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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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バンコクから 寂しい日本人
バンコクから 寂しい日本人

  **タイ人妻に身ぐるみ剥がされた邦人男性、弁護士に助けを求める**

 三重県四日市市出身の日本人男性(54)がピヂット県の弁護士会を訪れ、2歳の娘を連れて
 家を出て行ったタイ人妻(29)やその一族に身ぐるみ剥がされ帰国する費用まで無い状況に
 置かれているだけでなく命の危険まで晒されていると訴えた。

 INN電及びネーション系のタイ語速報によると、男性は約8年前に結婚したタイ人の妻と
 その間に生まれた5歳と2歳の娘と県内で一緒に暮らしていたが、妻に言われるままに
 妻やその両親の為に農地や土地・家屋、車等を購入し総額約1,500万バーツの財産を
 使い果たしてしまった後に 妻に不審な行動が見られ、例えば自分の車をペーチャブン県内の
 有力者(報道により県行政評議会議員)の家に持って行き、車が盗まれたと言って
 取り戻すために必要な50万バーを妻の父親に渡して欲しいと言って現金を詐取しようとしたり、
 ATMカードを勝手に持ち出して一回につき1万バーツを28回(報道により7-8回)に渡り 
 引き下ろしたり、土地の権利証券を無くしたと言って裏で転売する等の行動により全財産を
 失ってしまったという。

 しかし、それだけでなく妻は離婚を持ちかけて財産を分割した上で、更に甘い言葉で
 再度結婚を持ちかけ、男性から財産を絞るだけ絞って、男性が騙されている事を知るや、
 今度は近しい人間を利用して男性の消しにかかり、ある時には見知らぬ者が
 運転する車に轢かれそうになる事があって以来男性は安心して眠れない日々を
 過ごさなければいけない状況にまで陥れられていたという。

 その後、妻が2歳になる下の娘を連れ家を出た際に男性側は訴えないで欲しいとの
 妻の要求を受け入れていたにも拘わらず、妻側が男性の消しにかかる行為を止めようと
 しなかった為、男性が身の危険を感じ日本大使館と相談した上で県弁護士会を訪れたという。

 弁護士会側によると、男性の証言を翻訳した上で4月3日に警察に被害届を提出する
 予定だという。

                        ~『タイの地元新聞を読む』より

 タイで報道された事件らしいが、こんなことはタイでは よくある話なのだろう。
 日本人に限らず、欧米人の中高年者もよくこんな眼に遭うらしい。
 妻名義で家を建てたり、買ったりしたあげく、いつの間にか転売されたりするケースもあれば、
 殺されたりということもよくタイのニュースで報道されている。

 簡単に若い女の子と結婚できる機会は いくらでもあるが、後が怖いというのも
 本当である。
 中高年の日本人男性からすれば、若い女の子と結婚できるということは魅力的なこと
 だろうが、若いタイの女の子からすれば、お金以外に目的はないだろう。
 若い女の子からすれば 遊ぶことを考えても、同世代のもの同士のほうが 楽しいのは
 当然のことである。
 こんなケースは 私がタイに頻繁に訪れるようになった23年ほど前から、
 よく耳にしていたものである。
 異国に何の足場のない言葉すら通じない外国人が タイ人妻の実家近くに 妻名義で
 家を建てて暮らせば、起こりそうな出来事である。

 1年以上前に タイ・ヴィザの書き換えに ラオスのビエンチャンに行ったが、
 その時 出会った日本人・タイ人カップルも危ない関係だった。
 一つのカップルは 50歳代後半の日本人男性と24,5歳の美人のタイ人女性、
 彼女のパヤオの実家近くに彼女名義で土地を買い、パーム油を取り出すためのパーム椰子を
 植え、それでタイでの生活費を稼ぐつもりらしいが、農業経験はほとんどなく、
 彼女の実家のいいなりに 土地を買っている様子だった。
 タイ語はほとんど話せない日本人だった。

 もう一つのカップルは 70歳代の日本人男性と40歳代のラオス人女性で、
 彼女は日本で働いていたこともあるらしい。
 なかなか やり手の女性であることが その様子から見て取れる。
 今はメコン川対岸のタイ側のノンカイにこの日本人の老人と住み、ゆくゆくは
 ビエンチャンにカラオケバーを作る腹積もりで そのための資金を老人に出して
 もらうよう 説得しているようだった。
 この老人もタイ語は話せない。

 したたかなタイ人、ラオス人女性を見ていると、言葉の不自由な日本人男性は、
 まな板の上の鯉のように思えてきてしまった。
 彼らは 今どうなっているのだろう。
 こんな日本人が タイには多くいるのだろう。

 危ないのはタイ人だけではない。タイ在住の日本人だって危ない。
 1年ほど前 パタヤに住むタイ在住日本人の男が 60歳代の不動産業を営む日本人を殺害し、
 3百数十万円を奪った事件があったが、その被告に タイの裁判所で死刑の判決が出た。

 去年の8月にタイ在住のFX取引でお金を持っていた棚橋氏を殺害し、お金を奪った
 犯人浦上も未だに逮捕されていない。

 世知辛い日本を嫌って、楽園を求めてタイにやってくる日本人は後を絶たないが、
 お金で憩いの場所を買おうとすれば、楽園ではなく、地獄が待っていることだってある。
 日本も経済不況、タイだって経済不況、詐欺まがいの犯罪、悪くすれば殺人だって
 あることは肝に銘じておく必要はあるだろう。

 幸せづくりに お金はあったほうがよいが、お金だけでは 幸せは 手に入れることは
 出来ない。
 愛を手に入れることなど なおさら難しい。
 日本で愛を手に入れることの出来ない人間が 言葉も通じないタイにやってきて、
 愛を手に入れることなど至難の業だ。



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タイ事情 | 09:22:29 | Trackback(0) | Comments(2)
バンコク バンコクから東京へ‐04 バンコクから東京へ
バンコク バンコクから東京へ‐04 バンコクから東京へ 1

バンコク バンコクから東京へ‐04 バンコクから東京へ 2

バンコク バンコクから東京へ‐04 バンコクから東京へ 3

バンコク バンコクから東京へ‐04 バンコクから東京へ 4

バンコク バンコクから東京へ‐04 バンコクから東京へ 5

バンコク バンコクから東京へ‐04 バンコクから東京へ 6

バンコク バンコクから東京へ‐04 バンコクから東京へ 7

バンコク バンコクから東京へ‐04 バンコクから東京へ 8
 写真1,2枚目は バンコク スワンナブーム国際空港  
 他の写真は 香港国際空港

 夜 部屋にあった目覚まし時計を午前3時にセットしていた目覚ましの音で
 眼を覚まし、1階ロビーに降りてゆく。
 ホテルの前には 空港への送迎バスが用意されている。
 午前3時半には バスは走り出し バスは5分もしないうちに
 スワンナブーム国際空港に到着する。

 空港の中のユナイテッド航空のチェックイン・カウンターはもう長蛇の列になっている。
 バンコク市内の別のホテルに振り分けられた乗客が 先に到着していたようだ。
 24日出発予約の乗客と25日出発予約の乗客が入り混じっている。
 どうも航空機は1機しか用意されていないようだ。

 2時間半以上 並んで待ち続けて、やっと順番がやってきた。
 私の後ろに並んでいた70歳の男性の分のチケットとパスポートも 一緒に出して
 上げることにしたのが間違いの元で、私のチケット分までは まだ6時40分発の
 ユナイテッド航空の最後の座席は残っていたが、彼の分はなく、ふたりとも 
 別の航空会社に振り替えられてしまった。
 余計なことはするものではない。
 振り返られた路線は タイ航空 午前10時30分発 香港行き、香港で航空機を
 乗り換え、日本航空 15時25分発 成田到着20時15分というものだった。
 別に急ぐ旅ではなく、酒の有料のユナイテッドより 酒の出るこれらの航空会社で
 のんびり帰るのもいいだろうという気にもなってしまった。

 再び 朝食クーポン券をもらい、70歳の男性と一緒に 2階にある食堂街へ
 朝ごはんを食べに行く。
 昨日と同じ 同じレストランで 同じ冷やし中華を食べる。

 早めにタイ航空のチェックイン・カウンターで香港行きのチケットをもらい、
 荷物を 東京行きの日本航空に積み替えることを確認する。
 すぐに 出国手続きを済ませ、タイ航空 香港行きの搭乗口へと向かう。

 70歳代の男性も私もヘビースモーカーなので 喫煙室のある休憩所の近くに座り、
 出発まで時間をやり過ごす。
 周囲を見渡すと、今までは気がつかなかったが 無料でインターネットの利用できる
 コーナーがある。
 1日遅れのユナイテッド航空で帰ると 日本に連絡しておいたので 
 航空便の変更のメールを送る。
 ここも書き込みは 英語とタイ語だけである。

 10時過ぎにタイ航空 香港行きの搭乗が始まり、予定通りに出発、缶ビールと
 ワインでいい気持ちになっているうちに 航空機は 14時30分 香港国際空港に
 到着、空港内のトランジット・カウンターへと急ぐ。
 日本航空の東京行きの出発時刻は 15時25分 1時間しか時間はない。
 ここでチケットを受け取り、搭乗口へと急ぐ。

 空港の建物は バンコクのスワンナブーム空港によく似ている。
 スワンナブーム空港を造るときに、この空港を真似たのかもしれない。
 この空港も 暖かみのない空港ではあるが、スワンナブーム空港のように
 延々と歩く必要はないようだ。
 搭乗口に着くと、搭乗が始まっている。
 やっと 日本へ向かうことが出来る。
 航空機は 少し遅れながらも 日本に向かって飛び立った。
 どういうわけか、機内は暑い。
 不満が誰からも出ないのは 自分だけが暑く感じているのだろうか。

 ワインを飲み、機内食を食べ、うつらうつらしているうちに 
 航空機は成田に近づき、予定通り、20時15分 航空機は 成田に到着した。
 荷物も無事受け取り、外に出ると、WBCの日本チームの到着と重なり、足止めを
 食らってしまった。
 いつもは空いている京成電車も 家に帰るWBCの日本チーム歓迎の日本人で混み合い、
 降りる駅まで立ち続けたままだった。



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徒然なるままに | 20:25:09 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 寒い東京、心まで寒くなる
東京 寒い東京、心まで寒くなる

 3月下旬に帰国したのは 一体何年前のことだろう。
 こんなに寒かったのだろうか、春爛漫を期待して帰国したが、全くの期待はずれ、
 バンコクの日中35度以上の暑さから、いきなり 日中10度前後の寒さでは 
 身体がついていかない。

 前回の帰国の際は 11月初めに帰国し、12月の寒さに向けて、少しずつ身体を
 慣らしていったから、寒さにも我慢できた。
 年を取ると 適応力は低下し、寒さのために 血液の循環が悪くなり、肩こり、
 筋肉の痛み、関節の緩み、頭痛と 体調はおかしくなる。
 あと1週間は この状態を我慢するより仕方ない。

 かといっても 4月20日から4月26日に開催する『アジアの布展 ~ ラオスから
 ブータンへ』の準備はしていかなくてはならない。
 展示会場になる神田小川町の染織ギャラリー「TEORIYA」に行き、81歳のオーナーと 
 の打ち合わせも済ませた。
 81歳とは思えない元気さで、2月には インド ジャイプールへ行き、ブロック
 プリントの作業場を見学して来たという溌溂さである。
 次には ネパール行きを計画していると言う。

 DM(展示会の案内状)の原版も作り、印刷会社にも注文し、来月初めには 出来上がる。
 あとは、ブータンの古い布、ラオスの古い布、洋服類、小物類を 出してきて、
 手入れをしなくてならない。
 そして 布の説明文を書き、値段付ける これらの作業が1番厄介である。
 これらは これからの作業である。

 こんな状態の中で 今の日本はどうなっているのだろうと テレビをつけてみる。
 次々にチャンネルを回してみるが その劣悪さには驚いてしまう。
 グルメ番組、お笑い番組、昼間のワイドショー、こんな番組を日本人は喜んで
 観ているのだろうか、こんなものを毎日見続けていれば、人間は確実に白痴化して
 いくのではないかと心配になる。
 こんなテレビ番組の情報、常識をもとに 世の中の出来事を判断していけば、
 社会は確実におかしくなるだろう。

 民主党の小沢党首の献金問題でおいても然りである。
 政治家の献金問題を取り上げるなら、すべての政治家に及ばなければ、公平ではない。
 政治団体を隠れ蓑にして企業献金を受けている政治家は 自民党の方が 金額的にも
 はるかに多いだろう。
 次の選挙次第では 政権交代の可能性のあるこの時期に 何故 民主党の小沢党首を
 検察も集中的に捜査するのか、その辺に不可解なものを感じてしまうのは 私だけで
 あろうか。
 私は別に民主党支持者でもなければ、自民党支持者でもない。
 ただ戦後60年以上続いた自民党政権がもたらしたこの政治的な澱んだ閉塞的な状況に
 政権交代をいう形で 風穴を開けてほしいだけである。
 政治家、官僚、そして企業が癒着し、営利ばかりを優先させ、国民の生活を
 ないがしろにしているこの社会に変化をもたらしてほしいと思うだけである。

 新聞やテレビの一方的な報道振りにも驚く。
 世論調査というわけの分からない方法を用いて、世論を誘導しようと怖さもある。
 討論会というスタイルを用いても 議論を戦わせるのでなく、片方側の論客だけを集め
 それに異議を唱える側を呼ばない。
 報道の公平さ、良識など期待することも出来ない。
 どこの新聞社もテレビ局も企業のひも付きになっており、自由な報道など、どこにも
 見られない。

 まだネパールやタイの方がまともである。
 政府を支持する報道機関と 反政府側を支持する報道機関の両方があり、
 その二つの報道を付き合わせれば、何かしら報道する側のそれぞれの意図が見えてくる。
 今の日本では どうもそれが出来なくなっている。
 報道機関の自民党、民主党支持というより、企業論理によって動かされている姿が
 見え隠れしている。
 新聞が 庶民の味方という時代は もう遠い過去の時代だ。
 国は その国の国民のレベルで運営されていくものだ。
 報道操作によって 国民が誘導出来るなら、これほど楽なことはない。

 「働けど働けど、なお、わが暮らし楽にならざる、じっと手を見る」
 石川啄木のこの言葉以上の世の中になってきた。
 働きたくても 仕事のない世の中になってしまってきている。
 こんな世の中を変えてくれるのは 誰なのだろう。
 自分の味方すら、見極めが出来ないのなら、流されるよりは仕方ないだろう。



