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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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東京 1日 部屋の中で
東京 1日 部屋の中で 1

東京 1日 部屋の中で 2

東京 1日 部屋の中で 3

東京 1日 部屋の中で 4

 神田小川町の展示会場から 持ち帰ってきた荷物の整理を始める。  
 展示物を仕舞ってある場所から出すときに すごい状態になっているのを
 再び整理しながら 仕舞わなくてはならない。
 部屋の中を片付けながら、ブータンの染織品を時代別にきちんと整理しなくてはと思う。

 キラ(ブータンの女性用衣装)も クシュタラ、ノシェムという大きな行事用衣装、
 野蚕シルクの手紡ぎ糸で織られたルンセルマ、アイカプール、メンシィ・マタ、そして
 木綿のものを時代別に整理する必要もある。
 それらのキラのための帯 ケラについても同じことをする必要がある。
 身分の高い人が家に来たときに敷いたり、飾ったりするチャクスイ・パンケップに
 ついても同じである。
 展示会後の片付けの時ぐらいしか なかなか腰を上げることもないのでよい機会である。

 織物は使う素材に大きく影響されるものである。
 天然染料から化学染料へ、手紡ぎ糸から工業生産の糸への変遷、レーヨンやアクリルを
 使うことで織物は変わっていく。
 長い間、鎖国に近い状態だったブータンであるが インド、イギリスとの関係はあった。
 特にインドがイギリスから独立した以降は インドの繊維工業の発達に ブータンの
 染織も大きく影響されるようになったのも確かなことである。

 インドの生糸がブータンに輸入されることによって、王族など身分の高い人々専用の
 生糸を使った織物も生まれて来ることになる。
 又、インドからの工業糸が入ってくることで、手紡ぎ糸とは違って、細い均一な糸で
 布を織ることが出来るようになることで ブータンの織物がより繊細になり、精緻に
 なって、複雑な紋様を織り込むことも出来るようになった。

 化学染料が入ってくることで ブータンの人々の色彩感覚を変えていったことも確かなことだ。
 多様な色を使うようになることで ブータンの織物はきらびやかなものになった。

 そんなブータンの織物の変遷を少し、今のうちにまとめておかなくてはという気には
 なっている。
 その裏づけのためにブータンに行きたいが 今のところはそんな余裕もなく、
 手持ちのブータンの布から、ブータンの布の変遷をまとめていくより仕方ない。

 今回の日本滞在も後10日ばかりを残すだけである。
 新しいカメラも買ったから 写真だけは撮っておかなくてはならない。
 4,5百点近いブータンの布を整理するのは 一仕事で、今回の滞在中にできるかどうか
 心もとない。

 やっと1日 部屋にいることが出来て 身の回りのこと、これからの見通しなどを 
 つらつらと考える時間が出来た。
 しかし、のんびりと生活するというのには 程遠い。
 近くの公園もそろそろ若葉の季節になっているはずである。
 部屋の片づけが終わったら、季節の変化にも眼を向けたい。
 新しく買ったカメラにもなれる必要がある。

 今日は 又 午後から用事で外出である。
 ブータンの古い布が見たいという方がいるので 10キロ近い布を提げて
 出かけなくてはならない。
 商売とは別のことであるが、種まきだと思って 会うことにした。



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展示会 | 12:15:30 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 展示会の片付け
東京 展示会の片付け 1

東京 展示会の片付け 2

 27日 月曜日に展示会場の片付けのために 御茶ノ水の神田小川町に出かけていく。
 午後4時には赤帽が荷の搬送のためにやってくる。
 展示していたブータン、ラオスの布を1枚ずつ はずしていく。
 布たちの祭り、饗宴も終わってしまった。
 どうにか、次のバンコク、カトマンズ行きの費用は稼ぎ出すことは出来たし、新しい
 カメラも手に入れることが出来た。

 古い布は大して売れなかったが、値段の安い木綿のストール、半額セールの洋服で
 どうにか売り上げを伸ばすことが出来た。
 次のことは まだ決まっていない。
 ブータンの布を展示したのは20年ぶりのことだった。
 今回展示できたものは 私のブータン布の中の10分の1程度である。
 ブータンの女性用民族衣装 キラの正式の衣装 クシュタラ、ノシェム、野蚕のキラ
 メンシィ・マタ、アイカプール、ルンセルマ、そしてキラのための帯ケラ、
 身分の高い人が来たときに広げるチャクスイ・パンケップなどを時代順に並べれば、
 ブータンの布の変遷、歴史が分かるくらいの収集品があるが、これらの収集品を一堂に
 展示する機会や場所がほしいと思う。
 思いと現実の厳しさは なかなか思い通りにはいかない。
 今回の展示会は 何か出発点になってくれればと思っているが、どうなることやら。

 28日 火曜日には 先日 展示会にやってきてくれた文化学園服飾博物館の学芸員の
 方のほうから、赤を基調にしたアジアの民族服やショール類がほしいということだったので 
 文化学園服飾博物館のある新宿副都心へと都営新宿線で出かけていく。
 新宿の南口方面に出かけていくのは10年以上のことだ。
 地下鉄の出口から地上に出ると まったく自分のいる場所が分からず、通り行く人に
 博物館の場所と方向を聞かなければ、わからないくらいに田舎人のようになっている。

 教えてもらった道を歩き続けていくと 高いビルの中に博物館はあった。
 午後1時の約束だったが、早めに着いてしまったので 博物館の前にある植え込みを
 囲む石段に座り込み、時間が来るのを待っていると 警備員がやってきて 
 「ここに座り込まれては困る」と言う。
 公共の広場の中である。
 「向こうの喫茶店の前に椅子が並べてあるから、そっちでコーヒーでも飲みながら、
 時間が来るまで待っていてくれ。」と言われる。
 警備員としては マニュアルどおりにやっているのだろうが、人に迷惑をかけない限り
 公共的広場の一角に座り込むのは自由なはずである。
 博物館の前に座られると 見た目が悪いと思ったのだろうか。

 今の日本、こんな場所にも 悪しき管理社会の影響が現れている。
 見た目はきれいだが、よそよそしく人間がゆったり生活する場所にはなっていないのである。
 自由でのびのびした社会がだんだん気づかないうちに失われていっているのだ。
 人々がのびのびと自由に心を広げて生活するために 町をきれいに整備していくのではなく、
 整備し見た目がきれいになることで、それに人間を合わせようとしていくのである。
 これでは 人間のための人間らしい社会が生まれるはずもない。
 ネパールやタイで生活する自分にとっては 居心地が悪い。
 ネパールやタイでは ある程度人に迷惑をかけないというのが 社会生活の基本であるが 
 日本では見た目という外からの押し付けの価値観が要求される。
 これでは人間がおかしくなるのもうなずける。

 約束の時間になり、博物館の中に入り 来訪を告げ、受付に学芸員の方にきてもらい、
 今回 持ってきた布を見てもらい、今後どういう布がほしいかという相手の要望に
 ついて話し合う。
 布好きの人と話していると話は尽きず、2時間ばかりお邪魔をしてしまった。
 ここでも何か次のステップが始まればと思う。

 馴染みのなくなった西新宿を再び散策使用という気も湧いてこず、さっさと地下鉄に
 乗り、部屋に帰ってきた。


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展示会 | 11:37:14 | Trackback(0) | Comments(6)
バンコク タイの政治の行方‐08 一枚の写真から
バンコク タイの政治の行方‐08 一枚の写真から

 非常事態宣言も解除され、バンコクも平静さを取り戻しつつあるようだ。
 そんな中で 赤服 反独裁民主主義同盟の集会が バンコクのサナン・ルアン
 (王宮広場)で開催された。
 軍による反独裁同盟の反政府運動鎮圧以後、初めてのバンコクでの大掛かりな
 集会である。
 報道によれば 集まった人数は 2千人というものもあれば、9千人というものも
 ある。
 相変わらず、タイにしても、日本にしても報道のいい加減さが気になる。

 25日に開催された反独裁同盟の集会のニュースをインターネットで拾っていると
 一枚の写真に出会った。
 それは 共同通信のニュースに掲載されていた写真だった。
 その写真の中に 知り合いの女性が写っていたのだ。

 その女性は 私のバンコクでの居住地の近くの橋の袂で 東北風麺類(牛肉面)の
 屋台を開いているロイエットからバンコクにやってきているおばさんだった。
 朝早くから夕方の7時近くまで 暑いバンコクで汗水たらして働いているおばさんだ。
 私もバンコクにいれば、このおばさんの作る牛肉麺を週のうち何度か食べるというのが
 習慣になっている。
 もう知り合って10年近くなるが、政治的な話は 全くすることはなく、日常会話を
 交わす程度だった。
 今回 日本に帰国するときも夜中の午前3時ごろ、アパートの前の道で出会い、
 「どこに行くの」と訊かれ、「1ヶ月ばかり、日本に行ってくる」と話した。

 バンコクに東北タイから出稼ぎにやってきて 厳しい生活を強いられている人間にとって
 反独裁民主主義同盟の集会は 彼らの唯一の抗議の場所であることがよくわかる。
 路上の物売り、自分の店を持てない屋台の人々、低賃金で働く肉体労働者(建設現場)、
 月6千バーツの低賃金で働く若者たちの大半は 東北タイ イサンから来た人々である。
 村の農業では食べることが出来ないから、バンコクにやってくる。
 バンコクにやってきても 豊かな満足の行く仕事や生活が保障されなければ、その不満 
 や怒りをどこに向ければいいというのだ。
 うまく行ってもタクシーの運転手止まりというが実情だし、増え続けるタクシーの数の中で
 収入も目減りする一方である。

 一方昔からバンコクに住みついている中国系タイ人、昔の貴族の末裔である官僚や
 店主、工場主は 東北タイの人間を最低賃金で雇い、贅沢を尽くしているとなれば、
 公平、公正な社会を感じることが出来ないのは当然である。
 働けど 働けど わが暮らし楽にならざる といった生活で、日本の派遣労働者、
 非正規社員と同じ状況であるが、そうした人々がタイでは 国民の7割を
 占めているのである。
 そうしたタイの実情を考慮することなく、タイちゃんねるというインターネット掲示板では
 いい加減な人間が あたかもタイ専門家のように厚顔無恥をさらしながら、
 好き勝手なことを発言していると思えてきて 腹が立つ。
 一体自分を何様だと思っているのかと思えてくる。

 こういう発言をする人間は 身体を使うこともなく、五感で物を知ることもなく、
 株や為替FXでお金を簡単に得ようとする人間ばかりなのではないかと思えてくる。
 簡単に情報操作をされやすい人間で 今の日本では そうした人間は主流を占めてきて
 いることが怖い。
 いい加減な情報を鵜呑みにして、それを土台にして発言していく。
 痛みを持って生きている人間を共感的に理解できなくなっているのである。

 日本での出来事に対しても同じように 理解しているのだろう。
 こうした人間が どんどん増え始めているのだろうか。
 そうだとしたら、実に怖いことである。


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タイ事情 | 01:52:15 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 展示会最終日
 前日は雨のため、最悪の結果だったので、最終日はどうなるかと心配していたが、
 天気も晴れ渡り、展示会の最終日としては 恵まれた。
 時間も午後5時までということで、展示品の売り上げもどうなるかと心配していたが、
 ブログ仲間の親切なありがたい御協力もあり、客足も伸び、盛況の最終日になった。
 皆様、ご協力 ありがとうございました。

