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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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バンコク バンコク滞在3日目の朝を迎えて
 バンコクの暑さにも 少しずつ慣れ、バンコクでの生活にも適応していきつつあるが、
 サバイバルな生活に近かったカトマンズの生活を終えて、バンコクにやってくると
 消費と食い物の国といった感じで 私の心のアンテナが動いていかない。
 街行く人々の表情や姿を見ていても 生き生きといたものを見出すことが出来ず、
 カメラ片手に歩いていても 写真を撮る気にもなれない。

 昨日の朝は 近くにある屋台に惣菜を買いに行ったら、屋台の前に日本人の若者が
 4人 屋台の前の路上で 屋台で食べようかどうか、どうやって注文すればいいのか、
 と思い惑う様子で立っていた。
 ここ10年近く前から流行り始めた大学生の卒業旅行と称して バンコクにやってきた
 日本の大学生たちだった。
 私は 昨夜ご飯を炊いていたので惣菜を買えばよかったのだが、バンコク屋台利用術を
 少し伝授するつもりで 一緒にラーメンを食べることにした。
 屋台でのラーメンの注文の仕方、麺類の名前、その他 基本的なことを教えたが、
 『地球を歩く』という本を手にしていれば、どうにかなるという安直さには 驚いたし、
 その本もまともに読んではいないようだった。

 日本の地方の若者が 東京、大阪などの大都会に行くような感覚でバンコクに
 やってきているのである。
 日本なら言葉の壁はないが、バンコクではそうわけには行かないし、
 昔も今も同じだが、日本人の英語力は 大して向上もしていない。
 自分の生活の幅、範囲内でしか 異国を理解できないというのは当たり前のことだが、
 今時の若者には 五感を働かせ、状況を掴み取るたくましさはない。

 3,4日かけて タイの歴史や社会状況が見えてくるような形のバンコクの街の案内、
 異国の文化への手ほどきを兼ねたバンコクのガイドでも この若者たちにすれば、
 面白いと思ったが、そんなことを求めてバンコクにやってきているわけでもあるまいと
 口に出すのは止めた。

 スコタイ、アユタヤからバンコクへと王都の変遷、そしてトンブリからラッタナーコウシン島へ、
 運河の発展と街の広がり、仏教と、イスラム教徒、キリスト教徒との歴史的なつながり、
 タイ、バンコクの文化的な流れ、バンコクの街の構造、発展などをバンコクの街を案内すれば
 異国の文化理解につながると思ったが、それは 私が思っているだけのもので 
 大半の日本人には 必要のないものだろう。

 自国の歴史、文化にすら関心を向けることの少なくなった日本の人々に 他国の歴史、
 文化に関心を示す人々も少ないだろう。
 日本製品は世界にあふれている。こうした日本製品が 日本の文化だと思われている
 のが アジアの現状である。

 長い歴史を持つ日本文化を感じて、日本人を評価するのではなく、日本が作り出した
 工業製品によって、評価されているだけだ。
 そして、そうしたものに支えられたお金を持っている日本人、それだけである。
 なんとも悲しい姿である。

 本当にバンコクのことを深く知りたい人 定員4人ぐらいまでなら、
 格安でバンコク案内をいたしますよ。
 あまり、旅行者の行かないバンコク案内になると思いますが…。(笑)



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徒然なるままに | 14:53:08 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ バグマティ川辺の不思議な仕事
カトマンズ バグマティ川辺の不思議な仕事 1

カトマンズ バグマティ川辺の不思議な仕事 2

カトマンズ バグマティ川辺の不思議な仕事 3

カトマンズ バグマティ川辺の不思議な仕事 4

カトマンズ バグマティ川辺の不思議な仕事 5

 カトマンズにやってくると 毎日のように散策を繰り返すバグマティ川の岸辺、
 バグマティ川は すっかり汚れきって、どぶ川以上の何ものでもないが、この川辺に
 沿って生活する人々の姿は 私にとっては魅力的なものである。
 雑草のようにたくましく生きているという形容が似合う人々である。

 その雑草のようにたくましく生きる人々とは 対照的に バグマティ川の辺には
 今から150年近く前にラナ家によって建てられたラナ家独裁制の遺物のような
 ヒンズー教の寺院群が建ち並んでいる。
 その寺院群も人々の信仰を失い朽ちていくばかりの姿をさらしている、
 雑草のようにたくましい川辺の人々とこれらのラナ家の寺院群が 不思議な雰囲気を
 かもし出し、私を惹きつけて止まないのである。

 春とはいえ、日中の太陽の陽射しは夏のものに変わりつつある午後の散策は 
 ゆっくり歩いていても汗のにじんでくるものだ。
 そんな日の夕暮れ前に バグマティ川の川辺にたたずむシバ寺院に行ってみた。
 このシバ寺院の前は 身体を清める沐浴場であったが、ここ20年の間にすっかり
 汚れきった川の水では、この沐浴場に身体を清めにやってくるものの姿はない。

 沐浴場のために造られた石段に座り込んでなにやら作業をしている大人と子供がいる。
 こんな汚い川に魚などいるはずもないのに 何かを紐に結わいつけて 黒い水の中に
 投げ込んでいる。
 近寄っていき、その作業を詳しく眺めると 紐の先には磁石が結わいつけられおり、
 その磁石を使って、川に投げ込まれた賽銭を拾い上げているのである。
 「仕事はうまくいっているか、収穫はあったか」と声をかけると
 最初は怪訝そうな顔つきをしていたが、私に悪意のないことを知ると にっこり笑って、
 手のひらを広げ、その収穫物を見せてくれる。
 手のひらの中にあった小銭は 全部を合わせても 5ルピーにも満たないものだった。
 飴玉と1本のタバコを手に入れれば 消えてしまう額の収穫である。

 彼らのその姿を見ていた近隣の住民が 「いろんなことを考え出すものだな」と
 少し、侮蔑的に私に話しかけてきたので
 「食べることに困れば、誰だって、知恵を働かせるより仕方がない」
 そう受け応えると 苦笑いをしていた。

 世の中には 賽銭を川に投げ出す人間もいれば、それを拾い上げて 生活の足しに
 する人々もいる。
 それは人間の生きる姿の現実であるが、賽銭を投げ入れた側の人間が拾い上げる人々を
 軽蔑することは出来ない。
 たまたま運よく投げ入れることが出来る場所に生まれついたか、運悪く拾い上げる
 場所に生まれついたか それだけの違いである。
 いつの時代か、それが入れ替わることがあるのも 世の流れの常である。

 後日 再びこのバグマティ川の辺のシバ寺院にやってくると、シバ寺院の中に住む
 ネワール族の子供 11歳のビックラムが 真剣な表情で 同じように磁石を
 結わいたビニールの紐を 黒い濁った川の水の中に投げ入れては 川の底に沈んでいる
 小銭の賽銭を拾い集めていた。
 彼も生きていかなくてはならない。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 14:12:12 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ ラットナパーク フードアベニュ
カトマンズ ラットナパーク フードアベニュ 1

カトマンズ ラットナパーク フードアベニュ 2

カトマンズ ラットナパーク フードアベニュ 3

カトマンズ ラットナパーク フードアベニュ 4

カトマンズ ラットナパーク フードアベニュ 5

カトマンズ ラットナパーク フードアベニュ 6

カトマンズ ラットナパーク フードアベニュ 7

カトマンズ ラットナパーク フードアベニュ 8

 カトマンズの中心部にラットナパークと呼ばれる小さな公園がある。
 小さな公園といってもカトマンズ市内では一番大きな公園であるが、ほとんど整備が
 されておらず、ゴミだらけの公園に成り果てている。
 仕事を持っているのかいないのか、そんな人たちが日中を過ぎると集まってきて
 各々辺りに座り込んで 時の流れ行くのに身を任せている。

 そんな公園の中には 多くの食べ物屋 屋台が並ぶようになった。
 バンコクのように水の便には恵まれていないカトマンズ、すべての屋台では 水を
 使わなくても済むような食べ物が料理され、売られている。
 皿などの器を使えば、洗う必要もあるので、食べ物は 使い捨ての木の葉で作った皿に
 盛り付けられたり、最悪の場合は 雑誌などをばらした紙が皿代わりになる。

 昔は 売られていたのは 切り売りの果物やソーダー水ぐらいのものだったが、
 近頃では 水牛の肉のカレー味の煮込み、魚や卵のフライ、ソーセージなどの揚げ物
 の屋台も増えてきた。
 一時代前は カーストの穢れの概念から、カーストの低いものの料理したもの、
 カーストの低いものの触った水などは 食べたり、飲んだりすることを避けられて
 いたが この頃は そうした穢れの概念が薄れてきていて、若い世代の人たちは気に
 しないようになってきているようだ。
 若者たちの間では 薄れてきている穢れの概念も 年配の者たちの間では しっかり
 残っている。
 肉にしても 水牛の肉などは ネワール族やタマン、グルン、ライ・リンブー、
 マガール族などの先住民族は好んで食べるが、バウン・チェットリ族は 好まない
 傾向がある。インドのヒンズー教徒の習慣をそのまま受け継いでいるようだ。
 しかし、菜食主義というわけではなく、鶏肉や山羊肉は食べる。

 屋台を順番に眺めていくと、水牛の肉のカレー味の煮込み、魚・卵などのフライ、
 ジャガイモ、ソーセージなどの炒めもの、昔ながらのとうもろこし焼き、パニ・プーリ
 と呼ばれるインド風お菓子、ムーリと呼ばれる豆類を合えた軽食、決して 清潔とは
 言い難いが カトマンズ庶民の好む軽食類である。
 
 用意された木の椅子や路上に座り込んで そうした軽食をほお張っているネパール人は
 皆 嬉しそうである。
 ネパール人にとっては どんな食べ物であっても 食べることは大きな喜びなのだ。

 ここに来て私が食べるものといえば、卵フライぐらいのものであるが、この前などは
 どういうわけか、砂が混じっていたらしく、食べていると口の中が じゃりじゃりした。
 雑菌に対する抵抗力を養うといっても誇り舞うラットナパークでの屋台での簡単な
 軽食はやはり遠慮したい。
 せいぜい、砂混じりの卵のフライぐらいで我慢したい。
 しかし、何も食べないわけには行かない。
 ここに屯する人たちの仲間入りをするには その辺で売られているものを買って食べる
 という行為は ある種の通過儀礼である。
 何かを食べていれば、カメラを向けても愛想よく許してもらえる。

 カトマンズの雑多な人間模様を眺めるには このラットナパークは 格好の場所だ。
 時々やってきて 砂混じりの卵のフライを食べてはこの公園の人々の姿を眺める。
 この場所は カトマンズの中の私のフェバリット・プレイスの一つである。



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カトマンズ 街の風景 | 01:14:52 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 静寂の宿る場所
カトマンズ 静寂の宿る場所 1

カトマンズ 静寂の宿る場所 2

カトマンズ 静寂の宿る場所 3

カトマンズ 静寂の宿る場所 4

カトマンズ 静寂の宿る場所 5

カトマンズ 静寂の宿る場所 6

カトマンズ 静寂の宿る場所 7

カトマンズ 静寂の宿る場所 8

 身体は バンコクへと移動してきたけれど、心は まだ どこかカトマンズにある。
 その心の余韻のままに しばらくはカトマンズのことを綴っていこうと思う。

 ここ20年で カトマンズの人口は 3倍、4倍にも増え、街の中心部は 耐え難い
 喧騒の中にある。
 近頃では 何か用事のない限りは カトマンズの繁華街には行くことが少なくなった。
 行っても大通りは避け、裏道、裏通りを探して歩くことが多い。

 明け方 バグマティ川の岸辺に沿って歩いていると 対岸に古い民家が浮かび上がってくる。
 春先の明け方の寒さを避けて、まだ表には人の姿は見えない。
 朝の生活のあわただしさの始まる前の静けさ。

 こんな静けさもある。
 暖かい午後の陽射しのあふれるレンガ畳の庭の先の家の前では 
 干した洗濯物が揺れているだけ、家のものの姿はどこにも見当たらない午後のけだるいひと時、
 家の中で 朝の仕事の疲れを癒しているのか。

 バグマティ川上流のラナ家の造った寺院群のある一角、住む人のいなくなった
 崩れかけた住居、空は青く澄み渡る中、人っ子一人 人の姿はなく、犬がのんびりと
 寝転がっている。

 寺院に入る古びたレンガ造りの門、入ってくるネパール人の老女と座り込んでいる
 黒い犬、千年の前もこんな姿だったのか。

 引き込まれていきそうなパタン旧市街の路地裏風景、ひっそりとした佇まいの
 どこかに人の息遣いが伝わってくる。

 このカトマンズ盆地の中にもまだまだ静寂の宿る場所がある。
 静かな寺院の石段に座り込んでいる二人の老人、悲しげな眼をして座り込んでいる。
 石畳の路上に座り込んでいる老女。

 どれもこれも 人の匂いのしない死に絶えた遺物ではなく、人間の匂いが漂う暖かい
 血の通った人間らしい風景だ。

 悲しそうでありながら、どこか温かみがあって、人の心を慰めてくれる風景でもある。
 かつては こんな風景や光景にあふれていたカトマンズの街だったが、今では少し
 苦労をしないと手に入れることの出来なくなった暖かい静けさである。