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徒然なるままに | 00:38:32 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク バンコクから東京へ‐03 ホテルにて‐02
バンコク バンコクから東京へ‐03 ホテルにて‐02 1

バンコク バンコクから東京へ‐03 ホテルにて‐02 2

 ホテルに帰ってくると 昼食の用意がされている。
 朝食を食べた場所とは 別の場所にユナイテッド航空から送られてきた客専用の
 場所が用意され、食事のレベルも1段低くしている。
 ホテル側からしても ユナイテッド航空から支払われるお金の範囲内で利益を
 出す必要があり、一般の客と同じ条件でというわけには行かないのだろう。

 今日は朝から WBCの日本対韓国の決勝戦のことで、ホテルに泊まっている日本人の
 間で持ちきりだった。
 近頃では 日本には勝ってほしいとは思うが、それほど熱意を持って 
 そうした国際試合を見る気持ちもなくなってしまっている。
 北京オリンピックも見たが、それほど感動を与えるものでもなかった。
 自分の日本人であるという意識が この25年間の生活の中で変わってしまっている
 のだろう。
 生活の場所が日本ではないことが 原因なのだろう。
 又、野球の盛んな国が ベストチームを組んできているわけでもなく、
 そんな中で優勝したことが それほど素晴らしいことのようにも思えない。
 ついつい覚めた眼で見てしまう。
 世界の野球の一流選手が揃い、その力を競ったわけでもないのに、
 何を大騒ぎしているのだろうと思ってしまうのである。
 この頃では どうも素朴にスポーツを楽しむことが出来なくなっている。

 ホテルに足止めされることで 出会った人々はこんな人たちだった。
 
 空港に一緒に行った70歳の男性、仕事を退職してからの10年間、
 年3回ばかり アジアを中心に一人旅をしているようだ。
 しかし、話題の中心は 女のことである。
 カトマンズの話をしても 女はどうなっているということが大きな興味である。
 話せば、話すほど 話題がなくなっていく。
 タイを中心に何度も旅をしている中高年層にはこうした人も多い。
 退職前に何をしていたのか 訊ねても話そうともしない。

 卒業旅行でやってきている大学生、1年フリーターとして仕事をし、お金を貯めて、
 東南アジアにやってきている若者、そうした若者相手に自慢話に夢中な40歳代後半の
 株や為替相場で生活している男、アジアの都市のどこでも出会うタイプの人間たちだ。

 私にとっては あまり立派なホテルはどこか居心地が悪い。
 ここ25年間 安ホテルばかり泊まっていることからくる貧乏性のせいだろうか。
 インド、ネパール、タイでも一歩ホテルの外へ出れば、街の匂いが身体を包み込む。
 その国の人々の生活の姿が 眼の中に飛び込んでくる。
 ご飯は 地元の人たちの中に座り込んで 街の中の屋台や食堂で食べる。
 そういう方が 気楽で落ち着くことが出来る。
 そういう場所のほうが 自分の居場所のように思える。

 ノボテル・エアポートホテルの窓から、夜景を眺める。
 生活の匂いなどどこにも感じられない無機質な風景が広がっているだけである。
 以前のバンコクの国際空港ドンムアンは 空港の周りには バンコク庶民の生活場所が
 あった。
 お金のない旅行者には やさしかった空港である。
 ドンムアン空港からスワンナブーム空港への移転は タイ社会の大きな変化を
 象徴しているようだ。
 物価高、貧富の格差、タバコや酒の規制、金持ちに優しく、
 貧しい人たちには厳しい社会へと変わっていった。



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徒然なるままに | 09:40:49 | Trackback(0) | Comments(2)
バンコク バンコクから東京へ‐03 ホテルにて‐01
バンコク バンコクから東京へ‐03 ホテルにて‐01 1

バンコク バンコクから東京へ‐03 ホテルにて‐01 2

バンコク バンコクから東京へ‐03 ホテルにて‐01 3

 ビュフェスタイルの朝食を終え、ロビーで1時間半ほど座り込んでいると、
 やっと部屋割りが始まる。
 ユナイテッド航空から送られてきた客は すべて5階の部屋に入れられるようだ。
 2階から5階までが客室で 客室の数は 500室くらいあるようだ。
 カードキーをもらい、割り当てられた部屋へと向かう。
 カードキーを使って ドアを開け、部屋の中に入る。
 浴室、部屋の調度と申し分ないが、冷蔵庫のある場所には鍵がかかり、
 使えないようにしてある。
 会計の面倒さを省くためである。
 以前、バングラディッシュ航空でフライトのキャンセルがあった際、多くの客が
 用意されたホテルの部屋の冷蔵庫の飲み物やおつまみをただと思い、好き勝手に
 飲み食いし、空港にバスが向かう途中で ホテルから連絡があり、
 その支払いのためにホテルに再び、引き返したことがあった。
 客の大半は 出稼ぎのバングラディッシュ人で 旅慣れていない人だった。

 部屋に入り、ほっとして タバコを一服吸おうとするが、灰皿がない。
 部屋の中を探していると、『この部屋は ノー・スモーキング・ルームである』と
 書かれたカードを見つける。
 前にノボテルホテルでは タバコの臭いを嫌う客のためにそんな部屋を用意していると
 耳にしたことがある。
 ユナイテッド航空からの客は すべてノー・スモーキング・ルームに割り当てたようだ。
 ふざけた話である。
 タバコを吸いたくなるたびにエレベーターで1階まで降り、そしてホテルの外で
 タバコを吸う羽目になった。
 部屋を替えてくれるように頼んだが、フロントの人間は 受け付けない。
 変なところに落とし穴があるものだ。
 三食昼寝付きは嬉しいが、これには困った。

 ホテルの外でタバコを吸い、再び部屋に帰り、3ヶ月振りに浴槽に入る。
 ネパール、バンコクでのアパートの生活では シャワーを使うだけだったから、
 これだけは嬉しい。
 お湯もたっぷり出るし、石鹸など何でも揃っている。
 シャワーだけでは落ちなかった垢が きれいさっぱりと落ちていくようだ。

 さっぱりしたところで 再びロビーへ下りて行く。
 インターネットでメールを送る必要がある。
 ホテルでのインターネットの使用料は 30分 150バーツである。
 バンコク市内のネットカフェの5倍の値段である。
 馬鹿らしいので ホテルのボーイに空港へ行く方法を訊くと 
 ホテルの送迎車が無料で運行されていると言う。
 同じフライトに乗る予定だった70歳くらいの男性も 暇を持て余していたようだったので 
 一緒に空港まで行くことになった。

 私は空港で インターネットでメールを送るつもりだったので インターネットが
 出来る場所を探したが、ここでは 20分 100バーツ、ホテルと同じである。
 しかし、日本語での書き込みは出来ない。
 書き込みに使えるのは 英語とタイ語だけである。
 年間100万人近くの日本人が訪れるというのに、配慮がない。
 それは 日本人ということだけでなく、韓国、中国人の観光客も多いのであるから、
 国際空港の中のネットカフェなら、もっと利便性を考えるべきである。
 こんなところにも欧米に対するタイ人の憧れ、その裏返しの劣等感を感じてしまう。
 百年以上前の不平等条約 ヨーロッパ人に与えた治外法権の影響は大きい。
 日本人にも同じようなところはある。

 空港の中を少し動き回り、再び ホテルに帰るための送迎車に乗り込むと、
 日本人の若者が乗り込んでくる。
 話を聞くと 朝早く空港にやってきて フライトがキャンセルになったことから、
 少しパニックになり、そのことから、自分の荷物に不注意になり、カメラ2台と
 免許証の入った小さなバッグをなくし、空港内の警察に届出にきたということだった。
 ちょっとした不注意から生じた事件は 旅を不愉快なものにしてしまうものだ。

 最近、このスワンナブーム空港では 外国人旅行者を狙った窃盗グループが入り込み、
 置き引きが多発していると言う。
 航空会社に預けた荷物に関係する空港内の職員が かばんをこじ開け、
 貴重品を奪うという事件もあるようだ。



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徒然なるままに | 00:39:36 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク バンコクから東京へ‐02 24日 空港からホテルへ
バンコク バンコクから東京へ‐02 24日 空港からホテルへ 1

バンコク バンコクから東京へ‐02 24日 空港からホテルへ 2

バンコク バンコクから東京へ‐02 24日 空港からホテルへ 3

 24日午前3時半 タクシーはスワンナブーム国際空港に到着、空港の建物の中に
 入る前に まずタバコを一服、気持ちを落ち着けて 空港の中に入り、航空機の発着
 掲示板を見る。
 チェックイン・カウンターは Kである。
 掲示板の表示には キャンセルの表示はなく 1時間遅れと表示してある。
 チェックイン・カウンターのKに行くと ユナイテッド航空のカウンターがある。
 前後2箇所のカウンターがあり、その一つにしばらく並んでいると、ユナイテッド航空 
 の職員が 私のチケットを見て、このカウンターは 23日にキャンセルになった
 23日発の航空機の乗客のためのもので 24日キャンセルのものは反対側のもう一つ 
 のカウンターであると教える。

 初めからそちらに並んでいれば、よかったと悔やんでしまう。
 もしかしたら、今日帰れたかもしれなかった。
 かなりの人がここでも並んでいる。
 やっと順番が近づいてくる。周りは日本人旅行者も多いが、アメリカに向かう外国人も多い。
 ロサンジェルス行きのチケットを持っている外国人に対しては 振り替えの航空機を
 説明するのに時間がかかるようだ。
 後で分かったことだが、ユナイテッド航空から中国航空に振り替えるようだが、
 そのためにまず タイの北部 チェンライまでタイ国内航空で飛び、
 そこから中国航空で 中国で乗り換え、アメリカに飛ぶようだ。

 私の順番がやってきた。振り替え用の航空機は 香港経由大阪行きしかなく、
 いくらごねても 受け付ける気配はない。
 別に急ぐ旅でもないし 航空会社がホテルを用意してくれるというので 
 1日遅れで帰ることにした。

 午前6時過ぎに ホテルから迎えの車が来るといい、それまで朝食を済ませるようにと 
 クーポン券をくれる。
 5ドル分 170バーツ分の朝食クーポン券である。
 1階下の食堂街で食事が出来るというので 近くにいた学生と一緒に食事をしに行くが
 クーポン券にユナイテッド航空のスタンプがないと使えないというので もう1度  
 チェックイン・カウンターへ行き、スタンプを押してもらい、二人で 再び、1階下の
 食堂街へ行き、日本のラーメン店のような店で 冷やし中華を食べる。
 食べ終わり、もといた出発ロビーに戻ると、ホテルからの迎えの車が来ていた。
 ホテルは 空港の正面にあるノボテルである。
 普通に泊まれば 1泊5000バーツくらいだという。
 こんな機会でもなければ 私にとっては泊まることのできないホテルである。

 トヨタハイエースを改良した送迎車は 我々を乗せて、空港の前の道路をぐるぐると
 大回りしながら、ホテルへと向かう。
 5階建ての緑色の建物が見えてくる。
 外から眺めると ホテルのようには見えず、オフィスビルのような素っ気ない建物だ。
 ホテルは広い野原の真ん中に建てたようなホテルで ホテルの周りには 何もなく
 砂漠の真ん中に建てられたような感じであり、空港のための高速道路ばかりで、
 人間の生活の匂いのするような建物は何一つなく、ホテルの周りを散歩しようにも何もない。
 まるで陸の孤島にあるようなホテルだ。
 トランジットの客のためにあるようなホテルで バンコク市内に行くにしても 
 タクシーを使う以外に方法はなく、それだけでも往復500バーツはかかってしまう。

 ホテルの中に入ると 広いロビーがあり、なにやら小さな公園のような雰囲気である。
 チェックイン時間にはまだ早く、1時間近くロビーで待つとやっと、
 ユナイテッド航空からの客の受付が始まったが、部屋割りはまだである。
 部屋割りの時間まで ビュフェスタイルの朝食が 準備されている。
 空港の中でも朝食を済ませたが、せっかくだと思い、空港で一緒に朝食を食べた学生と
 ホテル内のレストランで再び、軽く朝食である。
 ますます、太ってしまいそうである。

 朝食を済ませ、1時間ぐらいするとやっと部屋割りが始まる。
 どんな部屋が用意されているのか楽しみである。


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徒然なるままに | 08:51:47 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク バンコクから東京へ‐01 帰国前日
バンコク バンコクから東京へ‐01 帰国前日 1

バンコク バンコクから東京へ‐01 帰国前日 2

バンコク バンコクから東京へ‐01 帰国前日 3

バンコク バンコクから東京へ‐01 帰国前日 4

バンコク バンコクから東京へ‐01 帰国前日 5

バンコク バンコクから東京へ‐01 帰国前日 6

バンコク バンコクから東京へ‐01 帰国前日 7

バンコク バンコクから東京へ‐01 帰国前日 8

 3月23日 バンコクから日本へ帰国する前日の日である。
 バンコクは 朝から すっかり真夏の暑さで この暑さから逃れるには
 バンコクを離れることは 好都合である。
 
 インターネットで 日本のニュースを読んでいると 成田空港で 貨物輸送機の
 炎上事故があり、大型旅客機専用の1番長い滑走路での事故であったことを知る。

 私の予約してあるユナイテッド航空のホームページで 私の乗る予定になっている
 便名を調べると キャンセルの表示になっている。

 航空チケットを買った旅行会社に問い合わせると 
 やはり キャンセルになったと言う。
 どうすればいいかと訊ねると 航空会社に連絡してくれたが、何はともあれ、
 予定通りの時間に チェックイン・カウンターに行く必要があると答える。
 そこで他の航空会社の航空機に振り返る必要があるようだ。

 落ち着かない気持ちで 帰国への準備を始める。
 持って帰る荷物をかばんに詰め込む。
 ネパールから運んできた野蚕シルクで織られたキラ(ブータンの民族衣装)
 アイカプール、ルンセルマ、メンシマータを再び かばんに詰める。
 カトマンズの部屋に20年間近くそのまましまいこんでいたものだ。
 今回 運んできたものは4枚だけであるが まだ部屋には同じようなものが20枚近く
 あるし、他にやはり 野蚕シルクで織られたブータンスカーフ ラチュ、カンバール
 などが山のようにある。
 ネパールのカトマンズで 小物作りの材料、洋服の部分として使おうと思い、
 仕舞って置いたものである。

