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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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バンコク 突然の豪雨(スコール)
バンコク 突然の豪雨(スコール) 1

バンコク 突然の豪雨(スコール) 2

 昨日の午後5時過ぎにわかにあたりが掻き曇ったか思うと 突然の風邪を伴う
 土砂降りである。
 家にいたから良かったものの 出掛けていれば、ずぶぬれになっていただろう。
 傘などは何の役にもたたないぐらいの激しい雨だった。

 こんな雨を熱帯のスコールというのだろう。
 風邪を伴った激しい雨は 雨のカーテンといった感じで その動きが見て取れる。
 外にいれば、避けがたい災害であるが、部屋の中から眺めている分には 壮烈で
 気持ちが良い。
 チャオプラヤ川まで行かなくて良かったと、胸をなでおろしている。
 この雨なら、バケツで水をかけられたように 1分もしないうちに濡れねずみに
 なったことは確かだ。

 その雨も30分もしないうちに上がってしまい、コンピューターの前に座り込むと
 突然の停電、近くの建物の電気も消えている。
 すぐに付くだろうと 待っていても伝記がやってくる気配はない。

 薄暗い蒸し暑い部屋の中に座り込んでいても 仕方がないので マンションの受付まで
 下りていく。
 部屋の外の電灯とエレベーター1基は マンションの発電機から電気が
 供給されている。
 私が このマンションに住み始めた頃は 雨が降るたびによく停電していたが、
 ここ10年ばかりは 停電は経験していなかった。

 下に降りて、受付で様子を聞くと、電気が再開されるまでには 2,3時間
 掛かるだろうと言う。

 部屋に帰っても仕方がないので いつも飛行機のチケットを買う小さな旅行会社で
 時間をつぶす。
 マンションの中のタイ人の知り合いたちが 部屋に電気がないことを嫌って、
 電気のあるMBKセンター(マーブンクロン)へと向かっている。
 電気が来るまでの時間つぶしである。
 それぞれに 電気が来るまでには時間がかかる。
 電話をかけて訊いてみたと言い出すものもいる。

 そんなものかなと旅行会社のまだ若いオーナーの女性と話をしていると 
 電気がやってきた。
 タイ人の話は 当てにならない。
 1時間ばかりの停電だった。
 停電になって 電気会社の修理班がやってくるまで20分、そして修理に30分、
 まあ、許せる範囲内の対応振りだったようだ。
 これが ネパールだと大変である。
 停電慣れしていて、電気が来るべき時間に停電になっても 誰一人電話をかけて
 修理の要請をしないものだから、一晩中 電気が来ないこともあった。
 電気が来ないことの方が当たり前になって、関心がないのである。

 バンコクは さすが大都会 電気が来ないことには 生活が成り立たない。
 電気が来なければ 成り立たない社会、来なくてもどうにか やっていける社会、
 これからの世界、どっちが生き残れることになるのだろう。


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徒然なるままに | 15:42:55 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐01
ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐01 1
  ブータン    キラ  アイカプール  手紡ぎ木綿   20世紀初頭 ~ 中期

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐01 2

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐01 3

ブータン布の今昔 ブータン庶民の木綿のキラ‐01 4

 ブータンの女性用民族衣装のキラには 行事のときにだけ身につけるクシュタラや
 ノシェム、ブータンの庶民にとっては贅沢な野蚕の手紡ぎのシルク糸で織られた
 キラもある。
 それらのものは 高価なもので 庶民の間では木綿で織られたキラが身につけた
 ようである。

 ここに紹介するキラは 20世紀初頭から中期にかけて 織られた木綿のキラである。
 地には経て糸、横糸ともにブータンの手紡ぎの木綿糸で織り上げられている。
 縞柄に用いられている色は 黒、橙色、黄色、桃色、薄い青、そして紫である。
 黒、橙、黄、薄い青、桃色は 天然染料で染めることが出来るが 紫色はどうしたの
 だろう。
 この紫色も 品のある色で 化学染料のようには思われない。
 紫色の染料としては 貝紫やコチニールがあるが ブータンの紫はどこからやって
 きたのだろう。
 ブータンに生息するカイガラムシから取り出したラックと藍を利用して 染めたの
 だろうか。
 あるいは中国あたりからやってきた紫色の染料だろうか。

 百年近く経っているのに その鮮やかさを保っているのは見事というより他ない。
 それも染めにくい木綿にである。

 自分の身近にある素材であるブータンの木綿と天然染料を使って、糸を紡ぎ、糸を染め、
 そして、織り上げる。
 自分のためか、家族のためかはわからない。
 素朴な暖かいものが伝わってくる布である。
 普段着の持つ ゆったりとしていて のんびりとした気楽な雰囲気が伝わってくるキラだ。

 このキラに使われている技法は 両面縫い取り織りであるが、
 チャクスイ・パンケップとは違って、横糸に紋様に使う糸を縫いこみながら 
 織り上げているようである。
 どうやって 紋様を織り込んでいくのだろう。
 実に面倒な作業のようだ。
 経糸に紋様を織り込むのは 理解できるが 横糸に糸を織り込む方法は どうも
 わからない。
 刺繍をするような要領なのだろうか。



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ブータン布の今昔 | 10:38:33 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 蒸し暑いバンコク
バンコク 蒸し暑いバンコク 1

バンコク 蒸し暑いバンコク 2

バンコク 蒸し暑いバンコク 3

バンコク 蒸し暑いバンコク 4

 雨期の合間に 日が照り始めると 蒸し暑さには閉口してしまう。
 雨が降りそうだと、外へ出掛ける気もせず、日が照り始めると、気温も上がり、
 不快指数は頂点に達する。
 1時間ばかり 外へでかけるものなら、すっかり汗まみれになってしまう今の
 バンコクの気候である。
 湿気を含んだ重い空気は 植物には 力強い生気を与えるものであるが、
 人間にとっては 蒸し暑さは苦痛の種だ。
 家の中に居ても 体中にカビが生えてきそうである。

 バンコクにやってきてから もうすぐ2週間近く経つ。
 何をしているわけではないが 日がやたら速く過ぎていくのである。
 齢を重ねれば、やっていることは少ないのに 時間ばかりが 勢いよく過ぎ去っていく。
 生活に余裕があれば、過ぎていく時間など気にせず、時の流れに任せておけばいいのだが、
 そろそろ次の移動先ネパールのカトマンズのことも頭の中に入れておかなくてはならない。
 バンコクでの生活に慣れてきた頃に移動するのは 何のための適応なのかと考えしまう。
 
 好奇心にあふれていた若い頃は 別の場所に移動する楽しみのほうが大きく、
 場所に慣れるということなど考えもしなかったし、一晩 眠れば 移動の疲れも
 吹き飛んだものである。

 20年以上前は。インドとネパールを 3ヶ月ごとに移動していたが、
 面倒だと感じることはなかった。
 次は インドのどこへ行こうかという楽しみや期待にすらなっていた。
 移動の方法も泊まるところも お金がかからないことが第一で、劣悪な旅でも
 我慢できる体力と気力があった。

 ブータンやラオスを 時間をかけて回る旅をしたいと思うが、辛い旅はいやだなと
 思うようになってしまった。
 こうした軟弱さが 歳を取ることなのだということが よくわかる歳になっている。

 今日もバスに乗ってどこかに出掛けようかと思うが、日が照りつけ、気温が上がり、
 湿度が上がってくると、汗まみれになる不快さが 思い浮かんで 二の足を踏む。
 仕事なり、約束事でもあれば 無理をして出掛けようという気になるが、気分転換に
 外出ということになると 怠惰さと軟弱さが頭を上げてくる。

 73番のバスに乗って チャオプラヤ川を見に行くのもいいと思うが、行こうか、
 行くまいか、迷っているうちにどんどん時間が過ぎていく。


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徒然なるままに | 00:53:53 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコクから 裁判員制度が始まる
 新型インフルエンザ騒ぎ、裁判員制度のスタートといい、次から次へと新たしい事柄が
 現れて、頭の中の整理がつかないというのが本当である。

 新聞もテレビのニュース報道を ほとんど見ない生活の中では インターネットからの
 情報がすべてであるといってよい。
 日本のニュースそのものには眼を通すが、むしろ興味があるのは それに対して
 書かれているブログ記事やホームページである。
 現在のようにマスコミが 大手のマスコミが 政府や企業の意のままに操られている
 ようでは、ニュースからだけでは真実も見えてこない。

 裁判員制度に反対するもの60%、裁判員になりたくないと思うもの70%という
 現状の中で、この制度をスタートする意味はどこにあるのだろう。

 ― 裁判員裁判の対象事件は法定刑に死刑や無期懲役がある事件が中心で、殺人・
 殺人未遂のほか、強盗致死傷や現住建造物等放火、強姦(ごうかん)致死傷、傷害致死、
 危険運転致死など。裁判員に選ばれた場合、裁判に参加するのは義務だが、組織犯罪や
 テロ事件など、裁判員に危害が及ぶ可能性が高い場合には、例外的に裁判員裁判から
 除外され、裁判官のみによる裁判になる。 ―

 こんな裁判に裁判員は参加することになるが、政府やマスコミの情報操作に簡単に
 乗ってしまうこの国の国民性の中では はなはだ怖いことだと思ってしまう。
 簡単に冤罪を作り出してしまうこの国の検察、公安 それに国民に負担させ、
 国民参加の裁判を謳い、民主的に判決が津田されたとでもいうのだろう。

 殺人、殺人未遂など その結審しだいでは人の運命を変えてしまうものである。
 一人の人間のことや人生について 正確に理解することは並大抵のことではない。
 マスコミや検察の情報に左右されやすいのは 普通の人間の姿である。
 国民を容易に操作し、都合の良い判決を生み出そうとする政府側、検察側の意図が
 見え隠れしている。

 ある弁護士のブログの中でこんな記事を見た。

 裁判員制度がスタート…。
 
 http://www.liberal-shirakawa.net/tsurezuregusa/index.php?itemid=1014
                     
                          ~ 永田町徒然草 



 まさにその通りである。
 正しく人を裁くためには 被告の膨大な資料、理解が必要である。
 普通の人間には そのための方法や理解のための時間などないし、自分の意見なのか、
 マスコミや検察によって 誘導された意見なのか 判断できない状況に置かれている
 ことが多いのである。
 そんな中で 殺人、殺人未遂、その他の凶悪犯罪の判断を求められるなら、
 私など 裁判員など断ってしまうだろう。
 お上の言うことだからといって、簡単に引き受け、判断を簡単に下す人間ばかりが
 裁判員制度に参加することになれば、国民参加の恐怖政治の始まりにも なりかねない。
 考えてみただけでも 怖い日本である。



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徒然なるままに | 17:19:32 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐05
ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐05 1
  ブータン   チャクスイ・パンケップ     20世紀初頭 ~ 中期

ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐05 2

ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐05 3

ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐05 4

ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐05 5

 このチャクスイ・パンケップも20世紀初頭から中期にかけて織られたものである。
 地は手紡ぎのブータン木綿の糸が使われ、紋様部分には 藍染めの手紡ぎの木綿糸と
 貝殻虫からの染料ラックでえんじ色に染められた野蚕の手紡ぎのシルク糸が使われて
 いる。
 縦糸に紋様を織り込んでいく両面縫い取り織りの技法が使われ、縫うように横糸を
 差し込んでいき、紋様を織り込んでいくのは手間のかかる作業である。
 チャクスイ・パンケップは 3枚の布を縫い合わせて作る。
 主要な部分は中央の布で その横に2枚の布をはぎ合わせる。

 中央の布の一番真ん中に当たる菱形模様が 最も重要な部分で それを飾り付ける
 ために上下には対称の模様を配置していく。
 織り始める前から織り子の頭の中には 全体像があるのだろう。
 幅は大体1メートルから1メートル30センチ、長さが2メートル50センチと
 いうのがチャクスイ・パンケップの大体の大きさである。
 これを一人で織り上げる。
 どこかに織るという決意がないことには出来るはずもない。
 ブータンの織物はそれがないと 最後まで織り上げることは出来ないし、
 片手間に織るということが出来ないぐらい緊張を要する。
 ぼっとしていれば、正確に紋様を紡ぎだすことは出来ない。

 こうした集中力を使って織り上げるから、見るものに力を感じさせるのである。
 何か迫ってくるものがあるのだ。
 どうして このチャクスイ・パンケップに人々は 眼を向けないのか 
 不思議でならない。
 どうして この布の持つ力に気がつかないのだろう。
 こんな布は もう今の時代にはいりあげることが出来ないぐらいに貴重なものである。
 両面縫い取り織り(紋織り)の頂点を極めている布であると思うがどうだろう。
 決して、華麗な繊細な布ではないが 縄文式土器のような力強さがある。