 こんな風景や光景に出会うと 自分は今どこにいるのかと 疑ってしまう。
 突然 異空間の中に投げ出されたという錯覚すら感じることがある。

 こんなとき、時間がゆったりと充実した時と空間を与えてくれていることに
 気がつくのだ。
 なんと満ち足りた時間の流れに自分は身を置いているのかと…。


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カトマンズ 街の風景 | 11:05:38 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 一夜明けて
 アパートの自分の部屋に 重い荷物を抱えて辿り着き、ほっと一息である。
 まずは噴き出した汗をシャワーで洗い流し、空気を入れ替え、扇風機をつける。

 荷物のない旅をしたいとは いつも願っていることだが、カトマンズからバンコクに
 帰ってくるときには いつも30キロ近い荷物になる。
 今回は カトマンズの部屋に置いてあったブータンの野蚕の紡ぎ糸で織られたキラ 
 ルンセルマ、アイカプールなど4,5枚を抱えてきたのでその分重くなってしまった。
 それとカトマンズに置いてあった、ブータン関係の布の写真入りの本も抱えてきた。
 感動の少ないバンコクでの生活の間は、英語版の布のブログを書くことに精を出す
 つもりだったからだ。
 他に何を持ってきたのだろう。
 ネパールの安いタバコ クックリを多数、残っていた日本米を2キロ、ネパールティを
 1キロばかり、1キロの蜜柑、ネパールに持っていった非常食の持ち帰り、布以外は
 大したものではないが、合わせると30キロ近くになる。
 スーツケースが22,3キロ、リュックが7,8キロになる。

 それらの品物を整理して ブログのコメント、更新を済ませると 夜中の1時を
 過ぎてしまう。
 それでも、14時間の計画停電のカトマンズから来ると、停電時間に左右されずに
 時間が 自分のペースで使えるというのは嬉しいことだ。
 眠くなったら、寝るという当たり前の生活が出来る。
 カトマンズにいるときは 電気が来る時間に合わせて、睡眠時間を決めていた。
 真夜中の12時に起きだしたり、朝の4時に起きだしたりで、規則正しい睡眠が
 取れないことは 健康や体調に大きな影響を及ぼしていたようだ。
 バンコクに着いて、一晩寝ると おかしかった腹具合も収まり、平常に戻った。

 今日の朝は 早速近所の麺類の屋台で バーミー・ヘン(汁なしラーメン)を食べる。
 バンコクに慣れるには まず食べ物からである。

 アパートに帰り、電気代がどうなっているのかと 受付に問い合わせると 
 異変が起こっている。
 いつも電気代を預けている50近い中年の女性が 受付を辞めたという。
 電気の請求書は 私のポストボックスへ入ったままである。
 今日が支払いの最終日で 今日支払わないと、電気を切られてしまう。
 早速 近くのセブンイレブンで10バーツの手数料を払って、支払いを済ませた。
 どうもこのアパートの管理事務所で職員であったこの中年女性が 使い込みをした様子で
 ある。
 そのために失職ということになったようだが、私の預けていた500バーツは パーである。
 いつもは千バーツ、2千バーツと預けることが多いのであるが、今回預けていたのは
 500バーツで被害は最小限だった。
 10年以上 いつも世話になっていた女性であったから、500バーツは餞別として諦めがつく。
 アパートの中には他にも大口の被害者がいるらしい。
 本来なら、彼女を雇い入れていた委員会が 責任を持って対処すべきであるが、
 タイ人社会、期待する方が無理である。
 今度は 管理会社に任せるようだが、どうなることやら。
 いよいよ、電気代は 銀行口座からの引き落としを考えなくてはならないだろう。

 カトマンズから来ると暑い大気の幕に覆われているようなバンコクである。
 朝夕と日中の気温差 20度に悩まされていたカトマンズから来ると、
 1日中が暑さの中にあり、これから気温はうなぎのぼりと来ている。

 これがバンコクの生活の始まり、ただひたすら暑さに耐える生活の始まりである。


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徒然なるままに | 00:28:07 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク カトマンズからバンコク到着まで
 フライトは 13時50分発のタイ航空、荷物を抱え、通りに出て タクシーを
 拾う。
 のんびりとした気持ちで家を出ることが出来た。
 ネパール航空ならフライトが 午前8時頃だから、朝のあわただしさといったらない。
 
 空港までのタクシー代は250ルピー ガソリン代は下がっているが、
 タクシー代は下がっていない。
 チベット人、シェルパ族の新年 ロサールの祭りが始まり、今日は国の祝日になって
 いる。
 2日前が シバラットリの祭りで祝日、休みばかりが増えて、官公庁や学校、銀行は 
 大喜びである。
 個人の商店や小さな工場は 祝日でも営業しており、何一つ恩恵はなく、国の祝日に
 合わせて商売をしていたら、上がったりである。

 祝日にもかかわらず、道路は平日のように混んでいる。
 道々 マオイストの青年グループが デモをしていたが、こんな風景もしばらく
 見納めである。

 無事、空港に到着し、空港の中に入り、タイ航空のカウンターでチェックイン、
 14時間の計画停電、水不足のネパールにやって来る観光客も少ないせいか、
 満席ではないようだ。
 出国手続きを済ませ、待合室に入っていくと 日本人らしき老人の集団が 
 ホテルから用意された豪華なランチボックスを広げて食べている。
 あとでこのグループを率いているツアーコンダクターに訊くと 10日間のインド・
 ネパール仏蹟ツアーのグループだった。
 2度目の荷物のチェックを終え、もう一つの待合室に行くと 出稼ぎのネパール人で
 一杯である。
 カタールのドーハに向けて飛び立っていく集団だ。
 仕事がなく、出稼ぎから帰ってくるネパール人もいれば、出稼ぎへと飛び立っていく
 ネパール人もいる。
 この世界不況の最中、世界はどうなっているのだろう。

 今日は大気も霞んでいて、ヒマラヤの山々は良く見えない。
 久しぶりにウィスキーオンザロックとワインを飲み、機内食を食べ、いい気持ちで
 うつらうつらしているうちに 飛行機は バンコク上空へ、無事着陸して、入国手続き、
 荷物の受け取りを済ませ、到着ロビーの1階下のエアポート・エクスプレスという
 空港バス乗り場へと向かうと、バンコクの暑さで汗が噴出してくる。

 バンコク中央駅方面行きの4番のバスのチケットを買うが、バスがやってくるのに
 30分以上待たされてしまった。
 150バーツの節約も楽ではない。
 バスに乗り込み 夕闇から暗闇へと変わる街並みを眺めながら、代わり映えのしない
 面白みのない都会の風景に げんなりしながら、座り込んでいると すぐ後ろの席に
 座っているおかしなタイ人が 耳障りな裏声で 途切れること鼻歌を歌い続ける。

 計画停電14時間のカトマンズから来れば、贅沢な夜の照明に照らされたバンコクの
 街だが、私の叙情をくすぐるものは何もないことに 改めて気づく。
 金子光晴が放浪した東南アジアからはるかに遠く、私が初めて訪れた25年前の
 バンコクも すっかり変わり果て、心を震わせるものは 消え去ってしまった。

 これからの1ヶ月 どうやって過ごしていくのか、思いやられる。
 カトマンズからやってくると 私の内部の半分が死んでしまう。
 人は心豊かに生きている人々の姿から、生きるエネルギーを得ることが出来る。
 喜怒哀楽を最大限に表現している街の楽しさ、充実がカトマンズにはあったが、
 バンコクの街では それが半減してしまう。

 空港バスはバンコクの中心部に入り、言い置いていたにも係わらず、愛想の悪い
 運転手は ディスカバリーセンターの前には停車せず、ラーマ1世通りを超えた
 MBKセンターの前に停車し、重い荷を抱えて、アパートまで歩く羽目になった。

 カセムサンのソイ1の通りに入ると、東北タイのコラートからやってきて、
 このソイで麺類の屋台を夕方から開いているおじさんが 店じまいをしていた。



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徒然なるままに | 16:16:28 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ バンコクへ旅立つ日の朝
カトマンズ バンコクへ旅立つ日の朝 1

カトマンズ バンコクへ旅立つ日の朝 2

カトマンズ バンコクへ旅立つ日の朝 3

カトマンズ バンコクへ旅立つ日の朝 4

 電気がやって来る朝4時に起きだし、部屋や台所の片付け、もって行く荷物の確認を
 しているうちに8時近くなってしまう。
 台所の片づけをしていると、いつものように野菜の残りが出る。
 ジャガイモ、たまねぎ、にんにく、キャベツ、えんどう豆、鞘インゲン、にんにくの茎、
 生姜、卵2個などが残っている。

 いつもは上の階に住む大家に上げていたのだが、残りの野菜類をビニールの袋にいれて、
 バグマティ川の岸辺にあるシバ寺院に行くことにした。
 ビックラムと三人の妹のところへ持っていけば、少しは役に立つかもしれないと
 思ったからだ。
 本当は何か肉料理でもと思っていたのだが、こちらが体調を壊し、料理を作ることが
 出来なかった。

 川辺にかかる黒いつり橋をわたり、レンガ造りの階段を下り、シバ寺院の広場に行くと
 ビックラムは近所の年上の子供と遊んでおり、上の妹は 雑炊のようなものを食べて
 いる。
 米もなくなったのだろうかと少し心配になるが、父親はどうしているのだろう。
 少し先の方では 下の妹たち二人は元気そうにはしている。
 いつもは警戒気味の黒い犬プッツアもどういう訳か 愛想よく甘えてくる。

 私に出来ることはこのくらいだし、いれば、様子を見ながら、何かしてやれるかも
 しれないが、しばらくはカトマンズに来ることもできない。
 日本なら、子供たちは施設に入るということになるのだろうが、ネパールの状況は
 そこまで進んでいないし、孤児院のようなものはあっても 劣悪なものが多く、
 子供のための良いとは限らない。
 とにかく母親が帰ってくることを祈るばかりである。

 バグマティ川の岸辺には 多くの出来事、ドラマがあり、人間の生身の姿があり、
 それは ごまかしのない世界である。
 生きていることのそのままの姿があり、それが喜怒哀楽にそのまま結びついている。
 生半可な同情は 下手をすると生きていくための力をそいでしまう。

 この前もオーストラリア人がこの寺院に来て ビックラムやその妹たちに20バーツ、
 30バーツとお金を与えていた。
 お金を与えても何一つ解決していかない。
 その周りには 同じシバ寺院に住むバウン族の若い住民が 群がっていた。

 施しとか援助というのはとても難しい行為だ。
 下手をすると 相手の人間としてのプライドや生活力を失わせることにもなる。
 物乞いを職業にするなら、別だが、自立ということを考えると、状況の見極めも
 必要になる。
 そんなことを考えながら、しばらくは訪れることのないバグマティ川の岸辺を
 歩きながら 家まで帰ってきた。
 複雑な思いは解決されないままである。



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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 13:45:22 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 今日は いよいよバンコクヘ
カトマンズ 今日は いよいよバンコクヘ 1

カトマンズ 今日は いよいよバンコクヘ 2

 近所の家の桃の花が 見事に咲き誇っている。
 こんな赤い桃の花を見るのは 初めてのことだ。
 バグマティ川に散策に行く際の最近見つけた近道にある家の庭に咲いている
 桃の花だった。
 朝夕と日中の気温の差の違いを見ていると、春なのか夏なのかわからないような気候、
 この気温差で すっかり体調を壊し、腹具合がおかしくなってしまった。
 昨日はどうしてもカトマンズに出て、家賃その他の支払いのために 銀行にいく必要が
 あったが、腹具合を調整するのが一苦労だった。

 今日は バンコクに向けて出発する。
 もうバンコクはすっかり 夏の暑さだろう。
 停電と水不足から解放されるだけでも 気が楽になる。
 生活するには なかなか大変なカトマンズだが、それでも人の生きている姿を
 見るには魅力的な街である。
 すっかり、欧米化、日本化したバンコクよりもはるかに楽しい街だ。

 昨日は マオイストではない共産党 ネパール統一共産党 エマーレの全国大会で
 役員人事の選挙があり、マオイストとの連立政権を押すカナール氏が 書記長に
 選出された。
 役員の顔ぶれを見ると 1人の先住民族以外のすべては バウン族である。
 マオイストの首脳部も大半がバウン・チェットリ族、ネパール国民会議も同様である。
 先住民族、低カーストの人たちが 6,70%を占めるネパールで 彼らの要求が
 反映されない原因がここにある。

 ネパールにおいて、何千年もの長い歴史を持つ先住民族が インドからネパールに
 入り込んできてから3,4百年の歴史しか持たないバウン・チェットリ族の
 意のままに牛耳られ、貧しい生活を強いられている。
 国の富や権力、利権の大半は バウン・チェットリ族の手の中にある。