 その他 普段飲むネパールの紅茶、服などを詰め込むと 
 かばんの重さは 20キロ近くなっている。
 どうも かばんが重いことも影響しているようである。
 かばんを買い換える必要があるようだ。

 部屋の整理をしたりしているうちに ねむることも出来ないまま 午前2時近くになり、
 午前3時には アパートの外に出て タクシーを捜す。
 いつも明け方近くに常駐しているタクシーを捜すが、今日は 来ていないようだ。
 東北タイ イサンからやってきている運転手で スワンナブーム国際空港まで 
 300バーツで行ってくれる。

 やってくるタクシーを待っていると、レノホテルに界隈に常駐しているタクシーが
 車をバックしながらやってくる。
 高い値段を吹っかけてくる運転手たちである。
 顔はいつも見ている連中であるが、利用することはないが、今回は仕方なく
 値段交渉をすると 400バーツと吹っかけてくる。
 メーターで行けば、250バーツ前後である。
 350バーツまで値引きしたので、チップはやらないことにして 彼のタクシーで
 空港まで行くことにする。
 バンコクで生まれたタクシー運転手で 彼の父親はパトゥンタニー、母親は東北タイの
 入り口 コラート出身である。

 深夜の道路は空いており、タクシーは30分もかからず、スワンナブーム国際空港に
 到着した。



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徒然なるままに | 11:13:14 | Trackback(0) | Comments(2)
バンコク 市場のそばの路地裏の世界
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バンコク 市場のそばの路地裏の世界 10

バンコク 市場のそばの路地裏の世界 11

バンコク 市場のそばの路地裏の世界 12

 昔からある古い市場の入り口近くには 人々を楽しませる映画館があったりする。
 セン・セーブ運河の向こう側の下町の市場の近くにも 同じように映画館がある。
 バンコクの中心的な消費センター サイアムスクウェアーから歩いて15分ばかりの
 この下町の映画館は サイアムスクウェアーにある数多くのモダンな映画館に押されて、
 今は寂しく閉鎖されてしまっている。
 地方の町 パッチョンやコンケンに住んだときも 街の中心には必ず古びた映画館が
 あり、そこに住む人々の楽しみの場所だった。
 それは私の幼かった頃の日本の地方の町でも同じことだった。

 今は閉じてしまった映画館の横には その映画館を挟むように 市場へ向かう細い路地 
 と市場に平行したもう1本の路地がある。
 市場が造られたときに 市場に平行した二つの路地には棟割長屋のような細長い建物も
 同時に建てられたようだ。
 その路地の一つに入り込んでみた。

 細長い棟割長屋のような建物が 路地の両側に 100メートルばかり続いている。
 この建物は 最初はこの近辺に住むイスラム教徒が 賃貸し用に建てたものらしいが、
 今は 部屋ごとにバンコクにやってきた中国人たちに買い取られているようだ。

 各棟の1階部分は 洋服の仕立ての作業場、指輪、ブレスレットを加工する作業場など
 に使われている。
 日本の昔の小さな下町の作業場を思い起こさせて 懐かしい気分にもなる。
 仕事をしている人々の大半は通いの人々で 大半は地方から出稼ぎにやってきた人々だ。 
 2階部分に 家の持ち主は住んでいるらしく、ここに住み着いている中国系タイ人の
 家族のための雑貨屋、駄菓子屋などもところどころにある。
 大半のものは 市場で手に入るが、急ぎで必要なもの、子供の遊び道具などは 
 この路地にある店が重宝するのだろう。

 この路地の他にも 市場周辺には この路地に似た路地がいくつもある。
 6,70年以上まえから これらの路地に住み着いている人々であり、中国系タイ人の人々で
 あれば、今は、4,50歳になっている人たちの父母が 中国本土から出稼ぎにやって来て 
 ここに住みつき、子供である彼らが生まれ、そのまま住み続けている人たちである。
 うまく時流に乗って成功した中国人たちは この地区を出て行ってしまったのだろうが、
 生活することで精一杯の中国人たちは ここを出ないで、そのまま庶民の生活を
 続けているのだ。
 それでも地方からやってきた出稼ぎの人々に比べれば、ゆとりのある生活をしている。

 子供が居て、若者が居て、老人も居るというごく当たり前の生活がここにはある。
 夕方になり、午後7時を過ぎると 仕事をする人たちが 作業場の主人の家族とともに
 夕食を囲んでのひと時があるし、仕事仲間とその日の疲れをともに癒しながら、
 酒を飲みあう姿もある。
 働き、飯を食べ、酒を飲み交わし、1日が のんびりと流れていく。
 本当は 人間の生活は これで充分なはずである。
 贅沢な生活を見せつけられるから、贅沢な生活が必要になる。
 そのために無理な仕事をすれば、人と人との関わりの時間も世界も失われてゆく。
 テレビなんか見なくても 仲間同士でもゆったりした語らいがあれば充分ではないか。
 市場で安い惣菜を買ってきて、それを肴に酒を飲む、それで満足していた生活は
 どこに行ってしまうだろう。

 気楽で気さくで 無理のない当たり前の喜びや楽しみ、それが失われ、
 無理な刺激的な生活を求め、ますます心は貧しくなる。
 せめてアジアだけは こうした伸びやかなゆったりした時間が流れてほしいものだ。


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バンコク風情 | 16:41:30 | Trackback(0) | Comments(2)
バンコク 暑い陽射しの中を 集落バーン・クルアへ
バンコク 暑い陽射しの中を 集落バーン・クルアへ 1

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バンコク 暑い陽射しの中を 集落バーン・クルアへ 7

バンコク 暑い陽射しの中を 集落バーン・クルアへ 8

 朝昼兼用のバーミー・ヘン(汁なしラーメン)をいつもの屋台で食べる。
 いつもラーメンの麺玉を二つ入れてもらって30バーツ、東北タイのカンボジア国境に
 近いブリラムからやってきたおばさんの屋台だ。
 バーミー・ヘンを食べていても 今日の陽射しは強く、汗が出てくる。
 バーミー・ヘンを食べ終わり、すぐに部屋に帰らず、暑い陽射しの中を 少し大回りをして 
 散歩することにした。

 土曜日の昼前のイスラム教徒 チャム族の集落の中を歩いてみることにした。
 セン・セーブ運河までの道には影になるものもなく、容赦なく熱い直射日光が降り注ぎ、
 タイの暑い夏の到来を感じさせる。 

 セン・セーブ運河に架かるバーン・クルアの集落に至る小さな鉄製の橋の上に立つ。
 橋の下を流れるセン・セーブ運河を水上バスが行きかい、その横にはすっかり古びて
 荒れの目立つ木造家屋が 時の流れに身を任せている。

 橋を渡り、バーン・クルアの運河沿いの歩道を歩き始める。
 後ろから 小学生の姉弟が アイスクリームを嘗めながら、歩いている。
 季節の風景はすっかり夏だ。
  「アロイ マイ(美味しいかい)」と尋ねると 「アロイ」と応える。
  「アイスクリーム・ニ タオライ(そのアイスクリームはいくらした)」と訊くと
  「ハー・バーツ(5バーツ)」
 小学校は 今は新学期が始まるまでの春休み(夏休み?)、
 バーン・クルアの子供たちはのんびりと 休みを過ごしているようだ。

 少し歩くと、白いビニールのずた袋を手にした男がいる。
 子供たちが 袋の中を覗きこんでいる。
 魚でも釣ったのかと 私も中を覗きこんでみると、中でニシキヘビが 
 とぐろを巻いている。
 まだ子供のニシキヘビである。成長すれば 数メートル以上になるのだろう。
 集落に住む大人も子供も入れ替わり立ち代わり 覗きこんでは、何事か言っては
 去ってゆく。
 ちょっとした集落の中の小さな事件である。
 男は 集落の中で見つけたと言う。そのうち、逃がしてやると言うが、集落の中に
 逃がし、成長でもすれば、集落に棲む猫たちは 大きな災難を抱え込むことになる。

 へびを手にした男を後にして、集落の中をのんびり歩く。
 集落の周辺部には 惣菜屋や雑貨屋が並んでいる。
 その辺りに行くと 集落の人々の溜り場になっている。
 人々にとっての情報交換の場所でもある。
 新しく住み着いた人たちも ここで惣菜を買い、石鹸を買い、米・油を買い、
 ここに集まる人たちと会話を交わしながら、この集落に馴親しんでいくのだろう。
 昔の東京もそうだった。
 雑貨屋や惣菜屋のおばさんたちは 集落の生き字引で 新参者へのよき案内係になって
 いるのだろう。
 集落に住んでいる人たち各々が 地域に目を配り、地域の安定に貢献している。
 この形が保障されなければ 都市は犯罪都市になってしまう。
 アメリカの大都市も日本の大都市も 犯罪の増加に悩まされている。
 隣に凶悪な人間が住んでいても 誰一人関心がない。

 集落の中を一回りして 部屋に辿り着くと 汗が噴き出してきた。
 洗濯を済ませ、洗濯物を干し終わると、いきなりの夕立がやってきた。
 雨がありがたい季節への到来だ。


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バンコク 運河の辺の街 | 16:39:58 | Trackback(0) | Comments(4)
バンコク 働く子供たち
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 センセーブ運河に架かるサファン・フア・チャン(象の頭橋)の袂に 
 私がよく行く屋台が並ぶ細長い空き地がある。
 その先には センセーブ運河を走る水上バス乗り場がある。

 ここに集まっている屋台の中で私が一番よく利用する屋台は 
 東北タイ風牛肉麺の屋台である。
 東北タイ イサンのロイエットからやってきているおばさんがやっている。
 少しばかり先には おばさんの妹がやっているぶっかけご飯の屋台もあり、
 私も 時々 惣菜を買うことがある。

 東北タイ風牛肉麺の屋台であるが、3ヶ月近く前、バンコクにやってきたときには  
 おばさんの身体が具合ということで閉まったままだった。
 道で時々出会うと そのうち開くと言っていたが 私がカトマンズの1ヶ月の滞在を
 終えて、再び バンコクにやってきても相変わらず、店はたたんだままだった。

 それが2週間ばかり前から、再び屋台で牛肉麺を作って売り始めた。
 彼女の店が開いていないと、この屋台が並ぶ細長い空き地も 
 なんとなくバランスが悪く、寂れた雰囲気になってしまう。
 おばさんの牛肉麺の屋台が営業を開始すると、小学生くらいの男の子が 
 おばさんの手伝いをしている。
 田舎のロイエットに帰ったときに 親戚の子供でも連れてきたのかと思い、
 「おばさんの親戚の子供か」と訊くと 
 そうではなく、私のアパートのすぐ近くにあるアパートで警備員をしている人の息子で
 学校が春休みに入り、警備員の仕事をしている父親が つまらない仲間とバンコクを
 ふらふらしていて 悪い遊びを覚えるのも拙いと考え、知り合いのこの牛肉麺の屋台の
 おばさんに息子のアルバイトを頼んだのだ。

 恥ずかしがり屋の小学5年生で 何を聞いても なかなか まともに応えてもらえない。
 写真など撮ろうとすると、すぐさま逃げ出してしまう。
 テーブルを拭いたり、客のところまでおばさんが作った牛肉麺を運んだり、
 客の食べ終わったどんぶりを下げ、洗い場に持っていくのが 主な仕事のようだ。
 他には おばさんと一緒にどんぶりなどの洗い物をするのも仕事だ。
 言われたことは きちんとこなすが それ以上の仕事はしない。

 すぐ近くの揚げた鶏の肉を売る屋台の娘も 学校が休みに入り、
 母親の手伝いをしている。
 私が牛肉麺を食べているとき、冷たい水がほしいと言うと 店の男の子はぼっとして
 いるのに この女の子が聞きつけて 氷入りの水を運んできてくれる。
 タイでは どうも女の子の方が しっかりしているようだ。

 こことは別の場所であるが、私がよく行く東北タイ料理の屋台があり、
 その屋台を利用し始めて 10年近くになる。
 10年前には2、3歳だった娘もすっかり大きくなり、中学生になったようだ。
 子供の成長は 速い。
 10年間があっという間だったように感じてしまう。
 この娘も 学校が 春休みに入り 暇を見つけては母親の手伝いをしている。
 夕方遅くの屋台の片付けの際には 休みでなくても手伝っている。
 母親が その母親から東北タイ料理を習ったように この女の子も母親から 
 東北タイ料理を習うのだろうか。
 父親、母親、母親の弟、そして、家族全員で店を盛りたてる働き者の家族である。
 親たちの働く姿をしっかり見て育てば、足元のふらふらしているいい加減な子供は
 育たないだろう。

 バンコクでも中産階級以上の家庭の子供たちは 学校が終われば、塾に通い、
 家の手伝いなどすることもない。
 環境に恵まれ、仕事も覚えず、ただただ頭でっかちの子供になるだけだ。
 春休みに汗水たらして働く子供たちこそ、大切にされる社会になってほしいものである。

 金持ちのどら息子たちは まともに働きもせず、親の財産を当てにするばかり、
 車を買ってもらい、夜は 親に貰ったお金で遊び歩いている。
 相続税も贈与税もないタイでは 金持ちはいつまでも金持ち、
 貧乏人はいつまでも貧乏で、身体を使う仕事の賃金は極端に安い。
 こんな世の中は いつまで続いていくのだろう。



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バンコク ある風景 | 18:35:06 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 下町の市場通りは 毎日が縁日
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バンコク 下町の市場通りは 毎日が縁日 7

 夕方近くなって 夕食の惣菜を求めて センセーブ運河の向こうにある下町の市場へ 
 行く。
 大通りを避けて イスラム教徒の住むチャム族の住む集落 バーン・クルアの中を
 運河沿いに歩くと、夕焼けの残る集落には 次第に夕闇が迫っている。
 運河沿いの歩道から集落の奥に入っていくと 集落の中に住む人々は 
 集落の中にある店の近くに 集まっては 夕食前ののんびりしたときの流れに身を置き、
 三々五々に語らいを楽しんでいる。