 この布の良さに気がついてもらいたいと思うが、そう思うのは私の独りよがりなの
 だろうか。


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ブータン布の今昔 | 14:11:15 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 雨期にやって来る侵入者
 10日前にバンコクにある私の部屋にやって来て以来、私の部屋の中に入り込んできて
 私を苦しめるものがいる。
 雨期のとき年中行事といってよいかもしれない。

 それは何かというと 蟻(あり)である。
 今年は雨期入りが早かったせいか、やってくるのが早かったようだ。
 タイでは 蟻は 人泣かせである。
 前回のバンコク滞在中には いなくなっていた蟻が いたるところにいる。
 一番 困るのは ベッドに入り込んでいる蟻だ。
 いるだけなら、我慢できるが 噛み付いてくるのである。
 蚊なら、かゆいでおしまいだが、蟻に咬まれると かゆいだけでなく、しつこく 
 痕が残り、それが何日も 私を苦しめる。

 雨が降ることが多くなると 水を嫌って、蟻が建物の中に入り込んでくる。
 蟻の中でも 小さい部類のものであるから、なかなか気がつきにくい。
 先日から 殺虫剤を使って、戦いを挑んでいるのだが、どこかに潜んでいて、噛み付く
 機会をねらっているから、たちが悪い。
 ネパールのカトマンズでも 時たま蟻が入り込んでくることがあるが、
 タイの蟻ほど凶暴ではない。
 いたって穏やかである。

 私の部屋は7階にあるから、まだいいのかもしれないが、
 平屋であれば、1年中、蟻との戦いに明け暮れることになるだろう。
 東北タイのコンケンに住んでいたときなどは 肉食系の大きめの蟻が 地面に巣を
 作っており、これに噛み付かれると 飛び上がるほど痛い。
 この蟻は 家の中には入ってこないが、今、私の部屋に入ってきている小さい蟻は
 砂糖壷の中、米びつの中、置いてある食べ物へと容赦なく入り込んでくる。
 その上、人間までねらうのである。

 タイの家では 食べ物への侵入を避けるために 食べ物をしまう水屋の4箇所の
 足部分を 水を入れた容器の上に置く。
 そうすることで蟻の侵入を防ぐのである。
 スーパーなどに行っても 蟻退治のための殺虫剤、罠など 多くの蟻退治用品が
 売られている。

 蚊なら、網戸や電気蚊取りでどうにかなるが、蟻はどんな隙間からも入り込み、
 その数の多さは 蚊の比ではない。

 この記事を書きながらも、蟻に噛み付かれた箇所がかゆく、ぼりぼりと掻いている。
 しばらくは 蟻軍団との戦いが続きそうである。

 タイには モッド・デーン(赤蟻)という蟻があり、この蟻の卵は 酸っぱ味が
 あり、東北タイでは スープやヤム(タイ風サラダ)などにして食べるようである。
 この蟻も攻撃性が強く、咬まれると飛び上がるほど痛い。
 しかし、このスープのうまさを求めて、東北タイの人々は 蟻の卵を果敢に追い求める。
 食べるのはいいが、蟻に噛み付かれながらの蟻の卵集めなど 御免である。


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徒然なるままに | 21:43:06 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐05
バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐05 1

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐05 2

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐05 3

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐05 4

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐05 5

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐05 6

 バーン・クルアの集落の中を歩いていると 何だか 懐かしい想いが湧いてくる。
 私の幼少年期の田舎での生活と似ているせいかもしれない。
 あの頃から 何十年も年月は流れてしまった。
 もうあんなゆったりした世界は 日本にはなくなってしまっているだろう。
 子供も大人も老人もゆったり支えあって生きていた時代である。
 庶民という言葉が 生き生きとした意味合いを持っていた時代でもあった。

 バーン・クルアの集落に向かって歩いていくと 一本の広めの通りにぶつかる。
 この通りは イスラム教徒の集落 バーン・クルアの東側の端に当たる。
 この通り周辺には 仏教徒のタイ人や中国人が多く住む。
 この通りを越えてゆくと 木造の1軒の家に出会う。
 百年近く前に建てられた木造の家屋である。
 ちょっとアユタヤ様式の建築方法を取り入れた建物だ。
 2百年前に アユタヤから王族・貴族たちとやってきたチャム族の家系の人たちの
 家なのかもしれない。
 船の扱いに長けていたチャム族は 王族・貴族を船に乗せ、バンコクにやってきたの
 かもしれない。
 シャム王国は 船の扱いに長けたチャム族を シャム王族の水軍の傭兵として
 徴用したのである。
 この木造の家屋周辺には 古い木造家屋が多い。

 運河沿いのこの道筋には 小さな店が多い。
 このセンセーブ運河が出来た時代には 陸の交通網はなく、人や物資の輸送は
 この運河を行きかう船に任され、運河沿いに 商店が集中したに違いない。
 昔は 商店のような店の構えのような建物があるが、その名残か、数少ない商品を
 並べているだけである。
 店の中に掛かっている服の多さを見ると、洗濯屋でもしているのだろうか。

 運河沿いの陽の当たる一角を利用して、肉を乾燥させ、乾燥肉を作っている。
 日本なら、魚の干物でも作っていることになるのだろうか。

 路地の中を歩き回っていると 子供たちのための駄菓子屋兼おもちゃ屋がある。
 幼い子供たちのためのものらしい。
 昔の日本を思い起こさせるようなオモチャが並んでいる。
 贅沢な日本の子供なら、見向きもしなくなったようなおもちゃである。

 路地の中をうろうろと動き回っているうちに 集落 バーン・クルアの西の端まで
 来てしまった。
 このあたりは、バーン・クルア銀座である。
 食べ物屋、雑貨屋などが集まり、バーン・クルアの路地裏に住む人々は 
 息抜きにここに集まってくる。
 普段着の人たちが、1杯の冷たい飲み物、軽い食事にやってくる場所だ。
 惣菜だって、大半のものはここで揃う。
 のんびりとのんびりと、ゆったりとゆったりと 着飾ることなく、時間は流れている。
 これで十分である。
 人間が生きていくために これ以上のものが必要なのだろうか。


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バンコク 運河の辺の街 | 19:13:31 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐04
ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐04 1
  ブータン   チャクスイ・パンケップ   20世紀初頭 ~ 20世紀中期

ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐04 2

ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐04 3

ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐04

ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐04 5

 20年前に買い込んでいたブータンの布が 山のようにある。
 チャクスイ・パンケップだけでも 40点近くあるだろう。
 このチャクスイ・パンケップやブータンの女性用の民族衣装のキラなど、
 結構な大きさと厚みがあるので 仕舞って置くには 場所をとって敵わない。
 キラだけでも クシュタラ、ノシェム、アイカプール、メンシイ・マタ、
 ルンセルマなどを合わせれば、百点近くになる。
 ブータン式の帯 ケラなども5,60点 その他、他のブータンの布を入れると
 かなりの量になるのである。

 これらのブータンの布を きちんと展示して見せたいと思っているが、なかなか
 そんな場所を探す機会もなく 20年が経ってしまった。
 二度ほど東京で ブータンの布の展示会を開いたが 会場の狭さから、充分に
 展示することは 適わなかった。

 このブータンの布 チャクスイ・パンケップも 20世紀初頭から中期に織られた
 見事なものである。
 手紡ぎのブータン木綿の糸で織られた地、紋様部分は 藍染めの手紡ぎ木綿糸と
 貝殻虫から取り出された染料ラックでえんじ色に染められた野蚕の手紡ぎのシルク糸が
 使われている。
 伝統的なデザインなのだろうが、その力強さは 工芸の枠を超えて、芸術の極みまで
 至っているように思われる。
 そう思うのは 私だけであるようで、ブログで紹介しても あまり反応はない。
 あまり日本人好みの布ではないのだろうか。
 ブータン・ブームはあっても、ブータンの布文化に興味を持つものは少ないのだろうか。

 このような古い布は 心の眼を使ってみないと その良さが見えてこないものだ。
 布が形になるまで 織り手の心がどう動いていたのか、布自身が 発しているものは
 どういうものなのか、じっくり布と付き合わないと見えてこないものだ。
 現代人は 心眼を失ってしまったのかもしれない。

 心眼とは 胡散臭いものをかぎ分け、本物を見抜くための人間の能力である。
 人の話しを聞いて、きっとよいものだろうと思い込むことでなく、自分の心と
 眼を使って、物に向かっていく態度である。
 あまりにあわただしい世の中の流れの中で そうした能力を皆 失いつつあるのである。
 騙されやすく、すぐに烏合してしまう現代人の弱点は 心眼を失ったことだ。

 お金や時間、流行に左右されることなく 織り上げられた古いブータンの布には
 ブータンの織り手の心が宿っているのである。
 それは 心眼を使わない限り、見えてこない。

 世の中の流行にいつも右往左往している現代人には もう無用のものなのかもしれない。
 実に残念なことである。

 このような布を 一堂に会して 展示できれば かなり迫力のある展示会になると
 思うが、どうだろう。
 ブータンの布を少なくとも百点ばかり 心置きなく展示できる空間がほしいと思う。
 キラ30点、チャクスイ・パンケップを20点、ブータンの帯 ケラを20点、
 ブータンの女性用スカーフ ラチュー、男性用衣装 ゴ、ブータン式風呂敷のブンディ、
 貫頭衣 キシュンなどを 広々とした場所に並べてみたいものである。


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ブータン布の今昔 | 11:32:22 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 果物の季節がやってきた
バンコク 果物の季節がやってきた 1

バンコク 果物の季節がやってきた 2

バンコク 果物の季節がやってきた 3

バンコク 果物の季節がやってきた 4

バンコク 果物の季節がやってきた 5

 日本からバンコクにやって来て以来、雨の多い不安定な天候が続く。
 今年は どうも早い雨期入りのようだ。
 雨が降っていなくても 空は曇り空、気温の上がらないのは嬉しいが、
 湿度は高く、戸外で少し動き回ると 汗できているTシャツは汗まみれになり、
 不快である。

 そんな鬱陶しい天候だが、嬉しいことが一つある。
 市場や路上に 多くのタイの果物が姿を見せ始めたことだ。
 この時期は タイでも一番果物の種類の豊富な季節である。
 ゴ(ランブータン)、リチー(ライチ)、マンクッド(マンゴスチン)、
 ツーリアン(ドリアン)、マムアン(マンゴ)と果物であふれている。

 この前もリチー(ライチ)を近所のスーパーで2キロほど買ってきた。
 特別セールで キロ 20バーツ(約60円)という安さに惹かれてしまったのである。
 市場では もう時期も終わりかけている黄色いマンゴを キロ25バーツ(約70円) 
 で買った。
 1キロ買うと 大き目のマンゴを 3個 買うことができる。

 今の時期は マンゴスチンが最盛期を迎えたせいか、値段がどんどん下がっている。
 4,5日前は キロ35バーツだったこのマンゴスチンが 今はキロ25バーツまで
 下がっている。
 そろそろ 買い時である。
 このマンゴスチン 南国の果物の王様といわれているが 食べることの出来る白い果肉 
 は 少ししかない。
 1キロ買っても 果肉部分を計算すれば、せいぜい2,3百グラムに過ぎない。
 だから、安くなるのを待っていたのである。
 キロ25バーツであれば、安心して 腹いっぱい食べることが出来る。
 冷蔵庫の中にあったマンゴもライチもなくなってしまった。
 今日は マンゴスチンを買うことにしよう。

 あの臭い匂いのするドリアンも 多く出回るようになっている。
 水気の多い果物の好きな私にとっては あまり興味のない果物であるが、東南アジアの
 人々にとっては 心狂わせる果物らしく、女房を質に入れても ドリアンを食べることだけは 
 止められない。
 そんな話のある果物である。
 このドリアンもキロ30バーツ前後で売られているが 3キロの重さがあるドリアンを
 買っても 食べることの出来る黄色い果実は、5百グラムぐらいしかない。
 癖のある匂いと味があり、 果物というよりお菓子をいった感じで、その味と匂いに
 慣れるまでは 美味しいとは感じられない果物である。
 全体を覆う痛そうなとげは、だんなが浮気をして帰ってきて、眠り込んでいるときなど 
 腹いせに だんなの顔めがけて投げつければ、効果的であるが、下手をすれば
 殺人にもなりかねない。

 市場や路上にあふれている果物を買い、その味を味わうというのは 異国でも楽しみの
 一つであるが、私の一番の好物は 蜜柑である。
 タイの蜜柑なら、ソム・サイ・ナムプンという銘柄の蜜柑が好きであるが、この蜜柑の
 時期は2月で終わり、11月後半頃まで待たなくてはならない。
 蜜柑があれば、ジュース代わりに1日1キロは食べているのだが。