 この不景気の最中、昨年の12月の展示会のときより 売り上げ、客足を伸ばすことが
 出来たのは ありがたいことだった。
 20年前の展示会の折に比べれば、展示会の展示物の質は上がっているが、客足、
 売り上げもその当時には到底及ばない。
 あの頃に比べれば 手工芸品に対する興味も薄れてきているし、高価なものには
 皆 手を出さなくなってきているようだ。
 世の中の流れを実感してしまった。

 ブランド商品のシャネルやグッチ、ルイヴィトンなどは売れても、人の心のこもった
 質の高いアジアの手工芸品は売れなくなっていることがよく分かる。
 手作りの身体を使って美しく織り上げた人間の豊かな世界が、ないがしろにされ、
 身体、手足を使う世界よりも 株やお金の移動の中でお金を稼ぐことが主流になって
 しまった世界である。
 一枚の精緻に織り上げられた布一枚は 日々の生活に潤いを与えてくれるはずで
 あるが、そうした感性が失われてきたのだろうか。

 この展示会が終わり、次の展示会のことを考えなくてはならないが、
 機会があれば 関西方面で一度、展示会をやってみたいと思う。
 関西は京都を中心とした布の本場でもある。
 そんな場所での人々の反応を見てみたい気がする。
 ブータン布やラオスなどアジアの布に興味を持たれるギャラリーをご存知の方、
 どうか 情報を教えてください。
 日本では 異邦人になってしまっているので、日本の布の展示会の情報には
 すっかり、疎くなってしまっている。
 
 これで ラオス染色の旅、新しい今の安物のデジタルカメラから少し上質のデジタル
 カメラへの買い替えが出来、ブログで少し、いい写真をお届けできそうである。
 皆様、御協力 本当にありがとうございました。
 重ね重ね、お礼を申し上げます。



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展示会 | 08:26:58 | Trackback(0) | Comments(2)
『アジアの布展 ~ ラオスからブータンへ』のご案内
『アジアの布展 ~ ラオスからブータンへ』の案内 1

『アジアの布展 ~ ラオスからブータンへ』の案内 2

 東京 神田小川町にある
 
 染織ギャラリー TEORIYA』にて 

 4月20日(月)から4月26日(日)まで 

 『アジアの布展 ~ ラオスからブータンへ』

 を開催します。

 ブータンの民族衣装のキラ、ラオスの民族衣装 パー・シンなどを中心に
 アンティーク布を展示致します。

 ブータンの野蚕シルクの布で作った小物やラオスのシルクスカーフ、タイの藍絣布の
 洋服類なども販売いたしますので こぞってお出かけください。
 
 お待ちしております。

                                  ひかるの

展示会 | 17:00:00 | Trackback(0) | Comments(10)
東京 展示会第六日目
 朝から冷たい雨、展示会をしている身からすれば、憎憎しい雨だ。
 昨日はそれなりの売り上げがあったが、今日は客足もなく、さんざんの売り上げだ。
 今日の分から、利益が出るかと期待していたのだが、思うように行かないのが 商いだ。
 最終日の客足と売り上げに期待するだけだ。

 お客さんが少なかったことから、今日は 展示会場のギャラリーのオーナーの女性と
 のんびり話し込む。
 オーナーの女性の持っている布コレクションの布の写真とその布の組織図を著わした本 
 が出版されることになっており、その公正の原稿が今日届き、その本の中に入れられる
 ブータンの織物について 話をする。
 何点かは 私の持っている布を買い取ってくれたものがある。
 私の分かる範囲内で 訂正したほうがいい説明文については アドバイスをする。
 
 客のいない今日は オーナーと私の二人のための布の展示会のようなもので、
 二人で布を眺めては、ああでもない、こうでもないと話をする。
 ラオスとブータンの古布を前にすれば、二人の話は尽きない。
 ギャラリーのオーナーはしきりに 私の持っているブータン布の資料をまとめ、
 本にすればと勧めてくれるが、そのためにはどうしても現地に行って 確かめなくては
 ならないことがたくさんあるが、そんな金銭的な余裕は私にはない。
 ブータンは ネパール語とヒンディ語はどこでも通じるというので、
 二つの言葉が話せる私にとっては 不便な場所ではない。
 行ければ かなりの情報を得ることが出来るのだが、行くことが難しい。

 機会があれば、今もっているラオス布についても調べてみたい。
 ラオスであれば、ある程度、タイ語が通用するので ここもどうにかなりそうだ。

 ブータン布、インド布、ラオス布についての情報を集める旅をしてみたいと思うが、
 時間とお金がなければ出来ない。時間はあるが お金がないのである。

 今回の展示会もどうにかぎりぎりの生活費を稼ぐだけで終わってしまいそうである。
 半分は宣伝も兼ねているから 今回の展示会を土台に 次のステップを考えなくては
 ならない。

 お金に余裕があるときには 時間がなく、時間に余裕があるときにはお金がない。
 全く 人生は思い通りに行かないものだ。
 さあ、明日の最終日に期待して 頑張らなくては。



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展示会 | 01:33:07 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 展示会第五日目
 今日は 朝から晴れ渡った好天気、少しは展示会のほうも好転してくれることを
 期待しながら、展示会場へ向かう。
 展示会も後半に入り、売り上げが伸びてくれないことには 困ることになる。

 今日は 12時前にお客さんがやってくる。
 少し、出足が良いようだ。
 ラオス関係のボランティアをしているグループの方々が多く見え、お客さんの数も
 多い。
 客足は途絶えることなく、続いて 一休みする暇はない。
 半額セールの洋服類は出るが、ラオスやブータンの古い布は 出て行かない。

 夕方近くなって、やっと ブータンの古い毛織物 チャーカブが売れる。
 一点10万円以上の布が やっと売れ、ほっとする。
 この品物の販売前の時点で、やっと展示会にかかった 経費(案内状の印刷費、
 郵便切手代、会場費その他)に到達する。
 これからが 利益の出る商いになる。
 タイ、ネパールの次の滞在費が どうなっていくか これからの売り上げ次第である。
 明日、明後日の土日での売り上げを期待するだけである。

 今日のように売り上げがいいと 少し気持ちも明るくなる。
 あと残り二日、タイ、ネパールの滞在費、できれば、ラオスの布めぐりの旅、そして、
 新しいデジタルカメラを目指して、頑張らなくては。


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展示会 | 09:11:16 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 展示会第四日目
 昨日今日と展示会の中間の日にあたり、どうも中だるみの感じである。
 やはり ブータンやラオスの古い布は 売れない。
 やってきたお客さんの眼は どうしても安いストールや半額セールの洋服類の方へ
 いってしまう。
 量が売れれば、それでもいいのだが、前回の展示会同様、客足が伸びない。

 朝10時半に出て、夜8時半過ぎに部屋に帰ってくるという生活は久しぶりのことだ。
 昔、日本で勤めていた頃は 10年間 そんな生活だった。
 それが、当たり前の日本の生活だが、この歳になって 1週間という短さであるが、
 時間に追われる生活というのも疲れるものだ。

 部屋に帰ると 次の日のための準備、売れた品物の追加、洋服類のアイロンがけなどを
 していると 夜中の1時、2時過ぎになってしまう。
 それも久しぶりの緊張感のある生活ともいえる。

 残り三日、少しでも売り上げを伸ばすために頑張らなくては・・・。
 そうしないと 次のバンコク、ネパール行きが大変になる。

 少し売れ行きが伸びたら、今のものより少し 性能の良いカメラがほしいけれど、
 どうなることやら。



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展示会 | 10:00:44 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 展示会第三日目
 昨日とは 打って変わり 朝から上天気である。
 寝不足であるにもかかわらず、朝の6時には眼が覚めてしまう。
 もう一寝入りと思うが 寝入ることも出来ず、起きだしてしまう。

 起きだしたついでに 展示会場に持っていく服類のアイロンがけを始める。
 その後、ブログのための写真撮影、そうこうするうちに午前10時半過ぎ、
 急いで身支度を済ませ、ボストンバッグにアイロンがけをした服を詰め、家を出る。

 地下鉄に乗り込む。
 日本に持続的に住んでいない自分が異邦人のような気にもなってしまう。
 同じ電車に乗っていても、これからも触れ合うことのない人々も群れだ。
 昔、日本に住んでいた頃は、何のかかわりはなくとも、どこかで同じ場所にを住んでいたと
 いう気持ちがあったが、今ではそんな感情はなくなってしまっている。

 地下鉄から地上に出ると、さほどお腹は空いてはいなかったが、今食べておかないと
 午後7時過ぎまでは食事をする時間はない。
 朝昼兼用のために あたりを見回して、適当な食事場所を探す。
 すぐ近くに讃岐うどんの店がある。東京あたりでチェーン店として展開している店なのだろう。
 年に何度か 日本に帰ってくることはあっても、こうしたチェーン店の讃岐うどんは
 食べたことがなかったので、試しに食べてみることにする。
 威勢のよい挨拶を受け、注文をして食べてみる。
 へー、なんと まずいといった味である。
 四国の人が作るうどんではなく、東京で雇われた人がマニュアルどおりに
 作っているのだろう。
 だしもいい加減、うどんの湯で加減もいい加減、こんなものが話題に上るほど 
 おいしいものだとは思えない。
 話題ばかりが先行して、味が少しもついていかない、今風のグルメブームである。

 こんなわけの分からないうどんを食べながら、高校時代に食べた尾道の隣の糸崎駅で
 食べたホームにあった掻き揚げ入りラーメンのことを思い出した。
 高校生という食べ盛りの年齢だったせいなのか、それがやたら美味しかったことを
 思い出す。
 だんだんと感動を与えてくれるような食べ物に出会うこともなくなったことに気づく。

 展示会場に行き、準備を始める。
 今日は天気がいいにもかかわらず、人がやってこない。
 私のブログを読んでいてくださる北海道の方が、東京への出張を展示会の日が合い、
 一番乗りできてくれる。
 その後も東京のブログ仲間の方が顔を出してくれる。
 その後は、午後6時近くまで、訪問者はいない。

 ギャラリーのオーナーと どうしたのかねと話していると、
 服飾大学の付属服飾博物館の学芸員の方たちがやってくる。
 赤い色の衣装展のための古い衣装を探しているということだった。
 赤色系の古いショールや山岳民族の民族衣装についての問い合わせがあり、
 来週に品物をお見せすることにする。
 その後、何人かの人がいらしてくれたが、今日も古い布は売れない。
 今日は商いとしては 最悪の日だった。


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展示会 | 09:53:43 | Trackback(0) | Comments(4)
東京 展示会第二日目
東京 展示会第二日目 1