 集落の人々の心温まる暖かい交わりを感じながら、下町の市場へと足を進める。  
 市場のある通りに出ると 裸電球の明かりが 赤々と灯り、その明かりのなかを
 夕餉の食材、惣菜を求めて行きかう人々の姿が浮かび上がってくる。
 夕方を過ぎると この通りの路上には ありとあらゆる食べ物の屋台が 
 所狭しと 並ぶ。
 果物売り、アイスクリーム売り、肉類やソーセージの串焼き、昔ながらのタイ菓子屋、
 カキ氷の屋台もある。
 その場で作ってくれるヤム・ウンセン(タイ風春雨サラダ)の屋台もある。
 ラーメンなどを売る屋台など 何軒もあり、牛肉麺、鶏肉麺、豚肉麺と 
 それぞれの屋台で具とスープに特色を出している。
 何度来ても こんな路上に並ぶ屋台を見ているだけでも飽きない。

 私の目的は 夕食用の惣菜を買うことだ。
 市場へと続く路地には 多くの総菜屋がある。
 夕方も6時を過ぎると、惣菜の安売りが始まり、ビニールの小さな袋に入れた惣菜が
 一袋10バーツで売られる。
 貧しい収入の少ない人々にとっては 有難い安売りだ。
 庶民の集まる市場では 売り手も庶民の生活のことがよくわかっている。
 新鮮なものを 人々に出来るだけ安く売るという当たり前のことが 自然に実践されている。
 スーパーマーケットやコンビニエンスショップにはない暖かさが ここにはあふれている。

 当たり前に日々を生きている人々の息づかい、暖かい気さくな通りを行きかう人々と
 路上で食べ物を売る人々の交流を見ているだけで 心が温かくなる。
 それは私が 30年以上前に生活した東京の下町の姿にも重なる。
 
 惣菜を買い、市場のすぐ横の路地を通って、家路へと向かう。
 棟割長屋のような建物が路地の両側に並び、1階部分は 床屋、仕立屋、
 工業部品の作業場などになっている。
 どこも その日の仕事を終え、人々は休息していたり、夕食に向かっていたりする。
 路地裏に住む子供たちが 連れ添って 勢いよくどこかに向かって駆け出してゆく。
 市場の中心に向かって歩いていくと、どの店も 店じまいの掃除に忙しい。
 もうやってくる客もなく、店主たちも売ることは諦めて、テレビに見入っている。

 こんな下町にやってくると、その日その日を精一杯生きている人たちが 
 互いに寄り添って生きていることがよくわかる。
 路地が人々の交流の場所であり、子供たちの遊びの場であり、生き生きとした生活の
 場所になっている。
 一戸建ての庭付きの大邸宅に住むより、はるかに豊かな人間同士のかかわりが
 ある。
 貧しくても 狭くても 気さくで住みやすい世界がここにはある。



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バンコク風情 | 15:01:29 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 暑い夏に向かって
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バンコク 暑い夏に向かって 9

 バンコクの昨日の夜は 1昨日の夜とは 打って変わったような涼しい夜だった。
 扇風機をかけて寝ていると 寒く感じるくらいで バンコクの1月初めの気候の
 ようだった。
 朝も涼しく、快適な目覚めを迎えることが出来た。

 ここ4,5年は 3月、4月は カトマンズで過ごしており、バンコクのこの時期が
 どんな季節だったのかは すっかり忘れていた。

 1月、2月を涼しいバンコクで過ごし、バンコクが暑くなってくると カトマンズに
 移動し、カトマンズで2,3ヶ月過ごし、ネパールに雨期が近づいてくると 再び
 バンコク、そして 東京へというパターンだった。
 バンコクの雨期である8月、9月は バンコクで過ごし、雨期が明けてくると 再び
 カトマンズへ移動し、寒くなる11月中旬過ぎには 再び バンコク、そして東京と
 いうのが 今までのパターンの1年の生活だった。

 日本やカトマンズの寒い冬の生活を避けていると 身体はすっかり夏向きに変わって
 しまっている。
 運悪く 日本の冬を過ごすことになると、筋肉が固まり、身体の節々に痛みすら
 覚える有様だ。
 寒いのだが、寒さを感じる感覚すら失われていることに気がつく。
 昔、痛めたひざが がくがくし始めるようになり、肩凝りもひどくなってくると
 もう限界で 思いは南国へと向かい始める。
 寒い日本を離れ、バンコクの空港に降り立つと、あのむっとするような熱気も嬉しく、
 身体も心も解放されたような気持ちになる。

 昨年あたりから、生活のこともあり 布の展示会を再び開くようになり、
 今までの生活パターン通りには行かなくなってきた。
 昨年は冬場の日本の12月を1ヶ月過ごすことになったが、
 昔 感じたような寒さではない。
 地球温暖化が 確実に進んでいることを感じた。

 バンコクも 3月中旬を過ぎ、後半に入ってきた。
 暑い日と涼しい日を繰り返しながら 本格的な夏が始まっていくのだろう。
 そのうち 南国の花 ブーゲンビリアも満開を向かえ、南国の果物の季節へと
 入ってゆく。
 4月、5月になれば 市場には ゴ(ランブータン)、マムアン(マンゴ)、
 マンクッド(マンゴスチン)、リチー(ライチ)があふれる。
 夏期の4月から5月、雨季に入る6月から9月までが タイの最も生命力を感じさせる
 季節かもしれない。
 花と果物のあふれるタイを味わおうと思うのなら、本当はこの時期に来れば
 タイを 最も満喫することが出来るだろう。

 暑さと涼しさの混じり合う3月のバンコク滞在も あと5日ばかり、約1ヵ月半の
 東京滞在を終えて帰ってくる頃は バンコクは 5月、亜熱帯の新鮮で美味しい果物と
 あふれる草花が待っている。

 そろそろ市場では やっとマンゴが手頃な値段になって 出回り始めた。
 1キロ60バーツのものに比べれば、見栄えは悪いが1キロ25バーツなら、
 買って味見をする価値はある。
 早速 買って、味試しだ。



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徒然なるままに | 22:05:09 | Trackback(0) | Comments(3)
バンコク 夏の陽射しの中を チャム族の集落へ
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バンコク 夏の陽射しの中を チャム族の集落へ 10

 昼間の午後を過ぎると 扇風機を回している部屋の中に熱気がこもり、ちょっと外へ
 散歩の出掛けたくなる。
 かといって バスに乗って遠くまで出掛けるのもわずらわしい。
 こういうときには アパートの裏手にあるセンセーブ運河の対岸にあるイスラム教徒の
 住む集落 バーン・クルアあたりを 運河沿いに歩くことにしている。

 チャム族は 古くは 紀元1世紀頃から18世紀頃までベトナム南部に栄えた
 チャンパ王国の子孫といわれている。
 ベトナム北部から南進してきたべト族との戦いに敗れ、多くのチャム族たちは
 カンボジアに逃れ、タイのアユタヤ王朝の時代に タイとカンボジアとの戦いの際、
 戦争捕虜としてアユタヤに連れられてきたが、後にアユタヤ王朝に忠誠を約束し、
 航海術に優れていたチャム族は アユタヤの水軍の傭兵として働き、
 それは バンコクの現王朝 ラッタナーコウシン王朝に引き継がれた。
 ラーマ1世の時代のカンボジアとの戦渦の際にも 多くのチャム族が 難民として
 バンコクにやって来た。
 タイ水軍の傭兵としての充分な働きに対して バーン・クルアのこの土地に住むことを
 許されたのである。

 暑い午後の陽射しの中でも 運河沿いの歩道を歩けば、風も吹いている。
 バーン・クルアの集落へアイスクリームを売りに行く行商の男と 運河をはさんで 
 平行して歩く。
 東北タイからの出稼ぎの人間のようだ。
 工事現場のきつい肉体労働の中で、お金を貯めて、資金が出来ると
 行商に精を出す人も多い。

 運河に架かる橋を渡って バーン・クルアの集落に入っていく。
 暑い午後では 道を歩く人の姿も少ない。
 運河沿いには 昔からの木造の古い家屋が多くある。
 こうした家屋は ラーマ3世時代にここに住みついた人たちの住居なのだろう。
 味わいのある木造住宅であるが 傷みもひどい。
 彼らが住みついた頃は このあたりは森で、バンコクの人々は 彼らのことを
 『森に住む人』と呼んだようだ。
 タイ水軍の傭兵として働きながら、大半は農業を生業にしていたようだ。

 カンボジアの政情不安から イスラム教徒であるチャム族への迫害から、多くの
 カンボジアのチャム族の人たちが、ここにやって来て住みつき、古い木造家屋の間に
 家を建てて行ったようだ。
 同じイスラム教徒同士の助け合いの精神もあり、容易に新しい住民を受け入れたのだろう。

 歩き続けていくと 昔懐かしい下町の雑貨屋のような店がある。
 スーパーマーケットやセブンイレブンなどとは違って、集落に根付いた店の持つ
 温かみを感じさせる雰囲気がある。

 イスラム寺院であるモスクの近くに行くと イスラム教徒特有の帽子をかぶった人々が
 屋台の椅子に座り込んで昼ごはんをのんびりと食べている。
 近くの待合場所のような建物の中では イスラムの女たちが 井戸端会議の最中である。
 チャム族のイスラム教徒の女たちは いたって解放的で 日本人である私を見かけても
 気軽に声をかけてくる。

 路地の中に入っていくと 一夜干しの牛肉売りの行商人がいる。
  「何の肉か」と訊くと、
 近くに居たイスラムの男が
  「ここでは食べるのは 牛肉と鶏肉だけだ」と答えてくれる。

 路地の中を抜けて 車の走る大きな橋の下の広場に行き着くと 
 仏教徒らしい老人が闘鶏用の鶏の訓練をしている。
 そこを通り抜けると 姉弟らしい子供たち二人が 大きな象の像の前で遊んでいる。

 こんな何気ない散歩であるが 今やバンコクの中心ともなったサイアムスクエアーから
 歩いても 15分ぐらいの場所にある地域である。
 東京の渋谷から歩いて15分の場所に こんな世界を見ることが出来るだろうか。
 ここ15年間の急激なバンコクの発展の中では こんないびつな不思議な世界も
 残っているのだ。
 
 モダンライフの象徴でもあるサイアムパラゴン、MBKセンター、
 ディスカバリーセンターあたりから 10分ほど歩いただけで 
 20年以上前のバンコクの世界を眺めることが出来るとは 感動すべきことである。
 これがアジアのアジアたる所以のようなものだ。
 発展の表側だけを見ていたのでは アジアは喜怒哀楽見えてこない。
 人々の生活も見えてこない。



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バンコク 運河の辺の街 | 23:26:25 | Trackback(0) | Comments(2)
ばんこく 久しぶりに小雨
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 昨夜は蒸し暑く、不快指数100%とも思われるよう夜で、蒸し暑い空気が身体に
 まとわりつき、その上 頭痛にまで悩まされてしまった。

 朝、目を覚ますと、何やら ごろごろと音がする。
 まさか、雷の音ではあるまいと思っていると、小雨であるが、雨も降っている。
 案の定、雷の音だったのである。
 バンコクにやってきて3週間、始めて見る雨である。
 本格的な夏へと向かう季節の変わり目の雨なのだろうか。
 樹木ばかりでなく、人間にもわずかばかりではあるが、湿りと潤いを与えられたような
 気になる。

 カトマンズ滞在中の1ヶ月も雨なし、そしてバンコクでもそうだった。
 バンコクであれば、チャオプラヤ川まで行けば、悠々と流れる水の流れがあるが、
 カトマンズの聖なる川、バグマティ川は 水も下水のように汚れ、これが川なのかと
 思わせるひどい状態だった。
 カトマンズに住む人々は 飲料水、生活用水を求めて、右往左往してしたが、
 カトマンズでも少しは雨が降ったのだろうか。
 昨日までの情報では 全く雨は降らず、3ヶ月間 雨なしのカトマンズである。

 雨が降ると いつも思い浮かぶ歌があり、それが口をついて出てくる。


       雨が空から降れば
                    作詞 別役実  
                    作曲 小室等
           
    雨が空から降れば
    オモイデは地面にしみこむ
    雨がシトシト降れば
    オモイデはシトシトにじむ

    黒いコーモリ傘をさして
    街を歩けば
    あの街も雨の中
    この街も雨の中
    電信柱もポストも
    フルサトも雨の中
    しょうがない
    雨の日はしょうがない

    公園のベンチでひとり
    おさかなをつれば
    おさかなもまた
    雨の中
    しょうがない
    雨の日はしょうがない

    しょうがない
    雨の日はしょうがない

    しょうがない
    雨の日はしょうがない…


 「雨が空から降れば」 by 小室等/石川鷹彦
http://www.youtube.com/watch?v=bF0R6SBG174&feature=related

 日本の雨、タイの雨、ネパールの雨、インドの雨 その中に自分の身を置いた時に
 この歌が いつも心に浮かんできた。
 東京のアパートの一室の窓から、カトマンズ・キルティプールの丘の上から、
 カルカッタの安宿から、バンコクの路上から、一体 どこに思いを馳せて、
 この歌を口ずさんでいたのだろう。



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徒然なるままに | 13:52:31 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐05 チャオプラヤ川へ
バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐05 チャオプラヤ川へ 2

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐05 チャオプラヤ川へ 1

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐05 チャオプラヤ川へ 3

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐05 チャオプラヤ川へ 4

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐05 チャオプラヤ川へ 5

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐05 チャオプラヤ川へ 6

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐05 チャオプラヤ川へ 7

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐05 チャオプラヤ川へ 8

 中国人の作った古めかしい木造の棟割長屋風の商店のある区域を抜けると、主要道路に
 ぶつかる。
 その道路を渡ると、瀟洒な木造の家屋が眼に入ってくる。
 まるで アガサ・クリスティのおばあさん探偵 ジェーン・マープルの住むセント・
 メアリ・ミード村に出てくるようなイギリスのビクトリア朝風な木造建築である。

 マラッカ王国を征服したイギリスは シャム王国に 通商を迫り、1855年 シャム
 王国との間にボウリング条約を締結する。
 これは シャム側が イギリスに対して治外法権を科せられた不平等条約だった。
 イギリス人のみならず、イギリスの植民地からやってきたインド人に対しても
 治外法権が適用され、彼らが 罪を犯しても タイの法律では裁くことが出来なかった。
 そのため バンコクの治安の悪化に 拍車をかけることになったのである。
 同様のことをフランスもシャム王国に強要し、そのことが原因で、
 タイ人のヨーロッパ人に対する引け目が生まれたのかもしれない。

 そんな時代の名残をこの建物は象徴しているようだ。
 増え続けるイギリス人、インド人にとっては バンコクは天国のような場所だったのである。
 そのイギリス様式の木造の建物は 今はこの地域の役所として残っている。

