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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐05 チャオプラヤ川へ
バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐05 チャオプラヤ川へ 2

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐05 チャオプラヤ川へ 1

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐05 チャオプラヤ川へ 3

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐05 チャオプラヤ川へ 4

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐05 チャオプラヤ川へ 5

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐05 チャオプラヤ川へ 6

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐05 チャオプラヤ川へ 7

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐05 チャオプラヤ川へ 8

 中国人の作った古めかしい木造の棟割長屋風の商店のある区域を抜けると、主要道路に
 ぶつかる。
 その道路を渡ると、瀟洒な木造の家屋が眼に入ってくる。
 まるで アガサ・クリスティのおばあさん探偵 ジェーン・マープルの住むセント・
 メアリ・ミード村に出てくるようなイギリスのビクトリア朝風な木造建築である。

 マラッカ王国を征服したイギリスは シャム王国に 通商を迫り、1855年 シャム
 王国との間にボウリング条約を締結する。
 これは シャム側が イギリスに対して治外法権を科せられた不平等条約だった。
 イギリス人のみならず、イギリスの植民地からやってきたインド人に対しても
 治外法権が適用され、彼らが 罪を犯しても タイの法律では裁くことが出来なかった。
 そのため バンコクの治安の悪化に 拍車をかけることになったのである。
 同様のことをフランスもシャム王国に強要し、そのことが原因で、
 タイ人のヨーロッパ人に対する引け目が生まれたのかもしれない。

 そんな時代の名残をこの建物は象徴しているようだ。
 増え続けるイギリス人、インド人にとっては バンコクは天国のような場所だったのである。
 そのイギリス様式の木造の建物は 今はこの地域の役所として残っている。

 ここから再び運河に向かい、運河沿いの歩道に下りてゆくと バーン・ラムプー運河の
 由来を書いた案内板がある。
 このバーン・ラムプー運河、そしてそれに続くロップ・クルン運河が出来る前の
 ラッタナーコウシン王朝の初め頃は、街を囲む外壁があり、外側は 市外地だった。
 疫病などが流行して、多くの死者が出れば 外壁の外に遺体は打ち捨てられたようだ。
 その街の外壁に沿って、運河が造られたのである。

 バーン・ラムプー運河の始まりになる運河の中には 昔、運河を埋め立てようとした
 工事の杭がそのまま打ち捨てられている。
 先の方では何やら 大掛かりな工事も行われているようだ。
 運河の歩道に沿って歩いていくと、意外と新しい建物が並び、建物の並びのところどころに
 ゲストハウスやホテルもある。
 外国人旅行者の溜り場であるカオサンロードにも近いあたりで、カオサンロードは
 運河の向こう側に位置する。

 更に歩道を歩き続けていくと、運河に架かる太鼓橋のような橋があり、その橋を越えると 
 チャオプラヤ川河畔の公園に出る。
 ここにも大砲を備えた城砦がある。

 公園の中を抜け、チャオプラヤ川の岸辺に近づく。
 のんびりと悠々と川は流れている。 
 川の対岸には 昔の貴族の屋敷が見えるが、半年前とは違って、
 お化け屋敷のようだった建物のペンキが塗り替えられ、装いを新たにしている。
 一体に何に使われることになったのだろう。
 この建物は フランス、イタリア風な建物である。
 ラーマ5世の時代には イタリア人の建築家が バンコクにある建物の建築を
 手がけている。
 昔は 学校としても使われていた時期もあったという話も聞いた。
 ツーリストのあまり行くことのない対岸のイーカン地区であるが、昔ながらのバンコク庶民の
 生活が色濃く残っている地域で、昔懐かしい東京の下町を思い出させるような場所である。

 チャオプラヤ川の川面を吹く風にあたり、日中の暑い陽射しで火照った身体に涼を与える。
 この時期、昼間歩き回れば、水分が抜け、ダイエットにはなるが、ちょっときつい。 

 すぐ近くのチャオプラヤ川に接する運河の入り口付近では 近所の子供が 
 気持ちよさそうに水遊びを楽しんでいた。
 バンコクの学校は 今は 新学期までの長期休暇である。
 昔から 庶民の子供たちにとっては 川は 暑い夏をやり過ごす楽しみの場所だったのだ。
 少しでも運河の水の汚れを消し去り、水の都 バンコクのイメージを
 回復してほしいものである。



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バンコクの運河 | 20:52:09 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 帰国まであと1週間
 あと1週間のバンコク滞在を終えれば、再び日本への帰国になる。
 寄る年波か 1ヶ月単位で 国を変えて生活することに疲れを感じるようになって
 しまった。
 ネパールのカトマンズ滞在も1ヶ月、今回のバンコク滞在も約1ヶ月、だんだん異国の
 生活に慣れてきたと思ったら、次の国への移動になる。
 せめて、一つの国に3ヶ月は 滞在したいと思うようになってしまった。
 
 若い頃 ネパールに3年ばかり住んでいたころは 3ヶ月ごとにヴィザの延長のために
 インドに出国し、再びネパールヴィザを取り直すという繰り返しだったが、のんびりと
 したカトマンズの生活の中でネパールボケしてしまう脳みそに刺激を与えるには 
 インドへの旅も 効果的で飽きることはなかった。
 インド人の持つバイタリティから多くのエネルギーをもらっていたような気がする。

 カトマンズ、バンコク、東京と移動していくと 人間の生き生き度に大きな違いがあり、
 カトマンズ、バンコク、東京に移動するにしたがって、人間の生気が失われていくのが
 よくわかり、その違いに従がって 私の生気も 失われていく。

 東京に帰れば、4月20日から26日までの1週間の展示会 『アジアの布展~ラオス
 からブータン』の準備に追われることになり、その準備のために 部屋にこもった生活 
 になってしまう。
 前回の展示会の結果があまりにひどかったから、どうもやる気がいま一つといった
 感じなのである。

 私の持っているブータン布、インド刺繍布、ラオスの布などを すべて買い上げて
 くれる博物館やコレクターがいればいいのだが、それも難しい。
 展示会を無理してやっていくのも、自分の持っている布の存在をアピールすると
 意味合いがあるのだが、なかなか効果的には進んでいかない。
 それも悩みの一つである。

 バンコクの政治状況も 相変わらず落ち着かず、タイの民主党を中心とした現政権と
 亡命中のタクシン元首相を支持する政党との間で 中傷合戦が始まっている。
 世界金融危機の影響もまだ表立ってはいないが、これから徐々に現れてきて、
 バンコクの治安にも影を落としていくだろう。

 先日も MBKセンターの7階にある映画館の周りのレストラン街を眺めてきたが、
 日本食の富士レストランやタイすきのMKすきレストランなども まだまだ盛況で
 驚いてしまった。
 2,3人で行って ビールでも飲めば、軽く千バーツは超えてしまうレストランで
 結構多くのタイ人が 食事をしているのだ。
 この頃のタイ人は 贅沢である。
 タイ人特有の見栄っ張りという側面もあるのだろうが・・・。
 全く宵越しの金は持たないという刹那的なタイ人の気質が こんなところにも窺われる。

 お金がなくなれば、タイのインスタントラーメン ママーをしこたま買い込み、
 月末をインスタントラーメンでやり過ごすのだろう。

 そんなバンコクもあと1週間、暑さが日増しに増してくるバンコクを離れるには
 いい時期かもしれない。



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徒然なるままに | 12:09:57 | Trackback(0) | Comments(1)