 マオイスト、ネパール共産党、国民会議派といった政党は 結局のところ、
 立場の違うバウン・チェットリ族のためのものであり、先住民族、低カーストの人々の
 生活に 真剣に目を向けようとはしていない。
 どの政党が政権をとっても、バウン・チェットリ族優遇政策は変わらず、先住民族・
 低カーストの人々の生活の向上は望めないというのが ネパールの現実である。
 先住民族の民族数が多すぎて、まとまりきれないという弱点が、バウン・
 チェットリ族の台頭を許してきたのである。

 先住民族のネワール、ライ・リンブー、マガール、タマン、シェルパ、タルーなどが
 まとまれば、バウン・チェットリ族を超える一大勢力になると思うが、宗教、生活習慣
 などの違いから、まとまることが出来ずにいるというのも事実である。
 先住民族がまとまった勢力になっていくには 先住民族の中から 先住民族をまとめ
 上げる指導者の出現が必要である。
 なかなか簡単にはいかないようである。

 そんなことを思いながら、今日バンコクヘと向かう。
 出来るだけ早い時期に 再びカトマンズを訪れたいと思うが 日本に帰って
 お金を稼がないことには どうにもならない。
 出来るだけ、ネパールの庶民の現実を 伝えていければと思っているが 
 いつまで出来ることやら。


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徒然なるままに | 09:29:17 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ あるマオイストの肖像から‐02
カトマンズ あるマオイストの肖像から‐02 1

カトマンズ あるマオイストの肖像から‐02 2

カトマンズ あるマオイストの肖像から‐02 3

カトマンズ あるマオイストの肖像から‐02 4

カトマンズ あるマオイストの肖像から‐02 5

カトマンズ あるマオイストの肖像から‐02 6

カトマンズ あるマオイストの肖像から‐02 7

カトマンズ あるマオイストの肖像から‐02 8

 タマン族の中年のマオイストの男と話しているうちに、このスラムの中に 
 ネパール人と結婚した日本人が住んでいるという話を聞いた。
 いくらなんでもスラムの中に日本人女性が住めるとは思えず、場所だけでも
 教えてもらうことにした。
 スラムといっても 20年前に出来たスラムで、今ではバラックからレンガ造りの
 建物に変わっている家も多い。
 その界隈を 男と一緒に歩いて その家へと向かった。
 家の様子だけ見ればいいと思っていたのであるが、男がどうしても家の中に行こうと
 言うので 板で囲った門を潜り、その後に従って入って行った。

 玄関に入ると そこは台所になっており、その隣の居間で家の主人は食事中だった。
 マオイストの男と私は 玄関に置かれてある椅子に座り、男は 彼の息子と結婚した
 日本女性はここに住んでいるのかと尋ねている。
 家の主人は 私のことは ネパール人だと思っている。
 話を訊くと 息子と日本女性は別の場所に住んでいるということだったので、
 それならと仕方がないということで 帰ろうとすると、男の話から 
 私が 日本人であることがわかり、是非 中に入ってくれということになった。

 居間には立派な応接セットが置かれ、奥に寝室、台所脇にも寝室があり、
 居間の一隅には階段もあり、2階もあるようだった。
 20年近い努力の中で、頑張って働いてきた証なのだろう。
 家の主人を見ると、松葉杖をついている。
 どうしたのかと訊くと 交通事故に遭ったと言う。
 仕事は 運転手であり、そのことからの交通事故かもしれない。
 子供は 日本女性と結婚することになっている息子と 嫁にやった娘がある。

 民族は マガール族で20年近く前にカトマンズ周辺の村からカトマンズにやって来て、
 この場所にバラックを建て、やっとレンガで家らしい家を建てたようだ。
 息子の年齢は24歳、結婚相手の日本女性も24歳ということだ。
 日本女性は 2年間、政府援助の仕事で やって来て マガール族の青年と知り合い、
 結婚の運びになったようだ。
 今はネパールでの結婚手続きとネパール青年の日本の滞在ヴィザ申請のために
 やってきていると言う。

 マガール族の青年の両親からすれば、嫁を迎えるのだから、一緒に住んでほしいと
 願っているようだが、この環境の中では なかなか簡単なことではないようだ。
 息子の話では 日本で働いて、仕送りするから、父親は働かなくてもいいし、
 しっかり足の怪我の養生をしてほしいと言っているようだが、父親の本音としては 
 嫁を迎え、息子と一緒に生活したいというのが本音のようだ。

 息子が望んでいるし、息子が日本で働けるならと思い、納得はしてはいないが、
 仕方がないと諦めているところもある。

 日本女性からすれば、若い二人が決めたことだから、二人で生活するのは当然という
 考えがあるのだろうが、ネパールでは 息子は両親とともに住み、嫁を迎え、子供を
 産み、両親の老後の面倒を見るというのが 当たり前で、今も別の場所に住んでいる
 ようでは 両親とすれば、後々のことが心配で、息子を取られたという気も
 しているのだろう。
 母親の方が そんな気持ちが強いようだ。
 そんな両親の気持ちを 結婚相手の日本女性はどのくらい理解しているのだろう。
 ネパールの価値観、今の日本の価値観はあまりに違いすぎるのである。

 どんな場所であっても ネパールに居る間、ネパール青年の両親と一緒に生活し、
 その価値観の違いを理解し、その溝を埋めようと努力しない限り、どこかで破綻する
 ことになるのではと心配にもなる。

 20年の血のにじむような努力の中で 息子、娘を育て、家をそれなりの形に
 整えてきた両親の気持ちを 日本女性はどのくらい理解しているのだろう。
 今風の若い日本の女の子と同じであれば、相手のネパール青年との間にも
 超えることの出来ない溝も生まれてくるのではと 気にかかる。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 09:16:55 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 川辺のシバ寺院に住む子供たち 小さな歴史‐04
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カトマンズ 川辺のシバ寺院に住む子供たち 小さな歴史‐04 8

 ほんの1年の時の経過の中で 人間の生活は変わってしまうものだ。
 いい方向に向かうこともあれば、悪い方向に向かうこともある。
 ネワール族のビックラム、タマン族のスジータ、タルー族のスザン 
 1年前は 小学3年生になることが 当たり前のことのように思い、
 3人でシバ寺院の入り口に座り込み、スジータの読み上げる学校の教科書に
 見入っていた二人だった。

 同じ学校に通い、仲良しの3人だったが、運命のいたずらは 3人の生活を
 すっかり 変えてしまった。
 ビックラムは 家庭の崩壊から 学校へ行く機会を失ってしまった。
 スザンは 母親の病気から、母親が面倒を見ることが出来ず、落第し、
 別の学校を探している。
 スジータだけが おばあさんの愛情に支えられて、どうにか今の学校を続けられそうだ。

 彼らが通っていた学校は 今から70年ほどまえに ラナ独裁政治の時代に建てられた
 ものであり、当時は有産階級の子弟たちが通っていた学校である。

 しかし、カトマンズで私立学校が隆盛を誇るようになってからは、
 貧しい家庭の子供たちが通う学校になっていた。
 貧しい家庭の子供が通うことの出来る学校であったが、この頃では 教師たちが
 こうした子供たちのためというより、自分の身分向上のために欲を出し始めたようだ。

 学校の敷地内に 11年、12年生のための特別校舎を建て、
 そのクラスは 私立学校並みの授業料を取るようになってきている。
 生徒たちの制服も ネクタイ、セーターお金のかかるものになり、
 授業のレベルアップのために副教材を多く使うようになり、
 そうした副教材は 親の負担になる。
 それが貧しい家庭の子供たちの親にとっては 大きな負担になっている。

 ビックラム、スジータ、スザンの家庭にとっては 公立学校すら通わせることが
 困難になってきている。
 教師たちの眼は 貧しい家庭の子供たちの方には向かわなくなり、
 学校の質を上げて
 くれる少しゆとりのある家庭の子供たちの方へと向き始めている。

 能力がないから、学力がないのでなく、貧しいから様々の機会に恵まれず、
 学力を育てることが出来ないのである。
 親の教育レベル、生活レベル、子供の教育に対する親の熱意、安定した精神生活が
 保障されないために 益々貧富と教育の格差が生まれていく。

 先日も 一人のバウン族の人間に会い、話をしたが、彼はネパール国立銀行に勤め、
 給料は月22000ルピー、試験で合格して銀行に勤め、バウン族は能力があるから、
 試験に受かり易いと言っていたが、この250年のチェットリ・バウン族の支配体制の中で
 優遇され、他の民族に比べ、教育の機会、就職の機会にも恵まれ、その長い歴史を考えず、
 他の民族より能力があるというのは 言い過ぎである。
 こうした意識がある限り、バウン・チェットリ族との他の民族との融和はない。
 自分の優越性(カースト、地位)が何によって支えられてきたのか、
 大半のバウン族は 理解していない。

 スジータ、スザン、ビックラムの通う学校の教師も大半はバウン族である。
 これらの教師たちが どれだけ子供たちの状況を理解しているかといえば、
 ほとんど理解していないだろう。
 彼らは努力によって、今の地位を得たように思っているが、努力が成り立つ場所に
 居続けてきただけである。

 そういう位置にいない先住民族の子供たちが 自らの能力を開発していくことは
 至難の技である。

 貧しい家庭の子供たちにとっては 公立学校ですら、救いの場所ではなくなっている。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 02:17:17 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 不思議な街 カトマンズ
カトマンズ 不思議な街 カトマンズ 1

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カトマンズ 不思議な街 カトマンズ 5

カトマンズ 不思議な街 カトマンズ 6

カトマンズ 不思議な街 カトマンズ 7

 5日に1時間しか水道水が供給されない水不足、1日14時間の計画停電が続く
 電気不足、こんな中で 分譲住宅、分譲マンション、個人住宅、
 ショッピングモールの建設は 止まることはない。
 こんなカトマンズの姿を見ていると この国はどうなっているのだろうと 
 あきれ果ててしまう。
 政府にはお金はなく、上層階級には お金が有り余っているとしか思えない。

 カトマンズ郊外に建ち並ぶ分譲住宅、建設中の分譲住宅、その勢いの凄さには
 驚いてしまう。
 ネパールは貧しい、貧しいと援助を請いながら、1千万円近いお金を出して、
 こうした分譲住宅を買いあさる金持ち連中、ネパールの税制は 一体どうなっているのかと
 疑いすら湧いてくる。
 昔からネパールで多くのお金を手にする官吏といえば、税務署の職員である。
 適正な査定をせず、賄賂を要求して、低く見積もって 査定するというのは 
 昔からの習慣である。
 こんな具合だから、ネパールは 税務署官吏と金持ちの天国である。
 これでは 電力事情も水道事情も好転していくはずはない。
 国庫にお金が入っていかないのだから、大きなプロジェクトなど出来るはずもない。

 ネパールは貧しい、援助してほしいと言われて、言われるままに援助してきた
 日本人のよさにもあきれてしまう。
 金持ちは国の教育には関心を示さず、わが子の進学のためにお金をかけて、
 こぞって 私立学校へと入れる。
 こんな私立学校で育つ子供といえば、国のことなど関心のない自分さえ良ければいいと
 いう身勝手な人間を育てるだけだ。

 スラムから100メートルも離れていない場所に 冷房つきの7階、8階建ての
 マンションが建つ、分譲住宅が建つ、街中には次々にショッピングモールが建つ。
 このお金はどこから来るのだろう。
 銀行が設立されれば、その株を求めて長蛇の列、値上がりを見込んでである。

 ネパールでは2月になれば 結婚シーズンの始まりである。
 停電のネパールでありながら、冷蔵庫、テレビ、電気釜、扇風機などは 
 今や 花嫁道具の必需品である。

 すべてが ちぐはぐで こちらの頭の方がおかしくなる。
 皆が勝手に生活し、生きているといった感じである。
 水もない電気もない中で どんな近代的な生活が保障されると思っているのだろう。
 ここまで来ると末期的といってもよい。
 貧しいものの味方といいながら、マオイスト主導の政府は 貧しい人たちのための
 政策は何一つ出そうとはしない。
 頭首 プラチャンダは 以前に国民会議派のギリジャが 行った贅沢三昧の生活、
 自分の身内ばかりを優遇する姿が目立つ。

 古いバウン族の政治家が 新しい勢力のバウン族に入れ替わり、同じように身を
 肥やしているだけだ。
 これでは 再び政治の混乱は目に見えているし、マオイストから離脱する少数民族の
 グループも増えてきている。
 マオイストの頭首 プラチャンダが 煽動家であって、革命家ではなかったことが
 明白になってきている。
 だからといって 国民は為す術もなくただ諦めきっているだけである。



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ネパールの事情 | 12:06:06 | Trackback(0) | Comments(2)
カトマンズ あるマオイストの肖像から‐01
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カトマンズ あるマオイストの肖像から‐01 8

 毎日の日課のように 1日に1度は 近くのバグマティ川の川沿いへと向かう。
 午前9時近くなると 陽射しも強く、夏の到来を予感させる。
 ネワール族のタンドォカール・カーストの農民たちの畑仕事が眺めながら、
 バグマティ川の川辺に近づくと、その川辺では 新しい橋の建設の最中である。
 この橋、どれだけ効用のある橋なのか 誰一人 理解できない。
 何のためにお金をかけ、川に橋をかける必要があるのか 判然としない橋造りである。