 それまではライチ、ランブータン、マンゴスチンで我慢するより仕方ない。


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徒然なるままに | 00:45:47 | Trackback(0) | Comments(2)
ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐03
ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐03 1
  ブータン   チャクスイ・パンケップ    20世紀初頭 ~ 20世紀中期

ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐03 2

ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐03 3

ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐03 4

ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐03 5

 ブータンの布 このチャクスイ・パンケップには 両面縫い取り織りという技法が
 使われている。いわゆる紋織りである。
 この技法は ラオスでもよく使われている。
 この技法は ラオスやブータンで主に使われ、中国やインドでは さほど盛んに
 使われていない。

 今回のチャクスイ・パンケップも20世紀初頭から中期に織られたものである。
 これも存在感を感じさせる布である。
 地には ブータンの手紡ぎ木綿は使われ、紋様部分には 藍で染められた手紡ぎの
 木綿糸と貝殻虫から取り出した染料 ラックを使って、えんじ色に染められた
 手紡ぎの野蚕のシルク糸が使われている。
 藍色とえんじが織り成す紋様は 力強く、この時代のブータンの人々のおおらかさを
 感じさせてくれる。

 図面など用いず、自分のイメージをそのまま織り込んでいくのだろう。
 それは その家族が 長い間 次世代に伝達しながら、発展し、記憶されていったに
 違いない。

 親から子へ、子から孫へと文化が伝達していくという社会のシステムがなければ、
 成り立たない家族間の伝達である。
 衣食住のすべての面で この伝達の形があったのだろう。
 重要な行事の仕切り方の伝達、そのときに出す料理とその作り方、見につける衣装、
 それは 家族、親族間の重要な文化の伝達だったのだ。

 こうした伝達が意味を成さなくなったときに 家族という集団は 親密度を失っていく。
 家族が歴史を持つためには 三世代が同じ屋根の下で生活することが必須のことである。
 その中で 各家族の個別の文化が蓄積され、強固なつながりが生まれてくるのである。

 こうした家族の形態が失われることで 日本の文化はなんと薄っぺらなものに
 なったのだろう。
 家族というものが 文化の蓄積など出来なくなってしまっている。
 子供は大きくなれば、家から出て行き、家には 年寄り夫婦が残るだけである。
 日本の家族を支えるものは 今 何なのか心配になる。
 みんな ばらばらの価値観の中で生活し、手をつなぎ合うことが難しくなっている。

 こんな中から 豊かな生活の文化が生まれるとは 到底 思えない。
 そんなことを考えるこの頃である。



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ブータン布の今昔 | 20:17:39 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐04
バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐04 1

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐04 2

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐04 3

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐04 4

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐04 5

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐04 6

 日課のようにチャム族の住む集落 バーン・クルアへ出掛けていく。
 ちょうど集落の東側にある公園のすぐそばで 一人の老婆が マメ科の紫色の花を
 摘んで籠一杯にしている。
 先日も孫らしき若い娘とともに この花を摘んでいた。
 今日は 目が合ったので 「この花をどうするの」と訊いてみた。
 どんな病気にも効果があり、煮て食べてもいいし、卵と一緒に炒めても美味しいと
 教えてくれる。
 最初は 怖そうな顔をしていたが 話をしているうちに打ち解けてきて 
 笑顔も浮かんできた。
 イスラム教徒のチャム族のおばあさんである。
 そこが自分の家だと指差して教えてくれる。
 訊かなければ、その服装から イスラム教徒であるかどうかわからないのが 
 チャム族の特徴である。

 少し先まで歩いていくと 雑貨屋の店先で サングラスをかけた年配の女性が
 座り込んでいる。
 話しかけると 仏教徒の中国人だと言う。
 こんバーン・クルアの集落に住み始めて60年近くになると言う。
 私が この集落は静かでいいねと言うと
 嬉しそうに この集落ではみんなが知り合いで 何か間違ったことをする若者がいると
 年上の者たちが 注意するし、若者たちも耳を傾けている。
 そして、それぞれの人が、気持ちよく生活するための努力をしていると自慢している。

 又、先へと歩き始めると 年配の女性たちが座り込んで 賑やかにガヤガヤと言葉を
 交わしながら タイ風の氷菓子の材料をきれいにしている。
 東北タイの仏教徒の女たちである。
 何かの木の実のようであるが、皮を剥くと 半透明色の実が出てくる。
 これを薄く切って 氷菓子の中に入れるようだ。
 そばにいる男たちは 見ているだけで、座り込んでいる。

 運河沿いの道から路地に入っていくと 家の入り口に座り込んでいる老婆がいる。
 穏やかな顔つきの老婆である。
 「サワッディ」と声をかけると 笑顔を見せる。
 少し話をしているうちに イスラム教徒のチャム族の女性であることがわかる。
 年齢は74歳である。
 話をしていると、10歳ぐらいの孫がやってくる。
 幸せな老後を送っていることが 穏やかな表情から伝わってくる。

 この集落では老人たちは 孤立していない。誰かしら彼らの周りに入る。
 老人たちも何かしら仕事をしていて、家族の役に立ちたいという気があるようだ。
 身体が動けば、昔風のタイのお菓子を作って、ささやかな商いをしたりもするし、
 孫の世話をしたりもする。
 あまりぼっとしているような老人は見かけない。

 子供、若者、壮年、老年とバランスが取れていて、老人に孤立、孤独を
 感じさせない集落である。
 老人たちが 穏やかで落ち着いた表情をしているのがよい。
 孫や年若い者たちとともにいるというだけで、寂しさを感じることはないだろう。
 家を一歩出れば、そこは 人と人とのつながりが 自然に生まれてくるのである。
 人間の住む共同体が 歴史を持つ、歴史が途切れることなくつながっているという
 ことは こんなことなのだろう。


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バンコク 運河の辺の街 | 11:08:49 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコクから 新聞の定期購読をやめよう
 1ヵ月半ばかり日本に滞在して バンコクにやってきたばかりであるが、日本に
 居る間、テレビ、新聞のニュース報道の偏向振りには驚くものがあった。
 世論調査という名の下に 世間を代表するような顔をして、調査結果を発表する。
 まともな人間なら、世論調査に協力する気にもなれないだろうが、まともでない人間の
 調査結果を取り上げて、それ見たことかという勢いで発表する。
 意図的な操作をしての世論調査であるから、当然 出てくる結果は 新聞社なり
 テレビ局の意図しているものになる。

 この頃では 良識のある者は マスコミといわず、マスゴミを呼ぶらしい。
 新聞購読者に真実を伝えるのが 報道の使命という姿勢はどこにも感じられない。
 こんな新聞を定期購読で読むなど 馬鹿げたことのように思えてきている。
 必要なときに 巷で買うということのほうが 余程賢い姿のように思える。
 読者に対して不誠実、公正、公平でない報道をしない新聞は買わない、そのことが
 徹底できるはずだ。
 毎日毎日 家まで配達されるシステムが 新聞社の胡坐をかいたいい加減な報道姿勢を
 助長しているように思えてならない。

 タイやネパールの人を見ても 定期購読をしている人間はほとんどいない。
 本当に知りたいことがあるときに 新聞を買うか、新聞を売っている店の前で 
 ただ読みをしているのが普通の姿である。

 近頃の新聞といえば、広告ばかりが増え、広告主の意に沿った報道がやたら、
 目立つようになり、貧しい市民の味方、国民の味方であるという姿勢は見られない。
 新聞記者たちの生活も豊かになり、庶民の味方という意識を失い、真実を追究すると
 いった姿勢はないようだ。
 市民や庶民の生活の向上のために 社会を変えていくという姿勢を失った新聞に
 何を期待できるのだろうか。

 偏った報道で 偏った情報を国民与えて情報操作し、国民を誘導し 
 次には世論調査と称して、民意であるかのように報道する。
 世論調査の精度、裏づけに対する説明もない。
 ただ、無作為に電話番号を選び出し、世論調査を行う。
 年齢層、男女の比率、職業、指示する政党、そんなことは曖昧なままである。
 電話1本で 世論調査の最小になった人は どれだけ 的確に答えられるのか、
 余程 時間に余裕のある人しか 答えることはできないはずだし、見識のある人間なら、
 どう利用されるかわからない世論調査に協力しようとはしないだろう。

 そんな世論調査に翻弄されている国民の側にも問題がある。
 今の新聞というものが 本当に庶民、市民、国民の味方なのだろうかという疑いを
 持たない。

 民主主義が 正しい見識を持った国民によって 運営されていかなければ、
 ただの烏合の衆の数の論理だけが 一人歩きを始め、公平な公正な社会は
 生まれてこない。

 この頃では日本に民主主義などあるのかという気もしてくる。
 簡単に情報操作をされ、情報を鵜呑みにしてしまう日本人は 民主主義を支えていく
 だけの見識を持っているのかと疑いが湧いてくる。
 平和ボケの中で 自分の身近に起こっていることの意味すら見えなくなっているのでは
 ないだろうか。
 世界は日々変転しているのに 小さな島国の中だけでしか通用しない常識の中で
 生きている日本人、声が大きいだけで この国を支配されるとしたら、
 これほど怖いことはない。

 今、新聞もテレビも 社会で起こっている真実など伝えてはくれないことを知り、
 自らを護るための情報、家族を護るための情報、国を護るための情報は 自分で
 手に入れることに努力をしていかなくてはならない。

 新聞やテレビが 自分たちの生活を護るために必要な味方なのかどうかを見極め、
 味方でないなら、そんなところにお金を支払わないという強い姿勢が必要だ。
 定期購読をやめるという運動だけで、新聞は生まれ変わってくるはずである。
 テレビも同じである。


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徒然なるままに | 21:44:35 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐02
ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐02 1
 ブータン   チャクスイ・パンケップ     20世紀初頭

ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐02 2

ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐02 3

ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐02 4

ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐02 5

 古い時代の織物には どうしてこんなに力強く、訴えるものが大きいのだろうか。
 特に チャクスイ・パンケップという布には それをはっきりと感じる。

 やはり、この布には ブータンの人々の宗教的な想いが込められているのだろうか。
 ラオスのタイ・デーン族のパー・ビアンという布にも 宗教的なシンボルが織り
 込まれているが、織り込まれている紋様のパターンが ブータンのこのチャクスイ・
 パンケップとよく似ている。

 タイ・デーン族のものは 繊細で精緻な紋様のパターンが織り込まれているが、
 ブータンのこの布は もっと骨太で 力強い。
 何か人を圧倒するような力を感じるのである。

 仏教国 ブータンの人々の宗教に対するシンボルをこの布に感じてしまう。
 日本には こんな宗教的な想いを込めた織物は 意外とないのである。

 寺の住職や僧侶も 生臭坊主になって 贅沢をするのでなく、こうした布文化に
 もっと興味を持っていいのではないかと思う。
 宗教が 人々に安らぎを与えるものなら、人間が心を込めて織り上げた織物を
 本堂の一隅に飾って信者とともに 人間の文化を味わうぐらいの余裕があっても
 良いはずである。
 宗教が 人間の文化の中心であるなら、寺は 文化を伝えていく拠点である。
 法事や葬式に明け暮れ、金儲けに走るだけでは 僧侶に対する畏敬の念は
 生まれてこない。

 戦後 尊敬の念を失ったのは 僧侶と教師である。
 文化を伝えて、いくことで尊敬を得ていた僧侶と教師が文化の伝達の担い手としての
 役割を失ったからである。

 このブータンで織られたチャクスイ・パンケップを本堂に飾り、その力を感じるような
 感受性が僧侶にあれば、日本の宗教も少しは 息づいてくるかもしれない。
 そのくらいに 古いブータンの織物には力がある。

 是非、寺に仏教国 ブータンの織物を 日本の寺に置いてもらいたいという気持ちが
 あるが、そんな話はとんとない。

 幅130cm 長さ 250cmの大きさを持つ布、なかなか迫力のある布なのだ。
 織られてから百年近い年月が流れている。
 地は 手紡ぎのブータン木綿で織られ、紋様の青は 藍染め、えんじは カイガラムシ 
 のラックを使って染められている。

 百年前のブータンの人々の布に対する想いが 強く伝わってくるような布だ。
 人の心が伝わってくるような布は 今の世界では 織ることはできなくなっている。
 それは 百年の時間の流れの中で 人間が失った世界である。
 人が人らしく、時間を 自分のものとして使っていた充実した心の時代、
 そんな世界が 古いブータンの布の中には 織り込まれている。 