 ここから再び運河に向かい、運河沿いの歩道に下りてゆくと バーン・ラムプー運河の
 由来を書いた案内板がある。
 このバーン・ラムプー運河、そしてそれに続くロップ・クルン運河が出来る前の
 ラッタナーコウシン王朝の初め頃は、街を囲む外壁があり、外側は 市外地だった。
 疫病などが流行して、多くの死者が出れば 外壁の外に遺体は打ち捨てられたようだ。
 その街の外壁に沿って、運河が造られたのである。

 バーン・ラムプー運河の始まりになる運河の中には 昔、運河を埋め立てようとした
 工事の杭がそのまま打ち捨てられている。
 先の方では何やら 大掛かりな工事も行われているようだ。
 運河の歩道に沿って歩いていくと、意外と新しい建物が並び、建物の並びのところどころに
 ゲストハウスやホテルもある。
 外国人旅行者の溜り場であるカオサンロードにも近いあたりで、カオサンロードは
 運河の向こう側に位置する。

 更に歩道を歩き続けていくと、運河に架かる太鼓橋のような橋があり、その橋を越えると 
 チャオプラヤ川河畔の公園に出る。
 ここにも大砲を備えた城砦がある。

 公園の中を抜け、チャオプラヤ川の岸辺に近づく。
 のんびりと悠々と川は流れている。 
 川の対岸には 昔の貴族の屋敷が見えるが、半年前とは違って、
 お化け屋敷のようだった建物のペンキが塗り替えられ、装いを新たにしている。
 一体に何に使われることになったのだろう。
 この建物は フランス、イタリア風な建物である。
 ラーマ5世の時代には イタリア人の建築家が バンコクにある建物の建築を
 手がけている。
 昔は 学校としても使われていた時期もあったという話も聞いた。
 ツーリストのあまり行くことのない対岸のイーカン地区であるが、昔ながらのバンコク庶民の
 生活が色濃く残っている地域で、昔懐かしい東京の下町を思い出させるような場所である。

 チャオプラヤ川の川面を吹く風にあたり、日中の暑い陽射しで火照った身体に涼を与える。
 この時期、昼間歩き回れば、水分が抜け、ダイエットにはなるが、ちょっときつい。 

 すぐ近くのチャオプラヤ川に接する運河の入り口付近では 近所の子供が 
 気持ちよさそうに水遊びを楽しんでいた。
 バンコクの学校は 今は 新学期までの長期休暇である。
 昔から 庶民の子供たちにとっては 川は 暑い夏をやり過ごす楽しみの場所だったのだ。
 少しでも運河の水の汚れを消し去り、水の都 バンコクのイメージを
 回復してほしいものである。



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バンコクの運河 | 20:52:09 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 帰国まであと1週間
 あと1週間のバンコク滞在を終えれば、再び日本への帰国になる。
 寄る年波か 1ヶ月単位で 国を変えて生活することに疲れを感じるようになって
 しまった。
 ネパールのカトマンズ滞在も1ヶ月、今回のバンコク滞在も約1ヶ月、だんだん異国の
 生活に慣れてきたと思ったら、次の国への移動になる。
 せめて、一つの国に3ヶ月は 滞在したいと思うようになってしまった。
 
 若い頃 ネパールに3年ばかり住んでいたころは 3ヶ月ごとにヴィザの延長のために
 インドに出国し、再びネパールヴィザを取り直すという繰り返しだったが、のんびりと
 したカトマンズの生活の中でネパールボケしてしまう脳みそに刺激を与えるには 
 インドへの旅も 効果的で飽きることはなかった。
 インド人の持つバイタリティから多くのエネルギーをもらっていたような気がする。

 カトマンズ、バンコク、東京と移動していくと 人間の生き生き度に大きな違いがあり、
 カトマンズ、バンコク、東京に移動するにしたがって、人間の生気が失われていくのが
 よくわかり、その違いに従がって 私の生気も 失われていく。

 東京に帰れば、4月20日から26日までの1週間の展示会 『アジアの布展~ラオス
 からブータン』の準備に追われることになり、その準備のために 部屋にこもった生活 
 になってしまう。
 前回の展示会の結果があまりにひどかったから、どうもやる気がいま一つといった
 感じなのである。

 私の持っているブータン布、インド刺繍布、ラオスの布などを すべて買い上げて
 くれる博物館やコレクターがいればいいのだが、それも難しい。
 展示会を無理してやっていくのも、自分の持っている布の存在をアピールすると
 意味合いがあるのだが、なかなか効果的には進んでいかない。
 それも悩みの一つである。

 バンコクの政治状況も 相変わらず落ち着かず、タイの民主党を中心とした現政権と
 亡命中のタクシン元首相を支持する政党との間で 中傷合戦が始まっている。
 世界金融危機の影響もまだ表立ってはいないが、これから徐々に現れてきて、
 バンコクの治安にも影を落としていくだろう。

 先日も MBKセンターの7階にある映画館の周りのレストラン街を眺めてきたが、
 日本食の富士レストランやタイすきのMKすきレストランなども まだまだ盛況で
 驚いてしまった。
 2,3人で行って ビールでも飲めば、軽く千バーツは超えてしまうレストランで
 結構多くのタイ人が 食事をしているのだ。
 この頃のタイ人は 贅沢である。
 タイ人特有の見栄っ張りという側面もあるのだろうが・・・。
 全く宵越しの金は持たないという刹那的なタイ人の気質が こんなところにも窺われる。

 お金がなくなれば、タイのインスタントラーメン ママーをしこたま買い込み、
 月末をインスタントラーメンでやり過ごすのだろう。

 そんなバンコクもあと1週間、暑さが日増しに増してくるバンコクを離れるには
 いい時期かもしれない。



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徒然なるままに | 12:09:57 | Trackback(0) | Comments(1)
バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐04 黄金色に輝く寺
バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐04 黄金色に輝く寺 1

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐04 黄金色に輝く寺 2

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バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐04 黄金色に輝く寺 7

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐04 黄金色に輝く寺 8

 ロップ・クルン運河沿いの歩道を歩いているうちに 突然道がなくなってしまった。
 前に来たときにはあった歩道が行き止まりになっている。
 仕方がないので 街中を歩くことにした。
 街の中を少しばかり歩いていると、燦燦と黄金色に輝く仏塔が 目の中に飛び込んで
 きた。
 以前には見かけたことのない光景だ。
 こんなところにあんな人目を引くような派手な寺があっただろうかと 
 近づいてみる。
 寺の塀に沿ってしばらく歩き続けると やっと入り口を見つけることが出来た。
 入り口の前には 大きく金色のタイ文字で ワット・ツリットサテープと書かれている。

 入り口から中に入ってみると 寺の中に置かれた長いすに大勢の人たちが座り込んで
 いる。
 火葬のためにやってきた人たちだろうかと横目に見ながら、
 黄金色の仏塔のある寺の中心へと入り込んでいく。
 中に入り込むと、新しく建造される寺の中心部らしく、大勢の人々が各々の仕事に
 合わせて仕事をしている。
 資材を運ぶだけの単純作業もあれば、大理石に彫刻を施している人たちも入る。
 寺の中心を飾る黄金色の仏塔や仏像を納めた御堂ももうほとんど完成に近い。
 古い寺の真新しい中心 人々を惹きつける重要な場所である。

 ふんだんに大理石が使われ、豪華絢爛たる寺の姿であるが、敬虔な仏教徒ではない
 私から見れば、この豪華さは信仰とは別物の何やら生臭い人間の業の象徴のようにも
 思えてくる。
 私のタイの寺に対する拒否反応のようなものが この寺に姿にある。
 豪華絢爛たる寺の姿に 信仰の御利益の大きさを求めようとするタイ人独特の信仰の
 形をうまく利用した僧侶たちの姿が透けて見えてくるのである。
 豪華絢爛さに惹かれて 参拝者が増えれば、それだけ寺への寄進による収入は増えるし、
 僧侶たちへの寄進も増える。

 タイの仏教信仰の中では タムブン(徳を積む)ことが重要なことであり、
 そのタムブンの量によって 来世の身分が違ってくる。
 僧侶や寺への寄進は 大きなタンブンにあたり、タムブンの量を増やしてくれる。
 現世で恵まれない人々は しきりにタムブンをして 来世に期待するのであるが、
 貧しい者たちの寄進の額は少なく、金持ちほどには 来世において立派な身分を
 手に入れることは出来ない。

 寺を造れば、一番大きな徳を手に入れることが出来るが そんなことが出来るのは
 王侯貴族か大金持ちだけである。
 貧しい人たちは なけなしの金を寄進し、ますます貧しくなるが、
 僧侶たちは反対に富んでいくという矛盾がタイにはある。
 タイの僧侶たちは 己の修行のために邁進すればいいのであって、
 社会福祉には目を向ける必要はない。
 自らの涅槃だけを求めればいいのである。

 バンコクの中にある寺の数の多さと僧の数の多さを見るにつけ、
 どれだけのお金が寺へと集まってくるのかと考えると呆然としてしまう。
 今出来上がりつつあるこの寺についても同様である。

 黄金色に輝く仏塔を見ても バンコク庶民の汗水たらしての日々の生活の中からの
 寄進から生まれたものだと考えると 有難さよりも別のものを感じてしまう。
 信仰の質より量とか形式とかを重要視するタイの信仰の姿が 垣間見えてくる。
 信仰の形式は 単純であればあるほど 人を集めるのかもしれない。
 日本の新興宗教だって、どこかタイの仏教の信仰の姿に似ているのかもしれない。



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バンコクの運河 | 22:46:03 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐03 運河に沿って
バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐03 運河に沿って 1

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バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐03 運河に沿って 3

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バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐03 運河に沿って 5

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐03 運河に沿って 6

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐03 運河に沿って 7

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐03 運河に沿って 8

 道路わきにある細い通路を抜けて、運河に沿った歩道に入ってゆく。
 運河沿いには棟割長屋のような建物が続いている。
 数ヶ月前には 運河の水の中から 補修工事のための古い木製のくいが突き出して
 いたが、それが取り除かれている。
 10年以上前に 運河を狭くする工事のためのくいであったようだが、工事は再開
 することなく、中止になり、見た目の悪いくいは取り去られたのだろう。

 数ヶ月前には 水位もなく、黒く澱んでいた水も 推量も増え、きれいになっている。
 バンコク都庁も このロップ・クルン運河、そしてこの運河に続くバーン・ラムプー
 運河の再利用を考え始めたのだろうか。

 棟割長屋のような建物の裏庭のようなコンクリートで固められた歩道を抜けると
 運河に沿った普通の道に出る。
 このあたりまで来ると 昔からの木造住宅が目立ち始め、運河周辺の装いも 
 庶民的な雰囲気が漂い始める。

 この地域に入ると 中国人のおばさんのカキ氷屋が1軒ある。
 暑さしのぎに この店でカキ氷を注文する。
 数ヶ月前にもこの店でカキ氷を食べ、おばさんとおしゃべりをしたことがある。
 私のことをまだ憶えていたようだ。
 今は 道になっているが、昔はその道のある場所は運河であり、おばさんの家の軒先に
 船を留めることが出来たようだ。

 このあたりには 地元の人間相手の屋台やその日の食材を売る店が 建ち並んでいる。
 周辺は 木造家屋の集落になっており、このあたり一帯が 地元住民や東北タイから
 やってきて間借り生活をしている人たちの憩いの場になっている。
 こじんまりした昔ながらの市場もある。
 4,50年前のこのあたりは 運河を行きかう船とともにあった人々ののんびりした
 生活があったのだろう。
 バンコクの人口が 2百万人ぐらいだった時代の話である。

 運河沿いの人々の生活を眺めながら、足を進めていくと なんとも古めかしい木造の
 建物が 歴史上の遺物のように残っている区域がある。
 一時代前の木造の棟割長屋のように並んでいる商店、総菜屋や屋台、
 なんとも不思議な雰囲気の一隅である。
 あと何年かすれば、消えていってしまうような建物だ。
 運河に近いこの一帯では 何やら大掛かりな工事が始まり、大きなビルが建つようだ。
 開発の嵐は もう そこまで来ている。

 このあたりまでが ロップ・クルン運河で この先は バーン・ラムプー運河に名を
 変える。
 このロップ・クルン運河の説明掲示板によれば、1783年 ラッタナーコウシン朝の
 創始者であるラーマ1世の命によって、1万人のカンボジア人の戦争捕虜を使って、
 バーン・ラムプー運河の終点からマハナーク運河(センセーブ運河の一部)に交わる
 ラーマ7世橋まで そして 中華街を抜けて 現在のサファン・プット(仏陀橋)の
 あるチャオプラヤ川の岸辺までの長さ3426メートルのロップ・クルン運河を造り
 あげた。
 幅20メートル、深さ2.5メートルの運河である。

 当時10万くらいのバンコクの人口でカンボジア人の戦争捕虜1万人というのは
 大変な数である。
 クメール王国衰退に従って、アユタヤ王朝以来 カンボジアに戦争を仕掛けては、
 戦争捕虜をタイに連れ帰り、戦争奴隷として使役していたタイの歴史がここにある。
 タイとカンボジアの関係が しっくりいかない原因の一部は ここにもあるのだろう。


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バンコクの運河 | 04:19:23 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 昨日は 朝から曇り空
バンコク 昨日は 朝から曇り空 1

バンコク 昨日は 朝から曇り空 2

バンコク 昨日は 朝から曇り空 3

バンコク 昨日は 朝から曇り空 4

バンコク 昨日は 朝から曇り空 5

 バンコク到着以来 続いていた暑さが 昨日の曇り空で一息ついてくれた。
 身体の方も ほっとしているようだが、ついでに一雨ほしい。
 ここ2日間ばかり、長時間 戸外を歩き回っていると、身体に熱がこもったようで、
 昨日のような1日は嬉しい。
 昨日1日は のんびり休息しろといわれているようで 有難くなった。

 暑い中を歩き回っていると 夕食が面倒になり、ついつい外食をしてしまう。
 1昨日は MBKセンターの中にあるバンコクの人気ラーメンチェーン店『8番』で
 ラーメンとチャーハン、昨日は 同じくMBKセンターの7階にある去年頃から展開を
 始めた安いことを売りものにした日本食堂 『弥生』で夕飯を済ませる。
 どんな味付けなのか ちょっと確かめてみたかったのであるが、美味しいとはとても
 言えない代物だった。
 タイ人たちも店内で食事をしていたが、どう見ても美味しそうな表情で食事をしている
 ようには見えなかった。
 私も 1度行けば 充分そんな気持ちになってしまった。