 その橋作りの建設現場を抜けると 半年ぐらい前から貧しい人たちが住み始めた木材を
 寄せ集めて造ったバラック立ての家々が建ち並ぶスラムに入っていくことになる。

 そのスラムの中の一隅に 大勢のスラム住民が集まっている。
 そこへ足を運ぶと 5千リットルの水が入る大きな黒いポリタンクが設置されており、
 住民たちが 朝の食事の支度のための水汲みにやってきていたのである。

 スラムに住む人たちの水を汲む様子を眺めていると そのすぐ近くに一人の中年過ぎの
 男が座り込んでいた。
 「あなたもここの住民か」と声をかけると 「そうだ」と答える。
 いろいろ話しているうちに 彼は タマン族で 以前は警察官の仕事に 
 18年間 従事していたが、退職して、今はその年金 月5千ルピーで生活している。
 そして、彼はマオイストであり、このスラムの世話役をし、スラムの住民のまとめ役に
 なっている。
 皆でお金を出し合い、この大きなポリタンクの設置の音頭を取ったのも彼らしい。
 私と話している間も 住民の苦情を聞き、それを手にしているノートに書き付けている。

 このスラムには 二つのスラムがある。
 1つは10数年前あたりから造られ始めた古いスラムで 今では大半レンガ造りの
 家へと姿を変えている。
 もう1つは 半年前から建てられ始めた新しいスラムで 木製の荷箱をばらして建てた
 住居が建ち並ぶ。
 この新しく出来たスラムには多くのタマン族が住む。
 この二つのスラムの調整役をするのもタマン族の彼の仕事の一つらしい。

 マオイスト主導の今の政府について 話をすると、バウン族、チェットリ族が
 マオイストの指導部の席を牛耳り、少数民族の要求に応えなくなっていることには
 不満を持っているようだ。
 タマン族のみならず、ライ・リンブー、マガール、グルン、ダリットなどの低カースト 
 の人たちも不満を持ち始め、マオイストから脱退し、新たに別のマオイストのグループ 
 を作ろうとする動きも活発になってきている。
 
 命を落とすような厳しい戦いには 少数民族を立たせ、自分たちは安全なインドにいて
 口で指示だけを与えてきたバウン、チェットリ族の指導部たち、命を落としてきたのは
 地を這うようにして生きる少数民族たちばかりである。
 新しく権力、地位を得た指導部たちの贅沢振りが目に余るようになってきているのも
 事実である。
 マオイストを支持した貧しい人たちが 仕事を求め、1日の糧を求め、水を求めて
 奔走しているし、やせ細っている中で、幹部たちは 新しく得た贅沢な生活の中で
 太る一方である。
 バウン族、チェットリ族の指導部たちは 貧しいものの味方であることを標榜するが、
 貧しいものたちがスラムで 村でどんな生活を強いられているのかは知らない。
 そんな現場にも行ったこともないだろう。
 口だけ、理屈だけが先走っているだけだ。

 本当に貧しいものたちの現実を知っているのは こうした地道に生きるこのタマン族の
 男のようなマオイストたちである。
 マオイストの支持者は 彼のような地に這うマオイストの努力によって生まれてきたのである。
 バウン族の煽動家 マオイスト党首プラチャンダたちから 地を這うように生きる
 マオイストの手に 力を取り戻す必要がある。
 バウン、チェットリ族が 政治権力を握ってしまえば、
 いつまで経っても 先住民族たちに 豊かな生活はやって来ない。



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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 02:59:59 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 川辺のシバ寺院に住む子供たち 小さな歴史‐03
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カトマンズ 川辺のシバ寺院に住む子供たち 小さな歴史‐03 7

カトマンズ 川辺のシバ寺院に住む子供たち 小さな歴史‐03 8

 2009年 年が明けて 再びカトマンズにやって来た。
 そして、又、いつものようにバグマティ川沿いの散策が始まった。
 バグマティ川の辺に立つシバ寺院にも顔を出してみた。 

 シバ寺院に住む人々、子供たちの生活も一見、変わることもなく、4ヶ月前の生活と
 同じように流れているように見えた。
 変わっていることといえば、春先とはいえ、朝夕にはまだ冬の寒さが残り、
 人々の服装が 冬の装いであったことぐらいだ。

 タマン族の女の子 スジータもそのおばあさんも元気そうだったし、ネワール族の
 ビックラムもその3人の妹も以前と同じように見えた。
 ただ気になったのは ビックラムとその3人の妹たちの姿が、多少薄汚く見えたことだ。
 ネパールではよくあることだが、子供たちは 冬場は冷たい水を使っての水浴びを嫌い、
 親が無頓着であれば、1ヶ月以上水浴びをしないこともあるから、そんなものだろうと
 思っていた。

 11歳になるビックラムも 前回のカトマンズ滞在のときに学校へ行くのをやめたと
 いう話を聞いたが、新しい学校に通うこともなく、無為に時間を過ごしているようだ。
 彼の首筋もすっかり、垢まみれになれ、顔つきにもふてぶてしい感じが見られるように
 なっている。

 あるとき、シバ寺院に行ってみると ビックラムの下から2番目の妹が 
 大きなリュックを背負い、シバ寺院の前に座り込んでいる。
 履いている靴も余所行きである。
 どこかに出掛けるのかと訊くと、リュックの中身を出し始める。
 鉛筆、ノート、ボールペン、お菓子も入っている。
 彼女のそんな様子を眺めていると、一人の30歳過ぎの男がやって来て、
 リュックを部屋の中にしまえと言っている。

 話をすると、ビックラムたちの父親だった。
 リュックは 香港の援助団体からもらったと言う。
 ビックラムたちの母親の姿が見えないが どうしたのかと尋ねると、
 別の男と駆け落ちして出て行ってしまったと言う。
 そのあと、自分たちが如何に貧しく如何に困っているかを 長々と訴える。
 どう見ても甲斐性のある男のようには見えない。
 子供たちの世話もまともにしているようにも見えない。
 ビックラムたちの薄汚れていた理由が良く理解できた。

 逃げ出したビックラムたちの母親も 対岸にあるゴミ捨て場に行って、プラスティック
 の袋を集め、それを売っては生活の足しにしていたようだったが、あまりの生活の
 苦しさに耐えかねたのか、子供たちを捨ててまで、別の男の下に走ることで 新しい
 未来を手にしようとしたのだろうか。
 ビックラムたちの母親が失踪してから、2ヶ月以上が経つようである。

 この2ヶ月間の食事の用意は ビックラムの仕事だ。
 米の中に野菜を入れて炊き上げているだけのご飯で、時々ダール(豆汁)と一緒に
 食べるだけの貧しい食事である。
 幼い妹たちの満足のいくものではない。

 シバ寺院の中に住んでいる人たちは 寄せ集めの集団である。
 バウン族、チェットリ族、タマン族、ネワール族 顔を合わせば、話ぐらいは
 するだろうが、この4人の子供たちの世話をしているようには見えない。
 カーストや民族が違えば、他人事といった姿も見られる。
 子供たちが薄汚れた格好をしていても 関心はないようだ。
 自分たちの作ったおかずを与えることもないようである。
 この場所も 多民族で構成される小さなネパール社会なのだ。
 民族やカーストが違えば、助け合いの姿はないのである。
 同じ場所に暮らしていても 点でばらばらなのである。
 子供たちは ある服をとっかえひっかえ着まわし、着ている福も薄汚れていくばかりだ。
 妹たちの面倒は 11歳のビックラムには あまりに重過ぎる。



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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 20:15:29 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ カトマンズ生活も あと3日
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 1日14時間の計画停電、水不足の中のカトマンズでの生活も残すところ、
 3日ばかりになった。
 この1ヶ月の間、水不足も停電も 全く改善されることはなかった。
 電気が来る時間に合わせての生活、大家の水不足に対する無頓着の生活も
 あと残すところ3日ともなれば、気持ちも楽になるというのも本当のところだ。

 1日14時間の停電、水不足、なかなか自分のペースにあわせて動き回ることは
 難しかった。
 それでも、それなりの緊張感はあったし、1ヶ月という限られた時間の中で
 動き回れるだけは 動いたつもりである。
 カトマンズの生活のペースが出来上がり、カトマンズに生活する人たちの時間の流れに
 合わせ、見たいものが 姿を現してくるようになった頃には カトマンズを離れることになる。
 やはり、1回の滞在には2,3ヶ月が必要だ。

 今回の滞在は 自分にとって身近な場所 バグマティ川周辺を中心に動き回った。
 この聖なるどぶ川 バグマティ川周辺には 多くの人間ドラマがあった。
 様々の喜怒哀楽があり、人間そのもののむき出しの生活がある。
 人間が生きることの原点が このバグマティ川沿いに住む人々からあふれ出ていた。
 カトマンズの人々は この川に必ず訪れることになる。
 死はこの川とともにある。火葬の際には必ず訪れる場所であるからだ。

 カトマンズ、パタンで生活する人々の人間模様を伝えてきたが、今の日本人に
 その濃厚な人間関係がどれだけ伝わったのか 気になる。
 人間らしく生きているものにしか 人間の生身の喜怒哀楽は伝わっていかない。
 近頃では 今の日本人には 何を伝えても伝わらないのではないかという諦めの
 気持ちも生まれてきている。
 あまりに日本人の生活の仕方に軽さ、根っこのなさを感じてしまうからだ。

 人間としての活動の原点になる動物的な本能、自らの中の自然が枯渇してきている
 のではと心配にもなる。
 五感をしっかり使って、物事を認識していく力が欠けてきており、認識の手段を
 操作統制されたマスコミに頼り、その情報の意図を探ることもないまま 鵜呑みに
 してしまう。
 新聞にしても、テレビのニュースの報道にしても 一体 誰の立場に立って
 報道しているのか、疑ってかかる必要がある。
 公平、公正の精神は失われ、大半の報道は ひも付きなのである。
 批評、批判の精神、事実を見極める力も失われているのではと思えてくる。
 去勢された迷える子羊のイメージすら湧いてくる。
 自分の頭で考えることをせず、自分の心で感じることもせず、時代の流れ、
 社会の流れに押し流されているだけではないか。
 
 日本人ほど、御し易い国民はいないのではという気にもなる。
 流行のファッション、グルメ、贅沢な海外旅行、贅沢な生活ばかりに眼を向け、
 心の中は益々貧しく、さもしくなるばかりだ。
 そして挙句の果てが 如何にして 楽に簡単にお金を手に入れるか、インターネットの
 世界など、さもしい精神の活躍場所になっている。
 顔が見えない世界だから、恥知らずの行為がいくらでも出来るのである。
 騙す方も 騙される方も同じぐらいさもしいのだから、大小の事件は跡を絶たない。
 お金と物だけに左右された薄っぺらな文化を持つ国 日本だ。

 あと3日でカトマンズを離れ、バンコク生活を経て、1歩1歩日本に近づいていくの
 だが、次のネパール滞在のための費用捻出のためとはいえ、帰国のたびに気が
 重くなっている。
 人間味にあふれるカトマンズの人々の生活を見た後では なお更のことだ。
 再び、カトマンズに訪れることが出来るように 日本で一頑張りするしかない。


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徒然なるままに | 07:57:03 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 街の素顔‐06 路地や広場に棲む神々たち
カトマンズ 街の素顔‐06 路地や広場に棲む神々たち 1

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カトマンズ 街の素顔‐06 路地や広場に棲む神々たち 6

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カトマンズ 街の素顔‐06 路地や広場に棲む神々たち 8

 カトマンズやパタンの街の中には 数々の神様の棲む祠や寺院がある。
 ガネーシュ、ナラヤン、シバとパルバティ、カーリ、ビシュヌと多くの神々が
 鎮座している。
 石に彫られたその姿は 大小様々、精巧な彫像もあれば、姿・形のはっきりしない
 ものもある。
 それらの神々の像は、ただそこに置かれているというのではなく、何百年もの間、
 人々の信仰を集めてきたものであり、今なお、人々の信仰、参拝は途切れることはない。
 その証拠に 人々の朝夕の信仰の証として、神々の像の周りには花びらが巻かれ、
 神々の顔にも祝福を示す色粉が塗られている。

 まだまだ人々の心の中には 神々とともにあるという気持ちが 
 しっかりと根付いている。
 小さな時から 日常生活の中で 起こる喜怒哀楽の世界を路上の神様に伝え、祈る。
 何でも神様にしてしまうカトマンズの人々であるが、それが人々の心に安定を与えて
 いることも確かである。
 こんな社会では 訳のわからない病名をつける精神科医など必要ないのだ。

 どんな小さな像の神様でも 1年に1回は祭りの日があるようだ。
 広場に祭られた神々は、その広場に住む人々の氏神様であり、広場の人々に担がれて
 街を練り歩くことも多い。

 特にネワール族の農民カーストの人々は 神様を祝う祭り好きで、時期が来れば、
 各集落ごとに祭られている神様を担いで、太鼓を打ち鳴らし、歌を歌いながら、
 街を練り歩く姿を見かけるのは たびたびのことである。
 こんなに大切にされていれば、神様たちも本望だろう。

