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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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バンコク どんどん暑くなるバンコク
バンコク どんどん暑くなるバンコク 1

バンコク どんどん暑くなるバンコク 2

バンコク どんどん暑くなるバンコク 3

バンコク どんどん暑くなるバンコク 4

バンコク どんどん暑くなるバンコク 5

バンコク どんどん暑くなるバンコク 6

バンコク どんどん暑くなるバンコク 7

バンコク どんどん暑くなるバンコク 8

 雨期に入るまでの3月から5月までは 気温はうなぎのぼりのバンコクである。
 ここ何年かは この暑い時期は バンコクを避け、ネパールのカトマンズにいたように
 思う。

 朝も11時を過ぎると 部屋の中にいても暑さを感じるようになる。
 こんな時は あえて外に出て 昼飯でも食べに行くことにしている。
 朝昼兼用の昼飯である。
 アパートを出て 運河を渡り、このあたりの下町へと向かう。
 運河に架かるサファン・フア・チャンの橋の上から 運河を眺めると、
 今までサンセーブ運河では見かけたことのなかったごみ収集船が ゴミを集めている。
 1ヶ月前は センセーブ運河の水はどす黒く濁り、悪臭すら漂わせていたが、
 今は 水の量も増え、その濁りも以前ほどではない。
 どうもチャオプラヤ川の水門を開け、川の水を引き入れているようである。
 運河の水がきれいになったといっても 東京の運河の水のように澄んではいない。

 橋を渡り、アジアホテルの横を左に曲がり、このあたりの下町情緒の残る界隈に
 入っていく。
 いわゆるこのあたりの下町の繁華街の通りの一本手前の通りに入り、そこから路地に
 入り、市場の中に入っていく。
 その路地は 長屋のようになっており、暑いバンコクのこと、どの家も開けっ放しで
 人々が ご飯を食べていたり、仕事をしていたりの姿が眼に入ってくる。
 路地を抜けると そこは市場になっている。
 野菜、肉、惣菜と料理に必要なものは ここで何でも揃えることが出来る。
 今日は 地鶏と並んで 丸々と肥えた蛙の皮をむいたものが売られていた。
 昔、田舎で食用蛙を捕まえては 父親が 醤油につけて あぶって食べていたことを
 思い出した。
 私も食べたことがあるが 鶏肉のような味わいだった。

 市場を抜けて 目抜き通りに向かうと 中国正月の名残か、簡易な中国廟が造られて
 おり、京劇めいた舞台も設えられていた。
 今日のお目当ては 牛煮込み麺である。
 目抜き通りがペチャブリ道路とぶつかる通りの入り口に 昔ながらの姿を残している
 中国人の牛煮込み麺の店がある。
 醤油味のスープの中に麺を入れ、煮込んだ牛の内臓、牛肉、筋肉と一緒に食べるものだ。
 今日は センミー・ナーム ヌア・プアイ・ヤン・ディアオと注文して、ビーフンと
 牛肉の煮込みを入れてもらう。
 朝昼兼用だから、2杯も食べてしまった。
 1杯30バーツ、2杯食べ、冷茶を飲んで 62バーツ ちょっと贅沢をしてしまった。

 満腹したところで、のんびり路上で売られている果物を見て歩くが、私の好きなソム・
 サイ・ナーム・プン(蜂蜜入り蜜柑)も時期も終わりに近づき、値段も高い。
 この時期は 私の好きな果物が少ないのだ。
 マ・カム、大きなギャバ、スイカ、マップラーンと呼ばれる枇杷のような果物もあるが、
 値段を聞くと、1キロ200バーツ、高いと声を上げると、産地のナコンナイヨクでは
 300バーツだと言ってくる。
 予算外の値段、仕方がないので 小さなスイカ半分を20バーツで買い、手にぶら下げ、
 イスラム教徒の集落 バーン・クルアの中を通って家に帰る途中、古い民家の前を
 通り過ぎようとすると、家の中から知り合いのおばあさんが 
  「どこに行ってきたの」と声をかけてきた。



