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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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バンコク バンコクの今
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 バンコクでの生活も 2週間になった。
 日を追うごとに暑くなっていく気候には いささかうんざりし始めている。

 タイも 世界の金融危機のしわ寄せを受けているはずなのに 
 巷の様子には 以前と さほど違いがあるようには思えない。
 タイのニュースでは 失業者の増加が伝えられているが、人々の生活や顔つきを見ても
 そんなに深刻な様子が見られないのはどうしたことだろう。
 タイ特有の感覚 「マイペンライ」で乗り切っていくのだろうか。
 タイ人の大半は 職場を永久就職の場とは考えていないから、失業すれば、他の仕事を
 考えればいいぐらいに思っているのだろうか。
 日本人のように仕事一筋に生きがいを見出す人たちではなく、
 何よりも生活を楽しむことが大切な人たちだ。

 タイ人といっても いろいろだから一概に言えないことも確かだ。 
 バンコクの中産階級以上の人たちは 中国人との混血の人が多い。
 バンコクは 2百年以上前は 中国人の町だった。
 そこに ビルマとの戦いに敗れた貴族たちが バンコクに逃れてきて トンブリ王朝、
 そして、今のラッタナコウシン王朝を創始したわけであるが、バンコクの中国人は
 王族や貴族たちの後ろ盾がほしかったし、王族・貴族たちは 中国人の経済的な能力、
 そして、その財がほしかった。
 それを可能にしたのが、王族・貴族と中国人との通婚だったように思われる。
 それがバンコクの上層階級を形成して行き、今の支配階級である。
 第2次世界大戦以降に 出稼ぎにバンコクにやって来た中国人たちは 
 タイでの国籍獲得のために バンコクのそれほど裕福でない人々と通婚し、
 バンコクでの生活の基礎を作り、彼らがタイの中産階級にのし上がっていったと
 言っていいだろう。

 この二つの階級の人々は 別として、タイの一般庶民は 中国人とは通婚しなかった
 地方農民であり、バンコクでは地方から仕事を求めて出てきた人々で、これらの人々が
 タイの7,8割を占めるだろう。
 こうした人々の生活は いつだって安定していないし、定職につくことも少ないし、
 定職についても 職場の雰囲気が気に入らなければ、さっさと仕事をやめ、別の仕事を
 探す人々だ。
 こういう人たちこそが タイの『マイペンライ』型の人たちだ。
 お金があれば、酒を飲んで生活を楽しむが、なければ、インスタントラーメンで食事を
 済ませる人たちだから、なければ困るが、先に述べた二つの階級の人々に比べれば、
 不況もさほど深刻な状況にならないようだし、犯罪が増加しても、
 実際、犯罪者のターゲットは 二つの階級の人々だ。
 観光客も犯罪者のターゲットにならないように気をつけたいものである。

 夕方 通りを歩いていても 酒を飲ませる屋台や店は盛況だし、どこが不況かと
 思わせるし、路上、広場での商いも不況など どこ吹く風でいつもどおりだ。

 夕方遅く市場に行けば、1品10バーツの安売りの惣菜も手に入る。
 この惣菜を2,3品買って、ご飯を炊けば、2,3人での食事には充分である。
 こんなものを食べていれば、最低限の生活費で生活できる。
 庶民の特権である。

 いつも MBKセンター(マーブンクロン)近くで見かける犬たちもよく肥えている。
 まるで 豚のように太っている。
 タイ人のいたずらか 今日はサングラスをかけて のんびりと地面に腹をつけ、
 寝ていた。
 犬たちにもまだまだ 不況の影響は出ていないようだ。

 街中での建築ラッシュも 止まっていないようだ。
 ただ、マンションのディスカントセールは 始まっているようだが…。



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徒然なるままに | 14:00:22 | Trackback(0) | Comments(2)
バンコク プラカノン運河の寺院‐04 運河の岸辺にて
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バンコク パラカノン運河の寺院‐04 運河の岸辺にて 7

 ワット・マハブットの寺の中も 充分に見て回ったので、帰りは 暑い通りを避けて
 定期水上船に乗って プラカノンへ出ようと思い、寺の船着場で 水上船を待つ。

 運河の対岸には 小さな水上集落がある。
 木造のバラックにも近い造りの家々だ。
 暑い午後、人々は 運河の涼しい風を求めて 岸辺近くでのんびりと座り込んでいる。
 どうも人々の様子を見ていると、ナンナークの家、ワット・マハブットとのかかわりで
 生活の糧を得ている人たちのようだ。
 ボートに乗って 岸辺近くで魚を採っている人たちは タンブン(徳を積む)のための
 運河に逃がしてやった魚を 再び捕まえ、寺の中で 参拝者に売りつけるようだ。

 ナンナークの話は 今から140年前の話だが、その頃は このあたりに住む人々も
 少なく、夜ともなれば、幽霊でも出てくるような暗い闇が支配していたはずだ。
 時代は ラーマ4世の時代、プラカノン運河が整備され、それに伴って人々が
 少しずつ入り込んできたのだろう。
 
 ワット・マハブットの近くで運河は二手に分かれ、目の前の運河は再びチャオプラヤ川 
 に向かい、もう一つは ペチャブリ方面へと向かい、センセーブ運河に合流するらしい 
 が、今ではそちらへ向かう定期水上船はなくなっている。
 運河が交通の要であった時代には、このあたりは 運河の要所だったのかもしれない。
 目の前の水上集落の人々は 船で行きかう人々に食事でも出していたのかもしれない。
 あるいは 運河の水の中に棲む魚を採り、生計を立てていたのかもしれない。
 水は澄み、洗濯も炊事もこの運河の水で事足りていたに違いない。
 目の前の水上集落の家々で生活している人々ののんびりした姿が 140年前の
 バンコク人々の生活へとつながっていくような気がする。

 流れゆく運河を眺め、人々の生活する姿を見ているうちに 30分以上も経って
 しまったが、定期水上船は やってこない。
 川面を吹き渡る風は 心地よいが 湧き出た汗は 乾かず、気持ちが悪い。

 船を待つか、歩いて再びプラカノンへ戻るか 迷っていたが、結局、暑い通りの中を
 歩くことにした。

 喉も渇いていたが、プラカノンの船着場の近くでいつものおばさんの作る氷菓子を
 思い浮かべながら、プラカノンを目指した。
 おばさんは いつもと同じ様子で 氷菓子を作っていた。
 しかし、おばさんの店も閉店に近く、カキ氷の中に入れる具の種類は 少なく、
 好みの具はなかったが、とにかく喉の渇きを癒す必要があった。
 おばさんの作った氷菓子を食べながら、やっと暑さから解放された気持ちになった。

 目の前の行きかう人々を眺め、あたりの昔ながらの雰囲気を残す街並みを眺める。
 こんな街並みの中に 日本人である私が 独り 氷菓子屋の椅子に座り込み、
 氷菓子を食べている。
 タイとのかかわりが始まって25年、こんな昔ながらの雰囲気の残る場所に座っている
 自分のことを考えると 私の25年間の時の流れは どこに向かって進んでいるか
 わからなくなる。
 お前は とんでもない阿呆ではないかと 自分に向かって問いかけたくなってしまう。

 氷菓子屋の椅子から立ち上がり、あたりの光景に自分を馴染ませながら、バス停に
 向かった。 


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バンコクの運河 | 02:34:58 | Trackback(0) | Comments(0)