 日本では もう飾り物になってしまった道祖神たち、さぞや羨ましいことだろう。
 日本では 人が死ねば、墓を造るが、このカトマンズでは 親族の死を悼んで、
 神々の像を造る。
 その像は 集落の中庭に置かれたり、寺院の片隅に置かれたりする。
 人々は死ねば、皆 神々に変身するわけである。
 神々を敬いながら、死者をも敬っているのだ。
 石像の神様に変わった死者たちは 永遠に生き続けるのである。

 カトマンズのネワール族の一族には 必ずクルデオタと呼ばれる守り神が祭られている。
 この神様は 一族以外のものが見ることは許されない。
 娘が嫁に行っても その守り神の祭事には参加できるが、その夫は参加できない。
 又、息子が 嫁をもらい、その嫁のカーストが違えば、その嫁は仲間はずれにされて
 しまう。
 クルデオタ 守り神に穢れをもたらすからである。
 台所も神聖な場所で たとえ嫁入りしても カーストが違えば、台所の中にも
 入れてもらえない。
 行事の多いネワール族の家庭の中で 仲間に入れてもらえないのはなかなか辛いことである。
 路地や広場の神様なら、誰が信仰しても構わない。
 神様は神様でも 神様によっては 厳しいタブーも存在するのである。
 ここにネワール族の信仰の奥深さ、土着性を感じてしまう。
 そんな事柄を解き明かしていくのは ちょっとしたミステリーにも似ている。


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カトマンズ 街の風景 | 21:40:26 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 川辺のシバ寺院に住む子供たち 小さな歴史‐02
カトマンズ 川辺のシバ寺院に住む子供たち 小さな歴史‐02 1

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カトマンズ 川辺のシバ寺院に住む子供たち 小さな歴史‐02 8

 私が再びカトマンズにやってきたのは バグマティ川川辺のシバ寺院に
 住む子供たちに再会したのは 夏が過ぎ、雨期が終わったばかりの
 10月近くのことだった。
 カトマンズの街は インドラザットラという大きな祭りを終え、ダサインという
 大きな祭りを間近に控えたころだった。
 4,5ヶ月も経つと、子供たちの成長も大きい。
 タマン族の女の子 スジータも 随分女らしくなり、子供から少女へと
 脱皮をしているようだった。
 朝の登校前に シバ寺院の中庭に タマン族の女の子 スジータと
 ネワール族の子供 ビックラムがいた。
 学校の制服を身につけていたので、
 「これから学校に行くのか」と尋ねると 「そうだ」と答える。
 一方、男の子のビックラムは 学校へいく用意をしていない。
 「どうして 制服をきていないのか」と尋ねると、
 スジータが 「この子は落第して、別の学校へ行くから 私と同じ学校へ行かないの」
 と答えてくれる。

 ネパール最大の祭り ダサインの祭りが近づき、学校も官庁も休みに入り、
 学校のことは話題に上らず、子供たちは ダサインの祭りを待ちわびる毎日だった。
 ネパールでは ダサインの祭りの前に 新しい洋服を買ってもらい、皆身ぎれいになる。
 お金が許す限り、この祭りの最中は 肉類をたっぷり食べる。
 新しい洋服を身につける、美味しい食べ物を腹一杯食べることは 
 子供たちの大きな楽しみである。

 いつもは汚れた粗末な服を着ているビックラムの妹たちも 汚れのない清潔な洋服を
 身につけている。
 子供に構わない母親ではあるが、ダサインの祭りに向けて、心遣いをしているのだろう。

 ダサインの祭りのときにも 川辺のシバ寺院の中庭に顔を出してみた。
 子供たちは それぞれに新しい洋服、余所行きの洋服を身につけ、嬉しそうだ。
 タマン族の女の子のおばあさんも しわくちゃだらけの顔に笑みを浮かべ、
 孫の姿を嬉しげに眺めている。
 自分は粗末な服を身につけても 孫にはそれなりの気遣いをしている。

 ビックラムの部屋にも近くに住む親戚が 訪れている。
 シバ寺院に住む人たちの心にも 祭りのうきうきした雰囲気があふれている。
 ビックラムの3人の妹たちも 新しい洋服を身につけ、嬉しくてたまらないようだ。

 どんなに貧しくても、せめてダサインの祭りの間は 子供たちに楽しいひと時を
 過ごさせたいというのは、親や周りの大人の願いなのだろう。
 子供たちの喜んでいる様子を眺め、私もほっとしたものである。
 貧しくても どうにか それなりに精一杯生活している、
 そのことが実感できたダサインの祭りだった。
 そして、ダサインの祭りは過ぎ去り、私もカトマンズを離れ、バンコクヘと向かった。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 08:19:44 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 路上は生きている‐03
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 カトマンズで生活していると 街の通りで生活している人の様々な姿を見ることが
 出来て飽きることがない。
 人間の生きる多様性を感じ取ることが出来るからだ。

 私が幼少少年期を送った田舎の生活にも似ているところがある。
 今の日本ではすっかり失われてしまった街の人間模様だ。

 私が小さかった頃、車を引いて魚売りもやってきたし、夏には ちりんちりんと鐘を
 鳴らしながら、アイスクリーム売りもやって来た。
 5円、10円のアイスキャンディを心待ちにして、その鐘の音に耳を澄ませたもの
 だった。

 おもらいさんや 村の祠に寝泊りする放浪者なども良く見かけた。
 様々の人間がいて、村も町も成り立っており、人に優しい町の雰囲気が残っていた。
 家を出て バス通りに出ると 古井戸が一つあり、その古井戸の冷たい水を利用して
 ラムネ、サイダーを売り、駄菓子を売るおばあさんがいて、夕方になると帰っていった。

 そんな古い時代の風景が カトマンズの街の風景に重なることも多い。
 人間が生きていくためには 何が必要だったのか、それを思い出させてくれる。

 日本では道路交通法、衛生法などの規制によって、路上から多くの大切なものが
 奪い取られ、生き生きとした路上は失われ、機能と効率だけが幅を利かせ、
 味気ないものに変っていった。
 変っていったのは 街や路上だけでなく、人々の顔つきも生き方ものっぺりして、
 皆同じような顔つきに変わり、生きること、生活することから生まれてくる人々の
 表情も変化を失ってしまっている。

 カトマンズの街の中を歩いていると、路上を舞台とする様々の人たちに出会う。
 ちょっと声をかければ、楽しい会話が始まり、自分が街の中で ともに生きていると
 いう実感を与えてくれる。

 路上を商いの場所、生活の場所をする人々の背中には、それぞれに生活の重荷が
 あることが透けて感じられる。
 それを見ているだけでも、飽きることはないのである。

 毎日、同じ場所に同じ時間にやって来て野菜を並べ、商いが終わると帰っていく
 老女たち、トウモロコシの焼きあがるのを待ちながら、おしゃべりに精を出す女たち、
 パニ・プーリというお菓子やの前に群がる学校帰りの子供たち、橋のたもとに座り
 込んでいる乞食もいれば、路上に寝転がっている乞食もいる。
 仕事をする気があるのかないのかわからない様子の靴直しのおじさん、
 寒い朝 焚き火の前に座り込み、暖かくなるのを待っている南京豆売りの南ネパール
 からやって来たおじさん、誰も彼も街に潤いを与えてくれる人たちだ。
 それを眺めて喜んで写真を撮っている誰かさんもいる。

 ああ、日本の街に比べると なんと手触りのある生き生きした街並み、通りだろう。
 路上に生きるすべての人々が 皆 ともに生きている仲間のように思えてくる。



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カトマンズ 街の風景 | 22:17:14 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ カトマンズは 犬たちの楽園
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カトマンズ カトマンズは 犬たちの楽園 9

 カトマンズは、犬たちの楽園である。
 カトマンズの街の中の通りを歩いていれば、どこでも犬たちが気持ちよさそうに
 寝ている姿に出会う。
 それも全く無防備な姿で眠り込んでいることが多い。
 飼い主などいないらしく、たまたまえさを与えてくれる人間がいると そこに居つくと
 いった様子だ。
 この犬たちの姿を見ていると、その生きている生活の形は ネパール人のものに
 よく似ている。
 邪険にされれば、その場から去っていくが、そうでなければ、いつまでも近くの人間に
 愛想を見せながら、居ついてしまう。

 カトマンズのネパール人は 猫は縁起の悪いものと思い、
 猫に対して愛情を示すことはあまりないが、 犬に対しては極めて寛容である。
 性格が似ているせいかもしれない。
 ある時期、カトマンズ市当局が 野犬狩りをしたときも 市民の避難の嵐だったらしく、
 その後は 野犬狩りの話は聞かない。

 陽の当たる心地よい場所に寝転がって、日長1日、のんびりと時間を過ごすというのも
 何やら、ネパール人の生活パターンによく似ている。

 中産階級以上のネパール人は 泥棒避けに犬を飼うことが多いが、小屋の中に
 閉じ込められているか、鎖でつながれ、自由を奪われていることが多い。
 運が良ければ、朝夕の散歩に連れ出してもらうのが 精一杯である。
 飼われてしまったことが 不幸の始まりで 自由奔放な生き方からは遠ざかってしまう。

 路上で寝そべっている犬のほうが 余程 魅力的である。
 人間だって、仕事でがんじがらめに縛られて、身動き取れなくなっている人間よりは
 自由奔放に生きている人間のほうが魅力的なのは同じである。
 しかし、毎日の糧を得ることが出来るかは 保障の限りではない。
 野生を磨き、感覚を磨き、瞬時に的確に判断する能力も必要だ。
 生活の安定と自由とは なかなか両立しないものである。

 それでも犬の数が減らないことを見れば、生きていくに足るだけの食は
 得ているのだろう。
 これも1日中、座り込んで過ごしているネパール人を見ると、納得がいく。
 カトマンズのネワール族は 何かにつけて、祭事があるから、そのご馳走のあまり物を
 手に入れる機会も多い。
 昔は祭事の後の宴会のご馳走を多く作り、余分なものは 低いカーストの人たちに
 与える習慣であったが、この頃では 低いカーストの人たちもプライドが生まれ、
 施しを受けることがなくなった。
 その分、路上の犬たちへ回っていくようだ。
 そんなこんなで食べ物を得ている犬たち、まことに羨ましい限りである。
 人間様に たてつかない限りは 生活は安泰である。



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カトマンズ 街の風景 | 16:24:17 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 川辺のシバ寺院に住む子供たち 小さな歴史‐01
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 カトマンズのバグマティ川の川辺にある古いシバ寺院を訪れるようになってから、
 1年以上の月日が流れた。
 ここを訪れるようになったのも 自分の住んでいる身近な場所で 何が起こっているの 
 か、どんな人々の生活があるのか、見つめてみたかったからだ。

 バグマティ川にかかる黒い吊橋を渡ったすぐ近くに 今から200年前に建てられた
 シバ寺院があることは 以前にも伝えた。
 その寺院の中には 貧しい人たちが住み、そして、その子供たちが生活している。

 すっかり、カトマンズ市民の吐き出す汚水によって、汚れきってしまったバグマティ川 
 であるが、その川辺には 多くのドラマがあり、そのドラマが織りなす、人間模様には
 いつも驚いている。

 この場所に訪れるようになってから、多くの人々と顔見知りになった。
 特にこのシバ寺院に住む子供たちとは 随分仲良しになった。
 この1年間、子供たちの姿を 眺めながらも 子供たちの小さな人生に変化が訪れて
 いることには 心痛む出来事も多い。

 1年前にこの寺院を訪れた時、男の子2人、女の子1人の3人の子供たちが 寺院の
 入り口に座り込んでいた。
 何をしているのかと、注意して眺めていると、女の子が1冊の本を二人の男の子に
 読み聞かせていた。
 よくよく見ると、小学校の教科書だった。
 男の子たちは 神妙な顔つきで 女の子の読み上げる言葉に聞き入っている。
 そんな子供たちに声をかけたことから、この寺院とのかかわりが始まった。

 この3人の子供たち、女の子は タマン族 名前はスジータ 寺院の中の一部屋に
 彼女のおばあさんとともに住んでいるようだが、両親の姿は見かけたことはない。
 おばあさんの着ているものを見ても その貧しさは伝わってくるが、孫に対して愛情を
 注いでいることは良くわかる。

 男の子の一人は ネワール族のナガルコティというカーストに属する子供であるが、
 カトマンズ郊外にナガルコティばかりの住む集落があり、そこでは、竹を使った籠類が
 ナガルコティの人々によって、作られているという。
 彼の名前は ビックラム、彼の下には、3人の妹がいる。
 私が出会った頃は 両親とともに 寺院の中の一室に住んでおり、母親の姿や
 その幼い妹の姿もよく見かけたものだ。

 もう一人の男の子は チョダーリ ネパールの南部 インド国境周辺に住む
 タルー族の子供である。名前は スーザンである。
 マオイストと政府が紛争中に 治安の悪い南ネパールのタライ地方を逃れて、
 両親とともに カトマンズに逃れてきたのだろう。
 彼はこの寺院の中には住んでおらず、すぐ近くに両親、妹と間借りの部屋に
 住んでいるようだった。
 朝夕の水汲みの時間にはよく見かけた。