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徒然なるままに | 12:40:36 | Trackback(0) | Comments(2)
カトマンズ 川辺のラーマ寺院と井戸
カトマンズ 川辺のラーマ寺院と井戸 1

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カトマンズ 川辺のラーマ寺院と井戸 6

カトマンズ 川辺のラーマ寺院と井戸 7

カトマンズ 川辺のラーマ寺院と井戸 8

 今年のカトマンズの水不足は 例年になく、ひどい状態である。
 自宅を持たない間借り住まいのカトマンズ庶民たちは 洗濯、食事後の洗い物の
 水を求めて右往左往している。
 政府から供給される5日ごとの1時間の水道水の供給では 焼け石に水といった
 状況だ。
 その上、春から夏にかけての季節も変わり目に降る雨も降らず、いきなり季節は
 夏へと突入してしまった。

 降らない雨は 街のところどころにある救いの神であったドゥンゲ・ダーラ(マッラ
 王朝時代に造られた石造りの共同水場)にも大きく影響を与え、水の出ないドゥンゲ・
 ダーラも増えてきている。
 土地付の家を持つ金持ちたちは 井戸を掘り、地下水を汲み上げ、水不足に対応して
 いるが、貧しい庶民たちの間借り生活では そんなことも出来ない。
 水の手に入る場所では どこでも庶民たちの人だかりである。

 バグマティ川の岸辺に沿って散策していると 水の湧き出る場所を利用して、
 洗濯に精を出す人々の姿を見かけるのが カトマンズの風物詩と行っても良い。

 バグマティ川のカトマンズ側には 水の湧き出る井戸が少なく、あっても湧き出る水の量が
 少なく、狭い水場で 押し合うように洗濯している人たちを見かける。
 私はいつも顔を出す川辺の寺院 シバ寺院の近くに ラナ家が150年前に建てた
 インドの叙事詩 ラーマーヤナで有名なラーマ神を祭ったラーマ寺院がある。
 その先に広場があって、その広場のすぐ下の川べりに 小さな水場がある。
 朝から夕方まで 洗濯する人、水を汲みに来る人で絶えない水場だ。
 混みあうと 水場が空くまで 広場に座り込み 順番を待っている人も大勢いる。

 その広場には 水の出る二つの井戸があるが 錠がかけられており、
 水不足に苦しむ庶民には 解放されていない。
 この二つの井戸が この広場のすぐ近くにあるラーマ寺院のもので 
 寺院のためにしか使用が 許されていないのである。
 バグマティ川の岸辺には チェットリ・バウン族の支配体制を確立したサハ家、ラナ家 
 の建てた寺院、火葬場が多くある。
 特に寺院は 民衆のためにというより、自らの権力の誇示のために建てられ、
 民衆の信仰とは遠いものだった。

 ネワール族のマッラ王朝時代に建てられた寺院などは 今なお、カトマンズ庶民、
 特にネワール族の人々に支えられながら、生き続けている。
 寺院の造りも 誰でも入りやすく、近くにはドゥンゲ・ダーラと呼ばれる水場も
 造られ、寺院のすぐそばが 庶民の憩いの場にもなっている。

 ネワール族の信仰の形、すべての人々を受け入れるという姿勢が 寺院の姿にも
 現れているのに対して、王室寺院であったパシュパティナートを頂点したサハ家、
 ラナ家の建てた寺院は 信仰の純粋性を強調して、すべての民衆を受け入れるものでは
 なかった。

 その信仰の形、姿勢というものが 寺院の衰退にも大きく影響を与えている。
 サハ家、ラナ家の寺院を訪れてみても 王室寺院であったパシュパティナート寺院を
 除けば、ほとんど参拝者の姿がないというのが 現状である。
 こんなところにも チェットリ・バウン族による支配体制が 民衆とともにあったものでは
 なかったことが、証明されている。

 水不足で困っているカトマンズ庶民の姿を見ても 水の穢れを嫌って、井戸を
 解放しない信仰とは何か、チェットリ・バウン族の作り出した信仰とは 
 何であったのか、疑問も湧いてくるのである。
 どうもチェットリ・バウン族には 受容・寛容の精神に欠けるようである。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 01:17:27 | Trackback(0) | Comments(0)