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ブータン布の今昔 | 19:37:53 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐03
バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐03 1

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐03 2

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐03 3

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐03 4

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐03 5

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐03 6

 バーン・クルアの集落の中を歩き回っていると、生活していくために必要なものは
 何でも揃っていることがわかる。

 歩いて10分ぐらいの場所に MBKセンター(マーブンクロン)や大型スーパー
 ロータスもあるが、身近なものは 近所の雑貨屋で揃えることはできる。
 床屋もあれば、テレビの修理屋、総菜屋も駄菓子屋もある。

 今日も 運河に架かる小さな橋の横にあるカキ氷の店で カキ氷を注文した。
 ここも 集落に住む人々の集まる場所になっている。
 目の前には 40年前にこの集落にやって来て住みついた東北タイのコンケンから
 やってきたおばあさんが東北タイ料理のソムタム、ラープ、スープ・ノーマイを
 作って 売っている。
 イスラム教徒の住む集落だから、豚肉を使った料理は作らない。
 互いに相手の立場を思いやりながら、協調しながら生活しているのである。

 どちらかというと無口な感じのイスラム教徒のチャム族と賑やかで気さくな東北タイの
 人々と混ざり合って 集落の中を暖かい、気楽で住みやすい場所にしている。

 人間が生活する場所の原点が この集落にはある。
 みんな顔見知りで 安心して住める集落なのである。

 子供たちがいて、若者がいて、おじさん、おばさんがいて、年寄りたちが 
 バランスよく生活している。
 この集落の中を歩いているだけで 気持ちが和やかになり、自分を覆っている膜の
 ようなものがなくなっていくから 不思議なものである。

 今 日本のどこへ行けば、こんな集落に出会えるのだろうか。
 バンコクの中でも珍しい雰囲気を持っている集落なのかもしれない。

 この集落に2百年前から住み着いて生きたイスラム教徒のチャム族の柔軟性のなせる
 技なのだろうか。
 多くの東北タイの人々を受け入れ、摩擦なく 共存していく。
 彼らは15世紀頃までは ベトナムでチャンパ王国を作っていた民族だ。
 べト族に追われ、カンボジアに多くが 移動し、カンボジアとタイとの戦いの中で
 アユタヤに居を移し、シャム王国に忠誠を尽くしてきた。
 そんな変転の歴史が 柔軟な彼らの性格を形作ったのかもしれない。
 不思議な興味深い民族である。
 敵を作らないというのが 異国で生活するための最低限の知恵である。
 それを数百年に渡って実践してきた民族だ。
 こんな民族が 魅力的でないはずはない。
 バンコクの片隅で生き抜いているチャム族に幸いあれ。


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バンコク 運河の辺の街 | 12:32:34 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 豚インフルエンザに寄せて
 大阪や神戸では 海外に渡航していない高校生たちが 新型インフルエンザに
 感染したというニュースが 伝わってきた。
 どうしてだろうという疑問から インターネットから新型インフルエンザに関する
 ブログ記事を 拾っていると こんな記事を見つけた。


       *** 豚インフルエンザの本当の意味 ***

― これまで、鶏・豚のみに発症して来たインフルエンザ等のウィルスが、突然、人間にも感染・
 発症するようになる「突然変異」は、数億分の1程度の可能性でしか生じない。遺伝子工学が 
 「実用化」された、過去、数年間に、こうした「変異」が相次ぎ起こっている事は、自然現象では
 なく、「人為的な操作」によって起こっていると考えるのが「常識」である。

  イスラエルのテルアビブから南東に20キロ程の場所に、「イスラエル生物学研究所」という
 国家機関がある。ここでは有色人種の皮膚の色素に反応し発症する、コレラ、ペスト、天然痘、
 エボラ出血熱等の生物兵器が開発されている。

  これ等の兵器は既存の薬が効果の無いように、また繁殖力を強化し殺傷力を高めるよう
 遺伝子組み換えが行われている。

 空気感染するエイズも完成している。

 「日本人を始めとした有色人種は、人種的に劣った生物であり、絶滅させる必要がある。
 有色人種を絶滅させ、地球を白人だけの楽園にする。それが聖書に記載された神の国到来である」
 と 強硬に主張するキリスト教原理主義教会等の人種差別思想によって「製造されている」、
 こうした有色人種に多く発症するように遺伝子操作された、生物兵器は、「潜伏期間が長く
 設定されているケースが多い」(注1)。

 潜伏期間が短く発症が早い場合、対策が早期に練られ、薬品開発に拍車がかかり、死傷者が
 少なくなる。

 潜伏期間が長い場合、発症が無いため、対策が立てられず、「人類の大部分が感染し終わった
 段階」で発症が一気に起こり、対策・薬品開発が完了した段階では 人類の大部分が既に
 「死亡している」。人口削減には「最適」である。

 オバマ大統領の最高政策ブレーンであるズビグニュー・ブレジンスキーが策定した「グルーバル
 2000」計画に基づく、この人口削減政策は、最もポピュラーな、カゼ・インフルエンザから
 「開始される」。突然、コレラ、ペストが蔓延し始めれば、人為的なものとして「犯人探し・
 原因究明」が強く行われる。「まずは、最も、ポピュラーな、カゼ・インフルエンザから開始し、
 ウィルス・細菌の突然変異は、『自然現象』であり、よくある普通の現象」として、大衆を
 「飼い慣らす」必要がある。


 *注1・・・アメリカ大統領の就任式において、新大統領の手を聖書に置かせ宣誓を行わせる
 牧師が、このキリスト教原理主義教会の牧師である。アメリカ国家が、どのような思想に基づき、
 どのような思想グループによって形成・運営されて来たかを、これは明確に示している。― 
        
        ~ オルタナティブ通信 
          http://alternativereport1.seesaa.net/article/118696389.html より



 本当のような嘘のような話であるが アジアで長年生活していて、欧米人たちの白人
 優位主義を見ることが多いことから、まんざら嘘でもあるまいという気になる。
 すべての欧米人たちが そうであるとは言わないが 表面はアジア人に友好的な表情を
 浮かべていながら、その裏にはどこかアジア蔑視のようなものが窺われる。

 これからの世界は もう核戦争というより、細菌を使っての謀略が中心になってくるのではと
 思えてくる。
 核を使えば、報復の危険がある。
 しかし、細菌を使えば、出所もわからせないまま、相手国に危険な感染力の高い細菌を
 ばら撒くことも出来るのである。
 そして、気に入らない、あるいは意に沿わない政策を実行しようとする相手国を 
 簡単に混乱に陥れることも出来るし、その相手国の国力を簡単に削ぐことも出来る。
 目立つ戦争よりも こうした新型のウィルスを用いる方が 余程効果的かもしれない。
 兵器としての細菌の研究は 核開発より秘密裏に行うことが出来、その規制もはっきり 
 はしていない。
 そんなことを思っていると 再び 同じブログでこんな記事が 掲載された。



    *** 米軍が認めた生物兵器=豚インフルエンザの散布??? ***

― 既に、マスコミ・レベルでも報道されているが、米国メリーランド州フォートデトリック陸軍細菌兵器研究所は、4月22日、「ベネズエラウマ脳脊髄炎の病原体サンプルを紛失した」と発表している。もちろん、「ここは生物兵器の研究・開発組織」であり、生物兵器そのものが紛失・盗難されたと言うのが実態である。

「全人類の生存に関わる極めて危険な生物兵器に対し」、余りに「ズサンな管理体制」が敷かれていた事、あるいは「何者かが自由に、極めて危険な生物兵器を外部に、持ち出し、バラ撒けるように、便宜が計られていた」事を、米陸軍当局自身が「認めた」事になる。

米陸軍は、「ベネズエラウマ脳脊髄炎」の紛失と説明しているが、ベネズエラウマ脳脊髄炎ウィルスが「自由に外部に持ち出せるのであれば」、豚インフルエンザ、コレラ、ペスト、天然痘を「自由に外部に持ち出す事は不可能」であると、主張する事は出来ない。―
   
 ~ オルタナティブ通信 より
   http://alternativereport1.seesaa.net/article/119593214.html

 どこまで人間の良心に期待できるのか 今の時代では その答えを出すことが出来ない
 ほど、不安定な世界である。
 本当に人道主義を優先する世界であれば、世界中に戦争や紛争が多発するはずもない。
 国や人を意のままに支配するために 細菌兵器が用いられたり、ばら撒かれたりすれば、
 こんな恐ろしいことはない。

 今回の新型インフルエンザの騒ぎも そうではないとは言い切れないものがある。
 殺傷力のない新型ウィルスを実験的に使ってみたということも あながち ありそうな話のように
 思えてくる。
 こうなったら、どこでも世界中安全な場所はなくなってしまう。
 同じブログの中にこんな記事もあった。

 豚インフルエンザの源流? 
 http://alternativereport1.seesaa.net/article/119002528.html 
 
  SF的な世界のように思えるかもしれないが ちょっと頭の中に入れておいても
  損はないと思い、紹介することにした。


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徒然なるままに | 17:34:04 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐01
ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐01 1
 ブータン  チャクスイ・パンケップ    20世紀初頭

ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐01 2

ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐01 3

ブータン布の今昔 仕舞い込んでいたチャクスイ・パンケップ‐01 4

 ブータンの布を整理していると しまいこんでいたブータンの布の中のチャクスイ・
 パンケップが出てくる。
 主だったものには目を通していたのだが、奥にしまいこんでいたものは 面倒なので
 20年近くそのままにしていた。
 取り出してみると 意外といいのである。

 これは その中の1枚のチャクスイ・パンケップである。
 白い地は ブータンの手紡ぎ木綿で織られ、紋様の織り込みには やはり手紡ぎの
 木綿糸が使われ、藍とラックのえんじに染められている。
 私と同じように このパンケップと所有していたブータンの人もどこかに
 仕舞い込んでいたらしく、ほとんど未使用の状態である。

 手紡ぎ手織りの風合いを 天然染料を使った染めの色が高めている。
 織られたのは 20世紀初頭かもしれない。
 時代の持つゆったりした雰囲気が このパンケップには感じられるのである。
 力を込めず、のんびりと織り上げたこと、布から伝わってくる。
 触れば触るほど、見れば見るほど愛着が湧いてくる。

 人間の手が加われば加わるほど、作られたものには人の心が 物の中に入り込んでいく。
 それは 何年 経っても消えることはないのである。
 それは暖かさであったり、やさしさであったりする。

 どんなささやかなことでも そこに人の手が加われば、特別のものになり、
 手放し難いものになり、おろそかに出来なくなる。
 母親が 子供のために既製服に刺繍をしたり、あるいはアップリケをすることで、
 子供にとっては、それは特別なものへと変わっていく。
 そこに母親の心を感じるからである。
 母親の心が入り込んでいる服は 捨て難いものである。
 工芸というものはその延長線上にあるものだ。

 人の心が感じられるというのが 手作りの良さである。
 工業製品には 人の心を込めることはできない。
 古くなって、薄汚くなれば 捨てるだけである。


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ブータン布の今昔 | 12:57:12 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク ケイゴ君の父親の所在がわかる
       *** 父親探しの少年、父親の所在を確認 ***

― 16日11:00迄に確認できた各メディアの報道によると、ピヂット県のソムチャイ
知事は同日朝、寺院の敷地内で日本人の父親の消息を尋ね回っている少年(9)の
父親の所在を確認したとの連絡が日本大使館からあった事を明らかにした。

父親は大使館関係者に対して報道で大きく取り扱われたくない為今すぐ少年に
会うためにタイを訪問する事ができないと語っており、少年や面倒を見ている叔母も
父親の事情を理解すると共に父親が無事でいることが確認できた事に満足を表明すると
共に県や支援者から十分な支援を受けている為、これ以上のことを父親に要求する考えが
無い事を表明しているという。

ソムチャイ知事によると、少年と父親が電話で会話をする機会をつくるために日本大使館に
対して協力を要請中だが、実現するか否かは日本の父親次第だという。

尚、ネーションの英字速報は、少年の話を聞きつけた父親が既に叔母宛に電話でコンタクトを
取っており、また16日午後に開かれる記者会見の際に少年の父親が少年宛に電話をかけて
くる予定になっていると報じている。 ―

                            ~ タイの地元新聞を読むより


 タイの国中を駆け巡ったケイゴ君の日本人の父親探しも一件落着したようである。
 あとは 当事者同士で話し合い、解決の方向を見出せばいいだろう。
 もう野次馬は騒がない方がいいだろう。

 タイには 両親が離婚し、母親が実家に子供を預けて出稼ぎに出ているうちに 
 母親と音信不通になり、年老いた祖父母と孫が 悲惨な境遇に置かれている話を
 よく耳にする。
 子供を実家に預け、バンコクで娼婦をしながら、実家に仕送りしている女性のことも
 知っていた。