 3人ともすぐ近くの公立小学校に通う小学2年生だった。
 その頃は 3人とも貧しいながらも 精神的には安定した生活を過ごし、
 彼らなりの楽しい子ども時代を過ごしているようだった。

 この子供たちのこの1年の 小さな歴史を綴っていこうと思う。



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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 04:55:48 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ ネワール族の老人たちのいるところ
カトマンズ ネワール族の老人たちのいるところ 1

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 春の暖かい陽射しの中を カトマンズやパタンの街の中を歩いていると 
 よく老人たちに出会う。
 肌寒い部屋の中から、外へ出て 日向ぼっこを楽しんでいるのだ。
 大抵は近所の年寄り仲間や嫁たちと一緒にいることが多い。
 寺院の境内の日の当たる片隅、集落の中庭、家の前と のんびりと日長1日、
 時を過ごしている。
 これが カトマンズ、パタンに住む農民カースト マハルザンの老人たちの姿である。

 集落に嫁ぎ、子供を産み育て、姑に使え、その世話をし、娘を嫁がせ、息子に嫁を
 もらい、年を取れば、畑仕事からも開放されて、孫の世話をする。
 そんな平凡な一生である。
 貧しい生活であるが、幸福に恵まれていることは疑いのないことだ。
 一人孤立することなく、いつも誰かが そばにいる生活である。
 集落という強い絆を持つネワール族の共同体には 老人問題はない。

 集落の広場に座り込んでいた嫁と姑、いかにも支えあって生きてきたという姿で
 座り込んでいる。
 老婆の年齢は 90歳、老人の長寿を祝うジャンクー戸やばれる儀式も 
 77歳、82歳、92歳になれば 3回目の儀式を迎える。
 年を取れば取るほど、神様に近づくと信じられ、老人たちは大切にされる。
 皆、いつかは老人になることを知っているのだ。
 広場や中庭に座り込む老人やその嫁たちの姿を見ていると、2千年にわたって 
 このカトマンズ盆地に住み続けてきたネワール族の農民カーストの叡智を感じる。

 チェットリ族やバウン族のように血縁関係だけで共同体を持たない民族の老人たちは
 家族関係が崩れてしまえば、悲惨なものになる。

 社会の表に立つことなく、畑仕事、子育て、集落の中の祭りや様々の行事に
 明け暮れてきた農民たち、その老人たちの大半は 話す言葉はネワール語だけで、
 ネパール語は話せない。
 集落の中だけに 満ち足りていた生活があったからである。
 女たちは特にそうである。
 畑仕事、酒造り、行事のためのご馳走作りを 嫁たちに伝授していく生活の形は
 2千年近く変ることなく、続けてきたのだろう。
 彼らにとっては ゴルカからの征服者 チェットリ、バウン族の使うネパール語など
 必要としなかったのである。

 そんな集落の共同体にも 時代の波は押し寄せている。
 人口増加の激しいカトマンズ盆地の中に住む、ネワール族の農民たちにとって、
 住む家はあっても、生活の糧になる田畑は もうわずかばかり残っているに過ぎない。
 米も野菜も市場から買うことを余儀なくされている。
 若い女たちは 絨毯作り、毛糸の編み物、毛糸の紡ぎと内職に明け暮れる。
 働き者のマハルザンの女たちは それを苦にすることもなく 家族のために
 こなしていく。
 ネワール族の農民のことを ネワール語でジャプーと言う。
 その意味は 激しい肉体労働に耐える屈強な身体を持つ人という意味である。

 彼らは 生活を生き生きさせる様々の文化装置を持った人々である。
 彼らの文化が大切にされるようになれば、
 このネパールにも人間のための国が生まれてくるだろう。
 そんなことを期待しているが その文化の豊穣さに眼を向けるネパール人が
 少ないのは残念なことである。
 当のネワール族すら、そのことに気がついていない。



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カトマンズ 街の風景 | 17:48:34 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ カトマンズ盆地の春爛漫
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カトマンズ カトマンズ盆地の春爛漫 8

 2月も中旬を過ぎると このカトマンズも 日中はもう初夏を思わせる気候だ。
 畑には菜の花が咲き乱れ、カトマンズの農民たちは ジャガイモの種芋の植え付けに
 忙しい。
 一方では 菜っ葉を積み、夕方からの路上での商いの準備をしている農婦もいる。
 何を狙ってか 白鷺が 農婦が畑仕事をするすぐそばの木にとまって 
 その仕事ぶりを眺めている。
 心休まる長閑な春爛漫の風景だ。
 
 遠くの山々に目を向けると、白いヒマラヤの山々も霞んで見える。
 どこもかしこもすっかり春たけなわである。

 農婦たちの働く畑を抜けて、バグマティ川の岸辺近くに行くと、洗濯日和のためか
 近所に住む人たちは洗濯に励んでいる。
 水もぬかるみ、もう水の冷たさを感じなくてもいい季節だ。
 寒い冬が去り、人々の表情にも明るさがあふれている。
 干した洗濯物の向こうに 川辺のシバ寺院が 春の光を浴びている。

 春の訪れとともに ネパールも結婚のシーズンを迎えた。
 バグマティ川の川辺のシバ寺院の近くにあるパチャリバイラワ寺院では
 ネワール族のサヒ・カースト(家畜の堵殺・肉の販売を生業とするカースト)の
 人たちの結婚式が執り行われていた。
 その寺院を抜け、カトマンズの街の中に入っていくと、ここでも小さな広場で
 農民カースト マハルザンの女たちが 結婚式のためのご馳走の1つ、大豆を
 磨り潰して作るバーラと呼ばれるドーナツを揚げていた。

 もうあと2週間もすれば、夏がやってくる。
 カトマンズの短い春、カトマンズの人々は 電気不足、水不足に悩まされているけれど、
 暖かい季節の到来に 喜びを感じていることがよくわかる。

 あと2ヶ月もたてば、ネパールの新年がやってくる。
 そうすれば、祭りの季節の始まりだ。
 不安定な政治の中での 新しい年の始まりになるだろう。
 その頃から、ネパールも世界不況の影響が 現れてくるだろう。
 一体、どんな年になるのだろう。

 この20年間の政治の変化は ネパールの貧しい庶民たちの生活を向上させることも
 なく過ぎ去った。
 この20年間で 政治家や官僚たちは 汚職と賄賂で 蓄財に励んむばかりだった。
 政治体制は変わっても バウン族、チェットリ族の支配体制に変化はない。
 兵士や警察官の顔つきを見ていると、以前よりバウン、チェットリ族の数が増えたようにも
 感じられる。

 マオイスト主導の政府に期待した貧しい庶民たちも その期待を破られ、
 ますます 生活の自衛のための努力を強いられる。
 物価は上がり、生活環境は悪くなる一方だ。

 カトマンズ庶民たちは 春の訪れが与えてくれる季節の恵みを楽しむだけが
 精一杯の毎日である。


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徒然なるままに | 04:41:47 | Trackback(0) | Comments(4)
カトマンズ 街の素顔‐03 いつもと変らぬ風景
カトマンズ 街の素顔‐03 いつもと変らぬ風景 1

カトマンズ 街の素顔‐03 いつもと変らぬ風景 2

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カトマンズ 街の素顔‐03 いつもと変らぬ風景 8

カトマンズ 街の素顔‐03 いつもと変らぬ風景 9

 表通りから ちょっと脇に入って 細い路地を抜けると シバ神を祭った古い祠が
 あって、その横を 農民カーストのマハルザンの男が 井戸から汲み上げた水を
 さおで 担いで通り過ぎてゆく。
 何十年前と、少しも変わらぬ姿で、男は 時代が変わってしまったことなど
 意にも解せず飄々と歩き去っていた。

 インドラチョークのすぐ近くの十字路は、野菜、果物、燻製魚、お供えの花などが
 所狭しと 並べられ、売る人、買う人のやり取り、行き交う人々で賑やかな有様だ。
 この光景は ここ20年近く変わることなく繰り広げられている街の姿である。
 段々になった寺院の上には 暇を持て余した人々が所在無げに座り込んでいるのも
 昔と変わりない。

 その寺院をぐるりと回ってみると、ネワール族の農民カーストであり、素焼きの壷や
 器の作り手のプラジャパティの人たちの素焼きも店が並んでいる。
 これも昔ながらの光景である。
 ここ20年の間にすっかり姿を変えたものもあれば、ほとんど姿を変えず、
 そのままの姿のままで残っているものもある。
 これが カトマンズの街の中に 都市と村が混在するという不思議な雰囲気を
 作り出している大きな要素だ。
 街は 一見ちぐはぐな印象を与えているようだが 
 これがカトマンズの街の魅力でもある。

 その十字路を抜けて、インドラチョークまで出て、右にある細い路地を入っていくと、
 バイラブ寺院の裏にある小さな中庭に入り込む通路がある。
 中庭に入っていくと、近くの農民カースト マハルザンの集落からやってきた
 お姉さんたちが、バーラ(ネワール語でウォー)を焼いている。
 夕食まで お腹を持たそうというネパール人たちが バーラの焼きあがるのを
 待っている。
 バーラにジャガイモのタルカリを添えて、13ルピー 日本円で16円、この安さで
 軽いおやつ代わりの軽食になる。
 こんな食べ物も昔ながらのカトマンズの食べ物であり、変なファーストフードよりも
 格段に味わいがあって、美味しいものだ。
 当たり前の昔ながらの食べ物が大切にされている限り、まだまだカトマンズには魅力がある。
 西洋かぶれ、日本かぶれのタメル地区など行かなくても 充分に安くて美味しいものを
 食べることは出来る。

 13ルピーのバーラとジャガイモのタルカリを食べて、通りに出ると、
 村から逃げ出してきたような悪童3人が 座りこんでサモーサを食べている。
 都会のカトマンズに憧れてやってきたのだろうが、彼らにカトマンズが何を与えて
 くれるのか知る由もない悪童たちである。
 運が良ければ、再び村に帰っていくだろうし、悪ければ ストリートチルドレンの
 生活が待っている。
 これも変わらぬ光景の一つだ。

 変わってしまったように見えるカトマンズでも 未だに変わらぬまま
 残っているものも多い。
 そんな姿が カトマンズの街に残っている限り、私のカトマンズ通いは続いていくのだろう。
 それにしても 水不足、電気不足の生活は 余計な緊張を与え、不愉快なものではある。
 生活のリズムがすっかりおかしくなってしまった。


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カトマンズ 街の風景 | 16:44:18 | Trackback(0) | Comments(4)
カトマンズ ゴダワリへの散歩‐03
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カトマンズ ゴダワリへの散歩‐03 8

 ゴダワリの水場から離れ、ミニバスでやって来た道を徒歩で下っていくことにした。
 ゴダワリのミニバスの溜まり場を通り過ぎる時に 行きに乗ってきた運転手に声を
 かけられたが、ことわり、そのまま、道を下っていく。
 空気はどこまでも清涼で 気持ちがいい。
 カトマンズ市内の空気のように べたべたと肌にまとわり付くこともなく、自然の
 恵みの中の素晴らしい空気だった。
 白いスモモの花が咲き、山も春の装いを彩っている。

 道を下っていくと チェットリ族の家々が 道沿いに並んでいる。
 ネワール族のように集団で住むことのない彼らは、1軒家に住む。
 1階は物置と家畜の飼育場所、2階が生活場所、3階が台所と穀物の保存場所のようだ。
 家は南向きに建てられ、そこが庭になっており、そこは冬場の人々の憩いの場所である。
 萱葺きの昔ながらの家もある。
 のんびりとした風景である。

 そんな家々を眺めながら、坂道を下っていくと 学校の生徒らしい集団にあった。
 タマン族の少年たちだった。
 小学6年生だと言う。
 谷間の向こうの集落に住み、谷間を越えて学校にやってくるようだ。
 カトマンズ近郊に住む民族であるタマン族であるが 教育の程度は低い。
 親たちが教育に関心がないためでもあるが、ゴルカ王朝時代の愚民政策の結果とも
 いえる。
 タマン族も 最近になって少しずつ教育に対する関心が増してきているが、
 小学6年生である子供たちの姿を見ても その年齢にばらつきがあり、そこにも
 教育の遅れが現れている。
 彼らが通っている学校は 7年生までで 進学の際には 別の学校に通うことになるが、
 何人の子供たちが進学できるのだろう。
 着ている制服も 25年前にキルティプールの公立小学校に通う子供たちと同じものである。
 今のカトマンズの公立学校は ネクタイを締め、学校に通うことが多くなった。
 貧しい家庭の子供たちにとっては 負担である。
 形ばかりを考え、子供の実態を知らないバウン族の教師たちの姿勢が 
 そこに現れている。
 生徒たちが入っていった学校の大半の生徒は タマン族の子供たちだ。
 この学校で教えるバウン族の教師たちは タマン族の集落へ行き、
 タマン族の子供たちの生活の実態を調べに行ったことがあるのだろうか。
 大半のバウン族は 他の民族、他のカーストの人たちには関心を持たない。
 関心を持つときは 利害関係が絡んだ時だけである。