 朝から曇り空、少々疲れ気味。
 ブログの更新をしようと思うけれど、気持ちが落ち着かず、じっくり考えることが
 出来ず、部屋に帰ってくると、眠くなってしまう。
 
 今日は 雨模様のせいか、お客さんの出足がよくなかった。
 展示会の終了間際に ブータンの布の歴史をしている女性がやって来て、
 19世紀の古いブータンの布が 大学の研究室の資料としてほしいという話があった。
 予算としてどのくらい出せるか、まだ分からないので 後日連絡するということだった。
 こういう形で 私の持っているブータンの布の収集品に 眼を向けてくれるように
 なると 少しはいい方向へ行くのではという希望も湧いてくる。

 今回出しているブータンの布は 私の持っている布の10分の1程度であるが、
 もっと広い場所での展示会の機会があれば、年代順に分かりやすく布が展示できる。
 今回の展示会が そのための第一歩になればと願っている。
 一度、関西方面でブータンの布展が出来ないかと思うが、そうした機会を見つけるのは
 なかなか難しい。
 又、ブータンの古い布は 高価なので 売るのは難しく、今回の展示会も、
 安いストールや半額セールの洋服類を売ることで お茶を濁しているといった具合だ。
 布そのものは博物館クラスのものがあるが、この不況時、どこも予算がないらしいし、
 そういう方向での販売も難しい。

 ブータンの布の収集品をまとめて買ってくれるところがあれば、それが一番いいのだが、
 そういう場所を見つけるのは 今の私の力では難しい。

 そんなことを感じた展示会二日目だった。


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展示会 | 08:54:34 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 展示会初日
東京 展示会初日 1

東京 展示会初日 2

 午前中 やり残した展示会の仕事を済ませ、もって行き忘れた展示品をバックに詰め、
 午前10時半過ぎに展示会場へ向かう。
 
 展示会場のビルのシャッターを開け、会場のチェックをする。
 正午に展示会のドアを開くと、ギャラリーのオーナーと約束していたお客さんが
 やってくる。
 今回は 前回より人の出足がいいようで、少し安心する。
 大半の人の眼は 定価の半額の洋服に眼がゆくようで、なかなかアンティークな布は
 売れない。
 大半 コットンの手織りストールや半額セールの洋服などだ。
 この不況の折、少しでも売れるだけ良いほうなのかもしれない。

 20年ぶりのブータンの染織品の展示会だから、少しでもブータンの布が 
 私の手元多くあることを知ってもらうだけの価値はあるようだ。
 それだけでは 生活していけないので、古い布を少しでも買っていただけると嬉しい。

 午後7時半に 展示会場を出て、家に向かった。
 久しぶりに 多くの人たちと会話をして、人間疲れ、日本語をこんなに話すのは
 昨年の「アジアの布展 インド刺繍の世界」以来のことだ。

 ブログを読んでくださっている方、時間があれば、いらしてください。
 なかなか、眼にすることの出来ない布ですよ。


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展示会 | 09:27:43 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 展示会の準備を終えて
東京 展示会の準備を終えて 1

東京 展示会の準備を終えて 2

東京 展示会の準備を終えて 3

東京 展示会の準備を終えて 4

 今日、神田小川町にある展示会場の染織ギャラリー「TEORIYA」に行き、
 展示会場の飾り付けを済ませた。

 ラオスの布、タイの布、インド・アルナチャルの布、ブータンの布、
 ネパールの布などが 納まるところに納まり、自己主張を始めている。

 ブータンの布やラオスの布を飾り付けると、会場全体の雰囲気が 
 赤い色彩で覆われてゆく。

 明日から、いよいよ「アジアの布展 ラオスからブータンへ」が始まる。
 前回の「アジアの布展 インド刺繍の世界」が あまりよくなかったので、
 今回の展示会は どうなるか 気にかかっている。

 ブータンの古い布は 日本では なかなか見ることは出来ないはずだ。
 百年以上前の布もある。
 会場の大きさから、自分の古い布のコレクションの10分の1も
 展示することが出来なかったのは残念だ。

 それでも それなりのアジアの布の雰囲気は あふれている展示会場になった。
 時間のある方は 興味のある方は 是非いらしてください。


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展示会 | 23:17:21 | Trackback(0) | Comments(4)
バンコク タイの政治の行方‐08 まだ 気になるバンコク
バンコク タイの政治の行方‐08 まだ 気になるバンコク 1

バンコク タイの政治の行方‐08 まだ 気になるバンコク 2

 今日は 展示会場のギャラリー TEORIYAに展示品を搬入する。
 都内での荷の発送は 赤帽を使うのが 一番安く済むようだ。

 今回の展示会の準備中、タイのバンコクで大きな反政府運動が 勃発し、そのことに
 気をとられてしまう。
 1年のうち、タイのバンコクに5ヶ月、ネパールのカトマンズに5ヶ月、残りを日本の
 東京という生活を続けていると、今回のバンコクでの政治的な混乱を見ると、どうして  
 も気になってしまう。
 それはネパールについても同じことだ。

 今回のバンコクの政治的な紛争は 軍部を後ろ盾にした政権側によって、
 反政府運動は押さえ込まれてしまったが、まだ バンコク市内ではきな臭い
 出来事が起こっている。
 昨日は 今回の反政府運動を組織した反独裁民主主義同盟に対立する組織 
 民主市民連合(PAD)の幹部のソンティ氏が 白昼、狙撃されるという事件が
 起こった。
 百発近い銃弾がソンティ氏の乗る車に打ち込まれたが、運転手は重傷、
 ソンティ氏も頭と肩に銃弾を受けたが、命に別状はないということだ。

 新たな権力闘争が 再び始まっているようである。
 昨年の首相官邸占拠、スワンナブーム国際空港占拠で 大きな役割を果たした
 民主市民連合であるが、今回のバンコクでの反政府運動に対しては 表に出てこなかった。
 沈黙を守っていたというより、政権側あるいは政権を裏から牛耳る側から何らかの
 圧力があったのだろう。
 そして、反独裁民主主義同盟による反政府運動の政府の鎮圧が成功裡に終わったことで、
 昨年の首相官邸占拠、スワンナブーム国際空港占拠を行った民主市民連合の存在が、
 目障りになってきたのだろう。

 国内においても、国際社会においても 二つの組織の犯したことに対して公平に
 裁かれることがなければ、納得されないだろう。
 反独裁民主主義同盟を裁くというのは 簡単なことであるが、現政権を設立するための
 原動力になった民主市民連合を裁くとなれば、連合の幹部が納得しないのは当然のこと 
 だ。
 国家的な損失ということでいえば、今回の騒動より、スワンナブーム国際空港占拠の
 方が はるかに損失が大きい。
 今回の反独裁民主主義同盟の反政府運動は 10万人近い動因があったが、昨年の
 民主市民同盟の反政府運動の動因は 1万人にも満たず、それでも 成功裡に
 終わったというのは 軍、旧支配層の暗黙の了解があったからだろう。
 むしろ、軍、旧支配層の計画の下で行われたといってもいいだろう。

 そんなことから考えると、今回の民主市民連合幹部のソンティ氏の狙撃事件は 
 表だって行動することを好むソンティ氏、そして民主市民連合幹部に対する警告の
 意味があったのだろう。
 今になっては 民主市民連合も 政権側にとっては 眼の上のたんこぶになってきた
 のである。
 市民連合の幹部たちは 現政権の裏で政権を牛耳っている人間たちの表立てては
 ならない密約を知っているはずだ。
 今回の狙撃事件の裏には その辺のことが係わっているのだろう。
 バンコクの事後処理の過程の中で、これから何が起こってくるのかは 眼が離せない。


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タイ事情 | 00:12:01 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 アジアの布文化‐05 手織りのスカーフ
東京 アジアの布文化‐05 手織りのスカーフ

 『アジアの布展 ラオスからブータン』の展示会も 間近に迫ってきた。
 18日(土)は品物の搬入、19日(日)は 展示会場の飾りつけである。
 気持ちのほうもなんとなく落ち着かない。
 会場があまり広くないこともあって、大きなブータンの女性用民族衣装のキラや
 ひざ掛けのパンケップなど 場所をとり、どれだけ展示できるか、頭が痛いところだ。

 今回はブータンの織物を中心として、ラオス、タイの織物を展示することになる。
 本当のところ、ブータンだけ、そしてラオスとタイ、ミャンマーと二つに分けたほうが
 楽だったようだ。
 それにしても まだ搬入のための荷物の梱包は終わっていない。


 ラオスのビエンチャン、タイのコンケン、ウドンタニー、ノンカイ、スーリン、
 チェンマイと 布を探してよく動き回った。
 そんな場所で 仕入れたスカーフ類がある。
 草木染のシルクスカーフ、手紡ぎ・手織りの木綿のスカーフもある。
 場所によって、それぞれ、特徴がある。売られている店それぞれの工夫もある。

 動き回ったタイの地方の姿が 思い起こされてくる。
 あるときは バスで、あるときは列車で移動した。
 布に特徴があるように 町にも それぞれに雰囲気があった。
 ノンカイの町にあるメコン川にかかるタイ・ラオスを結ぶ友好橋が出来る前、
 メコン川のタイ側のノンカイで ぼんやりと対岸のラオスを眺めながら、
 岸辺の食堂で ビールを飲んでいた頃のことが 昨日のことのように思い出される。

 初めてノンカイを訪れてから 20年の歳月が流れた。



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ブータン布の今昔 | 10:26:06 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク タイの政治の行方‐07 事後処理が進む中で
 首相官邸に集結していた反独裁民主主義同盟の赤服集団の解散によって、現政権側の
 事後処理が進んでいるようだ。

 14日に反独裁民主主義同盟幹部、タクシン元首相を含む14名に対する逮捕状が
 発行されたのに続いて、16日には 46名の反独裁民主主義同盟の支持者に対して
 逮捕状が発行された。
 そして、チェンマイ(北タイ)、ウドンータニー(東北タイ)の反独裁民主主義同盟
 強硬派のラジオ局が閉鎖され、バンコクでは反独裁民主主義同盟系のテレビ局DTB
 の家宅捜査が行われる予定である。

 昨年のPADの首相官邸占拠、スワンナブーム国際空港占拠に対する対応振りと比べると
 そのはっきりした違いには 驚くべきものがある。

 そんな中、15日 バンコクを流れるチャオプラヤ川にかかるラーマ9世橋近くで
 反独裁民主主義同盟支持者である二人の若者の遺体が見つかり、猿ぐつわをされ、
 手を後ろ手に縛られ、頭には鈍器で殴られた跡があったと言う。
 二人の若者は バンコク都内の企業に勤める警備員で 13日に首相官邸のデモに
 出かけると言って、バイクで出かけたまま、行方不明になっていた。

 15日には 活動家や市民団体などが、軍隊によるデモ隊制圧で死者の出た可能性が
 あるとして、行方不明者の捜索を支援する不明者捜索センターを立ちあげた。
 これは、デモ隊側が、「軍隊が射殺したデモ参加者をどこかに運び去った」と
 主張していることによるもので、同センターは、行方不明者の特定が犠牲者の特定に
 つながるはずと話している。


 今回のバンコクでの反政府デモほど バンコク対地方をいう対立の構図をはっきり
 させたものは 今までなかった。
 しかし、地方の人々の願いを代弁してくれる指導者たちを失ったことも確かである。
 これからは 地方農民たちや地方で生活出来ずに出稼ぎに出て行かざるを得ない人々の
 中から、リーダーを生み出す努力をしていく必要があるだろう。
 それは民主主義のためというより、自らの生活の向上のためである。