 あるいは 母親が絶えず同棲の相手を変え、居場所がなくなり、逃げ出して、
 ストリートチルドレンになっている子供たちもよく目にした。

 それは 発展途上国では どこでも見かける姿である。
 ネパールやカンボジア、インドでも同じことだ。
 それは あの有名なディケンズの小説 『オリバー・トゥイスト』の書かれた
 時代のイギリスでも同じ子供たちの姿があったのだ。

 親でなくても 支えてくれる大人の愛情があれば、そんな不幸な境遇に育った
 子供たちも 救いや支えを得手育つことが出来るだろうが、他人に目を向ける
 ゆとりのない社会は ますます子供たちの生活を悲惨なものにしていく。



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タイ事情 | 02:28:31 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐02
バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐02 1

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐02 2

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐02 3

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐02 4

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐02 5

 バーン・クルアの集落の中に入っていくと、運河沿いの歩道に植えてある草花が
 目立ち始める。
 そして、この集落の中で生活している人々の姿も 見かけるようになる。
 狭い運河沿いの道ではあるが、その道は人々の語らいの場所になっている。

 孫の面倒を見るおばあさん、如何にも可愛くて仕方のない様子がその表情から
 見て取れる。
 三世代一緒に住むというのは こんな下町の集落の中では 当たり前のことだ。

 少し先に行くと 東北タイ料理を売る屋台がある。
 東北タイ料理のソムタム(パパイヤサラダ)、カイ・ヤーン(鶏の照り焼き)などを
 売るのは東北タイのロイエットからやってきているおばさん、座り込んで世間話を
 しているのはこの集落に昔から住み着いているチャム族のおばさんである。
 仏教徒である東北タイの人間とイスラム教徒のチャム族の人間との間には 
 わだかまりはない。
 そして、異邦人の私に対しても 「ここのソムタムは美味しいよ」と声をかけてくる。

 少し行くと 狭い場所に座り込んで 女の子たちが遊びに興じている。
 セロテープを口に貼り付けてふざけあっている。
 狭い路地や路上を使って遊び呆けるのは 昔の日本の下町の風景と同じだ。

 運河沿いのこの道には ここに住む人たちの喜怒哀楽があふれている。
 仏教徒のタイ人が住んでいる家の前では 人々はそれぞれ 自分の仕事をしながら、
 楽しげに話しこんでいる。
 食後の皿洗いも路上の一角を利用している。
 男たちは 女たちのそんな様子を楽しげに眺めながら、話し込んでいる。

 こんな風にタイ人たちの昔ながらの生活の姿が 生き生きと見られる場所は 
 他にはないのかもしれない。

 決して 整然とした集落ではないが、むしろ雑然としていて、何もかもが混じり合っていると
 いった感じが 温かみを感じさせ、人間らしい当たり前の地についた生活を感じさせるのだ。

 日本はこの集落にある和やかさ、気さくな雰囲気、互いに認め合うやさしさ、そして
 自由を 都会から一掃してしまった。
 そして、生まれてきたものは 他人に対する無関心、警戒心、緊張感である。
 祖父母と孫たちとの日常は失われ、家族の歴史は 継続しなくなり、薄っぺらな
 家族愛しかなくなってしまった。

 干渉のない場を求めて、子供たちは マンションを購入し、ますます、心は貧しく、
 殺伐としてきていることに気がつかない。
 幸福であるのか そうでないのか わからないくらいに 無感覚、無感動になって
 しまっている。

 そうしたマンション生活とは 別の次元の生活が 今集落には残っている。
 便利さや小奇麗さという謳い文句に騙されてはならないのである。
 そんなことに耳を傾け、信用するようになれば、確実に一番大切なものを
 失っていくのだから。


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バンコク 運河の辺の街 | 20:53:43 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 日本人の父親を探す少年 ケイゴ君
             *** まだ見ぬ日本人の父を探す9歳の男の子 ***

 タイ字紙によれば、タイ北部ピチット県ムアン郡のタールアン寺で連日、日本人の父親を捜しているタイ人の男の子が地元で話題になっているという。

 この男の子は9歳になるサトウ・ケイゴ君(ニックネームはケーゴ)。今年4月3日に母親のティップモンターさん(33)が病気で死亡し、その後、叔母のパタマさん(35)に引き取られた。パタマさんはタールアン寺の前の路上でお参りグッズを売って生計を立てているが、家は貧しく、きびしい生活を余儀なくされている。それでも、勉強好きなケイゴ君は寺院に併設されている小学校に通っているという。

 授業のない時、ケイゴ君は叔母の仕事を手伝いながら、タールアン寺を訪れる日本人観光客を探しては、父親の写真を見せて、知っているかどうかを尋ねて回っている。

 ケイゴ君が父親探しをすることになったのは、母親の「遺言」による。母親は死を前にしてケイゴ君に「お父さんは必ずタールアン寺にあなたを探しに来ます。あのお寺はお母さんとお父さんが愛を誓い合った寺なのです」と告げた。その言葉を信じたケイゴ君は、「写真でしか見たことのないお父さんに会いたい。そして、僕のことを助けてほしい」と、父親探しを始めることになった。

 タールアン寺は観光スポットともなっているため、観光バスで観光客がよく訪れる。そのため、バスが到着するとまず「日本人観光客はいますか」と尋ね、いることがわかった後は、たった1枚しか残っていない父親の写真を日本人観光客にみせ、「この人を見たことがありませんか」と聞いて回っている。

 叔母のパタマさんによれば、ティップモンターさんは15、6歳の時、「バンコクで働く」とだけ言い残し、家出同然に家を飛び出したという。その後、しばらく音沙汰がなかったが、ある日、サトウ・カツミと名乗る日本人男性と一緒に実家に戻ってきた。その時、ティップモンターはすでに妊娠していた。

 その後、再び、消息がわからなくなったが、2000年、今度は4カ月になるケイゴ君とともに帰省。しかし、実家には「世話をしてほしい」とだけいい、そのまま、バンコクに働きに戻った。その後は、子どもの養育費として2、3回の仕送りがあっただけで、3歳となったケイゴ君を見に来たのを最後に再び連絡が途切れてしまった。

 ティップモンターさんが再び戻ってきたのは昨年のタイ正月(4月)。この時は、悪性の病にかかっており、医師からも見放されていた。その母親を、ケイゴ君は献身的に看病。食事だけでなく、排泄の世話までいやがらずにしていた。

 その母親も今年4月3日に死亡。母親は死ぬ間際まで、日本人の「夫」の名前を呼んでいたという。ケイゴ君は、タールンア寺院で観光客に父親のことを尋ねる以外にも、人捜しに霊験あらたかなものがあると聞くと、すぐにその場所を訪ね、祈っているとのことだ。

                            ― バンコク週報より

その後 次のようなニュースも報道された。

   *** 日本人の父親探しの少年、父親に結びつく具体的なデータを発見 ***

 ピヂット県のソムチャイ県知事は12日、日本人の父親とタイ人の母親との間に生まれたハーフの少年(9)が父親の消息を探している事に絡んで、これまでの調査で父親とされるサトウ・カツミさんが1978年1月3日生まれの東京都葛飾区在住で、2000年1月27日に葛飾区の区役所に少年の母親との婚姻届が提出されていた事、またサトウさんが所持していたパスポート番号を確認した事を明らかにした上で、日本大使館に対してサトウさんの消息確認を要請した事を明らかにした。

