を騙して お金を奪うといった事件が 後を絶たないようだ。
 トランプ賭博に巻き込んで お金を巻き上げるという話は 20年以上前からのもので
 妹が日本語を習っていて、日本人と日本語の会話がしたいという口実で 家に行くと
 バカラ賭博が開かれており、それに参加して、お金をせしめられてしまうという手口は
 20年間変わることはなく、騙される日本人は 減ることはないようだ。

 日本でも生活パターンをそのまま外国に持ってくれば、たちまち餌食である。
 新聞、テレビの情報を当然のことのように信じ込むお人好しな性格は 一歩 日本の
 外へ出れば、その弱点を露呈してしまう。

 簡単に 振り込め詐欺にひっかかってしまう判断力のなさ、感受性の欠如は 
 日本人を格好の餌食としてしまう。

 ここ何年か テレビや新聞を使っての情報操作によって 簡単に騙され、信じ込む
 国民性、バーチャルな世界も現実の世界も区別できなくなっているのではないかと
 思えてくる。
 新聞やテレビの情報を鵜呑みにする生活態度や姿勢は 現地の詐欺師の言葉や態度から
 胡散臭いものを感じ取る能力を失わせている。
 何かおかしい、どうしてこんな風に近づいてくるのだろう、どうしてこんなことを
 言っているのだろうと少し考えてみることすら出来ない。

 日本の政治の世界も同じである。
 簡単に誘導されてしまう国民ほど怖いものはない。
 冤罪も国策操作も意のままである。
 小さな詐欺は話題になるが、国家的規模の大きな詐欺は話題に上らず、
 それを追求しようとする人間は 口ふさぎのために 冤罪や国策捜査を使う。
 日本は そこまで来ているのに テレビを見て 馬鹿笑いをしているようでは
 御しがたい。
 一見平和そうに見える日本だが、その裏で渦巻いているものは 小さなことではない。
 日本の富が 簡単にアメリカに流れ、ドル安になれば、二束三文になる。
 金を引き上げようとすれば、様々な手段を使って 脅しをかけてくる。
 米国債を買わない方が良いという政治的な影響力のある人間を スキャンダルを使って貶める。
 これは詐欺や恐喝と少しも違わない。
 こうなると 本当は人事ではない。

 自分たちが汗水たらして稼いだ日本の富が 簡単に無批判に送り込まれていくことには
 注意が必要である。
 そのお金は 形を変えて、世界の紛争地域へ流れていく。
 それは世界平和のためではなく、アメリカの覇権のためである。
 何も見ず、何も感じず、何も考えず、何もしない日本人には 豊かな未来など
 訪れるはずもない。
 自立するとは どういうことは 真剣に考える時期に来ていると思うが、どうだろう。


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タイ事情 | 21:31:53 | Trackback(0) | Comments(0)
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