 暑さによる疲れに任せて、外食してしまったが、つまらない味付けの食事でも 
 120バーツ(約300円)、そのくらいなら、ご飯だけはタイ産の日本米を炊いて、
 市場に行って 惣菜を2,3種類 買ってくるか、近くの屋台から 東北タイのイサン
 料理のソムタム(パパイヤサラダ)、カイ・ヤーン(イサン風鶏の照り焼き)、そして
 イサン風スープを買ってきて 家で食べる方が 豪華だし 美味しい。
 どちらも60バーツ程度で済む。
 その上、屋台や市場の総菜屋の店主の顔も見えて、安心できる。
 タイのように食材にあふれるところでは 惣菜の種類も多く、唐辛子の辛さに耐える
 ことが出来るなら、味のバラエティに富んでいるし、辛さが苦手であれば、中華風な
 味付けの惣菜も多い。

 それでも飽きてしまえば、自炊をするより仕方がないが、この暑い時期 そんな気にも
 なれない。
 一人で生活していれば、エネルギーの補給になれば、充分という気にもなる。

 近頃、タイでは 安い日本食レストランや250バーツ前後で食べ放題の店が 
 乱立しているが どうも味のほうがいい加減で 手間暇かけているようには思えない。
 どうもファーストフード店の延長にあるような気がしてならない。
 大量生産された冷凍食品のような味なのである。
 こんな具合に 人間の味覚は統一され、鈍化していくのだろう。
 何が本当に美味しいか わからなくなっていくのである。

 ネパールで ダール・バート・タルカリというネパール定食を食べると 
 贅沢な料理ではないが、料理人の個性のようなものが 味にしっかり現れていて、
 さすが手作りの料理といった感じがする。
 ここに料理の基本があるように思う。
 手抜きをすれば 確実に味に現れるというのも、家庭料理の姿を示している。
 こうした作り手の味覚の個性のようなものが現れているというのが、
 おふくろの味につながっていくのだろう。

 それと同じことが 屋台の東北タイ料理にも現れている。
 母親に習った料理法が 屋台の味になっている。
 東北タイ料理がバンコクでも人気があるのは どこか個性的な手作りの味 
 おふくろの味を感じさせるせいかもしれない。
 屋台それぞれによって 味付けが微妙に異なるのである。

 おふくろの味が生きているという意味では ネパールと東北タイでは 手料理を大切に
 するということで似ているのかもしれない。


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徒然なるままに | 11:15:38 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐02 パン・ファー船乗り場にて
バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐02 パン・ファー船乗り場にて 1

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐02 パン・ファー船乗り場にて 2

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐02 パン・ファー船乗り場にて 3

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐02 パン・ファー船乗り場にて 4

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バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐02 パン・ファー船乗り場にて 7

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐02 パン・ファー船乗り場にて 8

 セン・セーブ運河の始発駅 パン・ファー船乗り場に着く。
 このあたりには タイのラッタナーコウシン王朝の18世紀の歴史が色濃く残っている。
 パン・ファー船乗り場周辺は セン・セーブ運河が 旧王宮を囲むオン・アン運河の
 外側に造られたロップ・クルン運河と交わる場所だ。
 チャオプラヤ川からバーン・ラムプー運河が掘られ、それにつなげてロップ・クルン
 運河が掘られ、中華街を抜けて、再びサファン・プット(仏陀橋)のあるチャオプラヤ 
 川へと至る。
 その中間で オン・アン運河とロップ・クルン運河を結ぶ二つの小さな運河も掘られた。
 王宮と旧市街を囲む二つの運河、オン・アン運河とロップ・クルン運河によって、
 ビルマの侵略の脅威に備えることが出来たのである。

 セン・セーブ運河の中華街方面には 金色に輝くゴールデンテンプルが聳え、
 その近くにはワット・サケットがある。
 ラーマ3世の時代には 疫病が流行り、その当時の市街地の外にあったワット・
 サケットの広場には 疫病でなくなった大勢の死者が投げ込まれたといわれている。
 ワット・サケットの周辺には 中国人の材木商の店が建ち並んでいる。
 米と材木は 昔からタイが外国貿易から得る王室の貴重な財源だった。

 又、ロップ・クルン運河の脇には ビルマ軍の侵略に備えて、大砲を備えた城砦もある。
 このあたりは ラーマ3世時代に開発された地域で 外国貿易で潤っていたラーマ3世
 時代に ラーマ3世に建てられた大きな寺院もある。
 ロップ・クルン運河の岸辺には ラーマ3世の時代から住み着いている音楽師たちの集落も
 ある。

 私が向かったのはバーン・ラムプー側、船乗り場のすぐ近くに ラーマ7世の記念館が
 ある。
 タイの軍人による立憲革命によって、タイが絶対王政から立憲君主国になったときの
 国王である。
 アメリカ式の議会制民主主義を望んだラーマ7世は 立憲革命を実行した軍人たちが
 新しい憲法を発布しないことに業を煮やし、目の治療を理由に イギリスに行って
 しまう。
 困ったのは軍部で 新しい法律の発布には 国王の認可が必要である。
 そのたびに 国王の署名を求めて イギリスまで出かけていかなくてはならない。
 時の政府は タイに戻ることを懇願したが、頑として譲らず、結局、最後には軍部への
 抗議の意味をこめて、退位し、亡くなるまでタイに帰国することはなかった。
 そして、王位を 現国王の兄 ラーマ8世を譲ることにしたのである。
 タイの王室の権威が 最も弱まった時期の国王だった。

 それにしても 今日のバンコクは とにかく暑い。
 焼けついたコンクリートの道路、上からは容赦なく照りつける陽射し、
 日中の午後、歩き回るというのは きちがい沙汰のように思えてきた。

 しかし、以前に行った場所には 時折、行っておかないと すぐに変わってしまう。
 それほど、バンコクでは 開発が進んでいる。
 バーン・ラムプーの下町も例外ではなかろうかと やってきたのである。

 ラーマ7世の記念館の前の 広い道路を渡り、ロップ・クルン運河沿いの歩道に
 降り立つまでに、すっかり、汗がにじみ出てきて、Tシャツに浸み込んでいる。



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バンコクの運河 | 01:28:50 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐01 水上バスに乗って
バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐01 水上バスに乗って 1

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐01 水上バスに乗って 2

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐01 水上バスに乗って 3

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐01 水上バスに乗って 4

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐01 水上バスに乗って 5

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐01 水上バスに乗って 6

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐01 水上バスに乗って 7

バンコク 再び バーン・ラムプーへ‐01 水上バスに乗って 8

 暑い午後の陽射しの照りつける中を センセーブ運河の水上バス乗り場サファン・
 フア・チャンへ向かう。
 午後1時過ぎ、水上バス乗り場の手前の通路にある屋台の一帯では、昼飯時の忙しさ
 から解放され、商いをする人々は 三々五々に休息をとっている。
 この暑いバンコクの気候の中では 目一杯仕事をしていれば、身体が持たない。

 水上バス乗り場の渡し場の上にたてば、運河からの涼しい風が吹き抜けている。
 水嵩の増した運河では 3ヶ月前の黒く澱んだ水は一掃され、悪臭もなくなっている。

 このセンセーブ運河を走る水上バスは 旧市街にある乗り場パン・ファーから郊外の
 バンカピまでを結んでいる。
 私が 今日 乗るのはアパートの近くのサファン・フア・チャン乗り場から旧市街に
 ある乗り場パン・ファーまでだ。
 距離にすれば 大した距離ではない。
 水上バスに乗れば10分くらいの時間で終点に着く。

 150年以上前から 運河沿いに住み着いているカンボジアからやって来た
 イスラム教徒チャム族の集落にはさまれながら、水上バスは 走りぬけていく。
 このチャム族、アユタヤ王朝時代にはアユタヤにも多く住み着いており、
 アユタヤ王朝崩壊の折、アユタヤ王朝の貴族、王族たちとバンコクにやって来た。
 船を操ることに長けていた彼らは シャム王国の水軍の傭兵として活躍し、
 このバーン・クルアに住むことを許されたのである。
 昔は 美しかったと思われるチャム族の木造の家屋も もう崩壊寸前の有様だ。
 チャム族の中でも裕福な人々は もうこの地には住んでおらず、古い住居は 
 東北タイからの出稼ぎの人たちに賃貸しし、昔 美しかった建物も荒れる一方だ。

 そこを抜けると 衣料品の卸しの市場 ボーベイに近づく。
 運河の右側は衣料品市場、左側には 南タイのパッタニーから2百年近く前に
 戦争捕虜として連れてこられたイスラム教徒の集落がある。
 彼らは センセーブ運河の建設には 戦争奴隷として使われたのである。
 そのため、センセーブ運河沿いには 多くのパッタニーからのイスラム教徒の集落が
 ある。
 運河沿いの土地には タイのラッタナーコウシン朝時代の他国への侵略の歴史が
 刻み込まれている。
 19世紀前後のラッタナーコウシン朝の創始期には バンコクの人口は少なく、
 ラオス、カンボジア、南タイのパッタニー王国に戦争を仕掛け、戦争捕虜をバンコクに
 連れ帰り、王都の建設に 戦争奴隷として使役させた。
 王宮の建設、王宮をビルマの侵略から護る運河の建設は大きな課題だったのである。
 ラオスのビエンチャン王国などは そのために王都を シャム王国によって 
 徹底的に破壊されてしまい、王都ビエンチャンは それ以前の姿をほとんど残していない。

 国が安定しない中で シャム王国の民衆を使えば、その過度の使役から、不満を増大
 させることを恐れたのである。
 そこで連れてこられたのが、カンボジア人、ラオス人、パッタニーのイスラム教徒なのである。
 タイ王国のこうした暴力的側面も忘れてはならないことだ。

 何気なく眼を向ける異国情緒あふれる風景の中にも タイ王国の様々の歴史が
 刻み込まれている。
 それを知らず、センセーブ運河の水上バスに乗るのは楽しいというだけでは、
 異国にやってきて感じるものとしては 寂しい気がする。
 異国の風景の奥に 潜む歴史の陰を探ることも 旅に奥行きを与えてくれるだろう。


 バーン・クルアのチャム族については
 バンコク 運河の辺の街シリーズを参照のこと
 http://asiancloth.blog69.fc2.com/category52-2.html

 タイのイスラム教徒については
 タイのイスラム教徒シリーズを参照のこと
  http://asiancloth.blog69.fc2.com/category50-2.html



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バンコクの運河 | 13:39:00 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 夏に向かって まっしぐら
バンコク 夏に向かって まっしぐら 1

バンコク 夏に向かって まっしぐら 2

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バンコク 夏に向かって まっしぐら 4

バンコク 夏に向かって まっしぐら 5
   咲きかけた熱帯の花 火焔樹の花

 バンコクの3月中旬 やはり暑い夏である。
 午前10時を過ぎると、気温は上昇し、外へ出れば 熱気が身体を包む。

 脳みその中身は そろそろ日本仕様にしなくてはならないが、思考回路が 
 タイ人並になり、ずるずると 日ばかりが過ぎていく。
 それでも何とか 日本に帰る段取りだけは つけなくてはと思い、日本への航空
 チケットは手に入れた。
 60日以内のフィックスチケットで バンコク-日本往復が 16500バーツだった。
 10日前は 17500バーツだったが、燃料費が下がり、16500バーツになったようだ。
 今日の為替レートは 1万円で3715バーツ、1バーツは2.69円である。
 日本往復のチケットが 約44400円ということになる。
 一昔前の航空運賃に戻ったようで嬉しくなる。
 日本帰国まで あと10日あまりである。

 4月20日から1週間のアジアの布展 『ラオスからブータンへ』の準備もしなくては
 ならないが、なかなか気持ちがそっちの方に向いていかない。

 今日は 久しぶりに バーン・ラムプーあたりを散策してみることにした。
 センセーブ運河の終点 パン・ファーまで水上バスに乗った。
 運河の水が増え、水位も上がり、いつもよりは 水質はよくなっている。
 水が臭わないだけでも 有難い。

 今日は 日中の気温は 35度をはるかに超えているようだ。
 いつもの調子で バーラムプーあたりを3時間以上 うろうろと歩き回っていると
 身体の水分が 汗になって流れ出てくる。
 ダイエットにはいいが、この暑さの中では 熱射病になりそうで、カキ氷屋を
 見つけては 水分の補給をしていた。
 センセーブ運河の終点パン・ファーからバーン・ラムプー、そしてチャオプラヤ川の
 岸辺にある砦のある公園まで 往復すると 足が棒のようになってしまった。
 やっとの思いで再び 水上バスに乗り込み、家に帰ってきたが、部屋について 
 いくら水を飲んでも 喉の渇きは 収まらず、水を飲み、スイカを
 食べ、ほっとすると、眠くなり、午後7時過ぎまで 夕寝をしてしまった。

 この散策については 後日報告するつもりである。
 結構 この時期、外国人旅行者の姿もよく見かけた。
 カオサンが近いせいもあるが、外国人もこの暑さには耐えられず、
 タイ風喫茶店に 座り込んでいた。
 どうもまめに歩き回っているのは 私のような年配者ばかりのようだ。
 歩くことが 身についてしまっているのだ。



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徒然なるままに | 21:56:17 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコクから ネパールの今
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バンコクから ネパールの今 8

 カトマンズを離れて 2週間が過ぎた。
 離れても 気になるから ネパールのニュースには目を通すようにしている。
 私がいたときと同じように 電気と水の事情は最悪のようだ。
 先日のホーリーというネパールの色粉、色水を掛け合う祭りでは 日中は停電にならず
 電気がきたというから、電力事情は好転しているのだろうか。
 3週間前の大きな祭り シバラットリの際には 普段と同じ停電だった。

 水道事情は 雨が降らず、ますます大変な状況に陥っているらしい。
 ネパールの天気予測によれば、あと2週間は 雨は降らないらしい。
 カトマンズの庶民にとっては 電力不足よりも水不足ほうが 生活の根幹に係わる。

 南ネパールのタライ地方では ネパールの昔からの先住民族が 同じタライ地方に住む
 マデシというインド系住民と同じように扱われることを嫌い、自分たちの要求を政府に
 突きつけて、ストライキに入っている。
 そのため道路が封鎖され インドからの物資がカトマンズに入ってこなくなり、
 石油製品のストックも2日分しか残ってないという話だ。
 石油製品が入ってこなければ、発電機を動かすことも出来ず、発電機によって 
 やっと稼動している工場や作業所は大打撃である。