 タマン族、マガール族、低カーストの家庭にとっては 制服を揃えることだって、
 大きな負担である。
 それぞれの民族の持つ特殊性を理解することから教育は 出発すると思うが、
 バウン族やチェットリ族の教師にはそういう視点はない。
 彼らは 250年に渡る王制の中でヒンズー教至上主義の中で生きてきた支配階級で
 ある。
 仏教徒であったタマン族は カトマンズ近郊に住みながら、王制の恩恵を受けること
 なく、250年の時の流れに身を任せてきただけである。
 教育を受ける機会の少なかった彼らが カトマンズでできる仕事といえば、皿洗い、
 リキシャの運転手、荷運び人夫、農繁期の畑仕事の請負、建築現場でのレンガ、
 砂運びなどの賃金の安い肉体労働だけだった。
 この便利な街道沿いに住んでいる民族の大半はチェットリ族で、タマン族の集落は
 谷間の向こうの不便な場所であり、公立学校に通う子供たちの大半は、タマン族で、
 チェットリ族の子供たちは 私立学校に通っているようだ。

 チェットリ、バウン族、ネワール族に比べれば、教育程度の低いタマン族ではあるが
 彼らの中にも 段々教育の芽は育ち始めている。


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カトマンズ 街道を行く | 04:52:48 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ ゴダワリへの散歩‐02
カトマンズ ゴダワリへの散歩‐02 1

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カトマンズ ゴダワリへの散歩‐02 5

カトマンズ ゴダワリへの散歩‐02 6

 カトマンズからピクニックにやって来たカトマンズ市民たちのための小さな食堂が
 並ぶ集落を抜けて、奥に入って行くと ボートを浮かべた池があり、ボート遊びを
 している若者の姿も見える。
 水の色も澄んだブルーでカトマンズ市内では見かけることのない水の色だ。
 その近くに ゴダワリの山々から湧き出る清流を集めた水場の石造りの蛇口から
 水が勢いよく流れ出ている。清く澄んだ水である。
 山から流れ来る澄み切った水を見るのは 一体何年ぶりのことだろう。
 東京の運河の水も最近はきれいになったが、澄んだ水とは言い難いし、バンコクの
 運河の水も チャオプラヤ川の水も清水ではなく、ましてやカトマンズを流れる
 バグマティ川の水は 黒く濁ったドブとしか言いようがないし、ラニポカリの池の
 水の色は緑色だ。
 このゴダワリの水を見て、本来の水のイメージを回復することが出来た。

 その水場の横には タンクローリー車が並び、タンクに水を入れる順番を待っている。
 話を訊くと タンクに水を満タンにすると 400ルピーを支払うと言っている。
 この水がカトマンズ市内に入ると 2千ルピーの値段が付く。
 なかなかの商売である。

 ゴダワリは 昔からその清い水で有名な場所であり、ゴダワリを囲む山々もきちんと
 保全されており、それが豊かな清流の源泉になっている。
 カトマンズ盆地を囲むほかの山々は 木々は伐採され、水の源泉とは程遠い姿になっている。
 カトマンズ市内では水不足で 私の住んでいるパタンでは 5日に1時間ばかりの
 給水が行われているだけだが、このゴダワリ周辺の村々では24時間水が供給されて
 いる。
 それも浄水の必要のない素晴らしい水である。
 豊かな水と汚染されていない美味しい空気、これは人間が当たり前に要求するものでは
 あるが、今のカトマンズでは こうした当たり前のことも保障されない。
 すっかり限界を超えたカトマンズの人口、誰も有効な手立てを考え出すことも出来ず、
 手をこまねいているばかりだ。

 25年前は人口も少なく、電気も水の心配もなかった美しい街 カトマンズも 
 今では 汚物の掃溜めのような場所になってしまった。
 そんなカトマンズ市内とは 異質な世界がこのゴダワリには 残っている。

 そんな中で チベット仏教を学ぶ幼い僧侶たちがやってきた。
 清涼な空気、素晴らしい水、そして自然は 彼らに聡明な叡智を与えることだろう。
 チベット難民の子供たちのようだった。

 彼らが通り過ぎたすぐ横で 何百年前かに造られた石造りの苔むした塔が 
 時の流れを刻みつけ、人間の愚かさを見つめ続けているかのようだった。


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カトマンズ 街道を行く | 23:52:02 | Trackback(0) | Comments(0)
パタン パタン彷徨‐04 二つの寺院
パタン パタン彷徨‐04 二つの寺院 1

パタン パタン彷徨‐04 二つの寺院 2

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パタン パタン彷徨‐04 二つの寺院 4

パタン パタン彷徨‐04 二つの寺院 5

パタン パタン彷徨‐04 二つの寺院 6

パタン パタン彷徨‐04 二つの寺院 7

パタン パタン彷徨‐04 二つの寺院 8

 古い歴史を持つ街の中心では 王宮など工芸の粋を凝らした見事な建造物を見ることが
 出来るが、私は街の周辺を歩くことも好きである。
 ネワール族の造り上げた1500年以上の歴史を持つパタンの街では 人々の住む場所が 
 各職業カーストによって 住み分けられている。
 街の中心である王宮周辺には シュレスタ・カーストの人々(マッラ王朝時代の支配層)が住み、
 街の周辺に向かって、低いカーストが住むという形になっている。
 それはカトマンズでも同じである。

 そのシュレスタ・カーストを取り巻くように仏教徒のサキャ、バジャチャーレ、
 ウダースと呼ばれる職人カースト、その外側にマハルザンと呼ばれる農民カースト、
 同じ農民カーストでも農業とレンガ造りを仕事にするアワレは マハルザンより少し
 低く見られ、その外側に住む。
 そして、その外の街の周辺部には サヒ・カースト(カサイ、カルギとも呼ばれる)、
 家畜の堵殺を生業にする人たちが住む。
 そして、街の外側には 不可蝕選民といわれる最下層カースト ポーレ(別名デオラ)が住み、
 街の中に住むことは許されなかった。
 彼らは 魚業、豚の飼育、火葬場での清掃などを仕事としている。

 パタンの中心部の散策には飽きたので、パタンの街の周辺部を歩くことにし、
 街の東側周辺に行ってみた。
 後で気がついたことだが、この東側周辺部は パタンの街でもバグマティ川に接して
 いる地域である。

 周辺部に向かって歩いていくと 仏教徒 サキャ・カーストの人たちが建てた仏教寺院がある。
 イェンプ・マハビハールと呼ばれる寺院で 寺院というより仏教伝道所のような役割を
 持っていた場所で、パタンの中にはサキャ・カーストの人たちが建てたこのような伝道所が 
 15箇所ある。ネワール族の間では バヒと呼ばれている。
 これに対して 集落の中に建てられ、バジャチャーレが祭事を司る寺院は ビハーと
 呼ばれている。
 歴史的には サキャ・カーストの人たちの建てたバヒ、マハビハールのほうが古いようである。
 こうしたサキャ・カーストの人たちが 積極的に伝道所として使っていたマハビハールも 
 70年近く前に ラナ独裁政治の時代 カトマンズに住む僧侶が ラナ家によって
 追放されてからは 仏教伝道所としての役割を失ってしまった。
 マハビハールに住んでいた伝道師の僧侶もいなくなり、荒れるに任せていたようだが、
 以前ほどではないにしても 少しずつ、昔の仏教伝道の役割を取り戻しつつある。

 そのマハビハールの先まで行くと パタンの旧市街の果てに至り、旧市街の外に出る。
 そのすぐ先は バグマティ川である。
 そこにも 寺院がある。
 バドォラカーリという神様を祭った寺院である。
 バドォラカーリという神様のプザーリは ネワールカーストの最下層、不可蝕選民の
 デオラ(ポーレ)と呼ばれる人たちで 魚採り、火葬の後の清掃など人の穢れを
 受け持つカーストの人たちである。
 上位カーストの人々は 蔑みとともにポーレと呼ぶが 彼らは自らをデオラと呼び、
 それは神様に奉仕する人という意味である。

 この寺院に向かっていると 学校帰りの少年が 私の後ろを歩いていた。
 寺院の中に入ると、その少年は別の寺院の入り口から入ってきた。
 彼もデオラ・カーストの子供だった。
 私立学校に通っているという。素直で利発そうな少年だった。

 寺の中には何時もデオラ・カーストの人々が常駐しており、
 彼らの憩いの場所のようでもあった。
 年配の人たちは 愛想がいいが 若い人たちはどこか猜疑心の強いところもあった。
 彼らの時代には まだデオラの子供たちには教育の機会がなかった。
 上位カーストの親たちが 彼らとともに 自分の子供が学ぶことを嫌ったからである。
 一昔前までは パタンの旧市街の中に住むこと、入っていくことも許されなかった人々である。
 時代が流れ、人々のカーストに対する意識が変ったかといえば、
 やはりまだまだデオラの人たちに対する蔑みの心は 消えることなく残っている。


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ネパール パタン | 08:33:28 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ ゴダワリへの散歩‐01
カトマンズ ゴダワリへの散歩‐01 1

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カトマンズ ゴダワリへの散歩‐01 8

 今日も朝4時に起きて、コンピュータにご挨拶、朝8時まで来るはずの電気が 
 7時15分には停電に入ってしまう。
 ここ2,3日 こんな状態が続いている。
 次に電気が来るのは 午後4時から真夜中12時まで、部屋にいても仕方がないので
 今日は 停電の時間帯、カトマンズ郊外のゴダワリへ行ってみることにした。
 23年も前、蝶捕りがネパールでまだ厳しくなかった頃、日本人の蝶捕りと一緒に 
 ゴダワリの奥にあるプルチョキの山の頂上に登ったことがある。
 彼の目当ては クリシュナアゲハという蝶だった。

 山には登ったけれど、ゴダワリの里を散策することのないまま、
 23年が過ぎてしまっていた。

 家を出て、大通りでラガニケル行きのミニバスに乗る。
 ラガニケルまで12ルピー(約15円)の運賃だ。
 ラガニケルに着くと、早速ゴダワリ行きのミニバスを探す。
 ラガニケルのバス乗り場に集まっているネパール人に ミニバスの場所を訊き、
 やっとバスを見つける。

 トヨタエースを改良したミニバス、乗せられるだけ人を乗せる。
 座れないものは ぶつぶつと文句を言っているが、車掌は知らん顔だ。
 バスはカトマンズを1周するリングロードを越え、村へ向かう道へと入っていく。
 どうも憶えのある道だと思ったら、以前に行ったことのあるアルシディ、タイバーへと
 向かう道筋だった。

 ミニバスは 坂道を登り、タウンケルという小さな村を抜けると、チェットリ族、
 バウン族、タマン族の住む生活地域へと入って行き、並ぶ家々もネワール族のものとは
 違って 屋根のある建築様式の家に姿を変える。
 遠くには 谷間を挟んだ向こう側にタマン族やチェットリ族の集落が見える。
 いかにも田舎にやってきたという光景だ。

 30分くらいかけて ミニバスはゴダワリの終点へと到着した。
 運賃は15ルピー(約20円)だった。
 終点のゴダワリは ピクニックの場所としても有名で、レストランの数も多い。
 自然が保全されているせいか、空気が清涼で、なにやら生き返った気になる。
 ここ20年ばかり、東京、バンコク、カトマンズと空気の不味い場所での生活が
 多かったせいか、空気が美味しいと感じたのは久々振りである。
 あたりは山に囲まれ、その山も樹木がしっかり根付き、大木も多い。
 いたるところでオゾンが発生しているといった感じだ。

 ゴダワリは 水が豊富なことでも有名で、素晴らしい水が湧き出しており、その水を
 売るためのタンクローリーが十数台もやってきている。
 タンクローリーの向かう道にあしを進めていくと、有名なボタニカルガーデンがあり、
 そこの研究所の敷地には 桃色の花が満開寸前だった。
 中に入って、花の名前を訊くと、日本からの桜の花だという。
 八重桜ではなく、花びらが五弁の桜である。
 一足先に花見を済ませてしまった。
 カトマンズの街の中は 初夏の陽気であるが、ここゴダワリは春爛漫である。

 タンクローリー車が向かう道をどんどん歩き続けていくと、チベット密教を学ぶ
 僧侶たちのグンバが見えてきた。
 そして、向こうから仏教を学ぶまだ幼い僧侶たちが 走り出してきた。



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カトマンズ 街道を行く | 00:06:53 | Trackback(0) | Comments(0)
パタン パタン彷徨‐03 ラーズバンダーリのいるところ
パタン パタン彷徨‐03 ラーズバンダーリのいるところ 1

パタン パタン彷徨‐03 ラーズバンダーリのいるところ 2

パタン パタン彷徨‐03 ラーズバンダーリのいるところ 3

パタン パタン彷徨‐03 ラーズバンダーリのいるところ 4

パタン パタン彷徨‐03 ラーズバンダーリのいるところ 5

パタン パタン彷徨‐03 ラーズバンダーリのいるところ 6

パタン パタン彷徨‐03 ラーズバンダーリのいるところ 7

パタン パタン彷徨‐03 ラーズバンダーリのいるところ 8

 パタンの街の中を歩いていると 一際目立つ五重塔に出くわす。
 この寺院の中にはヒンズー教の様々の神様が祭られている。
 その中で一番古くから祭られているのが バングラムケという神様らしい。
 パルバティ、カーリなどの化身らしく、ネパール人の間で古くから信仰されている
 重要な神様である。
 寺院群の中心にある五重塔に祭られているのは シバ神である。
 その他 ナラヤン、ガネシュなども祭られている。