 軍事政権後の2007年の総選挙で国民の力党は480議席中233議席を獲得したが、
 選挙違反を理由に2008年12月に憲法裁判所によって 解党処分になった。

 今後、政界の政党の勢力分野が どう変わっていくのかはわからないが、
 複雑さを増していくことは確かだ。
 今回のことで軍が発言力を増したことは確かだ。
 これまで 民主化の中で役割を果たしてきた民主党も 軍や旧支配層の御用政党に
 成り下がる可能性も大である。



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タイ事情 | 11:54:01 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 アジアの布文化‐04 ブータン布で作った小物
東京 アジアの布文化‐04 ブータン布で作った小物

 20年近く前、ブータンの野蚕のシルク布、ネパールの綴れ織りのダッカ布を
 使って、バッグなどの小物を作ったことがある。
 ブータンの野蚕のシルクスカーフ ラチュを使ったバッグや袋物は使い込んでいけば、
 柔らかくなり、手触りもよくなり、愛着が湧いてくるものだ。
 がっちりと織られたブータンの野蚕シルク布は 丈夫さの点でも申し分なかった。

 ブータンの人々が 野蚕のシルク布で織られたシルクスカーフ ラチュ、ブータン女性
 民族衣装のキラ ルンセルマ、アイカプールなどを一生愛用するように、こうした布の
 手触り、使いこなすことで馴染んでくる柔らかさを実感してもらいたいという気持ちもあった。

 小さな子供が 自分の愛用するタオルや布切れを 自分の一部のように愛用し、愛着
 していくような感触が ブータンの手紡ぎ、手織りの野蚕シルク布を使い込んでいく
 ことで味わえるように思う。
 そんな暖かい触感が ブータンの布にはある。

 20年近く前、バッグや小物の製図を描いていた頃のことが 懐かしく思い出される。
 ブータンの野蚕のシルク布 ラチューやカマールを バザールで買い集め、カッティングを
 して、縫い子に渡し、ああでもない、こうでもないと言いながら、サンプル作りもした。
 そんな具合に作ったその当時の商品を 今回の展示会でも 展示即売をすることにした。



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ブータン布の今昔 | 17:56:41 | Trackback(0) | Comments(2)
バンコク タイの政治の行方‐06 混乱は終息に向かう
バンコク タイの政治の行方‐06 混乱は終息に向かう 1

バンコク タイの政治の行方‐06 混乱は終息に向かう 2

バンコク タイの政治の行方‐06 混乱は終息に向かう 3

バンコク タイの政治の行方‐06 混乱は終息に向かう 4

 軍による赤服集団強制排除によって、バンコクの混乱も終息に向かっているようだ。
 昨年の11月、12月の黄服集団 PADの行った首相官邸占拠、スワンナブーム国際
 空港占拠の折とは、全く違う対応振りには驚いてしまう。

 タイの英字新聞にこんな記事が載っていた。

   *** ドバイの国王に タクシン元首相を受け入れないように要請 ***

 4月14日(火)、バンコクのモスリム・コミュニティは 次のように言っている。
 モスリムの住民は タクシン元首相が タイで暴力的な行動を行った赤服集団の
 リーダーであったことを理由に タクシン元首相を受け入れないように ドバイの
 国王に要請した。
 タイのアラブ首長国連邦大使館を通して、この請願をドバイの国王に提出することに
 なるだろう・・・。

 大筋はこのようなものであった。
 http://www.nationmultimedia.com/worldhotnews/30100532/Dubai-King-asked-not-to-welcome-Thaksin
 詳しく知りたい方は 上記を参照

 これを読んでいると ペッブリー道路 ソーイ7の騒動の狙いは ここにあったのか
 と思えてくる。
 イスラム教徒居住区に 騒動を持ち込み、モスクを荒らす。そしてイスラム教徒の
 反発を引きだし、世界のイスラム教徒に訴え、特に元タクシン首相が しばしば
 訪問しているドバイへの入国を阻止する目的が 見え隠れしている。

 私はこの地域によく行くが、イスラム教徒の居住区特有の穏やかさがあり、この場所が
 どうして騒動に巻き込まれたのか 不思議に思っていた。
 どうも反タクシン派の策略の匂いを感じてしまう。
 あまりに出来すぎているからである。

 ソーイ7の入り口付近の目立つ場所で 黄色い服を身につけ、水を掛け合うと
 いうのも尋常ではない。
 1,2キロさきのアヌサオリ・チャーィ(戦勝記念塔)は反独裁民主主義同盟の集会場に
 なっていたし、このペッブリー道路の先にはプラトゥ・ナーム、そしてディーン・デー  
 ンへとつながる。
 混乱の中心地で 黄色い服を着て 水を掛け合っているなど、凶器の沙汰である。
 ここでの騒動は 意図的に仕組まれたもののようだ。

 バンコクの各所で起こった赤服集団が引き起こしたと言われている騒動には 
 どうもこうした意図的な策略が 多くあったのではと思えてくる。

 反独裁民主主義同盟系のテレビ局は閉鎖され、情報も政府側のものが一方的に流された
 ようである。

 バンコクは 旧支配層の本拠地である。
 昔からの支配階級 王族、貴族、経済界(中国系タイ人)、軍、警察の中枢が 
 いざとなれば 一体化してことにあたるという姿勢が鮮明だった今回の対応振りだった。
 昔から住みついているバンコク旧市民は バンコクの都市人口の20%であるとしても
 200万人近いシンパを抱えている。
 10万、20万人程度の動因では 太刀打ちは出来ない。
 敵の本拠地で戦っているのであるから、余程の数の動因が必要なのは明らかなことだ。

 反タクシン派の昔から使われてきた策力、策謀の前に 今回の反政府運動は
 上手く押さえ込まれてしまったようだ。
 策略、策謀においては はるかに熟練している旧支配階級である。
 バンコクで200年に渡って、権力を握っていたバンコクの支配階級打破は 
 一筋縄ではいかない。

 反独裁民主主義同盟が 今後どういった運動を展開していくのか、簡単なことではない。
 正攻法だけでは やっていけないことがはっきりわかったはずである。
 どこかの国の政党間の争いも同じ様相である。



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タイ事情 | 19:28:43 | Trackback(0) | Comments(2)
バンコク タイの政治の行方‐05 終わらない混乱
バンコク タイの政治の行方‐05 終わらない混乱 1

バンコク タイの政治の行方‐05 終わらない混乱 2

バンコク タイの政治の行方‐05 終わらない混乱 3

バンコク タイの政治の行方‐05 終わらない混乱 4

 リーダーとして反民主主義同盟の支持者を引き連れて、アセアン・サミットの会場に
 侵入し、サミットを中止に追い込んだアリスマン氏を 逮捕したことから、反独裁同盟の
 反政府運動は 過熱してしまったようだ。

 今、私は日本にいるが、もし、バンコクで私が住んでいるアパートの近くでも、
 こんな事件があったようだ。

   *** 赤服、ペッブリーでムスリムを敵に回す ***

  ネーション系のタイ語速報によると13日17:00頃、バンコクのペッブリー通り
 ソーイ7の入り口周辺で、赤服軍団による住民の車やモスクに対する損壊行為に
 怒った棍棒や刃物等で武装した住民約200人が集結し赤服軍団へ反撃する機会を
 伺うと共に警察に向かって赤服の一味であると罵声を浴びせているという。

  これに先立ち同日16:00頃、民主主義市民連合のシンパであるイスラム教徒の住民が
 黄色い服を着てソーイ7の入り口付近で水掛に興じているのを通りすがりに目撃した
 赤服軍団が襲撃したことから両者間で衝突となり、その際に赤服軍団がイスラム教徒が
 多く住むソーイ5内にある飲食店のテーブルに火を放ったり、数台の車やモスクを
 損壊したり バイクに火を放つなどするという事件が発生していた。

  また、ネーション系の英字速報では、ソーイ7で水掛に興じていた人々と赤服軍団
 との間で衝突が発生し、複数人が負傷を負った他、衝突の際に銃声が聞かれたと
 報じている。 

                         ― タイの地元新聞を読む ―


 このあたりは 時々 私も訪れる場所だ。
 センセーブ運河のそばには 150年前からイスラム教徒 チャム族の住むバーン・
 クルアの集落があるし、ペッブリー道路のソーイ7には 昔、南タイのパッタニーから、
 連れてこられたイスラム教徒が住んでいる。
 昔からこの場所に住み着いているイスラム教徒で モスクを中心とした地域の結びつきは強い。
 歴代のタイの国王からこの土地に住むことを許され、王党派である人々である。
 又、ペルシャ系イスラム教徒は ラーマ5世の時代までは 権力の中枢に入り込み、
 多くの利権を中国人と分け合うぐらいの勢力を持っていた。
 その有名な一族がブンナーク家であるが、ラーマ5世以降は 政治の中枢から離れて
 いくことになる。
 あまり政治的な信条を話す人々ではないが、国王によって護られてきたという意識は
 あるようだ。
 この意識は 中国人を含めて、長い間 バンコクに住みついている市民の共通の意識の
 ようである。

 しかし、政治に対しては 注意深く神経を使いながら、生活している彼らが、どうして
 ソーイ 7の入り口の目立つ場所で 水を掛け合っていたのかは 納得のいかないものが
 ある。
 私はよくこのあたりを歩いているが、ここに住んでいる人々が ソーイ 7の入り口で
 黄色い服を着て、赤服集団を挑発するような振る舞いをする人々のようには思えない。
 モスクに侵入されれば、当然、激しい行動には出るだろう。

 ラッタナーコウシン王朝が バンコクに王都を定めて以来、地方の富(米、木材)は
 中国人を通して 流れ込み、バンコク市民はその恩恵を預かっていたのである。
 それはイスラム教徒も同じように恩恵を受けていたのである。
 又、王都がバンコクに遷都する前の王都は アユタヤであったことから、中央タイに
 住むタイ人もタイ人としてのアイデンティティは強い。
 又、中央タイは土地も地味に富、洪水の心配はあっても、水には恵まれ、その豊かな
 農業生産物にも恵まれていたのである。

 一方、北タイはチェンマイを中心としたランナータイ王国、東北タイはラーンサーン王国、
 ランナー王国とラーンサーン王国は 同じラオ族であることから、深い結びつきがあり、
 それらの王族は親戚関係にあった。

 中央タイのタイ人たちも 広い意味ではラオ族と同じ種族であったが、アユタヤ王国を
 造る過程の中で、意識も言葉も変わっていったようである。
 アユタヤ王国、ラッタナーコウシン王朝のシャム王国が力を増す中で、ランナータイ
 王国もラーンサーン王国もシャム王国の支配下に置かれ、そこに住む人々は、搾取の
 対象になっていくのである。
 中国人は 王族・貴族の間に入って、米・木材の買い付け・流通、税の徴収搾取を
 推進していく存在だった。
 特に旱魃、そして 塩分を含む痩せた土地で生活する東北農民は いつも貧困にあえぎ、
 長年にわたって苦しんできたのである。
 ラーマ6世以降は たびたびの農民一揆、共産主義運動などで 時の政府と戦ってきたと
 いう歴史もある。
 バンコクに出稼ぎに出てくれば、言葉の違いから 「コン ラーオ(ラオ人)」と
 馬鹿にされることも多かったのである。
 だから、北タイ、東北タイの人間は どこか中央タイの人間に虐げられてきたという
 気持ちがある。