 また、県知事の発表に絡んで一部メディアは、サトウさんが移民警察局に提出した書類に添付されていたサトウさんの1998年7月10日発行、2003年7月10日期限のパスポートのコピーを公開した。
~~~ ソムチャイ知事によると、少年は2000年1月24日生まれで同2月28日にバンコクのパトゥムワン区内にある警察病院を出生地として出生届が提出されていたという。

                    ― タイの地元新聞を読むより

 
 タイでは こんなことは そんなに珍しいことではないかもしれない。
 タイでも有名な観光地であるピチット県のタールアン寺でも出来事であったので
 たまたま大きく報道されたのではという気もする。

 欧米人との混血、日本人との混血、ミャンマー人、カンボジア人、インド人、
 パキスタン人、バングラディッシュ人との混血の子供たちは 数え切れないくらいに
 いるだろう。
 幸福な生活を送っている子供たちもいれば、ケイゴ君のように悲惨な生活に陥っている子供も
 いるだろう。

 しかし、こんなにタイで大きく報道され、結果が好ましくないものであれば、タイに
 住む日本人は 肩身の狭い思いをすることになる。

 今日も私の住んでいるところの裏手にあるイスラム教徒のチャム族の住む集落
 バーン・クルアの中を散策しているとき、父親を探しているケイゴ君の話が出た。
 タイ人たちの間でも話題になっていることがわかる。

 ニュースを読んでいて 気がついたことの中でちょっと気になったことは、
 ケイゴ君の父親であるとされているサトウ・カツミ氏とケイゴ君の母親との結婚届けが
 2000年1月27日に 葛飾区の区役所に出されている。
 そして、2000年1月24日にケイゴ君が生まれ、同2月28日にバンコクの
 パトゥムワン区内にある警察病院を出生地として出生届が提出されていた。
 この辺のことが気になる。
 ケイゴ君の母親が不在でも結婚届は 受理されるものだろうか。
 いくらなんでも1月24日に子供を出産したケイゴ君の母親が 同じ年の1月27日に
 日本に居たとは考えられない。
 ケイゴ君の母親も身重であったのだから、サトウ・カツミ氏も子供の出産のことは
 知っていたはずである。
 その後 一体何があったのか 闇の中である。

 ここまで大事になっているし、サトウ・カツミ氏のパスポートまで明らかになって
 いるのだから、死亡していない限り、当人を探し出すことは難しくないはずである。

 ただ思うことは タイ、フィリピンなど外国人旅行者が多く訪れる国には 
 ケイゴ君のような境遇の子供は数多くいるが話題にならなければ、大変な一生が
 待っていることだ。

 ケイゴ君の父親とされているサトウ・カツミ氏は 1978年生まれというから 
 当年とって31歳ということになる。
 バスポートを作ったのが 1998年 二十歳のときであり、子供が出来た年の
 2000年のときは 22歳ということになる。
 何の考えもなしに タイの若い女の子と遊んでいるうちに 生活力もないまま、
 泥沼に入り込み、逃げ出してしまったのだろう。
 こんなことは 今の日本の若者たちの間では 別に珍しいことでもないだろう。
 サトウ氏もそうした若者たちの一人であり、たまたま 子供がタイにいて 相手の
 女性が病死し、母親を失った子供が タールアン寺に毎日行き、日本人の父親を探して
 いたことが タイのマスコミに取り上げられ、大きな話題になった。
 ただそれだけのことである。

 タイ人同士のことなら、あまりにこんなケースは多すぎて 話題にはならない。
 それは 日本でも同じようなケースは少なくないだろう。
 親がいてもいなくても 施設に入れられている子供は いくらでもいるはずだ。

 どちらにしても もしサトウ・カツミ氏が本当の父親であれば、人間として責任ある
 姿勢を示してほしいと願うだけだ。
 マスコミも 子供の未来を見据えた報道をし、大騒ぎするのは控えてほしいものだ。



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タイ事情 | 13:18:21 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐01
バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐01 1

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐01 2

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐01 3

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐01 4

バンコク マンションの屋上から見える集落 バーン・クルア‐01 5

 マンションの屋上から イスラム教徒 チャム族の住む集落 バーン・クルアを
 眺める。
 水上バスの走るセンセーブ運河のこちら側には ジム・トムプソンのアユタヤ式の
 大きな木造家屋があり、運河の向こうには チャム族たちの住む木造の家々が 
 地面にへばりつくように密集して建ち並んでいる。
 昔と違って、今では イスラム教徒のチャム族だけでなく、バンコク周辺の仏教徒の
 タイ人、そして集落の中でも多くを占めるようになった東北タイからの出稼ぎの人々
 などもいる。
 チャム族以外の人の大半はチャム族の家主からの間借りである。

 上から眺めているだけでは あのバーン・クルアの集落の中で どんな生活が営まれて
 いるのかはわからない。
 バンコクの中心地域になったサイアム・スクウェアー近辺で 唯一残る2百年の歴史を
 持つ古い集落である。
 大半の旅行者は タイのシルク王 ジム・トンプソンの家には興味を持っても、
 運河をはさんで そのすぐ近くにあるチャム族の集落まで足を伸ばすことはない。
 一見すると スラムのように見え、危険なものを感じてしまうからだ。
 しかし、この集落は 2百年の歴史を持った古い集落で 治安について言えば、
 心配はない。

 久し振りにバーン・クルアの集落の中を歩いてみることにした。
 パヤタイ道路に出て センセーブ運河にかかるフア・チャン橋を超えると 
 センセーブ運河へと下りていく階段があり、その階段を下りると 
 屋台風のいくつかの食べ物屋があり、その脇を抜けていくと センセーブ運河沿いの道に
 出合う。
 そこが出発点である。

 運河沿いの道を歩いていくと、小さな空地があり、その空地の前では 
 夕方からの屋台の準備をしている人たちがいる。
 「どんな食べ物の屋台の準備なのか」と訊いてみると 
 「夕方からBTSの高架電車の駅の近くでお粥の屋台を出している」と応える。
 海鮮物のお粥らしく、魚に切り身を用意したり、海老の殻を剥いている。
 「今度 食べに行くから」と言うと 笑っている。
 夕方の6時から夜中の1時までの商いと言っていたが、こうした準備と後片付けを
 入れれば、1日10時間以上の労働である。

 そこを抜けて、集落の中に入っていくと1軒の木造の玄関先で 
 2匹の猫が 気持ちよさげに眠り込んでいる。
 近づいて行っても 全く警戒心を起こさない。
 近づいてカメラを向けても 全くわれ関せずといった具合である。
 バーン・クルアの集落のなかに猫の大半は こんな様子で 
 人間に対する警戒心は 皆無である。
 こんなところにも集落の穏やかな日常生活が読み取れる。
 この集落に住む動物たちの姿を見れば、住んでいる人たちの心の有り様も見えてくる。
 この集落がもともと犬を嫌うイスラム教徒の集落であったことから、犬の姿は見かけない。
 そのことも 猫の精神生活に影響を与えているのだろう。
 人間も猫も ここでは 自分のペースで生活していく自由があり、落ち着きがある。
 それが 生活の中に 歴史を持つということかもしれない。

 運河沿いの道をどんどん進んで 集落の中心へと向かって行った。
 それにしても運河の水は 私が前回いた1ヵ月半前より汚くなっている。
 少し、きれいになったかと思えば、又もとの木阿弥である。
 集落の中の世界は 時間が止まったように平穏であるが、
 その外の世界は 容赦なく変転している。



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バンコク 運河の辺の街 | 20:16:18 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 二つのチャクスイ・パンケップ‐02
ブータン布の今昔 二つのチャクスイ・パンケップ‐02 1
 チャクスイ・パンケップ 20世紀初頭

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ブータン布の今昔 二つのチャクスイ・パンケップ‐02 4

ブータン布の今昔 二つのチャクスイ・パンケップ‐02 5
 チャクスイ・パンケップ  1980年代

ブータン布の今昔 二つのチャクスイ・パンケップ‐02 6

ブータン布の今昔 二つのチャクスイ・パンケップ‐02 7

 ブータンの20世紀初頭といえば、現在のブータン王国が成立した時代である。
 1907年12月17日、初代国王となるウゲン・ワンチュックは、多くの官吏の
 圧倒的な支持と、当時インドを支配していたイギリスの後押しによって 王に選ばれた。

 この当時、ブータンは二つの勢力に別れていたようだ。
 パロと中心とした西ネパールを支配していたパロ・ペンロップと呼ばれる勢力者と
 トンサを中心とした東ネパールを支配していたトンサ・ペンロップと呼ばれる勢力者が
 いた。
 パロ・ペンロップとの勢力争いに勝利したトンサ・ペンロップが 王位を獲得する
 機会を得た。
 このことは ブータンの織物の世界にも大きな影響を与えたはずである。

 ブータンの中でも東ブータンは織物の宝庫である。
 そこを支配していた民族が ブータンを支配することになったことで、ブータンの
 素晴らしい織物が 王室の保護の下に発展していく機会を得たのである。

 そんな時代に織られた1枚のチャクスイ・パンケップがここにある。
 ブータンの伝統的なチャクスイ・パンケップである。
 地は ブータンの白い木綿の手紡ぎの糸が使われ、紋様の織り込みには ブータンの
 カイガラムシ ラックでえんじ色に染められたブータンの野蚕の手紡ぎのシルク糸と
 色を何度も重ね合わせて染められたブータンの手紡ぎの木綿糸が使われている。
 ブータンのチャクスイ・パンケップの紋様の織り込みに使われる黒は 旧い時代の
 特徴である。
 この時代後には ブータン藍の青が用いられることが多くなるようだ。
 百年近い時代を経ても このパンケップの持つ重厚な雰囲気は失われていない。
 パンケップの紋様の中でも 重要な意味を持つ中心部の菱形の紋様も見事である。
 この菱形部分は 宗教的な意味合いがこめられているようだ。

 このパンケップが織られてから 80年後に織られた1枚のパンケップ、
 このパンケップから感じられるものは 器用さだけで、宗教的なシンボルを
 読み取ることは出来ない。
 このパンケップが 宗教的な意味合いを込めて 織られたものではなく 
 外国からの観光客目当てに織られたものではないかという疑いもある。
 パンケップのシンボルである大きな菱形の紋様が 中心部に織り込まれて
 いないのである。
 お土産もの用に織られたものだから、中心部分の大きな菱形の紋様を 
 織り込まなかったのかもしれない。
 このパンケップから織り手の精神世界を窺うことはできない。
 ブータンの織物も時代とともに精神性を失っていることがよくわかる。
 小奇麗であるだけで、それ以上のものを感じさせなくなってきているのだ。
 ブータン人の生活の中で 織物が お金を得るためという意味しか持たなくなって
 しまっているのかもしれない。
 こうやって、人間はどんどん心の拠りどころを失っていくのである。
 国民の幸福指数が大切なのだと声を上げても、絶え間なく入り込んでくる先進諸国の
 物質、お金至上主義の文化を押し止めることは出来ない。


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ブータン布の今昔 | 13:58:29 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 私の住むところ
バンコク 私の住むところ 1

バンコク 私の住むところ 2

バンコク 私の住むところ 3

バンコク 私の住むところ 4

 久しぶりにマンションの屋上に上ってみた。
 久しぶりといっても このマンションの屋上に上ったのは 2度目である。
 東北タイのコンケンからこのマンションに越してきて、もう12年になろうとするのに
 屋上に上るのは2度目、ずーっと 上れないと思っていたのだ。

 雨期間近のバンコクのためか バンコクの街全体が 薄く靄がかかっているようだ。
 このマンションの後ろには センセーブ運河が流れ、その向こうに木造の家々が
 建ち並ぶチャム族の住む集落 バーン・クルアがある。
 バンコクの中心部にあって 唯一木造の家々の建ち並ぶ地区であり、この集落の中を
 散策すること、そしてその向こうにある地域の庶民たちの市場や総菜屋あたりに
 足を伸ばして 夕飯や果物を買いに行くこと、それは、私の慰めの一つになっている。
 そこにはまだ 人々が心を通わす当たり前の生活がある。
 市場の近くの路上では 南国名物のドーリアンを求めて、人々が集まっている。
 不況のさなかでも ドーリアンの旬の味は手放せないようだ。

 こうした地域がなかったら、バンコクの中心部は 都会の中の味気ない砂漠のような
 場所になってしまう。
 人間が地面にしっかり足を下ろして住んでいるというのは、それだけで住む人々の
 生き生きしたつながりが 生まれてくるものだ。

 コンケンに住んでいた頃は 近所づきあいもあり、小さな庭もあったので 
 草花を育ててみたり、近くの家で飼っている犬の遊び相手になったものだ。
 バンコクに移ってきてからは とんとそんな機会を失ってしまった。
 
 知らぬ間にバンコクでの生活も12年近くなってしまったのだ。
 自分の心の中のどこかに こんなはずではなかったのにという想いがある。
 とにかく生きていくこと、食べていくことで精一杯で その場その場をしのいでいる
 うちに12年の年月が流れてしまったというのが本当である。
 後ろを振り向くことなく、ひたすらに生きてきたが、ふと後ろを振り向いてみると
 このバンコクでの12年間は 何だったのか 考えてしまいそうになる。
 考えても結論は出てきそうにないから、あまり深くは考えようとはしなかったのも
 本当である。

 東京、バンコク、カトマンズを 1年を切れ切れにしながら生活してきた26年間、
 何か確実なものを積み重ねていくには難しく、そのとき、そのときの出来事に
 流されてきてしまったのかもしれない。
 確実なことは それでも ここに自分がいるということだけだろう。

 24階建てのマンションの屋上に独り立ち、バンコクの街を見回してみる。
 20年以上 出入りを繰り返してきたバンコクの街を眺め、こんな街の姿になるとは
 考えもしなかった。
 こんな街並みの中で 人々は幸福を手にしたのだろうかと 気にかかる。
 近代的な発展というものが 人間の生活にもたらしたものは何だったのだろう。
 私が アジアの町をうろうろしているうちに 私の馴染んでいた日本もどこかに
 いってしまい、捉えどころのないものになってしまった。