 政治的には 旧支配勢力の主だったリーダーたち、元国王、ネパール会議派の
 ギリジャ元首相などが どういう訳か デリーに集まっているらしい。
 なにやら、きな臭いものが漂ってくる。

 ネパール国軍とマオイスト軍との統合も 一向に進展せず、マオイスト軍のほうは
 痺れを切らし、新兵の募集を始めたが、政府との話し合いで 一応、中止となったが、
 この辺のことも新たな混乱の火種になりそうだ。

 国を運営していくために 政府は充分に機能しておらず、治安の混乱に拍車をかけて
 いる。
 こんな状況であるから、一体、国がどうなっていくのか、誰一人わからない有様だ。
 マオイストによる国の統合を期待したネパール国民であるが、それが期待はずれで
 物価高、電力不足、水不足、治安の悪化に苦しめられている。
 それでも生活力のたくましいネパール庶民は 持ち前の自衛力で頑張っている。

 ネパール、タイ、日本と政治の混乱は同じであるが、ネパール、タイの庶民たちは
 マスコミなど初めから、信用していないから、マスコミに扇動されることもない。
 当たらない天気予報ぐらいにしか思っていない。

 困るのはマスコミ天国の日本だろう。
 命を懸けて報道するという真剣さはなく、大切な事柄も 週刊誌的な受けをねらった
 いい加減さ、それを鵜呑みにする国民や太鼓持ちをする似非知識人、報道の中立など
 どこに行ってしまったのか。
 戦前の軍部の台頭、そして戦争といった事態も 政府によるマスコミ操作、
 それに乗っかるマスメディア、無批判に信じてしまう国民と、今の状況は当時の状況と
 さほど、違っていないのではと思えてくる。
 右肩上がりの経済成長の中で 国民も消費、飽食におぼれ、適切な判断が下せなく
 なっている。
 誰かが どうにかしてくれると思って ただひたすら待っている。

 それに比べれば、ネパールやタイの国民の方が健全である。
 自衛し自らを護っていく力はある。
 何かにつけて トラウマを持ち出す日本人とは違うのである。

 ネパールの庶民の子供たちは 小さいうちから 自分を護る力を身につけていく。
 彼らはどんな国に行っても 生き抜くだけの力を持っている。
 日本に行っても うまく日本人をあしらうだけの力はある。
 ネパールでもタイでも 日本人を見るたびに そのひ弱さが気になる。
 異国にいくと 赤子の手をひねるように 簡単に騙されてしまう。
 そうすると 騙した側を悪く言うだけで、自分の非力さには眼を向けない。
 異国にやってきても お金、財力によって支えられているだけで、人間、動物の持つ
 生命力の強さによってではないことは確かである。



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徒然なるままに | 02:17:23 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 当たり前の生活を求めて
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 バンコクへの訪問が 22年間に渡り、訪問回数、滞在日数もその数を増してくると
 だんだん、刺激的な生活も 刺激的な光景も避けるようになり、穏やかでのんびりした
 風景へと惹かれていく。
 それだけ年を取ったということだし、もう自分にとっての祭りの季節は 過ぎ去って
 しまったという気持ちもどこかにある。
 もう身体も気持ちも若くはないのである。
 若い頃は バンコクの暑い夏のエネルギーさえ、自分のエネルギーに変えることも
 出来たが、今では その暑さから逃れようとしている。
 22年前に感じたバンコクへの熱い想いは 何処かに消え去ってしまった。


      夏まつり

           作詞・作曲:井上陽水

   十年はひと昔 暑い夏
   おまつりはふた昔 セミの声
   思わずよみがえる 夏の日が
   ああ今日はお祭り 空もあざやか

   自転車のうしろには 妹が
   ゆかた着てすましてる かわいいよ
   もらったおこづかい なくすなよ
   ああ今日はおまつり 早く行こうよ

   綿菓子をほおばれば すぐにとける
   友達もみんな居る 笑い声
   道には並ぶ店 オモチャ売り
   ああ今日はおまつり 何を買おうか

   十年はひと昔 暑い夏
   ふるさとはふた昔 夏まつり


 井上陽水   夏まつり
 http://www.youtube.com/watch?v=5gMKV3VawJ4


 バンコクの暑い夏に負けて 遠出をしたくないときには センセーブ運河の
 向こう側の集落 バーン・クルアや下町あたりを散歩する。
 このあたりには昔懐かしい光景が多く残っているからだ。
 路地の中に入っていくと 何一つ隠すことのない人々の生活がそこにある。
 アイスクリーム売りを追いかけて アイスクリームを買う幼い子供、
 手の中には1バーツ玉が二つ、これではアイスクリームは買えない。
 近所の知り合いのおばさんが 子供に20バーツを渡している。

 運河の脇の道路下に座り込んで 午後のひと時を過ごす人々の姿も 
 20年前と同じ光景、カキ氷と子供、木造の家の前の蘭の花、気持ちよく眠る猫、
 どれもこれも古き予期時代のバンコクの風景だ。

 変わりゆくバンコクの中でも 人々はゆったりした時間の流れに身を置いていたいと
 思うものだ。
 そこには 人間本来の姿、無理のない生活がある。

 飽食、無駄な消費とは無縁の生活だし、心の安らぎや暖かさにあふれている。
 こんな当たり前の生活を押しつぶし、欲望の渦の中に人々を追いやるのは 
 誰の仕業なのだろう。
 一部の愚かな金や権力の亡者のために 人々の穏やかな生活は容赦なく押しつぶされていく。



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徒然なるままに | 06:48:23 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク バンコクの今
バンコク バンコクの今 1

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バンコク バンコクの今 6

 バンコクでの生活も 2週間になった。
 日を追うごとに暑くなっていく気候には いささかうんざりし始めている。

 タイも 世界の金融危機のしわ寄せを受けているはずなのに 
 巷の様子には 以前と さほど違いがあるようには思えない。
 タイのニュースでは 失業者の増加が伝えられているが、人々の生活や顔つきを見ても
 そんなに深刻な様子が見られないのはどうしたことだろう。
 タイ特有の感覚 「マイペンライ」で乗り切っていくのだろうか。
 タイ人の大半は 職場を永久就職の場とは考えていないから、失業すれば、他の仕事を
 考えればいいぐらいに思っているのだろうか。
 日本人のように仕事一筋に生きがいを見出す人たちではなく、
 何よりも生活を楽しむことが大切な人たちだ。

 タイ人といっても いろいろだから一概に言えないことも確かだ。 
 バンコクの中産階級以上の人たちは 中国人との混血の人が多い。
 バンコクは 2百年以上前は 中国人の町だった。
 そこに ビルマとの戦いに敗れた貴族たちが バンコクに逃れてきて トンブリ王朝、
 そして、今のラッタナコウシン王朝を創始したわけであるが、バンコクの中国人は
 王族や貴族たちの後ろ盾がほしかったし、王族・貴族たちは 中国人の経済的な能力、
 そして、その財がほしかった。
 それを可能にしたのが、王族・貴族と中国人との通婚だったように思われる。
 それがバンコクの上層階級を形成して行き、今の支配階級である。
 第2次世界大戦以降に 出稼ぎにバンコクにやって来た中国人たちは 
 タイでの国籍獲得のために バンコクのそれほど裕福でない人々と通婚し、
 バンコクでの生活の基礎を作り、彼らがタイの中産階級にのし上がっていったと
 言っていいだろう。

 この二つの階級の人々は 別として、タイの一般庶民は 中国人とは通婚しなかった
 地方農民であり、バンコクでは地方から仕事を求めて出てきた人々で、これらの人々が
 タイの7,8割を占めるだろう。
 こうした人々の生活は いつだって安定していないし、定職につくことも少ないし、
 定職についても 職場の雰囲気が気に入らなければ、さっさと仕事をやめ、別の仕事を
 探す人々だ。
 こういう人たちこそが タイの『マイペンライ』型の人たちだ。
 お金があれば、酒を飲んで生活を楽しむが、なければ、インスタントラーメンで食事を
 済ませる人たちだから、なければ困るが、先に述べた二つの階級の人々に比べれば、
 不況もさほど深刻な状況にならないようだし、犯罪が増加しても、
 実際、犯罪者のターゲットは 二つの階級の人々だ。
 観光客も犯罪者のターゲットにならないように気をつけたいものである。

 夕方 通りを歩いていても 酒を飲ませる屋台や店は盛況だし、どこが不況かと
 思わせるし、路上、広場での商いも不況など どこ吹く風でいつもどおりだ。

 夕方遅く市場に行けば、1品10バーツの安売りの惣菜も手に入る。
 この惣菜を2,3品買って、ご飯を炊けば、2,3人での食事には充分である。
 こんなものを食べていれば、最低限の生活費で生活できる。
 庶民の特権である。

 いつも MBKセンター(マーブンクロン)近くで見かける犬たちもよく肥えている。
 まるで 豚のように太っている。
 タイ人のいたずらか 今日はサングラスをかけて のんびりと地面に腹をつけ、
 寝ていた。
 犬たちにもまだまだ 不況の影響は出ていないようだ。

 街中での建築ラッシュも 止まっていないようだ。
 ただ、マンションのディスカントセールは 始まっているようだが…。



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徒然なるままに | 14:00:22 | Trackback(0) | Comments(2)
バンコク プラカノン運河の寺院‐04 運河の岸辺にて
バンコク パラカノン運河の寺院‐04 運河の岸辺にて 1

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バンコク パラカノン運河の寺院‐04 運河の岸辺にて 6

バンコク パラカノン運河の寺院‐04 運河の岸辺にて 7

 ワット・マハブットの寺の中も 充分に見て回ったので、帰りは 暑い通りを避けて
 定期水上船に乗って プラカノンへ出ようと思い、寺の船着場で 水上船を待つ。

 運河の対岸には 小さな水上集落がある。
 木造のバラックにも近い造りの家々だ。
 暑い午後、人々は 運河の涼しい風を求めて 岸辺近くでのんびりと座り込んでいる。
 どうも人々の様子を見ていると、ナンナークの家、ワット・マハブットとのかかわりで
 生活の糧を得ている人たちのようだ。
 ボートに乗って 岸辺近くで魚を採っている人たちは タンブン(徳を積む)のための
 運河に逃がしてやった魚を 再び捕まえ、寺の中で 参拝者に売りつけるようだ。

 ナンナークの話は 今から140年前の話だが、その頃は このあたりに住む人々も
 少なく、夜ともなれば、幽霊でも出てくるような暗い闇が支配していたはずだ。
 時代は ラーマ4世の時代、プラカノン運河が整備され、それに伴って人々が
 少しずつ入り込んできたのだろう。
 
 ワット・マハブットの近くで運河は二手に分かれ、目の前の運河は再びチャオプラヤ川 
 に向かい、もう一つは ペチャブリ方面へと向かい、センセーブ運河に合流するらしい 
 が、今ではそちらへ向かう定期水上船はなくなっている。
 運河が交通の要であった時代には、このあたりは 運河の要所だったのかもしれない。
 目の前の水上集落の人々は 船で行きかう人々に食事でも出していたのかもしれない。
 あるいは 運河の水の中に棲む魚を採り、生計を立てていたのかもしれない。
 水は澄み、洗濯も炊事もこの運河の水で事足りていたに違いない。
 目の前の水上集落の家々で生活している人々ののんびりした姿が 140年前の
 バンコク人々の生活へとつながっていくような気がする。

 流れゆく運河を眺め、人々の生活する姿を見ているうちに 30分以上も経って
 しまったが、定期水上船は やってこない。
 川面を吹き渡る風は 心地よいが 湧き出た汗は 乾かず、気持ちが悪い。

 船を待つか、歩いて再びプラカノンへ戻るか 迷っていたが、結局、暑い通りの中を
 歩くことにした。

 喉も渇いていたが、プラカノンの船着場の近くでいつものおばさんの作る氷菓子を
 思い浮かべながら、プラカノンを目指した。
 おばさんは いつもと同じ様子で 氷菓子を作っていた。
 しかし、おばさんの店も閉店に近く、カキ氷の中に入れる具の種類は 少なく、
 好みの具はなかったが、とにかく喉の渇きを癒す必要があった。
 おばさんの作った氷菓子を食べながら、やっと暑さから解放された気持ちになった。

 目の前の行きかう人々を眺め、あたりの昔ながらの雰囲気を残す街並みを眺める。
 こんな街並みの中に 日本人である私が 独り 氷菓子屋の椅子に座り込み、
 氷菓子を食べている。
 タイとのかかわりが始まって25年、こんな昔ながらの雰囲気の残る場所に座っている
 自分のことを考えると 私の25年間の時の流れは どこに向かって進んでいるか
 わからなくなる。
 お前は とんでもない阿呆ではないかと 自分に向かって問いかけたくなってしまう。

 氷菓子屋の椅子から立ち上がり、あたりの光景に自分を馴染ませながら、バス停に
 向かった。 


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バンコクの運河 | 02:34:58 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 日本帰国まで あと2週間ばかり
 暑いバンコクも耐え難いが 半分死に掛けているような日本に帰るというのも
 気が重い。

 今 日本では 民主党の小沢党首の献金問題で大揺れのようだが、
 日本のマスコミの馬鹿さ加減もひどいものだが、その情報操作に操られている
 国民の愚かさもそれに増してひどい。
 これが文部省のねらってきた戦後の国民教育の成果だ。
 立派な国を造り、立派な国民を育てたものである。
 国民自身が 批評・批判の精神を持たず、真実を見極めようという姿勢を持たない。
 こっちに流され、あっちに流され、民主主義とは 良識を失えば、こんなことになると
 いういい見本である。
 ネパールやタイの報道を見ていても こんな一方的な形の報道はないし、
 人々は 相対する立場の報道を見極めている。
 報道する側の意図が何であるか、見極めようとする姿勢もある。
 
 4月20日から4月26日までの期間、アジアの布展 『ラオスからブータンへ』
 というテーマで 展示会を開くことになっているから、帰国ということに相成って
 しまった。
 去年12月のアジアの布展 『インドの刺繍布』というテーマの展示会が 最悪の
 結果だったし、この世界不況のおり、どれだけのことが期待できるか 心もとない。

 この展示会の収入で次のアジア行きの費用を稼ぐ必要があるのだが、どこまでの成果を
 期待できるのだろう。
 工芸とか手織り布の世界など、用のなくなっている日本である。