 議会制民主主義が出来るまでは 強権政治の中でひたすら我慢を強いられてきたが、
 人口の多さから、だんだん発言力、影響力を増してきたのも事実である。
 その象徴的存在が タクシン元首相であったわけだが、タクシン元首相が 北タイ、
 東北タイ農民の苦しみをどこまで理解していたのかはわからない。
 むしろ、上手く利用したという側面もないではない。
 しかし、中央政府の眼を、東北タイ、北タイに向けさせることは出来た。

 この辺のことを理解しないと、赤服集団と黄服集団との軋轢は見えてこないし、
 タクシン、反タクシンの構図は見えてこない。

 バンコクを中心とした中央タイに住む人々と北タイ・東北タイに住む人々のタイとう国に
 対する意識は違うのである。
 それは南タイに住むイスラム教にとってもタイという国に対する意識は違うのである。

 今、赤服集団に対峙している兵士も警察も その内部は複雑だろう。
 出身地の違いで、水平射撃をするものもいるし、わざと狙いをはずして射撃するものも
 いるだろう。
 今のままでは 混乱は深みにはまっていくばかりだろう。


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タイ事情 | 20:46:37 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク タイの政治の行方‐04 余談 アリスマンとは?
バンコク タイの政治の行方‐04 余談 アリスマンとは? 1    バンコク タイの政治の行方‐04 余談 アリスマンとは? 2

 *** 
 タイ政府は11日、午後1時過ぎアリスマン氏が率いるパタヤ赤服集団に東南アジア諸国連合
 (ASEA N)会議開催ホテルに突入されたことを受け、パタヤ地区を中心とした
 チョンブリー県に非常事態宣言を発令した。

 同集団が会議開催ホテルに突入したことを受け、11日の会議開催を中止することを
 決定していた。
 また12日予定されている会議は、今後の状況を見極めた上で発表するとしているものの、
 中止となる可能性が高いと見られている。

 この非常事態宣言を受け、今後軍部または地元警察が赤服集団を強制排除に動くものと
 見られており、付近では緊張感が高まってきている。(タイランド通信より)
                                     ***

 元スダーラット派所属下院議員で歌手としても知られるアリスマン・ポンルゥアンローン氏と
 いう名を見て、23年前、ネパールのカトマンズでの3年の滞在から日本への一時帰国の際、
 立ち寄った頃のバンコクのことを思い出した。

 歌手アリスマンは 当時のタイミュージックの中で 頂点のような存在で 人気絶頂を
 誇っていた。
 その頃のバンコクの街を歩いていれば、必ずどこからか 彼の歌が流れていた。
 大きな経済成長を迎える前のバンコクには 古い建物が残っており、繁華街のパッポン
 あたりを除けば、まだまだのんびりした時代だった。

 バンコク庶民と上層階級と生活の場所は はっきりと分かれ、まだ中産階級の台頭は
 なかった。
 貧しいか、金持ちか それがはっきりしていた時代だ。
 金持ちである上層階級は 庶民の生活には関心もなかったし、庶民にとっても
 金持ちである上層階級は雲の上の人たちであり、関心もなかった。
 それぞれが 互いに干渉しあうこともなく、タイ社会は 穏やかで安定しているように
 見えたものだった。

 そんな雰囲気の中で、アリスマンの歌うスローテンポの叙情的な歌は タイの人々の
 心を捉えていた。
 アリスマン自身が貧しい家庭に生まれ、食堂でウェーターの仕事をしていたところから
 歌手としてのチャンスを掴んだという生い立ちも 人々の共感を読んだのだろう。

 23年前のバンコクを思い出すときには あのアリスマンの甘いテナーの歌声が
 頭の中に浮かんでくる。
 Arisman - Tur Lam iang
 http://www.connemara.net/video/index.aspx?videoid=cSAuTERF0cs

 Arisman - Jai Mai Dan Pho
 http://www.connemara.net/video/index.aspx?videoid=0jilLEBLAWU


 この20年間でバンコクは大きな変貌を遂げ、音楽もハイテンポな欧米風な音楽に
 変わっていった。
 アリスマンがスローテンポで歌っていたラブソングは 時代遅れになってしまった。
 もう タイでも懐メロになってしまったのである。

 そして、反独裁民主主義同盟幹部 元スダーラット派所属下院議員 アリスマン・
 ポンルゥアンローンとして反独裁民主主義同盟を支持する数百人の人々を率いて、
 パタヤで開催されているアセアン・サミット会場であるホテルに入り込み、アセアン・
 サミットを中止に追い込んだ立役者として脚光を浴びることになった。
 情報によれば、アリスマン氏は 現在 当局によって 逮捕されているということだ。
 今日12日は 逮捕されたアリスマンを釈放するようにと 反政府運動は 過激さを
 増している。
 首相官邸占拠、スワンナブーム空港占拠をしたPADの幹部を逮捕することなく、
 現在に至っているが これでは今回のアリスマン逮捕は UDD側も納得はしないだろう。
 今 タイ政府は 公平、公正な対応を問われている。
 公平、公正が保証されない限り、混乱は収まらないだろう。



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タイ事情 | 15:20:06 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク タイの政治の行方‐03 アセアン・サミット中止
バンコク タイの政治の行方‐03 アセアン・サミット中止 1

バンコク タイの政治の行方‐03 アセアン・サミット中止 2

バンコク タイの政治の行方‐03 アセアン・サミット中止 3

バンコク タイの政治の行方‐03 アセアン・サミット中止 4

 4月11日午後、反独裁民主主義同盟が アセアン・サミット会場であるパタヤにある
 ロイヤル・クリフ・リゾートホテルになだれ込み、中止になった。

 昨年のPAD(民主主連合)によるスワンナブーム国際空港占拠、今回のDAAD
 (反独裁民主主義同盟)によるアセアン・サミット会場占拠といい、
 タイの治安組織はどうなっているのだろう。
 開催日程は決まっており、反独裁民主主義同盟のデモ隊がやってくることは
 予測出来たにもかかわらず、デモ隊の侵入を防げなかったのはどういうことだろう。
 これでは 国内の政治的な対立が 解消されない限り、タイでは 国際的な会議は
 安心して開催できないという国際的な不信を定着させただけだ。
 日本から出席した麻生首相もとんだ期待はずれの結果に終わってしまったようである。
 それは韓国、中国、インドにしても同じことである。

 予測した事態に対応できない今のタイ政権は 一体どうなっているのだろう。
 2006年に起こったタクシン政権追放のための軍によるクーデター、2年間に
 渡る成果のなかった軍事政権、軍事政権によって選ばれた裁判官による憲法裁判所の
 判決による解党命令、そうした不自然な形で、ここ2年以上 タイの政治は、
 運営されてきた。

 その裏側には 旧支配勢力と新興勢力との利権をめぐる10年に渡る軋轢がある。
 旧支配勢力はバンコクを中心とした地域とタイ南部地区に支持層を持ち、
 新興勢力は 北タイ、東北タイを地盤に持つ。
 はっきり言えば、旧支配勢力は 今では 少数派である。
 バンコクにおいても、中国系タイ人、王族、旧貴族、昔から住みついているバンコク
 市民の支持を得ているが、都市人口が1千万に近づいているバンコクでは 
 地方からの出稼ぎ住民が増え、バンコクでも少数派になっている。
 そうした特権階級を支えているのが タイの国軍であり、警察組織であるが、
 今回の警察の治安部隊の対応振りを見ていても、今の政権を支持しているとは
 到底思えない。

 ここまで来てしまうと、解決の方法は 総選挙しかないだろうが、
 せっかく手にした権力、利権を 旧支配勢力が簡単に手離すとは思えない。

 地方を地盤にする反独裁同盟も 地方できちんとした組織作り、農民や労働者への
 啓蒙に努めなければ、本当の意味での支持者を得ることが出来ず、資金がなければ、
 反政府運動の際、人集めも出来ないだろう。
 支持者の大半は 貧困層であり、手弁当でも運動に参加できる余裕はない。
 今は資金の出所はあるだろうが、それがいつまでも続くものではないことは明らかだ。

 タイにも 世界金融危機による不況の影響は これから大きく出てくるだろう。
 地方で食べることが出来ないからバンコクに出稼ぎに来ている人々の帰っていく場所は
 ない。
 失業者が増えれば、バンコクの街の治安すら難しくなってくる。
 今回デモに参加した人たちの大半は 日当と弁当を求めて参加した失業者たちだろう。

 明日から タイの最大行事 ソンクラン(水かけ祭り)が始まる。
 失業者たちは 郷里に帰ることも出来ないだろう。
 郷里に帰るバス代、汽車代、お土産代を 算出するのは 物価高の今、簡単なことではない。
 この不況の中、ソンクランの際に出るボーナスも期待できないだろう。

 全く行方の見えないタイの政治である。



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タイ事情 | 15:59:27 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 アジアの布文化‐03 ブータンのケラ(帯)の変遷
東京 アジアの布文化‐03 ブータンのケラ(帯)の変遷 1
 19世紀後期から20世紀前期に織られたらケラ
 糸は ブータン木綿の手紡ぎ糸が使われている。

東京 アジアの布文化‐03 ブータンのケラ(帯)の変遷 2
 20世紀前期に織られたケラ  
 紋様部分は 輸入された養蚕シルク糸が使われている。
 王族などが使用したものと思われる。

東京 アジアの布文化‐03 ブータンのケラ(帯)の変遷 3
 20世紀前期~中期に織られたケラ
 糸は はインドからの綿の手紡ぎ糸のようだ。
 紋様部分が だんだん緻密なものに変わってきている。

東京 アジアの布文化‐03 ブータンのケラ(帯)の変遷 4
 1970年代以降に織られたケラ
 地はインドからの工業糸、紋様はインドからの養蚕シルク糸が使われている。

東京 アジアの布文化‐03 ブータンのケラ(帯)の変遷 5
 1990年代以降 使われているケラ
 地はインドの工業糸、紋様はインドの養蚕シルク糸
 紋様部分にブータンの片面縫い取り織りの技法が用いられている。


 『アジアの布展 ラオスからブータン』の準備に追われている毎日だ。
 押入れから布を出してきて、展示品のラベル作り、値段付け、気ばかり焦るが、
 なかなかスムーズに進んでいかない。

 仕舞いこんでいたブータンの女性用民族のキラのための帯 ケラを出してきて
 展示するものを選ぶ。
 こうした作業をしていると ここ百年のブータンの布の変遷は見えてくるから
 不思議である。

 20世紀前期に織られたブータンの帯 ケラについて言えば、綿もブータンで
 取れた綿を使っており、インド綿より、弾力がある。
 紋様も大胆で 堂々としていて迫力が感じられる。
 紋様の織り込みに使われた木綿糸の染めは 青いものは インド藍、
 えんじはラックが使われたようだ。
 この辺は ブータンの身分の高い人のためのひざ掛け、敷物の用途を持つ
 チャクスイ・パンケップなども同様である。