 ここでもこんなはずではなかったのにという想いが湧いてくる。



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徒然なるままに | 21:08:47 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 二つのチャクスイ・パンケップ‐01
ブータン布の今昔 二つのチャクスイ・パンケップ‐01 1
 チャクスイ・パンケップ    1980年代

ブータン布の今昔 二つのチャクスイ・パンケップ‐01 2

ブータン布の今昔 二つのチャクスイ・パンケップ‐01 3

ブータン布の今昔 二つのチャクスイ・パンケップ‐01 4
 横 90cm x 縦 220cm  チャクスイ・パンケップ  20世紀初頭~中期

ブータン布の今昔 二つのチャクスイ・パンケップ‐01 5

ブータン布の今昔 二つのチャクスイ・パンケップ‐01 6

ブータン布の今昔 二つのチャクスイ・パンケップ‐01 7

 ブータンの布の中でも 身分の高い訪問者のためのひざ掛けや敷物として用いられる
 布 チャクスイ・パンケップには 2種類の色合いのものがある。
 一つは 白地に藍で染めた糸やカイガラムシのラックで染めたえんじ色の糸を使って
 紋様を織り込んでいく地味なものと 黒地に鮮やかな色の糸で紋様を織り込んでいく
 派手なものの2種類がある。

 ここにあるチャクスイ・パンケップのうち 1枚は 20世紀初頭から中期に織られたものであり、
 もう1枚は 1980年代に織られたものだ。
 この二つの布が織られた時代の間には 50年近い年月の差がある。
 近頃の大量生産の布は 古くなればなるほど、水簿らしくなっていくものが多いので
 あるが、20世紀初頭から中期に織られたチャクスイ・パンケップは 時代を経る
 ことによって、風格が出来、余分な色が取れて、味わいも深いものになってきている。

 1980年代に織られた色鮮やかなチャクスイ・パンケップは ほとんど使われる
 ことなく しまいこまれていたように思われるが、地に使われている糸も工業糸、
 紋様部分に使われている糸も工業糸である。
 工業糸は インドからの輸入のものである。
 確かに仕事は 細かく美しいものであるが、あと何年経とうとも、古いもののように
 味わいや風格が出てくるようには思われない。
 何がそんな違いを生み出すのだろうか。

 私は別に布の専門家ではない。多くの布に触れ、眺め、感じてきただけである。
 アジアの布には 古いものから新しいものまで、数え切れないぐらいに接してきた。
 その中で、布に対する感受性のようなものは育ってきたように思う。

 時間やお金に左右されることなく、心の赴くままに織り上げた布は 時代を超えて、
 織り手の心や想いが 布の変化の中ではっきり見えてくる。
 時間の流れが 布に移り、布の味わいを増していくというのはどういうことなのだろう。
 布を織るときの姿勢や生活の有り様が 時間の流れと合わさって味わいを添えていくのである。
 それは ただ単に技術とか器用さとは別物のようだ。

 織っている人間は 織っている布が10年後、50年後、100年後
 どう変わっていくか そんなことなど考えていない。
 糸を紡ぎ、糸を染め、その糸を使って 織り上げていく。
 便利さに埋没してしまうこと、不便さを乗り越えようと創意工夫すること、
 そうした姿勢が 布の世界を変えていく。
 それが布の百年後の姿まで影響を与えていくのだろう。
 それは布だけの世界でなく、工芸一般でも同じことに違いない。
 20世紀中期に織られた布、そして1980年代に織られた布を見比べてみるうちに
 どちらの時代に生きていた人々が幸福だったのか 考えたくなる。


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ブータン布の今昔 | 11:39:45 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク バンコク生活は始まったが…。
バンコク バンコク生活は始まったが…。 1

バンコク バンコク生活は始まったが…。 2

バンコク バンコク生活は始まったが…。 3

 アパートの部屋に着いて、再びバンコクでの生活が始まった。
 アパートに到着して、郵便受けを見て、電気、インターネット、電話代の請求書の
 チェックをすると、電気代の請求書が支払われないまま、放り込んである。
 バンコクを離れる前に 受付の事務の人間に お金を預けて置いたにどうした
 ことだろうと 受付にいた人間に尋ねてみると、3ヶ月前に新しく入った管理会社を
 止め、それと同時に 管理会社から派遣されていた事務の人間もいなくなったらしい。

 タイでは電気の支払いが滞ると 電力公社ですぐさま電気を止めると耳にしていた。
 もしかしたら、部屋の電気を止められているのではと思い、受付に居る人間に
 ろうそくを借りて、恐る恐る部屋に上がっていく。
 冷蔵庫の中に入れておいたものは腐り、大変なことになっているだろうと思い、
 部屋に入り、電気をつけると 電気がつく。
 床の上には 5月13日までに支払いをするように書かれた電力公社の書類がある。
 助かったという思いで一杯である。
 バンコクにやってくるのが1週間遅れたら大変なことになっていたはずだ。

 3ヶ月前に マンションの管理委員会との間で何か問題があり、13年勤めた事務の
 支配人の女性が 辞めて以来 マンションの運営がおかしなことになっている。

 このマンションには 管理委員会と管理組合という組織がある。
 管理委員会の委員は マンションの住民は管理組合に属し、委員はその中から
 選挙で選ばれる。
 管理委員会の委員長と支配人資格の二人は 有力者の中から選ばれる。
 タイで有力者といえば、軍隊の上層部か警察の上層部の人間である。
 私が このマンションに入ったときは 委員長は 軍関係の人間、支配人資格の人間は
 警察上層部の人間だった。
 バンコクの人間は 何か問題が起これば、軍、警察にコネのある人間を置いておけば、
 何かについて 都合がよいと考えている。

 一時期 警察官である支配人資格の人間に問題があり、みんなして彼を降ろしたが、
 今度は委員長として 再び返り咲いている。
 権威ばかり振り回す事務能力も 調整能力もない人間で、彼が返り咲いた頃から、
 マンション運営はおかしくなりだしている。
 残っている事務員も 出来るだけ責任を持たされる仕事や面倒な仕事は避けるタイプの
 人間ばかりになっている。
 さっさと辞めてほしいという人間ばかりが残っているのである。
 事務所で電気、電話の支払いを今までは 替わってやっていてくれたが、
 これからはやらないという。
 こんなことから 起こった今回の災難である。

 管理会社から派遣された事務員が 預かったお金を持ち逃げしたにも係わらず、
 管理委員会は その請求を管理会社に使用とはしない。
 残っている管理委員会が雇った事務員も同様である。
 私の損害は500バーツで大した額ではないが、それでも腹立たしい。
 タイでは 何かが起こっても 皆 責任逃ればかりをするので問題は
 解決の方向には 向かわない。

 電気代は2ヶ月前に銀行振り込みにしたが、振込みはすぐには始まらず、
 少なくとも振込みが始まるまで 2,3ヶ月かかると言う。
 電力公社は タイの休日と祝日のために土日月と3日間休みである。

 払えるところは払おうと 大型スーパーのロータスの中にある電話代支払い場所で
 インターネット代、電話代を振り込みにいく。

 途中の道程には バンコク都庁の生活援助のための安いぶっ掛けご飯の屋台がある。
 お腹も空いていたので 2種類のおかずを載せてもらって 20バーツである。
 普通にバンコクの生活が軌道に乗っていくには まだまだ時間がかかりそうである。



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徒然なるままに | 20:40:28 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 百年前の布‐04
ブータン布の今昔 百年前の布‐04 1
 横 130cm x 縦 260cm     19世紀   キラ クシュタラ

ブータン布の今昔 百年前の布‐04 2

ブータン布の今昔 百年前の布‐04 3

ブータン布の今昔 百年前の布‐04 4

ブータン布の今昔 百年前の布‐04 5

ブータン布の今昔 百年前の布‐04 6

 このブータンの女性用民族衣装のキラ クシュタラは 20年以上前、カトマンズで
 手に入れたものだ。
 もう着るには耐えないぐらいにぼろぼろになっていたが、布に織り込まれている紋様が
 今まで見たキラの紋様と比べて、異質なものであったことから、買うことにしたので
 ある。
 そのままの状態では ますます痛んでばらばらになってしまうと思い、バザールに行き、
 同じ大きさの布を買い、補強のために裏打ちをした。

 こんな幾何学的な紋様のキラは 後にも先にも見たことがない。
 紋様のパターンを見ていると 東ブータン周辺で織られ、縫われた貫頭衣 キシュンの
 紋様と似ているので 同じ民族によって織られたものかもしれない。
 19世紀後期、いや それ以前に織られたものかもしれない。
 地は 経糸も横糸も手紡ぎのブータン木綿で織られている。
 紋様部分の糸は ブータンの野蚕の紡ぎのシルク糸が使われ、カイガラムシのラック、 
 藍によって染められている。

 ブータンの布といっても ブータンには様々の民族が生活しており、どの民族、
 どの部族の織物なのかは 行ってみないことにはわからない。
 今風のキラを織る民族、チャクスイ・パンケップやケラを織る民族、毛織物のヤタを
 織る民族、キラの中でも野蚕の手紡ぎ糸から織られるルンセルマ、アイカプール、
 メンシィ・マータを織る民族もそれぞれ別の民族であり、異なった文化を持った
 民族なのかもしれない。

 すっかり痛み、汚れてしまっている百年以上前のキラ クシュタラであるが、強烈に
 惹きつけるものがある。
 この図柄を見ていると この民族の幾何学的な能力の高さが 窺いしれる。
 まるで イスラム教徒を思い起こさせるような幾何学模様である。

 こんな図柄のキラ クシュタラは この25年間 これ1枚で 
 その後は眼にすることはなかった。
 華やかな他の紋様・図柄のキラの発達の中で 消え去っていったのだろうか。

 このキラの原点を探るには 貫頭衣 キシュンを織った民族を追跡する必要が
 あるのかもしれない。
 女性の祈祷師が特別に着るための衣装だったのかもしれない。

 アジアは布の宝庫である。
 特に東南アジア、国境を接する中国の雲南省、そしてビルマ・インド国境周辺、
 マニプル、ナガランド、アッサム、アルナチャル、ブータンの布文化は どこかで
 つながりあっている。

 それらの布は 土着の宗教とも大きく係わり、アニミズムなどともかかわりがある。
 悪霊を追い払うために織られた布、祈祷師が身につける布と ただ着飾るために
 織られた布とは 異質のものだ。
 だから、布の訴える力が強いのである。
 人間の精神生活や精神文化と直結しているから、人々の目をひきつけるのである。

 今はアジアの各地が観光地化して、布文化もお金を得るためのものに変わってきている。
 手織り布のだから、素晴らしいのでなく、布が民族の精神生活、精神文化と密着して
 いるから 素晴らしい織物が生まれるのであるが、そうした布は年々失われていく
 一方だ。

 そして、世界中を 底の浅い大量生産の商品が凌駕し、人間の心の叫びには眼を
 向けなくなっている。
 安定した精神生活がない限り、心に訴えかけてくる布など生まれようがないのである。



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ブータン布の今昔 | 13:58:07 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 小沢党首辞任のニュースが 海の向こうから
 マスコミのひどさもさることながら、小沢党首の所属する民主党も
 それに輪をかけて 情けない姿をさらしてしまった。
 小沢党首に対する信頼は残っても 民主党に対する信頼が失われたことに
 気がつかぬほど どうしようもない政党であることを露呈してしまった。

 本当に民主党が政権交代を望むなら、党首である小沢氏を一丸になって護りきると
 いうのが常道である。
 小沢氏の秘書が献金問題で起訴されたといっても 判決が下されたわけでもないし、
 自分は無罪だといっている小沢党首に説明責任を求めるというのは、自公民の
 常套手段で民主党内部としては 何が何でも 党首を信じて 党首を支えるというのが
 党の信頼を勝ち取るための唯一の方法である。
 それすら わからないようでは 国民の民主党に対する信頼は 大きく揺らぎ始めて
 いくだろう。

 官僚依存の自民党政治の限界は見えており、それを変える可能性は、小沢民主党で
 あって、鳩山民主党でもなければ、岡田民主党でもない。
 小沢氏は マスコミや自民党の圧力に屈したのでなく、内部の乱れに屈したのである。
 本当にお馬鹿な民主党である。
 どんなに攻撃されようとも 小沢民主党だから 政権交代が可能なのだということが
 わからぬほど 世間の声に疎い民主党議員である。
 説明責任、説明責任と声を揃え、小沢党首では選挙は戦えないといっているのは
 自民党に鞍替えした方がいいと思われる輩ばかりである。
 自分の置かれている立場もわからず、マスコミ、自民党と一緒になって、小沢下ろしに
 精出しているようでは 民主党のばらばらぶりを宣伝しているようなものである。

 理念や理想を持たない風見鶏のような政治家は どんどん消えていってもらいたいもの
 である。
 庶民の生活感から全く遊離してしまっている自民党と官僚の政治、これを変えたいと
 願っているのは誰なのだろう。
 人間より企業優先の政策を変えてほしいと思っているのは誰だろう。
 どんどん拡がる生活の格差を是正してもらいたいと願っているのは誰なのだろう。

 考えれば、考えるほど 馬鹿らしく思えてくる日本の世情である。
 今回 小沢党首を引きずり降ろした民主党内部の連中の責任は重い。
 こんな連中は 次の選挙で鉄槌を下されるべきである。
 こんな連中がいるかぎり、民主党の未来はない。
 真に日本を変えたいと思っている人間だけを 当選させたいものである。

 庶民の生活は どんどん苦しくなっているのに それに目を向けず、庶民の生活とは
 直結しない大型補正予算を組んでいる自民党と官僚には うんざりである。
 あのお坊ちゃん育ちの麻生氏に 庶民の生活の苦しさなどわかるのだろうか。
 誰が自分の味方なのか わからない国民に未来はない。



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徒然なるままに | 21:49:09 | Trackback(2) | Comments(0)
バンコク 雨模様のバンコク
バンコク 雨模様のバンコク 1

バンコク 雨模様のバンコク 2

バンコク 雨模様のバンコク 3

 バンコクのスワンナブーム国際空港を出てから、バンコクの中心部に向かう時から、
 バンコクは雨模様の中にある。
 タクシーの運転手に 雨が降る前は 日中 38度、39度の暑さだったという話も
 嘘のようで 到着の日に迎えた夜は 扇風機一つで充分な涼しさだった。