 いつも不思議に思うのだが、ネワール族のマッラ王朝時代に建てられた寺院は
 今でも、人々の信仰を集め、参拝者が絶えないのに、サハ王朝、ラナ専制時代に
 建てられた寺院は いつもひっそりしていて 参拝者の姿を見かけることはない。

 ネワール族によってマッラ王朝時代に建てられた寺院には ネワール族のプザーリ
 (神様の世話をする人、寺院の管理をする人)がいて、目が行き届いている。
 寺院に祭られている神様によって、プザーリのカーストは異なることが多い。
 バイラブ神であれば、マハルザン、バドゥラカーリ神であれば、デオラ シバ神、
 バングラムケ神であれば、ラーズバンダーリがプザーリであったりする。

 ネワールバウン(僧侶階級であり、マッラ王朝時代の支配層 シュレスタ・カーストに
 属す)であるラーズバンダーリ、昔はバンダーリだけのカースト名だったが、
 ラナ専制時代に、ネワール族のバンダーリとゴルカ王朝のバンダーリと区別するために
 バンダーリの上にラーズを付け加えられたという。
 又、ネワール族のマッラ王朝時代に時のマッラ王が 祭儀のためにインドから
 ブラーマンを呼び、王専用の宗教的な祭儀を行わせた。
 彼らは ウッパディアと呼ばれていたが、これもゴルカ王朝のウッパディアと区別するために
 ラーズを付け加え、ラーズウッパディアとネワールバウンと命名した。

 この寺院も 寺院の管理・運営はネワール族のラーズバンダーリに任されており、
 重要な儀式の際には ラーズウッパディアが呼ばれて、祭儀をする。
 この寺院は 何時も盛況で、サハ、ラナ家によって建てられた寺院が崩れるのに任せて
 いるのに比べて、対照的である。
 2千年近い歴史を持つネワール文化と高々250年の歴史しか持たなかったゴルカ王朝
 の文化の奥行きの違いだろうか。

 インド、チベット、東南アジア、中国の人と文化が混じり合い、豊穣で多様な文化を
 形成してきたネワール文化と インドの亜流の文化、建造物はヨーロッパの物まねと
 いう底の浅いゴルカ王朝文化との違いが 寺院の存続にも影響しているのかもしれない。

 バングラムキの神様の横に座り、神様と訪れる参拝者の世話をするラーズバンダーリの
 人たち、この前行ったときには その家族がシバ寺院の前に座り込んでいた。
 女性に囲まれて座っていた老人は90歳だった。
 この寺院の世話をすることを誇りに思っている様子の家族である。

 寺院の中には 参拝者から小銭をねだる子供たちも多くいて、
 混然とした雰囲気の寺院である。
 それが 今も生き続けているネワール族の寺院の魅力でもある。 


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ネパール パタン | 12:19:47 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 路上は生きている‐02 農民たちの楽団
カトマンズ 路上は生きている‐02 農民たちの楽団 1

カトマンズ 路上は生きている‐02 農民たちの楽団 2

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カトマンズ 路上は生きている‐02 農民たちの楽団 4

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カトマンズ 路上は生きている‐02 農民たちの楽団 6

カトマンズ 路上は生きている‐02 農民たちの楽団 7

カトマンズ 路上は生きている‐02 農民たちの楽団 8

 カトマンズの旧王宮広場の一角で 農民たちの楽団に出会った。
 太鼓を敲く者、小さなシンバルを敲く者、歌を歌う者たちの行列だ。
 ネワール族の農民カースト マハルザンの楽団だ。
 彼らの信仰する神様のお祭りの日らしい。
 農民カースト マハルザンといえば、このカトマンズ盆地に2千年に渡って
 住みついてきたネワール族である。
 彼らは このカトマンズに住み着いて以来、こんな形で街を練り歩き、神様を
 敬ってきたのだろう。
 彼らの先祖がこの小さな祭りを始めてから、何百年も途絶えることなく引き継がれて
 きたのだろう。

 カトマンズのネワール族の農民カースト マハルザンは もう 農民とは言えない。
 彼らが耕す土地など もうどこにも残っていない。
 古い時代から ネワール語でジャプーと呼ばれ、どんな力仕事にも耐えることの出来る
 頑強な人という意味を持つ。
 ネワール族のカーストの中では中間に属すが、支配層からは搾取されてきた人々だ。
 昔は 国土はすべて国王のものであり、その政府のものだった。
 政府が道を作る、官舎を建てるといえば、二束三文で土地を取り上げられ、
 農地を失っていった。
 教育の機会のなかった彼らは 未来に向かって備えることも、時代を見通す力もなく、
 祭りの中で 楽器を鳴らし、歌を歌い、酒を飲み、水牛の肉を食らい、
 貧しい自分たちを慰めてきたのである。
 今でも 生き生きとした昔ながらの濃厚な数多くの祭りや行事を残しているのは
 このマハルザンである。

 マハルザンの楽団を後に残して、以前行ったことのあるカトマンズのドゥンゲ・ダーラ 
 と呼ばれている水場の近くにある小さな集落に行ってみることにした。
 後に残したつもりのマハルザンの楽団が どういうわけか私の後ろについてくる。

 水場の近くの集落の門を潜りぬけ、集落の中に入って行く。
 集落の奥に入り込んでみると、そこでは何やら宴会の準備がなされている。
 水牛の肉を使ったツェラと呼ばれる水牛肉のあぶり肉を大蒜、唐辛子、菜種油であえて
 作るネワール族の宴会には欠かせない料理が 男たちの手によって作られている。
 その横をマハルザンの楽隊が通り過ぎていく。
 彼らはこの集落の人々で 祭りはこの集落のものだったのだ。
 カトマンズの旧王宮広場の中心のすぐ近くの集落に 昔と少しも違わない生活が
 残っている、これがカトマンズの面白いところである。
 どんどん大きく膨らんでいくカトマンズの街の中に 都市の機能と村の機能が
 共存している。
 こんな街は他にはないだろう。

 料理を作っている人、周りに群がっている人たちと話し込む。
 私が日本人であることがわかると、日本のことがしきりと話題になる。
 ツェラとロキシーを食べて行けと言われるが 家に電気が来るのは夕方の4時、
 もう時計の針は 3時を指している。
 大急ぎでこの集落を離れ、家へと向かった。



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カトマンズ 街の風景 | 21:47:30 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ やっと3週間が過ぎたカトマンズ生活
 1日14時間という計画停電も 好転することなくカトマンズでの3週間の日々が
 過ぎた。
 今回の滞在も後10日残すばかりになった。
 政府の発表によれば、私がカトマンズを去った後の2月16日から計画停電が
 1日14時間から半分の7時間になるという。
 しかし カトマンズ市民の大半は ついこの前の 計画停電14時間が12時間に
 なると発表しておきながら、中止になったことが記憶に焼きついており、鼻から
 この発表を信用していないようだ。

 計画停電より深刻なのは 水問題である。
 5日ごとに1時間あまりの水道の給水では 生活できたものではない。
 井戸掘り、地下水の汲み上げのパイプ設置業者は 寝る暇もないくらい忙しい毎日の
 ようだ。

 私の住んでいるところも地下水の汲み上げのためのパイプから 水を毎日の何時間も
 モーターを使ってくみ出しているが、日増しに水の量は減る一方だ。
 昨年 パイプが腐り、50センチばかりパイプの長さが短くなったせいか、
 水が枯渇するのは時間の問題である。
 いくら 修理するように言っても 全く動こうとしない。
 ネパール人の大家 本当に困ってしまわない限り 対処しようとしない。
 これは大体ネパール人一般の生活であるが、私のところの大家はその程度がひどい。
 転ばぬ先の杖という言葉は ネパールにはないのである。
 転んだ後に対処しようとするから 改善されるまでの間は 大変厄介な思いをすることになる。
 近所のネパール人は言っていたが、ネパール人は 家が火事になって初めて、井戸を
 掘り始める。
 万事がこの通りで 笑ってしまった。
 これは政府から一般庶民まで 同じである。
 電気の問題も水の問題も ネパール人の同じ性格、気質に根ざしている。
 人間は 過ちから多くのことを学ぶと言うが ここネパールでは 当てはまらない。
 マオイストの政府が出来、少しは変るかと思ったら、やはり大差はない。
 マオイストの頭首 プラチャンダ首相も いつの間にか、贅沢な暮らしの味を覚え、
 貧民の味方からは 遠ざかる一方である。

 一般庶民は 困っていても 大変さは増すが 不思議なことだが それでもどうにか
 解決策を見出しているようだ。

 カトマンズ盆地の中の人口は 今や3百万人に迫る勢いであり、あと10年も経てば
 4百万人になるのも嘘ではないようだ。
 南ネパールのタライ地方の東部地域の治安は悪化する一方で 土地を安く売って
 カトマンズに転住してきている人間も多いと聞く。

 皆、カトマンズに向かってやって来るのだから、水や電気が足りなくなるのは当然だ。
 話に聞くと 首都カトマンズより 村や山岳部のほうが 停電が少ない。
 便利なはずの都会が 村より不便な生活になっているというおかしな現象になっている。
 水不足、停電に悩まされても 村人にとって 都会生活はそれほど魅力的なのだろうか。



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徒然なるままに | 09:00:06 | Trackback(0) | Comments(2)
カトマンズ カトマンズ庶民の親子
カトマンズ カトマンズ庶民の親子 1

カトマンズ カトマンズ庶民の親子 2

カトマンズ カトマンズ庶民の親子 3

カトマンズ カトマンズ庶民の親子 4

カトマンズ カトマンズ庶民の親子 5

カトマンズ カトマンズ庶民の親子 6

カトマンズ カトマンズ庶民の親子 7

カトマンズ カトマンズ庶民の親子 8

カトマンズ カトマンズ庶民の親子 9

カトマンズ カトマンズ庶民の親子 10

 日本で 親殺し、子殺しのニュースを聞くたびに 今の日本はどうなっているのかと
 心が痛むばかりである。
 人間の持つ動物としての大切な本能の歯車が どこかでずれてしまったのではとも
 思えてくる。
 母の持つ情愛というものが涸渇してきているのではと思う。
 動物の親が 子を愛しむというごく当たり前のことが成り立たなくなっているのではと
 思えてくる。

 カトマンズで貧しい生活を強いられている人々の中に入っていっても 親たちが本当に
 子供とともにいることが嬉しい、楽しいという表情が見て取れる。
 生活はぎりぎりでも 子育てに費やす時間は たっぷり取っている。

 スラムや貧困者の住む地域に行くと 母親や父親が幼子を抱きかかえ、
 日向ぼっこをしている姿をよく見かける。
 近所の者同士が 幼子を抱え、座り込んでおしゃべりをしている。
 子供を置きっ放しにすることはないのである。
 産んだ子供を育てることは 母親、父親の当たり前の義務であり、
 それを当然のこととして 受け入れ、子育てが負担であるなどとは露ほどにも感じられない。

 母親が遊びにいっているうちに 子供が焼死する、日射病にかかって死んでしまうと
 いうようなことはネパールでは考えられない。

 カトマンズは 女神信仰が盛んなところである。
 さながら カトマンズの母親を見ていると 大地に根ざした母神のようでもある。
 農民や村から出てきた人々ほどその傾向が強いようだ。
 教育程度は高くなくても 母親として何をすべきかを本能的に知っているのである。
 子供を抱えている母親は満ち足りた表情を浮かべている。
 自分の母親としての本能を信じることの出来なくなった先進諸国の母親より
 はるかに豊かなものを感じる。
 自分の母親が 自分を育てたようにわが子を育てる。
 子育てを惑わせるような余計な教育書やマスコミの情報など必要ないのだ。
 素朴に感じるままに子供を育てているだけである。

 たとえお金がなくても 満ち溢れる母親の愛情は 豊かなものを子供に与えていく
 だろう。
 フラストレーションに悩まされる日本の母親とは 大違いである。
 子育てが 当たり前に正常に行える社会が 正常な社会である。
 今の日本の母親は 様々のフラストレーションを抱え、たくさんの不安を抱えている。
 これでは当たり前に子供に接することも出来ないだろう。

 親子の間に慈愛に満ちた愛情が育たなければ、子殺し、親殺しは跡を絶たないだろう。
 今の日本の現実をネパール人が見れば、幸福であると感じるだろうか。
 ネパール人は 日本製品を見て、日本の高層ビルを見て、日本の物質的な豊かさを見て、
 日本に憧れを抱いているが、彼らが日本社会の中に置かれた時に 満ち足りた思いで
 子育てが出来るだろうか。


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カトマンズ 生き抜く人々 | 21:34:14 | Trackback(0) | Comments(0)
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