 20世紀初頭といえば、ブータンはやっと国家としての体裁を整え始めた時期で
 ほとんど自給自足経済の中に合ったに違いない。
 ブータンとチベットは 文化的にも宗教、生活習慣においてつながりも深い。
 インドは イギリスの植民地の時代で、イギリスの保養地であったダージリンが近いと
 いうこともあって、インドからの物流も多少はあっただろう。

 インドとの交易が盛んになるのは インドがイギリスから独立してからだろう。
 インドから染織のための材料が入り込んでくることで、ブータンの染織も 
 大きな変化を迎えている。
 野蚕のシルク糸は 別にしても、木綿糸や羊毛糸は 工業糸がインドから輸入される
 ようになってきている。
 細い糸で布が織られるようになることで 紋様なども緻密になり、華やかな織物が
 生まれて来るようになる。
 染料も インドから化学染料が入り込み、手間のかかる天然染料より
 化学染料のほうが多く使われるようになっていく。
 
 20世紀中期というのは ブータン染織の大きな転換期であったようだ。
 又、インドから養蚕シルク糸なども輸入され、王族など身分の高い階層の人々は
 インドからの養蚕シルク糸で織られた織物を身に付けることで、身分の違いを
 明確にしたようだ。
 王室も安定し、ブータンも国家として確固とした土台を築き上げた時期でもある。
 しかし、まだこの時代は、昔ながらの染織技法が多く残っており、手紡ぎ糸と工業糸、
 天然染料と化学染料などが入り混じっていた時期なのだろう。

 1970年以降は 急速に 化学染料、工業糸が多量に使われるようになってきた。
 ケラに使われる糸も 地は木綿工業糸、紋様のための糸にはアクリル糸が用いられる
 ようになっている。

 1990年以降になると、三つ折りにして使っていたケラの形も、帯というより
 ベルト状のものに変わっていった。
 可憐で美しいものではあるが、昔風の重厚な味わいはなくなってしまった。


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ブータン布の今昔 | 11:19:46 | Trackback(0) | Comments(2)
バンコク タイの政治の行方‐02 道路封鎖
バンコク タイの政治の行方‐02 道路封鎖

 4月8日の夜 最高潮に膨れ上がった赤服集団 反独裁民主主義同盟の反政府運動も
 9日から道路封鎖という手段をとり始めている。
 パタヤ方面に向かう自動車の出入り口になるプラカノン周辺、アヌサオリ・チャイ
 (戦勝記念塔周辺)、MBKセンター(マーブンクロン)周辺、中華街周辺、首相官邸
 周辺、バンコクの主だった地域で 反独裁民主主義同盟を支持するタクシードライバーによる
 道路封鎖が行われているようである。
 バンコクのタクシードライバーの大半は 東北出身者が多い。

 この時期にバンコクを訪れる旅行者は バンコク市内の移動には支障をきたすことに
 なるだろう。
 又、今のタイでは 着ている服の色で政治的信条を判断されやすいから、赤い服、
 黄色の服を着ることは避ける必要がある。
 着ている服の色で誤解され、面倒なことに巻き込まれる可能性もある。
 スクムビット道路周辺に滞在する人は センセーブ運河を走る水上バスを利用すれば、
 動きやすいかもしれないが、バンコク市民もそのくらいのことは考えているから、
 結構混み合っているかもしれない。

 4月10日の今日は 交通の混乱を避けて、タイ政府は 休日にしたようだ。
 10日からパタヤで始まる東南アジア諸国連合+3及び東南アジア諸国連合+6の開催の
 成功のために 現政府も反政府運動に対して 神経質になっている。
 4月10日から12日までの東南アジア諸国連合開催中は、政府も反独裁民主主義同盟に
 対する強制排除という強硬手段を行うことは出来ないという弱みがある。
 力による強制排除から混乱が引き起こされれば、タイの国際的な信用の低下にも
 つながる。
 日本の麻生首相もこの会議には出席の予定である。

 こんな状況のバンコクらしいが、今回の反政府運動は どう見ても大きな国民運動には
 なっておらず、海外からタクシン元首相がビデオや電話を使って、檄を飛ばしているが、
 犬の遠吠えのようで、きれいごとばかりを並べているようで、一般的な国民からすれば、
 身近なもののように思えないのも当然だろう。

 2006年のクーデターにより、政権の座を追われ、自らの財産の多くが凍結され、
 それを取り戻すための手段に今回の反政府運動に利用していると思われても仕方ない
 だろう。
 財力、権力におぼれ、自ら墓穴を掘ったという面もあながち嘘ではない。
 旧支配層に向かい、牙をむけ、新しい体制を作ろうとした姿勢は評価されるだろうが、
 それも、タイ国民のためというより、自らの一族の繁栄のためではなかったのかという
 疑い なきにしもあらずである。

 反独裁民主主義同盟の反政府運動を支持するタクシードライバーたちも、
 上手く乗せられ、せっかくのタクシーを壊されないことを願うだけである。
 いつも苦しむのは庶民である。
 
 いつタイの総選挙が行われるのかわからないが、貧富の格差を是正し、公平で公正な
 社会をもたらすつもりであれば、もう一度、地方に帰り、体制を立て直す必要もあるし、
 バンコクで多くを占める地方からの生活に苦しむ出稼ぎの人々を纏め上げていく必要が
 あるだろう。
 タイで政治家になることの出来る人々は 恵まれた人々である。
 親タクシン派であろうが、反タクシン派であろうと同じである。
 選挙の際に 多くのお金をばら撒く候補者に票を入れている限り、生活が向上する
 ことはないだろう。

 今日、明日まで反政府運動が盛り上がれば、何らかの意思表示をしたことになるだろうが、
 どうも尻すぼみのようである。
 反タクシン組織 PAD(連合)のように 枢密院会議、軍、警察、民主党の支持を
 受けていれば、少ない数の運動でも、成功することが出来るが、その後ろ盾がなければ、
 動員できた人間の数だけが 国を動かすことが出来る。



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タイ事情 | 08:48:50 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 アジアの布文化‐02 野蚕の手織り布たち
東京 アジアの布文化‐02 野蚕の手織り布たち

 20年近く 押入れの中に入れておいたブータン、インド・アッサム州、インド・
 アルナチャル州の野蚕の手織り布を取り出す。
 1980年代後半に ブータンやブータンの国境に近いインドで織られた布を
 カトマンズで手に入れたものだ。
 まだまだブータンが貨幣経済に大きく飲み込まれていない時期に織られたものである。
 この時代の野蚕の手紡ぎ糸も 質がよく、今の時代に織られたものに比べれば、布の
 質も高いし、織りもていねいだし、部分的に天然染料を使って染められている。

 2,30年前までは ブータンも時間に追われることなく、自給自足の中でのんびりと
 織物に勤しんでいたのだろうが、今では インドの影響を受けて、貨幣経済が入り込み、
 織物も時間とお金の計算の中で成り立っているようだ。

 そんな現状を見て、前国王は幸福指数という言葉を考え出したのだろうが、時代の
 流れには対抗できないようだ。

 電気が 国中にまだまだ行き渡っていないブータンでは、ネパールのようにテレビ、
 冷蔵庫、扇風機、アイロンなどが花嫁道具になってはいないだろうが、早晩、そういう
 時代が来れば、不必要な贅沢の味を覚え、ステータスシンボルの誇示するために
 こうした文明の利器を手に入れようとするようになり、逆に生活に追われるように
 なってしまうだろう。
 便利さに夢中になるあまり、いつの間にか大切な生活を失い、再びその生活を
 取り戻すことは困難になるだろう。

 この頃では 昔のように ネパールのカトマンズでは ブータンの織物を
 見かけなくなった。
 カトマンズにブータンの織物を運んできていたのは ブータン・インド国境周辺から
 ネパールに移住してきたインド・マルワリ商人だったが、彼らももうブータンの布を
 扱わなくなっている。
 旅行者の集まるタメル地区にある何軒かのみやげ物屋でブータンの布を置いているが、
 昔のようにいいものはなくなった。

 ザンバラという名のブータンの布や民芸品を専門に置いてあったブータン人の店も
 あったが、オーナーだったブータン人女性も カトマンズを離れ、ブータンに帰って
 しまったという話を聞いた。

 もうブータン国内にも古い布類は底をつき、新しく織られるものも値上がりし、
 その上、質も落ちてしまえば、商売にならないようだ。

 20年前は リンポンやブータン・インド国境周辺からやって来てカトマンズに
 住みついたインド・マルワリ商人が ブータン、インド・アルナチャル、アッサム、
 ナガランド、マニプルなどの珍しい布を運んできて、店頭に並べていたが、
 そんな彼らの店も 扱う商品を代えて、すっかり様変わりをしてしまった。

 20年前に手に入れたその当時織られた未使用の手織り布や古い布を見ていると
 ブータンやブータン周辺の地域の古き良き時代を感じさせるものがある。



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ブータン布の今昔 | 21:28:44 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク タイの政治の行方-01 バンコクの熱い夏 
バンコク タイの政治の行方-01 バンコクの熱い夏 1
 タクシン元首相
  
バンコク タイの政治の行方-01 バンコクの熱い夏 2
 アビシット現首相

バンコク タイの政治の行方-01 バンコクの熱い夏 3
 プレム枢密院会議長

バンコク タイの政治の行方-01 バンコクの熱い夏 4

バンコク タイの政治の行方-01 バンコクの熱い夏 5

 4月12日から15日までのソンクランの祭りを前にして、バンコクの街では
 親タクシン勢力である赤服集団のデモ隊が 4月9日現在10万人規模に
 膨れ上がっているようだ。
 昨年の反タクシン勢力 黄服集団 PADの11月後半から12月の初めの空港占拠の
 際も東京にいて 肌でバンコクの状況を感じることが出来なかった。
 今回の赤服集団の大掛かりなデモ隊の盛り上がりの様子も肌で感じることは出来ない。

 ただ赤服集団の10万人近いデモ隊といっても 今のバンコクの都市人口は 
 800万人以上であり、地方からやってきた人たちも多く含まれるから、
 バンコク市民のデモへの参加は それほどでもないだろう。
 親タクシン勢力は バンコク、バンコク近郊より 多くの支持者を東北タイ、北タイに
 抱えている。

 海外からデモ隊に向かって ビデオを使って 檄を飛ばすタクシン元首相からすれば、
 最後の大きな賭けなのだろう。
 予断を許さぬ状況の中で タクシン元首相の元夫人や子供たちは 身の安全のために
 国外に避難したようだ。

 赤服集団 反独裁民主主義同盟は8日16:00、プレーム枢密院評議会議長、スラユット
 同議員、チャーンチャイ同議員及びアピシット首相の即時無条件辞任を要求する声明を
 発表し、また、国内統治は立憲君主制を基本に置き、民主活動家や民主主義を尊ぶ
 経験者等の合議による改革により国際標準にまで改善されるべきであると主張している。