 少し早いけれど、バンコクはそろそろ雨期を迎えるのだろうか。
 38度近い猛暑を覚悟してやってきたバンコクであるが、涼しいのに越したことはない。
 
 一夜明けた今日もうす曇の天気で さほど暑さを感じない。
 朝昼兼用の食事のために 外の通りを歩いてみたが、日曜日のためか 人の姿が少ない。
 バンコクの最初の屋台の食事は 東北タイのおばさんの東北タイ風牛肉麺と決めたが、
 今日はお休みである。
 仕方がないので 東北タイでも カンボジア国境に近いブリラムからやってきている
 おばさんの店のバーミー・ヘーン(汁なしラーメン)に決めたが、昼を過ぎており、
 日曜日ということで 用意した材料も少なめにしたせいか、豚のひき肉(ムー・サッブ) 
 は残っていないと言われる。
 ルーク・チン(豚肉や魚肉のボール上の練り物)を多めに入れてもらう。

 部屋に戻ってからは 昨日のフライトの疲れが残っており、のんびりと部屋で過ごす。
 日本から持ってきた アガサ・クリスティの探偵小説『忘れられぬ死』をベッドに
 寝ころんで読み始める。
 読んだり、うとうとしたりしているうちに 激しい雷鳴、稲光とともに 雨が激しく
 降り始める。
 亜熱帯特有の激しい雷雨である。
 部屋の中に雨が入り込まないことを確かめながら、ベッドの上に寝転がっている。
 私の住んでいるあたりは どうも雷雨の通り道らしく、時たま雷が近くに落ちることもある。
 稲光の饗宴といった様子で、変な花火を見ているよりもはるかに迫力がある。
 こんなときには 自分が今バンコクにいるという実感がはっきりしてくる。
 東北タイのコンケンにいるときには 激しい雷雨があったという記憶はない。
 コンケンを離れて10年以上になる。
 忘れがたい思い出が 山のようにある場所だ。
 大変な想いの中で生きていたコンケンでの生活であったが、それだけに忘れがたい
 場所でもある。

 パッチョン、コンケン、そしてバンコクとタイに住み始めてから、
 もう20年以上になった。
 このバンコクに居を構えてからも 早12年 月日の流れるのは速いものである。
 バンコクでの生活も少し 懈怠を感じるようになってきている。
 ここも東京と同じで 人間関係の希薄な街になってしまっている。
 人々の生活に余裕がなくなり、他の人間に対する興味が だんだんなくなってきている
 のである。
 特に私の住んでいるバンコクの中心地域では その傾向が強い。
 都会の刺激を楽しむという年齢ではなくなっていることが バンコクでの生活を
 鬱陶しいものに感じさせるようになってきている。

 心の中には いつも住む場所を変えなくてはという気持ちがあるが、
 引越しの手間を考えると その気持ちも萎えてしまう。
 体力と気力の衰えは年々増すばかりである。
 人生の転換を求めて 少し頑張らなくては、あと2年が勝負の年である。



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徒然なるままに | 18:56:16 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布の今昔 百年前の布‐03
ブータン布の今昔 百年前の布‐03 1
   横 45cm x 縦 50cm     19世紀後期から20世紀初頭

ブータン布の今昔 百年前の布‐03 2

ブータン布の今昔 百年前の布‐03 3

ブータン布の今昔 百年前の布‐03

 横45cm 縦50cmの小さな布が 出てきた。
 こんな布があることなど とうの昔に忘れてしまっていた。
 すっかり 汚れきった布を丁寧にもみ洗いをすると 少しはきれいに
 見えるようになった。
 ブータンの大きな布のキラやチャクスイ・パンケップなどに囲まれていれば、
 ついつい見落としてしまいがちの小さな布である。
 紋様のバランスを眺めていると キラの端切れを利用して作られたもののようではない。

 どんな用途で使われていたのかはわからない。
 飾り物として壁に飾られていたのか、何かの敷物として使われていたのか。

 織り込まれた紋様の糸を見ると 藍染めの青、カイガラムシのえんじ、
 そして ウコンと茜を使って染められたような橙色、
 紋様のパタンや力強く織り込まれたごまあみ模様のティマの技法から見ると
 この布も19世紀後半から20世紀初頭に織られたもののように思われる。

 どんな小さなもの、ささやかなもののための織物にさえ 手抜きをしないという
 この時代のブータンの人々の心が感じられる。
 織物の得意な民族は どこか性格に粘着気質があるのかもしれない。
 山に囲まれた閉鎖的な社会はそれに拍車をかけたのかもしれない。

 日長一日 機の前に座り込み 神経を集中させ、精緻な紋様を間違うことなく
 織り込んでいく。
 中には2年がかりの時間を要する布もある。
 こうした布は やはり山間部で生まれる布である。
 物語を創り出すように 布をつむぎだしていったのだろう。

 手作り、もの作りの世界の中で創り出されてきたものは 作り手の心を映しだす
 鏡のようなものである。
 横45cm 縦50cmのこの小さな布にも充分に織り手の心が映し出されている。
 いい加減な気持ちで織られたものでないことは この布の持つ強さからしても
 理解できるというものである。

 工業製品ばかりに囲まれている現代生活、日常生活の中で もう物に眼を向けても
 感動することも 心を癒されることもないだろう。
 身近なものに作り手の心を感じることが少なくなっているからである。
 近代化の中で 大量生産のものが 生み出されるようになってから、人間の心や
 生活はどうなっていったのだろうか。
 豊かになっていったのだろうか。
 便利さ、価格の安さに目を奪われ、画一的な生活になってしまった。
 自分が望む生活から 知らず知らずのうちに 社会や組織、国に望まれる生活を
 強要されることで自らを見失っていくのである。
 物も人も画一的であることを望まれる世界、それが今の世界なのである。
 世界中を飛び回る情報は ますます人々を画一化していく。
 違った世界、異質な他人の生活や行動を理解することなく、排除しようとする世界に
 なってきている。
 そこは やさしさのない世界である。
 自分らしさを求めようとすればするほど、社会から剥離していくというおかしな世界に
 なっているようである。



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ブータン布の今昔 | 11:36:43 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 新型インフルエンザの中 東京からバンコクへ‐02
 久しぶりのユナイテッド航空の機内に入っていく。
 前の座席の乗客から入れていくので、後部座席に行き着くまで、人を掻き分け 
 掻き分けである。
 確かノースウェスト航空も 前の座席の乗客から入れていく。
 どう考えても合理的な方法とは思えない。

 やっと自分の座席に辿り着くと 白髪のアメリカ人らしき女性が座り込んでいる。
 話を聞くと フロリダ州からやってきていると言う。
 窓際の3座席の窓側で 私の座席は一つ間を空けた通路側である。
 しばらくすると 真ん中の座席にタイ人男性が座る。
 アメリカのロザンゼルスからの帰りだという。
 アメリカでは 感染者の多い割には 騒がれてはいないようだ。
 周りの座席はどんどん埋まり、満席に近い状態になる。
 風邪気味の乗客はいないかと辺りを見回すが それらしき人はいない。
 日本人は 一様に神経質でマスクをかけている。
 国内に感染者の多いアメリカ人は 全く無頓着でマスクなどしていない。

 アルコールの出ないアメリカ系の航空会社の機内ではすることもなく、隣に座った
 タイ人と会話を交わす。
 アメリカには 会社のセミナーのために派遣され、3日間だけの滞在だったようだ。
 会社は 避妊薬 ピルを販売する会社で タイでの販売促進の仕事をしている。
 バンコクの中国系タイ人のようだが、奥さんは 東北タイのウドン出身だということだ。
 私の住んだことのある東北タイのコンケンにも行くことが多いらしく、大いに話が
 はずんだ。

 その後は 機内で放映される映画 007などを見て時間をつぶす。
 アクションばかりで 面白みのなくなった007である。
 役者もロシア系俳優のようだが、格好良さには欠ける。

 不味い貧相な機内食を食べ、ひたすら バンコク到着を待つ。
 1時間遅れのフライトであったが、どういう訳か 猛スピードで飛び、定刻通りに
 バンコクに到着するというアナウンスがある。

 最後の飲み物が出て、飛行機は降下を始める。
 まだ午後11時にはなっていない。
 機内を出たら、健康チェックのための用紙が渡されるから、それに記入して 
 入国審査の際に渡すようにとアナウンスがある。
 飛行機は無事に着陸したが、タイ政府の機内での健康検査はなく、飛行機の外で
 用紙を1枚渡されただけである。
 アメリカからやってきた乗客が多いフライトなのに あまりに検査がいい加減である。
 入国審査でその用紙を渡すと 何事もなくタイに入国である。

 荷物を受け取り、パブリックタクシー乗り場でタクシーにのり、あっという間に
 アパートについてしまった。
 あまりのあっけなさから、タイでの入国を心配した自分が 馬鹿のように思えてきた。

 バンコクの天候は不安定らしく タクシーから外を眺めると 
 しきりに稲光が光っている。
 路上のところどころには 水が溜まっている。
 かなりの大雨があったようだ。
 運転者は 北タイのカンペンペッドの出身者で46歳である。
 北タイといってもスコタイやウタイタニに近く スコタイ王朝成立に力を貸した
 地域である。
 娘は一人で 医者の勉強をしており、あと1年で資格が取れるという。
 バンコク出身の運転手と違って、余計なことは 訊かない限り、あまり話さない。

 メーターで233バーツというのも 適正である。
 それに空港での業者へのコミッション50バーツを加えて、283バーツであったが、
 気持ちの良い運転手だったので、320バーツを渡してしまった。

 今回の新型インフルエンザに対するタイ政府の対応を見て、タイがおかしいのではなく
 日本の取り上げ方があまりに大げさなのではないかという気がしてきた。
 アメリカ本土で あれほど感染者が出ているにもかかわらず、アメリカ人もさほど
 神経質になっていない。
 日本のような対応をしていれば、感染者が 2千人を越えたアメリカでは どれだけの
 人間を隔離することになるのか。
 しかし、そうした話は伝わってこない。
 新型インフルエンザが 他のものと比べて、今のところ毒性は弱く、メキシコを除けば、
 死亡者の数も少ない。
 こうした状況を踏まえて 冷静に対応しているのだろう。
 むしろ 個人個人の注意で 気をつけてくださいということなのだろう。

 日本のほうに政府とマスコミに翻弄され、やたら神経質になるのも考えものである。
 お金と労力がかかるばかりである。
 自民党政権や官僚たちが 自分たちがこんなに頑張っていることを見せつけ、
 内閣支持率でも上げようかを考えているのかと邪推もしたくなる。
 あまりの騒ぎぶりに 違う意図があるのではないかと疑う習慣が出来てしまった。
 管理された情報と情報に管理される日本人、こんな社会の中で 確実に判断力を
 失っていく。
 島国という閉鎖性が 形作る今の日本の社会にいると ますます息が詰まりそうになる。
 本当に日本国民は 迷える子羊のようである。
 考えもなく、右へ左へと右往左往しているだけのように思えてくる。


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徒然なるままに | 13:07:10 | Trackback(0) | Comments(2)
ブータン布の今昔 百年前の布‐02
ブータン布の今昔 百年前の布‐02 1
  130cm x 88cm  19世紀後期から20世紀初頭

ブータン布の今昔 百年前の布‐02 2

ブータン布の今昔 百年前の布‐02 3

ブータン布の今昔 百年前の布‐02 4

ブータン布の今昔 百年前の布‐02 5

ブータン布の今昔 百年前の布‐02 6
 
 ブータン布の片付け、整理をしていると 20年以上前に手に入れた布が
 次々と出てくる。
 そんな布の1枚がこの布だ。
 この布も百年近い年月を経ている布である。
 布の紋様のパターンを見ていると ブータンの風呂敷 ブンディに似ているが、
 形は正方形になっておらず、風呂敷とは別の用途として使われていたように思われる。

 洗って百年間の汚れを落とそうと思って、洗ってみたが、少しもきれいにはならない。
 カイガラムシのラックの赤、藍染めの青、ウコンの黄色は 残っている。
 糸は ブータンの手紡ぎ木綿だ。
 柔らかいふわっとした感じが ブータン木綿の味わいである。

 しまいこんでいたブータンの布を出してきて、洗ったり、ほつれを直していくうちに
 じっくりと触り、眺め、時代時代の特徴に眼を向けていく。
 紋様に眼を向け、時代ごとの差異や共通点を探る機会にもなる。

 そんなことをしているうちに やはりブータンの風呂敷の紋様のある真ん中から二つに
 断ち切った布が出てくる。
 前者の布よりも後に織られた布だ。
 20世紀中期あたりに織られ、使われることのないまま置かれていたせいか、汚れも
 しみもないきれいな状態のものだ。
 しかし、二つに断ち切ってしまえば使いようがない。
 紋様の織りは素晴らしく、名人芸である。
 どうして二つに断ち切ったのだろうか。
 財産分けでもしたのだろうか。惜しいことである。
 この布も 手紡ぎ木綿の布に 野蚕のシルク糸で紋様が織り込まれている。
 もうこの時代からは 化学染料が少しずつ入り込んできている。
 しかし、手抜きのために化学染料を使ったというより、新しい色彩にブータンの人々が
 惹きつけられたという方が 正しいのかもしれない。
 色の配色を楽しんでいたことが 織られた布から伝わってくる。

 本当にブータンの布は 存在感の強い布である。
 織り手の思いや願い、心が強く迫ってくるのである。
 鎖国という閉ざされた社会の中で 織り手たちは 織りに対する集中力を増して
 いったに違いない。
 それは時間というものが お金という力に侵されていない時代のことである。
 好きだから織る、自分の納得のいくものを 喜び、楽しんで織るという手仕事の
 基本がそこにはある。
 だから、大切にし、ぼろぼろになるまで使うという布に対する愛情も
 生まれてくるのだろう。
 使い捨て文化の先進国とは違った価値観があったのだ。
 人の手が加えられていれば、簡単には捨てられないし、大事にしたくもなるのである。
 しかし、ブータンでも 先進諸国の消費生活が入り込んできて、
 お金が支配する世界に変わってきている。
 世界中が消費に毒される世界になってきているのである。
 エコー、エコーと騒ぎながら、消費に対する欲望を抑えることが出来ない。
 エコー、エコーと騒ぎ立てる商品を買い、使えるものを捨てていくのである。
 全くおかしな社会であるし、それを作り出す人間の業の深さだ。



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ブータン布の今昔 | 02:04:00 | Trackback(0) | Comments(0)
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