 我が祖国でありながら、今の日本の迷走振りにも驚いているし、何の考えも持たず、
 情報操作されたマスコミの報道に 右往左往と無批判に反応している国民の姿も
 情けない。
 食い物と買い物を話題にしていれば、視聴率を稼げると思い込んでいるマスコミの
 軽佻浮薄さ、コケにされていることにも気づかず、げらげら笑っている視聴者、
 重要なことを話題にしているはずなのに 何の裏づけもなく、真実のように報道する
 いい加減さ、報道関係者の良心など感じ取ることも出来ない。
 新聞社が庶民の味方ということからすっかりかけ離れてしまっている。
 新聞記者の給料が 1千万を超えるようでは 庶民感覚からかけ離れるのは
 当然のことである。

 今の時期、卒業旅行と称して バンコクを訪れる大学生の姿をよく見かける。
 歩き回っている姿を見ても どうも心もとない。
 首や頭にタオルを巻き、短いパンツをはき、バンコク市内をうろうろしている。
 あの歩きざまが あまりにだらしない。
 こんな日本人をみて バンコク市民はどう感じているのだろう。
 バンコクの若者の方が 歩き方を見ても 姿勢もよく、まっすぐ前を向いて歩いている。

 バンコクでもカトマンズでも 現地の人たちにとっては 日本人や日本の若者は 
 お大尽であり、金のなる木ぐらいにしか感じてないのでは思えてくる。
 日本人に品位というものが感じられなくなってしまってから、どれほどの月日が
 流れたのだろう。

 バンコクに来ても 日本の消費願望そのままに 安い安いといって 買い物に走る。
 若者たちがまず行くところは おみやげ物の並んでいるバンコクのナイトバザールや
 サンデーマーケットなのである。
 こんな姿勢では アジアの人々の生活、生き方などは 理解できないだろうし、
 アジアの人々と対等な立場で手を結ぶということもできないだろう。
 今の日本も日本人も 同じアジアに住む人間としては受け入れられないだろう。
 アジアの人々が日本人に期待することは お金、財力だけになってしまっていることが
 心配になる。

 自分の国の文化や国の姿を しっかりと見極めることの出来ない国民が 
 他国にやってきても その文化や生活、国の姿を理解できないのは当然のことだ。
 テレビから流れてくる異国の風景を眺めるように 実際の目の前にある風景を眺めていても
 何一つ理解へとは結びついていかないだろう。

 アメリカだのヨーロッパ方面の流行にばかり目を向けているようでは 
 アジアは遠くなるばかりだ。
 いざとなったら、アメリカやヨーロッパは 助けてくれない。
 日本に お金があると思っているから ちやほやしてくれるだけだ。
 彼らから見れば、日本人はあくまでアジア人だし、アフリカ・アジアの人間と
 してしか見てもらえない。
 それがわからないほど、孤立した島国に住む日本人は おめでたい国民である。
 島国根性は いつまで経っても変わらない。



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徒然なるままに | 16:44:12 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク プラカノン運河の寺院‐03 ナン・ナークの悲劇
バンコク パラカノン運河の寺院‐03 ナン・ナークの悲劇 1

バンコク パラカノン運河の寺院‐03 ナン・ナークの悲劇 2

バンコク パラカノン運河の寺院‐03 ナン・ナークの悲劇 3

バンコク パラカノン運河の寺院‐03 ナン・ナークの悲劇 4

 あまり代わり映えもしない寺巡りも 日中の暑さの中では耐えがたく、帰りは
 定期水上船に乗って帰ろうと思い、運河のそばに造られている船着場の方へと
 歩いていくと、大勢の人たちが 参拝している木造の建物を目にした。
 建物の中に入っていく人は女の人が多い。
 一体 何を祀っているのだろうと近づいてみると 建物の正面に 女性の写真や絵が
 飾られている。
 その脇には映画のポスターのようなものもある。
 そして、その女性の名前 メー・ナーク・プラチョーノンが書かれている。

 以前、この女性の名前は耳にしたことがある。
 プラカノンに女性のピー(幽霊)を祀った有名な場所があることを。
 ピー好きのタイ人目当てに この女性のことをテーマにした映画やテレビドラマも
 多く作られ、タイの人であれば、知らないものはないくらいに有名なピーである。
 私もテレビをつけているとき、何気なくその映画を目にしたことがある。
 140年前の不幸な出来事を基に作られた映画らしく、そのためにこのワット・
 マハブットは有名になり、今のような規模のお寺になったのだろう。

 140年前 まだ村でしかなかったプラカノン村で二人の男女が結ばれ、
 男は 身ごもっている妻を残して戦争に出かけていく。
 男は戦争で大怪我を追い、家に帰ることができない。
 そうこうするうちに出産の時期が来るが、難産のために母子ともに死んでしまうが
 女は夫への想いが断ち切れず、ピー(幽霊)になってしまうという話だが 
 詳しい話は 次のホームページを読めば よくわかる。

 「タイ北部の女性たち」から タイ映画の紹介「ナン・ナーク」
  http://maesai.main.jp/page013.html

 この物語を読んでいると 小泉八雲の怪談小説『和解』とよく似ている。
 よく似ているが 愛する男に対する怨念の強さは タイ女性には敵わない。
 とにかくピー(幽霊)になった女性の激しさは 生半可なものではない。
 不幸に対して 日本女性のような受身の態度ではない。
 とにかく激しいし、感情的なのである。
 とかくタイでは 男女の愛情問題がこじれて 殺人沙汰に発展することが多い。
 くわばら、くわばらである。
 
 この場所にやってくるタイ女性など 恋人が彼女を捨てようとすれば、ナン・ナークの
 ように化けて出てやるという気持ちで ここに参拝しているようにも思われる。
 男女一緒にやってきているアベックなど、女の方はともかく 男の方はどんな気持ちで
 一緒にやってきているのだろう。
 物語では 男が裏切ったわけでなく 変わらぬ愛を誓っているが、心変わりの多いタイ 
 男に対する恨み辛みを持って、ここにやって来ているタイ女も多いことだろう。
 寺の船着場の近くには 多くの占い師が タイ女性相手に運命相談をしていた。

 タイのピーをテーマにした映画やテレビドラマでは ピーの大半は 女性のピーである。
 身売りをされたり、男に騙されたりで 苦しい思いをし、泣かされてきたのは 
 タイでも女性である。
 未だに 男が 2号、3号を持つというのは当たり前のように通用している社会である。
 だから、タイ女性は強く激しくなるより仕方がなかったのかもしれない。
 タイの田舎では 入り婿制をとることが多い。
 田畑の仕事、子供の世話は女に任せ、男は都会へと出稼ぎに出て行くことも多い。
 出稼ぎに出たのはいいが、そのまま 男は 失踪してしまうことも多いらしい。
 こんなところからも 新しいピー(幽霊)が生まれてくる。


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バンコクの運河 | 12:50:00 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク プラカノン運河の寺院‐02 ワット・マハブット
バンコク パラカノン運河の寺院‐02 ワット・マハブット 1

バンコク パラカノン運河の寺院‐02 ワット・マハブット 2

バンコク パラカノン運河の寺院‐02 ワット・マハブット 3

バンコク パラカノン運河の寺院‐02 ワット・マハブット 4

 午後3時 バンコクの暑さも 頂点に達している。
 汗が流れ出てきて 着ていたTシャツも汗まみれ、
 持っていたタオルもぐっしょりだ。
 
 ワット・タイからプラカノン運河沿いの次の寺院を目指す。
 このあたりでは目立つ大きなマンション、賃貸しか分譲かわからないが、
 そのマンションを通り過ぎていくと いつごろ建てたものなのかわからないが、
 20年前にはよく見かけた 崩れかかったような食堂が何軒か並んでいる。
 食堂の裏手にある密集した集落の人々相手の食堂らしい。

 そのあたりを過ぎると 寺院へと入っていく参道のような路地がある。
 寺院の入り口まで百メートル近くにわたって みやげ物屋のような店が多く立ち並んでいる。
 先のワット・タイとは明らかに違っており、参拝者の数も多い。
 寺院の前にある案内板を読むと ワット・マハブットと書かれており、
 現在のラッタナコウシン王朝の前、アユタヤ王朝時代に建てられた寺院だ。
 今から、250年近く前 一人の僧侶が寺院を開き、それが現在の規模になったようだ。

 参拝者も多く、寄進も充分にあるせいか、火葬場もその他の建物も ワット・タイに
 比べると 一段と豪華で規模も大きい。
 この寺院、ご利益が大きいのか 一大観光地化しているようだ。

 寺院の裏手に行ってみると ここにもタイの仏教建築ではよくお目にかかる太鼓を
 備え付けた豪華な塔が建てられており、その塔を囲むように 白いチャディと呼ばれる
 仏塔が並んでいる。
 その仏塔には 死者の写真が貼り付けられていた。

 ここの写真を撮っていると 24,5歳のタイ人の若者が 母親らしい女性と一緒に
 通りかかる。
 「写真をとって、どうするの」と訊くので 「日本人に見せる」と応えると
 「日本人なの」と驚いた表情を見せる。
 この頃は 日に焼けて 顔の色も黒くなり、日本人に見えないこともあるらしい。

 連れの母親らしい女性が 高い塔の周りにある白い塔 チャディについて 説明して
 くれる。
 話によれば、この寺院にこうしたチャディを造るには 50万バーツの寄進が必要で
 あり、チャディの中には 死者の遺骨も納められていると言う。
 貧しいものなど 遺骨の一部は 一旦 家の中に置き、時期が来れば、川に流すのが
 普通であるが、どうも金持ちの方が 死者に対する未練が大きいようだ。
 この白いチャディを建て、寺院に寄進することで 大きなタンブン(徳を積む)を
 することになり、より良い来世が用意されるというタイの仏教思想からくるもの
 らしいが、どうも私の感覚とは相容れない。
 生きている間も不平等に苦しみ、死ぬときにも不平等がある。
 平等ということは 富めるものも貧しいものもともに死を迎えることである。

 タンブンの一番大きなものは 寺を建てることであり、寺や僧侶に対する寄進を
 多くすれば、大きなタンブンを得ることが出来、それが来世の地位や身分に影響を
 与えるというのでは これはどう見ても平等とはかけ離れており、貧しいものは
 タンブンの量が少なく、再び、貧しいものに生まれつくことになる。

 私などは 死ねば 遺骨を海でも川でもいいから、撒いてくれればそれで充分だ。
 死んでしまえば、何も残す必要はない。
 白いチャディを見ながら、人間の持つエゴの現われだろ思い、人間の業の深さを
 感じるだけだった。
 寺もこうした人間のエゴ、業の深さを利用して、上手に商売をしている。
 これは日本も同じである。


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バンコクの運河 | 00:47:55 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 20年前 バンコクの子供たちは…。
 22年前に バンコクを訪れた頃は 中華街の端っこにあるカラッカダ・
 イーシップソーン(7月22日)・ロータリーの前のジュライホテルに泊まることが
 多く、もし、ジュライホテルに部屋の空きがなければ、台北ホテルにもよく泊まった。
 台北ホテルは 受付は2階で 1階には床屋や中国人の経営する飯屋があった。
 その飯屋では 小学校を卒業したばかりの子供たちが 立ち働いている姿を
 よく見かけた。
 田舎の小学校を卒業して この飯屋で働き始めたのだろう。
 当時は まだまだ田舎では 中学校に進学することは 誰でも出来ることではなかった。
 バンコクの中国人家庭などは豊かだったから、子供の教育には熱心だったが、
 バンコクでも貧しい家庭では 子供を中学へ進学させることは 容易なことでは
 なかった。
 教科書や学校の制服・かばんなどを揃えれば、2千バーツぐらいは必要だったはずだ。
 その頃は 貧しい家庭では月3千バーツを稼ぐのがやっとだった。

 ラーマ4世通りでは 子供たちが停車している車に 花飾りや薔薇の花を売っている
 姿もよく見かけた。
 親を助けてということもあっただろうし、自分の小遣いを稼ぐこともあったのだろう。

 バンコク最大の歓楽街 パッポン、タニヤ通り、スリウォング、シーロムあたりには
 夕方を過ぎると 2キロぐらい離れたバンコク最大のスラム クロントーイあたりから
 歓楽街に遊びにやって来ている子供たちも多くいた。
 外国人にたかる子供たちだ。
 中にはシンナー遊びにのめりこんでいる子供たちも多くいた。

 大人も子供も生きるためにもがいている姿がそこにはあった。
 歓楽街にやってくる子供たちの大半は 家庭が崩壊寸前にあり、家庭も片親の家庭が
 多く、親も食べることが大変で 子供のことなど構っておられないというのが
 実情だった。
 中学にも進学できず、スラムでの生活の中では 未来も見えず、仲間とつるんで
 歓楽街を徘徊する子供たちだった。
 タイが 経済成長へと向かう前のバンコクの子供たちの姿だった。
 戦後のどさくさの中の日本の子供たちも 同じような社会に生きていたのだろう。

 20年以上前のあの子供たちは 今はどうなっているのだろう。
 生きているのか 犯罪に巻き込まれ 刑務所へ行ったのか、運悪く命を落としたのか
 しかし、自由に自分の思うままに生きている子供たちの生き様だけは感じることは
 出来たそんな時代だった。

 そういう時代だったのである。
 今は そんな子供たちの姿を見かけなくなったが、今のタイが 子供たちにとって
 幸せな時代なのか どうかはわからない。


       いつのまにか少女は

            作詞・作曲:井上陽水


    いつのまにか青い空がのぞいてる
    思いつめた黒い雲は逃げてゆく
    君はどこで生まれたの 育ってきたの
    君は静かに音もたてずに大人になった
    Un un Un un un

    白い膚が光に触れまぶしそう
    髪の色は青い空に浮きたって
    燃える夏の太陽はそこまできてる
    君は季節が変わるみたいに大人になった
    Un un Un un un

    いつのまにか「愛」を使うことを知り
    知らず知らず「恋」と遊ぶ人になる
    だけど春の短さを誰も知らない
    君の笑顔は悲しいくらい大人になった
    Un un Un un un Un un un


   井上陽水 いつのまにか少女は
http://www.youtube.com/watch?v=aKHKQ1btrlc


 当時のバンコクの子供たちの姿を眺めていると 井上陽水のこの曲が 心に沁みた。
 遠い遠い昔のことである。



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エピソード | 14:26:29 | Trackback(0) | Comments(0)
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