 民主党を中心とする現政府は デモ隊が暴動を引き起こさない限り 
 無視を決め込んでいる様子である。
 もう一つは 赤服集団 反独裁民主主義同盟の反政府運動もソンクラン(水掛祭り)の
 祭りになれば、勢いがなくなり、小さなものになるだろうと考えているのだろう。

 タイでもっとも古い政党である民主党、タイの王室の諮問機関 枢密院評議会、軍、
 警察の協力体制の中で始まった現政権は強固な地盤の上にあり、この政権を倒すのは
 余程のことがない限り、難しい。
 10万、20万人程度のデモでは、現政権は 無視を決め込み、沈静化を待つだけで
 ある。

 しかし、今 世界は 不況の最中にある。これはタイの経済にも大きな打撃を与えて
 いることは確かだ。
 現政権も 月収15000バーツ以下の国民に 2000バーツの生活給付金の支給を
 決定し、支給を始めたが、社会保険の明細書などの収入を証明する書類が必要で、
 本当に援助の必要な人には 行き渡っていないというのが実際のところで、失業者が
 増え続け、生活が困窮しているものの不満は増大している。

 今回のデモ参加者の中にも 仕事にあぶれている人たちが多く参加しているはずである。
 こうした人々に対する適切な対策を怠るなら、政情不安は 解決しないだろう。

 現政権を支える民主党支持層、枢密院評議会、軍、警察は 旧支配層を代表する
 長期にわたって優遇された人々である。
 タイの利権を手にしている人々である。その利権を護ることだけに眼を向けていれば、
 国民の7,8割を占める低所得者層の不満は増大していくだけである。

 中学卒の初任給は やっと6千バーツを超えた程度である。
 バンコクの建設現場で働く人の日当も200バーツから300バーツ、
 この不況で仕事を失えば すぐさま 路上生活者になってしまう。
 そうした人々は 容易に反政府運動に向かっていくだろう。


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タイ事情 | 16:04:00 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐61 野次馬
アジアの街角 1枚の写真から‐61 野次馬

 カトマンズの街の中を歩いていると、よく野次馬集団に出会うことがある。
 ちょっとした事件が路上で起これば、すぐさま人が集まってきて、事件を眺め、
 中には 事件の仲裁役を勤める人も出てくる。

 何年か前、カトマンズの小さなレストランで食事をしているとき、そのレストランの
 近くのネワール族の人が 私のところにやってきて、
 「誰か分からないけれど、あなたの自転車を持っていっている人間がいるが、すぐに
 確かめたほうがいい」と教えてくれた。
 私が自転車を停めて置いたところを見ると、自転車がない。
 鍵もかけておいたにもかかわらずである。
 
 すぐさま、そのネパール人と一緒に 私の自転車を盗んだ自転車泥棒を追いかけると、
 鍵のかかっている後輪を持ち上げながら 泥棒は何知らぬ様子で歩いている。
 ワイシャツとスラックスを穿いた普通の若者であり、服装も貧相には見えない。
 一緒に泥棒を追いかけてくれた近所の人が
 「その自転車は お前のか」と問いかけ、私が「私の自転車だ」と言って、その男を
 捕まえると、すぐさま人が集まってくる。
 食事をしていたレストランのネパール人のグルン族の若い従業員など 私以上に
 興奮して自転車泥棒の胸倉を掴み、パンチを2,3発 見舞ってしまった。
 普段は温和に見えるこの若者、いざとなったら やるものだなと感心してしまった。

 20人近く集まったネパール人に囲まれてしまえば、自転車泥棒も逃げようはない。
 わいわいがやがやと騒ぎながらも警察に引き渡すという話は出てこない。
 グルン族の若者のパンチが お仕置きで 二度とこんなことをするなということで
 ことは収まった。
 私もそれでいいと思った。
 皆の前で恥をかき、もうこのあたりを歩くことが出来ないだろう。
 人々の対応には どこかに人間に対する優しさを感じさせるものがあった。
 警察などは庶民の味方ではないといった感情がどこかにあり、お仕置きを済ませれば、
 それでいいというおおらかさ、これはネパール人の良さでもある。

 この野次馬という現象は どこか庶民の好奇心の強さ、心の健康さを示しているように思う。
 何か起こっても無視を決め込む日本とは 正反対の庶民の姿である。

 カトマンズでよく見かける政治運動やデモ、ゼネストもこの延長線上にあるように
 思われる。
 世の中で何が起こっているのか、それに対する好奇心があることは、心の動きが 
 健全な証拠である。

 この記事に載せた写真は 王制廃止が決定された次の日に、王宮に掲げた王室の旗を
 降ろさぬことに対する抗議に集まったデモ隊を 木に登って眺める野次馬たちの姿で
 ある。
 デモ隊の人数は数百人規模のものであったが、それが 夜のテレビニュースでは 
 大変な数の人が集まったかのように報道されていた。
 しかし、野次馬たちは その報道には騙されない。

 政治的な報道というものは どこかで政治的な意図的なものが含まれ、ある出来事は
 大げさに ある出来事は過小に取り上げることになる。
 しかし、野次馬根性を持った庶民たちは 簡単には騙されない。
 彼らは 何が本当で、何が嘘かを見極める生活姿勢がある。

 この野次馬根性を失わずに持ち続けていることは、社会の健康さを生み出す力のような
 気もしてくる。
 野次馬根性を失い、世界の出来事を テレビや新聞などのマスコミを通して知ること、
 それを容易に信じ込んでしまう、そんなところから 民衆の活力、健康さが失われて
 いく。
 こうなると、支配者はマスコミを使って、民衆や庶民の感情など、いくら操作出来る
 ようになる。
 まさに今の日本がそうである。



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アジアの街角 1枚の写真から | 12:15:20 | Trackback(0) | Comments(0)
東京から 三つの水辺のほとり
東京から 三つの水辺のほとり 1

東京から 三つの水辺のほとり 2

東京から 三つの水辺のほとり 3

東京から 三つの水辺のほとり 4

東京から 三つの水辺のほとり 5

東京から 三つの水辺のほとり 6

 近頃、気がついたことがある。
 1年を切り分けるように 東京、バンコク、カトマンズと生活するようになって
 随分長くなるのだが、それぞれの街の中で、どういうわけか、水とのかかわりが深い
 場所に住み着いている。
 東京であれば、居候している場所のすぐ近くに 横十間川という運河の近くだし、
 バンコクで住んでいるアパートのすぐ裏側には 今なおバンコク市民の水上交通として
 生き続けているセンセーブ運河がある。
 カトマンズでは 借りている部屋の近くを 聖なる川 バグマティ川が流れている。
 別に川や運河の近くを意識して 部屋を借りたわけでもない。
 気がついてみたら、そこに川や運河があって かかわりが生まれてきたのである。

 バンコクのセンセーブ運河やカトマンズのバグマティ川の近くには、水とともに
 生活する多くの人々が住み、川や運河に対する人々の思い入れの深さを感じることが
 出来る。

 バンコクでは 運河は つい5,60年前までは 生活や交通の中心であり、
 人々は運河の水を使って洗濯などの洗い物をしたり、水浴びをしたりしていたし、
 暑いバンコクの気候の中では 子供たちの大切な遊び場でもあった。
 陸の交通よりも船を使っての移動の方がはるかに便利だったのだ。

 カトマンズでは バグマティ川は聖なる川であり、火葬の後に その死者の遺骨を
 川に流すという重要な役割を持っていた。
 私は初めて カトマンズを訪れた25年ほど前には、バグマティ川の川辺で
 泳ぎまわる子供たちをよく見かけたものだ。
 今では人口増加の中で、多量の汚水がバグマティ川に流れ込み、川の水も黒く濁り、
 生活用水としての役割は失い、水を汲み上げ、近くの農地の農業用水として利用して
 いるぐらいのものである。
 しかし、バグマティ川の岸辺近くでは地下水が湧きやすく、掘った井戸の水や湧き水を
 利用して カトマンズの市民たちが洗濯に励んでいる姿をよく見かける。

 バンコクの運河もカトマンズの川も バンコク庶民、カトマンズ庶民の生活を
 眺めるには格好の場所であり、バンコクやカトマンズの庶民たちの生活の匂いに
 触れることが出来る。
 その庶民たちの生き生きした生活の姿は 私に活力を与えてくるというのも
 本当である。

 ただ 東京の運河は年々遊歩道や親水公園なども整備され、水も澄んできているが、
 生活の匂いがしない。
 平日をいえば、中高年者が 健康のために散歩しているだけで、
 東京の運河の辺には、豊かなコミュニケーション(井戸端会議のような)がない。
 散歩していても 何か空々しいのである。
 人間の喜怒哀楽が感じられないのである。
 皆それぞれ 好き勝手に散歩をしているだけで、人間がいてもつながりがなく、
 ちょっと声をかけるということが出来る雰囲気ではない。
 それは 私の思い過ごしだろうか。

 バンコクやカトマンズでは いつもずうずうしく声をかけて、話をするのであるが
 どうも東京では そういう体勢が取れないのである。
 バンコクやカトマンズにいる自分が普通なのか、東京にいる自分がおかしいのかと
 不思議な気持ちになってしまう。
 実際 東京では 何か目的がはっきりしていない限り、人に声をかけ、
 人とかかわりを持つというのは大変難しい。
 見知らぬもの同士が 路上で会話を始めるというのは なかなか出来ることではない。
 同じ日本に生まれ、同じ言葉を持っていても、人と人の距離は遠い。



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徒然なるままに | 10:46:03 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 アジアの布文化‐01 展示会の準備
東京 アジアの布文化‐01 展示会の準備 1

東京 アジアの布文化‐01 展示会の準備 2

東京 アジアの布文化‐01 展示会の準備 3

 写真上 ラオス シルクスカーフ
 写真中 インド・アルナッチャル州の野蚕のシルク布
 写真下 ブータン ケラ(帯)

 今日は 東京も朝から上天気だ。
 朝起きたときに 寒さを感じないだけで 得をしたような気持ちになる。
 4月20日から始まる展示会に向けて 本格的な準備をする必要がある。

 ブータンの布類から 準備を始めたが ブータンの布類は キラ(女性用民族衣装)など
 幅150cm 長さ250cmあり、重さも1キロを超えてしまう。
 高い身分の人のひざ掛け、敷物をして使われたチャクスイ・パンケップだって 
 幅100cm以上 長さが250cm近くある。
 会場に難点持ち込むか、それを決めるのかが 大変だ。
 会場は さほど広くはないから、展示できる数は限られている。
 集めた布は 山ほど合っても すべて展示するというわけには行かない。

 今回の展示会では 中国から移動した民族の中で ブータン、インド・アッサム周辺
 インドとビルマ国境へ南下していった民族の布文化と ラオス、カンボジア、タイに
 南下していった民族の布文化の共通点が 展示できればと思っている。

 紋織りの技法は ブータン、インド・アッサム、インド(バンクラディッシュも含む)・
 ビルマ国境あたりと タイ、ラオスに集中している。
 インドでは やはり絣布文化と 刺繍布文化が中心で、
 あとはバラナシを中心としたジャガード織りになってしまう。

 カンボジアなどはインド文化の影響を大きく受けており、絣布が中心だし、
 カンボジアからの絣布文化の影響を受けたラオスは 紋織りと絣の両方の布文化が 
 織物の中に表れている。
 それだって ラオス、カンボジアの中に住む民族によって、織られるものは異なるし、
 ブータンにしても 多くの民族が住み、一体どういった民族が 織物の文化の中心に
 なったかは はっきりと調査されていないようだ。
 国境を接し、文化的にも係わりの深いチベットの布文化とブータンの布文化が 
 大きく異なっているのも不思議なことである。

 ライスにしても、ブータンにしても ラオス人、ブータン人と包括的に見てしまうと
 その国の文化は見えなくなってしまう。
 ネパールなども同じで数十の民族が住んでおり、各民族によって 宗教、生活文化なども
 大きく異なる。
 ネパールでも高度な布文化を持つのは山岳民族のライ・リンブー族で 
 彼らはブータン、シッキム、ダージリン、そしてネパール東部の山岳地方に多く住んでいる。
 彼らが 中国から南下してきた民族の西の果てに住む民族なのかもしれない。
 ネパールのこのライ・リンブー族は 2千年以上前、ネパールのカトマンズに
 ネパール最古の王国 キラティ王国を作り上げたといわれている。

 民族固有の歴史と生活文化(布文化も含む)を探ることで アジアの文化が
 民族移動の中で 互いに影響しあって出来上がってきてこともわかってくるだろう。
 そんな謎解きの一つが アジアの布文化を知ることではないだろうか。

 アジアの各地域間のつながりが 見えてくるような展示会になればいいと思っているが
 口で言うのはたやすいが 実際に展示会でそれを現すのは 簡単なことではなく、
 頭が痛いところである。



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ブータン布の今昔 | 10:46:29 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 桜咲く東京の運河
東京 桜咲く東京の運河 1

東京 桜咲く東京の運河 2

東京 桜咲く東京の運河 3

東京 桜咲く東京の運河 4

東京 桜咲く東京の運河 5

東京 桜咲く東京の運河 6

東京 桜咲く東京の運河 7

東京 桜咲く東京の運河 8

 毎日 部屋に閉じこもって 展示会の準備をしていると、どうしても運動不足になって
 仕舞いがちである。
 今年のように春の暖かさの訪れの遅い年であれば、タイでの亜熱帯の暑さの中で
 生活していて、いきなり寒い東京に帰ってくると、外に出かけることも 億劫になる。
 大していいものを食べているわけではないが、運動不足から どうしても太ってしまうである。

 それではまずいと思い、今日は近くの運河沿いを歩いてみることにした。
 天気は快晴とはいえないが、気温は上がり、寒さは感じさせない。
 運河沿いの遊歩道にやってくると、日曜の午後、大勢の人が散策にやってきている。
 少し先まで行くと 横十間川親水公園・仙台堀川公園があるからだ。
 総武線錦糸町駅、地下鉄住吉あたりで降りれば、猿江恩賜公園を抜けて 
 横十間川親水公園、仙台掘川公園へと至れば、いい散歩コースになる。

 運河の両岸は整備され、水上アスレチックやボート乗り場があり、親子連れの家族が
 春休みの日曜の午後を楽しんでいる。
 バンコクの運河沿いには バンコク庶民の生活の匂いが感じられるが、ここは 休日を
 楽しむ江東区民の憩いの場所だ。
 バンコクの運河に比べれば、格段に美しく整備され、水も澄んできているが、
 しかし、その運河の底には 高度成長期時代に排出されたダイオキシンが
 未だに沈んでいるという。
 見た目だけでは分からないものである。
 私にとっては 生活の匂いのするバンコクの運河のほうが親しみやすい。
 

 運河沿いの遊歩道に植えられたヤマザクラ、ソメイヨシノがほぼ満開である。
 遊歩道、歩行者優先と書かれているが、サイクリングを楽しむ人も多く、ぼんやりと
 散策を楽しむことは難しい。
 せっかくの桜の季節、歩く速さでじっくりと桜を眺めるほうが 余程楽しいと思うが
 せめて、この時期だけは 自転車を乗り回さないだけの心遣いはないのだろうか。
 どんな季節の恵みもこういう人たちには 猫に小判である。

 満開の桜に隠れるようにひっそりと椿の花も咲いている。
 咲き誇る桜のふわっとした雰囲気の中で 椿の花を見ると、気持ちが引き締まるようだ。
 ひたすら 咲いているといういじらしさすら感じる。

 2時間近く歩き続けると 程よい疲れを感じ、少しは運動になったようだ。
 もう夕方の4時を過ぎたけれど、桜の下の春の宴は 終わる気配はない。
 この不況の中の唯一の憩いの日である。
 あと何日かすれば、散ってしまう。この桜の花の乱舞を 楽しもう。
 いつの間にか 空も曇り空に変わってきた。さあ部屋に帰ろう。


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徒然なるままに | 12:42:49 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 院展を見に 日本橋三越へ
東京 院展を見に 日本橋三越へ 1

東京 院展を見に 日本橋三越へ 2

東京 院展を見に 日本橋三越へ 3

東京 院展を見に 日本橋三越へ 4

 知り合いが 春の院展(日本画)に入選したという話を聞き、展示会場である日本橋三越に
 出かけることにした。
 日本橋の三越などに行くのは 何十年ぶりのことである。
 地下鉄の路線図を見ると 私のいるところから意外と近いし、地下鉄 東京メトロ
 半蔵門線に乗れば、直通でいける。

 地下鉄を三越前で下りて、三越に向かう地下道を歩く。
 4ヶ月前に新宿の地下道を歩いたが、そのときもあまりに立派になっていて驚いたが、
 この地下道も同じである。
 都営地下鉄の駅の地下道ということは、設計はほとんど同じような感じで代わり映えはしない。
 こんなところにたっぷりとお金をかけていれば、庶民のところにはお金は 
 回ってこないなという気がした。
 経済発展とは こういうことなのだ。

 しばらく歩いて やっと三越の地下に到着、老舗のイメージを強調するように
 入り口には 暖簾がかかっている。
 地下の食料品売り場に入っていくと、物凄い食良品の山である。
 ネパールのカトマンズやタイのバンコクからすれば、多種多様な食料品の展示である。
 ここにもグルメ流行りの日本の生活がある。
 こんなものを買って生活していれば、いくらお金があっても足りないだろう。
 真剣に並べられている食料品を眺めていると 頭がおかしくなりそうなので 
 さっさと七階の春の院展の展示会場へ向かう。

 この展示会場には 入選作品が三百点ほど 展示されている。
 真面目に作品一つ一つを鑑賞することなど出来ない。
 展示されているものも 余程 個性的なものではないと人の眼を惹くことも出来ない。
 日本画といえば、平山郁夫、東山魁夷ぐらいしか知らなかったが、入選作品が三百点も
 並んでいると、様々のテーマ、技法があり、その多様な表現には驚いてしまった。
 その三百点の中から知り合いの作品を探し出す。
 地味な色調なので なかなか皆の目には留まらないようだ。
 この辺は なかなか難しいところである。

 院展を見終わり、三越の外へでてみる。
 この日本に生まれたが、25年以上 海外での生活が多くなると、自分が異邦人の
 ように思えてくる。
 この場所と私には全くのつながりがないし、風景は見知らぬものになってしまっている。
 毎日生活し、そことのつながりを持ち、人間関係がなければ、やはり 生まれた国も
 異国になってしまう。
 カトマンズやバンコクでは、一歩外に出れば、深い関係ではないにしても、
 自然に人々との会話が始まる。
 ともに同じ場所に生きていると言う実感もある。
 それが失われたときから、私にとっては 日本はどこか異国のようなものに
 なってしまった。
 気持ちの上では どんどん遠ざかっていく日本である。


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徒然なるままに | 18:57:38 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 春爛漫 桜が咲いた
東京 春爛漫 桜が咲いた 1

東京 春爛漫 桜が咲いた 2

東京 春爛漫 桜が咲いた 3

東京 春爛漫 桜が咲いた 4

東京 春爛漫 桜が咲いた 5

東京 春爛漫 桜が咲いた 7

 昨日の春の嵐を思わせるような日から 一変して今日は朝から気持ちのよい春らしい天気、
 日本に帰ってきてから、やっと春らしい季節に巡り合った。
 こんな日に家の中にいれば、何年かぶりの桜の季節を逃してしまう。
 もう4,5年 日本の桜は見ていない。
 久しぶりの花見もいいものだ。

 早速、近くの公園へと散歩に出かける。
 運河沿いに歩くと、運河の水の色も春らしい色合いに変わっている。
 運河沿いの遊歩道から公園に上ると 歩道沿いの土手には桜が満開だ。
 このあたりに居候を始めて10年以上になるというのに この公園で桜を見るのは
 初めてだ。
 公園の中に 桜並木があることすら知らなかった。
 ということは 10年以上桜を見ていなかったことになる。
 満開に近い桜の花をじっくりと眺める。
 桜の花が こんなに淡い色合いであったことも忘れていた。
 ネパールやタイの亜熱帯の色鮮やかな色を持つ花を見慣れた眼には 
 桜の花の淡い色彩に憧れる日本人の美意識が不思議なもののように思われてくる。
 ネパールなら紫色の妖艶な花の咲くジャガランダ、タイなら華やかな黄色のゴールデンシャワー、
 それは春ではなく夏を告げる花だ。

 公園の中央にある広場の両脇にも 桜の花が咲き誇り、
 その桜の木の下では 春休み中の子供を連れた家族連れが 花見を楽しんでいる。
 春爛漫の日本の季節の行事である。
 週末は 桜の花も満開、この公園に 大勢の花見客が訪れるに違いない。
 静けさの中で 桜の花に囲まれるなど夢の中の出来事だ。

 ネパールやタイの色鮮やかな花は 記憶に深く刻み込まれるが、
 淡いほんのりとした桜色の桜の花に囲まれた記憶は その花の色同様に薄れていくものだ。
 どうも桜の花は 心の目で見ているような気にすらなる。
 だから、春になると 桜の花に憧れ、桜の花に 日本での記憶を重ねるのかもしれない。

 桜の木の下に群がっている子供たちを見ても 桜の花を眺めている子供はいない。
 あたり一面に咲き誇る桜の花の気配を感じているだけである。
 咲き誇ることで 強烈な自己主張をしているように思えるが、
 実は 雰囲気しか 感じさせないのも 桜の花の特徴である。
 人々は 桜の持つ雰囲気の中で 桜の花を感じ取っているだけだ。
 それと同時に 雰囲気の中で 生きているというのも 日本人の特徴だ。
 なんとも不思議な花であり、国民である。

 春爛漫の雰囲気の中に浸り、帰りは古本屋に寄ってみた。
 新刊本など高くて手が出ない。
 いつもなら、1冊105円の文庫本に手を出すだけだが、
 近頃 話題になっている佐藤優著 『国家の罠』があった。
 定価の半額、消費税込みで850円 ちょっと気になる支出であるが、買うことにする。
 近頃の日本は おかしなことが多すぎる。
 その手がかりを この本は与えてくれるかもしれない。


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徒然なるままに | 21:23:15 | Trackback(0) | Comments(0)
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